著者の高口康太氏よりご恵投いただきました。どうもありがとうございます。
新型コロナウイルス発祥の地と言われ、最初に大流行を経験した中国ですが、その後コロナは他国に比べて大きく抑え込まれました。その理由としては、徹底したロックダウンとともにIT技術を駆使したさまざまなデジタル監視技術があったとも言われています。
しかし、「上に政策あれば下に対策あり」と言われる中国において、本当にIT技術だけで人を動かすことはできたのでしょうか? また、デジタル監視技術が進歩する中で中国の人びとはそれに対してどのように感じているのでしょうか?
本書は、こうした疑問に対して中国に関するさまざまな取材を続ける著者が迫ったものになります。著者は話題になった『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)の共著者でもありますが、コロナという危機に対して「幸福な監視国家」がどのように振る舞ったのかということを教えてくれる本になっています。
目次は以下の通り
第1章 14億人を封じ込めた大動員第2章 デジタルに導かれる人々第3章 デマと迷信を乗り越えて第4章 摩天楼と城中村
著者は2020年の2月17日に広東省の深センを訪れています。中国政府が新型コロナウイルス対策を支持してから1月ほど経っての訪問になりますが、とにかく「無接触」が徹底されていたそうです。
バイドゥが発表した移動データによると2月〜3月中旬にかけて都市内の移動は7〜8割ほど減少しており、中国での外出自粛は徹底していました。
なぜ、人手はここまで減少したのでしょうか? 2月17日の深センの新規感染者数はわずか1人、累計でも416人に過ぎなかったというのに(28p)、街にはほとんど人影はなかったといいます。
この理由として、日本ではデジタル技術による監視があげられることが多かったのですが、著者はそれは少し違うと考えています。
確かに一部ではドローンを使った監視なども行われたとのことですが、実際に鍵を握ったのは、習近平指導部がコロナ対策を最優先事項に引き上げ、各地方政府が争って対策を行ったからだといいます。
例えば、チベット自治区では湖北省からの訪問者の陽性が確認されたことで医療戒厳令とも言うべき「一級饗応」が発令されました。たった1人の感染者が出ただけでです。
また、ロックダウンは個人の事情などをまったく考慮せずに行われました。たまたま家に帰る途中に武漢市内の高速道路を通ったために2ヶ月近いロックダウンに巻き込まれた夫婦もいたといいます。
ただし、そうは言ってもどのように人びとにルールを遵守させたのでしょうか?
これを可能にしたのが社区と呼ばれる団地を管理する居住委員会や農村の村民委員会でした。
もともと中国では社会主義経済のもとで、都市部では国営企業などが従業員を管理し、行政サービスを提供していましたが、改革開放が始まるとこの構造が崩れます。その代わりに団地などを単位として社区が設置されるようになったのです。
この社区を管理するのが居住委員会です。日本の町内会などを思い起こさせますが、居住委員会のトップ(書紀)は政府から給与をもらう公務員です。この居住委員会は社区内の問題の調停、保緑(緑化と維持)、保潔(清掃)、保安(治安維持)の公共サービスなどを担っており、これがコロナ対策で活躍しました。なお、同じようにコロナ対策に成功した台湾にも里長という同じような仕組みがあるそうです。
さらに中国全土には中国共産党の組織がはりめぐらされています。2021年6月時点で党員数は9515万人で、ここ40年で党員数は2.5倍に伸びています。さらに中国共産主義青年団(共青団)という14〜28歳の若者が所属する下部組織もあり、こちらも2017年末時点で8124万人がいるといいます。両方に所属しているケースが単純には言えないのですが、全人口の1割、1億4000万人程度が中国共産党、または共青団に属していると思われます(62-65p)。
このようなマンパワーに加えて、中国政府は「網格化管理」(グリッド・マネジメント)と呼ばれる手法を導入したといいます。社区を300〜500世帯の網格に分割し、そこに網格員を配置して管理を徹底しようとしたのです。
実際に網格員がどの程度配置されており、今回のコロナ対応でどれくらい役に立ったかどうかはわからない部分もあるのですが、北京市では8万5千人の網格員が戸別訪問を行って発熱者の把握に努めたと言われます。
では、デジタル技術は無意味だったかというと、そんなことはありません。
