山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

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2016年08月

西川賢『ビル・クリントン』(中公新書) 7点

 ご存知、アメリカ大統領ビル・クリントンの評伝。クリントンの半生と大統領としての業績を辿りつつ、イデオロギー的な分極傾向が続くアメリカ政治の中で、クリントンがそれにいかに対処したかということが描かれています。
 クリントンの半生も面白いですし、クリントン政権を通して語られる「歴史」としての90年代にも興味深いものがあります(141pで触れられている、ロシアが民主化を進める代わりにアメリカがロシアに経済的な援助を行うことを約束した94年の「モスクワ宣言」などは現在のプーチン=オバマの関係からは考えられないですね)。また、当然ながらヒラリー・クリントンについても言及があり、大統領の座に近づいているヒラリー・クリントンの生い立ちや政治的スタンスを垣間見ることができます。

 ビル・クリントンの生い立ちはかなり複雑で、自ら「アダルトチルドレン」だと告白したことを覚えている人もいるかもしれません。
 クリントンの実の父親はクリントンが生まれる前に亡くなっており、母が再婚したことにより継父のもとで育つことになります。しかし、この継父はアルコール依存症であり、家族を虐待することもあったようです。
 
 そんな中でも学生時代のクリントンは精力的に活動しており、アーカンソー州の地元の高校では「どこに行ってもビル・クリントンの姿を見た」(8p)というほどだったそうです。
 クリントンは当初ミュージシャンや医者になることを考えていたようですが、1963年に夏期キャンプでケネディ大統領と会ったことから政治家になることを決意。この本の10pにはケネディ大統領と握手するクリントンの姿を写した写真が載っています。

 その後ジョージタウン大学に進学し、ローズ奨学金の奨学生としてイギリスに渡ります。徴兵もうまくすり抜け、イェール大学のロー・スクールへと進みました。
 このロー・スクールでクリントンはヒラリーと出会っています。ヒラリーはクリントンの第一印象を「毛穴からほとばしるようなバイタリティがあった」(19-20p)と評しており、2人は付き合うようになります。

 74年、クリントンは連邦下院議員選挙に立候補しますがあえなく落選。翌75年にヒラリーと正式に結婚しています。
 その後、クリントンは州政治でキャリアを積む道を選び、76年、州の司法長官に当選します。さらに78年には32歳の若さでアーカンソー州の知事に当選、当時の州知事のなかでは最も若い知事でした。
 80年の再選には失敗しますが、得意の弁舌を活かして82年の選挙で返り咲くと92年までアーカンソー州の知事を務めました。

 80年代後半になると、クリントンはレーガン政権下で劣勢に立たされていた民主党の将来を担う人材として期待されるようになります。
 30年代から60年代にかけて、民主党は南部の白人・黒人、労働者、インテリなど幅広い支持を得て黄金時代を築きましたが、60年代にジョンソン大統領が公民権法が制定すると、南部の白人は共和党へと支持を変え、民主党の勢いも低迷していきます。
 80年代の大統領選では民主党は1勝も出来ず、その立て直しが求められていたのです。
 そんな中で、クリントンはいわゆる「ニュー・デモクラット」の一員でした。彼らは「マイノリティの党、犯罪者に甘い、増税容認」といった民主党のイメージを書き換えるべく、より中道的な理念を掲げようとしました。

 クリントンは1992年の大統領選挙に挑戦するわけですが、冷戦を終わらせ湾岸戦争に勝利した現職のブッシュの支持率は91年の2月の時点で90%近くあり(46p)、民主党の大物は早々にブッシュへの挑戦を諦めていました。
 そこにあえて出馬したのがクリントンです。しかし、過去の女性スキャンダルなどもあって序盤は苦戦し、アイオワでもニュー・ハンプシャーでも首位を獲得できずに終わります。「大統領選に勝つにはアイオワかニュー・ハンプシャーのどちらかで勝利する必要がある」というのがアメリカ大統領選の一つのセオリーなのですが、クリントンはこれに失敗するのです。
 ところが、クリントンは撤退せずに粘り強く戦い、南部で勝利を得ると、ヒラリーの失言なども乗り越えてニューヨークやカリフォリニアで勝利。ついに民主党の大統領候補となります。

