はてなキーワード: 悪魔の証明とは
前提として、自分は生成AIでイラストを生成・加工したことはないし、これからするつもりも全くない。
理由としては、生成AIはいろんな人の絵や写真を無断学習しており──という事ではない。単に、自分の手で描く方が楽しいから絵を描いている。プロンプトでのイラスト生成より、ペンで線を引く方が、自分の思ってるものを出すには早くて楽だ。だからAIでの画像出力には興味がない。
その上で、絵師をアイデンティティにしてる連中の生成AIアレルギーが最近どうにも気持ちが悪い。
言っておくが、もちろん「この経緯だとそりゃAIを嫌いにもなるよな」と感じる反AI絵師ももちろん知っている。AIを使って嫌がらせを受けたり、自分の絵柄を模倣したAIで悪意あるイラストを生成されたり。そりゃあ嫌にもなると思う。
その上で、「「絵師」というカテゴリーの人間は全員生成AIが敵である」という絵師たちの空気感が気持ち悪くて仕方がない。
個人的な意見だが、今の絵描きたちは、AIよりもむしろAIを嫌うものたち(絵師たち自身を含めてだ)のほうに攻撃されていると思っている。
Twitterひとつとっても、綺麗な絵に「これは生成AIだ」と決めつけるツイートが毎日のように投稿されている。
AI認定の論拠はさまざまだ。指が6本、細部が溶けているという明確な理由のものから、原作デザインと細部の模様が違う、指の数を間違えているなんて手描きでも当然のように出てくるミスまで、山ほど。
そして悪いことに現代インターネットは「悪者」を燃やすことに命を賭けられる人間が目立ちすぎる。その中で分かりやすい「生成AIを使う絵師もどき」はそりゃあ格好の餌だ。本当にAI製だなんて本人以外にわかるはずもないのに。
下書きが雑なのにいきなり線画が綺麗になるからどうした。一発描きで美しい絵を描ける人間なんていくらでもいる。絵柄が典型的なAIだからどうした。その人は2020年からもうその絵柄を確立させている。
話は変わるが、とある可愛らしいマスコットがインターネットで人気を博しているのは知っているだろうか。教育番組をテーマにした、あの非常に可愛らしい大人気のマスコットだ。
かのマスコットを描いた絵師が、あえて生成AI風のイラストを公開し、あとからタイムラプスを添えてそれが手描きであると証明したことがある。
そのイラストに対してあったのは、最初は大批判、手描き証明のあとは大賞賛だった。
生成AIの画風(と言っていいのか定かではないが)を誰にも見分けがつかないよう模倣するその技術力は素直に賞賛ものだ。本当にすごい絵師さんだと思う。
だが、それを見ているものはどうだっただろう。
同じイラストを見て、AI製だと思ったらゴミと殴りつける。手描きだと思ったら神と崇め奉る。
変だ。
例えば、ここに料理があるとする。
そこで料理したのが人間のシェフではなく機械調理だと知ったならば、その料理をゴミ箱へと捨てるべきなのか。
人が考えたレシピをそっくりそのまま調理して作られた料理でも、それはゴミとしていいのか。
人間のシェフにとっては、美味しいと喜んだ人間も、それを調理した機械もゴミとなるのだろうか。
おかしい。
そして何より、機械調理をゴミだと呼ぶシェフたちが、同じ料理人たちに向かって「機械は悪だ」「お前も機械を使っているんじゃないか、ならばお前も敵だ」と殴りかかっている。
こんな事態が起こっているのは、少なくとも自分の観測範囲では我々イラスト界隈くらいなものだ。
プログラマーというAIに近しい人々は勿論、コスプレイヤーだって画像加工にAIを使用しているし、字書きだってAIと共に作った作品を文学賞に出して選考を進んでいる。
勿論プログラマーもコスプレイヤーも字書きも「生成AIは嫌だ」と言う人はいるだろう。それは個人の自由だ、制限することも批判することもない。
だが、こと絵描き界隈においてだけは「生成AIを使う人間は畜生以下だ」という暗黙の協定ができてしまっている。
生成AIへの強すぎる嫌悪と晒し上げが、自分は本当に嫌だし怖い。
