はてなキーワード: てきないとは
後のちの月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼い訣わけとは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年余よも過去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持に立ち返って、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態で、忘れようと思うこともないではないが、寧むしろ繰返し繰返し考えては、夢幻的の興味を貪むさぼって居る事が多い。そんな訣から一寸ちょっと物に書いて置こうかという気になったのである。
僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切やぎりの渡わたしを東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云ってる所。矢切の斎藤と云えば、この界隈かいわいでの旧家で、里見の崩れが二三人ここへ落ちて百姓になった内の一人が斎藤と云ったのだと祖父から聞いて居る。屋敷の西側に一丈五六尺も廻るような椎の樹が四五本重なり合って立っている。村一番の忌森で村じゅうから羨ましがられている。昔から何ほど暴風が吹いても、この椎森のために、僕の家ばかりは屋根を剥がれたことはただの一度もないとの話だ。家なども随分と古い、柱が残らず椎の木だ。それがまた煤やら垢やらで何の木か見分けがつかぬ位、奥の間の最も煙に遠いところでも、天井板がまるで油炭で塗った様に、板の木目も判らぬほど黒い。それでも建ちは割合に高くて、簡単な欄間もあり銅の釘隠しなども打ってある。その釘隠しが馬鹿に大きい雁であった。もちろん一寸見たのでは木か金かも知れないほど古びている。
僕の母なども先祖の言い伝えだからといって、この戦国時代の遺物的古家を大変に自慢していた。その頃母は血の道で久しく煩っており、黒塗りのような奥の一間がいつも母の病褥となっていた。その次の十畳の間の南隅に、二畳の小座敷がある。僕がいない時は機織場で、僕がいる間は僕の読書室にしていた。手摺窓の障子を開けて頭を出すと、椎の枝が青空を遮って北を覆っている。
母が長らくぶらぶらしていたから、市川の親類で、僕には縁の従妹になっている民子という女の子が、仕事の手伝いや母の看護に来ていた。僕がいま忘れることができないというのは、その民子と僕との関係である。その関係といっても、僕は民子と下劣な関係をしたのではない。
僕は小学校を卒業したばかりで十五歳、月を数えると十三歳何か月というころ、民子は十七だけれど、それも生まれが遅いから十五と少しにしかならない。
やせぎすであったけれども顔は丸い方で、透き通るほど白い皮膚に赤みを帯びた、まことに光沢のよい子であった。いつでもいきいきとして元気がよく、そのくせ気は弱くて憎気の少しもない子であった。
もちろん僕とは大の仲よしで、座敷を掃くといっては僕のところをのぞく、障子をはたくといっては僕の座敷へ入ってくる。私も本が読みたいの、手習いがしたいのという。たまにははたきの柄で僕の背中を突いたり、僕の耳をつまんだりして逃げてゆく。僕も民子の姿を見れば来い来いと言って、二人で遊ぶのが何よりおもしろかった。
「また民やは政のところへ入っているな。こら、さっさと掃除をやってしまえ。これからは政の読書の邪魔などしてはいけません。民やは年上のくせに……」
などとしきりに小言を言うけれど、その実、母も民子を非常にかわいがっているのだから、いっこうに小言がきかない。民子は「私にも少し手習いをさせて……」などと、ときどきだだを言う。そういうときの母の小言も決まっている。
「お前は手習いより裁縫です。着物が満足に縫えなくては、女一人前として嫁に行かれません」
このころ僕に一点の邪念がなかったのはもちろんであるが、民子の方にも、いやな考えなどは少しもなかったに違いない。