 本選では、自分の得意な経済問題を中心に掲げ、ブッシュが得意な外交・安全保障問題について正面から論戦をすることは避けました。
 また、この92年の大統領選挙では「第三の候補」として大富豪のロス・ペローが登場します。このロス・ペローがブッシュから票を奪い、クリントンの当選をアシストした、との見方がありますが、この本では、ペローはむしろクリントンから票を奪ったという研究が紹介されています(79-80p)。
 大統領選とともに行われた上院・下院選でも民主党は勝利。民主党の「統一政府」が実現し、クリントンは安定した基盤を確保しました。

 しかし、クリントン政権の第一期は迷走が目立ちました。
 クリントンは財政再建を掲げていましたが、その方法や規模をめぐって、経済チームのベンツェン財務長官やルービン国家経済会議議長と民主党のリベラル派が対立します。
 ヒラリーを特別委員会の議長に据えて国民皆保険の導入を図りますが、これに共和党が徹底抗戦、さらに民主党リベラル派からも「共和党寄り」の案だとの批判が起き、クリントンは挫折します(105-109p)。
 外交・安全保障においても、対中政策はうまくいかず、日本との経済摩擦を抱え、ソマリアでは米兵が殺される事件が起こります(映画『ブラックホーク・ダウン』で描かれた事件)。

 この後、国防長官(アスピン→ペリー)と大統領首席補佐官(マクラーティ→パネッタ)を交代させる人事を行い、体制を立て直し、ユーゴ内戦ではデイトン合意を成立させ、NAFTAの批准にも成功します。
 しかし、94年の中間選挙では、ギングリッチに指導された共和党の前に敗北。民主党は上下両院で過半数を失います。

 こうして見ていくと、「よくクリントンは再選できたな」、と思うのですが、逆境においてしぶといのがクリントンの特徴です。
 クリントンは選挙に勝つために「ヒトラーとマザー・テレサに同じ日に助言できる男」(152p)とも言われたディック・モリスを起用。民主・共和両党の主張のちょうど中観点に大統領の政治的スタンスを置く「三角測量」と呼ばれる選挙戦術(154p)で巻き返しを図ります。

 勢いにのるギングリッチは95年の議会で予算をめぐってクリントンと全面対決をする道を選びます。
 クリントンはある程度共和党に譲りつつも、大事な部分では絶対に譲歩せずに政府機能停止も受け入れます。この共和党との議会をめぐる戦いでクリントンは勝利、ギングリッチの路線は行き詰まります。

 そして、この長期戦は共和党の大統領候補であったボブ・ドールの選挙活動を遅らせます。さらにクリントン陣営は「ドール=ギングリッチを打ち負かせ」という選挙広告を大量投入、ギングリッチの不人気をドールに結びつける作戦に出ます(172p)。
 また、当時順調だったアメリカの経済状態もクリントンの追い風となり、クリントンは再選を決めます。結果的にギングリッチがドールの足を引っ張ったとも言えるわけですが、この辺りが中央の統制が弱いアメリカの政党の弱点と言えるかもしれません。

 再選を果たしたクリントンの第二期政権は第一期よりも順調で、堅実な経済の情勢のもと99年には財政黒字を計上するなど、財政再建を果たしました。
 一方、外交に関してはパレスチナ和平の交渉をまとめきれず、オサマ・ビン=ラディンを取り逃がしました。また、日本との関係に関しては日米安保の再定義を成し遂げるものの、アジア通貨危機における日本のAMF(アジア通貨基金)構想をめぐってぎくしゃくするなど、日本政府内部で「民主党政権は日本に批判的で中国寄り」という印象を刷り込むことになります(196p)。

 そして何といってもクリントン政権の第二期を騒がせたのはスキャンダルと弾劾裁判です。
 詳しくは本書にあたって欲しいのですが、この本を読むと独立検察官のケネス・スターが非常に「党派的」だったこともわかりますし、クリントンの脇の甘さというのもわかります。

 このようなスキャンダルの印象が強いクリントンですが、終章で著者はその優れた部分としてそのエネルギッシュさや記憶力の良さをあげています。特に記憶力については抜群で、一度会った人物は忘れなかったそうです(イメージは全然違いますが田中角栄もそういう人物)。
 
