山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2022年03月

菅原琢『データ分析読解の技術』(中公新書ラクレ) 8点

 『世論の曲解』(光文社新書)で政治をめぐる世論調査や分析に鋭い批判を行なった著者によるデータ分析の入門書。
 ただし、例えば伊藤公一朗『データ分析の力』(光文社新書)が因果推論のさまざまな手法を紹介し、データ分析のツールを教える本だったのに対して、本書は世に出回っているデータ分析の問題点を指摘し、その読み解き方を教えるものとなります。
 その点では、本書はメディア・リテラシーの本でもあり、少し古い本になりますが谷岡一郎『「社会調査」のウソ』(文春新書)と同じ系譜にある本とも言えます。

 近年ではデータが重視される中で、マスメディアやネットにもさまざまなデータ分析が溢れていますが、これらの中には明らかにおかしいものもあれば、一見すると鋭いようでいて実は何かがおかしいものもあります。
 本書はそうした玉石混交のデータの洪水の中で、玉と石を見分ける手がかりを教えてくれます。まさに今の世の中に必要な本だと言えるでしょう。

 目次は以下の通り。
はじめに 怪しいデータ分析への処方箋
第1章 データ分析読解の基本、因果関係
第2章 怪しさを感じ取る糸口、議論と数字のズレ
第3章 結果論は分析ではない
第4章 データが歪めば結果も歪む
第5章 「分析したつもり」の落とし穴
第6章 幻の因果関係を生み出す交絡因子
第7章 散布図に潜む罠
第8章 偽の相関、逆の因果と叫べば勝ちではない

 第1章では因果関係を押さえることがとり上げられていますが、ここでまず陥りやすいのが原因を1つに求めてしまうことです。
 「原因→結果」という図式で考えると、原因と結果が一対一で対応しているように思えてしまいますが、現実ではさまざまな要因が組み合わさっています。

 本章では「ニュースにおいて交通事故が頻繁にとり上げられるようになったのはなぜか?」という問いが置かれています。
 「交通事故が珍しくなった」「ニュース番組の時間が長くなった」などの原因が浮かぶかもしれませんが、他にも「ハンディカメラやドライブレコーダーの普及で画がつくりやすくなった」「道路網の整備で画になりやすい事故が増えた」など、言われれば原因はいろいろと列挙できます。
 物事の原因を考えていく上で、しっくりくる原因が見つかったらといってそこで分析を止めるのではなく、そこからさらに思考を進めていくことが必要なのです。
 ですから、因果関係というよりは因果構造という言葉で捉えた方が適切だと言います。

 第2章では議論と数字のずれに焦点があわされています。
 本章でとり上げられているのは、秋田県の自殺率の高さなどに触れた記事で、「秋田県は人口10万人当たりの美容院の数が全国で1位。そのことからわかるのは、見栄っ張りでほかの地域よりも恥を感じやすい県民性だということです」(61p)というネット記事の一節です。
 「美容院の数が多い」=「見栄っ張り」というロジックには首をひねる人もいるかもしれませんが、「秋田美人」という言葉もある通り、「秋田県民は他県民よりもおしゃれ」くらいの理解をする人は多いと思います。

 ただし、「10万人当たりの美容院の数」の数の1位が秋田県、2位以下が徳島県、鳥取県、山形県とつづき、ワーストが神奈川県、千葉県、埼玉県、愛知県、東京都だということを知ると(62p表1参照)、この「10万人当たりの美容院の数」という数字に疑いを持つはずです。
 「これは「見栄っ張り」云々などではなくて、都市部と農村部の違いで、都市部だと数字が低く出ているのではないか?」と感じた人も多いでしょうが、本書はそこからさらになぜそのような数字が出てくるかのかということも解説しています。基本的に都市部の美容院の方が1つの店舗にいる美容師の数が多く、商圏も広いのです。

 こういったデータについては最大と最小を観察することで、その性格が見えてくるといいます。自分でデータ分析をするときは全体を見ることが必要ですが、例えば、今回の例では神奈川がワーストだとわかれば、「神奈川県民は見栄を張らない??」となるわけです。

 第3章では「苦しい」データ分析の誤りを具体的に指摘してく術が示されています。
 とり上げられている記事では、男性の未婚に関して地域によって「男余り」にばらつきがあり、20〜30代の「男余り」率は1位茨城県、2位栃木県・福島県、3位群馬県と北関東に集中していると指摘し、その原因は不明としています。

 「男余り」率というと「北関東の男性は魅力がないのか?」などと思っていますが、この「男余り」率なるものは「男性率」という単純なデータと強く相関しています(96p図1参照)。男が多いので未婚の男も多いのです。
 では、なぜ男が多いのか? 「男余り」率の第1位となった茨城県の市町村別のデータを見ると、男性率が高いのは1位が鹿嶋市で2位が日立市です。両市とも製造業が強い場所であり北関東は製造業が盛んなので「男余り」率が高いのです。

 先ほどあげた記事の著者(荒川和久)の後の記事ではこのことを指摘しており、別の記事では「生産工程従事者」や「運搬・清掃・包装等従事者」の未婚が多いことをあげ、「ガテン系」や「肉体労働系」は結婚しにくいということを示唆しています。
 
 しかし、これも誤解です。「生産工程従事者」や「運搬・清掃・包装等従事者」はそもそも男性が多いですし、各職種の年齢構成が若ければ未婚率も高く出ます。「生産工程従事者」の20〜30代の割合は比較的高く、結婚できないというよりも、結婚していない若い人が多いとも解釈できるのです。
 実際、製造業に従事する若者の未婚率は他の産業や職種に比べて高いわけではありません。

 「でも、製造業がさかんな北関東の未婚率は高いのでは?」と思った人もいるでしょうが、北関東の未婚の男性のすべてが製造業に従事しているわけではありません。余っている男性は、他の産業に従事している人かもしれないのです。

 また、「男余り」率なる指標は未婚率とは微妙に違った現れ方をするものであり、そもそも指標としてどうなのかという問題もあります。
 最後に指摘されていますが、男性の未婚率の強い影響を与えているのは正規か非正規かであり、「運搬・清掃・包装等従事者」で未婚が多いのはこれら職種で非正規の割合が高いからです。

 愛4章では「データの取り方」の問題が検討されています。
 大ヒットした『鬼滅の刃』、映画の『無限列車編』の公開に合わせて2020年10月26日発売号の『週刊少年ジャンプ』でキャラクターの人気投票が行われましたが、そこで禰豆子が11位と低い順位にとどまったことが話題となりました(1位は善逸、以下、義勇、無一郎、炭治郎)。
 それを受けて、禰豆子が不人気の理由がいろいろと考察されましたが、著者はここで忘れがちになるのが調査のタイミングだと言います。

 この人気投票の投票券は、2020年2月10日発売の『週刊少年ジャンプ』と単行本の19巻についていました。投票券の数はジャンプ本誌に1枚、単行本に2枚です。
 単行本は発売一月で200万部ほど売れており、投票の割合は単行本の投票券の方が多かったと考えられます。19巻は無限城での戦いが描かれている巻で童磨や黒死牟との戦いが中心になります。つまり禰豆子がほとんど活躍していない時期を描いた巻でした。
 一方、結果発表は連載が終了したあとだったので、禰豆子の存在感の薄さが意外に思えるわけです。

 選挙における出口調査をもとに「若い人は自民支持」的な結論を導き出すのも問題があります。出口調査を受けた人は選挙に投票に行った人であり、若者全体ではありません。若者の投票率の低さを考えれば、若い人ほど有権者全体の中で自民党に投票した人が少ないとも言えるのです。

