はてなキーワード: 言い訳とは
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241230232614 友達のふりをしていましたが、脳出血の文をかいた本人です。 軽い気持ちで書いたものが拡散されてしまい慌てて削除しましたが、それ以前に不謹慎なことを考えずに投稿してしまいました。 削除してしまったため、本人であることを立証するのはできないのですが、この度は大変申し訳ございませんでした。
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その連中の自尊心は「出ようと思えば出られるけど、さまざまな事情によって甘んじて田舎にいます」っていうことなんだけど。
その自信はどこから来るんだよって思ってる。
なにその「その気になれば都会で暮らせます」って自信。
無理だと思うよ。コミュニケーションの取り方も必要な仕事も違うんだからさ。
言い訳重ねてるのを見ると住めないだろうと思うよ。
都会どころか近隣県に引っ越すのすら無理だよ。
「普通の暮らしを知らない街でしてみたい」なんて聞こえは良いですが、実際には自分で何も調べる気もなく、他人に責任を押し付けているだけですよね。結局、あなたが求めているのは「自分で選ぶ責任から逃れるための他人の意見」でしかありません。それってただの怠惰ですよ。
生まれてこの方、札幌からほとんど出たことがない自分の視野の狭さを直視することなく、「五能線にはいつか」とか「島根も気になるけど今は違う」といった曖昧な言い訳で、行動しない自分を正当化しているだけでは?自分の人生に興味を持っていないのはあなた自身であって、他人に「ここいいよ」と言われたところで、何一つ変わらないでしょう。
そもそも「普通の街」なんて曖昧なものを基準にしている時点で、あなたが本気で行きたい場所なんてないことは明白です。ただ「環境を変えたら何かが変わるかも」という甘えた幻想に浸っているだけで、本当は自分が何を求めているのかすら分かっていないのでは?自分の無気力さを旅に責任転嫁しないでください。
「どうせなら西日本」程度の発想しか出てこないという自覚があるなら、まずはその浅はかな思考から変えたらどうですか?現実逃避のために一時的に違う場所へ行ったところで、あなた自身が変わらない限り、どこに行こうと何も得られませんよ。自分の無策さを恥じるところから始めるべきです。
どこに書こうか迷ったが、長文だしnoteのアカウントもないからここに書き捨てることにする。
去年の夏に話題になったアザラシ幼稚園(Zeehondencentrum Pieterburen)の一番大きなプールのライブのチャット欄が、揉めている。
日本ではアザラシ幼稚園と可愛らしい愛称で呼ばれてはいるが、Zeehondencentrum Pieterburenは弱ったアザラシの保護施設である。
ライブでは、怪我や病気になって保護された後、回復してきたアザラシのプールの様子を流している。
何がトラブルになっているかというと、チャット欄での馴れ合いだ。
これは当然のことだが、ライブのチャット欄はそのライブの内容に関係あることを話す場である。
長く居着いていわゆる常連となった人達が、ライブのチャット欄で自分達の世間話に花を咲かせるようになったのだ。
そして、それを注意されてもやめない。
それどころか逆に注意してきた人々をやりこめてしまう。
そんな状況が既に何ヶ月も続いている。
これまでに何人もその世間話についてやめるよう注意してきた。
しかし最終的にはあまりに話が通じない集団のため、注意する側が疲弊して終わる。
アザラシの様子を見に来たのに、チャット欄では見知らぬ誰かの世間話が垂れ流しな上、時に諍いも発生する。
早々に嫌になって、世間話をする常連達をブロックしたり、そもそもチャット欄をオフにして視聴している人は多い。
世間話の内容の一例はこんな感じだ。
・〇〇に行ってきます
・(↑を受けて)いってらっしゃい
完全な井戸端会議だ。
ネットリテラシーなんてどこ吹く風、プライベートな内容が大公開だ。
ちなみに、おはよう等の挨拶があるが、これはアザラシに対してではない。