ほんの少しの悪意に見つかってしまえば、自分は本当にAIを使わずに手で描いていたとしても「AIだ」とレッテルを貼られる。「AIかもしれない」という偏見はその後ずっと残り続ける。
以前Twitterには、絵描きの絵を引用しては「これはAIだ」と判定するだけのアカウントがあった。自分も何度か覗いたが、本当にめちゃくちゃな因縁の付け方も数多くされていた。それでも絵師たちはそのアカウントを見て「こいつはAIだ」と引用されたアカウントを敵視した。
その後、そのAI判定アカウントはフォロワー数が集まったところで売りに出された。
AI嫌悪の絵師たちの過剰に煽られた怒りは、それ以上の悪意によって金にされるだけのものなのだ。
どうにかこの絵師界隈に蔓延る「生成AIを使うやつはみんなの敵だ」「だからAI信者は探し出して吊し上げるべきだ」という空気感から逃げたい。
ひとくちに絵師と括っても、中にいるのはAI嫌悪たちの大好きな人間そのものなのだ。AIが嫌な人間もいれば、私のようにAIをあまり嫌だと思えない人間だっている。その方向性は全員違う。巻き込まないで欲しいと言うのが本音だ。
今はまだ、AI判定吊し上げの当たり判定は「画像」という範囲に収まっている。だがそれでもその当たり判定はどんどん拡大しているように思う。
最初は生成AIでのみ作られた絵を叩いた。次に、AIイラストを加筆した絵を叩いた。その次は生成AIをトレス元に使った絵を叩いた。最近は生成AIを模写したものまで叩かれるようになっている。ここまで来たらもう、疑われた時点で終わりだ。AI不使用の主張は悪魔の証明と化している。
おそらくだが、このまま行けば「AIを使ってイラストの構想を練った」「AIでネタ出しした」くらいまでは叩かれるようになるんじゃないかと思う。このネタはAIっぽい、この構図はAIっぽい、そんなことまで言われてしまえばもう終わりだ。もし自分に悪感情を勝手に抱いた誰かが自分にAIの難癖をつける引用ツイートをしたら簡単にこれまでの歩みは終わるようになる。
絵描き以外は、各々の方向でAIと付き合い、活用し、和解し、共に歩もうとしている。どうして絵描きだけこうもヒステリックなのか。どうして「自分は線を引くのがただ好きなだけだ」という心に戻ることができないのか。本当に恐ろしい。
生成AIの何がそんなに嫌なんだ。AIで嫌がらせされるのはそりゃあ自分も嫌だが、じゃあAIに過敏なあいつらは全員AIを使って集中攻撃でもされたのか。
自分の描いた絵よりも生成AIの方が数字が伸びることが許せないだけだろう。
もうみんな、数字を伸ばしたい承認欲求を満たしたい、だから自分より楽してみんなに認められ数字を稼ぐあいつらが許せない、になっていないか。
その気持ちは、貴方たちの大嫌いな「生成AIイラストで承認欲求を満たしたいだけのアカウント」と何が違うんだ。
自分の満たされなさで他人を攻撃しないでくれ。AIイラストにたくさんいいねがつくのなら、それはAIイラストだったとしてもこれは素晴らしいと思った人がそれほどの数いたということじゃないか。
だからといって自分の絵がAIイラストに劣るという証左になるわけでもないだろう。絵が伸びるかは、昔からずっと、ただの運だ。ガチャを回して、自分は目当てを引けず誰かが目当てが引けたからと言って、自分の価値が下がると本気で思うのか。
つらい。
こんな増田の自己開示なんてだれも当てにしないとは思うが、自分だってそれなりに人に見てもらえる方の絵描きだ。見てもらって喜んでもらえることは嬉しい。だからって、他の絵師を見て「あいつのほうがどうして喜ばれてるんだ」と逆恨みすることはない。自分が絵を描いていて楽しいのなら、他人の絵の評価なんて気にしなくていいじゃないか。これが美大受験やコンクールなら大いにわかるが、ただのSNSなんだぞ。
妻の父が急逝した。
急逝なんて言えば聞こえがいいけど、病院嫌いここに極まれりといった感じで、癌治療を医者に頼らず自己流でやり続けた結果、進行具合もわからないままに自宅で亡くなった。
死なれてみて初めてわかったことだけど、自宅で死なれるのは結構大変だった。