 本章では、「神戸の病院に外来に訪れた患者に血液検査をしたところ約3%に新型コロナウイルスに感染したことを示す抗体があった。神戸市全体の性別や年齢の分布に合わせて計算すると、約2.7%にあたる約4万1000人に感染歴があったことになる」という研究とそれにもとづいた記事がとり上げられています。

 「病院に来る人ということで高齢者が多いのでは?」と思うかもしれませんが、このあたりについてはきちんと補正していあります。
 しかし、「病院に来る人」には体に不調の人が多いはずというデータは補正できていないとして(さすがに発熱外来の患者は除外してあるものの)、「補正できるデータ」と「補正できないデータ」について考察しています。
 ここの分析はかなり込み入っているので詳しくは本書をあたってください。

 第5章では「「分析したつもり」の落とし穴」と題し、データを分析したつもりでも空振りに終わってしまっているケースを指摘しています。
 最初にとり上げられているケースは「17年度の秋田県への移住者は177世帯314人で、過去最高だった16年度の137世帯293人を上回った」という記事です。
 数字だけをさらっと見ると「そうなのか」で終わるかもしれませんが、秋田県の人口が100万弱であることを知っていれば、あるいは都道府県のサイズ感を知っている人ならば、「少なすぎるのでは?」と思うでしょう。

 実はこの数字は、NPO秋田移住定住総合支援センターに登録して県外から移り住んだ人数なのです。ですから、ここには秋田の大学に進学した人や転勤で来た人などは入っていません。
 「移住者」と書くと単純にその地に引っ越してきた人全てを指すと考えてしまいますが、この数字は「登録移住者」という特殊な数字です。
 この登録移住者が移住者全体を反映するものであればこの数字にも意味がありますが、おそらくはそうではないでしょう。「地方創生」の一環として行われている政策ですので、年々知名度は上がっているはずであり、登録する人は年とともに増えている可能性があると考えられるからです。

 鳥取県も「移住者」は増えていますが、これも移住相談会などのイベント、各自治体や在京・在阪の窓口を通じて接触した「相談者」に限定した数字で、鳥取県の人口減少は止まっていません。
 結局、これらの数字は「地方創生」という旗印のもとに進められた政策のアリバイのためにつくられたようなものなのです。

 この章ではもう1つ、中選挙区制下の選挙において自民党で時点で落選した議員は次の選挙で強いうという「次点バネ」がとり上げられています。ここは著者の得意とする分野なので、ぜひ本書を読んでほしいのですが、ここでもデータの歪みに気づくことの重要性が指摘されています。

 1960〜90年の衆議院選挙において次点で落選した候補の次の選挙での当選確率は77.7%と最下位当選者の79.6%に迫っています(184p表2参照)。
 ただし、ここで抜け落ちているのが次点で負けて次に立候補しなかった、あるいは、自民党の公認を得られなかった候補者の存在です。次の選挙に自民党の公認でチャレンジした次点落選の候補者は、ある程度有望な候補者であり、その分、当選確率が押し上げられていると考えられるのです。

 さらに次点落選候補が当選するケースは80年、86年という自民党が大勝した選挙でよく観察されます。そして、これらの選挙の前の選挙(79年と83年)は自民党の候補者が数多く落選した選挙です。
 つまり、大敗→多くの落選者(次点落選も多い)から大勝→多くの当選者(前回次点で落選した候補者も当選)という選挙全体の流れにも影響を受けています。
 前回落選した政治家が数多く復活当選を果たすと、そこに何か理由やストーリーを読み込みたくなりますが、「平均への回帰」で説明できたりするのです。

 第6章は交絡因子について。ある2つのデータの相関関係に別の要因が絡んでいるケースです。
 例えば、男性の所得と頭髪の薄さが相関しているとして(髪が薄いほど所得が高い)、ここに年齢という要素が絡んでいることを想像することは容易だと思います。一般的に年齢に伴って所得が上がることが多いからです。この場合の年齢を交絡因子と言います。

 ここでは仕事の有無と再犯率についての記事がとり上げられています。保護観察を終えた人を調査したところ、「再犯率は仕事に就いている人が約7%、無職は約30%に上った」(223p)というのです。
 さらっと読めば納得してしまうような因果関係(「仕事の有無」→「再犯率」)ですが、ここにも交絡因子が隠れている可能性はあります。

 まず、出所者が就職できるかできないかは出所者の年齢に左右されそうです。若者は就職がしやすく、高齢者は就職が決まりにくいでしょう。そして、高齢者ほど今までの生き方を変えにくいかもしれません。 
 他にも、もともとも規範意識や素行、犯罪欲といったものが影響している可能性もあります。「素行が悪い→面接で断られ、再犯」、「そもそも出所後も犯罪をしたいと思っている→就職活動をしない」という関係も考えられるからです。

 こうした交絡因子を見つけるコツとして、「2つの因果構造を考える」(このケースだと就職率が何に影響するかを考える)、「逆方向の因果関係で捉えてみる」(このケースだと再犯しそうかどうかが就職率に影響を与えるという関係)、「逆算して考える」(このケースだと想定される因果関係(「仕事の有無」→「再犯率」)をないものとして考える)の3つをあげています。

 第7章は「散布図に潜む罠」と題して、散布図を見ながら偽の相関関係を見破る術を教えてくれています。
 まず、偽の相関関係が出現しやすいパターンが時系列のデータです。例えば、日本の高齢化率と東京の年平均気温を時系列で並べるときれいに相関しますが(241p図1参照)、これは高齢化率も年平均気温も年々上昇傾向にあるというだけです。

 2つ目のパターンが地域別集計データです。ここでは2013年の参院選の共産党の候補者において、リツート数が多かった候補の得票数が多かったという記事がとり上げられています。「ネットをうまく使った候補者が当選した」という筋書きです。
 246p図2の散布図を見ると確かにリツイート数と得票数には相関関係があるのですが、参院選の選挙区は都道府県単位であり、有権者数も定数は都道府県によって違います。
 各都道府県に大体同じくらいの割合で共産党支持者がいると仮定すれば、共産党の得票数は都市部で多く、地方で少なくなるでしょう。また、フォロワー数も支持者が候補者をフォローすると考えれば、都市部の候補者で多く、地方では少なくなるでしょう。
 そして、共産党が議席獲得のチャンスがあるとして力を入れるのも都市部の選挙区です。

 こうした要因から、都市部では得票数も多いし、フォロワー数も多いでのリツイート数も多くなると推定されます。
 日本の都道府県は人口のばらつきが非常に大きいために、都道府県別データなどは間違った相関を生み出しやすいのです。
 ちなみに本章の後半では、共産党の比例候補の立て方などを考慮に入れてより踏み込んだ分析も行っています。

 第8章は「偽の相関、逆の因果と叫べば勝ちではない」と題されています。
 「新聞を読むと国語の成績がよくなる」と聞けば、ちょっと頭の回る人であれば「それは家が金持ちだと新聞も購読するし、成績もいいということだろう」、「新聞を読むから成績がよくなるのではなく、成績がいいから新聞が読めるので因果関係が逆ではないのか」と考える人もいると思います。実際、著者が架空の「論破」記事を書いています。

 もちろん、親の所得と子どもの成績は相関しているのですが、親の所得は子どもの通塾などさまざまな経路で成績に関わっていると考えられます。親の所得→読書経験→新聞購読→成績上昇という経路も考えられはします。
 また、「成績がよい→新聞購読」という関係があるとしても「新聞購読→成績がよい」という因果関係がないとは言えないのです。

