山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2013年09月

日野行介『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』(岩波新書) 6点

 東日本大震災とともに発生した福島第一原発事故。この事故では今のところ直接放射線による被曝でなくなった人はいないものの、大気中に排出された膨大な量の放射性物質が将来にわたって周辺地域の住民に健康被害を与えるのではないかと懸念されています。
 その健康被害を調査するために2011年6月から福島県が「県民健康管理調査」を行っているのですが、この県民健康管理調査の調査方法や結果を検討する「検討委員会」では、実は「どこまで公表するか?」「どのように伝えるか?」といったことを、本来の検討委員会の前に「秘密会」で決めていました。
 本書は、その秘密会の存在をスクープし毎日新聞の記者が、その取材過程と実態を明らかにした本。

 放射線医学総合研究所がつくった被曝線量のインターネット調査システムがお蔵入りになった経緯を調べていた著者は、県民健康管理調査の検討委員会のあり方に疑問を持ち、公表されていない「準備会」や、第3回以降は一般公開している検討委員会の直前に開かれていた「秘密会」の存在を突き止めます。

 その秘密会では、事前に検討委員会で問題となりそうな部分について、あらかじめ公表の仕方やその説明を決め、検討委員会では秘密会で決まったシナリオ通りに会議が進んでいました。
 例えば、2012年9月11日に開かれた検討委員会では、発見された甲状腺がんの患者について、「チェルノブイリでは最短4年で患者が見つかっており、今回の患者と原発事故の関連性は考えにくい」といった「答え」も秘密会で取り決められていました。

 さらに非公開だった第1回、第2回の検討委員会の議事録には削除された部分があり、調査の主体となる福島県側が大規模な調査に否定的だった様子も見えてきます。また、甲状腺検査を受けた母親が自分の子どもの診断画像を見たいといって情報公開請求をしたところ、不鮮明なコピーしか提供されなかったなど、とにかく情報を出すことに後ろ向きな福島県の姿勢が見えてきます。

 こうした検討委員会の隠蔽体質を暴いた著者の取材は見事だと思います。著者も言うように、県民健康管理調査こそ放射線の長期的な影響を網羅的に調べる唯一のものなのですから、ここでの議論や調査が歪められているとしたら取り返しの付かない大問題になります。

 著者は取材の矛先を検討委員会のメンバーである専門家、特に検討委員会の座長も勤めた山下俊一福島県立医科大学副学長に矛先が向かっています。
 「「御用学者」という侮蔑的な言葉は、福島第一原発事故以前にはそう一般的ではなかった。それが広く使われるようになったのは、不信の深層をわかりやすく象徴していると言えるのではないだろうか」(177ー178p)と書くように、専門家の姿勢を厳しく問い、最後には山下俊一氏に直接インタビューして疑問をぶつけています。

 もちろん、こうした専門家の姿勢というものも問われるべきなのでしょうが、個人的にはそれよりも福島県の姿勢についてもっと取材して欲しかったです。
 福島県には「県民の命と健康を守る」という立場があるわけですが、同時に農産物への風評被害、福島の復興を考える上では、できるだけ放射線の影響を小さく見せたいというインセンティブもはたらくわけですよね。
 この本では「福島市局の記者には自民党の県議から電話があり、「もうこの辺で(報道を)止めてほしい」とお願いしてきたという」(75p)という記述がありますが、こうしたムードの中で、しかも「福島県立医大」のメンバーが中心となれば、どうしても波風を立てないような運営になると思います。
 そういった県の抱える問題や、原発周辺自治体以外の福島県の空気のようなものを含めて書いてあると、もっと深く広い射程を持った本になったと思います。
 もっとも、この調査に関して本来国がやるべきものであり、それを福島県に任せてしまった国も非難されるべきでしょう。

福島原発事故 県民健康管理調査の闇 (岩波新書)
日野 行介
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坂井豊貴『マーケットデザイン』(ちくま新書) 7点

 2012年にロイド・シャプリートとアルビン・ロスがノーベル経済学賞を受賞したことによって注目を集めるマッチング理論、そしてオークションを分析することによって、「いかにして資源を効率的に分配する制度をつくり上げるか?」というマーケットデザインの世界を紹介した本。
 この本ではマーケットデザインを「経済学的ものづくり」という言葉で表していますが、これは経済学と数学の力を使って、「腎移植」、「学校選択」、「周波数の分配」といった難しい資源配分のシステムをつくり上げることができる、というところから来ています。