アザラシ相手の独り言なら返事をされることもすることもないが、〇〇さんおはよう等と常連同士で挨拶を返し合っているからだ。
・脱線は仕方ない
・嫌ならチャット欄を見なければいい
・注意されたことに傷付く
・(↑を受けて)注意して傷付けるなんてひどい
・注意してきた人を揶揄する
関係ない話はNGかもしれないが、その基準は人それぞれであり、自分達の基準はゆるいだけ。
挨拶だって単なるおはようではなく「おはようワッデン」というふうに地名を絡めているからアザラシと関係がある。
無関係な雑談をするなというのは、自分ルールの押し付けである。
こんな具合だ。
暇つぶしにさっき挙げた常連達の主張についてひとつずつ考えてみる。
まず、脱線は仕方がないという主張について。
四六時中アザラシの話題があるわけではないから、違う話題になることは自然だというらしい。
プールにアザラシがいない状況はあるし、アザラシのオタクでも専門家でもないから話題が尽きるのは道理。
だからといって、テレビ番組等の話題になるのは仕方がないかといえばそんなわけはない。
話題がないなら静かにしていればよくて、常にチャットを続ける必要などない。
上から2番目、雑談しても良いという発言については、字面通り受け取れば雑談しても良いことになる。
しかしそれは、アザラシやこのアザラシ保護施設に関係する雑談についてという前提のもとに発言されているはずだ。
なぜなら、該当のライブはオランダのアザラシ保護施設に保護されているアザラシのライブだからだ。
なお、それに加えて、その発言よりも前に別のボランティアから、アザラシに関わる話をするようにという発言があったことがXで指摘されている。
挨拶については上で書いたが、現実では挨拶はされたら返すのが普通の対応である。
ライブの配信者に向けた挨拶はあれど、同じ視聴者に向けた挨拶は一般的ではない。
常連の一人と思われるXのアカウントでは、挨拶はアザラシに向けての発言なのだという旨の主張があった。しかしその後に、チャット欄で挨拶をした人物に挨拶を返していた。
ということは、彼あるいは彼女は、プールにいるアザラシ本人(本アザラシ?)でなければ矛盾している。
嫌なら見なければいい、ブロックすればいいという主張は一見それっぽく思えるかもしれない。
実際、そうして離れていった人々は多い。
しかし該当のチャット欄がアザラシが主役である以上、他の話題で盛り上がっているほうが部外者であって場を移すべきなのだ。
自分達のことが嫌なら見るな、ブロックしろという主張すること自体がおかしい。
傷付いた、傷付けるなんてひどい。
関係ない雑談はここでせず、やるなら他でやるようにと言われて、一体どう傷付いて何がひどいのだろうか?
当たり前のことである。
揶揄したり、自治厨だとか風紀委員だとか言って厄介者にすることについて。
別のものに例えて悪口を言ったり、スラングで呼んでみたり、まるで覚えたての中高生のような振る舞いだ。
筆者はそれよりもずっと年下であるが、この子供のような振る舞いは見ていられない。
あれこれ言われて煩わしくなったのか、常連達は一時Xに移動した。
しかし1日も経たずに戻った。
よその国の動物保護施設のチャットに居着いて、世間話を繰り広げる厚顔無恥な日本人。
筆者は、このような振る舞いを続ける人達を大変恥ずかしく思う。
このような醜態を晒し続けるくらいなら、いっそチャットは閉鎖されてほしい。
他にも常連のなかには、チャットが目当てでアザラシはどうでもいいとか、到底保護施設のチャット欄ですべきでない悪趣味な内容を発言する者もいるという。
常識的な振る舞いを切に願う。
今は少し話題になったためか、昨日と今日の夜の少しの時間は常連でない人々がいつもより参加している気がする。
これはほんの僅かな時間かもしれない。
少子化の話題になると肩身狭い思いをしている自分が未婚子無しを貫こうとしてる理由を書きます。
なんで20代で結婚して子供産まなかったの?って聞かれたらほぼこの理由に尽きます。
私は新卒はJTCに入社したけど早期退職の勧告のニュースと転職ブームに不安を煽られて実力主義の会社に転職しました。
