山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

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2021年05月

青木栄一『文部科学省』(中公新書) 9点

 帯には「失敗はなぜ繰り返されるのか」の文句。確かに、大学入試への民間英語試験の導入失敗、共通テストへの記述問題の導入失敗、教員試験の倍率低下、日本の大学の研究力の衰退、ろくに機能しているとは思われない教員免許更新制度など、近年の文部科学省の政策は失敗続きの印象が強いです。
 もちろん、これらの政策の言い出しっぺの多くは政治家であり、すべてが文科省の責任というわけではありませんが、さまざまな面で不甲斐なさを感じる人も多いでしょう。

 本書は「なぜそうなってしまうのか?」という疑問に答える本です。
 2年前に出た著者の編著『文部科学省の解剖』では、主に官僚サーベイ(アンケート調査)を中心に文科省の官僚の行動や思考のパターンを探っていたので、今回もそのデータをもとにして一般向けに論じたものかと予想していましたが、サーベイで得た知見を利用しつつ、かなり総合的、網羅的に文部科学省のあり方にアプローチしています。
 『文部科学省の解剖』は行政に興味がある人向けの本でしたが、本書はそうした枠を超えて、広く教育に携わる人に広くお薦めできる内容であり、また同時に日本の行政に切り込んだ本としても高く評価できるものです。

 目次は以下の通り。
序章 「三流官庁」論を超えて
第1章 組織の解剖―統合は何をもたらしたか
第2章 職員たちの実像
第3章 文科省予算はなぜ減り続けるのか
第4章 世界トップレベルの学力を維持するために
第5章 失われる大学の人材育成機能
終章 日本の教育・学術・科学技術のゆくえ

 本書とまったく同じタイトルの新書に寺脇研『文部科学省』(中公新書ラクレ)があります。「ゆとり教育」の推進者としても有名になった元文部科学省の官僚の著者が「三流官庁」と呼ばれながらも、アットホームな雰囲気がある古巣を語った本でしたが、実は寺脇本に書かれていることは、文部省時代のことが中心で、科学技術庁と統合されたあとの様子についてはそれほど詳しく書かれていません。
 一方、本書では、文部省と科学技術庁の統合の影響の大きさを語っています。

 文科省の英語名称は、Ministry of Education,Culture,Sports,Science and Technologyであり、直訳すれば「教育文化スポーツ科学技術省」になります。
 このように広い分野を担当する文科省ですが、定員は2126名と省の中で最小となっています(次点は環境相の3113名(27p図表1−1参照)。文科省が誕生する際には、文部省には13.7万人もの職員がいたのですが、この大部分は国立大学の職員であり、国立大学の独立行政法人化とともに文科省からは切り離されました。また、文科省には地方支部局がないことも定員の少なさにつながっています。

 文部科学省は、文部省と科学技術庁の統合によって生まれた省ですが、フロアの構成、組織の状況などから見て、いまだに文部系と科技系の間には距離があると見られます。
 また、教育と科学というのは分野として近いようでいて、両官庁の得意とする仕事は違っていました。文部省は義務教育を中心に固定的な仕事に従事する「制度管理型」省庁であったのに対して、科技庁は省庁をまたいだミッションを調整する仕事が多く、局単位のとりまとめ機能が発展しました。
 
 文部省時代の大きな理念が、義務教育における「機会均等」です。
 文部省は学習指導要領と教科書検定によって義務教育の教育内容を強くコントロールするとともに、学校設置基準を定め、学級編制の標準を定めました。2000年代の初頭に山形県が小中で33人学級の実現を目指した時に、文科省は当初これに難色を示しましたが、これも「機会均等」の考えに基づくものです。学校選択制への抵抗も同じ流れだと言えます。

 一方で、高等教育では「選択と集中」が進んでいます。かつては国立大学に学生数や教員数に応じて資金が分配されていましたが、現在ではそうした資金は減らされて競争的な資金が増えています。旧帝大を中心とした一部の大学に資金が集中し、大学ごとの差はどんどん大きくなっていますが、これは高等教育に対して科技系の考え方が浸透してきているともとれます。

 第2章では文科省の職員に焦点が当てられています。
 文科省では、いわゆるキャリア官僚として、2020年度には事務系・施設系が24人(うち女性12人)、技術系13人(うち女性3人)が採用されています。多い順に国交省123人、農水省111人、厚労省55人なので、文科省の採用人数は多いとは言えません。
 一時は東大出身者ばかりといったイメージのあるキャリア官僚ですが、文科省では東大法学部、経済学部のシェアは小さく、地方大学や私立大学の出身者も多いです。女性も多いために、多様性という麺に関しては「優等生」とも言えます。

 ただし、鈴木寛の語る、通産官僚時代の自分は灘高東大で大蔵省の交渉相手も学生時代の友人知人だから大蔵官僚コンプレックスはなかったという話(78−80p)からもわかるように、霞が関の官僚には学歴に裏打ちされた人的ネットワークがあることを考えると、この文科省の多様性は人脈の弱さにつながるのかもしれません。
 採用後に関しては、文部系は教育三局を異動する「省内ジェネラリスト」であるのに対して、科技系は内閣府との行き来がある「官僚制ジェネラリスト」の傾向があるといいます。

 ノンキャリアの採用に関しては、文部省時代には本省が直接採用せず、国立大学の職員からエース級を本省に呼び寄せるという転任制度が存在しました。文科省は能力の低い職員を採用するリスクを減らすことができ、国立大学側は本省とのパイプ役を期待できました。
 しかし、この制度は国立大学の独立行政法人化とともに減っていき、現在は多くのノンキャリアを本省が直接採用するようになっています。
 ノンキャリアの仕事については、かつては文部系と科技系で違いがあり、文部系では伝統的に予算はノンキャリアに任されており、キャリアの中でもカリキュラムを扱うのが「殿上人」、予算を扱うのが「地下人」などと呼ばれていたこともあったそうですが(99p)、科技系では毎年の予算獲得に注力するためにキャリアが予算に関わってきました。

 統合後の人事を見ると、事務次官は初代、2代目と文部系から出ましたが、その後は文部系と科技系から交互に出ています。事務次官と官房長はたすき掛け人事になっていて、事務次官が文部系なら官房長は科技系といった形です。
 民間からの人材の受け入れ率は低く「鎖国型」とも言えるものですが、地方自治体からは多くの出向者を受け入れています。また、文部系では地方自体への出向も目立ちます。
 全体的に、もとの人数が少ない科技系がポストの面では健闘しており、科技系が統合の果実を得たと言えるかもしれません。

 第3章では文科省の予算が分析されています。
 文科省の2019年度の予算は約5.5兆円で、予算全体の5.4%。統合直前の文部省の予算は5.9兆円、科技庁と統合したあとの2001年度の予算は6.6兆円だったので、大きく減っていることになります。
 この理由としては、文科省の予算で最も大きな規模の義務教育費国庫負担金の負担割合が1/2から1/3になったことが大きく、これによって義務教育費国庫負担金は金額として半分程度にまで落ち込みました。

 一方、棚ぼた的に増えた予算もあり、それが高校無償化です。
 小中に関しては熱心に「機会均等」をはかってきた文科省ですが、高校に関しては特に財政的なサポートをしておらず「ノーサポート・ノーコントロール」といった状況でした。
 ところが、民主党政権が高校無償化を打ち出したことから約4000億円の予算が降ってくることになります。政権交代によって無償化には所得制限が設けられることになりますが、政策における「慣性の法則」もはたらき、2020年度からは私立高校の実質無償化もスタートしました。
 そうした中、文科省は「高校生のための学びの基礎診断」というものを始めました。これは民間試験を文科省が認定して高校生の基礎学力の定着度合いを測るものですが、そこにはベネッセ、リクルートマーケティングパートナーズなどのおなじみの企業や団体が並びます。財務省から財源を獲得することは無理だと考えた文科省は、民間企業を参入させ、費用は家計に負担させることにしたのです。

 国立大学運営交付金も文科省の予算で大きな割合を占めていますが、これは減り続けています。もともと国立大学が独法化したときには、運営交付金は削減しないとの口約束があったとのことですが、結果として減った交付金を各大学が奪い合う形となって、大学の現場は疲弊しています。
 2020年度からの高等教育無償化の実施に伴って授業料を値上げする大学も出てきていますが(低所得者への「機会均等」は無償化で担保できるので)、国立大学全体の収入に対する授業料の割合は約2割であり、また寄附金も英米の有力大学に比べると遠く及びません。
 そのため、運営交付金の削減は国立大学にとって死活問題なのですが、政府内では立場が弱く、国立大学に対しては強いという文科省は、現場に努力を押し付けがちです。