しかし母がよく小言を言うにもかかわらず、民子はなお朝のご飯だ昼のご飯だと言っては僕を呼びに来る。呼びに来るたびに、急いで入って来て、本を見せろの筆を貸せのと言ってはしばらく遊んでいる。その間にも母の薬を持ってきた帰りや、母の用を足した帰りには、きっと僕のところへ入ってくる。僕も民子がのぞかない日は、何となく寂しく物足りなく思われた。今日は民さんは何をしているかなと思い出すと、ふらふらっと書室を出る。民子を見に行くというほどの心ではないが、ちょっと民子の姿が目に触れれば気が落ち着くのであった。何のことだ、やっぱり民子を見に来たんじゃないかと、自分で自分をあざけるようなことがしばしばあったのである。
村のある家に瞽女が泊まったから聴きに行かないか、祭文が来たから聴きに行こうのと近所の女たちが誘っても、民子は何とか断りを言って決して家を出ない。隣村の祭で花火や飾り物があるからとのことで、例の向こうのお浜や隣のお仙などが大騒ぎして見に行くというのに、うちの者まで民さんも一緒に行って見てきたらと言っても、民子は母の病気を言い訳にして行かない。僕もあまりそんな所へ出るのは嫌いであったから家にいる。民子はこそこそと僕のところへ入ってきて、小声で、「私はうちにいるのが一番面白いわ」と言ってにっこり笑う。僕も何となく民子をそんな所へやりたくなかった。
僕が三日おき四日おきに母の薬を取りに松戸へ行く。どうかすると帰りが遅くなる。民子は三度も四度も裏坂の上まで出て、渡しの方を見ていたそうで、いつでも家中の者に冷やかされる。民子はまじめになって、「お母さんが心配して、見ておいで見ておいでと言うからだ」と言い訳をする。家の者は皆ひそひそ笑っているとの話であった。
そういう次第だから、作女のお増などは、無性に民子を小面憎がって、何かというと、「民子さんは政夫さんのところへばかり行きたがる。暇さえあれば政夫さんにこびりついている」などとしきりに言いはやしたらしく、隣のお仙や向こうのお浜などまであれこれ噂をする。これを聞いてか、嫂が母に注意したらしく、ある日母は常になくむずかしい顔をして、二人を枕元へ呼びつけ、意味ありげな小言を言った。
「男も女も十五、六になれば、もはや子どもではない。お前たち二人があまり仲がよすぎると、人があれこれ言うそうじゃ。気をつけなくてはいけない。民子が年かさのくせによくない。これからはもう決して政のところへなど行くことはならぬ。
わが子を許すわけではないが、政はまだ子どもだ。民やは十七ではないか。つまらぬ噂をされると、お前の体に傷がつく。政夫だって気をつけろ……。来月から千葉の中学へ行くんじゃないか」
民子は年が多いし、かつは意味あって僕の所へゆくであろうと思われたと気がついたか、非常に恥じ入った様子に、顔を真赤にして俯向いている。常は母に少し位小言を言われても随分だだをいうのだけれど、この日はただ両手をついて俯向いたきり一言もいわない。何のやましい所のない僕は頗る不平で、「お母さん、そりゃ余り御無理です。人が何と云ったって、私等は何の訳もないのに、何か大変悪いことでもした様なお小言じゃありませんか。お母さんだっていつもそう云ってたじゃありませんか。民子とお前とは兄弟も同じだ、お母さんの眼からはお前も民子も少しも隔てはない、仲よくしろよといつでも云ったじゃありませんか」母の心配も道理のあることだが、僕等もそんないやらしいことを云われようとは少しも思っていなかったから、僕の不平もいくらかの理はある。母は俄にやさしくなって、「お前達に何の訳もないことはお母さんも知ってるがね、人の口がうるさいから、ただこれから少し気をつけてと云うのです」色青ざめた母の顔にもいつしか僕等を真から可愛がる笑みがたたえている。やがて、「民やは、また薬を持ってきて、それから縫いかけの袷を今日中に仕上げてしまいなさい。政は立ったついでに花を切って仏壇へ供えてください。菊はまだ咲かないか、そんなら紫苑でも切ってくれよ」
