山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

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2017年07月

赤江達也『矢内原忠雄』(岩波新書) 8点

 矢内原忠雄は東京帝国大学で「植民政策学」を講じた社会科学者であり、内村鑑三の影響を受けた無教会主義のキリスト教徒であり、矢内原事件で大学を追われた人物であり、戦後は東大の総長となった戦後民主主義を象徴する人物ともなりました。
 このような経歴を見ていくと、矢内原は時代の圧力に逆らった平和主義者であり、良心的知識人であった、とまとめたくなりますが、矢内原にはそうした「良心的知識人」の枠には収まりきらない宗教的なパッションがあります。それを含めて矢内原の生涯と思想を改めて検討してみせたのがこの本です。

 矢内原は晩年に次のように記しています。
 私が各地で平和や民主主義や教育について一般講演をするとき、聴衆の間から、「矢内原さんの話はよいが、終わりのところになってキリスト教のことを言われる。あれがなければもっとよいのに」、という批評があるそうである。(225p)
 矢内原本人は、日本におけるキリスト教への理解のなさを嘆いてこのような文章を書いたのでしょうが、この本を読むと、矢内原の多くの人から受け入れられた部分と、受け入れられなかった「あれ」の部分というのが見えてくると思います。

 目次は以下の通り。
第1章 無教会キリスト者の誕生―一九一〇年代
第2章 植民政策学者の理想―一九二〇~三七年
第3章 東京帝大教授の伝道―一九三〇年代の危機と召命
第4章 戦争の時代と非戦の預言者―一九三七~四五年
第5章 キリスト教知識人の戦後啓蒙―一九四五~六一年

 目次を見ても分かるように、この本は矢内原の評伝であり、その誕生から死までが描かれているわけですが、中心となるのはやはり矢内原のキリスト教思想になります。

 矢内原は1893年に現在の愛媛県今治市に生まれています。父はこの地方で最初の西洋医であり、その子の忠雄も幼い頃からその秀才ぶりを発揮し、わずか5歳で尋常小学校に通い始めています。
 その後、神戸中学校に進み、1910年には第一高等学校に入学しています。まさにエリートと言っていいでしょう。
 矢内原の同級生には芥川龍之介、菊池寛、久米正雄ら、1つ上には近衛文麿、2つ上には河合栄治郎、田中耕太郎らがいます(12p)。また、当時の校長は新渡戸稲造でした。

 この一高時代に矢内原に決定的な影響を与えたのが内村鑑三です。友人の三谷隆信の影響もあってキリスト教に強い関心を持つようになった矢内原は、内村鑑三の聖書研究会に入会し、さらに内村門下の帝大生や一高生の集まりである柏会にも入会します。
 この本では1912年に内村の娘が亡くなった際の内村の振る舞いに、矢内原が「抵抗する事のできない権威」を感じたということが紹介されています。自分の娘の告別式において「この式はルツ子の結婚式であります」「天国に嫁入れさするのであります」と述べた内村の行動は字として読むとエキセントリックにしか思えませんが、何か得も言われぬ迫力があったのでしょう(19-20p)。

 1913年、矢内原は東京帝国大学法科大学政治学科に進学します。その後、朝鮮で働くことを模索したりしましたが、結局は1917年に住友に就職し、別子銅山で働きました。
 1920年、矢内原は大学からの誘いを受けて東京帝国大学経済学部助教授に就任します。経済学部は前年に法科大学から分離したばかりの新設学部で、新渡戸稲造の植民政策講座の後任として矢内原は採用されました。
 その後、矢内原は2年余りの欧米留学い出発し、ロンドンやベルリンなどで過ごしたあと、1923年から講義を担当します。

 植民政策とは移民などによる植民活動や植民地統治に関する学問で、矢内原はこれを経済学、社会学、政治学を横断する独立した学問として確立しようとしました(58p)。
 矢内原は英帝国モデルを高く評価しています。英帝国には植民地が自主国民へと発展していくプロセスや、統治関係が互恵的関係に発展していくプロセスがあり(65p)、日本と朝鮮や台湾の関係においても現地に議会を設置する自治主義を模索していました。
 また、中国に対しては中国ナショナリズムを評価する立場から、南京政府と平和的な関係を築くべきだと主張しています(80p)。
 ただ、小林英夫『<満洲>の歴史』(講談社現代新書)でとり上げられている「満洲農業移民不可能論」は紹介されていませんし、社会科学者としての矢内原については記述はやや弱いと思います。

