山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2013年02月

杉田敦『政治的思考』(岩波新書) 5点

 政治についてのエッセイ。別にひどく間違ったことを言っているわけではないし、現在の政治について考えさせるヒントもある本なのですが、全体の叙述のスタイルには不満もあります。
 
 1章につき1つのテーマを考えるスタイルになっていて、目次は以下の通り。

 第1章 決定―決めることが重要なのか
 第2章 代表―なぜ、何のためにあるのか
 第3章 討議―政治に正しさはあるか
 第4章 権力―どこからやってくるのか
 第5章 自由―権力をなくせばいいのか
 第6章 社会―国家でも市場でもないのか
 第7章 限界―政治が全面化してもよいのか
 第8章 距離―政治にどう向き合うのか

 例えば、第1章の「決定」では、最近の「決められない政治」批判が俎上に上げられ、「誰が」「何を」「いつ」「どのように」決めるのかということをそれぞれきちんと考える必要があることが述べられています。
 第2章の「代表」では、「代表すること」の難しさが語られ「マニフェスト至上主義」が批判されています。そして、代表制を一種の演劇に見立てる(政治家がそれぞれの役回りを演じることで国民は政治について理解する)著者なりの見方が示されています。

  第5章の「限界」では、「ところで、最近では芸術や学問・文化に関して、それをどこまで助成するかは政治が決めてもいいという考え方が力を得ています」 (155ー156p)という記述とそれに対する専門性の擁護がなされていて、橋下市長の文楽助成問題を念頭においた議論などもなされています。
 今の政治情勢に不満のある人は、この本を読んで頷くことが多いのではないでしょうか?

 ただ、残念ながらこの本にはそこからの広がりがないです。
 この本では政治家や政治学者の固有名詞が登場せず、参考文献も示されていません。
 「あとがき」の中で著者は「権威ある名前にふれることで、読者が思考を停止することをおそれたからです」(194p)とその理由を書き、あえて言及しなかったとしています。

 しかし、この手の新書では、その新書からさらなる学問の世界へと道を示すことに意義があるのではないでしょうか?
 例えば、同じエッセイスタイルの猪木武徳『経済学に何ができるか』(中公新書)では、現代の問題と経済学者たちが生み出してきた理論をつなぎ、経済学の可能性と限界を教えてくれる内容になっていました。
  それに対して、この本を読んでも政治学の可能性や限界を知ることはできませんし、ここから先に進むこともできません(もちろん「これは政治学の本ではあり ません」と言われたら「そうですか」と返すしかないですが、それならば著者がどういう立場で語っているのかを知りたい)。
 事細かに注をつけろとは言いませんが、せめて次の文章、「ある思想家は、政治学ではまだ「王の首を切り落としていない」と表現しています」(90p)の思想家の名前くらい出すべきだと思います(これは確かフーコーのはず)。

 杉田敦の政治的な立場が「ソーシャル(社会民主主義)」であることが明確にわかったというような発見もありましたが、個人的にはやや不満も残る本でした。

政治的思考 (岩波新書)
杉田 敦
400431402X

平野克己『経済大陸アフリカ』(中公新書) 10点

これは非常に読み応えのある本。21世紀になって1980年代以来の経済停滞から抜けだしたアフリカの成長の要因とそこに大きくコミットする中国の姿を描き つつ、農業生産や製造業が育たないアフリカ経済の欠点、国際援助の歴史とその有効性、非効率な政府を飛び越えて活躍する企業など、アフリカを通して現在の グローバル経済の姿が見えるようになっています。
  また、そうしたアフリカ経済を分析することによって経済発展のメカニズムについての知見も得られるような構成になっており、「どうすれば貧しい国は豊かに なるのか?貧しい人々は豊かになるのか?」という難問に取り組むための大きなヒントを得ることができる本でもあります。

 目次は以下の通り。
 第1章 中国のアフリカ攻勢
 第2章 資源開発がアフリカをかえる
 第3章 食料安全保障をおびやかす震源地
 第4章 試行錯誤をくりかえしてきた国際開発
 第5章 グローバル企業は国家をこえて
 第6章 日本とアフリカ