 最後に著者は、オバマ政権はクリントンの中道政権に対する「民主党左派の反動」という顔を持ち、オバマ政権のもとでアメリカのイデオロギー的分断と等は対立が深まったとしています(246ー247p)。
 個人的には、ここはちょっとわからない所で、オバマ大統領はそんなに「左派的」には見えないんですよね。むしろ、「黒人」であるオバマ大統領に対して共和党が必要以上にその「左派色」を強調しているだけにも見えるのですが、どうなんでしょう?
 また、クリントン政権の路線を引き継ごうとしたゴアが負けた理由についても触れて欲しかったです。

 ただ、クリントン本人に関しては非常にバランスよく書かれていると思いますし、最初に述べたようにヒラリー・クリントンへの言及も興味深いです(ヒラリーは64年の大統領選挙で共和党のゴールドウォーターを熱心に支持していた、など)。
 今年秋の大統領選挙を考える上でも非常に役立つ本だと思います。


ビル・クリントン - 停滞するアメリカをいかに建て直したか (中公新書)
西川 賢
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細谷雄一『安保論争』(ちくま新書) 6点

 国際政治学や外交史を専門とし、『国際秩序』(中公新書)などの著作で知られる著者が、昨年夏に大きく盛り上がった安保論争について自らの論考をまとめたもの。
 新聞や雑誌、ウェブメディなどに書いた記事を元にしているため、重複している部分もありますが、安保法制に賛成の立場から一貫した議論がなされています。

 目次は以下の通り。
1 平和はいかにして可能か
2 歴史から安全保障を学ぶ
3 われわれはどのような世界を生きているのか―現代の安全保障環境
4 日本の平和主義はどうあるべきか―安保法制を考える

 まず、著者は1992年の国連平和維持活動協力法の時の騒ぎを引き合いに出し、当時は「違憲だ」「平和主義を破壊する」と懸念されたが、25年近く経ってどうだったか? と問いかけます。
 さらに安保法製の審議において、反対する陣営から「平和を守れ!」との声が上がりましたが、彼らがウクライナ問題やイスラーム国の問題に対して、それを解決するための主張をしているのか? と疑問を呈します。

 また、10本の法改正と1本の新法制定からなる複雑な安保法制に「戦争法」とレッテルを貼ることについても著者は批判的です。
 このようなレッテル貼りや感情的な反発は建設的な議論を生みません。著者は憲法前文の「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という部分を引用し、国際平和のために日本が何ができるかを考えるべきだと主張します。

 軍縮が進めば平和になると考える人もいますが、著者は歴史を振りかえると「力の真空」こそが平和を壊すと主張します。
 19世紀後半にはオスマン帝国の衰退がバルカン半島での「力の真空」を生み出し第一次世界大戦へと繋がりましたし、第一次世界大戦後はオーストリア=ハンガリー帝国の解体が中欧と東欧での「力の真空」を生み、それをヒトラーのナチスドイツが埋めようとしました。
 また、アジアでは日本が第二次世界大戦での敗北によってその勢力を大きく後退させたことが朝鮮戦争などをもたらしました。現在では、90年代前半にアメリカ軍がフィリピンから撤退したことが、南シナ海における中国の海洋進出をもたらしています。

 中立が平和をもたらすとも限りません。ベルギーは第一次世界大戦においても第二次世界大戦後においても中立を宣言していましたが、ドイツに侵攻されました。
 そこでベルギーは第二次世界大戦後に自ら指導力を発揮して1948年のブリュッセル条約によって「西欧同盟」を形成し、さらにNATOへも参加しました(105-106p)。同盟の「力」によって平和を確保しようとしたのです。

 近年、日本をめぐる安全保障環境も以前とは変わってきています。
 アメリカのアジア太平洋地域における存在感は以前ほどのものではなく、経済成長とともに中国の存在感が増しています。さらにこの地域の不安定要因としては北朝鮮の存在もあります。
 日本としてはうまく外交を進める必要があるのですが、著者は「外交手段と軍事手段の二つを巧みに組み合わせてはじめて、「対話と交渉」もまた十分な効果を発揮する」(151p)としています。