 一方、キリスト教者としての矢内原に関する記述は充実しています。
 1930年に内村鑑三が亡くなり、その遺志に従って聖書研究会は解散されます。内村鑑三の無教会主義は組織などを残さないものでしたが、その「預言者」としての立ち位置のようなものが矢内原へと引き継がれていくのです。

 内村は「日本的キリスト教」という言葉を使い、「日本」という国家単位で「罪」や「迫害」などを考えたところに一つの特徴がありますが(104-106p)、矢内原もこの「日本」という単位にこだわりました。
 矢内原は天皇を信奉してもいるのですが、その天皇と国民がキリスト教の<絶対神>を信仰することが必要だというのです(109-111p)。

 矢内原は二・二六事件に衝撃を受け、ある種の終末的な考えを深めていきます。
 そして日中戦争が勃発した1937年にはいわゆる矢内原事件によって大学を追われることになります。『中央公論』に掲載しようとした「国家の理想」という論文と、「神の国」という講演がとり上げられ、特に「神の国」の中の「一先づ此の国を葬つてください」という表現が問題視されました。
 この矢内原事件については将基面貴巳『言論抑圧』(中公新書)という優れた研究もありますが、本書を読むと、矢内原の「預言者」的な振る舞いが引き起こした事件という印象も強くなります。

 大学を追われたあとも矢内原の言論活動・伝道活動はつづきました。『嘉信』という雑誌を創刊し、「自由ヶ丘集会」と呼ばれる集会を開くなど、警察などによる監視がつづく中でも矢内原の活動は衰えませんでした。
 
 しかし、このころの矢内原の言説には奇妙な点もあります。この本ではそのあたりが深く掘り下げられています。
 矢内原は内村の考えを引き継ぎ、日本でこそ「神の国」が実現すると考えていたのですが、日中戦争によってその希望は失われつつあるといいます。矢内原は日中双方に戦争を止めるように呼びかけるのですが、そこには中国に対して「降参」を呼びかけているようにみえる箇所もあります(152p)。
  
 矢内原の議論の特徴として「個人の悔い改めが日本国民の救いへと飛躍するところ」(154p)があります。「悔い改め」というのはキリスト教で重視されている概念ですが、その個人的行為が日本の運命のようなものに結びつくのです。そして、それを媒介するものとして天皇が想定されているということを考えると、矢内原が「リベラリスト」のようなカテゴリーにはあてはまらない人物であるということが見えてくると思います。
 
 また、矢内原は「非戦」を訴えましたが、実際の戦争への抵抗といった考えは希薄です。戦争は一種の耐えるべき受難と捉えられています。 
 矢内原は、植民地朝鮮の人びとに対して植民本国である日本への「服従」を求め、日本に侵略されている中国の国民に対しては「降参」を勧める。そして、日本の青年には死を受け入れる姿勢を説いている。そこの共通しているのは、目の前の苦難は神から与えられた試練であり、それを受容することこそが信仰的な態度だという考えである。(176p)

 矢内原にとって、終戦は日本国民がキリスト教を受け入れ、日本において「神の国」が実現されることに近づいたことを意味していました。
 特にこの時期、天皇がキリスト教に改宗することにかなり期待していたようで、45年12月の公演では「陛下よどうぞ聖書をお学び下さい」と呼びかけていますし(187p)、昭和天皇の「人間宣言」については「之れ日本の救の基礎なり、出発なり」と日記の欄外に記してています(189p)。さらに49年11月には昭和天皇に対して「新渡戸稲造について」というテーマで進講を行っています。

 しかし、50年頃になると天皇がキリスト教に改宗する望みが消えていき、矢内原は戦後の日本や天皇に失望していくことになります。  
 一方で、大学に復帰した矢内原は南原繁学長のもとで要職を務め、1951年には東京大学の総長となります。学生運動への対応などに苦慮することもありましたが、総長就任もあって『嘉信』の読者は増え、無教会キリスト者の数も増えていきます。
 ただし、冒頭にも引用したようにキリスト教へのアレルギーというのも根強く、「公共的知識人としての矢内原への期待と、矢内原自身が抱いている「預言者」としての自覚や使命感との間のズレがあらわれ」(226p)ることになるのです。

 このようにこの本は、矢内原の生涯を追いつつ、矢内原自身の思想と世間からのイメージの「ズレ」を丁寧に描き出しています。
 戦争の時代の「狂気」に対抗するにはそれに負けない「良識」が必要だと考えられていますが、時代に逆らった矢内原を支えたものは「良識」だけではなく、やや非合理的とも言える「信仰」でもあったのです。
 さらにここから近代日本におけるキリスト教の位置づけや、キリスト教の信仰そのものについても考えさせる、重厚な内容の本だといえるでしょう。