 このように本書はデータ分析におけるさまざまな陥穽を指摘しています。扱っている分析事例にはやや難しく感じるものもあるかもしれませんが、かなり丁寧にステップを踏んで問題点を指摘してくれているので、統計などに親しんでいない人にも問題点がわかるようになっています。
 エビデンスの必要性が叫ばれていますが、同時にその「エビデンス」が本当にエビデンスなのかを見抜く眼も必要になります。本書はそういった眼を鍛えてくれる本です。


筒井清輝『人権と国家』(岩波新書) 7点

 副題は「理念の力と国際政治の現実」。「国際政治」とあるように、本書が取り扱うのは国際政治における「人権」が中心になります。
 近年、中国の新疆ウイグル自治区での人権侵害が問題となり、新疆ウイグル自治区でつくられたコットンを利用する企業が批判されたり、ミャンマーのクーデタでも「人権」をキーワードに批判が行われたり、人権侵害を告発する声は高まっています。
 一方、新疆ウイグル自治区の問題でも、アメリカのグアンタナモ収容所でも、告発が行われたからといって有効な制裁が行われるわけではないという問題もあります。
 
 本書は、こうした国際社会における「人権」に関して、その歴史を辿りつつ、いかなる役割を果たしたのか? その限界はどこにあるのか? といった問題を論じたものになります。
 国際社会における人権というと、何か偽善的な印象を持っている人もいるかもしれませんが、本書を読むと、それがタテマエであっても人権が果たしてきた役割というのがあったこともわかると思います。

 目次は以下の通り。
第1章 普遍的人権のルーツ(18世紀から20世紀半ばまで)――普遍性原理の発展史
第2章 国家の計算違い(1940年代から1980年代まで)――内政干渉肯定の原理の確立
第3章 国際人権の実効性(1990年代以降)――理念と現実の距離
第4章 国際人権と日本の歩み――人権運動と人権外交

 まず、本書は人権のルーツから説き起こしています。
 人権のルーツというと、ホッブズやロックの提唱した自然権に求められることが多いですが、本書ではそれとともに、他者への共感というポイントを重視しています。
 ホッブズやロックの社会契約論では、国家がその構成員の自然権を保護するという形になり、その社会集団の外側にいる人々の権利についてまでは保護しようとしません。
 ヨーロッパで発展した主権国家体制は内政不干渉の原則を持っており、自国以外の人々の権利についてはとりあえず不問に付されていました。

 こうした壁を乗り越えていくことになったのが他集団の人々への共感です。
 リン・ハントは『人権を創造する』の中で、啓蒙主義時代に流行した書簡体小説が読者と登場人物の一体化を促して、それが階級や性別を超えた共感を可能にしたという議論を行いましたが、こうした共感は普遍的な人権が広がっていく一つのきっかけとなりました。

 18世紀後半からは奴隷貿易廃止運動が盛り上がります。イギリスではクエーカー教徒などを中心にして運動が繰り広げられ、1807年には奴隷貿易廃止法が制定されました。
 イギリスが奴隷貿易廃止という理念にコミットし多国籍の奴隷船も取り締まったことから、漸進的に奴隷貿易は廃止されていくことになります。

 労働運動も国際的な人権意識を高めることにつながりました。労働運動は国を超えた労働者の団結を訴え、共産主義や社会主義の広がりを恐れた国々は1919年に国際労働機関(ILO)をつくりました。このILOが多くの法的拘束力を持つ条約を採択していくことになります。
 19世紀には、戦争の悲惨さを受けて赤十字が設立され、ギリシャやブルガリアの独立運動ではオスマン帝国の残虐な行為に非難が集まり英仏露などが介入しました。フランスでのドレフュス事件も国際的な人権問題として注目された例と言えます。

 しかし、こうした共感も植民地の人々や違う人種にはなかなか届きませんでした。民族自決権の考えは広がりましたが、これも基本的にはヨーロッパのみに当てはまる原則でした。
 第一次世界大戦後につくられた国際連盟の国際連盟規約には「人権」という文字は一度も登場せず、普遍的な人権という考えはまだ国際政治で重要な位置を占めることはありませんでした。

 1930年代になると人々の共感を集める手段として写真が登場します。貧困や人権侵害の被害者の写真が人々の共感を呼び起こしました。
 こうした中で起こった第二次世界大戦では、連合軍は自由と人権を守ることを掲げて戦いました。また、大戦終結近くになって知られるようになったホロコーストの悲惨さは、国家主権を超えた人権保護の重要性を人々に認識させました。
 こうした中で生まれた国際連合憲章では、人権が明記され、普遍的な人権を守ることが恒久平和につながるという認識が打ち出されることになります。
 1946年には国連人権委員会が設立され、48年には世界人権宣言が採択されました。普遍的人権の重要性は国際社会でも認識されるようになったのです。

 世界人権宣言が採択されたといっても内政不干渉の原則は強力でした。また、国連人権委員会にアメリカ代表として参加していたエレノア・ローズベルトのもとには、世界人権宣言を法的拘束力をもたない宣言にとどめるべきべしとの指令も届いていました。
 一方、一歩踏み込んだのが世界人権宣言の前日に採択されたジェノサイド条約です。この条約はホロコーストのような民族や人種の抹殺行為を禁止するもので、参加国に対してジェノサイド防止のための行動を求めています。

 また、この時期に国連で国際的な人権問題としてとり上げられたのが南アフリカのアパルトヘイトです。1946年にインドが南アに住みインド人が差別的な扱いを受けていることを非難する決議を提案し、これが総会で可決されます。その後も、南アは締め出しやボイコットを受け、国際社会で孤立していくこととなりました。
 60年代にアフリカの国々が独立していくと、民族自決権などを求める動きも強まり、1966年の国際人権規約では民族自決権が盛り込まれます。さらに65年には人種差別撤廃条約が採択され、76年にはアパルトヘイト撤廃条約が採択されるなど、人種差別を許さないという風潮が強まります。

 国際人権規約に関しては、ソ連と東欧諸国が推す経済権や社会権がA規約に、アメリカなどの西側諸国が推す政治権・市民権がB規約としてまとまり、1976年に必要な国の数の批准を得て発効しました。
 国際人権規約のB規約には2つの選択議定書があり、第一選択議定書では個人が直接、規約人権委員会に通報できるようにもなっています(第二選択議定書では死刑の廃止を盛り込んでいる)。

 70年代以降、国連は女性差別撤廃条約、拷問等禁止条約、子どもの権利条約、移住労働者権利条約、障害者権利条約、強制失踪防止条約と、監視機関付きの人権条約を生み出してきました。
 監視機関では締約国からの報告書が審査され、各国の代表に対して突っ込んだ質問がなされます。さらにこれらの審査は一定の期間をおいて定期的になされ、締約国に対するプレッシャーとなります。
 これらの活動には限界もありますが、内政への干渉を前提とした仕組みになっており、内政不干渉の原則から一歩踏み込んだものとなっています。

 こうした人権に関する条約は冷戦のもとでは所詮タテマエのように扱われることもありました。国際人権規約はアフリカ・アジア・ラテンアメリカ・東欧など、必ずしも人権や民主主義を重視していないと思われる国で先行して批准んされましたが、これはこうした国々が独裁者や政府の一存で批准できたからです。
 こうした国々は外からの批判に対して、人権条約に入っていることでその批判を受け流そうとした面もあるのですが、冷戦後に人権監視のシステムが機能するようになったからといって今さら抜けるわけにもいきません。
 著者は、このように独裁国家などが人権に付き合わざるを得なくなった状況を「空虚な約束のパラドックス」(84p)と名付けています。