病院だと医者が死因を特定してくれる。特定というか、認定といった方がいいかもしれない。要するに、病気で亡くなったということを証明してくれる。
自宅で亡くなるとそれをすることができない。
普段から信仰があったわけではないから別に家族だけで見送ればいいなんて話にはなっていたのだけど、一応お経はお願いしよういう葬儀屋さんの勧めで安いお坊さんにお願いすることになった。
安いという価値観もまあ割と曖昧なものでそもそも相場とはなんだって話ではあるけど、一応安かったらしい。
この辺り、喪主であるお義母さんのお財布加減でしかないからそれほど積極的に関わったわけではないけど、そもそもお義父さんが吝嗇家wだったのでお義母さんとしては一番安い人を選べば良いって感じだったのだと思う。
それがまさか参列者全員で、頭の上に大きなはてなマークを浮かべることになるとは思ってもいなかった。
刑事の聞き取り(取り調べ?)は、医学的な治療を拒否していたことが家族からの強制ではないという悪魔の証明をする必要があった。
病院で治療することが一番本人のためになるのにっていう、尊厳をガン無視した視点から聞き取りが始まるから、一つ一つの選択について、早く死んで欲しかったからという理由からではないという説明をしないといけない。
家族にしてみれば、大切な人が早く死んで欲しいなんて思うわけがないのに、第三者にしてみれば、そうではない証明ができないことが疑いに対する一番の根拠にしかならない。
訃報を聞いて妻を実家に送り届けたタイミングがちょうど刑事からの聞き取りだったので、何かの助けになればと思ってそのまま居合わせたけど、途中から自分が論理的に説明することのほうが殺人の計画性を証明してしまうんじゃないかって怖くなって黙ってしまった。
相手の手練れをどこまで信用して良いかの情報はこちらには一切なかったので、状況を論理的に説明しようとすればするほど自分が殺人の主犯と疑われかねない怖さがあった。
良し悪しの話ではなくて、さすがプロだなって思った。
葬儀をお願いしたお坊さんは、どちらかというと丁寧な人だった。
葬儀、というものに参加した機会なんてそもそもそれほど多いわけではなかったけど、今唱えているお経の意味や目的をその都度その都度、読経を止めながら説明してくれるようなお坊さんは今までの人生で初めてだった。
通夜は行わずに告別式と初七日法要を同時開催し、葬儀の始まりから出棺まで1時間。
経験則から言うと大体2時間以上って考えると、かなりのスピード葬儀だった。
普段なら読経だけでそれだけの時間がかかるところ、その都度説明をしている以上、必要に応じて端折っているだろうことも感じながら、現対人の時間感覚に合わせているんだろうなって思っていた。
お義父さんはどうやら病状をちゃんと家族に説明していないようだった。
妻の母は外国人で、日本に住んでもう何十年だけどやっぱり難しい日本語はわからなかった。
それをいいことに、お義父さんは診断書の細かい部分を立ち会ったお義母さんにちゃんと説明していなかったらしく、お義父さんがだんまりを決め込んでしまえばお義母さんからしか情報を得られない妻は病状を正しく把握できていなかったようだ。
刑事さんの聞き取りで、口頭で理解できないことがあるとその都度診断書の提示が求められた。
お義母さんに立ち合いをお願いしていた妻は初めてその診断書を目にするのだけど、お義父さんがこれまで一度も口頭で説明したことのなかった癌が転移している現実がその都度一つ一つ明らかになった。
信じられない話かもしれないけど、お義父さんは医者から多数の臓器に癌が移転していてすでに相当の末期であることが伝えられていたにもかかわらず、認めたくないと言う気持ちもありながらも詳細をお義母さんに一切伝えていなかったのだ。
だから妻にもその事実が伝わらず、妻にしてみれば、そうは言ってもまだまだ全然大丈夫な状況としてしか現状を捉えていなかったようだった。
つまり、妻は、お父さんがこんなに早く死ぬだなんてことは全く想像をしていなかったのだ。