矢内原忠雄――戦争と知識人の使命 (岩波新書)
赤江 達也
4004316650

マーク・マゾワー『バルカン』(中公新書) 7点

 20世紀のヨーロッパ史について幅広く論じた『暗黒の大陸』をはじめ、『国連と帝国』、『国際協調の先駆者たち』といった著作で知られる歴史学者マーク・マゾワーの本が中公新書から登場。
 この『バルカン』の原著は17年前の2000年に書かれた本で、もともと近代ギリシャ史を研究していたマゾワーがユーゴスラビア内戦を受けて書いた本になります。

 「バルカン」と言えば、まず思い浮かぶのは「バルカンの火薬庫」といった言葉や、実際にその火薬庫が破裂したサラエボ事件であり、その「バルカンの火薬庫」のイメージが再び蘇り強化されたのが1990年代に起きたユーゴスラビア内戦でした。
 キリスト教徒とイスラム教徒の対立やクロアチア人とセルビア人の対立、スレブレニツァの虐殺に見られるような蛮行、さらに背景として14世紀のオスマン帝国とセルビア王国の激突である「コソヴォの戦い」が持ち出されたこの内戦は、「バルカン」という場所に「血塗られ呪われた歴史」というイメージを植え付けるのに十分なものでした。

 そんな、「バルカン」の「血塗られ呪われた歴史」というイメージを解体しようとしたのがこの本です。
 著者はこの地域の近現代史をたどり、さまざまなエピソードを紹介することで、複合的な視点から「バルカン」という地域を描き直そうとしています。
 必ずしも通史のかたちにはなっていませんし、ある程度の歴史的事実が頭に入っていないと話を追うことが難しい部分もあると思いますが、固まってしまった歴史像を解体していく著者の筆の運びにはさすがのものがあります。

 目次は以下の通り。
プロローグ バルカンという呼称
第1章 国土と住民
第2章 ネイション以前
第3章 東方問題
第4章 国民国家の建設
エピローグ 暴力について

 まずは、「バルカン」という呼称ですが、これはもともと「バルカン山脈」を指すために用いられたもので、この地域を指すような言葉ではありませんでした。
 オスマン帝国がこの地域を支配していた時は「ルメリ」(「ローマ人の」といった意味)、「ヨーロッパ・トルコ」などと呼ばれていましたが、オスマン帝国の体調とともにそれらの呼び方はしっくりこなくなり、19世紀後半から20世紀初めには「バルカン」という呼称が一気に広がります。

 バルカン地域の発展が遅れた理由としてその地理的な条件があります。
 第1章に「使えない河川、敷けない鉄道」という小見出しがありますが(38p)、山が多いこの地域では、河川は急流で曲がりくねっており水運が発達しませんでした。また、山が多いということは当然ながら鉄道の敷設も難しいということであります。
 そのためオスマン帝国を除けば、この地域を広範囲に支配するような政治権力はあらわれませんでした。そして、山賊や海賊が跋扈することとなったのです。

 一般的にオスマン帝国の支配はこの地域に暗黒時代をもたらしたように考えられていますが、著者は「オスマン帝国の支配は、おそらく農民にとっては恩恵だった」(54p)といいます。
 この地域は地主による厳しい支配が続いていましたが、一部の地域を除いてオスマン帝国はこの地主の支配を緩め、農民たちは「プロイセンやハンガリーやロシアの農奴には与えられなかった移動の自由を得た」(55p)のです。

 また、バルカンにはオスマン帝国の支配のもとでさまざまな民族が暮らしていましたが、彼らには「民族」というアイデンティティは希薄で、まずは自分たちを「キリスト教徒」、「イスラム教徒」といった宗教的なカテゴリーで把握していました。
 「バルカン諸国の歴史は、たいてい先に述べたような愛国的ナショナリストの子孫たちが書いたものなので、彼らが啓発しようとしていた農民のためらいがちな、どっちつかずの声が記録に残っていることはめったにない」(88p)のですが、この本では自分たちを「~人」と考えることにピンとこない農民たちの声を紹介しています。

 オスマン帝国の支配のもとでイスラム教への改宗が進んだ地域もありましたし、また改宗してオスマン帝国内部で出世したスラヴ系の人物もいましたが、バルカンではアナトリアのようなイスラム化は進みませんでした。
 その背景には「キリスト教徒のほうが高い税金を払っていたので、集団で改宗されたら、帝国の税収が減ってしまう」(100p)ということもあったようです。
 
