「明治期の日本語がいかに表記されたのか?」という、かなり細かい話題を追っている本なのですが、これが面白い!
漢字の字体、振り仮名、外来語、「同語異表記」と「異語同表記」、「消えたひらがな」、辞書の変遷などのトピックを通じて、明治期の言葉の揺れと、その揺れの終息、そして日本語に起きたこの100年の大きな変化が見えてきます。
著者は、まず明治期のテキストの現物を徹底的に見ていきます。
例えば、夏目漱石の手書きの原稿。その中の漢字には「楷書体」「草書体」「行書体」が混在しており、またいわゆる「旧字体」である「康煕字典体」と「新字体」である「非康煕字典体」の両方を見ることができます。
さらに行頭に句読点が来る例もあり、「禁則処理」がなされていません。
このようにある意味で明治期の日本語というのは「自由」です。
「元始」(はじめ)、「喜楽」(よろこび)、「虚仮」(いつはり)、「隆盛に」(さかんに)など、振り仮名を使うことで(58ー59p)、和語を漢字で表すこともできますし、同じ「基礎」という漢字の表記に、「いしずゑ」、「もとゐ」、「どだい」と振り仮名をふることで「異語同表記」を行ったりもしています(74p)。
また、外来語の「handkerchif」(ハンカチーフ)も、意味や音から「手巾」(ハンケチーフー)、「白汗巾児」(しろはんけち)、「半手巾」(はんかちーふ)、「半巾」(はんけち)など、さまざまな漢字を当てて表そうとしています(77ー80p)。
明治期まで、日本語の「公」性の高い文書においては漢語を使って漢字で書くというスタイルが一般的でした。当時の法律などに見られる漢字にカタカナが混じった文というのがその代表です。
一方で、幕末から明治期にかけて出版された「草双紙」においては、漢語もほぼひらがなで書かれており、庶民の読み物の間では一種の「漢字離れ」が進んでいたことも窺えます。
この日本語表記の大きな「揺れ」は、活字印刷の普及とともに徐々に収束していくことになります。
漱石の『それから』の手書き原稿にあった「矢っ張り」は新聞紙上では「矢張」に書き換えられ、「難有い」という漢文式表記は「有難い」に直されています。まだこの時点では「ピアノ」と「ピヤノ」など不統一な部分も残っているのですが、「正しい表記」というものを確立しようとする動きが出てきています。
さらにこの「揺れ」を収束させる動きはひらがなの表記にも及んでいます。
明治期までひらがなの「し」には、現在まで使われている「し」と、それが行頭や行末にきた時に使われる漢字の「志」に似た文字に2つのものがありました。
明治期に大槻文彦が編纂した日本初の近代的国語辞典とされる『言海』においても、見出し語の「し」には「志」に似たひらがなが使われています。
ところが、この「志」に似たひらがなは1900年に文部省の出した「小学校令施行規則」の中の「第一号表」には存在せず、これらのひらがなは「変体仮名」と言われるようになり、次第にその姿を消していきます。
ここでは教育が日本語の「揺れ」を収束させる役割を果たしていたのです。
こうした活字や教育による日本語表記の統一について豊富な事例を用いて検証しているのがこの本の一つの魅力なのですが、この本にはもう一つ日本語の変化につての大きな主張があります。
それが日本語の中の「漢語」と「和語」の関係です。この関係こそが、明治期の言葉と現在の言葉の大きな違いとなります。
著者は「おわりに」の中で、明治期から現在までの歴史で日本語が「得たもの」として「書き方のルール」をあげ、「失ったもの」として「漢語という語種」をあげています。そして「失ったもの」について次のように書きます。
言うまでもなく、現在「外来語」といえば、英語、ドイツ語、フランス語など欧米の言葉をルーツにしたものを思い浮かべます。そしてそれはカタカナで表記され、他の日本語とは区別して書かれます。
この感覚がかつては中国から来た「漢語」にもあり、それが明治期を境にどんどん失われていったということは、たんに言葉だけの問題ではなく、日本の「外国観」にも通じるものがあるようにも思えます。
かつて日本にとって進んだ「異国」として揺るぎない位置にあった中国。しかし、ペリー来航以来の欧米との接触によって日本にとって進んだ「異国」は欧米となり、中国はあるときは自分たちよりも西洋化の面で遅れている「蔑視の対象」として、またある時は「同じ亜細亜の同胞」として立ち現れるようになります。いわば「ある種の緊張関係」がなくなっているわけです。
ですからこの本は、明治期の日本語の「書きことば」という非常に細かく思える対象を分析しながら、同時に「書きことば」の変化の中から、近代日本の大きな変化をあぶり出しているとも言えるでしょう。
万人向けの本ではないかもしれませんが、個人的には強くお薦めしたい本です。
百年前の日本語――書きことばが揺れた時代 (岩波新書)
今野 真二

漢字の字体、振り仮名、外来語、「同語異表記」と「異語同表記」、「消えたひらがな」、辞書の変遷などのトピックを通じて、明治期の言葉の揺れと、その揺れの終息、そして日本語に起きたこの100年の大きな変化が見えてきます。
著者は、まず明治期のテキストの現物を徹底的に見ていきます。
例えば、夏目漱石の手書きの原稿。その中の漢字には「楷書体」「草書体」「行書体」が混在しており、またいわゆる「旧字体」である「康煕字典体」と「新字体」である「非康煕字典体」の両方を見ることができます。