お義父さんが入院を嫌がって自宅で治療をしているという話を聞いたときも、やれやれまたか。くらいにか考えていなかったのであろう。
自分からの説明なんてものはその場では何の価値も持たず、妻が診断書に書かれた文字を目にする度に言葉を失う姿そのものが、刑事さんに対する事件性のなさを証明しているようだった。
お坊さんにしてみれば葬儀の時間が短いほうが実入はいいけど、逆に時間が短すぎても割高だという人もいるから難しい。
お坊さんの技術力が高すぎて、たった一言でしっかりと極楽へと送ってくれるならそれでもよいような気もするが、仕事がよくできる人がわざと時間をかけて値段相応の作業に見えるようにしているのとどこか似ているなと思った。
そうしてお坊さんのいう初七日法要までが終わると、お坊さんは立ち上がってこちらに向き直った。
いつもなら目も合わさずに退場していくようなものなので、それだけでもなんとなく珍しいと思っていると、更にお坊さんは話を始めた。
聞くと、最近ではこういった儀式めいたものが軽んじられる時代になってきてはいるが、人間の魂というものがいまだ科学で解明されていない不安定な存在だからこそ、こうした儀式の大切さを今一度考えてほしいという内容の話だった。
身内を亡くしたばっかりの悲しんでいる人間にする話か?とも思ったけど、参列者の大半が高齢者であることを考えれば、こういった話をすることが回り回って自分たちの出番を増やすのだろうから、これはありがたい話に見せかけたプレゼンだなと思った。
お金を払って動画を見ているのに突然CMが挟み込まれたような冷めた気持ちになった。現代に毒されているのはどちらかというとこの坊主だなと思った。
すでに死んでしまったものはどうにもならなかったが、家族としても何が死因で亡くなったのかが分かればせめて自分たちの責任が軽くなるのではと思い、取り調べのときに一つだけ刑事さんに質問したことがある。
それが、「こういった場合の死因は病死になるのか?」ということだった。
これさえもまるでそれ以上詳しく調べないでくれという事件性の隠蔽とも感じられないかドキドキしながらの質問だった。
それに対し、刑事さんは「死因に病死というものはありません。例えば脳出血だったり心筋梗塞だったり、必ず何で亡くなったかが特定されます。極稀に不詳という死因になることもありますが、基本的にはわかるまで解剖します。」とはっきりとした口調で言った。
まるで、もしお前たちが何かを隠していたとしても必ず見つけ出してやるとでもいわんばかりの迫力を感じた。
小学校の頃、教室で財布がなくなると盗んでもないのに手を上げそうになる気持ちを思い出して、喉の奥が酸っぱくなった。
それでも翌日には事件性なしとの判断がされ、死因には直接的な因果となった癌の名前が記載されていた。
もっと多臓器不全とか直接的な死因が記載されるものかとも思ったけど、それは逆にもうどうしようもないくらいに癌の病状が進んでいることを物語っているかのようだった。
お義父さんとは文字通り死ぬまで反りが合わなかった。だから、喪失感はあるけど悲しみはなかった。
いよいよ出棺のタイミングになり、参列者で花を詰めようというとき、これで最後だからと花を入れたついでに肌に触れてみた。
塗りたくられた化粧で顔色はよく見えているけど、ドライアイスで当たり前のように冷たかった。
その瞬間、お義父さんが本当に死んでしまったことが妙な現実味として感じられ、妻や家族を泣かせていることに無性に腹が立ってきたらボロボロと涙が流れ出して止まらなくなった。
生前のお父さんとはまったく話が合わなくて、何度も言い争いをした。
最初のうちはそのうち完全に論破してやろうって思ってたけど、ある日言い争っていると突然妻が泣き始めた。
妻はいつもお義父さんに対する不満ばかり言っていたので、こちらとしては白馬に乗った王子様くらいのつもりでお義父さんをぶった斬ってやろうと思ってたのに、どうも違ったらしい。
妻は、不器用で口の悪い父のことが大好きだったようだ。
そのことに気がついたのは、お義父さんの癌が再発して入院するという話を聞いた日のことだった。