 第4章では初等中等教育を中心に「学力」の問題がとり上げられています。
 日本において「学力」が問題になったきっかけとして、文科省が90年代後半に導入した「ゆとり教育」があります。
 2002年度から完全実施されることになっていた「完全学校週五日制」を見越して、授業内容を削減する内容でしたが、「円周率が3になる」といった文句が飛び交い、02年から文科省は「確かな学力」という言葉を使って弁明につとめるようになります。
 授業内容の削減は学校教員の週休二日制の実施のためにも必要なものでしたが、文科省は労働政策としての性格を打ち出さずに、「生きる力」といった抽象的な概念で政策を説明したために、突っ込みを受けることになりました。

 「学力低下」の批判を受けて、2007年から「全国学力・学習状況調査」が始まりましたが、ここで得られたデータがどのように政策に生かされているのは見えにくく、むしろ、自治体間、学校間の競争を煽る結果となっています。
 こうしたこともあって学校現場は疲弊していますが、近年まで文科省は教員の勤務実態の把握をしてきませんでした。2014年にOECDの調査の結果が公表され、日本の教員の労働時間が参加国の間で最長で、事務や課外活動に多くの時間が咲かれている実態が明らかになって、ようやく文科省も教員の負担削減に動き出しました。
 ただし、小中の教員の雇用主は基本的に市町村の教育委員会でありながら、採用や給与の負担は都道府県が行い、文科省が給与の補助を行うという複雑な構造になっていることもあり、勤務実態の把握が進みにくい構造です。
 残業代分を前もって4%上乗せする代わりに残業代を出さないという給特法や部活の見直しを含めて、労働時間の削減には大きな改革が必要になります。

 文科省は地方の出先機関を持ちませんが、その代わりを果たしてきたのが教育委員会です。戦後しばらくは公選制だった教育委員会は、1956年以降、首長の任命制となっており、その教育委員会が教育長を任命する形になっていました。2000年の地方分権改革までは、都道府県の教育長には文部大臣の、市町村教育長には都道府県教育委員会の承認が必要となっており、こうした制度によって文部省は地方の教育の運営をコントロールしていました。
 その後、教育長を首長が直接任命できるようになるなど、教育委員会に対する首長の権限は強まっていますが、文科省は教育委員会を一種の出先機関として死守しています。
 しかし、スポーツや文化などは首長部局に移管されつつあり、学校教育以外の教育委以内の役割はやせ細りつつあるのが現状です。

 第5章では大学にまつわる問題がとり上げられています。
 まずは、大学入試改革です。「高大接続」というフレーズのもと、総合的な入試改革が目論まれ、センター試験に代わる共通テストの導入、四技能を中心とした英語試験の民間委託、共通テストへの記述問題の導入などが打ち出されましたが、英語試験の民間委託と記述問題の導入は実施直前で撤回されるという大失敗に終わりました。
 今回の入試改革は「官業の民間委託や「払い下げ」のようなものであり」(221p)、教育企業とその支持を受ける政治家によって進められました。第2次安倍政権以降、文教族がリードする自民党の教育再生実行本部と、官邸の教育再生実行会議が議論をリードし、文科省と中教審がその肉付けをするという形が続いていましたが、文科省が民間企業相手にコスト感覚やロジスティクス感覚を欠如させたまま制度設計を行ったために、完全に行き詰まりました。

 大学改革に関しても、企業などの声に押されるままに改革に走り出したものの、うまく行っていないのが現状です。
 企業はグローバル人材の育成を大学に求めていますが、もはや海外企業のように高賃金は払えない状態です。一方、文科省は世界の大学ランキングに入るように国立大学に発破をかけますが、集めている寄附金の額も、学長や教授の報酬も英米の一流大学に遥かに及ばない状況で、金銭的な裏付けがないままに「スーパーグローバル大学」などの名称だけは踊っています。
 内閣府が管轄する沖縄科学技術大学院大学は、国立大学を遥かに上回る財政支援を受け、高い業績を上げており、やはり研究力の向上には財政支援が欠かせません。

 さらに日本で問題なのは、修士号の取得者の数が諸外国に比べて大きく劣っており、博士号についても減少傾向となっている点です。
 日本では研究者を目指す者への財政的な支援は薄いですし、博士号を取ったとしてもその就職先がないという状態になっています。この要因の1つは、文科省が出口を考えないままに「ポスドク一万人計画」を進めたためで、ここでも「出口(アウトプット)」や科学への「インパクト(アウトカム)」はあまり考えられていませんでした。

 こうした中で、科学技術政策に対する経産省などの影響力も強まっています。経産省は科技庁以上に「選択と集中」を志向しており、大学は教育や学術の場ではなく、科学技術、イノベーション、産業政策に貢献されることが期待されるようになっています。
 しかし、国立大学への文科省のグリップ力は相変わらず強いので、官邸や経産省、あるいは企業は文科省に働きかけることで大学を「間接統治」しようとするのです。

 「外に弱く、内に強い」文科省は、周囲からの圧力を受けて教育委員会・学校、大学に努力を促しますが、そこに財政的な支援があるわけでもないので、現場にしわ寄せが及びます。
 ある意味で、教育や学術研究の分野では、現場を除いて誰も責任を取らなくてすむような体制になっています。
 著者は最後に、文科省が「金目の議論」「財政支援を訴えるロビイング活動」、そして「政治」から逃げないことが必要だと主張しています。文科省は自らの掲げる政策の実現のために政治的な支持を調達する必要があるのです。

 このように、本書は文科省のあり方を総合的に分析することで、近年の日本の教育政策の失敗や迷走の原因をえぐり出しています。「ゆとり教育」といった理念が批判されがちですが、失敗の本質は理念を制度に落とし込むときの甘さと現場頼みの姿勢にあると言えるでしょう。
 本書が指摘するように、現在の日本の教育制度においては「誰が責任を取るのかわからない」部分が大きいのですが、だからこそ、このままいくと首長が「俺が責任を取る」といって政治的な介入を行うようになることが考えられます。
 本書は文科省に対して厳しい批判を行っていますが、同時に文科省のあり方の重要性を再確認させてくれる本でもあると言えるでしょう、


立岩真也『介助の仕事』(ちくま新書) 7点

 生命倫理や障害とケアの分野などで数々の本を書いてきた著者による初めての新書。かなり独特の文体を用いている書き手なのでどんなものかと思いましたが、この本は「重度訪問介護従業者養成研修」の講師として話した内容をもとにしており、読みやすいと思います。
 ただ、語り口にはやはり独特なものがありますし、何よりも立ち止まっては考えていくことを繰り返すようなスタイルですので、意外とつっかかるところがあるかもしれません。
 それでも、そのつっかかる部分からさまざまな問題を考えさせるようになっていて、最初の「ヘルパーのすすめ」的な内容から始まり、読み終わってみればケアのあり方や安楽死など、随分と深い問題にまで分け入っていく感じです。
 前半部分に関しては、「意識の低い福祉論」といった趣もあり、福祉の仕事にほとんど興味がない人が読んでも意外に面白いのではないでしょうか。

 目次は以下の通り。
第1章 ヘルパーをする
第2章 いろんな人がヘルパーをする
第3章 制度を使う
第4章 組織を使う作る
第5章 少し遡り確かめる
第6章 少しだが大きく変える
第7章 無駄に引かず無益に悩まないことができる
第8章 へんな穴に落ちない
第9章 こんな時だから言う、また言う

 まず、本書は「ヘルパーのすすめ」的な話から始まるわけですが、本書で語られているヘルパーは、介護保険制度のもとで主に高齢者相手に派遣されるヘルパーではなく、重度訪問介護という制度のもとで重い障害を持つ人のもとに派遣されるヘルパーになります。

 ヘルパーというと、何だかきつそうで、給料も安いというイメージがあるかもしれません。本書でもとりあえず時給1500円を実現すべきだということが主張されていますが、「きつさ」については確かに利用者との間の摩擦などで苦労することもあるが、別の面ではラクな部分もあるといいます。
 著者がこの仕事の良さとしてあげているのが「主体性のなさ」です。相手にもよりますが、きちんと指示を出してくれている人が相手であれば、基本的にその指示通りに動けばいいわけで、「主体性がないほうがいいみたいな仕事」(42p)となります。
 著者は、「40すぎのおじさんたちが知的障害者の本人の後ろを付いていって、だまって、あるいは時にああでもないこうでもないってやりとりをしながら1日を過ごす。それを仕事とし、その仕事で飯食えている」(45p)ということを指摘しています。

 さらに、ヘルパーの仕事は定年後もできますし、学生をやりながらでもできます。最近の大学生は授業などが忙しくなってしまってなかなかまとまった時間を捻出できないかもしれませんが、本書では大学院生をやりながらヘルパーをしている人が紹介されています。
 諸外国では、ヘルパーというと移民や外国人がやる仕事となっていることもありますが、日本では比較的さまざまなタイプの人がこの仕事に就いているといいます。