 まず、第1章では中国のアフリカ進出の様子が紹介されます。
  20世紀の後半、援助をすれどもすれども一向に経済が上向く傾向が見えなかったアフリカに経済成長をもたらしたのが中国からの巨額の投資。2001年から 2010年の間に中国輸出入銀行がアフリカに供与した融資額は672億ドル。これは同時期の世銀の融資額574億ドルを上回っています(19p)。さらに 中国政府の対外援助の45.7%がアフリカ向けで、2009年までの累計で172億ドル(21p)、民間のFDI(海外直接投資)も香港を除いたアジアを 上回る規模です。

 この中国の狙いはアフリカの資源。急速な経済成長にともなって必要となる資源を確保するために中国は早い段階からアフリカに目をつけていました。
  中国は、政治的に不安定な国、人権状況の悪い国、紛争当事国などの欧米諸国は援助を手控えるような国、例えばスーダン、ジンバブエ、アンゴラなどにも積極 的に進出し、アフリカでのプレゼンスを増して来ました。国連での場でもしばしば「内政不干渉」の原則を持ち出す中国はガバナンスに問題のあるアフリカ諸国 にとっても都合のいい存在なのです。

 しかし、資源獲得を第一とし、インフラ建設においても中国人を使い現地人を雇用しないやり方は批判も浴びています。僕もいくら援助を行なってもそこから生まれる雇用も何もかも中国企業が奪っていくようなやり方は問題ではないかと思っていました。
 ところが、この本によるとそれは仕方のないことなのです。

 この本の第3章でそのことが説明されていますが、そのからくりは以下の様になります。
 アフリカ諸国では農業生産性が非常に低く、多くの国で穀物の自給が出来ず、人口が増加して必要になった穀物は輸入に頼っています。そのためアフリカの食糧価格は他の国に比べて高めで、そのぶん都市生活は高コストになります。
  そのため、アフリカでは低所得にも関わらず給料をそれなりに払わないと人を雇えないという状況があります。この本の136pで紹介されている製造業平均賃金を見ると、中国3853ドル、タイ2233ドル、インドネシア1667ドル、ベトナム802ドルに対してセネガルは4832ドル、ケニアは3012ド ル、ウガンダは1832ドル、エチオピアで1326ドルと、アジアに比べてアフリカ諸国の賃金の高さが目立ちます。
 つまり、現地の人を雇うよりも中国人を連れてきたほうが安上がりな経済状況があるのです。

 ですから現在のアフリカの経済成長は農業や製造業における生産性の高まりなどによってではなく、ほぼ資源開発と資源価格の高騰によって引き起こされています。
  第2章でとり上げられている赤道ギニアは、1992年に沖合油田が発見されて以来、「年平均40%をこえる世界最速のスピードで成長し続け、一人あたりの GDPは2万ドル水準に達して」(75p)いますが、乳幼児死亡率はいまだに10%をこえていて、いまだにODAの供与受けています。

 こうした国では企業が利潤を生み出すというよりも、むしろ地主が地代(レント)を受け取るような形での経済活動が中心になっており、生産思考の希薄な、国家主義敵で保守的な政治を行う「レンティア国家」ができあがります(85p)。
  また、一部の人への富の集中も著しく、ジニ係数はナミビアで0.707!(2003年)、南アフリカで0.650(2005年)、ボツワナで 0.630(1993年)など、騒乱や暴動を誘発する危険値といわれる0.4をはるかに上回る驚異的な数字が並んでいます(90pの表参照)。