 正教会はオスマン帝国の支配体制に組み込まれて繁栄し、イスラム教の風習と混ざりあうような事態も進行しました。
 イスラム教では結婚の仮契約が可能で離婚も容易だったため、一部の地域では一定の金額を払って一時的な結婚関係を結ぶことが行われましたし(119-120p)、不幸な結婚に追い込まれた女性はイスラム教に改宗することで、夫が改宗しなければ結婚関係を解消することができました(121-122p)。

 18世紀後半になると、「オスマン帝国が衰退したとはいえ、バルカンのキリスト教徒はまだ弱すぎ、外国の支援がなければ自由を獲得することはできな」(151p)いという状況になります。
 この時期には各地のイスラム教徒のエリート層がスルタンから独立しはじめ、無政府的な状況が各地で生まれます。
 
 そんな中、列強の後押しを受けて1830年にギリシャが独立します。ただし、「ルーマニア」や「ブルガリア」といった概念は一部の知識人しか持っていませんでしたし、「アルバニア」や「マケドニア」といった概念はないも同然でした(165p)。
 しかし、列強のパワーゲームの中で実際にルーマニアやブルガリアといった国家が生まれオスマン帝国の支配から独立していきます。さらに、列強のパワーゲームの中で引かれた国境線の外には、「未回収」の同胞や領土が存在しており、バルカン諸国を領土拡張の使命へと駆り立てました(174p)。

 この領土拡張の使命とオーストリア、ロシア両国の思惑が不幸なかたちで重なり第一次世界大戦へと至ります。
 「両国とも、現地の協力者を必要としたため、バルカンの混乱した政治に引きずり込まれた。しかも、そうした協力者を扱うときの判断力に欠け、協力者の軍事力や外交力を過小評価することが多かったために、事態を改善させることもできなかった」(191p)のです。

 第一次世界大戦が終わると、「民族」という単位がこの地域の国境を区切るものとなります。
 そのために、集団殺戮や強制的な改宗が行われ、また多数の難民が出ました。当時のセルビアの情勢を示すための言葉として「人種戦争」や「組織的な絶滅政策」といった、のちのナチスを思い起こさせる言葉が使われています(206-207p)。
 さらにギリシャとトルコの間では強制的な「住民交換」も行なわれ、この地域で民族的・宗教的な「純化」が進みました。

 第二次世界大戦は各国の民族構成を再び揺り動かしました。1930年に約85万人いたユダヤ人は5万人以下に減り、数十万のドイツ系の人々がバルカンを追われ、ギリシャ北部からはスラヴ人とアルバニア人が逃げ出し、コソヴォからはセルビア人が逃げました(217-218p)。
     
 戦後の土地改革が行われたことによって多くの農民が経済的な恩恵を受けましたが、農民政党の政治力は弱く、国の抱える問題に対する政治的な解決策も持ち合わせていませんでした(222p)。
 結局、この地域はギリシャを除いて共産主義化されていくことになります。共産主義国家では急速な工業化が進められ、高い経済成長を示しましたが、80年代になるとそのスタイルは行き詰まり、東欧革命の波とともに共産主義国家は転覆されていきます。
 そしてユーゴスラビアでは、再びナショナリズムが盛り上がり、内戦へと突入していくのです。

 こうしたバルカンの歴史を受けて、エピローグの「暴力について」の中で著者は次のように述べています。
 コソヴォとセルビアに対するNATOの介入は、人間が関与していないかのように見える遠隔操作技術を利用して、今や軍事作戦が敵味方ともに最小限の死傷者と流血ですむことを欧米の大衆に納得させようとした。おそらくこのようにして、戦争そのものからも、かつての社会的暴力と同じように、人間的側面の排除が進行中なのだろう。バルカンの暴力を原始的で非近代的なものだと見なすことは、欧米がバルカンの暴力から望ましい距離を置くための
方法のひとつになった。(259-260p)

 この部分からもわかるように、この本にはユーゴ内戦とそれに対する欧米の「バルカン観」を受けて書かれた本であり、通史として読もうとするとややわかりにくいところもあります。また、少なくとも高校の世界史B程度の知識がないと内容を追うのが難しい部分もあると思います。
 ただ、エピソードを重ねながら重層的に描き出された歴史は面白く、読み応えは十分です(『暗黒の大陸』の読み応えはもっともっとすごいですが)。

バルカン―「ヨーロッパの火薬庫」の歴史 (中公新書)
マーク・マゾワー
4121024400

秋吉貴雄『入門 公共政策学』(中公新書) 7点

 この本の「はしがき」で著者は「ところで、公共政策学って何ですか?」と事あるごとに尋ねられ、面倒になってときに「行政学を教えています」「政治学を教えています」という答えていた過去があると書いていますが、確かに公共政策学とは一般の人にはあまり馴染みのない学問でしょう。

