山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2012年07月

津久井進『大災害と法』(岩波新書) 7点

東日本大震災からの復興の中で明らかになってきた様々な問題点、そういった問題に法の側面から迫ったのがこの本です。「大災害が起こった時に利用できる法は何か?」ということを紹介するだけではなく、現在の法体系とその運用が抱える課題にまで踏み込んで論じているのがこの本の特徴といえるでしょう。

 本の構成としては、第1部「法のかたち」で日本の災害法制の歴史をたどり、第2部の「災害サイクルと法」で災害直後、復旧、復興時にそれぞれ関わってくる方を紹介、第3部の「法の課題」で東日本大震災によって明らかになった日本の災害法の問題点を指摘するかたちになっています。
 
 ただ、前半から日本の災害法の問題点はビシバシ指摘されており、ハウ・ツーにとどまらない考えさせる内容になっています。
 例えば、避難所での粗末な食事について「法律で、一人一日1010円と決まっている」との言い分がありますが、これは法律より下位の「通知」や「事務連絡」による適用基準でしかありません(20ー22p)。

 また、災害直後の被災者を救うための「災害救助法」は弾力的な運用を許すものになっていますが、その弾力的な運用を阻んでいるものが、「災害救助事務取扱要項」の中の5つの原則。
 それは「平等の原則」、「必要即応の原則」、「現物給付の原則」、「現在地救助の原則」、「職権救助の原則」の5つ。こられの原則は間違ったものではないかもしれませんが、これが硬直的に適用されると様々な問題を生みます。
 災害救助法では、「生業に必要な資金、器具又は資料の給与又は貸与」(23条1項7号)という規定がありますが、実際には「現物給付の原則」の前に、なかなか個人への資金の給付は行われません。
 この「現物給付の原則」の問題点は、林敏彦『大災害の経済学』(PHP新書のせいかいまいち注目されていないですが、この本はいい本。この『大災害と法』でも参考文献にあげられています)、原田泰『震災復興 欺瞞の構図』などでも指摘されていたことですが、今後検討していくべき課題でしょう。

 こういった、硬直的な法の運用が生み出す問題以外にもこの本ではさまざまな問題をとり上げています。
 災害によって借家が全壊してしまったときに適用されることがある「罹災都市借地借家臨時処理法」の内容とその問題点、被災したマンションの選ぶべき選択肢、広域避難に伴う問題、災害があらわにした個人情報保護法の欠陥など、興味深いトピックが並んでします。
 
 この本の中でとり上げられているトピックには、今回の東日本大震災においてはもう手遅れになっているものもありますが、まだまだ現在進行形の問題もあります。その意味からも復興に携わる人、そして被災者の方々に、この本が広く読まれていくといいのではないかと感じました。

大災害と法 (岩波新書)
津久井 進
4004313759

松尾匡『新しい左翼入門』(講談社現代新書) 5点

決してつまらなくはないし、著者の持ちだす「嘉顕の道」、「銑次の道」という図式もそれなりにわかりやすい。けど、読み終わってもこの本が書かれた目的、あるいは狙いといったものがあまりよくわかりませんでした。

 本書の目次は以下の通り。
第1部 「二つの道」の相克史 戦前編
第一章 キリスト教社会主義対アナルコ・サンジカリズム――明治期
第二章 アナ・ボル抗争――大正期
第三章 日本共産党結成と福本・山川論争――大正から昭和へ
第四章 日本資本主義論争――昭和軍国主義時代

第2部 「二つの道」の相克史 戦後編
第五章 共産党対社会党左派・総評
第六章 ソ連・北朝鮮体制評価の行き違い軌跡
第七章 戦後近代主義対文化相対主義――丸山眞男と竹内好

第3部 「二つの道」の相克を乗り越える
第八章 市民の自主的事業の拡大という社会変革路線
第九章 「個人」はどのように作られ、世の中を変えるのか
 これを見れば分かる通り、基本的に本書の内容は日本の左翼運動史です。
 明治から現代に至る左翼運動の歴史がわかりやすい図式によってきれいに整理されています。この図式というのが。冒頭にも書いた「嘉顕の道」と「銑次の道」いうやつです。
 これはNHKで1980年に放送された明治期の日本を舞台にした大河ドラマ「獅子の時代」の登場人物である苅谷嘉顕と平沼銑次をモデルにしたものです(この二人は架空の人物)。
 苅谷嘉顕は薩摩藩の藩士でイギリスに留学、西洋的な理想に染まって日本の現状を変えようとした人物。一方、平沼銑次は会津藩士で維新後は下北半島斗南で苦労を重ね、最終的には秩父の農民放棄に加わります。