 例えば、腎移植。腎臓は2つあるため生体からの腎移植が可能ですが、移植のためには血液型が適合している人用があります(日本では免疫抑制剤の開発が進み、マッチしなくても移植が可能な場合も)。
 ですから、Aさんを助けようとXさんがドナーとして名乗りでても両者が適合しないというケースがありえます。一方で、同じく適合しないBさんとYさん、CさんとZさんという患者とドナーのペアがいたとき、この3組を上手く組み合わせれば、適合するマッチングを見つけ出すことができるかもしれません。
 こうしたマッチングを見つける最適なアルゴリズムを見つけ出したのが前述のアルビン・ロスと共同研究者のタイフン・ソンメツ、ウトゥク・ユンベルです。
 具体的なアルゴリズムはこの本を読んでいただくとして、「通常の売買以外の方法でいかに資源を適切に分配するか?」という問題がパズルを解くように手際よく解説されています。

 また、このマッチング理論は学校選択や婚活パーティーなどでも活用できます。
 婚活パーティーでは、たとえ一番いいと思っている相手がいたとしても、その人が人気であるならば最初から2番手、3番手を狙うということが起こると思います。つまり、カップルになるために自分の正直な気持ちを抑えて戦略的にふるまう人も出てくるのです。
 けれども、ここでも「受入保留方式」というマッチングの方法を使えば、下手な戦略を使う必要はありません。自分の気持に正直になればいいのです(ただし、この方式はプロポーズした側に有利。男性からプロポーズすれば男性陣に有利なマッチングになる)。

 このような下手な駆け引きに左右されないやり方を対戦略性を満たすといいます。
 この対戦略性はオークションにおいても重要なポイントで、この点で、一番高い価格の入札者が入れた価格で決まる第一価格オークションよりも、一番高い価格の入札者が次点の入札者の価格を支払う第二価格オークションのほうが優れていると著者は指摘しています。
 第一価格オークションでは、安い価格で落札するために自分の評価額よりも安い価格を入れる誘因がはたらきますが、第二価格オークションならば素直に自分の評価額を入れて問題がないからです。

 このようにこの本は経済学の新しい分野であるマーケットデザインについて、わかりやすく、そして読者の興味を引っ張るような形で紹介しています。
 Eテレでやっている「オイコノミア」をご覧の人はマッチング理論もオークションも安田洋祐氏がとりあげているので、本書の内容にはやや既視感のあるものかもしれませんが、内容は非常にわかりやすいですし、マーケットデザインの入門書としては十分なものだと思います。

 というわけで、ほんのレビューはここで終わりなのですが、この本が出している例で非常に引っかかったものがあったので紹介したいと思います。
 それは学生の部屋交換を取り扱った例です。1〜7番の7人の学生がそれぞれ住みたい部屋(1〜7)の希望を出してマッチングするというものなのですが、

 これ(1)よりも

1位2位3位4位5位6位7位

 
 こっち(2)のほうがいいそうです。


1位2位3位4位5位6位7位

 
 理由は、(1)だと1,3,4が全体から抜け駆けをして3人で部屋を交換する可能性があるから(このような抜け駆けの起こらない配分を強コア配分という)とのことなのですが、普通に考えれば(1)ですよね。例えば、功利主義者なら(1)を選ぶと思います。それぞれの「効用」を考えれば(1)のほうが明らかにいい状態でしょうから。
 ところが、比較しにくい「効用」よりも比較が可能だと思われている「選好」を重視する現代の経済学では最適配分として(2)を示す。これは、まさにダニエル・カーネマンが『ファスト&スロー』で示した、「理論の世界に住む架空の人種エコンと、現実の世界で行動するヒューマン」の違いを表した例だと思います。

* もちろんこれはこの本に対する批判ではなく、「選好」という概念を重視する現代の経済学に対する疑問です。


マーケットデザイン: 最先端の実用的な経済学 (ちくま新書)
坂井 豊貴
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久田将義『関東連合』(ちくま新書) 3点

 2012年9月にクラブで客が乱入してきた男たちに金属バットでめった打ちにされて殺された六本木フラワー事件。この事件の犯行グループとしてクローズアップされたのが「関東連合」という元暴走族の集団でした。そして2ちゃんねる等を見ている人はそれ以前にも折にふれて「関東連合」という名前を目にしたことがあったと思います。
 そんな「関東連合」の正体について、長年裏社会を取材してきた著者が迫った本。