 そんな公共政策学についてのコンパクトな入門書がこの本。以下の目次を見ればわかりますが、問題の発見から政策の立案、決定、実施、評価の一連の流れに沿いながら公共政策学の知見を紹介しています。
 少子化問題や街づくり、生活保護行政など、具体的事例をあげて説明が行われているので、公共政策学について興味がある人だけでなく、政策決定や行政の構造など、広く政治に興味のある人にとっても興味深い内容になっていると思います。
第1章 なぜ公共政策学か
第2章 問題―いかに発見され、定義されるのか モデルケース:少子化対策
第3章 設計―解決案を考える モデルケース:中心市街地活性化政策
第4章 決定―官僚と政治家の動き モデルケース:一般用医薬品インターネット販売規制政策
第5章 実施―霞が関の意図と現場の動き モデルケース:生活保護政策
第6章 評価―効果の測定と活用 モデルケース:学力向上政策
第7章 公共政策をどのように改善するか

 第1章では公共政策学の来歴が語られています。
 公共政策学の源流は第二次世界大戦後のアメリカで提唱された「政策科学」です。政治学者のハロルド・ラスウェルは、総合的なアプローチと高度な計量分析を駆使することで、政治家の介入を排した合理的な政策決定を目指していました(これを「自動化の選好」という)。
 この考えは、ランド研究所を中心にアメリカの国防政策へととり入れられ、ジョンソン政権下ではPPBS(計画プログラム予算システム)として全省庁に導入されました。そこでは「費用便益分析」、「費用有効度分析」といった指標が重要視され、さらに「偉大な社会」プログラムでは貧困対策や医療問題などへもこうしたアプローチが行われました。
 そして、公共政策学もこの時期に誕生します。

 ところが、PPBSも「偉大な社会」プログラムも失敗に終わります。費用便益分析の負担は重さや、経済合理性のみに基づいた予算編成が政治的に受け入れられなかったことが要因でした(23p)。
 そこで、公共政策学は方針の転換をはかり、問題の発見や多元的な知識の投入などを重視するようになっていきます。
 
 現在の公共政策学において重視されているものとして、著者は「問 志向」、「コンテクスト志向」、「多元性志向」、「規範志向」の4つの志向をあげ、さらに「inの知識」、「ofの知識」という2つの研究領域をあげています。
 このうち、「inの知識」とは「政策決定に利用される知識」であり、「ofの知識」は「政策プロセスの構造と動態に関する知識」になります(28p)。
 特定の問題を解決するために問題を発見・定義し、それを政策に落とし込み、決定・実施する。この一連の流れを隣接分野の知見もとり入れながら総合的に分析し、政策の改善を図ろうというのが公共政策学ということになります。

 第2章以降では実際に公共政策学がどのような問題を取り扱おうとしているのかが政策形成から実施・評価の過程にそって語られています。

 まずは第2章は問題の発見と定義についてです。
 少子化は現在大きな問題として捉えられていますが、この問題が多くの人に認識されるようになったのは1989年の「1.57ショック」からです。
 合計特殊出生率自体は1975年から2を下回っており、人口を維持できる水準であるおよそ2.07を下回っているので、その時から少子化が問題となってもおかしくはありませんでしたが、実際に問題となったのは「ひのえうま」である1966年の1.58を下回ってからになります。

 問題は何らかのかたちで人々に「解決されるべき問題」として認識される必要があります。セクハラも地球温暖化もかつては問題として認識されていませんでしたが、現在は多くの人々に「解決されるべき問題」として認識されるようになっています。
 また、問題をどのような枠組みで捉えるかという「フレーミング」も重要になります。例えば、少子化問題も、それを「女性の問題」として捉えるか、「家族の問題」として捉えるかなどによって、打ち出される政策も変わってくるはずです。
 
 これらのことを踏まえて、この章の後半では、公共政策学において、いかにして問題を発見し、構造化するかということが語られています。

 第3章は解決案(政策)の設計について。
 現在の社会問題の多くは複雑で、解決策もじゃんけんにおける「グーに対してはパーを出せば良い」というレベルのものではすまされません。
 この本では中心市街地活性化政策が例としてとり上げられていますが、そこには例えば周辺地域の人口予測が必要になるでしょうし、どのような形での活性化を目指すのか、何を目標とするのかといったことも決めていく必要がります。