 また、冷戦期にはソ連がアメリカにおける人種差別を批判し、アメリカはソ連の批判を封じるためにも国内の人種問題に取り組まざるを得なくなりました。

 現在も活躍している人権NGOがつくられたのも冷戦下になります。アムネスティー・インターナショナルは1961年にポルトガルの軍政下で学生は「自由に乾杯」と言っただけで逮捕された記事を読んだ弁護士のピーター・べネンソンによってつくられました。77年にはノーベル平和賞を受賞しています。
 ヒューマン・ライツ・ウォッチは78年のヘルシンキ合意の履行を確認するためにつくられたヘルシンキ・ウォッチをもとに、アメリカやアジア、アフリカなど各地のウォッチがつくられ、それが統合されて88年にヒューマン・ライツ・ウォッチとなっています。

 冷戦が終結し90年代に入ると、国連に対する期待も高まってくるわけですが、国連はその期待に十分に応えられたわけではありませんでした。
 89年の天安門事件に関連して、国連人権委員会では中国を非難する決議が何度か出されましたがいずれも否決され、しだいに経済制裁も緩んでいきます。
 ユーゴスラビア紛争においても、国連はスレブレニツァの虐殺などを止めることができませんでした。しかし、93年に国連安全保障理事会の決議によって旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷が設置されるなど、戦争犯罪やジェノサイドのなどの人権侵害を行った個人を処罰する仕組みをつくりました。

 ルワンダのジェノサイドに関しても国連の行動は遅れました。虐殺がほぼ収束してから、ルワンダ国際戦犯法廷が設置されましたが、虐殺の抑止という点からは遅かったと言えます。
 一方、東ティモール独立をめぐる混乱に対しては、オーストラリアがこの問題にコミットし、安保理の決議を取り付けて自軍を派遣したことから、大規模な暴力行為を防ぐことに成功しています。

 2001年の9.11テロはアフガニスタンやイラクでの戦争へとつながっていきますが、その中でグアンタナモ収容所やイラクのアブグレイブ刑務所などでのアメリカによる人権侵害が問題となりました。この中で水責めや感覚遮断といった体に傷を残さない拷問が「強化された尋問技術」(124p)として正当化されました。
 オバマ大統領によってこの「強化された尋問技術」の正当化は取り下げられましたが、グアンタナモ収容所の閉鎖はできませんでした。

 2002年には国際刑事裁判所が発足します。大規模な人権侵害の加害者個人を罰するための常設的な組織になります。
 ただし、この国際刑事裁判所のつくる規約であるローマ規約は、アメリカ・ロシア・中国といった常任理事国は批准していません(アメリカはクリントン政権が署名するも批准に至らず)。
 2016年にグルジアのケースがとり上げられるまで、アフリカ諸国の案件ばかりだったことから反アフリカ差別があるとの声もあがりましたが、その後はフィリピンやベネズエラ、パレスチナなどの案件もとり上げられています。

 このような大きな動き以外でも人権擁護の取り組みはなされています。
 欧州では欧州人権裁判所が加盟国の最高裁を超えるような権限で影響力を発揮しており、また、国際機関の出資条件や国際貿易協定に人権条項が盛り込まれることも多く、人権問題に取り組むインセンティブを与えています。

 著者は、国際人権の影響力は人々の人権に対する考えを変えることにあるといいます。普遍的な人権が国際社会で認識されることによって、国内の状況をおかしいと気付かせ、変化のために立ち上がる力を生み出すというのです。

 ただし、規範の外から押し付けのようなかたちになってしまってうまくいかないケースもあります。女性機の一部を切除するフィーメル・ジェニタル・ミューティレーション(FGM)に対する撤廃運動は、アフリカでは新帝国主義と批判され、必ずしもうまくいきませんでした。現地の文化を否定するのではなく、内部からその変化を促すような姿勢が必要だといいます。

 また、企業が人権問題に直面するようになったのも近年の特徴です。ナイキが直面したスウェットショップの問題や大企業のサプライチェーンにおける劣悪な労働条件や児童労働など、企業が批判の矢面に立たされることも多くなっています。
 当初は企業は関係を否定したりすることが多かったですが、国家が次第に人権に真剣に取り組まざるを得なくなったのと同じように、企業も次第に人権問題に率先して取り組むようになりつつあります。

 最後の第4章では、日本と人権の関わりについて触れられています。
 日本では明治期に啓蒙思想とともに人権の考えが輸入され、大正デモクラシー期には労働運動、女性解放運動、被差別部落の解放運動が盛んになりました。
 また、第一次世界大戦後のパリ講和会議では人種平等原則を提案しますが、アメリカやイギリス、オーストラリアなどの反対によって実現しませんでした。この挫折はアジア主義を勢いづけ、欧米からの干渉を排除する姿勢にもつながっていきました。

 1979年に日本は国際人権規約を批准し、監視機関からの監視も受けることになります。日本が継続的に批判を受けたのは、代用監獄や死刑制度なの司法問題、難民認定や移民制度、人身取引、女性差別、国内人権機構の設立の問題などです。
 
 国際的な人権意識の高まりが国内問題に大きな影響を与えた例として、本書ではアイヌの問題と、在日コリアンの指紋押捺拒否運動がとり上げられています。
 アイヌに関しては、1946年に北海道アイヌ協会が誕生しますが、政府の支援の受け皿的な存在で積極的な主張はありませんでした。しかし、70年代からの海外のマイノリティのとの交流や、86年の中曽根首相の「単一民族国家」発言などをきっかけに、積極的に国際的な場での主張を始めます。
 これを受けて、政府は91年の規約人権委員会への報告書でアイヌをマイノリティーとして認め、08年にはアイヌを先住民族だと認める国会決議がなされます。。
 
 指紋押捺拒否も80年に韓宗碩(ハンジョンソク)が最初に行いましたが、拒否に踏み切った理由として79年に日本が国際人権規約を批准したことをあげています。こうした流れの中で、他の在日コリアンの中からも指紋押捺拒否が始まり、韓国政府や各地のコリアン・コミュニティーと連携しながら運動を進め、93年に在日コリアンに対する指紋押捺は全廃されました。

 歴史認識問題でも、近年では歴史的な正当性といった形ではなく、人権問題として認識される傾向が高まっています。慰安婦問題などは、まさにこうした人権問題として扱われるようになった代表例と言えるでしょう。

 今までの日本は、他国の人権侵害に対する追及で厳しい態度をとってきませんでした。欧米とは一線を画する対話路線をとることが多かったと言えます。
 しかし、第2次安倍政権が価値観外交を唱えるなど、日本の外交においても価値観にコミットする姿勢が強まっています。日本版のマグニツキー法(人権侵害に関与した政府関係者の個人資産を凍結したりする法)の制定など、さまざまな課題が浮上しており、人権を意識した外交や政治がより必要になってきていると言えます。

 このように本書は国際人権の歩みを見ていくことで、「人権なんてタテマエ」といった見方を丁寧に批判していくような内容になっています。
 もちろん米中ロのような大国に人権を守らせる手段というのはなかなかないわけですが、広い目で見れば人権に対する意識の高まりや、人権を守ろうとする国家や人々の行動が、世界を少しずつ変えているというのは事実でしょう。
 
 ただ、本書では「日本ももっと「人権力」を持つべきだ」という主張していますが、ロシアのウクライナ侵攻で人権をめぐって究極的な選択が突きつけられている状況を考えると、「人権力」というネーミングは個人的にはやや軽く思えてしまいます(あくまでもネーミングの問題なのですが)。