後悔はないけど実力がないので給料がイマイチな状態が続いていて、共働き前提だと会社に貢献できなくて降格等で給料が下がるリスクがあります。
仕事が好きなので子供産んで時短でゆるく生きていくのもあまり楽しそうに思えず、自分一人で生きていく前提で人生設計したほうが気持ちが楽だったので結局真面目に婚活せずにこの年になりました。
②婚活市場に出てくる男性に不信感があり、結婚に繋がるお付き合いにたどり着けなかった
出会いの主流がアプリになって、お互いをスペックで値踏みし合うのが一般化した気がします。
対面で話す前にクリアしなきゃいけないハードルが多いので盛り気味の情報が入り口になっていて、会っても何となく相手が信用できない。
結果決めきれない。決め手もない。
人ひとり育てるんだから当たり前なんですが、SNSがなかった時代に比べてお母さんの大変さについて解像度が上がってしまったことも子供が欲しくないなって思う気持ちに拍車をかけました。
ついでに社会保険料高すぎ&年金低すぎ問題も盛んに取り上げられてるせいでとにかく将来への不安が大きい。
馬鹿というか、考えることから逃げ続ける社員がうちの会社にいる
自己保身とか言い訳とかごまかしに関しては他の人より抜きん出たところがあるので、頭が致命的に馬鹿なわけではないんだろうなぁ
でも仕事に関してはギリギリ怒られない60点の仕事をし続けることに全力を注いでくる
とにかく自分が楽をすることを優先している
「言われたことをやりました。おわり。」で終わる人ならアルバイトでいいし、そもそもそういうレベルの仕事はうちには無い
ちゃんと自分の頭で考えて動いて欲しいんだけど、全力で考えることから逃げ続けるんだよなぁ
クビにできるならクビにしたいわ
タイトルまま。
男性の自己紹介およびマッチ後のメッセージ諸々に、それで本当にいいのか?と疑問を抱く部分があるので誰かの参考にして欲しい。
ちなみに当方は30代女、参照対象はやりとりした31〜39歳の男性達。
①写真はそれで良いのか?
やる気があるなら恥を忍んで友達にとってもらった方が良いよ。
あとは加工とかマスクとかしてても良いけど、顔全体が見えるものを1枚は入れておけ。
顔晒してない男が顔晒してる女とはマッチできない可能性が高いんじゃないか?
こっちは顔出ししてんのにお前隠してるって何?対等じゃないだろ。
あと出来るだけ直近の写真を使え。
加工もそうだが何年も前の写真を使用して、会ったら全然違うってのは、せっかく会うまで行ったのに、印象違うって残念すぎるだろ。
お前が全盛期だったと思う時代には今から出会う人は出会えないんだから、過去に縋るな。
テンプレそのままのやつ、やる気ある?
写真につけられるコメントもそうだが「最近〜」って書くやつ、お前の最近はいつなんだ?◯◯年◯月って書け。
内容については好きに書けば良いけど、世間で通用する略称でなければ略すなよ。知らんがな、ってなるで。
いいね送った相手とマッチしたらまずいいねした側からメッセージしろ。
共通点や、どんなところが気になっていいねしたのか書くと良い。
メッセージのラリーはテンポも大事だが、名前間違い、文字間違い、言い回しに気をつけろ。
私は、他にマッチしたであろう女性の名前と間違えられたことがある。
名前を間違えたことに気づいた相手が、友達の名前と間違えたと言い訳してきたけど、だとしても良い気分ではない。
暇な暇ありますか?→これは一見丁寧だが、暇な日などない、時間は作るものだ。ましてや会ったことのない異性ならば、女性からは気の重いお出かけ予定になる。(と思う。)
会うために時間を作るのだ。
いつなら空いてますか?とか、都合のつく日はありますか?等々、言い回しはたくさんある。考えてくれ。
もぉ、どぉして、そーなんです、などと書く男、まだ君とは友達ですらないんだぞ、年齢も考えて、言葉遣いをなんとかしてくれ。
マッチングアプリで結婚した友人もいるから、別に出会い方としては悪くないと思う。
たくさんの人がやっているからこそ、良い人が少なく感じるのかもしれない、もちろんこちらがそんなふうに値踏みされていることも分かっている。