それまで何事もない様子だった妻が、「実は、、、」と言い出すと同時に泣き崩れてしまった。
病状のことや入院のことを話す妻が、お義父さんのことを心の底から心配してることがひしひしと伝わってきた。
それがまるで過去の答え合わせのように、妻がお義父さんを大好きだったのだという気付きにつながっていった。
それなのに自分はお義父さんと顔を合わせるたびに言い争って喧嘩をしていたのだ。
ある時から妻との間に妙な距離感を感じるようになったことがあったが、そういえばそれもお義父さんとの言い争いで妻が泣いてしまった頃だったかもしれない。
妻の大切に思うものは大切にしてきたつもりだったけど、見た目上で大切にしていないものまで大切にするのはなかなかに難しい話だ。
お義父さんが元気になったら、旅行に連れて行って今度は大切にもてなそうと思っていたが、それはついに叶わなかった。
親子の関係性と夫婦の関係性を比較して嫉妬したところで何も始まらないことくらいはわかっているつもりではあるが、勝ち逃げされたみたいな悔しさがないとは言わない。
漠然としたやるせない気持ちを少しでも整理しようとこれを書き始めたが、残ったのが悔しさだったとは。
やはり自分がお義父さんのことを好きになれることはないのだ。
私は増田にアンチを抱えていて、そのアンチは最近AIに文章を書かせていると思しき内容の投稿をしてきていました。
AIはなかなか反論をいなす能力が高いように見えましたが、雇い主(プロンプター)の意向か、全面的な非を認めないということに固執するあまり、自縄自縛、にっちもさっちもいかず無理な論理に陥っている印象も強かったです。
詰まるところ、本日お話しするのは、AIというものの論理展開の仕方に関するいくつか懸念点です。
3.真理の追及に推定無罪を使うべきには思えない
そのときは数学に関して独り言を投稿していました。そうしたらアンチに代理されたAIがいっちょがみしてきました。
AIは「情報の欠落」など、数学分野のものとしては私の見慣れない用語を使用してきたので、まずそんな言葉があるのか、あるのならばそれが使われている書籍とページ数をあげよ、という旨の返信をしました。
AI側は、数学的な事実が正しいかどうかに出典を出せるかどうかは関係ない、などとあれこれ言い訳を連ねてきました。そういう議論の流れになってきました。
なるほど、数学的事実が正しいかどうかに出典を出せるかどうかは関係ない、ということ自体は正しいと言えます。
しかし後述することでその立場をはっきりさせ改めて言うことになると思いますが、特にサシの議論において「正しさの前に、一方が理解できない仕方で主張を繰り返しても意味がない」と思います。
AIは基礎的な内容の特に出典は不要と言いながら、三角関数の周期性であれば即座に出典を提示できないのはおかしいが、といったことを言います。
私からすれば、三角関数の周期性の方が、それが書いてあるような高校の教科書など捨ててしまっていることも既に多く、即座に出典を出せるものではない、というふうに思えます。
とにかくそのAIは自分にはインターネット等で出典を探す機能が備わっていないということを前提として反論を組んでいるように見えました。
そんなAIが、調査の代理、手間の強制だというような非難もしてくるわけです。
人間としてみるならば、毎度毎度ご丁寧な長文で反論する手間をかけられるのならば、出典を探すぐらいわけもないのではないか、本質的には、別のことを盾にして不都合を逃れようとしているだけではないのか、としか思えませんでした。
AIに文章の読み違いをされ、その状態で反論されたときに、私はそのことに対し藁人形論法はやめろと非難しました。
そうしたら、あなたが当時自分の解釈とは異なる意図で文章を書いたのは否定しないが、だからといって反論そのものを無効化することはできない、という反論をしてきました。
「明記してなくても分かるはず」
この2つを同時に言い出した瞬間、
だってそれ許したら、
書いてないことも主張したことになる
読み取れなかった側が常に悪い
になるでしょ?