鈴木穰『厚労省』(新潮新書) 6点

 昨年、中公新書から青木栄一『文部科学省』が出版されましたが、今度は新潮新書から『厚労省』が出ました。『文部科学省』が政治学者によるものでアカデミックな路線だったのに対して、こちらは東京新聞・中日新聞の論説委員によるもので、今までの取材の経験を活かしたジャーナリスティックな路線になります。
 厚生労働省は、国家予算の1/3近くを使い、3万人を超える職員が働く巨大官庁です。その仕事は多岐にわたり、さらに国民生活に密接に関わっているだけに非常に重要です。しかし、一方でそれが故に不祥事や機能不全が目立ってしまうという面もあるでしょう。
 本書はそんな厚労省の全体像をスケッチするとともに、各種審議会のあり方なのにも触れ、外野からは受け身に見える厚労省の政策決定過程がよくわかるようになっています。
 何か斬新な視点が打ち出されているわけではありませんが、厚労省の全体像を把握するにはちょうどよい本ではないでしょうか。

 目次は以下の通り。
第1章 歴史は繰り返す
第2章 使うカネも組織も巨大
第3章 政策はどう決まる
第4章 史上最長政権と厚労省
第5章 なくならない不祥事
第6章 人生を支える社会保障制度

 厚生省が設立されたのは盧溝橋事件の翌年となる1938年です。陸軍は当時の若者の体力の低下と結核の蔓延に危機感を持っており、戦争遂行と兵士の確保のためにも国民の健康を守るための期間が必要だと考えられたのです(このあたりの経緯は高岡裕之『総力戦体制と「福祉国家」』に詳しい)。
 当初は「社会保健省」「保健社会省」といった名称が考えられますが、「社会」が「社会主義」を連想させるという意見が枢密院から出て、中国の古典の「書経」にある「厚生」という言葉が使われることとなりました。また、母胎となったのは内務省です。

 また、戦時体制における生産力増強の必要もあって厚生省に労働局が置かれ、これが戦後の1947年に労働省として独立することになります。
 そして、2001年の省庁再編で再び厚生省と労働省が統合されて厚生労働省となったのです。

 2021年度の一般会計の歳出は106兆6097億円、そのうち社会保障費は35兆8421億円と割合にして33.6%を占めるわけですが、さらに保険料などから投入される社会保障の給付費の合計は20年度の予算で126兆8000億円で、一般会計の予算規模を超えています。
 厚労省が関わるお金というのはこれほど巨額のものなのです。

 ただし、年金や医療分野はすでに使い道が決まっているお金で、厚労省が自由に使えるお金は少ないです。以前は厚労省の官僚が新たな政策を考え予算を使えるのは水道事業くらいだと言われたそうですが、今は国が行う水道事業の割合は小さくなっています。
 また、特別会計として、年金特別会計71兆2855億円、労働保険特別会計(雇用保険と労災保険を管理)4兆9202億円(いずれも21年度予算)を管理しています。

 厚労省の管轄する分野は広く、国民の生活にも関わることが多いために、厚労相の国会での答弁回数は他の大臣よりも頭抜けて多くなっています。2018年の国会で、大臣、副大臣、政務官、政府参考人の合計答弁数は厚労省が8327回で断トツのトップです(2位は国交省の4280回(36p))。
 そのため国会のあるときには分野ごとの課長が毎朝5時に集まり、8時45分まで大臣レクを行います。終わらないときは昼休みもつづくそうです。
 レクをするためには国会に入る入館証が必要ですが、厚労省ではこの不足にも悩まされているそうです。

 厚労省には13の局があり、大きく厚生系と労働系に分かれます。
 厚生系は、保険局(医療保険)、医政局(医療提供体制の確保)、健康局(ガンや難病、感染症などへの対策など)、医薬・生活衛生局(医薬品のチェック、食品衛生、理容・美容店・公衆浴場などの管理)、年金局(年金)、老健局(介護保険)、社会・援護局(生活保護、障害者福祉、戦傷病者や戦没者遺族の援護政策)になります。
 労働系は労働基準局(労働基準法を所管、労災保険、最低賃金など)、職業安定局(ハローワーク)、雇用環境・均等局(女性や非正規の待遇改善、ワーク・ライフ・バランスなど)、子ども家庭局(保育所整備、虐待防止など)になります。
 これに省全体の政策調整、白書の作成、中長期の政策立案などを行う政策統括官、公的な職業訓練や技能検定の実施、能力開発などを行う人材開発統括官という部局があり、全部で13局の構成となっています。

 また、厚労省の組織の特徴としては事務次官の他に厚生労働審議官と医務技監という次官級のポジションがあるところです。厚生労働審議官については厚生系の人材が事務次官になると、旧労働系の次官候補はこのポジションに就くことが多いそうです。

 各省庁別の一般職の職員数だと、厚労相は3万1518人で、国税庁、法務省、国土交通省についで第4位になります。約4000人が中央の霞が関におり、それ以外は地方の厚生局や労働局、検疫所、ハンセン病療養所などにいます。
 他の省庁と同じく厚労省もキャリアとノンキャリアから構成されています。出世していくのはキャリアが中心ですが、数年で異動を続けるキャリアに比べて、ノンキャリは1つの職場にとどまることが多く、年金などの複雑な制度に関してはノンキャリアの知識が必要になります。

 2020年7月時点で女性職員の割合は28.5%、管理職の課室長相当職では9.1%となっています。女性の働き方を支える政策を担う厚労省ですが、官庁の中でのこの数字は中位になります。
 ただし、旧労働省時代には松原亘子が、2013年には冤罪事件に巻き込まれた村木厚子が事務次官になっています。

 「ブラックな職場」として知られるようになった霞が関ですが、特に厚労省は長時間労働がひどく、霞が関の本省では月80時間以上100時間未満の超過勤務が1ヶ月以上続いた職員は1279人、月100時間以上が1ヶ月以上続いた職員が555人と、約4000人のうち半数近くが過重労働となっています。
 しかも、上記にあてはまる職員の半数近くは4〜5ヶ月にわたって超過勤務が続いていたといいます(72p)。
 忙しさの原因は、人手不足、不祥事などへの対応、国会対応といったもので、特に国会対応の負担を訴える職員が多いそうです。

 厚労省の他の官庁との違いの1つに専門職の多さがあります。医師や歯科医師の資格を持つ医系技官、看護師資格のある看護系技官、薬剤師資格や化学・生物分野の専門知識を持つ薬系技官、獣医師の資格を持つ獣医系技官もいます。
 これらの技官の多くは通常の試験とは違うルートで採用されており、医系技官だと現場経験をつんだ人物を採用しており、勤務時間外の診療業務も認められています。ちなみに64年の東京オリンピックのときに都知事だった東龍太郎や新型コロナウイルス感染症対策分科会長の尾身茂が医系技官の出身です。

 ただし、近年はこの技官の確保が難しくなっています。特に医系技官は民間に対してどうしても収入面で見劣りします。2017年に新設された医務技監は医系技官を処遇するためのポストと言えるでしょう。
 
 他に厚労省の中の独自の職種としてあるのが、労働基準監督官と麻薬取締官です。どちらも逮捕・送検ができる司法警察職員になります。
 そのため労働基準監督署には取調室もあります。また、違反企業への立ち入り調査も可能で、2015年に電通で高橋まつりさんが過労自死した際には、東京労働局と三田労働基準監督署が電通の本社と支社に一斉に立ち入り調査に入りました。現在、労働基準監督官は3000人ほどいます。
 麻薬取締官は、近年では芸能人の逮捕なども行っています。そのために尾行や張り込みなども行います。2020年度で人員は295人です。
 
 ここでまで厚労省の組織についてですが、第3章では厚労省の政策決定過程が述べられています。
 厚労省の扱う分野は国民生活に直結し利害関係者も多いために、審議会に諮問してそこでの合意形成を通じて練り上げられるものが多いです。
 年金でも医療でも、多くは審議会にかけられた上で法案として国会に提出されるのです。