世界中のメディアがイーロン・マスクを天才経営者として讃えるたび、心の奥底に沸き起こるのは猛烈な反発心だ。彼の壮大なビジョンや野心的な計画がもたらすインパクトは計り知れない。電気自動車での革新、宇宙事業への投資、さらにはSNSプラットフォームを買収して世界の言論空間を一変させようとする姿勢――どれをとっても、彼が稀有な才能を持つリーダーであることは否定できないだろう。しかし、その裏側には、人を顧みない強引さや、誰もが乗り気でない環境を一方的に変革しようとする独善性が垣間見える。彼は常に「未来を創る」と言うが、その方法に正当性はあるのか。私は強い疑問を抱かずにはいられない。
特に、彼がSNS上で見せる軽率な発言は、私の中にある嫌悪感をさらに増幅させる。刺激的なツイートで株価や暗号通貨の相場を乱高下させ、批判者を嘲笑し、炎上を煽るかのような行動を繰り返す姿は、リーダーというより権力を得た“トリックスター”のようだ。彼の言動を追いかける投資家や支持者は多く、SNSでは絶え間なく祭り上げられている。しかし、そうした「熱狂」が生まれるほどに、私は逆に強い反発を覚える。確かに並外れた頭脳や行動力を持つ人物ではあるが、その影響力をどう使うかという点で、彼はあまりにも無自覚ではないだろうか。
テスラの急成長がもたらした電気自動車市場の拡大は、間違いなく自動車産業に大きな変革をもたらした。それまでガソリン車が主流だった市場をひっくり返し、世界的な環境意識の高まりに合わせて時代を先取りする――その功績は称賛に値する。だが同時に、「内部告発を試みた社員への圧力」「過酷な労働環境」などが報じられるたび、私は苛立ちを禁じ得ない。美しい未来を掲げる一方で、その裏では「効率化」「革新」という名のもとに弱い立場の人々を切り捨ててはいないか。企業トップとして、多大な責任を負っているはずの人物が、利益とスピードのためなら人間性を犠牲にしても良いと思っているのではないか――そんな疑念が拭えないのだ。
さらにツイッターを買収したことによって、彼の性格がより露わになったと感じる。コンテンツ規制や言論の自由をめぐって賛否両論あるのは当然だが、長年にわたって築き上げられてきたプラットフォームの秩序を、一夜にして根本から覆そうとする様子には乱暴さを感じる。彼が純粋に「言論の自由」を守りたいと考えている部分もあるのかもしれない。だがそのやり方は、あまりにも一方的で、議論よりも強制が先に立っているように見えるのだ。市場やユーザーコミュニティに計り知れない影響を及ぼすのに、まるで実験場のように扱っている――そんな印象を拭えない。
イーロン・マスクを支持する人々は、彼の天才性に魅せられているのだろう。既存の常識を打ち破り、火星移住やハイパーループなど、大胆不敵な夢を語る。そのビジョンの壮大さは、多くの人の心を掴むだけのパワーを確かに持っている。だが私は、その華々しい夢の裏側を常に見てしまう。膨大な資金を動かし、何千何万という人々を働かせ、社会のルールを変えてしまうほどの権力を持っていながら、彼の言葉からは「共感」や「謙虚さ」が感じられない。むしろ「自分だけが正しい」という慢心が透けて見え、周囲を振り回すことで注目を集めているようにすら思う。
なぜここまで拒否反応が強いのか。それはひとえに、彼が持つ「影響力の大きさ」にある。誰かが極端な意見を言うこと自体は、表現の自由の範疇だろう。しかし、イーロン・マスクほどの知名度や資本力を伴う人間が放つ言葉は、社会全体を揺るがしかねない重みを持っている。ところが、その発言や行動に時として慎重さがまるで感じられないのだ。「自分はあくまで一般人としてツイートしている」というような言い訳をするが、何千万・何億というフォロワーがいる「一般人」など存在するはずもない。こうした言動を繰り返す彼に対して、憎しみすら覚えてしまうのは、私だけではないだろう。
また、彼のコミュニケーション・スタイルがしばしば相手を嘲笑するように感じられることも、嫌悪の理由だ。議論や批判に対して真摯に向き合うより、自分の正当性を訴え、批判者をからかったり攻撃したりする。そのような姿勢は、強いリーダーシップというよりは、単なる攻撃衝動に近いものではないかと思う。カリスマ性を持つトップがそのように振る舞えば、多くの人が追従し、さらに対立や分断が深まる構図が生まれるだろう。まるで、大きな声で威圧した者が勝つかのような、乱暴な言論空間を助長しているようにさえ感じる。