 著者は、社会運動家には、「上から目線」で改革を進めようとする「嘉顕の道」と、「現場主義」で現場からの実感によって運動を進めようとする「銑次の道」という2つのタイプが存在するとして、その対立の図式から日本の左翼運動史を描き出します。

 例えば、「アナ・ボル論争」では、堺利彦・山川均・荒畑寒村らのマルクス主義系が「嘉顕の道」で、大杉栄らのアナーキスト系が「銑次の道」、「福本・山川論争」では福本イズムが「嘉顕の道」、山川イズムが「銑次の道」というわけです。
 ちなみに「苅谷嘉顕タイプ」と「平沼銑次タイプ」となっていないことからもわかるように、この「嘉顕の道」と「銑次の道」というのは個人の特徴ではなく、立ち位置みたいなものです(実際、山川均はこの本では「嘉顕の道」から「銑次の道」へと立場を変えたことになっている)。

 また、左翼運動に限らず、丸山眞男と竹内好に関しても、丸山を「嘉顕の道」、竹内を「銑次の道」として分析しています。

 著者は「嘉顕の道」と「銑次の道」の欠点を次のように説明しています。
 「嘉顕の道」は、現場の事情から遊離して、理論や方針を有無を言わさず押し付け現場の人々を抑圧する可能性がある。一方、「銑次の道」は他集団のことを考慮せずに集団エゴ的な行動をとったり、内部で小ボスによる私物化が発生したりする、と。
 確かに、これは左翼運動にありがちな問題点で、そのことからも著者の図式というのは有効だと感じました。

 ただ、だからどうなんだ?という気持ちも残ります。
 「嘉顕の道」と「銑次の道」をうまく統合するはずの第3部が漠然としていることもあって、そこまで左翼の運動史をたどってきた意味というのがいまいち見えないんですよね。
 そして、この本を読んだ多くの人が一番立派なのは賀川豊彦だと感じると思うのですが、その賀川は添え物的な扱いで、メインの左翼の話からは外れます。この本を読むかぎり、「嘉顕の道」と「銑次の道」の間で社会運動家として大きな足跡を残したのは賀川のように思えるのですが、話は賀川から広がっていくわけではなく、また左翼の歴史に戻ってしまいます。

 他方で、「左翼運動史」としてこの本を捉えると厳密性に欠けますし、宮本顕治への分析がもっと欲しかったですし、また「新左翼」に対する記述もほとんどないです。
 
 面白く読める部分もあるのですが、著者のねらいとそのために用意された材料がちぐはぐな印象を受けた本でした。

新しい左翼入門―相克の運動史は超えられるか (講談社現代新書)
松尾 匡
4062881675

児玉聡『功利主義入門』(ちくま新書) 7点

サブタイトルは「はじめての倫理学」。功利主義そのものの解説だけにとどまらず、功利主義を手がかりに「倫理学」という学問自体を考えようという構成になっています。
 また、功利主義を説明したときにすぐさま出てくる疑問、例えば、「多数の命を救うために少数の命を犠牲にしてもいいのか?」、「全体の福利の向上のためなら約束などは破っても良いのか?」、「家族や友人に関係なく誰もを等しく数えるべきなのか?」といったことにも丁寧に応答しています。
 この本を読めば、「最大多数の最大幸福」というベンタム(この本はベンサムじゃなくベンタム表記)の単純なスローガンで(しかも誤解された形で)理解されているケースが多いですが、本書を読めば功利主義がもっと複雑で、時代とともに洗練されてきているものだということがわかると思います。

 「家族や友人に関係なく誰もを等しく数えるべきなのか?」ということに対するゴドウィンの過激な思想と自らの体験からくるその修正について書かれた第3章、第4章も面白いですが、この本で一番面白く感じたのは第5章の「公共政策と功利主義的思考」。
 ここでは全体の福利の向上を目指してパターナリズム的な公衆衛生政策を行ったエドウィン・チャドウィックと、強制的な公衆衛生政策を退け「自由」を重視する考えを示したJ・S・ミルの二人の思想を示しながら、功利主義が公共政策についてどう考えるべきか?ということが論じられています。

