ハーバード大学名誉教授にしてアメリカ歴史学会の会長も務めた著者が、変わりゆく現代世界と歴史学について語った本。
歴史学について語った部分はさすがに面白いのですが、現代世界の変化について語った部分はありがちな理想論で、個人的にはあまり刺激を受けませんでした。
目次は以下のとおり。
第1章では、まず「いつから「現代」なのか?」という問いからはじめ、「冷戦後が「現代」なのだ」という冷戦史観を批判しつつ、グローバリゼーションこそが「現代」を過去と分かつ重要なポイントであり、そのために歴史学も今までの国家の枠組みにとらわれたものではなく、「グローバル」、「トランス・ナショナル」に展開していかなければならないとしています。
近年、歴史学の世界では「グローバル・ヒストリー」ということがさかんに言われていますが、この第1章を読むと、こうした概念が登場した理由というものがよくわかると思います。
第2章の「揺らぐ国家」も、提出されている問いには興味深いものがあります。第2章の中の見出しには「福祉国家はグローバリズムと両立するか」、「グローバル・ガバナンスという問題の浮上」といった項目がありますが、いずれもしっかりと考えていくべき論点でしょう。
ところが、そういった問への答え、現代世界が進むべき道やそのための方法を語った部分の議論が大雑把で物足りない。
第3章以降は、基本的に「国家の枠を越えたグローバルな取り組みが増えている」、「これからは国家の枠組みに縛られない「人間」、「地球」に時代!」みたいな話が続くわけです。
例えば、冷戦の終結についても次のように説明しています。
確かに、「ヘルシンキ宣言」で設立された全欧安全保障協力会議は冷戦の終結に大きな役割を果たしましたが、そこに対話の枠組みが生まれたことに意味があるのであって、「人権の尊重が取り決められた」ことが、冷戦の終結につながったとは思えません。
やはり、ソ連の経済の行き詰まりが一番の要因でしょう。
また、この本では人権を、「国家の枠組みを超えるもの」として扱っていますが、現在のところ人権を保障する中心的な機関はやはり国家でしょう。
さきほど、この本の小見出しに「福祉国家はグローバリズムと両立するか」というものがあることを紹介しましたが、今考えるべきなのは「人権と国家の対立」ではなく、「自国民の人権を守ってきた福祉国家がグローバリズムにどう対処すべきか?」といった問題なのではないでしょうか?
また、大きな流れとしてのグローバル化は認めるにしても、EU統合の終焉(遠藤乾『統合の終焉』を参照)、東ティモールや南スーダンなど、それにもかかわらずつづく独立の動きなどもフォローして欲しかったですね。
同じくアメリカで活躍し、この本の著者の入江昭より4歳年下の青木昌彦の『青木昌彦の経済学入門』が、参考文献に最近の本がずらっと並んだ「現役感」に満ちた本だったのに対して、この本には参考文献の一覧もなく、学者としては「あがって」しまった人の本だと感じました。
歴史家が見る現代世界 (講談社現代新書)
入江 昭

歴史学について語った部分はさすがに面白いのですが、現代世界の変化について語った部分はありがちな理想論で、個人的にはあまり刺激を受けませんでした。
目次は以下のとおり。
第1章 歴史をどうとらえるか
第2章 揺らぐ国家
第3章 非国家的存在の台頭
第4章 伝統的な「国際関係」はもはや存在しない
第5章 普遍的な「人間」の発見
第6章 環地球的結合という不可逆の流れ
結 語 現代の歴史と記憶
第1章では、まず「いつから「現代」なのか?」という問いからはじめ、「冷戦後が「現代」なのだ」という冷戦史観を批判しつつ、グローバリゼーションこそが「現代」を過去と分かつ重要なポイントであり、そのために歴史学も今までの国家の枠組みにとらわれたものではなく、「グローバル」、「トランス・ナショナル」に展開していかなければならないとしています。
近年、歴史学の世界では「グローバル・ヒストリー」ということがさかんに言われていますが、この第1章を読むと、こうした概念が登場した理由というものがよくわかると思います。
第2章の「揺らぐ国家」も、提出されている問いには興味深いものがあります。第2章の中の見出しには「福祉国家はグローバリズムと両立するか」、「グローバル・ガバナンスという問題の浮上」といった項目がありますが、いずれもしっかりと考えていくべき論点でしょう。
ところが、そういった問への答え、現代世界が進むべき道やそのための方法を語った部分の議論が大雑把で物足りない。
第3章以降は、基本的に「国家の枠を越えたグローバルな取り組みが増えている」、「これからは国家の枠組みに縛られない「人間」、「地球」に時代!」みたいな話が続くわけです。
例えば、冷戦の終結についても次のように説明しています。
現実主義的な専門家が冷戦の行方を予測できなかったことからわかるように、国際関係としての冷戦は、もともとグローバルな世界と相対するものであり、人権その他の力が強くなっているときに、人類の運命を左右するほどの影響力は失っていたのである。
人権などを通してつながる世界は、冷戦によって定義された世界とは異質なものであり、前者が高揚すればするほど後者が後退、最終的には消滅してしまうのも不思議ではなかった。
そのような文脈で見ると、「ヘルシンキ宣言」で参加国すべてにおける人権の尊重が取り決められた時点で、歴史は「冷戦の時代」から「世界主義の時代」に入ったのだといえる。(173p)
確かに、「ヘルシンキ宣言」で設立された全欧安全保障協力会議は冷戦の終結に大きな役割を果たしましたが、そこに対話の枠組みが生まれたことに意味があるのであって、「人権の尊重が取り決められた」ことが、冷戦の終結につながったとは思えません。
やはり、ソ連の経済の行き詰まりが一番の要因でしょう。
また、この本では人権を、「国家の枠組みを超えるもの」として扱っていますが、現在のところ人権を保障する中心的な機関はやはり国家でしょう。
さきほど、この本の小見出しに「福祉国家はグローバリズムと両立するか」というものがあることを紹介しましたが、今考えるべきなのは「人権と国家の対立」ではなく、「自国民の人権を守ってきた福祉国家がグローバリズムにどう対処すべきか?」といった問題なのではないでしょうか?
また、大きな流れとしてのグローバル化は認めるにしても、EU統合の終焉(遠藤乾『統合の終焉』を参照)、東ティモールや南スーダンなど、それにもかかわらずつづく独立の動きなどもフォローして欲しかったですね。
同じくアメリカで活躍し、この本の著者の入江昭より4歳年下の青木昌彦の『青木昌彦の経済学入門』が、参考文献に最近の本がずらっと並んだ「現役感」に満ちた本だったのに対して、この本には参考文献の一覧もなく、学者としては「あがって」しまった人の本だと感じました。
歴史家が見る現代世界 (講談社現代新書)
入江 昭