 重度訪問介護のヘルパーの資格は、介護保険のヘルパーの資格に比べると短時間で取得できるようになっていますが、これは重度訪問介護の制度ができる前に、利用者が自分で介助者を集めて、やり方を教えてきたという歴史があるからです。
 介護保険と統合すべきだという意見もありますが、介護保険では一番重い認定を受けたとしても最大で一日2時間位で、起きている間の16時間、あるいは24時間の介助が必要な人には全然足りない形になっています。
 ちなみに介護保険のほうが金銭的な単価は高いのですが、介護保険は30分、1時間単位で次の現場へと移っていくような形で事業所の調整が大変です。そのせいもあってヘルパーにわたる賃金はそんなに多くはなりません。

 重度訪問介護の制度は基本的にマイナーなものであり、ソーシャルワーカーなどでもよく知らない人はいます。また、ケアマネジャーは基本的に介護保険のケアマネジャーであり、重度訪問介護のことはよく知りません。
 さらに介護保険とは違って十分な支援を受けるためには交渉が必要なケースもあります。ただし、役所は先例主義でもあるため、誰かが一定の支援を勝ち取ると、あとに続く人がそれを利用できるという面もあります。

 待遇の面からもヘルパーを公務員にすべきだという考えもありますが、利用者からすると、70年代や80年代に役所が派遣してきたヘルパーは偉そうで使いにくいという感想もあり、著者は民間も含めたさまざまな選択肢がある現状を肯定しています。
 日本には、障害者自身が作った「自立生活センター=CIL」と呼ばれる組織もあります。アメリカ発祥の組織で、代表者や事務局長、理事の過半数が障害者でなければならないと定めています。
 アメリカではヘルパーの名簿の提供くらいしかやっていないといいますが、日本では派遣・調整の業務も行っており、それによって比較的大きな規模になったCILもあります。
 また、中には自分の介助者を集めて働いてもらうために事業所を立ち上げている利用者もいるといいます。

 第4章まではこういった「ヘルパーのすすめ」と制度の解説といったところですが、第5章以降では、歴史的な背景や介助の問題をどう考えていくかということに入っていきます。

 まず、1970年に2歳の脳性まひの女の子が母親に殺された事件と、その後に起きた減刑嘆願運動がとり上げられています。
 これに対して「青い芝の会」という脳性まひの人たちの組織が、他の人が殺されたときよりも自分たちが殺された時に刑が軽くなるのはおかしいのではないかという運動を始めます。
 ここで明らかになった問題は、障害児は親とセットになっており、親は基本的に子どもを愛しているから、社会がその責任を全部親に押し付けているという構図です。「そのぶん社会は楽してる、さぼってる。さぼっていられる。そこで、親が殺すと親に多少同情する」(121p)というわけです。
 家族は大切かもしれないけど、家族を大切にするためには、一種の「脱家族」が必要ではないかというのです。
 この事件について『母よ!殺すな」という本を書いたのが、「青い芝の会」のメンバーだった横塚晃一であり、著者がフェイバリットとしてあげる人物です。

 また、70年代は施設から出ようという運動が起きてきた時期でもあります。東京の府中療育所など、重度の障害者のための施設があったわけですが、そこで待遇改善を求める動きとともに、施設から出たいという動きも出てくるわけです。
 ただ、施設から出た場合、収入に関しては生活保護でなんとかなったとしても、やはり介助する人が必要になってきます。初期の頃は、当時は暇もあった大学生などをボランティアとして集めて乗り切っていました。

 著者もこうしたボランティアの経験があるのですが、やはりボランティアではきつくなってくる面も出てきます。著者は介助の仕事をするのはともかくとして、介助のローテーションを埋めるのが大変だったといいます。毎日介助が必要であれば穴を開けることはできないわけです。
 さらに魅力的な人物のもとにはボランティアが集まるけど、そうではない人間のもとには集まらないという問題も出てきます。
 こういった仕事はボランティアがベースであるべきだという考えを持つ人もいますが、それに対して著者は次のように述べています。

 ある人が生きていく、生きていくっていうことは権利として認めなきゃいけないといったときに、それはすなわち、生きていくことができるっていうことを、社会が、具体的には人々が、それが可能になるように義務を負わなきゃいけないってことじゃないですか。人の生活、生命を、生存っていうものを支える義務というものは、すべての人にある。そうすると、ボランティアだけがやるっていうのはボランティアだけが義務果たしているっていうことになるわけで、ほかの人たちは義務を逃れてるってことじゃないのか。それって違うだろう。私はそういう立場なんです。(144−145p)

 ただし、介助の仕事をすべての人がすべきかというとそれも現実的ではないわけで、政府が税金を集めて、それで介助の仕事をする人にお金を払うのがいいだろうということになります。

 80年代になると、東京で「脳性麻痺者等介護人派遣事業」が始まり、90年代になると東京の西部の市区で最大毎日24時間の利用が可能になっていきました。
 その後、介護保険が始まると、政府はこれらの制度を介護保険に組み入れようとしますが、利用者からは「1日2時間しか使えない」といった反発も出て、現在まで制度が併存するような状況が続いています。
 細かい点では問題もある現在の制度ですが、著者は在宅で24時間ということがなんとかできていることから、悪くないのではないかと評価しています。

 第7章は、国立療養所の話から始まっていますが、かつては結核患者を受け入れた療養所は、結核が治る病気になるとともに筋ジストロフィーの人を収容するようになりました。
 日本では筋ジストロフィーや重症の心身障害児などが、あまり知られることなく、こうした施設に収容されてきました。また、ここでは日本の精神病院における収容にも触れています。
 そうした施設から出たいという人がいれば、その人が外で暮らせるように支援を行っていくべきですが、日本では「相談支援」の部分にお金が出ないようになっており、ここが「地域以降」が進まない1つのネックになっています。

 第8章と第9章ではやや哲学的なことが語られています。
 まずは、介助などの場面における「自己決定主義」と「関係大事主義」についてです。
 自己決定主義について、著者は「自分が自分のことを決めるのは基本的には間違っていない。しかし、それをまじめに、というか間違って信じすぎるとよくない」(190p)と言います。
 自分で自分のことを決めるのは当然ではありますが、同時に考えてそれを伝えるコストがかかります。さらにその自己決定はその人の生まれてきた価値観やお金のあるなしなどにも影響を受けています。
 一方、介助する側も、自律的な働き方、つまり自ら創意工夫をしながら介助をすべきだという考えもありますが、著者は「人に言われた通りにする仕事」を評価し、「日本という国で、「私が私が」と強調することが、すくなくとも表向きには恥ずかしいことになっているのは、たとえ建前としてはということであっても、そんなに介助の仕事を低くは見ないことに関係しているかもしれず、それはよい習慣だと思います」(197p)と述べています。
 もちろん、介助には身体の接触があるために、一定のデリカシーなども必要になります。

 関係性を重視する「ケア倫理学」についてももっともな部分はありますが、あまりに具体的な人間関係を重視すると、利用者にもある種の魅力が必要になってくるのではないかという懸念があります。

 最後の第9章では、2019年に起きたALSの女性の嘱託殺人事件がとり上げられています。
 その女性は重度訪問介護の制度で24時間の介助を受けていましたが、ヘルパーとうまくいっていなかったようで、約20もの事業所からの派遣がなされていたといいます。
 著者も詳しくはわからないといいますが、何か周囲や自分に対して憤懣のようなものが溜まっていたのではないかと推測しています。
 ここでは、この女性の死に影響を与えたという、NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」に対する批判なども行われています。
 
 著者は安楽死の法制化に反対の立場ですが、このことについて自らが過去に書いた次のような文章(『希望について』所収)を紹介しています。
 迷惑をかけないことは立派なことではあるだろう。だがこの教えは反対の事態を必然的に招く。それを他人に要求するなら、周囲に負担をかけるようなことをお前はするなということになる。その分周囲は、他者に配慮するはずだったのに、負担を逃れられ楽になってしまう。自らの価値だったはずのものを自らが裏切ってしまう。
 犠牲という行いにも同じことが言える。誰かのために犠牲になることは立派なことだ。だが、その人に犠牲になることを教えるのは、その人の存在を否定することになり、その価値自体を裏切る。そして犠牲になることを教える側はそのまま居残るのだから、ずいぶん都合の良いことだ。(224−225p)