もちろん、メディアは過剰に彼を煽っている部分もあるかもしれない。私たちが知るイーロン・マスク像は、メディアとSNSを介して編集された一面だけだろう。しかし、そこから受け取れる情報だけでも十分に「過激」であることは間違いない。もし彼に穏やかで思いやり深い一面があったとしても、表に出るのは挑発的な発言や、予測不能な行動ばかり。まるで、彼は注目を浴びるために、あえて波風を立てているようにすら見える。そして、その姿勢こそが彼のカリスマを強化し、信奉者を増やす一方で、私のような反発を覚える人間を確実に増やしているのだ。
私はイーロン・マスクの実績をすべて否定するつもりはない。電気自動車市場の発展は、環境問題への意識を高め、産業構造を大きく変えるほどの影響力を持った。また、宇宙事業への参入によってスペース業界全体が活性化した面もあるだろう。だが、それらの「功績」がすべて肯定されるべきかというと、そうとは思えないのだ。なぜなら、そのプロセスや彼の姿勢に数多くの疑問や問題が散在しているからである。テスラの工場では社員への過重労働が報じられ、Twitter社の買収後には大量解雇が行われた。一方的なリストラは、社員だけでなく利用者の信頼も損ねる結果になったはずだ。
「革命児」と呼ばれる彼だが、そもそもその革命は誰のためのものなのか。人類全体の未来を切り開くために行動しているのか、それとも自己顕示と自己満足のためなのか。もちろん、野心や自己顕示欲が全否定されるわけではないし、彼のような強烈なビジョンに突き動かされてこそ社会が進歩する面もある。だが、そこに「協調」や「周囲への配慮」が欠けていれば、残るのは混沌と犠牲だけではないだろうか。彼の一連の言動を見ていると、より良い未来を本当に望んでいるのか、それとも周囲を振り回しながら称賛を得ることに酔いしれているのか、判断に迷ってしまう。
彼のメディア露出やSNSでの動向は常にセンセーショナルだ。発言のひとつひとつが見出しになり、多くの人が熱狂的に反応する。その状況がさらに彼の影響力を拡大し、支持者は彼を「現代の発明王」として崇拝する。だが、それは彼自身が意図して作り出しているイメージ戦略でもあるかもしれない。自動車からロケット、そしてSNS運営まで、多岐にわたる分野で「既存の常識を壊す男」としてのブランドを強烈に打ち出す。その裏には、おそらく綿密なマーケティングも働いているはずだ。
こうした「自己プロデュース」の巧みさもまた、私の嫌悪感をあおる。もし彼が本当に未来のためだけを思って行動しているのなら、わざわざ挑発的な言動を繰り返したり、周囲を見下すような態度を取ったりしないのではないか。むしろ、その尖った姿勢こそが注目を集める秘訣であり、巨額の利益を生み出すエンジンになっている――そう考えると、ますます彼への不信感が募るばかりである。
また、彼のビジネス戦略や資金調達の手法も、ときに「投機的」であるとして批判されてきた。彼のツイートひとつで暗号通貨の価格が乱高下する様子は、社会全体を巻き込む大博打のようにも見える。もちろん、投資家たちはリスクを承知のうえで参入しているのだろうが、そこに新たに巻き込まれる一般層もいるだろう。巨大な影響力を手にした人物が、その力をどこまで自制しているのか、外からは判断がつきにくい。彼がいかに「自由」を標榜したところで、そうしたパワーバランスの偏りは真の自由からはほど遠いのではないか。
イーロン・マスクが嫌いだ、と口にすると、彼を称賛する人々から「嫉妬」や「時代遅れの思考」と批判されることもある。しかし、それでも私は彼の一挙手一投足に警戒心を解くことができない。彼のような存在が絶対的支持を集める社会は、一種の危うさを孕んでいると感じるからだ。リーダーが強引に物事を推し進めることで、一見スピード感のある変革が進んでいるように見える。しかし、その過程で切り捨てられる価値観や人々の声を、私たちは本当に無視してよいのだろうか。
