政治についてのエッセイ。別にひどく間違ったことを言っているわけではないし、現在の政治について考えさせるヒントもある本なのですが、全体の叙述のスタイルには不満もあります。
1章につき1つのテーマを考えるスタイルになっていて、目次は以下の通り。
例えば、第1章の「決定」では、最近の「決められない政治」批判が俎上に上げられ、「誰が」「何を」「いつ」「どのように」決めるのかということをそれぞれきちんと考える必要があることが述べられています。
第2章の「代表」では、「代表すること」の難しさが語られ「マニフェスト至上主義」が批判されています。そして、代表制を一種の演劇に見立てる(政治家がそれぞれの役回りを演じることで国民は政治について理解する)著者なりの見方が示されています。
第5章の「限界」では、「ところで、最近では芸術や学問・文化に関して、それをどこまで助成するかは政治が決めてもいいという考え方が力を得ています」 (155ー156p)という記述とそれに対する専門性の擁護がなされていて、橋下市長の文楽助成問題を念頭においた議論などもなされています。
今の政治情勢に不満のある人は、この本を読んで頷くことが多いのではないでしょうか?
ただ、残念ながらこの本にはそこからの広がりがないです。
この本では政治家や政治学者の固有名詞が登場せず、参考文献も示されていません。
「あとがき」の中で著者は「権威ある名前にふれることで、読者が思考を停止することをおそれたからです」(194p)とその理由を書き、あえて言及しなかったとしています。
しかし、この手の新書では、その新書からさらなる学問の世界へと道を示すことに意義があるのではないでしょうか?
例えば、同じエッセイスタイルの猪木武徳『経済学に何ができるか』(中公新書)では、現代の問題と経済学者たちが生み出してきた理論をつなぎ、経済学の可能性と限界を教えてくれる内容になっていました。
それに対して、この本を読んでも政治学の可能性や限界を知ることはできませんし、ここから先に進むこともできません(もちろん「これは政治学の本ではあり ません」と言われたら「そうですか」と返すしかないですが、それならば著者がどういう立場で語っているのかを知りたい)。
事細かに注をつけろとは言いませんが、せめて次の文章、「ある思想家は、政治学ではまだ「王の首を切り落としていない」と表現しています」(90p)の思想家の名前くらい出すべきだと思います(これは確かフーコーのはず)。
杉田敦の政治的な立場が「ソーシャル(社会民主主義)」であることが明確にわかったというような発見もありましたが、個人的にはやや不満も残る本でした。
政治的思考 (岩波新書)
杉田 敦

1章につき1つのテーマを考えるスタイルになっていて、目次は以下の通り。
第1章 決定―決めることが重要なのか
第2章 代表―なぜ、何のためにあるのか
第3章 討議―政治に正しさはあるか
第4章 権力―どこからやってくるのか
第5章 自由―権力をなくせばいいのか
第6章 社会―国家でも市場でもないのか
第7章 限界―政治が全面化してもよいのか
第8章 距離―政治にどう向き合うのか
例えば、第1章の「決定」では、最近の「決められない政治」批判が俎上に上げられ、「誰が」「何を」「いつ」「どのように」決めるのかということをそれぞれきちんと考える必要があることが述べられています。
第2章の「代表」では、「代表すること」の難しさが語られ「マニフェスト至上主義」が批判されています。そして、代表制を一種の演劇に見立てる(政治家がそれぞれの役回りを演じることで国民は政治について理解する)著者なりの見方が示されています。
第5章の「限界」では、「ところで、最近では芸術や学問・文化に関して、それをどこまで助成するかは政治が決めてもいいという考え方が力を得ています」 (155ー156p)という記述とそれに対する専門性の擁護がなされていて、橋下市長の文楽助成問題を念頭においた議論などもなされています。
今の政治情勢に不満のある人は、この本を読んで頷くことが多いのではないでしょうか?
ただ、残念ながらこの本にはそこからの広がりがないです。
この本では政治家や政治学者の固有名詞が登場せず、参考文献も示されていません。
「あとがき」の中で著者は「権威ある名前にふれることで、読者が思考を停止することをおそれたからです」(194p)とその理由を書き、あえて言及しなかったとしています。
しかし、この手の新書では、その新書からさらなる学問の世界へと道を示すことに意義があるのではないでしょうか?
例えば、同じエッセイスタイルの猪木武徳『経済学に何ができるか』(中公新書)では、現代の問題と経済学者たちが生み出してきた理論をつなぎ、経済学の可能性と限界を教えてくれる内容になっていました。
それに対して、この本を読んでも政治学の可能性や限界を知ることはできませんし、ここから先に進むこともできません(もちろん「これは政治学の本ではあり ません」と言われたら「そうですか」と返すしかないですが、それならば著者がどういう立場で語っているのかを知りたい)。
事細かに注をつけろとは言いませんが、せめて次の文章、「ある思想家は、政治学ではまだ「王の首を切り落としていない」と表現しています」(90p)の思想家の名前くらい出すべきだと思います(これは確かフーコーのはず)。
杉田敦の政治的な立場が「ソーシャル(社会民主主義)」であることが明確にわかったというような発見もありましたが、個人的にはやや不満も残る本でした。
政治的思考 (岩波新書)
杉田 敦