 なのですが…、
 正直なところ、雑誌の記事レベルの話の集積で、わざわざ新書にまとめて、しかもちくま新書から出すような内容ではなかったですね。
 内容のほとんどが既存の報道と、匿名のインタビュー、明大中野出身の著者の周りにいた不良やチーマーの思い出話から成り立っていて、特に現在の「関東連合」の本質に迫るような確たる情報はなかったです。
 著者の思い出話にしても、もうちょっと年月日を明確にして、渋谷の変遷なり自分の周囲の不良たちの変遷を語ってくれれば、それなりに意味はあると思うのですが、その語りは散漫で、「同時代の証言」といったものではありません。

 また、事件名を「歌舞伎のプリンス殴打事件」、「元女優P覚せい剤事件」などとぼかしつつ、その後に引用するネット記事では「海老蔵」、「酒井」などと名前がそのままになっているのもどうかと思います。
 事件を紹介するときに被害者や加害者の氏名を出さないというのはひとつの見識ですが、これはそういうのではないですよね。たんに「事情に精通しているイメージ」を読者と共有したいだけの無意味な書き方で、雑誌ならともかく、5年10年と読み継がれる可能性もある書籍でこのような書き方をするのは事件をリアルタイムに知らない読者をいたずらに混乱させるだけだと思います(おそらくこの本は5年10年と読み継がれないでしょうが)。
 
 ただ、「関東連合の中心人物はチーマー上がりみたいな感じが多いのに、どうして関東連合という元暴走族集団ということになっているのか?」という疑問については、この本を読んである程度わかりました。
 80年代後半から90年代前半にかけてチーマーと呼ばれる若者たちが渋谷を中心にたむろしていたわけですが、1990年の「三茶抗争」と呼ばれる事件でこのチーマーたちと暴走族がトラブルを起こします。
 チーマー(当時の記事では渋カジ族)が暴走族のメンバーをアパートに監禁して重傷を負わせたこの事件は、井上三太の『TOKYO TRIBE』の元ネタにもなっている事件で、これをきっかけに暴走族とチーマーとの間に抗争が起こり、じょじょに暴走族がチーマーを駆逐、あるいは吸収する形で渋谷に進出していったそうです。
 ここから暴走族が渋谷などのクラブに勢力を伸ばすようになり、さらには暴対法によって暴力団の活動が制限される中、六本木や西麻布などの繁華街にも進出していったようです。

 また、70年代に結成された初代の「関東連合」が参議院議員迫水久常の秘書渡邉正次郎の声掛けがきっかけとなったという話は興味深かったです(この本では迫水久常について何も説明していませんが、迫水は終戦の時に内閣書記官長として終戦工作に関わり、戦後は右翼とも関わった人物)。

 もっとも、ためになったのはこの2点くらいですかね。
 企画としてはありだと思いますが、もっときちんとしたジャーナリストに書いてもらうべきだったと思います。

関東連合:六本木アウトローの正体 (ちくま新書)
久田将義
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山田篤美『真珠の世界史』(中公新書) 7点

 古来、真珠は高価な宝石で、貴重な交易品だった。『魏志倭人伝』は邪馬台国の大量の真珠について記し、マルコ・ポーロやコロンブスは日本の真珠に憧れた。 新大陸で新たな産地が発見されると、一大ブームが巻き起こる。そして二十世紀初め、価格を吊り上げていたカルティエやティファニーに衝撃を与えたのが、日 本の養殖真珠だった。こうして真珠王国日本が誕生する。本書は誰も書かなかった交易品としての真珠史である。
 本書の帯にこのような内容紹介が書かれています。ここには「魏志倭人伝」に「コロンブス」に「カルティエ」と、全く関連のない言葉が使われていますが、これが「真珠」によってつながってくるのがこの本の面白いところ。
 著者は大学の先生とかではないので、「グローバルヒストリー」というようなガッチリとした本ではないのですが、そのぶんとり上げられているエピソードは豊富で、真珠をめぐる人々の欲望と栄枯盛衰を見せてくれます。