私が彼を憎む理由は、こうした「社会的影響」を踏まえてもなお、彼があまりにも自己中心的に感じられるからだと言えるかもしれない。自分のビジョンこそが絶対に正しいと信じ、批判する者には容赦なく噛みつき、さらには軽率な一言で世界中を混乱させる。そのカリスマが絶大だからこそ、多くの人が振り回されてしまう。それが彼の望む未来の形であれ、人々に「ついていかざるを得ない」状況を作り出すことこそが、彼の真の目論みなのではないか。そう疑ってしまうほど、彼の支配力は強力だ。
もちろん、この強烈な拒否感は私自身の問題でもある。彼のように型破りな人間を受け入れられない、自分の閉鎖的な思考が投影されているのかもしれない。あるいは、あれほど自由奔放にふるまいながら次々と成果を上げていく姿への嫉妬心や劣等感もあるのだろう。しかし、それでもなお、「イーロン・マスクが憎い」という感情は消えない。むしろ、その感情が湧き上がるほどに、彼の存在が大きいこと、そして社会全体に与えるインパクトが桁外れであることを痛感させられる。
だからこそ、私は敢えて彼を批判し続ける必要を感じている。イーロン・マスクのような人物を「天才」「革命児」として無条件に称賛する風潮は、危うい夢を見せると同時に、多くの問題を覆い隠してしまう可能性がある。私たちは、彼のような突出した才能を「絶対の存在」として祭り上げるのではなく、その言動の裏にある思惑や影響力の行使について常に疑問を持ち、検証し続けなければならない。彼がもたらす革新が本当に世界を良くしているのか、それとも特定の価値観や層だけが恩恵を受け、他の多くが犠牲を強いられているのか、冷静に見極める必要があるのだ。
最終的に、イーロン・マスクをどう評価するかは人それぞれだろう。彼の型破りな行動力こそが新しい地平を切り開く鍵になると信じる人もいれば、私のように憎しみや反発を覚える人もいる。しかし、多様な意見が存在することこそが社会を前進させる。この「憎しみ」の声すらも、一つの大切な批判的視点として意義があるのではないかと思う。彼の眩いばかりの成功とカリスマに目を奪われる一方で、その裏側で踏みにじられているかもしれない人々の声に耳を傾ける必要がある。そうでなければ、未来を創るという名のもとに、ただ独裁的な支配が生まれてしまうかもしれないのだから。
私は、イーロン・マスクの存在自体をすべて否定するわけではない。むしろ、彼ほどの影響力を持つ人間が、もう少し「他者に対する配慮」や「謙虚さ」を備えていれば、今よりももっと多くの人々から純粋に支持されるだろうに、と残念でならない。そして、この憎しみの感情は、そんな「あり得たかもしれない別の姿」への期待を裏切られ続けてきた結果なのだろう。私は彼の言葉を聞くたびに、ああ、また無責任な発言で誰かを傷つけているのではないか、と心配になる。その繰り返しが、私の中の反発心を強固なものにしているのだ。
イーロン・マスクが語る夢やヴィジョンは確かに魅力的だ。火星移住に胸を躍らせる人もいるだろうし、電気自動車によるクリーンな未来に希望を見いだす人もいるだろう。彼が巻き起こしているイノベーションは、間違いなく人類の歴史に残る大きな一歩でもある。だが、その過程で生まれる軋轢や混乱、そして彼自身の傲慢ともいえる態度を見過ごしてはいけない。そこには、私たちの社会が本来持つべき「相互理解」や「多様性の尊重」が欠けているように思えてならない。
だからこそ、「イーロン・マスクが憎い」という私の感情は、単なる個人の感情以上の意味を持つのだと信じたい。彼のように突出した存在が現れるとき、社会は否応なく揺さぶられ、さまざまな価値観の衝突が起こる。そのとき、無批判に称賛するだけでは、本質的な問題には気づけないかもしれない。むしろ、強い反発心を抱く人々の声にこそ、彼の手法や態度が孕む危うさが映し出されていると考えてもよいのではないか。
私たち一人ひとりが彼をどう捉えるかによって、社会の未来は微妙に変化する。もしイーロン・マスクが真に誰もが幸せになる未来を望んでいるのなら、批判や反発の声にも耳を傾け、何が問題とされているのかを真摯に考えてほしい。その一方で、私たちもまた、自分たちが彼に何を求めているのかを見直す必要があるのだろう。彼の冒険心に夢を見たいのか、それとも彼が作るかもしれない新たな秩序に身を委ねたいのか。そして、そうした未来像に抵抗を覚えるならば、なぜ覚えるのか。その理由を自分自身に問い続けることこそが、彼のような巨大な存在に対する「本当の対抗手段」になるはずだ。