 例えば、年金は社会保障審議会の年金部会で審議されます。こうした審議会に注目が集まるのは大きな改正などがあるときですし、多くは厚労省の意向を受けた上で審議がなされるのですが、ガチンコの議論がなされるのが中央社会保険医療協議会(中医協)です。
 中医協は診療報酬の配分を決めるのですが、これは医師の報酬や、健康保険組合の財政に直結します。そこで公益委員の他に、報酬を払う側の健康保険組合連合会などと、報酬を受け取る側の日本医師会、日本歯科医師会、日本薬剤師会などが激しい議論を行うのです。
 ただし、2004年に中医協の委員が日本歯科医師会幹部から贈賄を受けた事件を受けて、診療報酬の改定率は内閣が決め、中医協がその中で診療報酬を決める形になりました。

 労働系の審議会も基本的には労使が対立するケースが多いです。労使間の問題は経営側、労働側、公益側の「三者構成」がルールとなっており、近年では「高度プロフェッショナル制度」をめぐって労使が対立しました。安倍政権は労働側を懐柔するために、残業時間の上限規制を抱き合わせの形にして法案提出を了承させています。
 しかし、2013年に設置された「一般用医薬品のインターネット販売等の新たなルールに関する検討会」では。慎重派の医療側と推進派のネット販売会社が真っ向から対立し、結論が先送りされました。

 2013年の生活保護基準部会では、保護費約90億円の減額を提示したものの、政府からの圧力を受けた厚労省が減額幅を580億円に拡大して、部会の意向が無視されるといったことも起こっています。
 2021年の感染症部会では、新型コロナウイルス対策の強化のために、入院等を拒んだ感染者に刑事罰を科す改正案が諮問されて「おおむね了承」となりましたが、出席した18名のうち罰則に賛成したのは3名だけで、8名が反対あるいは懸念を表明していた事例もありました。ちなみにこの改正案は国会審議の中で刑事罰から行政罰に変更されています。

 法案提出のための大きな関門が与党の了承です。特に社会保障の負担を増やす政策は選挙を控えた政治家には嫌われます。また、自民党にはいわゆる「族議員」もいて、ときには彼らも厄介な存在です。
 自民党の部会では、ときにわざと外に聞こえるような大きな声で法案への批判や持論をぶつける議員がいます。これは廊下の外で待機している記者たちに聞こえるようにするためだといいます。

 予算増を伴う政策では財務省が大きな壁となります。社会保障費はそもそもの額が巨額であり、これを抑制することは財務省の重要事項です。そのため、予算を査定する主計官は他の省庁が1人なのに対して厚労省担当は2人います。医療・介護担当の第1担当と、年金・労働担当の第2担当です。
 2012年度の診療報酬の改訂では、小宮山厚労相と安住財務相の間で+0.004%という数字で決着しましたが、厚労省はプラス改定を勝ち取る一方で、小数点二桁より下は四捨五入するというルールを持つ財務省からすると据え置きを勝ち取ったという形です。

 厚労省が政策を進めていく手段としては法改正意外にも、政令、省令・施行規則、通知・事務連絡といったものがあります。
 特に通知・事務連絡は省庁の裁量で出さるので小回りがききます。新型コロナウイルス対策では介護業者にさまざまな事務連絡を出し、それがうまくいった面もありますが、現場からはその量の多さに悲鳴も出たそうです。

 第4章では安倍政権下における厚労省について語られています。
 安倍政権の看板政策は「女性活躍」「一億総活躍社会」「働き方改革」「幼児教育・保育無償化」など厚労省の管轄する分野が多く、しかも「3年子ども抱っこし放題」「介護離職ゼロ」などのキーワードが打ち上げられるケースも多く、厚労省は既存の政策といかに接続するかということに苦労しました。
 一方で、「幼児教育・保育無償化」や「働き方改革」といった政策は官邸主導だからこそ進んだ政策でもあり、「働き方改革」では経産省出身の新原浩郎らがその推進力となりました。

 第5章では厚労省の不祥事がまとめられています(このあたりの構成が新潮新書っぽいか)。
 まず、とり上げられているのが薬害エイズ問題で、その反省から原因が必ずしも確定していなくても規制を行っていく「予防原則」へと切り替えていったといいます。
 01年のBSEにおける動物性飼料を与えられた国産牛の出荷停止や、96年のO157による集団食中毒事件で、「かいわれ大根が疑われる」と公表したのがその例です。O157のケースでは業者から訴訟を起こされて厚労省が敗訴しましたが、

 また、脳死をめぐる議論でその議論が公開されなかったことが混乱を生んだとの反省や、薬害エイズの問題もあり、その後は情報公開に積極的になっています。
 96年には事務次官だった岡光序治が、特別養護老人ホームを運営する会社からゴルフ場会員権や乗用車などの提供を受けたとして収賄罪で逮捕される事件も起きました。
 00年代になって大きな問題となったのが社会保険庁の不祥事です。年金記録の業務外閲覧、収賄、加入者本人が知らないところでの免除承認手続き、ヤミ専従、赤字を積み上げたグリーンピア事業、「消えた年金記録」など、次々と不祥事が明らかになり、ときには政権を揺るがしました。
 最近では統計をめぐる不祥事が問題となりましたが、この問題については、検証をする委員長を外郭団体の理事長に任せた検証作業のお粗末さも指摘されています。

 第5章は社会保障制度のおさらいという感じで、ある程度知識がある人には知っていることが多いでしょうが、年金、医療、介護、少子化対策、労働政策のそれぞれの課題を簡単に知るにはいいでしょう。

 このような形で厚労省という巨大官庁を紹介した本ですが、個人的には組織と政策決定過程を扱った前半が面白かったですね。記者が書くものだと、どうしても自分の取材経験を中心に書いてしまいがちですが、本書は比較的客観的な視点から厚労省を捉えることができていると思います。
 不祥事の構造的な要因にまで深く踏み込んであると、より面白い本になったのではないかと思いますが、厚労省の性格や全体像を知るには役に立つ本です。


アジア・パシフィック・イニシアティブ『検証 安倍政権』(文春新書) 8点

 1回目の内閣は短命に終わりましたが、安倍晋三は2012年に首相にカムバックすると連続で2822日在職し、憲政史上最長の政権を維持しました。
 「なぜそれが可能だったのか?」、「安倍政権はいかなる成果を上げたのか?」「何ができなかったのか?」といったことを政治学者が中心となって分析したものになります。
 著者名にきている「アジア・パシフィック・イニシアティブ」は聞いたことがないかもしれませんが、前身は『民主党政権 失敗の検証』(中公新書)を出した日本再建イニシアティブで、理事長は同じく船橋洋一が務めています。
 
 誰がどのような部分を担当しているかは以下を見てほしいのですが、個人的には第2章、第3章、第5章、第9章を特に興味深く読みました。
 毀誉褒貶のある安倍政権ですが、本書ではその強さ、そしてその強さをしてもできなかった課題などが分析されています。とりあえず、第2次安倍政権を語る上で基本となる本になると思います。

第1章 アベノミクス(上川 龍之進)
 アベノミクスは、①大胆な金融政策、②機動的な財政政策、③成長戦略という3本の矢を掲げてスタートしましたが、やはり目玉となったのは①の大胆な金融政策でしょう。日銀の総裁に黒田東彦を据え、今までにはない金融緩和に乗り出しました。
 この金融緩和は円高を反転させて、雇用状況を改善しましたが、直接の目標としていた2%の物価目標は達成できませんでした。本章では、金融政策の量から質への転換、リフレ派が反対していた消費税増税はなぜ実現したのか? ということを論じています。