 そして、安楽死が選ばれる前に介助ができることはまだあっただろうし、そうした介助が実現されるために本書は書かれています。

 と、一応、本書の内容をまとめてみましたが、本書の魅力はここではほとんどカットしたさまざまな運動を行ってきた障害者個人への言及や、著者の独特の語り口にあるのかもしれません。
 著者の語り口の独特さは、引用した部分からもうかがえるかもしれませんが、ぐるぐると遠回りをしているようで、それでいてはぐらかしているわけでもない感じです。面食らう人もいるかもしれませんが、個人的にはけっこう好きです。
 本書は、比較的ゆるい「ヘルパーのすすめ」から、介助をめぐる原理的・哲学的な考察にまで連れて行ってくれる本になっています。
 
 

廣瀬陽子『ハイブリッド戦争』(講談社現代新書) 7点

 2014年のウクライナ危機とクリミア併合、2016年のアメリカ大統領選挙への大規模な干渉など、近年のロシアは特殊部隊から民間軍事会社、さらにサイバー攻撃まで、あらゆる手段を駆使しながら、敵対する国に揺さぶりをかけています。
 本書はそんなロシアの複合的な揺さぶりを「ハイブリッド戦争」と名付け、その実態を明らかにしようとしています。
 秘密に包まれている部分も多いため、全貌が明らかになっているわけではないのですが、サイバー戦や民間軍事会社の実態、アフリカでの活動、ロシアの安全保障戦略に影響を与えるロシア流の地政学的な見方など、非常に情報量が多く、さまざまな知識を得ることができます。
 また、さまざまな組織が乱立し、怪しげな人物が暗躍する、ロシアの権力構造も垣間見えて、そこも面白い部分だと思います。

 目次は以下の通り。
プロローグ
第1章 ロシアのハイブリッド戦争とは
第2章 ロシアのサイバー攻撃と情報戦・宣伝戦
第3章 ロシア外交のバックボーン―地政学
第4章 重点領域―北極圏・中南米・中東・アジア
第5章 ハイブリッド戦争の最前線・アフリカをめぐって
エピローグ

 本書のプロローグには、「大統領の料理長」とも言われるエブゲニー・プリゴジンという人物が紹介されています。
 プリゴジンはソ連時代に詐欺や強盗などで刑務所に入っていた人物ですが、90年代にビジネスで成功し、サンクトペテルブルクに開いたレストランを拠点にプーチンと接近し、その信頼を得ています。彼のレストランでは、プーチンをホストとしてたびたび外国の首脳が招かれているのですが、プリゴジンは裏の顔も持っています。
 軍への食事の提供サービスなどから軍にも食い込んだプリゴジンは、「インターネット・リサーチ・エージェント(IRA)」というサイバー攻撃を行う組織を運営し、ロシアの民間軍事会社(PMC)ワグネルにも出資しています。
 このような怪しげな人物も巻き込みながら展開されているのがロシアのハイブリッド戦争です。

 ハイブリッド戦争という言葉自体は2014年のウクライナ危機から使わえるようになったものですが、ロシアでは以前から「同盟の弱体化・自身の同盟の拡充」(29p)を目的としてさまざまな活動を行っており、21世紀以降のロシアの行動を理解するためのキーワードとなっています。
 2019年の時点で、ロシアの軍事費は世界第4位に後退しており(米、中、印、ロの順)、軍事的超大国とは言えなくなっていますが、それをカバーするのが軍事力以外の多様な手段なのです。

 このハイブリッド戦争には、特殊任務部隊、インテリジェンス、さまざまな政治工作を行う政治技術者、民間軍事会社(PMC)などがかかわっています(本書ではコサックもあげられているけど、これをPMCと見ていいのがどうかは本書の記述からは判断し難い)。
 特殊任務部隊に関しては、ロシアではロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)、連邦保安庁(FSB)、連邦対外情報庁(SVR)などの各機関にそれぞれ部隊がいるのが特徴で、その組織は多元的です(48p図1−1参照)。
 
 ロシアのPMCは世界的に見れば大きな規模のものではありませんが、ロシアのハイブリッド戦争の遂行には欠かせないものとなっているといいます。正規軍であれば、問題を起こせばすぐさまその責任が問われますが、PMCであれば関与を否定することができるからです。
 そのロシアのPMCの中でも最大規模を誇るのが、前述のプリゴジンも関係しているワグネルです。ワグネルはウクライナ危機やシリア紛争にも関与しており、シリアの2018年2月7日の戦闘ではワグネルの戦闘員200人近くが犠牲になったという情報もあります(67p)。ワグネルはGRUが民間企業を装って設立したロシア軍の別働隊だという指摘もあり、その訓練にも軍が関与するなど、「国営」軍事会社に近い存在でもあります。
 2018年には中央アフリカでワグネルの活動を取材していたジャーナリストが暗殺されるなど、きな臭い存在でもあります。

 また、ハイブリッド戦争にはシャープパワーを使ったものもあります。シャープパワーとはテレビやSNSなどで偽情報の流布などを行い、その他の手段と組み合わせることで相手国の世論を誘導しようとするもので、ソフトパワーの悪質版とでも言うべきものです。
 2014年、前年から始まったウクライナにおけるユーロマイダンとヤヌコーヴィチの失脚の流れの中で、ロシアによるクリミアの併合が行われました。国際社会から大きな批判を浴びたこの行動ですが、ロシアは以前から以前から政治技術者をウクライナ東部などに送り込み、政治的なプロパガンダを広め、親ロ派の支援を行うなど、さまざまな工作を行っていました。

 その後に起こったウクライナ東部をめぐる内戦においても、ロシアは電磁波を利用した電子戦とサイバー戦を一体化させた作戦を展開しました。ロシアはウクライナ軍のGPSや無線を電波妨害で遮断し、携帯電話を使わざるを得なくなったところに、メールなどで偽の司令を送信し、それにもとづいて行動したウクライナ軍の部隊を待ち伏せして集中攻撃したのです。
 他にも2014年のウクライナ大統領選では、絶妙なタイミングで集計システムの全データを消去し、選挙結果に疑念をもたせることに成功しています。

 そんなロシアのサイバー攻撃について詳しく分析しているのが第2章です。
 サイバー攻撃に関しては、個人が愉快犯的に行っているものもあり、そのやり方も大量にデータを送りつけて麻痺させるやり方から、特定の情報を盗み出すもの、ウェブサイトの乗っ取りや改竄など、その手口もさまざまです。
 そうしたこともあってサイバー攻撃は誰が行ったのかがわかりにくく、比較的安価に行うことができ、またサイバー攻撃を武力攻撃と同じようなものとして扱っていいのかもはっきりしません。
 しかし、だからこそロシアのような国家にとっては都合のいい方法だとも言えます。

 ロシアには、政府系の組織、前述のIRAのような民間のサイバー攻撃会社、データを乗っ取って身代金を要求するような民間の犯罪集団、そしてロシアのために個人としてサイバー攻撃を行う愛国者がおり、どの攻撃が政府によるものなのかを見極めるのは難しくなっています。
 軍には15のサイバー部隊があり、サイバー軍の要員は1000人程度だとも言われています(中国には10万人のサイバー攻撃部隊がいるという)。
 
 ロシアの大規模なサイバー攻撃が注目されたのが2007年にエストニアに対して行われた攻撃です。エストニアはIT化の進んだ国としても有名ですが、07年4月にエストニアの国会がタリン市の旧ソビエト軍兵士像を撤去する決定を行ったことに対して、ロシア系の住民が反発し、さらにロシアからのサイバー攻撃も行われました。
 主に乗っ取られた70カ国8万台のPCからエストニアの銀行や通信、政府機関、報道機関等に大規模なDDoS攻撃が行われ、エストニアのさまざまな機能を麻痺させました。

 フェイクニュースの拡散も行われており、IRAは「トロール工場」とも呼ばれ、約400人が何十個ものSNSのアカウントを持って、さまざまな書き込みを行っているとされています。
 IRAは対外的な活動だけではなく、プーチンの政敵を攻撃する書き込みなども盛んに行っており、IRAの給料は大統領府から支払われているという話もあります。
 2016年のアメリカ大統領選に関しても、IRAはさまざまな関与を行っていたようで、SNSでの書き込みやフェイクニュースの拡散だけでなく、アメリカの激戦州を回って情勢を分析し、それぞれの属性にターゲットにしたアカウントやグループページをつくり、反ヒラリー・親トランプの運動を展開していくことになります。
 ただし、これが上手くいった代償として、プリゴジンやIRAの関係者はアメリカから制裁を受けることとなりました。
 2020年にはアメリカに対して今まで最大規模のサイバー攻撃を行っており、情報の流出は史上最悪レベルだとも言われています。

 第3章では、こうしたロシアのハイブリッド戦争の背景にある地政学的な背景がとり上げられています。
 まず、紹介されているのがプーチンのブレーンとも言われるアレクサンドル・ドゥーギンの考えなのですが、これがなかなか強烈な理論です。
 ドゥーギンの主張はユーラシアにおけるアメリカと大西洋主義の影響力を失わせ、そのために全欧州の「フィンランド化」を狙っています。「フィランランド化」とは、冷戦時に中立国でありながらソ連の強い影響下にあったフィンランドのあり方を他の欧州の国にも適用するということになります。