私がイーロン・マスクに憎しみに近い感情を抱くのは、彼が象徴するものが、私たちの社会の抱える矛盾や欲望をはっきりと映し出しているからかもしれない。彼の波乱万丈の行動は、私たちの心の奥底にある「常識を超えたい」「歴史に名を残したい」という野心を代弁している。同時に、そのためには他者を踏みにじってもよいという暗黙の了解すら示唆している。私はそこに嫌悪感を覚えずにはいられない。より良い未来を見たいと思いつつ、その実現手段にどうしようもない違和感を覚える。この相反する感情が「憎しみ」という強い言葉となって表出しているのだ。
最終的に、イーロン・マスクを憎むかどうかは個人の価値観によるだろう。彼を救世主のように思う人もいれば、私のように嫌悪感を募らせる人もいる。ただ、どちらの感情も社会にとっては大切な警鐘であり、そこから生まれる議論や検証こそが真の進歩へと繋がっていくのではないかと思う。彼が生み出す革新の光と影を直視し、その功罪を冷静に評価する。それこそが、私たちが「イーロン・マスク」という巨大な存在と向き合うために欠かせない姿勢ではないだろうか。私が「イーロン・マスクが憎い」と感じるのは、きっと彼が放つまばゆい光の強さに目が焼かれ、影に潜む危険を見逃せないからなのである。彼は目を背けられないほどの影響力を持っているがゆえに、私たちに葛藤を強いる。だからこそ、その存在について問い続けることが、社会の未来にとっても重要なのだろう。
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241230232614 友達のふりをしていましたが、脳出血の文をかいた本人です。 軽い気持ちで書いたものが拡散されてしまい慌てて削除しましたが、それ以前に不謹慎なことを考えずに投稿してしまいました。 削除してしまったため、本人であることを立証するのはできないのですが、この度は大変申し訳ございませんでした。
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※ビビるとこうなる※
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インターネットが一般化されてない時代なので倍率聞くために学校の電話使って聞いたり、
震災の混乱を言い訳に学校がセンターリサーチ提出(厳密には一番アテにならんO社のみ提出)しなかったので、
偶然K塾のセンターリサーチ提出してた自分の資料を元に皆で志望校決めたり
なかなかカオスだった思い出。
仮に進学できても授業受けられるかその時点でわからんかった。
※推薦で某有名私立決まってた同級生は後日仮設で授業すると言われたらしい。
一番困ったのが神戸大学の倍率が全く読めず様子見てたら、
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不倫を正当化していないと口では言っているけど、完全に正当化していると思うよ。
体の関係を持っただけで、信頼関係は薄い人間のことを大事な友達みたいに語っているのが完全にそれだよね。
大事な友達だから、不倫というよりも交友関係に近いって文面は正当化じゃなければなんなのだろうか。
共犯の仲間と一線を越えた後に深まる仲間意識みたいなやつを大事な友達とか言い始めるのは、認知が歪みまくっている証拠だと思う。
不倫が問題ってよりも、目的が一致しただけの仲間を大事な友達というほうが圧倒的に問題。
分かったうえで罪を背負うのならば、その罪で裁かれても言い訳しない人間であるべき。許しを請うことはしなくとも、その関係に期待するのは浅はかが過ぎる。
この関係性を男は通常どうおもっているの?とかじゃない、その質問がおかしいのに気づいて、性別故と考えるな。本間に認知を正すために病院行ったほうがいいと思うくらいだ。
車で取りに行くような状況でAED?