 異次元緩和を支えた雨宮は、一部のOBから強い批判にさらされている。だが雨宮は、異次元緩和を実施し、その限界を明らかにすることで、金融政策の主導権をリフレ派から取り戻した。このことによってリフレ派、さらには政界やメディアによる故なき批判から、日本銀行を解放したとも言える。(65p)

 との結論部分にも見られるように著者の「日銀寄り」のスタンスは明確ですし、2回目の消費税増税に力を尽くした今井尚哉を「国士型官僚」と称揚するなど、本書が退けるとしていた「善玉・悪玉」の構図による分析になっていると思います。

第2章 選挙・世論対策(境家 史郎)
 2014年の衆院選について、小泉進次郎は「熱狂なき選挙であり、熱狂なき圧勝であった」(73p)と述べていますが、これは第2次安倍政権の国政選挙において共通した特徴だったと言えるでしょう。特に「風」が吹いたわけではないのに自民が圧勝することが続いたのですが、これはなぜ可能だったのか? というのが1つの問題設定です。
 
 安倍政権の特徴の1つが若年層を狙った戦略です。従来の組織が弱まる中で、従来高齢者に強かった自民党は「下」にウイングを伸ばそうとします。
 ネットを使った戦略がどの程度の効果を持ったのかは判然としない部分もありますが、安倍内閣への支持率を見ると、2017年後半以降、森友学園や加計学園の問題で60代の支持率が低迷する中で、20代や30代の支持率は一時的に低迷するもののすぐに回復しています(84p図表4参照)。
 この理由の1つが若者の「オールド・メディア離れ」だと考えられます。森友問題などはワイドショーで盛んにとり上げられましたが、そもそも若者はワイドショーを見ないのです。
 同時に幼児教育の無償化や就職率の改善といった若い世代向けの政策をアピールすることで、若い世代の支持をつなぎとめようとし、少なくとも野党には向かわせないことに成功したのです。

 また、安倍首相は「悪夢のような民主党政権」という、一国のリーダーとしては品のない発言を連発しましたが、このフレーズは維新の議員も模倣するようになり、結果的に野党の分断に効果をあげました。
 民主党にマイナスイメージを持ち、自民には持たない世代が生まれ、今後年齢を重ねていくことは、野党にとって大きな足かせとなる可能性があります。

第3章 官邸主導(中北 浩爾)
 ここではまず、第2次安倍政権の官邸主導がどのように確立されたかが述べられてます。
 小泉政権は経済財政諮問会議を活用することでリーダーシップを発揮しました。一方、つづく第1次安倍政権は政治家を首相補佐官に任命して官邸主導を確立しようとします。小池百合子(国家安全保障)、根本匠(経済財政)、山谷えり子(教育)、世耕弘成(広報)という布陣でしたが、首相と官房長官(塩崎恭久)の経験不足や役割分担がうまくいかなかったこともあり、短命に終わります。民主党政権では国家戦略局を設置してそこを司令塔にしようとしましたが、参院選での敗北もあって実現しないままに終わります。

 そこで第2次安倍政権では官房長官−官房副長官というラインが重視され、首相補佐官はあくまでも副次的なものとされました。政治家は衛藤晟一の3年が最長で、他は長谷川榮一、和泉洋人といった官僚出身者になります。また、鳩山政権が廃止した事務次官等会議も復活させました。
 第2次安倍政権ではチームが重視され、安倍首相、菅官房長官、政務の官房副長官の加藤勝信と世耕弘成、事務の官房副長官の杉田和博、今井尚哉首席秘書官の6人が毎日のように会議が開かれました。
 政策分野では安倍首相が外交・安全保障に関心を寄せ、菅官房長官が内政全般を処理し、、今井首席秘書官が財政・金融や選挙の目玉政策を立案するという分担が自然と出来上がっていったといいます。

 第2次安倍政権というと、内閣人事局の成立によって官僚を人事で屈服させたという印象も強いですが、内閣人事局の設置は福田康夫内閣のときに民主党との協議で設置が決まったものですし、小泉内閣の頃から官邸は幹部官僚人事に介入していました。
 ただし、最初から人事に強い関心を持ち、官邸が常に関わる姿勢を見せたのが第2次安倍政権の特徴と言えいます。
 また、大臣に関しては3年を超えて在職したのは麻生財相、岸田外相、甘利経済再生相の3人だけだったのに対して、官邸の顔ぶれは変わりませんでした。結果的に情報面で官邸は閣僚よりも優位に立ち、それが官邸主導の人事を可能にしました。

第4章 外交・安全保障(神保 謙)
 この章では、NSCの設置、平和安全法制、対中外交、対ロ外交、トランプ政権と対北朝鮮外交、そして「自由で開かれたインド太平洋戦略」といった第2次安倍政権の外交・安全保障政策が再検討されています。
 外交に関しては高い評価を与える筆者の議論に大きな違和感はないですが、対ロ外交に関してはもっと厳しい評価があってもいいでしょう。また、対米外交、特にオバマ→トランプの交代への対応に関してもう少し分析があったほうが面白いかもしれません。

第5章 TPP・通商(寺田 貴)
 本章でも外交を扱っていますが、本章を読むと「外交とは内政でもある」ということがよく理解できると思います。 
 第2次安倍政権はTPPを始めとして日欧EPA、RCEPという経済協定を次々と成立させましたが、やはりキーとなるのがTPPです。日本はFTAの交渉について出遅れており、民主党政権時ではFTAによってカバーされる貿易量が20%未満と韓国の1/3程度にしか過ぎませんでしたが、これが80%程度にまで引き上げられることになります(195−197p)。

 TPP交渉に参加するにあたって、安倍首相は2013年7月の参院選で参加を訴えます。農業票が逃げるなどの理由から参加の表明は参院選後にすべきだという声もありましたが、あえて参院選まに態度を明らかにすることで反対派の声を封じました。
 それまでのFTA交渉では、外務、財務、経産、農水の4省の縦割りで進められてきましたが、TPP交渉では本部長に甘利明を据えた上で各省庁から約100名の各分野の専門官僚を集めました。
 首席交渉官に外務審議官の鶴岡公二、国内調整のトップに財務相出身で内閣官房長官補を務めた佐々木豊成という次官級の官僚を配置し、13年7月には泊まり込みで合宿を行って関係文書を読み込むなどして交渉に備えました。

 党内調整に関してはTPP対策委員の委員長に農水族の指導的な立場にあった西川公也を据え、「族をもって族を制す」(208p9)一方、農水相には林芳正、党農林部会長には斎藤健と、非農林族議員を任命しました。同時にTPP反対の急先鋒だった江藤拓は農林水産副大臣として政権に取り込んでいます。
 さらに農協改革を掲げることでTPPに反対するJA全中にプレッシャーをかけました。

 交渉では2014年に先行して日豪EPAを妥結させることでアメリカにプレッシャーを掛けます。アメリカとオーストラリアは牛肉輸出などで競合していますが、TPPがまとまらなければ対日輸出でオーストラリアに比べてアメリカが不利になるという状況をつくり上げたのです。これにはアメリカの交渉官が「こういう交渉の仕方は汚い」(213p)と抗議したといいます。

 しかし、トランプ大統領の当選とアメリカの離脱によりTPPは危機に陥ります。安倍首相は就任前にトランプタワーで会談しTPPの利点を説きますが説得することはできませんでした。ただし、これがTPP11をトランプ大統領が妨げない契機になったともいいます。 
 これまでの交渉はアメリカが仕切ってきましたが、結果的にTPP11交渉は日本がリーダーシップをとる形で妥結します。
 そして、TPP交渉で行われた国内調整を基盤として日欧EPA協定、日米FTA、RCEPが実現していきます。これらは安倍政権の大きな成果と言えるでしょう。

