山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2007年01月

宮下規久朗『食べる西洋美術史』(光文社新書) 9点

 「食事」、「食卓」、「食材」をテーマにした西洋絵画に焦点を当て、その歴史を追った本なのですが、これがなかなか面白い!
 パンやワインに象徴的意味をもたせるキリスト教文化の中で、いかに食事が描かれ、そこにいかなる意味がこめられていたのかという解説も面白いですし、そしてなによりもこの本で取り上げている食事風景の絵がどれも魅力的です。
 著者自らも「B級グルメ」の人(なにせラーメン屋「二郎」にハマっていたとのことですから)のせいもあってか、ヴィンチェンツォ・カンピ「リコッタチーズを食べる人々」、アンニーバレ・カラッチ「豆を食べる男」など、本当に「食事」というものを見事に捉えた絵が紹介されています。
 また、迫力のある構図のレンブラント「皮を剥がれた牛」、宗教的な静謐さをもつスルバランの静物画など、「食材」についての絵に関してもすばらしいものを数多く取り上げていると思います。
 カラーの口絵も豊富で、絵の魅力が十分に伝わる造本になっていると思いますし、ダ・ヴィンチからウォーホールまで、「食べること」に焦点を絞りつつも、かなり見通しのよい美術史になっている点も魅力的です。

 ちなみに著者は長年の暴飲暴食がたたり、この本の執筆中に入院。この本は「奇しくも私の食道楽時代の遺書のようなものとなっていしまった」ということです。

宮下規久朗『食べる西洋美術史 「最後の晩餐」から読む』

阿部和義『トヨタモデル』(講談社現代新書) 4点

 日本最大の企業であるトヨタの強さにせまった本。ですが、まあ内容的に「新事実」みたいなものはないかと。
 カンバン方式やコストダウンの秘訣、トヨタの販売戦略など、どこかで聞いたような内容ですし、ネットとかで調べてもこのくらいはわかりそう。
 ただ、それがまとめてあるというのがこの本の利点ですかね。
 ちなみに著者は元朝日新聞の記者ですが、トヨタへの批判的な視点はほぼないです。

阿部和義『トヨタモデル』

千住博『美は時を越える』(光文社新書) 5点

 海外でも活躍する日本画家・千住博による絵画論。
 自然を見たままに描いたとされるモネが、実はアトリエ中心の作業を行っていたのではないか?という見立てや、彼の庭園はかなり人工的な自然であって、浮世絵にも通じるある種の「虚」を描こうとしていたのではないか?というような考察は興味深いです。
 また中国の水墨画やハドソンリバー派の絵画、日本の甲冑など取り上げている対象も素晴らしいものが多いです。 ただ、この本の欠点はすぐに「宇宙」や「神」を持ち出してしまう点。また、9.11テロ以降の動きをとりあげて「21世紀は美の時代」とするのはちょっと単純すぎる気も…。

千住博『美は時を超える 千住博の美術の授業』

浜井浩一・芹沢一也『犯罪不安社会』(光文社新書) 9点

 これは非常にタイムリーでいい本。「治安悪化」が叫ばれるなかで、実は犯罪も少年犯罪も増えてはいないということは、ちょっと統計などを知っている人はご存知のことだと思いますが、そのことを非常に丁寧に説得的に論じた本です。
 共著の形で、浜井浩一が1章と4章を、芹沢一也が2章と3章を担当しているのですが、特に浜井浩一の書いた部分はよいです。
 犯罪の統計を論じた1章では、加害によって殺される人が一貫して減っていること(特にこれだけ児童虐待が報道されるなかで加害によって死亡する幼児が大きく減っているのには注目すべき)、警察の検挙率の低下は主に桶川ストーカー事件などを受けて警察が事件として認知する件数が増えているのが原因であること、などが非常に丁寧に論じられています。
 また、浜井氏が刑務所に勤めていた経験をもとに書いた4章では、刑務所が老人と障害者と外国人で一杯になり、まるでリハビリ施設と化している実態が紹介されています。さらには統計的から90年代後半以降、無職と離婚状態の受刑者が増えている傾向もわかり、仕事や家族から見放された人々が最後に行き着く先としての刑務所像がデータの面からも裏付けられています。
 地域の防犯活動がまるでサークル活動のように行われ、その求心力として「子供の安全」が持ち出されているとする芹沢一也の書いた3章も面白いですし、とにかく今読むべき本と言えるでしょう(特にマスコミ関係者には課題図書としてほしいですね)。

浜井浩一・芹沢一也『犯罪不安社会 誰もが「不審者」?』

絓(すが)秀実『1968年』(ちくま新書) 6点

 「1968年」の歴史的意味とその可能性を書いた本。
 その中でも、著者の指摘する「べ平連」へのアナーキスト山口健二の関わり、そしてその山口と三島由紀夫の関係は興味深いです。
 著者は1970年の「七・七華青闘(華僑青年闘争委員会)告発」を「1968年」の意味と可能性を表すものとして大きく取り上げます。
 「七・七華青闘告発」というのは、在日中国人の団体が日本の学生運動における差別的体質を指摘したもので、著者によれば、この告発によって全共闘の学生たちの運動が「ナショナリズム=ナルシシズム」にすぎないことが暴露され、その後の狭山事件など、新左翼がマイノリティ問題へと向かう契機となったと言います。
 ただ、個人的にはここで取り上げられている、「差別されているマイノリティの前で日本人は果たして「主体」でありえるのか?」という考えは、「1968年」の可能性というよりは、その後の必然的な行き詰まりを暗示しているとしか思えないですけど。

絓秀実『1968年』

五十嵐太郎『現代建築に関する16章』(講談社現代新書) 6点

 もともとがメールマガジンのための語り下しなので、内容的にしっかりとまとまっているとは言い難いですが、建築に関する素人でも思想方面とかに興味があればそれなりに楽しめる本だと思います。
 現代の建築というものが、単なる機能以上のデザインをクライアントに認めさせるためにさまざまなコンセプトを必要とし、同時に建物としての機能も求められるから現代美術ほど現実の社会から遊離した存在にもならないという位置にあることがなんとなくわかります。
 また、機能性を重視したモダンに対してさらに新しいものを生み出そうとするところから、建築とポスト・モダンの親和性みたいのも感じることができます。
 もうちょっとしっかりとした後世が欲しいですが、読み物としては悪くないと思います。

五十嵐太郎『現代建築に関する16章 〈空間、時間、そして世界〉』
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通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
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