さらに行頭に句読点が来る例もあり、「禁則処理」がなされていません。
このようにある意味で明治期の日本語というのは「自由」です。
「元始」(はじめ)、「喜楽」(よろこび)、「虚仮」(いつはり)、「隆盛に」(さかんに)など、振り仮名を使うことで(58ー59p)、和語を漢字で表すこともできますし、同じ「基礎」という漢字の表記に、「いしずゑ」、「もとゐ」、「どだい」と振り仮名をふることで「異語同表記」を行ったりもしています(74p)。
また、外来語の「handkerchif」(ハンカチーフ)も、意味や音から「手巾」(ハンケチーフー)、「白汗巾児」(しろはんけち)、「半手巾」(はんかちーふ)、「半巾」(はんけち)など、さまざまな漢字を当てて表そうとしています(77ー80p)。
明治期まで、日本語の「公」性の高い文書においては漢語を使って漢字で書くというスタイルが一般的でした。当時の法律などに見られる漢字にカタカナが混じった文というのがその代表です。
一方で、幕末から明治期にかけて出版された「草双紙」においては、漢語もほぼひらがなで書かれており、庶民の読み物の間では一種の「漢字離れ」が進んでいたことも窺えます。
この日本語表記の大きな「揺れ」は、活字印刷の普及とともに徐々に収束していくことになります。
漱石の『それから』の手書き原稿にあった「矢っ張り」は新聞紙上では「矢張」に書き換えられ、「難有い」という漢文式表記は「有難い」に直されています。まだこの時点では「ピアノ」と「ピヤノ」など不統一な部分も残っているのですが、「正しい表記」というものを確立しようとする動きが出てきています。
さらにこの「揺れ」を収束させる動きはひらがなの表記にも及んでいます。
明治期までひらがなの「し」には、現在まで使われている「し」と、それが行頭や行末にきた時に使われる漢字の「志」に似た文字に2つのものがありました。
明治期に大槻文彦が編纂した日本初の近代的国語辞典とされる『言海』においても、見出し語の「し」には「志」に似たひらがなが使われています。
ところが、この「志」に似たひらがなは1900年に文部省の出した「小学校令施行規則」の中の「第一号表」には存在せず、これらのひらがなは「変体仮名」と言われるようになり、次第にその姿を消していきます。
ここでは教育が日本語の「揺れ」を収束させる役割を果たしていたのです。
こうした活字や教育による日本語表記の統一について豊富な事例を用いて検証しているのがこの本の一つの魅力なのですが、この本にはもう一つ日本語の変化につての大きな主張があります。
それが日本語の中の「漢語」と「和語」の関係です。この関係こそが、明治期の言葉と現在の言葉の大きな違いとなります。
著者は「おわりに」の中で、明治期から現在までの歴史で日本語が「得たもの」として「書き方のルール」をあげ、「失ったもの」として「漢語という語種」をあげています。そして「失ったもの」について次のように書きます。
こうしたルールの下にある現代の日本語について、これまであって、今ないことを、一言でいえば、「漢語という語種」ということに尽きる。現代においては、今使っている語のどれが和語でどれが漢語か、という語種の感覚が著しくなくなってきている。平安期以降編まれた勅撰和歌集において原則的には漢語が使われないということを持ち出すまでもなく、過去の日本語においては、漢語は、漢語としての、言い換えれば「外来語」としての特徴を維持し続けていた。
本書においては、明治期を「和漢雅俗の世紀」と呼んだが、明治期もまたそれまでの時期と同様に漢語が漢語として存在していた時期であった。漢語は外来語としての位置を長く保っていた。和語と漢語がある種の緊張関係を保ち、その緊張関係に基づいて語彙体系が形成されていたというのが過去の日本語であろう。漢語を適切に、かつ効果的に使うことは、過去の日本語の「書きことば」に求められていたことであった。そして、それが「書きことば」の「公」性を支えていた。漢語は漢字で書くのが当たり前であり、「漢語を使う」ということは「漢字を使いこなす」ということでもあった。(185ー186p)
言うまでもなく、現在「外来語」といえば、英語、ドイツ語、フランス語など欧米の言葉をルーツにしたものを思い浮かべます。そしてそれはカタカナで表記され、他の日本語とは区別して書かれます。
この感覚がかつては中国から来た「漢語」にもあり、それが明治期を境にどんどん失われていったということは、たんに言葉だけの問題ではなく、日本の「外国観」にも通じるものがあるようにも思えます。
かつて日本にとって進んだ「異国」として揺るぎない位置にあった中国。しかし、ペリー来航以来の欧米との接触によって日本にとって進んだ「異国」は欧米となり、中国はあるときは自分たちよりも西洋化の面で遅れている「蔑視の対象」として、またある時は「同じ亜細亜の同胞」として立ち現れるようになります。いわば「ある種の緊張関係」がなくなっているわけです。
ですからこの本は、明治期の日本語の「書きことば」という非常に細かく思える対象を分析しながら、同時に「書きことば」の変化の中から、近代日本の大きな変化をあぶり出しているとも言えるでしょう。
万人向けの本ではないかもしれませんが、個人的には強くお薦めしたい本です。
百年前の日本語――書きことばが揺れた時代 (岩波新書)
今野 真二