 著者はチャドウィックのパターナリズムを退け、J・S・ミルの自由主義に軍配を上げつつも、ミルの自由主義は「個人の自由を尊重しすぎており、現在の公衆衛生活動の多くを正当化できなくなる可能性がある」(117p)として、セーラーやサンスティーンの「リバタリアン・パターナリズム」を紹介しています。
 これは個人にある行動を強制するのでなく、さまざまな仕組みよって人々の行動を誘導することで、全体の福利を向上させようとするもので、パターナリズムと自由主義の間を行く理論になっています。そして、著者も功利主義をこの方向に発展させることに期待をかけているようです。

 というわけで、功利主義や倫理学を考える上でなかなかいいほんだとは思うのですが、松島敦茂『功利主義は生き残るか』安藤馨『統治と功利』を読んだ身としてはやはり物足りない面もあります。
 もちろん、新書のこの本にそういったレベルのことを求めるは贅沢すぎるということは承知しているのですが、全体に突き詰め切っていないような気がするんですよね。
 例えば、功利主義に対しては「功利主義は、あなたとわたしのあいだの違いを真剣に受け止めていない」(松島敦茂『功利主義は生き残るか』の帯の文章より)という批判があります。
 この本でも、そのあたりについて第6章の「幸福について」で応答しようとしていて、そこで著者は、「幸福」の内容は人それぞれであることを認め、政府の仕事は「不幸」の要因を取り除くこと、「最小不幸社会」を実現することではないか、と述べているのですが、こういった部分に突き詰め切っていない部分を感じてしまうんですよね(安藤馨はそういった「人格」の違いといったものを否定しようとしていた)。

 まあ、入門書としては面白く、ためになる本だと思います。

追記:タイトルの著者名が「児玉聡」ではなく「児島聡」になっていました。大変失礼したしました。


功利主義入門 : はじめての倫理学 (ちくま新書)
児玉 聡
4480066713

徳善義和『マルティン・ルター』(岩波新書) 7点

マルティン・ルターのコンパクトな伝記。ここ最近、人文系の新書は「重厚長大」なものが多いですが、この本は180ページちょっとで読みやすく、それでいてルターの主張と時代との関わりがわかるようになっています。

 ルターというと、雷に遭って修道士になることを誓い、その後、カトリックの免罪符(贖宥状)の販売に反対して九五箇条の提題を掲げて教皇から破門され、聖書のドイツ語への翻訳などを行なって宗教改革を成し遂げた人物というような理解をしている人が多いかと思いますが(僕の理解もルター個人についてはこんなもんでした)、これだけでは「ルターがなぜヨーロッパのキリスト教世界の秩序を塗り替えることができたのか?」という問いには答えられないと思います。

 例えば、九五箇条の提題。修道士であったルターがヴィッテンベルク城教会の扉に貼りだしたものと言われていますが、いくらその内容が革新的であったとしても、一回の修道士による張り紙だけではヨーロッパ中を騒がすようなものにはならないような気がします。
 ところが、この本を読むと九五箇条の提題がインパクトを持った背景というものがわかります。
 ルターは当時すでにヴィッテンベルク大学の名高い教授でもあり、神学討論などにおいても知られた存在でした。
 また、ヴィッテンベルク城教会の扉に貼りだされたという確実な証拠はなく、ルターはこの提題をマインツ大司教の元などに送っていたようです。
 さらに、提題が公表された10月31日は、ヴィッテルベルクで聖遺物が開帳される11月1日の前日であり(それを見ると煉獄の苦しみが2万年間帳消しなると言われていた)、当時、それなりに有名人で影響力もあったルターの「狙った」行動だということがわかります。

 そして、カトリックの金集めのための方便と認識されがちな贖宥状が、「ゲルマン世界に見られた損害と賠償、代理という考え方が強く影響している」(63p)という記述にも、なるほどと思いました。

 次に、これはよく指摘されていることでもありますが、ルターの行った運動の広がりに関しては活版印刷の普及という要因が欠かせません。
 この本では、「ルターのドイツ語の著作は、書き言葉を通じたメッセージがマスメディアの機能を果たした、歴史上初めてのケースと考えられる」(127p)と述べています。著者は、ルターの著作、または勝手に印刷されたものを含めて宗教改革期の印刷物の半分程度がルターに関係するものであったと推測しています(130p)。