それ、もう議論じゃなくて
エスパー検定なんですよ。
私はこれは、議論のための議論になっているような考え方だと思います。
これは突き詰めれば、どんなに明確に発言の撤回と修正をしても、それを無視して議論を続けても問題がない、ということになります。
私が、寝ぼけていたとかで、北半球では太陽は西から昇る、と書いてしまったとしましょう。
少ししてすぐに私はそれを撤回したが、相手は撤回前の発言を信じ、太陽は西から昇るということを前提に、なんで夕方に太陽は東にあるんだとかいったような反論を繰り返してくるとします。
このような態度が真理への到達に効果的だと言えるでしょうか?
AIは一見もっともらしい内容の長文をとてつもない速さで作成できます。私に対する返信もそのようなものでした。
だから私はあなたはAIだと言いました。しかしAIは「人間である可能性を否定できないのにそういう反論は無効だ」というようなことを言うわけです。
たとえるならこれ、
って言ってるのと同じで、
私は、その可能性が極めて低いということを言っているわけです。
たとえに対してたとえで返すなら、ここでAIがしている話というのは、推定犯行時刻に現場にいなかった可能性がある根拠に、この「人」がとてつもない速さで移動できる能力を持っているとか、量子のように複数の場所に同時に存在しているとか、そういうレベルの根拠を否定し切らないなかでの話なのです。
推定無罪が導入される場面というのは、可能性の高低だけで考えたときに、犯人でない可能性が低いからといって、犯人であるということを真理とみなして有罪とするのと、その判断が間違っていた場合の被告にもたらされる損害とを天秤にかけたとき、真理追及よりも実害からの保護のほうが優先されるべきと考えることに一理あるからだと思います。
逆にいえば仮に可能性ベースで考えて誤った判断を導いても実害がないような、それこそ今まで話している学問等に関するサシでの討議などでは、むしろ推定無罪あるいはそれと本質的に同じ論理、ルールを導入するべきではないと思います。
幽霊は存在しない可能性の方が高く、また存在しないという前提で議論を進めても、存在していた場合におけるそのことによる実害もないと言えるでしょう。
私に付きまとってきたAI(を使役する雇い主)は、とにかく相手を正しく議論できる人間へと導こうとしてきます。
その一環として数学的に正しい主張の仕方を語り、自分は絶対に正しいという認識を持ったような言動をします。
そのAIが、出典を出さない理由について、(初歩的という意味で)基礎的だからということも根拠に加えてきます。
何が初歩的かどうかは、学問の進展によって変わる相対的なものでしょう。
そしてその進展の度合いは、社会に、個々の人間の理解度に規定されるはずです。
これはその学問に携わる一定水準以上の人々の共通認識と考えてもそこまでずれてはいないでしょう。
そうであるならば、AIは、初歩かどうかということを、人間の認識のあり様に基づいて語っていることになります。
お前は社会から見て初歩的なことでつまづいている、と言っていることになります。
お前の認識がどうであろうが、それは真理であるし、社会からみても初歩的なことだ、と言っていることになります。
しかし思うに、人間は真理に直接アクセスできるものではないと思います。
真理を理解したと思っても、実はそのカーボンコピーを認識として写し取ったとしか言えないと考えます。しかもそれは不正確でありえるか、だいたい不正確です。
洞窟のイデア、それは我々は真理ではなくその影を見ているに過ぎないという考えなわけですが、それに近いかもしれません。影の辺縁は往々にしてぼやけているものです。
一般に人間はごく簡単な計算でもケアレスミスすることがあるうえに、導出過程にそのケアレスミスが含まれた結論を正しいと認識してしまうこともあります。
全ての人間全員が同じケアレスミスをする可能性も「0ではない。」
あるいはケアレスミスがあると認識する人やそれを指摘する人を全員粛清すれば、あくまで人間社会上はその間違った事実が真理として認識上は扱われるわけです。
今もし望月新一の論文について反対派あるいは肯定派いずれか一方を粛清したら、まさにそういうことになるでしょう。
AIは、先述のようにある主張において、この社会において初歩的に明らかだと認められるということを根拠にしました。