 また、方向性や目標が決まったとしてもそれをどんな方法で達成するのかということが問題になります。
 この本では①直接供給・直接規制、②誘引、③情報提供という3つの方法に区分しています。
 例えば、まちづくりに関しては、公的セクターが中心となる建物を立てたり建築物の種類を規制したりするのが①、補助金の提供や税制上の特例措置などが②、ポスターやパンフレットの作成や各種イベントの実施などが③です。多くの場合、これらの政策は組み合わされて実行されます(ポリシー・ミックス)。
 さらにその政策がどの程度の効果を上げそうかということが、費用便益分析でチェックされます。

 第3章の最後の部分では、法律の簡単な読み方も紹介されています。法律には①総則規定、②本体規定、③罰則規定、④雑則規定、⑤附則規定の5つの構成要素があり、「地域商店街活性化法」を例に、それぞれの要素が簡単に解説されています。
 
 第4章は政策決定に過程について。
 この章では「一般医薬品のインターネット販売規制政策」を例にして、国政レベルでの政策決定過程が分析されています。
 日本では府省の官僚によって政策が形成されることが多いですが、彼らは業界団体や専門家などから情報や知識をとり入れつつ政策決定を行っています。
 府省では審議会や私的諮問機関が設置され、そこで業界団体や専門家の知識や情報をとり入れつつ同時に合意形成を図っていくのです。また、公聴会やパブリックコメントによって一般市民からの意見の聴取も行われます。

 以前は省庁で作成された政策が自民党の部会に回され、そこですり合わせが行われ国会へ提出という運びでしたが、橋本行革によって内閣官房の強化されて以来、内閣府でも政策のの企画・立案が行われるようになりました。
 特に中北浩爾『自民党』でも触れられていたように、首相直属の政策審議会を使うのは第二次安倍政権の特徴であり、官邸と各省の考えがぶつかることも出てきています。ここでとり上げられている「一般医薬品のインターネット販売規制政策」では、厚生労働省と規制改革会議が激突し、激しい対立を引き起こしました。
 さらにこの本では、国会での法案の成立過程についても簡単にフォローしています。

 第5章は政策の実施について。いくら素晴らしい政策でも実施のための財源や人員がなかったら「絵に描いた餅」に終わりますが、マスコミの報道などでも意外に見過ごされがちな点かもしれません。
 法律の下に政令・省令・通達・通知といったものがあり、さらに実際に政策を実施する人のために「実施要領」と呼ばれるマニュアルが作成されることもあります。学校教育の内容を決めている「学習指導要領」はおそらく最も有名なものでしょう。
 この章では生活保護行政を中心に、この仕組を見ていっています。

 政策の実施はさまざまな機関が連携して行われます。国と地方自治体はもちろんですが、そこに独立行政法人やNPO、民間企業も絡んでくる場合があります。民間企業についてはピンと来ない人もいるかもしれませんが、例えば自動車教習所は運転免許の技能検定の肩代わりをしており、まさに行政の一端を担っています(143ー144p)。
 こうした機関の連携方法としては、担当者連絡会議・協議会の設置というやり方がありますが、出向人事もその一つの方法となっています。

 実際の政策の実行は、もちろん第一線の職員によっても左右されます。特にこの章でとり上げられている生活保護行政においては現場の職員にそれなりの裁量があり、また、困窮者の「保護」と受給者の「自立」を同時に求められるというジレンマに直面しています。

 第6章は政策の評価について。
 評価には政策のデザインが妥当かというセオリー評価、実施がうまく行っているかというプロセス評価、結果についての業績測定やインパクト評価があります。この章では学力向上政策を例にとって、これらの評価を説明しています。

 このようにこの本を読むと、日本のにおける政策の立案から決定、実行、評価までの一連の流れがわかります。これは多少なりとも政治や社会問題に関わる人にとって役立つ知識となるでしょう。

 そして、この本ではそれを受けて第7章で「公共政策をどのように改善するのか」ということが論じられているのですが、個人的にはここが物足りなく感じました。
 今までの議論を振り返りながら、政策改善のキーとなる概念がいくつか提示されているのですが、公共政策学の有用性をアピールするにはやや弱いです。
 この本でとり上げられている少子化対策や中心市街地活性化、生活保護行政といったものはいずれも「あまりうまくいていない」と認識されている政策だと思います。ですから、公共政策学の知見をとり入れた海外や地方の優れた政策を紹介することが出来たなら、公共政策学の重要性がもっとアピールできたのではないでしょうか。