 「違憲」との批判がつきまとった安保法制でしたが、そもそも集団的自衛権の行使に関して全面禁止という内閣法制局の見解が確立したのは1981年になってからでした。
 1950年代末から60年代にかけて、内閣法制局は集団的自衛権に関して部分的には容認するような態度をとっていましたが(170~174p)、ベトナム戦争への派兵などへの警戒が高まる中で、政局的な理由によって集団的自衛権の公使は違憲という見解がつくられていったのです(174~181p)。
 この後、内閣法制局は「過去の答弁を変更できない」と考えるようになっていくのですが(183p)、この硬直した考えには民主党政権も否定的で、内閣が憲法解釈を変更していくべきだと考えていました(184-186p)。

 この本は最後の部分で安保法制の中身について解説しています(そのため安保法制の中身について知りたい人はこの本の巻末にある別の文献を読んだほうがいいでしょう)。
 注目したいのは、著者が「今回の安保関連法案での最大の変更点は~国際平和協力活動と後方支援活動の拡充である」(228p)と述べている点です。
 「集団的自衛権」ばかりがとり上げられていますが、非国連統括型のPKO活動に参加の道を開き、「安全確保業務」、「駆けつけ警護」が可能になったのは著者の指摘するように大きな変更点です。
 ここがあまりクローズアップされなかったのは、たしかに著者の言うようにマスコミや反対派がレッテル貼りに終始したからだと言えるかもしれません。

 安保法制によって「アメリカの行う戦争に巻き込まれる」と危惧する人も多いですが、著者は日本が国連の安保理において必ずしも対米追従一辺倒ではないことを指摘し、さらに現在のハイテクを使って戦争においてアメリカは必ずしも同盟国に戦闘参加を求めていないことをアフガニスタン攻撃などを例に上げながら説明しています。

 このように傾聴すべき考えも多いですし、同意する点もある本なのですが、同時に「これでは反対派を説得することは出来ない」とも思いました。

 まず、著者は「戦争法」といったレッテル貼りを強く批判していて、それはそのとおりだと思うのですが、著者も認めるように安保法制の全体像は非常に複雑であり、それを一括して内閣が提出してくる以上、反対派は全体をまとめて論じるしかありません。今回、議論が深まらなかったのは反対派の感情的な態度だけではなく、政府の法案提出の方法にもあります。

 また、「反対派はウクライナやイスラーム国の問題をどう考えるのだ?」という批判については、「では、安保法制が成立すればウクライナの問題やイスラーム国の問題が解決するのか?」という反論が可能でしょう。
 世界平和を目指す考えは重要ですが、正直、ウクライナ問題やイスラーム国の問題は日本政府ではどうにもできない問題ではないでしょうか。

 この他にも、「国連での安保理決議への対応だけで対米追従の実態が測れるのか?」などといった疑問もありますが、最大の問題点は著者が反対派の感情論に反発するあまり、それに感情的に反発してしまっている点でしょう。
 「反対派」にまとめて反論するのではなく、反対派の論客の意見に反論していくべきだったと思います(その意味で、『本当の戦争の話をしよう』の伊勢崎賢治氏あたりと著者が対談したら面白いと思う)。

 ここからは私見になりますが、反対派、特に高齢者の中にある反発の核心は「エゴイズム」や「思考停止」ではなく、「政府への不信」なんだと思います。
 前回紹介した栗原俊雄『戦後補償問題』に見られるように、政府は先の大戦で被害を受けた民間人を切り捨てるような対応を取りました。また、日系の移民などに対しても政府は冷淡な対応をとってきています。
 こうした政府の態度が生み出した「結局、政府は一般人を犠牲にするのだ」という人々の「政府への不信」が、日本の安全保障問題の議論の余地を狭めているのではないでしょうか。
 
安保論争 (ちくま新書)
細谷 雄一
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栗原俊雄『戦後補償裁判』(NHK出版新書) 7点