 そんなひどい状況の中で、アフリカ経済の「希望」はこの本の第5章に書かれている多国籍企業です。
  南アフリカから生まれ世界最大の資源メジャーになったBHPビリトン、同じく南アフリカから生まれ世界第2位のビール会社になったSABミラー、ジンバブ エで政府の執拗な妨害をはねのけて成長し他のアフリカ諸国にも進出した通信会社のエコネットワイヤレスなど、アフリカ生まれの多国籍企業がアフリカ経済に 大きな影響を与えています。
 またアフリカで貧困者層向けのBOPビジネスを長年展開していきた味の素など、低所得で高コストというアフリカの難しい環境でビジネスを成功させている起業もあります(第5章はBOPビジネス入門としても読めます)。

 アフリカ大陸には55もの国が存在し、国境線は錯綜しています。一つ一つの国のサイズと経済規模が小さいのがアフリカの国々の大きな欠点です。だからこそ、国境を越えられる多国籍企業がアフリカ経済の主役として登場していきたのだと、著者は言います(257ー258p)

 この他、国際援助の歴史をあつかった第4章も興味深く、まさに読みどころの詰まった本です。
 アフリカ、開発経済、国際援助、BOPビジネス、グローバリゼーション、こういったことに関心のある人はぜひ読むべき本だと思います。

経済大陸アフリカ (中公新書)
平野 克己
4121021991

橘木俊詔・迫田さやか『夫婦格差社会』(中公新書) 7点

帯には「二極化する日本の夫婦 ー 鍵を握るのは「妻」だ!」との言葉で、「妻」が大きなフォントでしかも赤い字になっています。
 本書の基本的な主張はきわめて明瞭で、以前は夫の収入が高い夫婦ほど妻が専業主婦になるケースが多く、それが世帯間の格差の縮小につながっていたが、現在は夫婦とも高収入のパワーカップルと、夫婦とも低収入あるいは夫の収入が低いのに妻が専業主婦のウィークカップルの二極化が進みつつあり、それが日本の格差問題をさらに増幅させているというもの。
 著者は『格差社会』(岩波新書】などで日本の格差問題を長年論じ続けてきた橘木俊詔。今回は夫婦の問題を扱うということで若い女性の迫田さやかを共著者に迎えたとのことです。

 目次は以下のとおり。
 第1章 夫の所得と妻の所得―不平等の鍵はどちらに
 第2章 どういう男女が結婚するのか
 第3章 パワーカップルとウィークカップル
 第4章 結婚できない人たち
 第5章 離婚による格差
 第6章 地域差を考える
 
 アメリカの経済学者、ポール・ダグラスが発見し、日本の経済学者、有沢広巳が日本経済において実証した「ダグラス・有沢の法則」というものがあります。
 第一法則は「賃金が高くなれば働きたいと思う人間が増える」というもので、第二法則は「夫の収入が高ければ専業主婦が多くなり、夫の収入が低ければ妻の有業率が高まる」というもの。一般的に「ダグラス・有沢の法則」というと、この第二法則を指すようです。
 
 著者によると、この「ダグラス・有沢の第二法則」は1982年の調査では確認できますが、1992年、2002年の調査ではだんだんと崩れてきているといいます(ただ、山田昌弘や真鍋倫子の研究によるとそれほど崩れていないという(20ー23p))。
 この「ダグラス・有沢の第二法則」は、世帯の所得の平準化をもたらすものですが、これが崩れてきているとなると、今まであった世帯所得の平準化の力がはたらかないことになります。
 そして逆に、現在は妻が働くことが世帯の格差拡大・不平等化に寄与する時代になっているというのです。

 日本では結婚相手と出会う場所として職場と学校が多く、似たような学歴の相手や同じ職業の相手と結婚する確立が比較的高いです。例えば、この本の71pにのっている調査によれば「旧帝一工」(旧帝大・一橋大・東工大)出身女性の63.64%が「旧帝一工」出身者と結婚し、早慶出身女性の57.14%が早慶出身者と結婚しています。
 また女性医師の結婚相手の67.9%が医師であり(85p)、女性弁護士の結婚相手の42.53%が弁護士です(89p)。