 公共政策学の内容を紹介する本としては、コンパクトかつ十分な内容だと思いますが、公共政策学の魅力のアピールという点については少し弱さも感じました。

入門 公共政策学 - 社会問題を解決する「新しい知」 (中公新書)
秋吉 貴雄
4121024397

飯田泰之『マクロ経済学の核心』(光文社新書) 8点

 『飯田のミクロ』(光文社新書)の姉妹編とも言うべき本が、『飯田のミクロ』から5年経って登場。ずいぶんと待たされましたが、著者の専攻がマクロ経済学ということもあって『飯田のミクロ』よりもわかりやすく興味深い内容に仕上がっていると思います。
 ただ、先日紹介した坂井豊貴『ミクロ経済学入門の入門』(岩波新書)が、経済学をまったく知らない人にも読めるようになっていたのに比べると、こちらは高校の政治経済レベルの知識をマスターした人、あるいはもうちょっと進んで初学者向けの経済学のテキストなどを読んだ人向けのレベルになります。
 数式もけっこう出てきますし、経済学の知識がまったくない人が読み通すにはちょっとつらい本かもしれません。
 
 目次は以下の通り。
第1章 マクロ経済を見る「目」
第2章 長期経済理論としての新古典派成長モデル
第3章 需要サイドによる景気循環モデル
第4章 マクロ経済学の基本モデルとしてのIS‐LM分析
第5章 労働と価格のマクロ経済学
 
 これに「日本は既に貿易立国ではない」、「経済効果って何ですか?」、「国際金融から見るトランポノミクスの帰結」、「アベノミクスの誤算と雇用者数」といったコラムが挟み込まれています。
 
  まず第1章はGDPの説明から。GDPの特徴について説明した上で、名目と実質、GDPの三面等価などについて説明し、さらに、需要面と生産面の両面からGDPを整理・分析しています。
 GDPに関しては、供給面から決まる(「セイの法則)、需要面から決まる(「有効需要の法則」)という2つの考え方がありますが、著者は潜在的な供給能力と潜在的な需要をくらべて、供給能力が需要を下回っている時は「セイの法則」が当てはまり、供給能力が潜在的な需要を上回っている時は「有効需要の法則」が当てはまるであろうと結論づけています(47p)。
 
 第2章では新古典派の成長モデルが検討されています。
 「経済がどうしたら成長するのか?」というのは長年議論が続いている問題ですが新古典派成長モデル(ソロー・スワンモデル)では、貯蓄と投資こそが長期的な成長の要因だと考えます。
 「投資とは供給能力の増強である」(64p)との視点のもと、所得の中で消費されなかった部分である貯蓄が投資を規定し、それが成長に結びつくと考えるのです。
 
 1人あたり生産を決めるのは1人あたりの資本であり、そして1人あたりの資本を決めるのは貯蓄です。
 1人あたりの資本については人口増加の影響も受けます。人口増加のペースが貯蓄の増加を上回っていれば、1人あたりの資本は減少していしまう可能性があります。
 この視点から行われる政策としては、貯蓄に対する税制上の優遇や強制貯蓄型の年金制度(いずれも貯蓄率を上昇させる)、一人っ子政策などの人口抑制策(人口増加のペースにブレーキをかけることで1人あたりの資本を充実させる)などがあります(79p)。
 また、このソロー・スワンモデルでは成長するにつれ投資による成長の伸びはしだいに衰え、各国の経済水準は次第に収束すると考えられています。貧しい国と豊かな国の差は次第に収縮していくと考えられているのです。
 
 しかし、現実の世界を見ると必ずしもそうはなっていません。韓国や中国など順調にキャッチアップしている国もありますが、先進国と最貧国の差が縮まっているとは言い難い状況でしょう。
 この状況を説明するものとして、経済がある程度の状態になるまでには、何か大きな資源の投入(ビッグプッシュ)が必要だという議論や、人的資本に注目するポール・ローマーの「内生的成長理論」があります。ちなみに、内生的成長理論をとると前提によっては先進国と途上国の差が永遠に縮まらないという結論が出てしまいます(89p)。
 
 第2章の後半でとり上げられるのは、ハロッド・ドーマーモデルです。これは資本と労働力を代替性が仮定されたモデルで、「資本を減らしても、それなりに労働を増やせば、同じだけの生産量を達成できる」(91p)と考えます。
 このモデルでは、労働が余っているときと資本が余っているときで成長を規定する要因が異なります。労働が余っているときは投資が成長の鍵になり、資本が余っているときは人口成長率が成長の鍵になります。
 
 これは、企業は短期的には資本と労働の組み合わせを変えることができないという仮定によっていますが、中長期的に見れば企業はオートメーション化などでこの組み合わせを変化させることができるはずです。
 そこで、著者はハロッド・ドーマーモデルを中長期の成長理論というよりは短期の景気循環モデルとして捉えるほうが適切だと言います(101p)。
 実際に、サミュエルソン=ヒックスの景気循環モデルは、このハロッド・ドーマーモデルと同じ考えだといいます。
 