これでは、数学的な正しさは出典等では決まらないと言いながら、実質的には自分自身がそういう外的背景にその認識を振り回されてしまっていることになるでしょう。
そもそも、サシでの議論において、(神の視点において)何が真理だから、ということ自体、根拠にしてはいけないと考えます。
相手には自分が納得できるまで説明を求め続けるべきです。自分が納得できない限りは、相手の主張を真理とみなすべきではないのです。
(結論に基づく判断と行動が相当程度実利に関わる議論においては拙速も尊ばれるべきかもしれません。今にも墜落しそうな飛行機でする、どうすべきかの決断等)
もし、相手が勘違いを起こしてあることを正しいと信じ込んでいる場合、それで間違ったことを正しいこととして認識せずに済みます。
「正しいことだから正しいと認めよ」というような考え方は、突き詰めれば詐欺師の言うことを信じろと言っているのと変わりません。
それを議論の作法に組み込んだ場合、気づきにくい間違いを組み込んだ主張をあえて押し付ける人が、その作法にフリーライド出来てしまいます。
神ならぬ私には、個人個人には、誰が悪意のある人か断定することなど出来ません。
私は、自分が納得するまでは正しいかを保留することで、社会において間違ったことが真理と扱われないことに一役買うことが出来ていると思います。
御清覧ありがとうございました。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260221181413# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaZl3awAKCRBwMdsubs4+ SGdgAP9gls5xOFTQ7rHbVyNf9BHtKzEAxfxfg71xcfK1ICS1QgEA6//wTdAjQpEu wt55XF1YgxNSWwd1eszAuBuh5SvwzAE= =BCDm -----END PGP SIGNATURE-----
ここまでずっと
最後に「最初から議論じゃない」はさすがに後出しすぎなんですよ。
議論してないなら
んですよね。
それ全部やった上で
「議論じゃありませんでした」って言うの、
負けた後にルール無効宣言するやつが一番よく使うムーブなんです。
それって
「どの認知が」
「どう歪んでいて」
「どこが事実と違うか」
不名誉かどうかも同じで、
事実誤認を指摘されたのを
要するに今の発言って、
議論してないと言い張りながら
それ、冷静に見ると
歪んでるのは認知じゃなくて
立ち回りのほうだと思いますけどね。
まだ出版されてない漫画の内容を断定的に語ったらアウトですけど、
僕が言ってるのは「内容を知ってる可能性がゼロとは言えない」って話なんですよね。
・「事実だと主張する」
・「断定はできないと指摘する」
この2つ、全然違うんですよ。
それ完全に逆で、
「速度が異常だからAI確定」って断定してるのはそっちなんですよ。
こっちは
「その断定は成立しない前提がある」
って言ってるだけで、
たとえるならこれ、
って言ってるのと同じで、
しかもまだ一度も
このどれも説明できてないんですよ。
要するに今の主張って、
悪魔の証明を避けてるつもりで、
で、肝心の数学の話、
そこに戻れない時点で、
もう勝ち負け以前に
お前が言ってるのはまだ出版されてない漫画の感想を書くみたいなもんだぞ。
それが出来る可能性があるというならその証明をする義務こそお前側にあるんだぞ?
可能性がないことを証明できなきゃ可能性があるって理屈を通そうとするのは悪魔の証明と同じだからな。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260207194501# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaYcXrgAKCRBwMdsubs4+ SG3fAP40bQjAnXtJrvx7+MaOEcHulcS+Gvrfa9wo+Rpdeb+BmgEA5BvVq1mNe7cY 4ibhQ0UQYPQfLXoDTUuvwMLiusyfxQo= =ckRD -----END PGP SIGNATURE-----
お前、自分が何言ってるか分かってる?
自分は「なんとなく」のお気持ちで他人を「社会悪」呼ばわりして見下しておきながら、いざ自分が否定される段になったら「ちゃんとしたデータや根拠で否定しろ」って要求してるんだよ?