まず、デジタルを使った網格員間の情報共有が行われ、住民とのやり取りをチャットなどで済ませることによって仕事の負担を軽減しました。さらにコロナ前から普及していた行政への情報通報アプリも情報の共有や網格員の管理に役立ったといいます。
また、中国で進んでいるのがデジタル技術による本人確認です。中国がネットの普及でも後発でしたが、その分、モバイルインターネットが中心になりました。中国では2004年から第2世代身分証の普及が始まり、2010年代になってからは携帯電話番号の所得に身分証の登記が必須となったため、スマホが本人確認の機能をもつツールになりました。
さらに身分証には顔写真データもあるために、AIカメラによる顔認証機能を使うことも可能です。こうしたことによって中国ではさまざまな行政手続きがスマホで完結するようになりました。
いわゆるシェアリングエコノミーに関しても中国では日本以上に進んでいます。日本のウーバーイーツはサービスに対応した店しか扱っていませんが、中国では配達員が一般客として購入したものを運んでおり、「市場で肉を500g買ってきて」といったリクエストも可能です。
病院などに関しても、以前は良い医者にかかるために何時間も並ぶという状況でしたが、まずは整理券を売るダフ屋が現れ、ネット予約が始まり、大病院の医師によるオンライン健康相談が始まるなど、一種のシェアリングエコノミーによって問題が乗り越えられています。
さらにデジタル技術による管理はコロナ禍の中で一段と進みました。「ハイリスク地域への滞在履歴がないこと」と「特定の場所を訪問した記録を残すこと」という2つの機能をもった「健康コード」というアプリが登場し、これが機能したのです。
例えば、感染者が出たマンションは公表され、感染者が出た航空機や高速鉄道なども公開されます。さらに感染者の簡単な行動履歴も公開され、自分が感染者と接触した可能性があったのかが確かめられるのです。また、位置情報はGPSではなく携帯電話基地局の記録が活用されておりGPS以上の精度がありました。
2021年10月には、感染者と同じ場所に10分以上いた場合、健康コードが黄色になり、緑に戻すにはPCR検査が必要となりました。
デジタル技術による省力化も進みました。健康コードのチェックイン機能も紙に名前などを書く方式からQRコードの読み取りに変化し、健康コードど紐付いた顔認証機能をもった端末も発売され、スマホがなくても健康コードの履歴を確認し、同時に体温測定もできるようになりました。
もともと中国ではエラー防止や不正防止のためにさまざまな手段が用いられており、レストランが衛生的に営まれているかを証明するために厨房をガラス張りにしたり厨房の動画を公開したり、食器類をビニールでパッキングして出したりしていましたが(政府の認証を受けた第三者の企業が食器を洗ってパッキングする)、デジタルで記録を残すことが「緩み」の防止に役立ったといいます。
経済対策にもデジタル技術が活かされました。コロナによる経済の落ち込みを防ぐために、日本をはじめとして先進国では現金給付が行われましたが、中国では電子消費券というクーポンが使われました。これは利用額の10%程度が割り引かれるクーポンで決済アプリなどを通じて配布されました(著者の中国の友人は1人当たり1200ドル配ったアメリカのほうが社会主義的だと笑っていたとのこと)。
さらにアプリを使った社区単位の共同購入なども行われ、これは老人なども助かったといいます。
ただし、基本的にデジタル技術が駆使される中で中高年などは取り残される状況にあります。
健康コードがなければ地下鉄にも乗れない状況であり、スマホが使いこなせなければ日常生活にも支障をきたします。
先ほど紹介した電子消費券もアプリからの申請が必要で、使えなかったという中高年も多かったと考えられます。
一方で最近の中国ではIT企業への規制も進んでいます。アリババやテンセントの株価は大きく落ち込み、中国のIT企業のアメリカでの上場が断念されるケースも出ているのです。
この引き金は、アリババの幹部が自らの不倫をもみ消すためにウェイボーからこのトピックを消す行動に走ったことが問題視されたからだとも言われています。共産党にとってメディアをコントロールするのは自分たちであり、巨大IT企業がそれを行うことは大きな問題なのです。
デジタル化が進む中で、民間のIT企業への締め付けはさらに強まりそうな情勢です。
このように中国ではコロナを抑え込んだわけですが、それでもこれだけ強引な手段を使えば人びとには不満がたまるのではないかと思われます。それでも、今のところ人々から大きな不満が高まっている様子は見受けられません。これはなぜなのでしょうか?
