この手の日本の加害責任について書かれた本では、「左」の人がその中でも特に悲惨な目にあった人々の証言を用いて日本の国家と国民の加害者としての責任を告発し、一方で「右」の人々はうまくいったいくつかのケースを出してきて「そんな悲惨な例だけではない」と否定する展開になりがちです。
しかし、この本はそのどちらでもなアプローチになっています。
著者は、朝鮮人の強制連行について、日本の残した公文書を中心にその実態を丹念に追い、そこに日本の植民地支配と戦前・戦中の日本社会の矛盾を見出しています。
例えば、朝鮮人の強制連行を否定する議論として用いられるものに、朝鮮人の日本への「密航」の存在があります(著者が46pで指摘するように日本帝国臣民である朝鮮の人びとが日本に来ることを「密航」とするのは本来ならばおかしい)。
「朝鮮から日本に「密航」した人びとが大勢いたのに、朝鮮人を強制的に連行したというのはおかしいのではないか?」「だから強制連行は実はほとんどなかったのだ」という議論です。
実際、この「密航」は存在しました。「密航」で摘発された朝鮮人の数は1940年で5885人、また規制が強化されたにも関わらず動員計画に基づかない朝鮮人の「縁故渡航」は3万人以上にのぼります(76p)。
確かに、自発的に日本で働こうという朝鮮人は存在したのです。
しかし、同時に朝鮮では地方組織や警察などを通じて日本で働くための労働者が集められています。
これは同じ日本で働くといっても働く場所や条件が違うからです。朝鮮人労働者を希望したのは炭鉱の経営者などであり、その理由は劣悪な労働条件でも働いてくれる人材を調達するためでした。
確かに朝鮮人にとって当時の日本の重化学工場などで魅力的なことでしたが、炭鉱となるとそうでもありません。日本の炭鉱は「監獄部屋」とも呼ばれる特殊な親方制度のもとに運営されている前近代的な職場で、日本の中でもかなり劣悪な職場であったからです。
本来ならば機械化や待遇改善によってその労働条件を引き上げるべきだった炭鉱経営者は、使い勝手の良い人材として朝鮮人労働者に目をつけます。けれども、当然ながら朝鮮人も日本に来れば炭鉱の条件の悪さや他によい職場があることを知ることになります。実際、朝鮮人労働者が炭鉱から「逃亡」する例は跡を絶たなかったようです(63p)。
そこで、朝鮮人労働者は「逃亡」防止のために厳しい管理下のもとに置かれ、日本人の一般労働者とはわけて管理されることになります。
最初の動員が強制ではないとしても、その内容は「強制労働」に近くなってくるのです。ちなみに当初は朝鮮総督府も炭鉱での待遇から朝鮮人の内地移送へ難色を示しています。
一方、朝鮮人の強制連行について、日本人に対しても「徴用」があったとして、「強制連行」を特別なものではないとする見方もあります。
確かに、戦局が悪化するに連れて数多くの日本人が徴用され、さまざなま仕事に強制的に従事されれました。
しかし、朝鮮においては行政機関の貧弱さから法的手続きに従って徴用を行うことが困難だったこと、炭鉱が陸海軍の雇用や軍需工場などのように基本的に徴用の配置先ではなかったこと、炭鉱が徴用によって動員された人びとを迎えるにふさわしい環境ではなかったこと、徴用によって動員された者の残された家族には国がその生活の面倒を見る必要があったことなどから(146ー148)、朝鮮での徴用はなかなか進みませんでした。
このことについて著者は次のように述べています。
当初、2年間の予定で連れてこられた朝鮮人労働者の契約は日本側の都合で延長され(155p)、要員確保は困難になっていきます。朝鮮では「寝込みを襲ひ或は田畑に稼働中の者を有無を言はさず連行する等相当無理なる方法を講し」、徴用令の令状を交付して輸送しています(178p)。
また残された家族への援護策も行政のインフラの不備などもあってうまく機能しませんでした。
一方、著者は炭鉱に朝鮮人が連れてこられる一方で、戦争末期の日本の炭鉱労働者の70%弱が日本人であったことを指摘し(238p)、「むしろ、朝鮮人の存在によって日本人民衆に対する抑圧もまた続けられていたと見ることが可能である」(237p)と述べています。
朝鮮人という安い労働力が使えるという認識のものと炭鉱での待遇改善が先延ばしにされた側面もあるのです。
このように、この本では朝鮮人の強制連行におけるさまざまな問題点を指摘しているのですが、この本を読んで思い起こされるのが、今日本で働いている外国人研修生の存在です。
外国人研修生の実態については安田浩一『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』で紹介されていますが、ここでは朝鮮人の強制連行と全く同じ問題が繰り返されています。
この外国人研修生は、表向きは日本の優れた技能を外国人に教えるという制度ですが、実質は生産性が低く日本人を雇う余裕のない地場産業や農家が安い労働力を得るための手段となっています。基本給5万円で、そのうち3万5千円は強制貯蓄、残業代は1時間300円など、最低賃金をはるかに下回る待遇で働かされているケースが数多くあります。
日本にやってきた外国人はその低い待遇を嫌って「逃亡」し、それを防ぐために経営者がパスポートを取り上げたりしていることもあるそうです。これも朝鮮人の強制連行とまったく同じ図式ですね。
このように、この本は朝鮮人の強制連行についてだけではなく、日本社会の矛盾や現在まで続く問題点を知ることの出来る本です。岩波新書でこのテーマなのでやや様子見をしていたのですが、非常に良い本だと思います。
朝鮮人強制連行 (岩波新書)
外村 大

しかし、この本はそのどちらでもなアプローチになっています。
