ジョン・ラスキン、多くの人は名前は聞いたことはあるが具体的に何をしたのかというとわからないというような存在だと思います。
 もちろん絵画に詳しければターナーの擁護者としてのラスキンを知っているかもしれませんし、デザインに詳しい人ならウィリアム・モリスに大きな影響を与えた人として、あるいは環境保護に関心のある人ならナショナル・トラスト運動の元になる運動を始めた人として名前を知っているかもしれません。
 そんな多面的な活動をしたジョン・ラスキンの経済学批判を読み解き、現代社会においてクローズアップされてきたエコノミーとエコロジーの調和の問題を考えようとした本です。

 著者は伊藤邦武は歴史学者でも経済学者でもなく哲学者。今までも『ケインズの哲学』などで経済学における合理性の問題などを扱い、パースやジェイムズのプラグマティズムなどを研究してきた人物です。
 というわけでこの本は、たんにラスキンの主張を見るだけではなく、プラトンやクセノフォンから受け継がれたその思想的背景、彼の批判対象となったアダム・スミスやJ・S・ミルの主張、プルーストやガンディーへの影響、さらにガンディーからディープエコロジーへの思想的つながりなど、ラスキンを西洋思想の大きな流れの中に位置づけ、その独自性を取り出そうとした内容になっています。

 そのラスキンの経済学批判の骨子とは著者のまとめによれば以下のとおり(108p以下の記述を参照)。
1,経済学における「エコノミック・マン」の想定はあまりに抽象的である。
2,人びとが「富裕になること」しか考慮に入れず、「名誉」の問題を扱えない
3,「富の蓄積」だけをとり上げ「富の公平な配分」がとり上げられていない。
4,経済の自己調整能力への信頼は、富裕による権力の腐敗を考慮に入れると過剰である。
5,労働の価値は市場に従属するものではなく、労働に内属する価値がある。
6,労働の生産性は「正しい物が正しい者に届くか否か」で決められるべき。
7,「需要が供給によって決定される」という前提(セーの法則)は誤っている。
8,人格的な志向が需要と労働を生む。経済学ではこれらの分析がなされていない。

 内容はやや難しく感じられるかもしれませんが、例えば7の「セーの法則は誤っている」というのは、このあとケインズによって指摘されることですし、それ以外の点に関してもこの後の経済学批判ではよくとり上げられているものです。
 特に以下に引用するような労働に関する、ラスキン、そしてロマン主義者たちの経済学への批判というのは現代社会にとってますます重要なものとなっているのではないでしょうか?
 (功利主義とロマン主義の対立は)私たちの「労働」を、私たち自身が追求する欲望充足を妨害する「苦」と捉えるのか、それとも、それ自体において私たちの「自己表現」の実現としての「快」と考えるか、という対立として現れるのである。(83ー84p)
 
 さらに第3章では、ラスキンのエコロジー的な考えもとり上げられており、1885年の時点で「気候変動」に警鐘を鳴らすなど、ラスキンが現在の視点から見て先進的な考えを持っていたこともわかります。
 このようにこの本は、ラスキンという人物の思想、そして多面的な活躍、そして当時の思想的対立を
知ることのできる本になっています。

 ただ、ラスキンの考えから現在の経済学を乗り越えるような価値観を取り出せているかというと個人的にはそこまではいっていないと思います。
 ラスキンの経済学批判は確かに妥当であって、経済学の限界というものを19世紀の早い時期に見て取っているのですが、ではラスキンの提唱する「穏やかな経済」が国家レベルで実現するかとなるとそれは難しいと思います。
 「あとがき」で著者はラスキンを通じて「よい・わるい」という価値判断の問題(同じ「よい・わるい」でも道徳的価値、美的価値、合理的価値によってその内実は異なる)を考えたかったと述べていますが、そこまでは至らなかったというのが個人的な感想です。

 
経済学の哲学 - 19世紀経済思想とラスキン (2011-09-25T00:00:00.000)
伊藤 邦武
4121021312