本人達は何の気なしであるのに、人がかれこれ言うのでかえって無邪気でいられない様にしてしまう。僕は母の小言も一日しか覚えていない。二三日たって民さんはなぜ近頃は来ないのか知らんと思った位であったけれど、民子の方では、それからというものは様子がからっと変ってしまった。民子はその後僕の所へは一切顔出ししないばかりでなく、座敷の内で行き会っても、人のいる前などでは容易に物も言わない。何となく極りわるそうに、まぶしい様な風で急いで通り過ぎてしまう。よんどころなく物を言うにも、今までの無遠慮に隔てのない風はなく、いやに丁寧に改まって口をきくのである。時には僕が余り俄に改まったのを可笑しがって笑えば、民子も遂には袖で笑いを隠して逃げてしまうという風で、とにかく一重の垣が二人の間に結ばれた様な気合になった。それでも或日の四時過ぎに、母の言いつけで僕が背戸の茄子畑に茄子をもいでいると、いつのまにか民子が笊を手に持って、僕の後にきていた。「政夫さん……」出し抜けに呼んで笑っている。「私もお母さんから言いつかって来たのよ。今日の縫物は肩が凝ったろう、少し休みながら茄子をもいできてくれ。明日麹漬をつけるからって、お母さんがそう言うから、私飛んできました」民子は非常に嬉しそうに元気一杯で、僕が、「それでは僕が先にきているのを民さんは知らないで来たの」と言うと民子は、「知らなくてさ」 にこにこしながら茄子を採り始める。茄子畑というは、椎森の下から一重の藪を通り抜けて、家より西北に当る裏の前栽畑。崖の上になっているので、利根川は勿論中川までもかすかに見え、武蔵一円が見渡される。秩父から足柄箱根の山々、富士の高嶺も見える。東京の上野の森だというのもそれらしく見える。水のように澄みきった秋の空、日は一間半ばかりの辺に傾いて、僕等二人が立っている茄子畑を正面に照り返している。あたり一体に静としてまた如何にもはっきりとした景色、我等二人は真に画中の人である。「まあ何という好い景色でしょう」民子もしばらく手をやめて立った。僕はここで白状するが、この時の僕は確かに十日以前の僕ではなかった。二人は決してこの時無邪気な友達ではなかった。いつの間にそういう心持が起っていたか、自分には少しも判らなかったが、やはり母に叱られた頃から、僕の胸の中にも小さな恋の卵が幾つか湧きそめていたに違いない。僕の精神状態がいつの間にか変化してきたは、隠すことの出来ない事実である。この日初めて民子を女として思ったのが、僕に邪念の萌芽ありし何よりの証拠である。民子が体をくの字にかがめて、茄子をもぎつつあるその横顔を見て、今更のように民子の美しく可愛らしさに気がついた。これまでにも可愛らしいと思わぬことはなかったが、今日はしみじみとその美しさが身にしみた。しなやかに光沢のある鬢の毛につつまれた耳たぶ、豊かな頬の白く鮮かな、顎のくくしめの愛らしさ、頸のあたり如何にも清げなる、藤色の半襟や花染の襷や、それらがことごとく優美に眼にとまった。そうなると恐ろしいもので、物を言うにも思い切ったことは言えなくなる、恥ずかしくなる、極りが悪くなる、皆例の卵の作用から起ることであろう。ここ十日ほど仲垣の隔てが出来て、ろくろく話もせなかったから、これも今までならば無論そんなこと考えもせぬにきまっているが、今日はここで何か話さねばならぬ様な気がした。僕は初め無造作に民さんと呼んだけれど、後は無造作に言葉が継がない。おかしく喉がつまって声が出ない。民子は茄子を一つ手に持ちながら体を起して、「政夫さん、なに……」「何でもないけど民さんは近頃へんだからさ。僕なんかすっかり嫌いになったようだもの」民子はさすがに女性で、そういうことには僕などより遥に神経が鋭敏になっている。さも口惜しそうな顔して、つと僕の側へ寄ってきた。「政夫さんはあんまりだわ。私がいつ政夫さんに隔てをしました……」「何さ、この頃民さんは、すっかり変っちまって、僕なんかに用はないらしいからよ。それだって民さんに不足を言う訳ではないよ」民子はせきこんで、「そんな事いうはそりゃ政夫さんひどいわ、御無理だわ。この間は二人を並べておいて、お母さんにあんなに叱られたじゃありませんか。あなたは男ですから平気でお出でだけど、私は年は多いし女ですもの、ああ言われては実に面目がないじゃありませんか。それですから、私は一生懸命になってたしなんでいるんでさ。それを政夫さん隔てるの嫌になったろうのと言うんだもの、私はほんとにつまらない……」民子は泣き出しそうな顔つきで僕の顔をじっと見ている。