 このように現在の日本では高収入同士のカップルであるパワーカップルと、逆に低収入同士、あるいは低収入の夫しか働いていないウィークカップルの2つに二極化しているといいます。
 さらに第4章では若い男性が結婚できるかどうかに「年収300万円の壁」があることを指摘し、こうした問題を解決するために、「最低賃金の引き上げ」、「同一労働同一賃金の原則」、「ワークシェアリング」が必要だと主張しています。

 ここまでのこの本の主張は読みやすく、そして明確です。「妻が働くかどうか」が世帯収入の鍵になるという点もそのとおりだと思います。
 ただ、細かい部分を見ていくと著者の見解に対して異を唱えている研究も数多くあり(もっとも、それを本文の中で紹介しているところがこの本のいいところ)、本当に著者に言うようなわかりやすい絵が描けるのかというとやや疑問も残ります。
 
 そして一番の不満は第3章で分析されているパワーカップルの姿がやや古いイメージなところです。
 医者夫婦というのがパワーカップルで、またその数も意外に多いというのはわかるのですが、それは芸能人カップルと同じようなもので、あくまでも恵まれた一部だと思います。
 それよりも個人的に分析して欲しかったのは、公務員や大企業など育児休暇などの福利厚生が整っている職場で働く妻を持つ世帯と、無職や非正規、出産で仕事をやめざるを得ない妻を持つせたいとの格差。育児休暇制度の普及は最近のことなのでまだデータは集まらないかもしれませんが、この「妻が正規雇用をつづけられたかどうか」というのが世帯収入では大きな違いを生むはずです。
 医者だ弁護士だというのではなく、もうちょっと身近なケースの分析が欲しかったと思います(他にもパワーカップルの一例として研究者がとり上げられていたけど。今や夫婦とも研究者というのはどうなんだろ?)。
 
 ただ、とり上げられているデータは興味深いものが多いですし、やや本筋から離れる「第5章 離婚による格差」、「第6章 地域差を考える」もなかなか面白いです。特に第6章は大阪市(都市部)、奈良市(都市部)、斑鳩町(郊外)、天川村(山間部)における男女別の未婚率を比較していて興味深いデータになっています。

夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち (中公新書)
橘木 俊詔 迫田 さやか
4121022009

臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』(講談社現代新書) 8点

『イスラエル』(岩波新書)でイスラエルという複雑な国家を分析してみせた著者が、これまた複雑なパレスチナ問題に迫った本。
 400pを超えるボリュームで、聖書の時代から現代までのパレスチナをめぐる歴史を辿り、パレスチナ問題の経緯と世界史的な文脈を描き出しています。
 文章は講義形式になっていて親しみやすいかたちにはなってますが、あまり整理されているとはいえません。また、帯の裏には「この一冊で中東問題のすべてがわかる!」とありますが、第三次中東戦争などの記述はあっさりしていますし、ある程度の知識がないとこの本の議論について行くのは難しいかもしれません。
 けれども、この本にはそうした欠点を補うだけの内容の濃さがあります。この本を読めば「イギリスの三枚舌外交が今のパレスチナ問題を生んだ」という説明が、パレスチナ問題のほんの僅かな部分しか説明していないことがわかると思います。

 内容が詰まっていて要約は難しいので、いくつか勉強になった部分を紹介していきます。
 まず、第1講での「パレスチナに住む人々をどう捉えるか?」という部分。私たちは単純に「ユダヤ人対アラブ人(パレスチナ人)」という構図で理解してしまいますが、この地域の民族・宗教・言語の構成はもっとずっと複雑です。
 イスラエル建国前のアラブ世界のマジョリティは「アラビア語使用のスンナ派ムスリム」です。
 ではマイノリティは?というと、クルド人などのアラビア語を話さないスンナ派ムスリムもいれば、アラビア語を話すシーア派もいますし、そしてユダヤ教徒やキリスト教徒にもアラビア語を話すものと話さないものがいて、「アラブ人/ユダヤ人」というように単純に二分できるものではありません。