 真珠にはさまざまな種類がありますが、丸くて美しいアコヤガイの真珠は取れる地域が限られていました。古代ヨーロッパでは真珠はアラビア半島と南インドの海域でしか取れないものとされ、古代ローマの博物学者プリニウスはその著書の『博物誌』の中で、宝石の第2位としてあげており(1位はダイヤモンド)、別の場所では貴重品の中でも第1位としてあげています(62ー63p)。
 天然真珠は、潜水夫がかなり深いところまで命がけで潜り、なおかつ獲ったアコヤガイに真珠があるという幸運に恵まれないと獲得できないという非常に貴重なものだったのです(直径が4ミリ以上ある真珠はアコヤガイ1万個の中に2〜3個あればいいほう(7p))。

 そんな中、大航海時代になるとコロンブスがベネズエラで真珠を発見し、ヨーロッパ人たちは真珠を求めてベネズエラに殺到します。そして、インディオたちを海に潜らせ真珠を獲りました。
 この過酷な労働でインディオたちは次々と斃れていき、真珠採取はカリブ地域でのインディオ絶滅の一つの要因となりました(85p)。
 また、こうしてもたらされた真珠はエリザベス1世をはじめとする各国の王族にも愛されました。

 一方、真珠の産地でありながら、それほど真珠が珍重されなかったのが日本です。
 『魏志倭人伝』の中には、倭の特産物として真珠があげられ、卑弥呼が魏の皇帝から「真珠五〇斤」をもらい、のちに壱与が「白珠五〇〇〇孔」を中国に献上しています。
 著者は中国から来た「真珠」を淡水真珠、日本から献上された「白珠」をアコヤ真珠と考えています。
 そして、著者は縄文後期の柊原(くぬぎばる)貝塚など鹿児島湾岸の遺跡からアコヤガイが出土していることに注目し、当時は九州が真珠の産地であり、それは「邪馬台国論争」で九州説を推す一つの材料になると考えています(33p)。
 このように、真珠は昔から日本人に身近なもので、遣唐使の朝貢品となったり、マルコ・ポーロが日本の真珠に言及したりといったことはあるのですが、日本人の関心は真珠から離れていくことになります。江戸時代には真珠は薬として飲まれたりしていました(153ー154p)。

 しかし、二〇世紀になるとそんな日本が真珠の世界を一変させることになります。
 一九世紀後半、南アフリカでのダイヤモンドの発見によってダイヤの価値が下落、それと入れ替わるように真珠の価格が高騰していきます。さらに「真珠王」ローゼンタールが史上の真珠を買い占め値を釣り上げたことで、欧米では「真珠バブル」ともいうべき現象が起きたのですが、このバブルを崩壊させたのが日本の養殖真珠です。
 
 御木本幸吉、貝瀬辰平、藤田昌世といった人々によって開発された、日本の養殖真珠は「ニセ真珠」と呼ばれつつも市場を席巻。真珠バブルを崩壊させ、真珠市場を混乱に陥れます。
 そんな中、真珠の救世主となったのがシャネルのリトル・ブラック・ドレスでした。シャネルのつくった黒のシンプルなドレスには真珠のネックレスがよく似合い、真珠の需要が復活。そして「ニセ真珠」とよばれた日本の養殖真珠がこの需要を埋めていくのです。

 戦後、焼け野原となった日本で貴重な外貨獲得のための輸出品となったのも養殖真珠でした。1960年には真珠の輸出額は100億円を突破、真珠は「輸出の王」とまで呼ばれました(232p)。
 しかし、この輸出の伸びは1967年にミニスカートの流行とともにストップします。真珠の似合わないポップなファッションの流行によって、真珠の輸出にブレーキが踏まれるのです。
 その後、バブル期に向けて国内向けの真珠の販売は伸びるものの、輸出は低調。さらにバブル崩壊後は海外の安い養殖真珠や、赤潮、真珠の病気などによって国内の真珠養殖は斜陽化していくことになるのです。

 このようにこの本では真珠をめぐる歴史のさまざまなエピソードを紹介しています。真珠の歴史は、日本の古代の姿を想像させるものでもありますし、ヨーロッパの海外進出を映し出す鏡でもありますし、日本の近代化について考えさせられるものでもあります。
 全体の中には著者の推理に頼っている部分もありますが、それを含めて真珠を通して歴史の面白さが見えてくる本です。