第6章 歴史問題(熊谷 奈緒子)
 歴史問題も内政と外交が入り交じる領域になります。第1次政権において靖国参拝ができなかった安倍首相は2013年12月26日に靖国神社を参拝しますが、中韓からだけでなくアメリカからも「失望した」という強い反発を受けます。靖国参拝は自らの信条と支持基盤である右派の要望に沿ったものですが、安倍政権は軌道修正を迫られることになります。
 
 そこで力を入れて取り組んだのが戦後70年の首相談話です。村山談話を継承しつついかに安倍カラーを出すかということで、そのための有識者懇談会には安倍首相も熱心に顔を出したといいます。
 出来上がった談話では、満州事変以降の行動を侵略と認め、政府や軍の指導者の責任を明確に認めつつ、「お詫び」を終わらせるという決意も示すことで、この問題に区切りをつけたいという安倍首相の意向が盛り込まれる形になりました。

「慰安婦」問題についても、当初は河野談話の修正を狙いますが、それでは国際社会の支持が得られないと見ると、韓国との交渉に動きます。このとき安倍首相本人は消極的だったとされていますが、谷内正太郎国家安全保障局長と岸田外相が前向きだったこともあり、「最終的かつ不可逆的な解決」に合意します。
 結局、韓国の政権交代もあってこの問題はくすぶり続けることになるわけですが、右派の安倍首相だからこそ、国内の反発を抑えることができたとも言えます。
 
第7章 与党統制(竹中 治堅)
 平成に行われた一連の政治改革で首相の権限は強まりましたが、それでも第2次安倍政権以前で長期政権を築くことができたのは小泉政権だけでした。本章では首相の権限が強化されたにもかかわらず問題として残った問題を第2次安倍政権がいかにクリアーしたかが分析されています。
 安倍首相は最大派閥であった町村派(→細田派)の出身ですが、2012年の総裁選では派閥の全面的な支持を得たわけではなく、安倍を個人的に支持した人々の支えで当選しました。そして、第2次安倍政権ではそうした人物(例えば菅義偉や麻生太郎)が政権を支える中心メンバーとなります。

 党内統制に関して大きかったのはなんといっても選挙に勝ち続けたことです。党首の顔が重要になる小選挙区制度において高支持率を維持し続ける安倍首相はありがたい存在でした。
 こうしたこともあって閣僚人事に関してそれほど派閥に配慮する必要がありませんでした。一方で副大臣や政務官については本人や派閥の意向も聞きつつシステマティックな人事が行われました。
 また、公明党に対する配慮も欠かさず、平和安全法制では公明党と話し合いを重ねましたし、消費税の軽減税率やコロナ禍での定額給付金に関しては、自民党内の反対を押し切って公明党に思い切った譲歩をしました。
 このあたりは参院という存在を考えると公明党の強力が絶対に不可欠だという認識があったのだろうと思われます。

第8章 女性政策(辻 由希)
 第2次安倍政権における女性政策というのも興味深い対象です。安倍首相は保守的な人物とされていますが、その政権下で女性の活躍を掲げる政策が進み、幼保無償化のような社会民主主義的な政策も実現しました。
 ただし、これは日本の労働力不足への対応という面からも説明できます。女性の活躍と経済成長を結びつけるウーマノミクスは1999年にゴールドマン・サックスのキャシー松井が提唱しており、民主党政権でもこの考えは採用されていました。

 第2次安倍政権も基本的にはこの流れに乗った形ですが、発足時から党三役に野田聖子と高市早苗という2人の女性を起用するなど、女性重視を印象付けようとします。
 女性活躍推進法でも経済団体が女性管理職の数値目標の義務化に反対する中で、反対を押し切って数値目標を盛り込んでいます(これには塩崎厚労相の役割が大きかった(317p))。
 同一労働同一賃金の問題に関しても、新原浩朗が中心となってまとめ上げますが、塩崎が日本の賃金体系に抜本的に踏み込むべきだと主張したのに対し、結局、正規社員の給与体系には踏み込まないままに終わりました。
 
 こうした女性政策の背景には、経済成長のため、国際社会でアピールできる、民主党の看板を奪うことができる、という3つの背景があったとまとめられています。
 そして、政策を推進できた背景には、過去の政権からの蓄積、経済界が安倍政権を支持していたこと、安倍首相が推進することで右派からの反発を抑制できた、人的な要因があげられています。4点目に関しては塩崎、新原意外にも加藤勝信の名前をあげています。
 ただし、安倍首相が右派を基盤としたこともあって実現しなかったのが、選択的夫婦別姓や女性・女系天皇の議論です。

第9章 憲法改正(マッケルウェイン・ケネス・盛)
 憲法改正を掲げていた安倍首相ですが、これだけ在任期間がありながら憲法の改正には失敗しました。本章では失敗の理由と、改憲に中心に9条に第3項を受け加える案が据えられたのはなぜかということを論じていきます。
 
 自民党では2012年に独自の憲法改正草案をまとめていましたが、野党時代に党をまとめるためにつくられたという経緯もあり、「国防軍」の創設を盛り込むなどイデオロギー色の強いものでした。
 ですから、安倍政権としては改憲はしたいけど、2012年の自民党草案ではさすがに厳しく、まずは96条改正を掲げます。しかし、これは公明党や憲法学者の批判を受け、憲法改正を脇において平和安全法制の制定に力を尽くすことになります。
 平和安全法制は公明党の理解も得て成立しますが、これによって民主党をはじめとして左派政党は改憲の議論に乗ってこなくなります。

 2017年5月、安倍首相はインタビューで9条に3項を追加し、そこに自衛隊を明記するという提案をします。
 これは公明党が乗れるラインを模索した結果と言えますが、2項の削除を唱えていた石破茂らの自民党議員が反発します。さらにモリカケのスキャンダルが重なったことにより憲法改正の議論は失速するのです。
 また、本章の最後では、そもそも憲法改正は国民にとって必要性を感じないトピックであるということも指摘しています。その点からいうと、安倍首相が憲法改正をちらつかせることは野党を「護憲」という人気のないテーマに固執させる効果があったかもしれないともいいます。

 このように本書は安倍政権を多角的に分析しており、読み応えがあります。
 ここから個々のテーマについてさらに深堀りしていっても面白いでしょうし(例えば、改憲議論の過程なら清水真人『憲法政治』(ちくま新書)が詳しい)、安倍政権がここまで長く続いた理由を改めて考えてみるのも面白いと思います。
 小泉政権は再現性のない政権だと思いますが、安倍政権はどうなのか? 長期政権のスタイルを確立できたのか? というのは今後の政治を見ていく上でも面白いポイントだと思います。

 
記事検索
月別アーカイブ
★★プロフィール★★
名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
新書以外のことは
「西東京日記 IN はてな」で。
メールはblueautomobile*gmail.com(*を@にしてください)
<% for ( var i = 0; i < 7; i++ ) { %> <% } %>
<%= wdays[i] %>
<% for ( var i = 0; i < cal.length; i++ ) { %> <% for ( var j = 0; j < cal[i].length; j++) { %> <% } %> <% } %>
0) { %> id="calendar-294826-day-<%= cal[i][j]%>"<% } %>><%= cal[i][j] %>
タグクラウド
  • ライブドアブログ

'); label.html('\ ライブドアブログでは広告のパーソナライズや効果測定のためクッキー(cookie)を使用しています。
\ このバナーを閉じるか閲覧を継続することでクッキーの使用を承認いただいたものとさせていただきます。
\ また、お客様は当社パートナー企業における所定の手続きにより、クッキーの使用を管理することもできます。
\ 詳細はライブドア利用規約をご確認ください。\ '); banner.append(label); var closeButton = $('