 この複雑な民族や宗教、言語のバランスを無視してこの地域を「ユダヤ人/その他」で規定してしまったのがバルフォア宣言でした。
 バルフォア宣言は、1917年にイギリス政府が「イギリスのシオニストに対してユダヤ人のための「ナショナル・ホーム(民族的郷土)」の設立に賛意を表明」(173p)したものでしたが、宣言の中で「パレスチナに存在する非ユダヤ諸コミュニティ」(181p)という表現を使ったことから、この後この地域の複雑な民族構成が「ユダヤ人/その他」という形で把握されることになります。当時、ユダヤ人はこの地域に住む人々の10%程度を占めるにすぎなかったのですが、それ以外の90%近い人びとが「非ユダヤ人」というカテゴリーで一括されることになります。さらに同時にアラビア語を話すユダヤ教徒も「ユダヤ人」のカテゴリーに押し込まれることになります。
 ここに「アラブ人対ユダヤ人」という対立のカテゴリーが生まれるのです。
 
 また、「ユダヤ人問題」はアラブ世界で生まれというよりはヨーロッパで生まれた問題です。
 中世に行われた十字軍は、ヨーロッパ世界(キリスト教)とイスラム世界の対決という形で捉えられていますが、この時のエルサレム占領ではユダヤ人の虐殺も行われています。
 中世から近世にかけてはヨーロッパでユダヤ人差別の動きが定着した時代でもあり、1492年にはスペインではレコンキスタの完成とともに「アラゴン及びカスティーリャからのユダヤ教徒追放に関する一般勅令」が出され、イベリア半島からユダヤ人が追放されます。
 さらに19世紀にロシアで起こったポグロムと呼ばれるユダヤ人への集団虐殺が、ユダヤ人のアメリカやパレスチナへの人口移動を引き起こしました。

 こうしたユダヤ人への差別感情、あるいは差別感情の裏返し的なシオニズムへの肩入れといったものがパレスチナ情勢をより複雑にしました。
 バルフォア宣言においては、当時のイギリス首相のロイド=ジョージが「ユダヤ人こそが歴史の歯車を回すのだという反ユダヤ主義的な誤った見方」(179p)に基づいてバルフォア宣言を後押しし、イスラエル建国に関してはアメリカ大統領のトルーマンが周囲の反対を押し切って建国に賛成しています。
 国際政治における利害関係だけには還元できないユダヤ人への「特別な感情」が、この地域の政治を動かしたことがこの本を読むとよくわかります。

 他にも、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての時期におけるイギリスの政策変更(バルフォア宣言を事実上破棄して、アラブ世界との連携のためにユダヤ人の移民制限を行った)、トランスヨルダンのアブドゥッラー国王とシオニストの友好関係が第一次中東戦争やパレスチナ人の難民化に与えた影響、パレスチナ暫定自治政府ができたことによって生まれた自治政府内に暮らすパレスチナ人と他国へと逃げた離散パレスチナ人の断絶の問題、ファタハとハマースの関係など興味深いトピックが数多くとり上げられています。

 残念ながら、著者が「おわりに」で「このような新書を著すことによって問題の所在を明らかにして解決の方向性を見出そうと試みたのですが、いっそう深い森に迷い込んだ感じで、むしろ将来的な展望が見えなくなってしまったというのが本音といったところです」(413p)と述べているように、パレスチナ問題解決のための処方箋はこの本には示されてはいません。
 けれども、この処方箋が出せないということこそ、著者がパレスチナ問題とその歴史にしっかりと向き合った証拠だとも感じます。

世界史の中のパレスチナ問題 (講談社現代新書)
臼杵 陽
4062881896

津上俊哉『中国台頭の終焉』(日経プレミア) 8点

中国に経済についての本というと「楽観論VS悲観論」みたいなかたちになるケースが多いですが、タイトルからするとこれは「悲観論」の本。帯にも「中国が 米国を追い抜く日はこない。」とありますし、本の中でも中国経済における短期・中期・長期の問題点をあげ、その問題解決の難しさを説いています。
 ただ「悲観論」と書くと悲観的な強いバイアスがかかっているようにも思えますが、この本を読めば短期はともかく、中長期には中国が今のような成長を続けるのが難しいということがわかるのではないでしょうか。