 ドゥーギンが重視するのがモスクワ・ベルリン枢軸で、ドイツとの友好関係の確立のためにはカリーニングラードの返還もありだとしています。フランスも根強い反大西洋主義を持つ国だと見ている一方、イギリスは欧州から切り離されるべきだとしています。さらにフィンランドはロシアの一部になるべきであり、ウクライナもロシアに併合されるべきだとしています。
 中東・コーカサス・中央アジアに関しては、モスクワ・テヘラン枢軸を基軸に、反大西洋主義に基づくロシア・イスラム同盟の重要性を指摘しています。親欧米路線のジョージアは解体されるべきであり、アゼルバイジャンも解体されるか、イランに属するべきだとされています。また、トルコについては危険視しています。

 アジアに関しては北方領土を返還する代わりに日本を親ロ国にしてモスクワ・東京枢軸を形成する一方、中国を危険視しています。中国との緩衝地帯としてチベット・新疆・モンゴル・満州といった地域が必要であり、この地域に影響力を強めつつ、ベトナムやインドと協力することが必要だといいます。

 このようにドゥーギンの考えはかなり非現実的であり、プーチンもこれを現実の目標と考えているわけではないでしょう。しかし、「ロシアの夢」のようなものとして押さえておくことは重要でしょう。
 現実的には、旧ソ連を中心に一定の「勢力圏」を維持することもロシアの目標となります。クリミアを除けば領土の拡張は考えておらず、あくまでもロシアの影響力のもとに置くことを重視しているのです。

 第4章では、そうした地政学的な見方をもとに、ロシアが重視している地域として、北極圏、中南米、中東、アジアがあげられています。
 まず、北極圏ですが、近年の温暖化によって天然資源の開発が用意になるとともに北極圏航路が注目されています。また、ロシアの防衛を考え上でも北極圏は重要です。
 北極圏航路に関しては、未だに商業的な採算は取れない状況だとはいいますが、ロシア、そして中国がその利用を見越して砕氷船の建造を進めています。この北極圏航路の終点に位置するのが北方領土であり、ロシアが太平洋に出るための出口としても重要です。ドゥーギンは返還も考えていた北方領土ですが、それができない理由の1つがこれです。

 中南米ではニカラグアとベネズエラに対して軍事援助などを行っています。特にベネズエラでは欧米から辞任を求められているマドゥロ大統領を一貫して支持しています。
 アジアではインドとの関係を深めようとしています。アメリカや日本との接近が目立つモディ政権ですが、インドの兵器の70%はロシア製であり、昔から軍事的な関係には深いものがありました。ロシアの資源はインドにとっても魅力的なものであり、2019年にウラジオストクで行われた「東方経済フォーラム」にはモディ首相も出席しています。
 中東ではなんといってもシリアです。シリアはロシアが冷戦後も唯一維持した海軍基地があり、以前から関係が深かった国ですが、シリア内戦における大規模な介入はこの地域でのロシアの存在感を決定的に高めました。そして、このシリア内戦への介入を通じてイランやトルコとの関係も深めています(トルコに関しては一時期危機的な状況もありましたが)。

 第5章ではアフリカがとり上げられています。アフリカはロシアからすると遠い地域に見えますが、近年はアフリカでもロシアのハイブリッド戦争が展開されているのです。

 近年のロシアのアフリカにおける動きで注目されるのが「安全保障の輸出」です。
 アフリカの多くの国の課題は国防と治安であり、それに応えるかのようにロシアは武器を輸出し、対テロ対策のアドバイスなども行っています。ロシアはアフリカに植民地を持たなかったことから、しがらみや警戒心を持たれることも少ないのです。
 2013〜17年の間に、ロシアの武器輸出の13%をアフリカが累積的に占めるようになってきており、特にアルジェリアが最大の買い手でアフリカにおけるロシアの武器輸出の8割はアルジェリア向けだといいます(279−280p)。

 ロシアのPMCもアフリカに進出しており、プリゴジンもたびたびアフリカを訪れています。こうしたPMCも含めて、ロシアはアフリカの国家の指導部と秘密の軍事協定を結び、その代償として天然資源を獲得する手法を用いています。
 特にスーダン、中央アフリカ、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国などで活動を活発化させており、ワグネルの構成員がスーダンや中央アフリカで活動していたという情報もあります。中央アフリカでは軍事顧問を送り込むとともに、内戦の当事者を交渉のテーブルにつかせることにも成功しています。そして、その代わりに金やダイヤモンドの採掘権を獲得しています。

 サイバー攻撃の発信地としてアフリカを利用しようとする動きもあります。アフリカは英語が公用語となっている国も多く、より自然な英語で書き込みができるからです。

 エピローグではロシアのハイブリッド戦争についての評価も行われています。クリミア併合にしろ、2016年のアメリカ大統領選への介入にしろ、ロシアは他国から警戒心を持たれ、また制裁を受けることになったということで、ロシアのハイブリッド戦争を「失敗」と見る向きもありますが、プーチン体制の強化ということを考えると成功と言っていいのではないかというのが著者の評価です。

 このように本書には註を含めて347pというボリュームの中にぎっしりと情報が詰め込まれています。もう少し整理されていたほうが読みやすいと思う面もありますが、ロシアの近年の外交、軍事作戦、謀略を掴む上で役に立つ情報が満載です。
 また、本書でとり上げられているさまざまなロシアの組織の姿は、ロシアの権力構造を教えてくれるものになっています。絶対的な権力をもつプーチンのもとでさまざまな組織が乱立しており、そこにプリゴジンのような怪しげな人間が食い込んでいる状況は、少しヒトラーのもとにさまざまな組織が乱立していた第三帝国を思い起こさせるものがあります。

松里公孝『ポスト社会主義の政治』(ちくま新書) 6点

 80年代末から90年代初頭にかけて、東欧とソ連において社会主義体制の崩壊し、複数政党制を前提とする政治体制に生まれ変わりました。
 本書はこうした国の政治について、多くの国が採用した「準大統領制」(「半大統領制」と言うこともある)という、大統領と首相がともに存在する政治体制(フランスなどが代表例)を切り口にして分析しています。分析の対象は、ポーランド、リトアニア、アルメニア、ウクライナ、モルドヴァの5カ国です。
 
 なかなか興味深い題材を扱っている本ですが、正直読むのが大変な本でもあります。
 まず、準大統領制をいくつかのタイプに分けて分析しているのですが、その分類名が直観的に理解しにくいですし、出てくる国の政治情勢もポーランドとウクライナを除けば普段から耳に入っていないものばかりなので、その変遷は追いづらいです。
 ただし、後半になってくると、そのわかりづらさは安易な地政学的説明を回避しているから生じているものだということにも気づきます。親欧米VS親露、あるいは民族主義の噴出の裏には、恩顧政治を展開するオリガーク(「ボス政治家」と訳すのがわかりやすいでしょうか?)の身も蓋もない権力闘争があるのです。
 376ページでかなり読むのに骨の折れる本ですが、この地域についての新たな知見が得られる本であることは間違いないと思います。

 目次は以下の通り。
序章 準大統領制とは何か
第1章 共産党体制からの移行のロードマップ
第2章 ポーランド―首相大統領制の矛盾
第3章 リトアニア―首相大統領制とポピュリズム
第4章 アルメニア―一党優位制と強い議会の結合
第5章 ウクライナ―権力分散的準大統領制
第6章 モルドヴァ―議会大統領制から準大統領制への回帰
終章 地政学的対立とデモクラシー

 まず、序章で本書の分析枠組みである準大統領制が紹介されています。準大統領制は国民が選挙で選ぶ大統領と首相が併存している体制で、本書はそれを以下のようにさらに細かく分類しています(黒太字が準大統領制のバリエーション)。

大統領制 首相が存在しない アメリカなど
高度大統領制化準大統領制(Lv3 ) 大統領が首相を任命し、議会の承認を必要とせず
大統領議会制(Lv2) 大統領が議会の承認を得て首相を任命
首相大統領制(Lv1) 大統領は議会多数派が指名した候補を首相に任命。または議会多数派との事前協議が必要
議会制 議会大統領制 議会が大統領を選出(ドイツなど)(16pの表1をもとに作成)

 なかなか直観的に理解し難い用語なので、Lv1〜Lv3という言葉は評者がつけました。数字が上がるほど基本的に大統領の権力が強いと考えてください。
 社会主義体制が崩壊した後、多くの国が準大統領制をとっており、本書がとり上げるポーランド、リトアニア、アルメニア、モルドヴァのうちアルメニア以外は準大統領制ですし、アルメニアも一時は準大統領制でした。
 