真珠の世界史 - 富と野望の五千年 (中公新書)
山田 篤美
4121022297

田中秀明『日本の財政』(中公新書) 7点

 財務省出身の学者さんの本なので、「日本の財政は危機的!」ってことを煽る本かと思ってスルーしようとしたのですが、本屋で手にとって見たら「予算の決め方そのものの問題点」について分析した本だったので読んでみました。
 実際、予算決定の枠組みだけではなく、政治体制や公務員制度も含めて国際比較を含む分析がしてあって、日本の予算制度の問題点が浮かび上がるような内容になっています。
 
 日本の巨額の財政赤字は問題として広く認識されていますが、ここまで赤字が積み上がった理由は何かと聞かれると、「バブル崩壊以降の不景気」、「無駄な公共事業」、「少子高齢化」など、さまざまな理由があがると思います。
 しかし、この本であげられているポイントは予算編成過程の「集権化」や「透明化」であり、また中期の財政財政フレーム、政治家のコミットメントなどです。

 例えば、「集権化」の問題については、「特に、政府部内・議会における意思決定が「分散化」、「断片化」すると財政赤字が拡大しやすい」と述べ、「日本の場合、予算編成に関しては、もともと首相の関与が弱く、また各省大臣に実質的な拒否権があるため、さまざまなレベルで断片化が生じている」(54p)としています。
 
 また、財政再建に成功した国と失敗した国をとりあげた第3章では、その成功の要因の一つとして「透明性」をあげ、129p〜132pで先進国において「透明性」と「対GDP比の純金融負債」の間に相関関係があることを示しています(透明性が低いほど純金融負債が高い)。
 
 その上で、第4章では日本の予算の問題点として、「定例化した赤字公債」、必ずしも世代間負担の原則に従っていない「建設公債」(独立行政法人の出資金にも使われている(146p)、「補正予算の多用」、「一般会計と特別会計間の操作」、「単なる見通しにすぎない中期財政フレーム」、「首相と財務相の権限の弱さ」、「執行面の軽視」などがあげられています。
 特に「執行面の軽視」で書かれている次の文章は、日本の予算に対する考え方の問題点をよく表していると思います。
 英米の財政当局の目標には、予算の効率化や公共サービスの費用対効果の改善が掲げられているのに対し、日本の財務省の目標は、あくまでも予算の適正な執行である。それは、予算とは、財務省が査定し、国会が議決した「正しい」ものだからである。正しい予算である以上、過不足があってはならないのだ。各省や独立行政法人の現場でしばしば聞くのは、「年度末までに予算は使い切れ」という指示である。これでは、予算を効率化できるわけがない。(177ー178p)

 確かに、この本を読む限り、日本のあまりに細かい予算の査定が逆に各省の予算節約に対する創意工夫を封じ込めている面があり、ある程度トップダウンで省庁ごとの予算の総額を決めつつ、その内訳に関してはある程度省庁に任せるようなやり方が良いように思えます。
 また、そのためには今は省庁ごとに分かれている公務員の採用・昇進のしくみも変えていったほうがいいというのもその通りでしょう。

 このように、やや整理しきれていない部分もあるのですが、読み応えのある本です。
 ただ、個人的には2つの点が疑問として残りました。

 1つ目は、予算をめぐる制度とプレーヤーをめぐる議論を展開していながら、政治制度についての言及がほとんどない点です。例えば、一院制と二院制、選挙の回数などの国際比較によって予算にも大きな影響が出そうなものですが、そういった分析はありません。個人的に日本の財政再建の大きねネックは参議院があることによる選挙の多さだと思っているので、そこは疑問として残りました。

 そして2つ目は景気についての言及がほとんどない点です。
 著者は財政再建に成功した国としてニュージーランド、オーストラリア、カナダ、スウェーデン、オランダをあげています(90年代から00年代半ばの評価・118p)。
 オーストラリアはさまざまな改革を行い、財政は97年から黒字に転換、それが2007年まで続くわけですが、このオーストラリアの経済成長率の推移のページを見てもわかるように、それをアシストしたのは間違いなく、資源高などに引っ張られたオーストラリア経済の成長ですよね。この本ではGDPの推移などは出てきませんが、日本のような低成長でも財政再建が果たせたとは思えません。

 著者は本書の「はじめに」の部分で財政赤字は「経済成長では解決できない」と言い切っていますが(根拠として上がっているのは、小泉改革とその後の好景気でも財政の改善はわずかにとどまったということ)、「経済成長だけでは解決できない」にしても、同時に「経済成長がなければ解決できない」問題でもあるでしょう。
 