僕もただ話の小口にそう言うたまでであるから、民子に泣きそうになられては気の毒になって、「僕は腹を立って言ったではないのに、民さんは腹を立ったの……僕はただ民さんが俄に変って、逢っても口もきかず、遊びにも来ないから、いやに淋しく悲しくなっちまったのさ。それだからこれからも時々は遊びにお出でよ。お母さんに叱られたら僕が咎を背負うから……人が何と言ったってよいじゃないか」何というても子供だけに無茶なことをいう。無茶なことを言われて民子は心配やら嬉しいやら、嬉しいやら心配やら、心配と嬉しいとが胸の中でごったになって争ったけれど、とうとう嬉しい方が勝を占めてしまった。なお三言四言話をするうちに、民子は鮮かな曇りのない元の元気になった。僕も勿論愉快が溢れる、宇宙間にただ二人きりいるような心持にお互いになったのである。やがて二人は茄子のもぎくらをする。大きな畑だけれど、十月の半過ぎでは茄子もちらほらしかなっていない。二人でようやく二升ばかりずつを採り得た。「まあ民さん、ご覧なさい、入日の立派なこと」民子はいつしか笊を下へ置き、両手を鼻の先に合せて太陽を拝んでいる。西の方の空は一体に薄紫にぼかした様な色になった。ひた赤く赤いばかりで光線の出ない太陽が今その半分を山に埋めかけたところ、僕は民子が一心入日を拝むしおらしい姿が永く眼に残っている。二人が余念なく話をしながら帰ってくると、背戸口の四つ目垣の外にお増がぼんやり立って、こっちを見ている。
民子は小声で、「お増がまた何とか言いますよ」「二人ともお母さんに言いつかって来たのだから、お増なんか何と言ったって構いやしないさ」一事件を経る度に二人が胸中に湧いた恋の卵は層を増してくる。
機に触れて交換する双方の意志は、直ちに互いの胸中にある例の卵に至大な養分を給与する。今日の日暮は確かにその機であった。ぞっと身震いをするほど著しい徴候を現したのである。しかし何というても二人の関係は卵時代で極めて取りとめがない。人に見られて見苦しい様なこともせず、顧みて自らやましい様なこともせぬ。従ってまだまだのんきなもので、人前を繕うという様な心持は極めて少なかった。僕と民子との関係も、この位でお終いになったならば、十年忘れられないというほどにはならなかっただろう。
親というものはどこの親も同じで、我が子をいつまでも子供のように思っている。僕の母などもその一人に漏れない。民子はその後ときおり僕の書室へやってくるけれど、よほど人目を計らって気兼ねをしながら来るような様子で、来ても少しも落ち着かない。先に僕に嫌味を言われたから仕方なく来るのかとも思われたが、それは間違っていた。僕ら二人の精神状態は、二三日では言い表せないほど著しい変化を遂げている。僕の変化は最も激しい。三日前には、お母さんが叱るなら自分が責任を負うから遊びに来てくれとまで無茶を言った僕が、今日はとてもそんな気持ちではない。民子が少し長居をすると、もう気がとがめて心配でならなくなった。
「民さん、またお出いでよ。あまり長く居ると人がつまらぬことを言うから」
民子も気持ちは同じだけれど、僕にもう行けと言われると妙にすねだす。
「あなたはこの前、何と言いました。人が何と言ってもよいから遊びに来いと言ったじゃありませんか。私はもう人に笑われてもかまいません」
困ったことになった。二人の関係が密接になるほど、人目を恐れるようになる。人目を恐れるようになっては、まるで罪を犯しているかのように心も落ち着かなくなる。母は口では、男も女も十五六になれば子供ではないと言うが、それは理屈の上のことで、気持ちではまだ二人を子供のように思っている。そのため、民子が僕の部屋に来て本を見たり話をしたりしていても、すぐ前を通りながらまったく気に留める様子もない。この間の小言も実は嫂が言うから出ただけで、本心からではない。母はそうだったが、兄や嫂やお増などは盛んに陰口を言って笑っていたらしく、村中でも「年上の娘を嫁にする気か」などともっぱら噂しているという。それらのことが次第に二人にも伝わり、僕の方から言い出して、しばらく距離を置くことにした。