 サブタイトルは「民間人たちの終わらない「戦争」」。毎日新聞の記者であり、『シベリア抑留』(岩波新書)、『特攻』(中公新書)など、先の大戦に関する著作を意欲的に発表している著者が、戦後、黙殺され続けてきた空襲などの民間人戦争被害者の「戦い」についてまとめた本。 
 日本の戦後処理というと、アジア諸国に向けたものが頭に浮かびますが、この本を読むと日本国内向けの戦後処理もまだまだ終わっていないということがわかると思います。

 目次は以下の通り。
第一章 「一億総懺悔論」の誕生と拡大
第二章 大空襲被害者への戦後「未」補償
第三章 シベリア抑留と「受忍論」
第四章 「元日本人兵士」たちの闘い
第五章 置き去りにされた戦没者遺骨
第六章 立法府の「不作為」
第七章 終わらない戦後補償問題

 まず、この本がとり上げるのは戦後すぐに出てきた「一億総懺悔論」とそこから出てくる戦争被害への「受忍論」です。
 「一億総懺悔論」は敗戦直後に東久邇宮首相によって唱えられたもので、戦争の責任を国民全体が背負うべきだというものでした。そして、同じようなロジックとして戦争被害への補償裁判で必ずと言ってもいいほど出てくる「受忍論」があります。
 「戦争でみんなひどい目にあったのだから、みんなが我慢すべきだ」というものです。

 戦時中の政府は「戦時災害保護法」によって民間の戦争被害者に補償や援護を与えようとしていましたが(18ー19p)、戦後になるとこの法律は廃止され、生活保護などの枠組みの中で支援が図られることになりました。
 しかし、「受忍論」が幅を利かせる一方で、1952年には「戦傷病者戦没者遺族等援護法」(援護法)が制定され、1953年には軍人恩給が復活します(21p)。さらにこの援護の対象は準軍属にも拡大され、遺族に対する年金なども充実していくます。

 これに対して、空襲などで被害にあった民間人は何ら補償のないままに放って置かれることになります。
 海外からの引揚者や被爆者に関しては、団体からの強い要求もあり60年代後半に補償が行われます。政府からすると、これらは補償対象の範囲が比較的明確であり(それでも被爆者の対象に関してはその後も裁判でたびたび争われた)、財源の想定も可能なものでした。
 
 一方で、対象者が多く、犠牲者数すらはっきりしない空襲の被害者などへの補償に関しては、政府はずっと及び腰であり、政府の懇談会などでも「寝た子を起こすな」、「パンドラの箱」といった言葉で語られていました(50ー67p)。
 また、被害者やその遺族から起こされた訴訟も、先程述べた「受忍論」によって退けられていったのです。

 この本では、空襲の被災者やシベリア抑留者、朝鮮半島や台湾出身の軍属などを取材しながら、この「受忍論」の不合理を訴えています。
 例えば、政府は軍人・軍属に対しては国の使用者責任があたっとの立場から補償を行っていますが、当時は民間人も国家の統制を強く受けていました。民間人も防空法などによって消化活動の義務を負わされており、勝手に逃げることは難しかったのです。
 シベリア抑留に関しては、南方の捕虜たちが政府から労働賃金を受け取っていたにもかかわらず、シベリア抑留者に関しては労働証明書がないなどの理由からそれが受け取れないということがありました。
 さらに朝鮮半島や台湾出身者は、1952年に一方的に日本国籍を抹消され、国籍ゆえに日本国籍の保有者のような補償を受けることが出来ませんでした。

 このような理不尽さを、著者は裁判を起こした人々に寄り添いながら指摘していきます。そして、いつまでたっても「受忍論」にとどまり続ける司法に怒りを示すのです。

 第五章では遺骨の問題もとり上げています。海外にはいまだにおよそ113万人分の遺骨が眠っていると言われています。もちろん、このすべてを収容することは現実的ではないかもしれませんが、著者は今まで政府がこの問題に熱心に取り組んでこなかったことを批判しています。

 しかし、これらの問題には前進もみられます。90年代以降、超党派でこうした問題に取り組む動きがあり、2000年には旧植民地出身の元日本軍人・軍属とその遺族に一時金を支給する法律が成立し、2010年にはシベリア特措法が成立しています。
 特にシベリア特措法に関しては、民主党への政権交代などの背景や、何よりも当事者たちの粘り強い動きが詳しく綴られています。
 