 旧社会主義諸国では、もともと政府と支配政党(共産党など)による執行権力の二元性があり、大統領と首相が併存する体制は受け入れやすいものでした。また、新生国家の大統領たちは首相をスケープゴートにして権力を維持できること、議会選挙で負けても議会の連合形成に鑑賞できることなどを学びました。さらに執行権力を戦略的なものと日常的なものに分けるドゴール的な思考法も、旧支配者側、反体制側の双方にとっても受け入れやすいものでした。

 大統領にとっては「高度大統領制化準大統領制(Lv3)が理想と思われるかもしれませんが、ここまで大統領が強くなると首相に不人気政策を押し付けてトカゲの尻尾切りをすることができなくなります。台湾、韓国などで大統領(台湾は総統)が人気を維持することが難しく、任期の後半にレームダック化する要因はこれです。
 ですから、首相大統領制(Lv1)が1つの均衡になりそうですが、同じ制度であってもどのように運用され、どのように安定する(あるいはしない)かは各国の持つさまざまな条件によることになります。

 第2章から各国ごとの分析が始まりますが、まずとり上げられるのはポーランドです。
 ポーランドは大統領議会制(Lv2)か首相大統領制(Lv1)かはっきりなしない体制から、明確な首相大統領制(Lv1)に移行しました。
 ポーランドは一貫して二大政党(連合)制であり、二大陣営のうち選挙で勝ったほうが組閣し、大統領が連合形成に介入する余地はありません。また、有権者の抗議ポテンシャルが大きく、しばしば政権交代が起こっています。さらに大統領任期(5年)と議会任期(4年)がずれているために、しばしば大統領と議会の多数派の政党が違うコアビタシオンになります。そして、政治家や有権者の中にもコアビタシオンを「抑制均衡が効いてよい」と歓迎する考えが広がっています。

 ポーランドでは1988年の政府(統一労働者党)とワレンサ(ワレサ)率いる「連帯」の円卓会議で新たな政治体制が合意され、下院議員の35%を選挙で選ぶこと、大統領は議会から選出することなどが決められました。首相に関しては、大統領が首相候補を議会に提案して過半数の承認を必要とする大統領議会制(Lv2)が基本でしたが、大統領の意中の候補と議会で多数をとれる候補が一致しないときは議会に連立形成と組閣を任せるという首相大統領制(Lv1)の要素もありました。

 1990年、ポーランドは特に深い議論もないままに議会大統領制から準大統領制に移行します。そして公選となった大統領選を勝ち上がったのはワレンサでした。
 その後、ポーランドの議会では分裂した連帯の後継政党を中心とした離合集散が起こり、右派と左派に整理されていきます。
 95年の大統領選では左派のクワシニェフスキが勝利しましたが、97年の下院選では「コンビタシオンばね」が働いて右派が勝利するといった具合に右派と左派が拮抗する状況が続きました。

 97年には憲法改正も行われ、大統領の権限は縮小されました。首相に関しては大統領が任命し下院に絶対多数による信任を求め、失敗したら下院の過半数で首相が選出されるという形になり、首相大統領制(Lv1)に移行しました。

 政界再編を経て、2005年の9月の下院選と10月の大統領選で右派「法と正義」と左派「市民プラットフォーム」の二大政党制が定着します。
 この後、ポーランドでは大統領選と議会選の間隔が短いと片方の陣営が連勝し、間隔が開くと「コアビタシオンばね」が働くという状況になります。
 また、2010年4月、カチンの森事件を堆黄する式典のために「法と正義」のレフ・カチンスキ大統領を乗せていた飛行機が着陸に失敗し、乗客乗員の全員が死亡するという事件が起こります。このころから「法と正義」はポピュリスト政党色を強めていきました。

 2015年の大統領選挙では格差拡大への批判を追い風にして「法と正義」のドゥーダが勝利、さらに2015年の夏に欧州難民危機において市民プラットフォームの政府がEUからの難民割当を受け入れると、「法と正義」はこれを批判して10月の下院選でも勝利します。
 選挙間隔の短さもあって「コアビタシオンばね」は働かず、「法と正義」によるポピュリズム的な政治が進行することになるのです。

 第3章のリトアニアも基本的にはポーランドと同じような政治体制なのですが、政党システムが違うこともあって、その政治的風景は随分と違います。
 リトアニアではエストニアやラトヴィアとは違って基幹民族のリトアニア人の比率が高かったとこあり、ロシア語系住民から選挙権を剥奪したりするようなことは起こりませんでした。一方で、ロシアに対する警戒心も強くポーランドのようにEU懐疑論が力を持つこともありませんでした。
 
 リトアニアでは独立後の1992年に憲法がつくられましたが、それは大統領議会制(Lv2)なのか首相大統領制(Lv1)なのかはっきりしない憲法でした。
 その後、97〜98年の大統領選後の憲法裁判所の判断によって、リトアニアは首相大統領制(Lv1)であることがはっきりしました。

 ここまではポーランドと同じなのですが、ポーランドとの違いは政党にありました。リトアニアでは小党分立で与党内の派閥争いも激しかったため、大統領はそこに介入することで存在感を発揮しました。
 リトアニアは2004年にEUに加盟しましたが、それまで340万人だった人口が285万人へと16%も減少するなど(167p)、国民生活は必ずしもよくなりませんでした。そこで有権者はその不満を議会選挙にぶつけ、ポピュリスト政党が現れては消えていくような状況だったのです。

 09年の大統領選では、政府の対EU関連の役職を歴任したグリバウスカイテが当選します。彼女は政党政治、特に政党政治が引き起こす腐敗や利益誘導を嫌い、司法や治安機関の強化によってそれを正すというやり方を好みました。そのために裁判官を審査して、問題のある裁判官を辞めさせるなど、ある種ポピュリスト的な行いもしているですが、揺るぎない親EUでもあり、リトアニア政治にある種の安定をもたらしました。
 ポーランドの「法と正義」のような確固たるポピュリスト政党が育たなかった理由は、グリバウスカイテがそうした不満の受け皿になったからでもあります。

 第4章ではアルメニアがとり上げられています。去年(2020年)、ナゴルノ・カラバフをめぐってアゼルバイジャンとの戦争がありましたが、アルメニアは独立以来、このナゴルノ・カラバフをめぐる紛争を抱え続けていました。
 トルコとの仲も険悪であり、アルメニアが安全保障の面で頼れる国はロシアしかいません。そのため、親露VS親欧米という対立軸は生まれません。

 アルメニアでは独立前からカラバフのアルメニア帰属を求める民族運動が盛んであり、この運動が共産党を破る形で民主化が進み、テル−ペトロシャンの指導のもとで高度大統領制化準大統領制(Lv3 )が成立しました。そして独立後にテル−ペトロシャンが大統領になります。
 ただし、高度大統領制化準大統領制(Lv3)は大統領に責任が集中しますし、閣議を主催し、細々とした内政にも気を配る必要が出てきます。そこで、アルメニアの政治体制は徐々に首相大統領制(Lv1)に近い運用がなされるようになりました。
 その結果、改憲論議も起きるようになり、欧州評議家のヴェニス委員会(憲法の専門家のグループで憲法についてのアドバイスを行う)とのやり取りなども経て、2005年の憲法改正で首相大統領制(Lv1)に移行します。

 しかし、2008年の大統領選でテル−ペトロシャンが敗北を受け入れずに支持者を街頭に動員し流血の事態になったことから大統領公選制に疑問が持たれるようになります。そして、2015年の憲法改正で、議会が大統領を選ぶ議会大統領制に移行したのです。この背景には「戦時」であるアルメニアではコアビタシオンは許されず、一元的な権力が必要だと考えられたからです。
 しかし、大統領選挙という不満のはけ口を封じられた国民は再び街頭に繰り出すことになります。2018年の4月には街頭の抗議行動によって当時のサルキシャン首相が辞任に追い込まれる四月革命が起こるのです。

 第5章はウクライナ。ウクライナに関しては、2004〜05年のオレンジ革命、女性のティモシェンコ首相など、ある程度馴染みがあるかもしれませんが、本書が描き出すウクライナの政治は、親欧米VS親露という地政学的対立に還元できないグダグダなものです。
 
 1991年、ウクライナでは国民投票で独立が決まり、92年の憲法では高度大統領制化準大統領制(Lv3)に近い大統領議会制(Lv2)が採用されます。
 その後、95年に当時のクチマ大統領のもとで高度大統領制化準大統領制(Lv3)を目指す動きが起こりますが、結局、96年に憲法が改正され、大統領が議会の解散権を手放す代わりに、大統領が最高裁の判事を任命でき首相も解任できるという広範囲の人事権をもった大統領議会制(Lv2)が成立します。
 これは大統領と議会の間で抑制と均衡のメカニズムをもたらすものではなく、双方が相互不干渉に活動するようなモデルで、ウクライナ政治に混乱をもたらすことになりました。