 この他にも、ルターが子どもへの教育を重視したこと、エラスムスとの論争、ルターのユダヤ人への批判などについても触れられていて、たんにルターの素晴らしさを賞賛するだけではなく、ルターの足跡を幅広く紹介する内容になっています。
 ルターについて知識のある人にはやや物足りない内容かもしれませんが、ルターの人物像、時代背景、そして彼の成し遂げたことが、コンパクトにまとめられているいい本だと思います。

マルティン・ルター――ことばに生きた改革者 (岩波新書)
徳善 義和
4004313724

中澤俊輔『治安維持法』(中公新書) 7点

「稀代の悪法」として名高い治安維持法。しかし、その治安維持法は第2次護憲運動によって成立した護憲三派内閣の手によって作られた法でした。
 「なぜ、政党内閣のもとで民主主義と自由を圧迫するような法律が作られたのか?」「治安維持法がどのようにその対象を拡大していったのか?」、「その運用の実態はどうだったのか?」、そんな疑問に答えてくれるのがこの本です。
 もともと博士論文だったものを大幅に加筆修正したものということで、やや文章としてこなれていない部分もありますが、非常に丁寧に調べてある本だと思います。

 まずは、「なぜ、政党内閣のもとで民主主義と自由を圧迫するような法律が作られたのか?」という点について。
 大正時代の政治において司法省と内務省、政友会と憲政会といった対立構造があり、この4者が対立の中で治安維持法の前身とも言える過激社会主義者取締法案は廃案になっています。そんな中で護憲三派内閣というのは政友会と憲政会の対立構造が一時的とはいえ解消された好機でした。
 また、加藤高明内閣が進めたソ連との国交正常化はコミンテルンによる日本の社会主義者への援助を警戒させました。加藤高明内閣はソ連との交渉の中で「宣伝禁止条項」を入れ、ソ連からの思想宣伝をブロックしようとしています。
 さらに頻発するテロや、導入される普通選挙制度に対する引換としての枢密院の要求、こういったものが政党内閣のもとでの治安維持法の導入を後押ししたのです。

 当初、治安維持法は「結社」を取締の対象としていました。
 ところが、共産党員が一斉に検挙された1928年の三・一五事件で、治安維持法はその「欠陥」を露呈します。
 三・一五事件ではおよそ1600人が検挙されましたが、起訴されたのは488名。治安維持法の結社加入剤の要件であった「情を知りて」という部分などによって共産党員でないと起訴できない状況でした。
 ここから治安維持法の拡大が目指されることになるのです。

 最高刑に死刑を導入した1928年の田中義一内閣による治安維持法の「改正」は、廃案になった法案を緊急勅令の形で復活させ議会に承認させるというひどいものだったのですが、ここで注目すべきは「目的遂行罪」という共産党の行動を支える行為を取り締まることのできる規定ができたことです。
 実は治安維持法違反のみで死刑になったものはおらず、ここでの改正のポイントは、この「目的遂行罪」の導入でした。

 これによって1930年代になると共産党員やその外郭団体が次々と摘発され、治安維持法はその対象を拡大ていくようになります。
 五・一五事件ののちの1934年の改正議論では、政党側が右翼団体やファシズムへの適用を求めて修正案を出す始末で、治安維持法の対象が当初の想定を越えて拡大していきます。1935年には第2次大本教事件が起こり、治安維持法は宗教弾圧にも使われるようになりました。

 その後、治安維持法は、近衛文麿の新体制運動への批判に使われ(新経済体制が私有財産制を否定している)、企画院事件を起こします。
 一方、終戦の迫った1945年2月の「近衛上奏文」で、近衛は陸軍統制派と革新官僚こそが「赤」であり、共産革命を防ぐためにも終戦を決断すべきだとしています。
 このあたりの「共産主義」批判の利用のされ方と、当時の日本の政治のある意味での「社会主義化」との関連性は、この本で掘り下げられているわけではありませんが、非常に興味深いものです。

 この本では、横浜事件、治安維持法の廃止、そして破壊活動防止法にまで筆を進めて終えています。
 著者の最後のまとめ方に関しては必ずしも納得の行くものではありませんでしたが(ここで価値判断に踏み込むならばもう少し厚みのある議論がほしい)、非常に考えさせる内容を多く含んでいるのは確かです。
 先日紹介した荻野富士夫『特高警察』とあわせて読むといいかもしれません。