著者は、朝鮮人の強制連行について、日本の残した公文書を中心にその実態を丹念に追い、そこに日本の植民地支配と戦前・戦中の日本社会の矛盾を見出しています。
例えば、朝鮮人の強制連行を否定する議論として用いられるものに、朝鮮人の日本への「密航」の存在があります(著者が46pで指摘するように日本帝国臣民である朝鮮の人びとが日本に来ることを「密航」とするのは本来ならばおかしい)。
「朝鮮から日本に「密航」した人びとが大勢いたのに、朝鮮人を強制的に連行したというのはおかしいのではないか?」「だから強制連行は実はほとんどなかったのだ」という議論です。
実際、この「密航」は存在しました。「密航」で摘発された朝鮮人の数は1940年で5885人、また規制が強化されたにも関わらず動員計画に基づかない朝鮮人の「縁故渡航」は3万人以上にのぼります(76p)。
確かに、自発的に日本で働こうという朝鮮人は存在したのです。
しかし、同時に朝鮮では地方組織や警察などを通じて日本で働くための労働者が集められています。
これは同じ日本で働くといっても働く場所や条件が違うからです。朝鮮人労働者を希望したのは炭鉱の経営者などであり、その理由は劣悪な労働条件でも働いてくれる人材を調達するためでした。
確かに朝鮮人にとって当時の日本の重化学工場などで魅力的なことでしたが、炭鉱となるとそうでもありません。日本の炭鉱は「監獄部屋」とも呼ばれる特殊な親方制度のもとに運営されている前近代的な職場で、日本の中でもかなり劣悪な職場であったからです。
本来ならば機械化や待遇改善によってその労働条件を引き上げるべきだった炭鉱経営者は、使い勝手の良い人材として朝鮮人労働者に目をつけます。けれども、当然ながら朝鮮人も日本に来れば炭鉱の条件の悪さや他によい職場があることを知ることになります。実際、朝鮮人労働者が炭鉱から「逃亡」する例は跡を絶たなかったようです(63p)。
そこで、朝鮮人労働者は「逃亡」防止のために厳しい管理下のもとに置かれ、日本人の一般労働者とはわけて管理されることになります。
最初の動員が強制ではないとしても、その内容は「強制労働」に近くなってくるのです。ちなみに当初は朝鮮総督府も炭鉱での待遇から朝鮮人の内地移送へ難色を示しています。
一方、朝鮮人の強制連行について、日本人に対しても「徴用」があったとして、「強制連行」を特別なものではないとする見方もあります。
確かに、戦局が悪化するに連れて数多くの日本人が徴用され、さまざなま仕事に強制的に従事されれました。
しかし、朝鮮においては行政機関の貧弱さから法的手続きに従って徴用を行うことが困難だったこと、炭鉱が陸海軍の雇用や軍需工場などのように基本的に徴用の配置先ではなかったこと、炭鉱が徴用によって動員された人びとを迎えるにふさわしい環境ではなかったこと、徴用によって動員された者の残された家族には国がその生活の面倒を見る必要があったことなどから(146ー148)、朝鮮での徴用はなかなか進みませんでした。
このことについて著者は次のように述べています。
朝鮮において国民徴用令がこの時点まで発動されなかったことは”より寛大な方法”での動員が続いていたことを意味するわけではない上に(すでに見たように要員確保の実態は日本内地での徴用よりも厳しいものであった)、国家による名誉、生活の援助からの除外をもたらしていた。この時点の朝鮮人の被動員者は、いわば”徴用されない差別”を受けていたのである。(149p)そして、こうした矛盾は戦局が悪化していくに連れてますます拡大します。
当初、2年間の予定で連れてこられた朝鮮人労働者の契約は日本側の都合で延長され(155p)、要員確保は困難になっていきます。朝鮮では「寝込みを襲ひ或は田畑に稼働中の者を有無を言はさず連行する等相当無理なる方法を講し」、徴用令の令状を交付して輸送しています(178p)。
また残された家族への援護策も行政のインフラの不備などもあってうまく機能しませんでした。
一方、著者は炭鉱に朝鮮人が連れてこられる一方で、戦争末期の日本の炭鉱労働者の70%弱が日本人であったことを指摘し(238p)、「むしろ、朝鮮人の存在によって日本人民衆に対する抑圧もまた続けられていたと見ることが可能である」(237p)と述べています。
朝鮮人という安い労働力が使えるという認識のものと炭鉱での待遇改善が先延ばしにされた側面もあるのです。
このように、この本では朝鮮人の強制連行におけるさまざまな問題点を指摘しているのですが、この本を読んで思い起こされるのが、今日本で働いている外国人研修生の存在です。
外国人研修生の実態については安田浩一『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』で紹介されていますが、ここでは朝鮮人の強制連行と全く同じ問題が繰り返されています。
この外国人研修生は、表向きは日本の優れた技能を外国人に教えるという制度ですが、実質は生産性が低く日本人を雇う余裕のない地場産業や農家が安い労働力を得るための手段となっています。基本給5万円で、そのうち3万5千円は強制貯蓄、残業代は1時間300円など、最低賃金をはるかに下回る待遇で働かされているケースが数多くあります。
日本にやってきた外国人はその低い待遇を嫌って「逃亡」し、それを防ぐために経営者がパスポートを取り上げたりしていることもあるそうです。これも朝鮮人の強制連行とまったく同じ図式ですね。
このように、この本は朝鮮人の強制連行についてだけではなく、日本社会の矛盾や現在まで続く問題点を知ることの出来る本です。岩波新書でこのテーマなのでやや様子見をしていたのですが、非常に良い本だと思います。
朝鮮人強制連行 (岩波新書)
外村 大