 ただ、空襲での被害者は救済されていませんし、沖縄戦の民間被害者への補償も不十分なものです。戦後71年が経ち、戦争被害者が高齢化し、亡くなる人が増えていく中でも、積み残した問題は大きいのです。

 この本を読むと、日本の戦後処理において不十分だったのは、アジア諸国向けの「外への謝罪」だけでなく、国民への「内への謝罪」についてもそうだったことがわかります。
 安全保障を巡る議論において、日本ではなかなか政府が国民から「信用されない」現状があると思うのですが、その根っこの一つはおそらく、この国内における戦後補償の問題にあるのでしょう。
  

戦後補償裁判―民間人たちの終わらない「戦争」 (NHK出版新書 489)
栗原 俊雄
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岩瀬昇『原油暴落の謎を解く』(文春新書) 7点

 ここ四半世紀ほどの経済において、その影響力の大きさと、理解不能なまでの乱高下を見せてきた原油価格。平野克己『経済大陸アフリカ』(中公新書)でとり上げられていた赤道ギニアのように、ほぼ原油価格の上昇という理由だけによって驚くべき経済発展を示した国もありましたし、2001年に1バレル25.93ドルだったWTI原油の価格は2008年には1バレル100ドルを突破し、08年7月11日に1バレル147.27ドルという史上最高値をマークしましたが、最近は1バレル40ドル前後をさまよっています。
 そんな原油価格の動きを、過去の暴落やシェール革命を中心とする現在の状況から探ろうとした本。著者は長年、商社で石油開発に携わってきた人物で、外からは見えにくい業界の動きをわかりやすく解説しています。

 目次は以下の通り。
第一章 原油大暴落の真相
第二章 今回が初めてではない
第三章 石油価格は誰が決めているか
第四章 石油の時代は終わるのか?
第五章 原油価格はどうなる?                               

 現在の原油価格の低迷に関しては、「サウジとイランの断交でOPECが減産で協調する目がなくなった」、「中国経済の減速」、「OPECがシェールオイル潰しのためにあえてやっている」、「制裁解除によるイランの国際市場への復帰」、「投機筋のしわざ」など、さまざまな原因があげられています。
 第1章では、これらの要因が検討されています。これを読むと、OPECがシェールオイル潰しのためにあえてやっている」、「投機筋のしわざ」以外はそれなりに根拠があるようですが(シェール潰しに関しては意図的なものではなく今までの石油開発とシェール開発の違いが大きい)、いろいろと想定外の事態が重なって現在の価格になっているのが現状のようです。

 そもそも、原油は昔からジェットコースターのように激しい価格変動を繰り返してきた商品であり、第2章のタイトルにもなっているように原油価格の暴落は今回が初めてではありません。
 石油の本格的な生産が始まった19世紀半ばから、原油価格は乱高下を繰り返していますし、1986年には1バレル30ドル以上で取引されていたものが半年で10ドルを割り込んだこともありました(81p)。
 
 こうした原油価格の動きには、「在来型」の石油開発の特性が絡んでいます。
 「在来型」の石油開発は、プロジェクトの開始から実際の石油の生産まで何年もかかるものであり、市況が悪化したから生産を取りやめるというわけにはいきません。
 さらに、「「在来型」の生産油田というものは、たとえば販売が不調だからといって生産を中断すると、貯留層内のガス圧が下がって回収率が悪化したり、最悪の場合は生産再開ができなくなることがある」(35p)そうです。
 普通の商品では生産者は価格によって供給を変動させますが、原油の場合はそれがなかなかできないのです。

 ですから、多くの産油国は価格にかかわらず生産能力をほぼフルに活用しているような状態です。
 ただし、そんな中で余剰生産能力を抱えているのがサウジアラビアと、経済制裁によって原油の輸出が思うようにできなかったイランです。
 特にポイントとなるのはいざとなれば供給を増やせるサウジアラビアの動きで、実際、1986年の原油価格の暴落は生産割り当てを守らない他のOPEC諸国に対して、ついにサウジアラビアの堪忍袋の緒が切れたことが原因でした(88ー94p)。
 今回の暴落でも、価格の低下にかかわらずサウジが減産をしていないということがその背景にあります。