 第3章では景気循環を分析するモデルとしてケインズの考え方が紹介されています。
 まずは45度線モデルの考え方を紹介し、さらにそこから45度線モデルにはない投資を扱うためのIS曲線、貨幣需要を取り込んだLM曲線を導出しています。
 乗数効果、貨幣需要といったケインズ経済学の概念が丁寧に説明されているので、今まで大雑把にケインズ経済学を理解していた人には勉強になるのではないでしょうか。
 
 第4章では第3章での分析を踏まえてIS-LM分析が説明されています。
 IS-LM分析については「時代遅れ」との評価もありますが(少なくともリーマン・ショックまではそうした見方がけっこうあった)、著者は「IS-LMモデルはすべての市場をその相互作用を考慮した上で組み上げている一般均衡モデル」であり「マクロ経済学入門の主役として取り上げるべきモデル」(149ー150p)と評価してます。
 
 IS-LMモデルの説明は本書に譲りますが、この本ではIS-LMモデルを使って、「フィスカル・ポリシーとビルト・イン・スタビライザーの間にはトレードオフ関係がある」(161p)(累進課税や社会保障制度の強い国では乗数効果は小さい)ことや、クラウディングアウト、金融政策の効果、流動性の罠などを説明しています。
 章の後半ではIS-LMモデルへの批判、例えば、ケインズ型消費関数への批判であるフリードマンの恒常所得仮説などを紹介しています。
 
 第5章ではフリップス曲線を中心に労働市場の問題が分析されています。
 フィリップス曲線はインフレと失業の関係を示したもので、一般的にインフレ率が高い時に失業率は低く、インフレ率が低い時に失業率が高いという関係を示したものです。
 ケインズ経済学ではこの理由は賃金の下方硬直性に求められます。労働者は名目賃金の低下に抵抗するため不景気になっても賃下げは難しいですが、物価上昇による実質賃金の低下には名目賃金の低下ほどの抵抗を示しません。よって、インフレ時には実質賃金の調整がスムーズに進み、雇用も増やしやすいと考えられています。
 この本では、ここからさらにAD−ASモデル(総需要・総供給モデル)を紹介しています。
 
 さらにこの本ではフリードマンによる貨幣錯覚説とルーカスらの合理的期待形成の考えを紹介しています。
 著者はケインズ的な解釈とフリードマン・ルーカス的な解釈を比較して、フィリップス曲線において前者が非自発的失業を問題にしているのに対して、後者は自発的失業を問題にしているのだといいます(216ー217p)。
 そして、総需要が不足している経済ではケインズ的なフリップス曲線の解釈が妥当であるとしています(218p)。
 
 こうした経済状況によるモデルの使い分けについて、著者は消費関数についての部分で次のように述べています。  
 講義で経済学の学説対立を説明すると、「結局どちらの説が正しいの?」という質問を受けることがあります。しかし、消費関数はもとより、これから取り上げる学説上の対立については論理的な白黒をつけることはできません。どちらの説がより妥当なものであるかは、その時、その国の状況によって決まるものなのです。このように考えると、マクロ経済理論は、統計的な検証(実証分析)と合わせて利用しなければならないことが理解できるでしょう。(177ー178p)
 
 これは、厳密なモデルの構築よりも実際の経済と見比べて使えるモデルを探っていこうという著者のスタンスをよく表している部分だと思います。
 
 第5章の後半では量的緩和やインフレーション・ターゲットといったアベノミクスのキーとなる概念を考察しています。
 アベノミクスに関しては肯定的な著者ですが、思ったように物価が上がらなかった理由としてコラム「アベノミクスの誤算と雇用者数」の中で、「想定以上に日本の労働市場に供給能力があったこと」をあげています。女性や高齢者を中心に日本には思った以上の潜在的な労働者がいて、それが賃金の伸びを抑制したというのです(これは玄田有史編『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』の中の川口・原論文の考えと同じですね)。
 
 最初に述べたようにややターゲットとなる読者を選ぶ本だと思いますが、個人的には現実の経済事象と経済学のモデルをつなぐ本として面白く読めました。
 この本を読めばマクロ経済学のモデルというものがどんなものなのかということがつかめますし、また、必要以上にマクロ経済学のモデルを盲信する必要もないということがわかると思います。
 
マクロ経済学の核心 (光文社新書)
飯田 泰之
4334039839
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