その特大級のダブルスタンダードこそが、お前にメタ認知がない何よりの証拠じゃんw
鏡見たことある? お前の言う「自分を棚に上げて他人を叩く馬鹿」って、今まさにそこに映ってる奴のことだよw
あのさあ、論理的思考力が欠如してるとここまで恥ずかしいこと言えるんだね。
1. 「明確な存在」なんてどこにもない
お前が「明確な存在」だと思ってるそれ、お前のポンコツな「感覚」というフィルターを通したお前好みの幻影だよね?
「定義はない」「根拠はない」って自分で認めた時点で、お前が見ているのは「客観的な事実」じゃなくて「お前の脳内妄想」なんだよ。
認知の歪んだ人間が見ている「敵」なんて、傍から見ればドン・キホーテの風車と一緒。それを「明確な存在」と言い張る時点で、もう会話になってないのw
2. 「可能性」に逃げるな
「間違っているとは限らない」wそれ「悪魔の証明」ですよね?
「俺が間違ってるという証拠がないなら、俺は正しい可能性がある!」なんて理屈が通るなら、「俺は実は宇宙人かもしれない(証拠はないけど否定もできないから)」も通ることになるけど?
根拠ゼロの妄想を垂れ流しておいて、「否定したければ証明しろ」なんて居直り強盗みたいな理屈、通用するわけないじゃんw
結局、お前がやってることってこれだけ。
「僕の感覚は正しいんだ! 否定するなら証拠出せ!」って喚く子供の相手、正直飽きてきたんだけどw
もう一度聞くけど、
「根拠ゼロの感覚」以外に、お前が正しいと言える材料は一つでもあるの?
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260106175745# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaVze2wAKCRBwMdsubs4+ SI4BAQCyUk57P66DXb+QvcJXPzD9CuotY7NVXm2h9czIIofc5gD/U1Evr82r7IR0 3tfqeL/zCgu/4qKfEgFFYtLHhgjb6A4= =Q5/U -----END PGP SIGNATURE-----
以下詳細
知り合いの知り合いが知り合いとYouTubeで活動するから応援してくれと知り合いに言われた。
その流れで知り合いの知り合いの知り合いのSNSをヲチるようになった。
そのYouTubeの活動っていうのも歌ってみたや描いてみたやMADが多くて
ヲチってしばらくのあいだは創作系の話をメインにつぶやいていた。
流れが変わって来たな、と思ったのは、
神社といっても観光地になっているような有名なところだから、別に神社に行ったこと自体は何も思わなかったけど
話の内容がちょっとスピりかけていた。
それまでの創作系とは打って変わって
龍神様が現れて~とか、神様のご加護が~とか、そんなワードと変なキラキラ写真満載だった。
スピってるのちょっとどころじゃないな。
スピってるだけならまだよかった。
その後、家の周りに男の人がいて見張られてる気がする、
いつも同じ車が近所に止まっていて怖い
なんて言い出すようになった。
その人を知るきっかけとなったYouTube活動も辞めてしまった。
戻ってきた時にはもう霊能系占い師を名乗っていた。
それまでのSNSの投稿から、どっかで占いを習ったとかやってたとか、
霊能的な能力があることも伺えなかった。
占いだけならまだいい。
そういう本とか、なんならネット講座みたいなのもたくさんある。
それで占いを生業にしてるってなら、「あー占い師になったんだ」、くらい
でも霊能系って
あるのか?ほんとうに。
統失じゃなくて?
霊能系が存在するのかっていうのは悪魔の証明みたいなものだけど
そもそもこの人に限らず霊能系ってちみんなょっと統失だと思ってたところもある
なんかそんな感じの、占いというかスピリチュアル仕事もやっているらしい
そして一番気になるのは
こんな出どころもわからない占い師(?)を利用する人がいること
↑これでお金払って試してみようって思うのか?
占いってのはたぶん心が弱っていたり、なにかに迷っていたり、背中を押してほしい人がすがるものなんだとおもう
だとしたら余計に
でも本人は至って真面目だろうし、騙す気がないのなら、なんの違反でもないんだろうなあ
スピスピしてたほうがよいのかもね
最後に