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何となく始めて、でもちょっと頑張ってみたくてしばらく続けてきたけど、なーんもおもろくない。
毎日数字ばっか見て、陰キャオタクがコメントできるように一生懸命わかりやすく話題振って、好きでもないゲームやASMRやって。
イラストやLive2D、機材類は馬鹿みたいに金かかるし、制作したイラストレーターは納期守らないで言い訳ばっかするし。
1年半続けて登録者5000人もいかなかった。毎日2時間配信してさ。スパチャなんて1ヵ月に1000円もらえればマシ。結果が出なかったから私はやめた。かかった費用は勉強代だと思ってる。
登録者数百人で同接も一桁とか0人とかで何年も続けてるVtuberさんすごすぎない?何がそんなに楽しいの?
スパチャももらえないなら仕事としてやる楽しみもないじゃん。何にそんな魅力を見出してるんだ?
もう数字しか見れなくてつまんなくなった私に教えてくれ。Vtuberやってて何が楽しい?
※追記
客?リスナーのこと言ってんの?あの人たちは客じゃなくてファン。
見下してるって言うけど、毎回おもんない自語りばっかされてそれを毎回注意する側になってみろよ。
12月中頃に成人式に行くことを具体的に考えた時は本当に気分が悪くなったので勇気を出して親に行かないことを伝えた。
しかし、成人式やちょうどその頃に重なった様々な悩みの爆発の結果、精神的に一皮剥けることができたのか成人式当日は行っても良いかもしれないという意識に変化していた。ただ、親に行かないことを既に伝えた手前、また、自身の意識の変化に気がついたのも成人式の前日の夕方だった為に結局行かないことを選択した。
行けばよかったかもという後悔は正直ある。でも、それは結果論であり、行かないという判断を下した時の精神状態で成人式の日を迎えた場合はきっと何も後悔はしなかったと思う。
しかし、この考えは自分が成人式に行かなかった事を正当化する為に作り出したものではないかという意識もある。少なくとも、出した結論に対して疑念を抱いてしまうぐらいには感情面で後悔してしまっている。また、成人式に行きたくない理由を一つずつ紐解いた時に具体的な理由が何もなかったことも心残りになっている。その時はただ行くことを想像すると気分が悪くなるという事実だけに従って判断してしまったが、自分は感情が自身の実態とは異なる反応を示すことがあると思う。だから、もっと深く内省していればそのような表面的な事実を無視して行動できたかもしれないという思いもある。
しかし、そのような可能性は成人式に行かない判断をした日も少し検討しており、その上で結論が出なかった為に埒が開かないと楽な方を選択した。だから、ある程度は仕方がないのではと考えることができるし、そう考えるしかない。また、このままの自分だったら行きたくないという気持ちをずっと抱えていたのは間違いない事実だ。だから、言い訳でしかないのかもしれないが、当時の自分はこの結論しか出せなかったと思うし、実際出せなかったのだから仕方がない。
下の年齢に早生まれのためにまだ二十歳にすらなってない自分が烏滸がましくもアドバイスするなら、ちゃんと悩むことを推奨する。別にこれは成人式に限ったことではないが、ちゃんと考えて出した結論なら、例えそれが間違いだと後でわかっても後悔はしないよ。
あと、成人式に行けた側の人間たちに垣間見える、成人式に来なかった人達は後悔していてほしいみたいな思いは何なんだ。刺さるからやめてほしい。まぁ、コンプレックス故の穿った見方なのかもしれないが。