女性誌のある種ズレてしまった現状を斬りまくった新書『モテたい理由』が非常に面白く、その影響で小説『東京プリズン』まで買ってしまった赤坂真理の新刊。
赤坂真理は、『モテたい理由』では、女性誌分析から最終的には「戦争」、「アメリカ」、「敗戦の記憶」といったものへと現代の男女がおかれた状況の遠因をたどろうとしていましたし、『東京プリズン』では、ストレートに「戦争」、「アメリカ」、「天皇」、「敗戦の記憶」、「東京裁判」といったものをテーマにしていました。
今回のこの本は、「戦争」、「アメリカ」、「天皇」、「敗戦の記憶」、「東京裁判」、といった『東京プリズン』のテーマ(さらに「憲法」も付け加わっている)をエッセイで展開したものといえるでしょう。
ただ、個人的に『東京プリズン』が小説としてはいまいちに感じたように、この本も前半と後半の「戦争」、「アメリカ」、「天皇」、「敗戦の記憶」、「東京裁判」、「憲法」に真正面から取り組んだ部分はいまいちでした。
『東京プリズン』の感想を書いたときに、「著者の戦後の日本に対する疑問、米に対する違和感といったものは共感できるのですが、それがあまりにもわかりやすい図式と比喩によって描かれてしまっている」と書いたのですが、この本についても、日本の戦後について感じる違和感については共感するものがあるものの、結局はそれが「アメリカ=男性」、「日本=女性」のような手垢のついた比喩にほとんど回収されてしまっていると思うのです
また、いきなり「戦後という大きな謎」に取り組もうとした結果、文体も大げさになってしまっていて、出だしはやや疲れます。
けれども、著者ならではの鋭い視点や感覚が生きている場所もあります。
第4章「安保闘争とは何だったのか」にある「学生運動がわからない」という言葉や、第5章「一九八〇年の断絶」の部分は、自分が著者の10歳ほど下にもかかわらず非常によく分かる部分です。
1970年代後半から1980年代の前半にかけて、日本の社会の表側からきれいに暴力が消えていっています。
例えば、1973年に国鉄労組の「遵法闘争」によるダイヤの乱れに怒った客が暴動を起こし車両や駅舎を破壊した上尾事件。1970年代に生まれて70年代前半の様子を知らない身からすると、日本でこのような事件が起きた事自体がなんだか信じられません。
80年代にも校内暴力などはありましたし、不良が主人公のドラマもさかんに放映されていましたが、もはや暴力はそうしたテレビの中や学校の中に押し込まれて、スペクタクルとして消費されている感じでした。
赤坂真理は1964年生まれなので70年代前半の空気を多少は知っていると思うのですが、それでも「1980年に、「何か」が変わった」、「暴力の残り香、そして戦争の残照のようなものが、81年にはきれいになくなっていた」(155p)と書きます。
これは著者が1980年にアメリカの高校に留学していたからでもあるのですが、1972年のあさま山荘事件(学生運動と暴力がスペクタクルとして消費された)とともに、1980年を一つの分水嶺と見ています。
1980年は漫才ブームが始まった年でもあり、松田優作が「太陽にほえろ」と「探偵物語」の中で死んだ年でもあります(「探偵物語」では刺されるが生死は不明)。
著者に言わせると、1980年とは、「お笑いタレントたちが男子の成功例として文化の表面に現れた」(158p)年であり、「日本社会のある局面が、最終的に松田優作を不要とした最初の年」(163p)なのです。
これは、ストレートな暴力がそのままの形では社会に表現されなくなった年と言ってもいいでしょう。ビートたけしも島田紳助も内側に暴力性を秘めた人だと思うのですが、それがまずは「お笑い」という形で表現されたというのは重要な事かもしれません。
この本で十分な議論が展開されているわけではありませんが、このあたりの著者の嗅覚は鋭いです。
また、第7章で、自分が地域の公園の改修を検討する委員会のメンバーに立候補した時のことが書いてあるのですが、この部分も面白いです。
とにかく、「子どもがうるさい」、「ボール遊びが危険」、「カップルが居る」といった文句を言い募る老人たち。アンケートでは「子どもの遊び場を」という意見が多く、著者がそのことを指摘すると、「複数意見があるときは、弱者の意見がもっとも尊重されなくてはならない」と言い放ったそうです。
これに対して著者は「自民党に共産党を直接接続したキメラを見る気持ちだった」(218p)と書いていますが、これはうまい表現だと思います。
しかし、自分の体験などを語るときにはこのような鋭い部分があるものの、抽象的な理念である「憲法」(この本では憲法は理念の話がメイン」、「天皇」といったことになると、とたんに文体がわざとらしくなる。
もちろん、こうした文体を好む人もいるんでしょうけど、個人的にはあまり好きではないですね。