僕はズボン下に足袋裸足麦藁帽という出で立ち、民子は手指を佩いて股引も佩いてゆけと母が云うと、手指ばかり佩いて股引佩くのにぐずぐずしている。民子は僕のところへきて、股引佩かないでもよい様にお母さんにそう云ってくれと云う。僕は民さんがそう云いなさいと云う。押問答をしている内に、母はききつけて笑いながら、
「民やは町場者だから、股引佩くのは極りが悪いかい。私はまたお前が柔かい手足へ、茨や薄で傷をつけるが可哀相だから、そう云ったんだが、いやだと云うならお前のすきにするがよいさ」
それで民子は、例の襷に前掛姿で麻裏草履という支度。二人が一斗笊一個宛を持ち、僕が別に番ニョ片籠と天秤とを肩にして出掛ける。民子が跡から菅笠を被って出ると、母が笑声で呼びかける。
「民や、お前が菅笠を被って歩くと、ちょうど木の子が歩くようで見っともない。編笠がよかろう。新らしいのが一つあった筈だ」
稲刈連は出てしまって別に笑うものもなかったけれど、民子はあわてて菅笠を脱いで、顔を赤くしたらしかった。今度は編笠を被らずに手に持って、それじゃお母さんいってまいりますと挨拶して走って出た。
村のものらもかれこれいうと聞いてるので、二人揃うてゆくも人前恥かしく、急いで村を通抜けようとの考えから、僕は一足先になって出掛ける。村はずれの坂の降口の大きな銀杏の樹の根で民子のくるのを待った。ここから見おろすと少しの田圃がある。色よく黄ばんだ晩稲に露をおんで、シットリと打伏した光景は、気のせいか殊に清々しく、胸のすくような眺めである。民子はいつの間にか来ていて、昨日の雨で洗い流した赤土の上に、二葉三葉銀杏の葉の落ちるのを拾っている。
「民さん、もうきたかい。この天気のよいことどうです。ほんとに心持のよい朝だねイ」
「ほんとに天気がよくて嬉しいわ。このまア銀杏の葉の綺麗なこと。さア出掛けましょう」
民子の美しい手で持ってると銀杏の葉も殊に綺麗に見える。二人は坂を降りてようやく窮屈な場所から広場へ出た気になった。今日は大いそぎで棉を採り片付け、さんざん面白いことをして遊ぼうなどと相談しながら歩く。道の真中は乾いているが、両側の田についている所は、露にしとしとに濡れて、いろいろの草が花を開いてる。タウコギは末枯れて、水蕎麦蓼など一番多く繁っている。都草も黄色く花が見える。野菊がよろよろと咲いている。民さんこれ野菊がと僕は吾知らず足を留めたけれど、民子は聞えないのかさっさと先へゆく。僕は一寸脇へ物を置いて、野菊の花を一握り採った。
民子は一町ほど先へ行ってから、気がついて振り返るや否や、あれッと叫んで駆け戻ってきた。
「まア政夫さんは何をしていたの。私びッくりして……まア綺麗な野菊、政夫さん、私に半分おくれたら、私ほんとうに野菊が好き」
「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」
「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好もしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」
「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」
民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。
「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」
「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」
「それで政夫さんは野菊が好きだって……」
「僕大好きさ」
民子はこれからはあなたが先になってと云いながら、自らは後になった。今の偶然に起った簡単な問答は、お互の胸に強く有意味に感じた。民子もそう思った事はその素振りで解る。ここまで話が迫ると、もうその先を言い出すことは出来ない。話は一寸途切れてしまった。
何と言っても幼い両人は、今罪の神に翻弄せられつつあるのであれど、野菊の様な人だと云った詞についで、その野菊を僕はだい好きだと云った時すら、僕は既に胸に動悸を起した位で、直ぐにそれ以上を言い出すほどに、まだまだずうずうしくはなっていない。民子も同じこと、物に突きあたった様な心持で強くお互に感じた時に声はつまってしまったのだ。二人はしばらく無言で歩く。