 しかし、現在の原油価格の動向はサウジアラビアをはじめとするOPECの動きだけで決まるものではありません。近年のアメリカにおける「シェール革命」は、原油価格の動向にも大きな影響を与えていると考えられます。

 シェールは開発から生産までの期間が短く、また、抗井あたりの生産期間も短いです。つまり、より市況を反映した生産が可能になるわけです。
 さらに掘削を行いながらも、最後の水圧破砕などの仕上げの作業を延期することも可能で、価格の回復を待ってから本格的な生産を始めることもできます。
 つまり、「非在来型」とも呼ばれるシェール・オイルは、「在来型」と違い、市況によって供給を変動させることが可能なのです。

 この本の第四章では、BPの調査部門のトップであるスペンサー・デールの講演が紹介されています。
 それによると、今までの石油市場については、1・いつか枯渇する資源だ、2・需要量も供給量も、価格が変化してもすぐには変化しない、3・東から西へ流れる(中東から欧米へ)、4・OPECが市場を安定化させている、という4つの常識があったといいます。
 ところが、シェール革命によってこの4つの常識は書き換えられました。これからの常識は、1・枯渇しそうにない、2・需要、供給ともに価格変動に敏感になる、3・西から東に流れるようになる、4・OPECは一時的、短期的な変化への市場安定化能力は維持するが、変化が構造的なものかどうかを判断することが重要だ、の4つになります(168ー173p)。

 この中の「東から西へ」から「西から東へ」という変化は非常に重要なものかもしれません。アメリカのシェール革命が順調に進めば、アメリカは2030年代にも石油が自給できるようになります。さらに輸出能力まで持つようになれば、アメリカ(西)から経済成長が見込まれるアジア(東)へと石油が流れるようになる事態も考えられます。
 デールは、「この流れの変化に伴い、資金の流れも「東から西へ」と変り、中国の経常黒字と米国の経常赤字の両立という、「いわゆる世界のアンバランス(so-called global imbalances)」も変化するだろう」(201p)と考えています。
 
 このように短期的な原油価格の動きの話だけでなく、石油業界の動きや長期的な展望も語られているのがこの本の魅力といえるでしょう。
 やや本筋から離れたエピソードが挿入されることで話の流れが悪くなるところがありますが、そのエピソードの中にはなかなか興味深いものもあります(ドバイの成功の秘訣(152ー157p)や住友商事の巨額損失形状のからくり(182ー189p)など)。
 ただ、長期(ここ30年ほど)のWTIの価格の推移のグラフがあったほうが良かったですね。
 最後に、著者は原油価格は2017年頃から回復に向かうのではないかと見ています。この見立ての是非については本書を読んで考えてみてください。

原油暴落の謎を解く (文春新書)
岩瀬 昇
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宇野重規『保守主義とは何か』(中公新書) 7点

 『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書)など、政治思想史の研究をもとに現代の政治についても分析を行っている著者が、近年、その存在感を増しつつある「保守主義」についてその来歴と現在について語った本。
 さすがに思想史的な部分のまとめ方はうまく、コンパクトに保守主義の歴史を知ることが出来る本に仕上がっています。

 目次は以下の通り。
序章 変質する保守主義―進歩主義の衰退のなかで
第1章 フランス革命と闘う
第2章 社会主義と闘う
第3章 「大きな政府」と闘う
第4章 日本の保守主義
終章 二一世紀の保守主義

 まずは、保守主義といえば必ず名前のあがるバークがとり上げられています。近代的な保守主義の始まりはバークのフランス革命への批判に求められることが多いです。
 しかし、バークは「頑迷な守旧主義者」という人物ではありませんでした。バークはアメリカの独立を容認し、アイルランドでは差別されていたカトリックの権利擁護に努めました。フランス革命においても、「多くの人は、バークがフランス革命を支持すると予想した」(9p)のです。
 
 ところが、その予想を裏切ってバークはフランス革命を痛烈に批判します。一貫して自由を擁護したバークでしたが、同じ自由を掲げながらも、歴史と断絶する姿勢を示すフランス革命には強い警戒感を示しました。そして、意図的に過去との繋がりを守っていこうとしたのです。
 ここに、進歩主義へのカウンターとして保守主義は生まれました。