ネット規制について著者は『三体』で知られる劉慈欣にインタビューで聞いてみたことがあるのですが、劉の答えは「ネット時代においては、デマとフェイクニュースも避けられません。ですから、まずは法律と政府によるネット情報への関与を強化し、危険な影響を持つデマとフェイクニュースをすみやかに発見・防止すべきでしょう」(136−137p)というものでした。
もちろん、中国政府を批判するようなことは言いにくいということもあるのかもしれませんが、この「無秩序なデマよりも政府の検閲のほうがましである」という考えは、多くの中国の人々に共有されていると見られます。
2003年のSARSのときには「炊飯器に酢を入れて保温モードにすると空間除菌ができる」、「ヤクルトが良い」などの噂が広がり、2010年の鳥インフルエンザのときにはニンニクが予防になるとしてニンニクの価格が30倍以上に高騰しました。
福島第一原発事故の際には、食塩にヨウ素が添加されていたことから食塩の買い占め騒動が起きています。著者の妻の親戚の家にも食塩が山のように買い置きしてあったそうですが、その親戚は「多分、デマだろうとは思った。でも誰もが買っていたからね。もし買わなかったらしばらく塩は手に入らないでしょう。そもそも安いし、腐らないし、万が一を考えたら勝っておいたほうが合理的」(152p)と答えたそうです。
このように数々のデマや噂に右往左往させられた経験のある中国の人々にとって、言論統制は必ずしも悪いことではないわけです。
また、中国のネットの監視技術が洗練化されていて普通の人にはその監視や規制が気づきにくいという理由もあります。
中国では以前からGoogleやFacebookへのアクセスが制限されていましたが、胡錦濤体制のもとではネットに地方政府を告発する声がさかんにあがり、それが大きな事件に発展することもありました。
しかし、2012年に習近平体制が発足して以降、ネットへの統制は厳しく巧妙になっています。政府を批判するメッセージはあからさまに削除されるのではなく、密かに他の人から見えない状態にされており、なかったものとして埋もれていきます。
新型コロナウイルスの感染拡大局面において、湖北省からの発信が極端に少なくなったというデータもあり、発信が密かに消された、あるいは見えなくされたということも考えられます。
習近平政権になって登場した言葉に「正能量」(ポジティブエネルギー)というものがあります。これはポジティブな情報でメディアを満たそうというコンセプトで、これによって怪しげな健康食品等への規制は強くなり、広告タレントに連帯責任を負わせるような法律もできています。
この「正能量」は、アイドルにも向けられています。ファンに投票券を買わせるようなアイドルのオーディション番組は「正しくない」として規制され、さらに芸能人やインフルエンサーにも規制の手は伸びています。
ただし、本当に中国政府が人々の行動をコントロールできるのかどうかはわかりません。
例えば、今回の新型コロナウイルスではセンザンコウが中間宿主だとも言われており、「野味(やみ)」とも言われる野生動物を食べることを規制する動きがありますが、中国ではトラを食べるためにトラ牧場がつくられ、パンダの肉が流通した過去もあり、こうした規制が今後も実効性をもってつづくのかどうかは不透明です。
中国ではデジタル技術だけではなく、経済、あるいは人々を取り巻く社会そのものが急速に変化しています。人々を啓蒙だけでは間に合わないような変化の中で、政府はさまざまなデジタル技術を駆使して人々の行動を変えようとしているわけですが、それが成功するかどうかはまだわからないのです。
このように本書はタイトルに書かれている「「コロナ封じ」の虚実」をさまざまな事例を通じて明らかにするとともに、強引な対策に対して人々からの不満があまり出てこない理由についてもその一端を明らかにしています。
日本では受け入れられないようなことをなぜ中国の人々は受け入れるのかといえば、やはりそこには今までの社会のあり方の違いがあるのです。
おもしろネタを交えながらも中国社会の本質について教えてくる本ですし、日本のコロナ対策や今後の社会のあり方についてもいくつかの示唆を与えてくるものになっています。