愛と暴力の戦後とその後 (講談社現代新書)
赤坂 真理

赤坂真理は、『モテたい理由』では、女性誌分析から最終的には「戦争」、「アメリカ」、「敗戦の記憶」といったものへと現代の男女がおかれた状況の遠因をたどろうとしていましたし、『東京プリズン』では、ストレートに「戦争」、「アメリカ」、「天皇」、「敗戦の記憶」、「東京裁判」といったものをテーマにしていました。
今回のこの本は、「戦争」、「アメリカ」、「天皇」、「敗戦の記憶」、「東京裁判」、といった『東京プリズン』のテーマ(さらに「憲法」も付け加わっている)をエッセイで展開したものといえるでしょう。
ただ、個人的に『東京プリズン』が小説としてはいまいちに感じたように、この本も前半と後半の「戦争」、「アメリカ」、「天皇」、「敗戦の記憶」、「東京裁判」、「憲法」に真正面から取り組んだ部分はいまいちでした。
『東京プリズン』の感想を書いたときに、「著者の戦後の日本に対する疑問、米に対する違和感といったものは共感できるのですが、それがあまりにもわかりやすい図式と比喩によって描かれてしまっている」と書いたのですが、この本についても、日本の戦後について感じる違和感については共感するものがあるものの、結局はそれが「アメリカ=男性」、「日本=女性」のような手垢のついた比喩にほとんど回収されてしまっていると思うのです
また、いきなり「戦後という大きな謎」に取り組もうとした結果、文体も大げさになってしまっていて、出だしはやや疲れます。
けれども、著者ならではの鋭い視点や感覚が生きている場所もあります。
第4章「安保闘争とは何だったのか」にある「学生運動がわからない」という言葉や、第5章「一九八〇年の断絶」の部分は、自分が著者の10歳ほど下にもかかわらず非常によく分かる部分です。
1970年代後半から1980年代の前半にかけて、日本の社会の表側からきれいに暴力が消えていっています。
例えば、1973年に国鉄労組の「遵法闘争」によるダイヤの乱れに怒った客が暴動を起こし車両や駅舎を破壊した上尾事件。1970年代に生まれて70年代前半の様子を知らない身からすると、日本でこのような事件が起きた事自体がなんだか信じられません。
80年代にも校内暴力などはありましたし、不良が主人公のドラマもさかんに放映されていましたが、もはや暴力はそうしたテレビの中や学校の中に押し込まれて、スペクタクルとして消費されている感じでした。
赤坂真理は1964年生まれなので70年代前半の空気を多少は知っていると思うのですが、それでも「1980年に、「何か」が変わった」、「暴力の残り香、そして戦争の残照のようなものが、81年にはきれいになくなっていた」(155p)と書きます。
これは著者が1980年にアメリカの高校に留学していたからでもあるのですが、1972年のあさま山荘事件(学生運動と暴力がスペクタクルとして消費された)とともに、1980年を一つの分水嶺と見ています。
1980年は漫才ブームが始まった年でもあり、松田優作が「太陽にほえろ」と「探偵物語」の中で死んだ年でもあります(「探偵物語」では刺されるが生死は不明)。
著者に言わせると、1980年とは、「お笑いタレントたちが男子の成功例として文化の表面に現れた」(158p)年であり、「日本社会のある局面が、最終的に松田優作を不要とした最初の年」(163p)なのです。
これは、ストレートな暴力がそのままの形では社会に表現されなくなった年と言ってもいいでしょう。ビートたけしも島田紳助も内側に暴力性を秘めた人だと思うのですが、それがまずは「お笑い」という形で表現されたというのは重要な事かもしれません。
この本で十分な議論が展開されているわけではありませんが、このあたりの著者の嗅覚は鋭いです。
また、第7章で、自分が地域の公園の改修を検討する委員会のメンバーに立候補した時のことが書いてあるのですが、この部分も面白いです。
とにかく、「子どもがうるさい」、「ボール遊びが危険」、「カップルが居る」といった文句を言い募る老人たち。アンケートでは「子どもの遊び場を」という意見が多く、著者がそのことを指摘すると、「複数意見があるときは、弱者の意見がもっとも尊重されなくてはならない」と言い放ったそうです。
これに対して著者は「自民党に共産党を直接接続したキメラを見る気持ちだった」(218p)と書いていますが、これはうまい表現だと思います。
しかし、自分の体験などを語るときにはこのような鋭い部分があるものの、抽象的な理念である「憲法」(この本では憲法は理念の話がメイン」、「天皇」といったことになると、とたんに文体がわざとらしくなる。
もちろん、こうした文体を好む人もいるんでしょうけど、個人的にはあまり好きではないですね。
愛と暴力の戦後とその後 (講談社現代新書)
赤坂 真理