 第2章はT・S・エリオット、ハイエク、オークショットについて。
 T・S・エリオットに関しては、詩人または文芸評論家として知られていると思いますが、この本では保守主義の重要人物としてとり上げられています。 
 エリオットは、文化を個人だけでなく階級や集団によって担われるものだとして、それは「一つの統一性のある生き方」(73p)だとしました。
 そして、この文化を伝達する経路として家族をもっとも重要なものだと考えました(73p)。
 
 ハイエクはよく保守主義者に引用される経済学者ですが、この本の小見出しに「ハイエクは保守主義者か」(79p)とあるように、本人は保守主義者であることを否定し、自らは自由主義者だと規定していました。
 ハイエクが否定したのは、社会主義やナチス・ドイツに見られるような集産主義、設計主義といったものであり、社会を合理的に管理できると考える理性の思いあがりでした。
 
 オークショットはイギリスの政治学者。彼は保守主義と王政や宗教を切り離し、政治スタイルとしての保守主義を打ち出しました。
 オークショットによれば、「統治とは、何かより良い社会を追い求めるものではない。統治の本質はむしろ、多様な企てや利害をもって生きる人々の衝突を回避することにある」(99p)のです。
 さらにオークショットは、相手を打ち負かしたり結論を出すことを目的としない「会話」こそが重要であるとしました。

 このようにイギリスの保守主義者(ハイエクはオーストリア出身。ただイギリスへのシンパシーを隠さなかった)は自由主義者でもあり、急激な変化や合理性に頼った改革が、むしろ自由を損なうという共通の認識をもっていたことがわかります。

 ところが、第3章に登場するアメリカの保守主義者たちは少し様子が違います。
 まず、リチャード・ウィーヴァー、ラッセル・カークというあまり名の知られていない人物がとり上げられているのですが、ウィーヴァーはキリスト教色の強い「南部農本主義の末裔」(115p)とも言うべき存在で、カークも典型的な保守主義とキリスト教的伝統、所有権の重要性の主張など、さまざまな要素が入り混じった思想家でした。

 また、第3章では保守主義の潮流の一つとしてリバタリアニズムがとり上げられ、フリードマンとノージックの議論が紹介されています。
 フリードマンやノージックの著作を読んだ人は、彼らの考えを「保守主義」だとは思わないと思いますし、著者も彼らを「保守主義者」として紹介しているわけではありません。
 しかし、アメリカの保守主義の特徴として、「大きな政府への抵抗」や「(反エリート主義としての)反知性主義」があり、そういった点からは、リバタリアニズムと保守主義は手を結ぶことができるのです。

 ブッシュ政権でイラク戦争を主導したとされるネオコン(新保守主義)も、もともとはトロツキストであった人が多く、イラク戦争に見られるような介入主義的な姿勢は、いわゆるイギリス流の「保守主義」とは違ったものです。
 
 このようにキリスト教の伝統を守ろうとする宗教主義や、市場主義、さらに国際政治上のリアリズムなど、さまざまな要素が混在しているのが、アメリカの保守主義の特徴であることが見えてきます。
 このイギリスの保守主義とアメリカの保守主義の違いというものは、この本が教えてくれる重要なポイントだと思います。

 第4章は日本の保守主義について、丸山眞男や福田恆存の議論を紹介し、敗戦や明治維新によって歴史が断絶している日本での保守主義の難しさを指摘しつつ、伊藤博文や陸奥宗光、原敬などに見られる漸進的な改革スタイルに日本の保守主義のあり方を見ています。
 ただ、伊藤〜原のラインを「保守主義」とすると、では。山県〜桂のラインは何なんだ?という疑問も湧いてきますし、紙幅の関係もあってそれほど説得力のある議論がされているわけではないと思います。
 
 この本を読むと、バーク以来の正統な「保守主義」というものがわかるとともに、現在の
「保守主義」にはかなり雑多な要素が流れ込んでいいることがわかると思います。
 しかし、雑多な中身であっても現在の政治において世界的に「保守主義」が力を持っていることは確かであって、そうした政治状況を考える上で役に立つ本となっています。

保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで (中公新書)
宇野 重規
4121023781
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