 ウクライナでは保守系無所属の地方のボス的な議員が多く、大統領はこれらの議員を切り崩すことで政治の主導権を握ろうとしましたが、こうしたやり方は腐敗を生み、国民の不満は高まっていくことになります。
 2004年の大統領選挙でヤヌコヴィチが勝利すると、多くの市民がこれを認めずに座り込む、いわゆるオレンジ革命が起きました。与野党の妥協が成立して憲法が改正され、首相大統領制(Lv1)へと移行しました。

 しかし、ウクライナの政治は安定しませんでした。大統領となったユシチェンコは当初はティモシェンコ首相と協力体制をとったものの、ティモシェンコが自分の存在を脅かすとみると、政敵だったヤヌコヴィチに接近し、その後またティモシェンコと協調するといった動きを見せたのです。
 こうした中でユシチェンコが頼ったのはウクライナの民族主義でした。経済が低迷し、自らの支持政党も低迷する中でユシチェンコは、ロシアから輸入された映画やテレビドラマにウクライナ語の翻訳を義務付ける言語政策や、対独協力者を復権させる歴史再評価問題などのアイデンティティ問題を争点に押し出します。

 2009〜10年の大統領選で勝利したヤヌコヴィチは、2004年の改憲は手続きに問題があり違憲であるとの判断を憲法裁判所から引き出し、96年憲法を復活させます。しかし、大統領権限の強化は、国民の不満が大統領に直接向かうことにも繋がり、ヤヌコヴィチの人気は失速します。
 2013年になるとヤヌコヴィチに抗議するユーロマイダン運動が盛んになり、2004年憲法の復活を要求します。この運動は結局は武力衝突とヤヌコヴィチの失脚をもたらしますが、ユシチェンコのもとでエスカレートした民族的・地政学的な対立と、ユーロマイダンでの暴力の噴出はウクライナを内戦に引き込んでいくことになります。

 最後にとり上げられているのはモルドヴァです。モルドヴァでは権威主義が確立しませんでしたが、それは民主主義が根付いたからではなく、指導者に能力がなかったからだといいます。
 モルドヴァは領内に沿ドニエストル共和国というロシアがバックアップする未承認国家を抱えており、対抗上、欧州諸国との関係を重視しました。
 憲法制定においても、欧州評議会への加盟を目指すためにヴェニス委員会に助言を求め、それを取り入れる形で首相大統領制(Lv1)の1994年憲法を制定しました。大統領には大統領令を出す権限がなく、拒否権も議会の単純多数で乗り越えることができました。大統領の権限はかなり弱かったと言えます。
 
 その後、大統領の権限をめぐって憲法改正が持ち上がりますが、大統領の影響力が弱かったこともあり、2000年の憲法改正で議会が大統領を選出する議会大統領制に移行します。準大統領制ではなくなったのです。
 モルドヴァの政治はロシアやアメリカの介入や(325pにアメリカの大統領選出に対する露骨な介入が紹介されている)、共産党が親欧米路線をとなるなど、かなり錯綜した状態になります。さらに2013年からは「世紀の窃盗」と呼ばれるモルドヴァの有力銀行から約748億円(モルドヴァのGDPの8%強)の不正融資が行われたという事件が表面化し、ますます混乱しました。
 2016年には、ウクライナと同じように、憲法裁判所が2000年の憲法改正を違憲だとして94年憲法を復活させたことで、首相大統領制(Lv1)に復帰します。

 こうした中で、モルドヴァではオリガークのプラホトニュクが長年権力を握ることになりますが、2019年には反プラホトニュクの連合がそれを打倒し、そしてその連合があっさりと崩壊するなど落ち着かない状況ですが、対立軸が錯綜しており、それ故にウクライナのような決定的な対立や分裂は起きない状況となっています。

 最後まで読んでくださった方は、なんとややこしい話だと思ったかもしれませんが、実際はもっと大量の人名や政党名が登場しており、もっとややこしい話です。
 ただ、そのややこしさこそが現実であって、本書を読むと、地政学的な要因のみの説明は、ある種の「わかりやすいストーリー」にすぎないことが見えてくると思います。
 最初に制度を前面に押し出しているために、各国ごとの記述ももっと制度面から簡潔に行ってもよかったのではないかと思いますが、いろいろな学びがある本であることは間違いありません。


宮下紘『プライバシーという権利』(岩波新書) 7点

 タイトルは「プライバシーの権利」ではなく「プライバシーという権利」というスッキリとしないものになっていますが、このタイトルが本書の性格をよく示しているのかもしれません。
 本書の副題は「個人情報はなぜ守られるべきか」ですが、実は現在の日本の個人情報保護法はプライバシー権を保護対象としているわけではありません。つまり、日本で認められてきた狭義のプライバシーの権利と、ネットやAIの発展で問題となっている個人情報保護の問題は必ずしも重なっているわけではないのです。
 しかし、本書ではプライバシーの権利に含まれているさまざまな考えをたどりながら、プライバシーという概念から個人情報の保護をいかに行うべきかということを探っています。
 プライバシーという言葉には、あまりにさまざまなことが含まれているために、最初はわかりにくさも感じるかもしれませんが、プライバシーをめぐるアメリカとヨーロッパの考えの違いや、ヨーロッパの規制のあり方を教えてくれる内容は非常に面白いです。
 プライバシーをめぐる過去と未来を展望できる本と言えるでしょう。

 目次は以下の通り。
第1章 プライバシーはなぜ守られるべきか
第2章 進化するプライバシーの権利
第3章 個人情報保護法の新時代
第4章 プライバシー保護法制の国際動向
第5章 プライバシー権をめぐる新たな課題

 いつもは本の順序に従って内容を紹介していくことが多いですが、ここでは、まず第2章の内容に軽く触れたいと思います。

 アメリカのハーバード大で長年憲法を講義してきたローレンス・トライブは、プライバシーの権利の保護対象を次の5つにまとめています。

1 政府による精神の形成(良心の自由や子どもの教育の自由への制限)
2 政府による身体への侵入(中絶の権利や尊厳死への侵害)
3 政府による人生の計画・類型・スタイルの選択への干渉(移動や外見への自由への制約)
4 生活上の情報記録の支配(自己のイメージやアイデンティティのための自己概念の発展への侵害)
5 人との結合の権利の侵害(人的結合・交流を妨害する行為)
(55−56p)

 これを読むと、「プライバシー」が含んでいる内容の広さを感じることができると思います。
 アメリカでは中絶の権利もプライバシーの権利をもとにしており、自己決定権と言ってもいいものも含まれています。
 日本では、「プライバシー」は輸入された概念であり、多くの国でプライバシーの権利が憲法で規定されている中、日本国憲法にその規定はありません。

 プライバシー権は、1890年にボストンの弁護士であったサミュエル・ウォーレンとルイス・ブランダイスが論文に書いたことが始まりだとされています。この論文では2人はプライバシー権を「独りにしておいてもらう権利」と定義しました(29−30p)。
 きっかけはジャーナリズムが有名人の私生活を報道することを問題視して書かれたものでしたが、ブランダイスはのちに最高裁の判事になってから、令状なしの通信傍受をめぐる事件において、この「独りにしておいてもらう権利」を使って意見を書いています。
 
 日本でプライバシーの権利が認められたのは、三島由紀夫の小説『宴のあと』をめぐる裁判からです。小説のモデルとされた元外務大臣の有田八郎は、小説の内容をプライバシーの侵害である訴え、裁判所もこれを認めました。
 この裁判で判決は、プライバシー侵害の要件として、1 私事性、2 秘匿性、3 非公知性の3つの成立要件を占めました。基本的には、個人の私生活の秘密を暴露する行為がプライバシーを侵害するものとなります。

 しかし、ネットやAIの発展はこの3要件を揺さぶっています。
 ここから第1章の話に戻りますが、例えば、フェイスブックの最大8700万人分の個人データがデータ分析会社に流され、選挙運動になどに利用されたケンブリッジ・アナリティカ事件では、個々のユーザーの投稿履歴や友達などから、利用者の属性を予測し、最適化された広告を配信していました。
 このケンブリッジ・アナリティカ事件においては情報収集の仕方にも問題がありましたが(性格診断サービスを利用するとその友人のデータまで引っ張ってきてしまう)、フェイスブックの投稿履歴や友人というのは、秘匿性、非公知性を満たしているとは言えないでしょう。

