応仁の乱前後の幕府と朝廷の動きを見ることで、幕府と朝廷の権力・権威がいかに崩壊し、戦国時代が幕を開けたかということを論じた本。
応仁の乱というと、将軍家と有力守護大名の家督争いという構図で説明されることが多いですが、この本を読むと、そもそも将軍→守護→守護代→被官といった命令系統がまったく機能していなかったところに問題があるということがわかります。
室町幕府の8代将軍となった足利義政は、3代将軍義満や6代将軍義教のように守護大名家の家督争いに介入することで将軍の権力を高めようとしますが、その場当たり的な対応、そして領国支配の実態からかえって幕府の権威はゆるぎます。
当時は、この本でいうところの、「形式」よりも「実体」が重んじられるようになった時代であり、たとえ守護が新たな領国を「形式的」に拝領したとしても、その国を「実体的」に支配している守護代などの同意がなければ、その守護職は空手形に終わるような状況になっていたのです。
そうした実態を、この本では越前の守護・斯波氏と守護代の朝倉氏、播磨などの守護であった赤松氏と家臣の浦上則宗、名門守護の京極氏と出雲の守護代尼子氏の関係を見ることで明らかにしていきます。
もともと、室町時代の守護大名は複数の国を支配することで、将軍をも上回るような力を持っていたのですが、その複数の国の支配がかえって支配の空洞化を生み、守護の力の空洞化につながっていくとになったのです。
こうした守護による領国支配の空洞化と、将軍家の権力争いと没落、朝廷の対応と没落をこの本はかなり細かいところまでわけいって論じようとしています。
ただ、そのぶんやや全体の流れがつかみにくくなっているのがこの本の欠点。
今までの応仁の乱は、義政の隠居志向、弟・義視への強引な家督譲り、義尚の誕生と日野富子の暗躍といったストーリーで語られることが多かったのですが、この本では義政の隠居志向を否定し、義政は義満のように将軍を引退して自由な立場から政治をしたかったのだという説をとります。また、日野富子が登場するのも応仁の乱が起こってからになります。
義政に必ずしも隠居志向があったわけではないということは、この本を読めば納得できますが、日野富子の存在を消して将軍家の家督争いの側面を後退させたことで、この本が描く応仁の乱の姿は非常にわかりにくいものになっています。無数の小さな混乱の集積といった様相です。
乱の実態はそのようなものだったのかもしれませんが、もう少しわかりやすい通説の否定とまとめがあっると良かったと思います。
室町時代の朝廷の姿や、応仁の乱以後の明応の政変をはじめとする混乱などについてはわかりやすく、初めて得る知識も多いのですが、全体的に人物に焦点を当てるのか制度に焦点を当てるのかをはっきりさせたほうがわかりやすくなったでしょう。
戦国誕生 中世日本が終焉するとき (講談社現代新書)
渡邊 大門

応仁の乱というと、将軍家と有力守護大名の家督争いという構図で説明されることが多いですが、この本を読むと、そもそも将軍→守護→守護代→被官といった命令系統がまったく機能していなかったところに問題があるということがわかります。
室町幕府の8代将軍となった足利義政は、3代将軍義満や6代将軍義教のように守護大名家の家督争いに介入することで将軍の権力を高めようとしますが、その場当たり的な対応、そして領国支配の実態からかえって幕府の権威はゆるぎます。
当時は、この本でいうところの、「形式」よりも「実体」が重んじられるようになった時代であり、たとえ守護が新たな領国を「形式的」に拝領したとしても、その国を「実体的」に支配している守護代などの同意がなければ、その守護職は空手形に終わるような状況になっていたのです。
そうした実態を、この本では越前の守護・斯波氏と守護代の朝倉氏、播磨などの守護であった赤松氏と家臣の浦上則宗、名門守護の京極氏と出雲の守護代尼子氏の関係を見ることで明らかにしていきます。
もともと、室町時代の守護大名は複数の国を支配することで、将軍をも上回るような力を持っていたのですが、その複数の国の支配がかえって支配の空洞化を生み、守護の力の空洞化につながっていくとになったのです。
こうした守護による領国支配の空洞化と、将軍家の権力争いと没落、朝廷の対応と没落をこの本はかなり細かいところまでわけいって論じようとしています。
ただ、そのぶんやや全体の流れがつかみにくくなっているのがこの本の欠点。
今までの応仁の乱は、義政の隠居志向、弟・義視への強引な家督譲り、義尚の誕生と日野富子の暗躍といったストーリーで語られることが多かったのですが、この本では義政の隠居志向を否定し、義政は義満のように将軍を引退して自由な立場から政治をしたかったのだという説をとります。また、日野富子が登場するのも応仁の乱が起こってからになります。
義政に必ずしも隠居志向があったわけではないということは、この本を読めば納得できますが、日野富子の存在を消して将軍家の家督争いの側面を後退させたことで、この本が描く応仁の乱の姿は非常にわかりにくいものになっています。無数の小さな混乱の集積といった様相です。
乱の実態はそのようなものだったのかもしれませんが、もう少しわかりやすい通説の否定とまとめがあっると良かったと思います。
室町時代の朝廷の姿や、応仁の乱以後の明応の政変をはじめとする混乱などについてはわかりやすく、初めて得る知識も多いのですが、全体的に人物に焦点を当てるのか制度に焦点を当てるのかをはっきりさせたほうがわかりやすくなったでしょう。
戦国誕生 中世日本が終焉するとき (講談社現代新書)
渡邊 大門
