国際政治学者である著者が戦争の条件、平和の条件を探った本。
「探った本」と書きましたが、まさに「探った」だけで「答え」はほとんど出していません。この本ではさまざまなケースがあげられ、そこで国際政治における戦争と平和の難しさが語られています。
こうした判断の難しいケースをあげながら思考していくという本は、サンデルの『これからの正義の話をしよう』以来、よく見かけるようになってきたと思いますが、サンデルが「正解」を示さないようでいてそれなりの「方向性」を示しているのに対して、この本は問題を提示しただけで「方向性」すらほとんど示していない部分も多いです。
ですから、多少なりとも現実の国際問題に対する「解答」が欲しい人には不満の残る本だと思います。逆に、国際政治の難しさを認識するためにはいい本と言えるでしょう。
例えば、第1章の「戦争が必要なとき」であげられている問いは次のようなものです。
著者も問一のケースこそ、「現実には、この問いの答えは、はっきりしている。反撃だ」(13p)と述べていますが、それ以外のケースについては、その判断の難しさをさまざまな点から指摘しつつ、答えを出さずに終えています。
以下、第2章では「覇権国と国際関係」、第3章では「デモクラシーの国際政治」、第4章では「大国の凋落・小国の台頭」、第5章では「領土と国際政治」といった問題をとり上げています。
そんな中でやや毛色が違うのが、第6章の「過去が現在を拘束する」と、そこからつづく第7章の「ナショナリズムは危険思想か」の部分。
ここでは「問い」という形ではなく、いくつかの主張が「議論」という形でとり上げられています。例えば第6章では「議論三 戦争で加害行為を加えた側が、その事実を認め、謝罪し、補償を行うことが歴史問題を解決に導く。」、「議論四 関係当事国の間で共通の歴史認識を探り、育てることが歴史問題を解決に導く。」といった主張がとり上げられ、分析されています。
ここでも著者は特定の立場をとることはしませんが、第7章の「ナショナリズムは危険思想か」では、かなり踏み込んでナショナリズムの欺瞞性が指摘されています。
「その国民の固有の歴史を学ぶべきだ」といった議論に対して、「国民固有の数学、物理学、生物学を学ぶべきなのか」といった議論がぶつけられ、「民族自決」についても、現実にはそう簡単にはいかないということが示されています。そしてこの章は次のように結ばれています。
著者が嫌うのは国際政治という領域における問題の単純化です。それぞれの戦争や紛争にはそれぞれの背景や、望ましい解決方法があるにも関わらず、マスメディアでは単純な原理・原則にも続いた判断が好まれます。そしてナショナリズムはその単純化の最たるものです。
この本はそうした「問題の単純化」に抗した本と言えるでしょう。
戦争の条件 (集英社新書)
藤原 帰一

「探った本」と書きましたが、まさに「探った」だけで「答え」はほとんど出していません。この本ではさまざまなケースがあげられ、そこで国際政治における戦争と平和の難しさが語られています。
こうした判断の難しいケースをあげながら思考していくという本は、サンデルの『これからの正義の話をしよう』以来、よく見かけるようになってきたと思いますが、サンデルが「正解」を示さないようでいてそれなりの「方向性」を示しているのに対して、この本は問題を提示しただけで「方向性」すらほとんど示していない部分も多いです。
ですから、多少なりとも現実の国際問題に対する「解答」が欲しい人には不満の残る本だと思います。逆に、国際政治の難しさを認識するためにはいい本と言えるでしょう。
例えば、第1章の「戦争が必要なとき」であげられている問いは次のようなものです。
問一 A国がB国に軍事侵攻を開始した。B国はどうすればよいだろうか。先日紹介した松元雅和『平和主義とは何か』の中で説明されていた「絶対平和主義」ならば、すべてのケースにおいて軍事力の行使に反対するでしょうが、そうでもない限りそれぞれのケースは一概には判断できないと思います。
問二 A国に軍事侵攻されたB国が、第三国C国に派兵を求めてきた。C国はどのような行動をとるだろうか。
問三 A国が、A国国民に対して大規模な虐殺を開始した。B国はどのような選択をとるだろうか。
問四 A国では独裁政権の下で極度の人権弾圧が続き、経済的逼迫もあって国民は飢餓線上の生活を強いられている。B国はどのような選択をとるだろうか。
著者も問一のケースこそ、「現実には、この問いの答えは、はっきりしている。反撃だ」(13p)と述べていますが、それ以外のケースについては、その判断の難しさをさまざまな点から指摘しつつ、答えを出さずに終えています。
以下、第2章では「覇権国と国際関係」、第3章では「デモクラシーの国際政治」、第4章では「大国の凋落・小国の台頭」、第5章では「領土と国際政治」といった問題をとり上げています。
そんな中でやや毛色が違うのが、第6章の「過去が現在を拘束する」と、そこからつづく第7章の「ナショナリズムは危険思想か」の部分。
ここでは「問い」という形ではなく、いくつかの主張が「議論」という形でとり上げられています。例えば第6章では「議論三 戦争で加害行為を加えた側が、その事実を認め、謝罪し、補償を行うことが歴史問題を解決に導く。」、「議論四 関係当事国の間で共通の歴史認識を探り、育てることが歴史問題を解決に導く。」といった主張がとり上げられ、分析されています。
ここでも著者は特定の立場をとることはしませんが、第7章の「ナショナリズムは危険思想か」では、かなり踏み込んでナショナリズムの欺瞞性が指摘されています。
「その国民の固有の歴史を学ぶべきだ」といった議論に対して、「国民固有の数学、物理学、生物学を学ぶべきなのか」といった議論がぶつけられ、「民族自決」についても、現実にはそう簡単にはいかないということが示されています。そしてこの章は次のように結ばれています。
ナショナリズムほど鮮やかに組織的な自己欺瞞に成果を収めた政治的イデオロギーは存在しない。どれほどウソに基づいているとしても、当事者にはそのウソは見えないのである。(164p)
著者が嫌うのは国際政治という領域における問題の単純化です。それぞれの戦争や紛争にはそれぞれの背景や、望ましい解決方法があるにも関わらず、マスメディアでは単純な原理・原則にも続いた判断が好まれます。そしてナショナリズムはその単純化の最たるものです。
この本はそうした「問題の単純化」に抗した本と言えるでしょう。
戦争の条件 (集英社新書)
藤原 帰一