 本書には「自動データ処理という状況の下では、「些細な」データはもはや存在しない」(9p)という言葉が引かれています。これは1983年にドイツ連邦憲法裁判所の判決の中の一文ですが、AIの登場とともに、この言葉はますます重要になっていると言えるでしょう。
 もともと、ドイツではユダヤ人の大量虐殺において、その選別にパンチカードを使ったという過去があり、個人情報を人間の尊厳と結びつけて考えてきました。
 そして、この個人情報の保護と人間の尊厳を結びつける考えはEUの個人情報保護政策にも影響を与えています。

 ここから再び第2章の内容に移りますが、プライバシー権については、どのような権利として捉えるべきかという問題があります。
 日本では人格権の一部としてこれを捉えていますが、ビッグデータの時代となった今、これを財産権として捉える考えもあります。2018年に成立したカリフォルニア州の消費者プライバシー法では、個人情報の無断販売禁止を求める規定が盛り込まれています。また、自己情報コントロール権として捉える考えもあります。

 日本において、プライバシー権は憲法13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の規定から導き出されてきましたが、令状なしのGPS捜査を違法とした事件では、35条の「住居の不可侵」の規定を援用しています。また、21条2項の「通信の秘密」においてプライバシー権が論じられることもあります。

 このようにプライバシー権は時代とともに、その範囲を拡大させながら発展してきたわけですが、著者は第1世代として「私生活の保護」、第2世代として「自己情報コントロール権」、そして第3世代の核心として「プロファイリングを念頭におき、ネットワーク化された自我を造形する権利」があるとまとめています(58p)。

 個人情報の保護は重要な問題の1つですが、特にネットの発展とともにその保護のあり方も変化を迫られています。
 第3章の冒頭では「破産者マップ事件」がとり上げられています。これは官報に掲載された破産者情報をネットの地図上に対応させたものです。破産者の情報は官報に掲載されているもので「非公知性」の情報ではありませんし、破産者情報をDVDにまとめて販売することは認められています。
 それでもこれはプライバシーに関わる問題だとみなされ、個人情報保護委員会は運用停止の命令を出しています。そして、個人情報保護法の第16条の2において、違法・不当な行為を助長・誘発するおそれのある方法で個人情報を利用することが禁止されたのです。

 日本の個人情報保護法にはプライバシーの権利が規定されていません。これはプライバシーとして保護されるべき利益が多様であるために、それを統一的に定義することが困難だったからですが、それがために個人情報の扱いに関しては過剰反応も起こりました。
 
 一方で、ビックデータビジネスの需要は高まっており、日本でも2015年と2020年の個人情報保護法の改正によって、「匿名加工情報」と「仮名加工情報」の利活用が書き込まれました。前者は特定の個人が識別できないように加工し、復元できないようにしたもの、後者は特定の個人が識別できないように加工し、他の情報と照合しない限り特定の個人を識別できないようにしたものになります。

 このときに問題になるのが「再識別化」のリスクです。アメリカではユーザーネームやIPアドレスを削除した検索履歴から特定の個人が突き止められたことがありましたし、2013年にJR東日本がSuicaのデータを提供することが問題になった際にも、利用者の少ない駅では個人が特定される可能性があるのではないかと疑問が示されました。

 現在、データは国境を越えて移動しています。国内の法整備さえできれば、個人情報が守られるというわけではありません。
 そして国際社会をみると、個人情報保護やプライバシーに対する取り組みはアメリカとヨーロッパで大きく違ってきています。この状況を教えてくれるのが第4章です。

 プライバシー保護に関する拘束力を有する国際条約は、今のところ、1981年に採択された欧州評議会「個人データの児童処置に関する個人の保護に関する条約」(第108号条約)しかありません。この条約は欧州評議会の加盟国も参加が可能で、現在55カ国が批准しています(日本は批准していない)。
 この他、OECDのプライバシーガイドライン、国連のコンピュータ化された個人データ移管するガイドラインなどがありますが、いずれもガイドラインであり、アメリカとヨーロッパのプライバシーについての考えの溝を埋めるような条約は存在していません。

 こうした中で2016年に成立したのがEUのGDPR(一般データ保護規則)です。
 まず、EUでは個人データの処理に法的な根拠が要求されます。個人の自宅に防犯カメラを設置するのも個人データの処理に当たるため、過去に事件が発生し再び事件が起こったときに必要であるといった管理者の正当な利益を提示することが必要になります。
 次に、同意についてのレベルが厳しく、利用者に気づかれないクッキーなどを同意なしで取得することは禁止されていまし、スマホでの位置情報の利用などもその都度の同意を要求しています。
 大規模なデータ処理を行う場合はデータ保護責任者という独立して職務に専念する専門家を配置する必要がありますし、データ遅漏等が起きたときは72時間以内に監督機関への通知が義務付けられています。
 さらに個人データの越境移転についても規制があり、移転先での「十分な保護の水準」を求めています。
 個人データ保護についての独立監督機関の設置も求めており、この機関は企業への立入検査、データ処理停止命令、制裁金を科すことなどができます。

 このようにかなり厳しい規制をしいたEUですが、この規制はEU外の企業にも影響が及びます。そこで日本は2019年に欧州委員会から十分性の決定を得ることができ、個人データの移転が許されています。
 しかし、捜査機関からの民間の個人データへのアクセスや、同意のあり方、EU圏の個人からの救済システムへのアクセスなど、さまざまな懸念が示されました。特に日本では法制度が官民で区別されていて、個人情報保護委員会の権限が民間にしか及ばないことは大きな問題です。

 また、アメリカとの規制のすり合わせは今なお問題となっています。アメリカへの個人データの移転に関しては、アメリカ商務省が示した原則を遵守している企業にそれを認めるセーフハーバー決定がなされましたが、2015年にEU司法裁判所がこれを無効としたのです。
 2013年のエドワード・スノーデンの告発もあって、EU側はアメリカの公的機関による監視を問題視しており、アメリカにおける個人情報保護の水準はEUとは同等とは言えないと結論づけました。その後、「プライバシー・シールド」という新たな枠組みがつくられましたが、これも2020年にEU司法裁判所で無効とされています。
 
 もともと、アメリカの人権規定では「自由」を重視しているのに対して、EUでは「人間の尊厳」を重視しているという違いもあり、プライバシーに関しても、アメリカが私邸への不当な侵入などの「自由」を基礎としているのに対して、ヨーロッパではナチスによる国民の管理の歴史などから「尊厳」を基礎とする形になっています。
 立法に関しても、アメリカでは分野別の個別立法で対処されているのに対して、ヨーロッパでは包括的な個人データ保護法が整備されています。さらに、アメリカが事後的な規制を好むのに対して、ヨーロッパでは事前規制を好むという違いもあります。

 第5章では今後の展望がなされています。
 新型コロナウイルスの感染拡大に対処するために各国で接触確認アプリが導入されましたが、フランスではアプリを緊急事態解除宣言から6ヶ月の限定利用とする、ノルウェーでは追跡アプリに置いて位置情報の収集を行っていたために、データ保護監督機関がアプリの利用禁止を決定しました。
 緊急事態においても、ヨーロッパではかなり厳格な個人情報の保護が行われていたのです。

 ドイツ連邦通常裁判所では、ドライブレコーダーによる常時撮影が情報自己決定権の侵害になるという判決がくだされています。そのためにドライブレコーダーには事故前後の映像のみを保存する機能もつけられています。
 顔認証カメラについても問題視されており、イギリスでは警察が自動顔認証カメラを用いて公道で警戒者リストと照合を行っていたことが、プライバシー権の侵害になる違法捜査であるという判決が出ました。

 一方、日本ではドライブレコーダーにしろ顔認証についても明確な規制などは存在しません。特に顔認証をはじめとする生体認証は特別な情報であり、日本でも「個人識別符号」として保護の対象となっていますが、ヨーロッパでは体温チェックについても私生活尊重の権利と個人データ保護の権利の侵害になると注意喚起をしているのに比べると取り組みは弱いと言えるでしょう。

 さらにGDPRではプロファイリングを含む自動処理に対する異議申し立ての権利、アルゴリズムの透明性を確保する必要性、年間売上高の4%または2000万ユーロのいずれか高額な方という高い制裁金があります。
 現在のEUのもとでは、梶谷懐・高口康太『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)で紹介されているような信用スコアの運用などは難しいと言えるでしょう。

 このように本書では、個人情報保護に関して踏み込んだ規制を行っているEUの試みが中心的にとり上げられています。
 過剰な規制がテクノロジーの発展を妨げる面もあるため、EUの規制が最適かどうかは判断できませんが、今後の日本の個人情報保護を考えていく上で、アメリカとヨーロッパの違いを知り、ヨーロッパの踏み込んだ規制の実態とそれを支える哲学を知ることは非常に重要だと思います。
 もう少し整理がなされていたほうが読みやすいと感じる部分もありましたが、今後の社会のあり方を考えるためのさまざまな材料を教えてくれる本と言えるでしょう。


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