 また、著者も述べるように財政再建に取り組むきっかけとなるのは、「財政赤字→経常収支の悪化→自国通貨の暴落→金利の高騰」といった一連の流れからなる経済危機ですが、日本にあるのは「財政赤字」だけなんですよね。
 このあたりが、例えば消費税増税に反対する経済学者が多い理由なのでしょう(著者は終章を読む限り、10%は当然で、15%もやむなし、といった意見)。

日本の財政 (中公新書)
田中 秀明
4121022289

佐佐木隆『言霊とは何か』(中公新書) 6点

 「言霊(ことだま)とは何か?」
 この本に引用されている『広辞苑』の「言霊」という言葉の説明は次の通りです。
 言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて、言葉通りの事象がもたらされると信じられた。

 この「言霊」という言葉は、『万葉集』にも登場しており、かなり古い時代から使われていた言葉です。また、「言霊」という言葉は用いられていなくても、「誰かが発した言葉によってその通りの現象が起きる」、「不適切な言葉を使ったために失敗する」といった、「言葉通りの事象がもたらされた」ケースは、『古事記』や『日本書紀』、『風土記』などに数多く見られます。
 この本では、そうした「言葉通りの事象がもたらされた」ケースを『古事記』や『日本書紀』、『風土記』などから集めてまとめた本。
 「言霊とは何か」というタイトルからすると、もっと「想像力豊かな古代史の謎解き」のようなものを期待する人もいるかもしれませんが、非常に手堅く、ある意味で地味な本です。

 基本的に「言葉通りの事象をもたらす」ことができるのは神です。
 例えば、この本の第一章では『常陸国風土記』に載っている富士山と筑波山の話がとり上げられています。祖先神が富士山にやってきて自分を泊めてくれるように頼んだところ、富士山は「物忌みだから」といって断った。そこで怒った祖先神は「お前の住んでいる山は、生きている限り、冬も夏も雪が降って霜が降り、寒さがつのって、人々は登れない。飲食物をお供えすることはあってはならない」と罵り、これが理由で富士山はいつも雪が降り積もり人びとが登ることが出来ないためにお供え物もない状態になったそうです。一方、筑波山は祖先神を受け入れて歓待したために、いつも多くの人が登って繁栄したということになっています(26ー28p)。
 まあ、最近の富士山のにぎわいを見ると祖先神の呪いの効力もなくなったかな?とも思いますけど、神が何らかの理由で呪いの言葉を発したために、そのものが呪われるというのは日本の神話ではよくあるパターンのようです。

 また、「不適切な発言で神を怒らせる」というパターンもあります。
 この代表例が日本武尊(ヤマトタケルノミコト)で、相模では船で上総に渡る前に「ここはなんと狭い海だ」と言って海神(わたつみ)を怒らせ、胆吹山(伊吹山)では大蛇に変身した山の神に対してそれを山の神の使いだと思い込み、使いならどうでもいいだろうと言い放ったところ、山で遭難しかけます(106ー117p)。
 
 この本では第二章に「国見・国讃め」という章がありますが、古代の人はその国(地域)を適切に褒めることこそが、その地の支配をスムーズに行うために必要なことだと考えていたようです。
 一方、不適切な発言を繰り返している日本武尊は武力でもって日本各地を平定していくことになります。このあたりは伝説とはいえ、何がしかの歴史的な事実を反映しているのかもしれません。
 ちなみにこの本の第7章でとり上げられていますが、日本武尊はもともと日本童男(ヤマトヲグナ)という名前で、「タケル」という名前は自らが殺した熊襲の川上梟帥(カワカノミタケル)から死の間際に献上された名前。日本武尊と「言葉の力」をめぐるエピソードは興味深いです。

 他にも、第六章の「偽りの夢合わせ」に出てくる、間違った「夢解き」によって運命を狂わされる伴大納言の話や、他人の夢を奪い取る『宇治拾遺物語』のエピソードの話なんかも面白いですね。
 全体を通じて、古代の日本人の「言葉」あるいは、その語源にもなっているとも言われる「事」に対する見方がうかがえる内容になっています。

 個人的に「言霊」が、その後の近世の国学者などに見出され、ある種の神秘主義へとつながっていった様子なども知りたかったですが、この本の守備範囲ではないですね。この本はあくまでも古代の文献の分析にとどまっています。

言霊とは何か - 古代日本人の信仰を読み解く (中公新書)
佐佐木 隆
4121022300
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名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
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