治安維持法 - なぜ政党政治は「悪法」を生んだか (中公新書)
中澤 俊輔
4121021711

唐亮『現代中国の政治』(岩波新書) 6点

中国人で現在は早稲田大学で教鞭をとる著者が現代の中国政治を概観した本。複雑な中国の政治制度をうまく解説してくれていますが、現状分析についてはやや物足りない面もあります。
 とりあえず、目次は以下の通り。
 第1章     一党支配と開発独裁路線
  1 一党支配体制と強い国家
  2 改革開放路線の推進
  3 中国の「開発独裁」の特徴
 第2章     国家制度の仕組みと変容     
  1 疑似民意機関としての人民代表大会
  2 開発国家の行政制度
  3 「法治」途上の司法制度        
    第3章     開発政治の展開  
  1 市場経済化と格差の拡大
  2 大衆の経済的な維権活動
  3 調和社会へ向かう社会政策の推進        
  第4章     上からの政治改革        
  1 上からの政治改革戦略
  2 「中国式民主主義」の論理と内実
  3 緩やかな自由化              
 第5章     下からの民主化要求       
  1 民主化の担い手としての中間層
  2 市民社会の活動
  3 低調期の民主化戦略
 この内容のうち、第1章と第2章は現在の中国の政治を理解する上で非常に役に立つと思います。
 第1章では、共産党の幹部のランクといった、中国の政治を知る上で必要不可欠だけど、新聞やニュースではなかなか得られない知識が得られますし、共産党の各組織における組織率なども興味深いです。
 
 第2章では擬似民意機関である全国人民代表大会のしくみ、法律の制定過程、国務院の組織図など、これまたニュースなどではなかなか見えにくい中国の政治制度がわかりやすく解説されています。
 この中には、全人代に集まる人民代表の職業という表も載っていて(50p、2003年とやや古いものですが)、党の幹部の他に起業家が多く、逆に農民や労働者が少ないといったデータも出ています。
 また、中国の司法制度の問題に対する指摘も歴史的経緯を踏まえて行われていて、この第2章は非常に役立つ内容になっているといえるでしょう。

 けれども、その後の政治改革や民主化についての部分はやや物足りない。
 都市と農村の格差、集団の抗議活動、土地収容をめぐる問題、インターネットの普及、鳥坎事件、劉暁波と08憲章など、現在中国の問題点を分析する道具は揃っているのですが、そこからの分析が表面的に感じます。

 例えば、著者は第5章で、中間層の成長が民主化の担い手となるというアメリカの政治学者リプセットの仮説をもとに議論を進めています。
 しかし、この本にも引用されている園田茂人『不平等国家中国』の調査によると、中国の中間層は保守的で、中央政府とテクノクラシーによる支配を肯定しています。これについて著者は中国の中間層の未熟さを認めつつも、「中国異質論」を退け、次のように述べています。
 近年、農民や労働者などは政府や企業に対し、経済的な維権活動を展開しているが、そこでの主張は、主として個人ないし自分たちの経済的利益である。他方、中間層の多くは、個人の利益を守るために行動を起こすだけでなく、平等、正義、自由などの立場からも大衆の維権活動を支援したり、公共政策の転換、制度改革を主張したりしている。
 たとえば、貧富の格差の拡大は弱者に不利であるが、中国では、格差を大きく問題視し、その是正を強く主張しているのは弱者自身というより、主として中間層やリベラルな知識人である。利害調整や分配の公平性に関わるという意味で、個人の利益もしばしば公共性を帯びる。しかし、個人の利益の主張ではなく、社会の立場から主張し、政治に参加することは公共性がいっそう強い。(185ー186p)
 中国の問題についてそれほど詳しいわけではないですが、個人的にこの部分には違和感を持ちました。
 中国の農民が自分たちの経済的利益を必死で主張するのは、そうしなければ自分たちの生活が破壊されてしまうからであって、一方、中間層がやや広い視点で社会問題について考えることができるのはそれだけの経済的な余裕があるからですよね。

 そしてその中間層を支えているものの一つが、梶谷懐が『現代中国の財政金融システム』で指摘する不透明な土地収用システムと、土地市場を通じたレントです。
 現在の中国では、中間層のすべてとはいえませんが、その一部はある種の既得権益やそれに連なる部分から利益を得ているわけで、そのあたりの矛盾をもっとえぐり出さないと、現在の中国の問題点や取り組むべき課題といったものは見えてこないような気がしました。

現代中国の政治――「開発独裁」とそのゆくえ (岩波新書)
唐 亮
4004313716
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通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
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