前作『円のゆくえを問いなおす』(ちくま新書)でも丁寧で鋭い分析を見せていた片岡剛士の新刊は新書における「アベノミクス分析・一番乗り」の本にして、 しばらくこれで十分だろうと思わせる本。前作は、安達誠司『円高の正体』(光文社新書)とやや内容がかぶっていて遅れを取った感じもなくはなかったのです が、今作は出版のタイミングも内容も申し分ないと思います。
 
 「アベノミクス」は、「大胆な金融緩和」、「機動的な財政政策」、「民間投資を喚起する成長戦略」の「3本の矢」からなっており、その中でも注目が集まっているのが、新しく総裁に就任した黒田東彦総裁による「異次元緩和」とも呼ばれる「大胆な金融緩和」です。

 実際、この「大胆な金融緩和」が「円安・株高」の流れをつくり出し、経済に明るい展望をもたらしていますが、この政策に対しては批判や疑問も多く寄せられています。
  その中でも、「今まで日銀はさんざん金融緩和をやってきたのに景気が回復しなかったのだから金融政策は無力である」という意見と、「大胆な金融緩和はミニ バブルをもたらすだけで生産性が伸びなければGDPは増えない」という意見、さらに「アベノミクスは再分配の政策が弱く、一部の金持ちにしか恩恵が行き渡 らないのではないか?」という意見は代表的なものだと思います。

 では、この本ではそうした疑問に対してどう答えているのか?
 簡単に見て行きたいと思います。

 まず、「今まで日銀はさんざん金融緩和をやってきたのに景気が回復しなかったのだから金融政策は無力である」という意見。
  これについて著者は、プラザ合意からバブル景気、そしてバブル崩壊後の経済低迷の時期の日本経済に関して、「3×3のフレームワーク」という複合的な視点 を使って分析することで、日銀の金融政策がいかに情勢分析を誤り、そして緩和が足りなかったかということを指摘しています。
  また、220p以下では白川総裁のもとで行われた2013年1月22日の日銀政策決定会合で打ち出された「2%の物価安定の目標」がいかに不十分で、問題 の多いものだったかということが説明されており、今までの日銀の金融緩和と黒田日銀の金融緩和の中身の違いがわかるようになっています。

 次の「大胆な金融緩和はミニバブルをもたらすだけで生産性が伸びなければGDPは増えない」という意見。
 これに対して、この本では市場の動きを株や債券・土地などのストック市場と、生産活動や設備投資・雇用などのフロー市場に分けて考えています。
 ストック市場は株価の動きなどを見ればわかるように実体経済を先取りして動きます。そこでは人びとの「予想」が重要な役割を果たし、その市場は大きく動きます。いわば、ストック市場は「未来」を先取りしています。
 一方、フロー市場はそうはいきません。景気の減速が明らかになったからといって、社員の給料はすぐさま引き下げたり、販売する商品の価格を一気に改定するというのは簡単なことではありません。フロー市場は「過去」に強く影響され、粘着的な性質を持つのです。
 ですから、景気が上向く時はまずはストック市場が反応し、その後にフロー市場が動き出すことになります。景気回復が株価の上昇などから始まるのはごく自然なことなのです。

 さらに「生産性」については次のようにコメントしています。
 潜在成長率に影響する要因である「生産性」も、(景気の)循環変動と密接な関係性を持っています。生産性は、機器や設備などの投資によって向上します。ですから、投資が停滞すると生産性も停滞してしまいます。(74p)
  これは非常にシンプルでわかりやすい理論ではないでしょうか。「生産性」をキーワードに使うエコノミストは、やれ「イノベーションが必要だ!」、やれ「解 雇規制の緩和と人材の流動化が必要だ!」などと主張しますが、一番確実な生産性を上げる方法は生産設備の更新ですよね。
  そして、この投資をするかどうかは現在と未来の景気動向、金利、手持ちの資産などによって総合的に判断されると思いますが、「大胆な金融緩和」は景気の見 通しをよくし、金利を低下させ、株などの手持ちの資産の価値を高めます(211pの「リフレ政策の経路」の図を参照)。
 もちろん株価の上昇ほどに実体経済が上向かない可能性もありますが、少なくとも人びとの「未来」に対する見方を変え、生産性を上げるための設備投資を促進する効果はあるといっていいのではないでしょうか?

 最後は「アベノミクスは再分配の政策が弱く、一部の金持ちにしか恩恵が行き渡らないのではないか?」という意見。
 これについて著者は「現時点で著者が考えるアベノミクスの最大のリスク要因は、所得再分配政策を軽視しているのではないかという点です」(204p)と書き、生活保護費の引き下げなどに疑問を呈しています。
 また、アベノミクスが掲げる「機動的な財政政策」に関しても、著者はその効果を疑問視しており、著者の支持するアベノミクスの政策が「大胆な金融緩和」であるということが明確になっています。

 この「財政政策がなぜ効かないのか?」という問題についても紙幅を割いて分析してありますし、予定されている消費財増税の影響、TPPに参加した時の経済効果、エネルギー政策が経済にもたらす影響など、現在話題に上がっている経済問題が丁寧に分析してあります。
 さらに1985年のプラザ合意以降の日本経済の分析も読み応えがあり、アベノミクスに限らず、近年の日本経済を幅広く考えることが出来る本になっていると思います。
 ほんのちょっと文章や構成が読みにくく感じる点もあるのですが、非常に中身の詰まった新書で、ここしばらく日本経済に関してはこの本を片手に考えればいいのではないか、と思える本です。

アベノミクスのゆくえ 現在・過去・未来の視点から考える (光文社新書)
片岡 剛士
4334037410