 順番に紹介すると、まず短期の問題はリーマン・ショック後に行われた中国の「4兆元投資」の問題です。
 4兆元は当時のレートで約57兆円。この巨額の景気刺激策と金融緩和によって中国経済は多くの国がリーマン・ショックの後遺症に苦しんだ2009年も経済成長を続けたわけですが、著者によればその巨額の投資がさまざまな歪みをもたらしたと言います。
 過剰投資によって鉄鋼などの製品価格は低迷し、不動産市場にも巨額の資金が流れ込み、市場に大きな歪みをもたらしました。
 著者は中国経済はすでに減速しており、「2015年頃まで、中国経済が自然体で5%前後の潜在成長率を達成することは難しいだろう」と見ていますが、これについてはもともとこの本でも指摘されている通り中国の統計はあてにならないのでなんとも言えないですね。
 ただ、この本ではそうした統計の歪みを含めてさまざまなデータが提示されているので、中国経済を見る上でのチェックポイントのようなものはつかめると思います。

 中期の問題は主に経済制度の問題なのですが、これは複雑すぎてここで簡単に要約できるようなものではありませんが、何と言っても大きいのは「国進民退」と呼ばれる現象。
  園田茂人『不平等国家中国』(中公新書)でもとり上げられているように、中国では2000年代に入ってから国有セクターに勤める人の給与の伸びが目立つよ うになっており、国有企業がその特権やコネを活かして民間企業を圧迫するような形になっています。これを「国進民退」というのですが、この本ではその「国 進民退」の様子がさまざまなレベルで紹介されています。

  地区級市の市長たちが自らの出世レースのために、無理して経済指標をあげようとしたり過剰投資を行なっていることを指摘した86p以下の部分や、そうした 地区級市をはじめとする地方政府による農民からの土地収用とそれを競売にかけることで収益を得る行為の問題点(この問題に関しては梶谷懐『現代中国の財政 金融システム』が詳しいです)、製造業が収める増値税とサービス業が収める営業税の違いからくる問題点(サービス業の税負担が重く経済のサービス化を阻害 している)など、興味深い指摘が多いです。

 そして、一番多くの人が納得すると思うのが長期の問題。
 中国でも少子高齢化が進んでおり、「人口ボーナス」を享受してきた中国の経済発展にもブレーキが掛かることは大泉啓一郎『老いてゆくアジア』(中公新書)でも指摘してありましたが、中国の未来に関してはその中での予想よりもさらに厳しいものが予想されます。
  なんといっても衝撃的なのは、2010年の中国の出生率が1.18(北京や上海は0.7程度。この数字は2012年の夏に発表された人口統計をもとに筆者 が計算したもの)という数字だということ。これは今までのモデルに使われていた推計よりも大幅に低いものですし、少子化に苦しむ日本よりも低い数字です。
 
 そしてこの出生率からの推計によると2030年頃までは増加すると考えられていた中国の総人口は2020年頃から現象に転じ、生産年齢人口は今現在(2013年)がほぼピークだというのです。
 しかし、「一人っ子政策」は「人口増加は悪」という固定概念や、財政難に陥っている農村が「一人っ子政策」への違反に対する罰金を財源として必要としているため、なかなか見直しが行われていないと言います。
 中国は「未富先老」(豊かになる前に老いる)かもしれないのです。

  中国の制度自体がわかりにくく煩雑なために、この本の記述もやや煩雑でわかりにくくなっていますし、処方箋については「著者の主張するような改革や自由化 でうまくいくのか?」という疑問もよぎるのですが、中国経済の抱えるさまざまな問題点を凝縮して列挙していて読み応えがあります。
 特に中長期のスパンで中国について考えてみたい人はぜひ読んでおくといいと思います。


中国台頭の終焉 (日経プレミアシリーズ)
津上 俊哉
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通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
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