真に民子は野菊の様な児であった。民子は全くの田舎風ではあったが、決して粗野ではなかった。可憐で優しくてそうして品格もあった。厭味とか憎気とかいう所は爪の垢ほどもなかった。どう見ても野菊の風だった。
しばらくは黙っていたけれど、いつまで話もしないでいるはなおおかしい様に思って、無理と話を考え出す。
「民さんはさっき何を考えてあんなに脇見もしないで歩いていたの」
「民さんはそりゃ嘘だよ。何か考えごとでもしなくてあんな風をする訣はないさ。どんなことを考えていたのか知らないけれど、隠さないだってよいじゃないか」
「政夫さん、済まない。私さっきほんとに考事していました。私つくづく考えて情なくなったの。わたしはどうして政夫さんよか年が多いんでしょう。私は十七だと言うんだもの、ほんとに情なくなるわ……」
「民さんは何のこと言うんだろう。先に生れたから年が多い、十七年育ったから十七になったのじゃないか。十七だから何で情ないのですか。僕だって、さ来年になれば十七歳さ。民さんはほんとに妙なことを云う人だ」
僕も今民子が言ったことの心を解せぬほど児供でもない。解ってはいるけど、わざと戯れの様に聞きなして、振りかえって見ると、民子は真に考え込んでいる様であったが、僕と顔合せて極りわるげににわかに側を向いた。
世間の支持率が60%を超えてるらしい。「初の女性首相!」「経済安保!」「手取りを増やす!」威勢のいいフレーズに、世の中がこぞって熱狂してる。 なぜ、あんな内容がここまで支持されてしまうのか。少し整理したい。
今世の中がこの政権を支持してる最大の理由は、国民民主と握った「178万円の壁」突破なんじゃないだろうか。たしかに給与明細の所得税は数千円安くなるので、減税であることは間違いない。ただ度々話題に上がる様に、この規模の減税は実質的には意味がない。実質賃金はマイナス2.8%(2025年11月)。CPIは3%を切れず、物価高は止まる気配がない。積極財政で国債を刷りまくれば、円安はさらに進む。結局、「減税で浮いた数千円」は、スーパーで何度か買い物すれば相殺されて消える。一方で27年度からの「防衛増税(所得税付加税1%)」はすでに組み込まれている。他にも「高額医療費制度」の改悪も控えていて、非課税世帯はともかく一定以上の給与を受け取る労働者にとってはマイナスだ。インフレで現金の価値を溶かされ、手取りは増税と社保の自然増で削られ、いざ癌にでもなれば貯金を根こそぎ持っていかれる。目先の小銭を餌に、将来の増税から目を逸らされている。
特に若年層の熱狂は激しい。政権支持率は9割を超えている。(前段の年収の壁引き上げを一番評価している層でもある。)おそらく若年層には、先端分野への「未来への投資」に対する期待も含まれているのではなかろうか。実際、核融合・量子などの重点17分野に対する大規模な予算が組まれている。一方でこの投資はあまり合理的とは言えない。政権が選んだ17分野には「防災」や「港湾」の様な旧来のハコモノや、成長とは距離のある「防衛」も含まれている。また、数年前まで掲げていたロボットや自動運転、再エネは含まれていない。当然基礎研究も含まれてきない。「成長戦略」のキラキラした看板の下で、中身は旧来型の公共事業と防衛利権に資金を流していて、保守層への合法的な利益供与に使われている。あと出口戦略も不透明なラピダスに数兆円突っ込んで、本当に回収できのか、かなり疑問だ。
本当の絶望は、この「期待」という名のバブルが弾ける前に、解散総選挙が確実に来ることだ。方針だけで支持していて、誰も足元の数字は見ていない。
これだけ支持率が高ければ、自民党は歴史的な大勝を収めるだろう。野党はバラバラ、議席を固められれば、もうチェック&バランスは死ぬ。後からどれだけ「数字がおかしい」「実質賃金を見ろ」と叫んでも、圧倒的な数の暴力で押し切られる。
期待が剥がれ落ちて、国民が「あれ、減税分より物価と病院代の方が高くね?」と気づく頃には、もう手遅れだ。議席を確保した政権は、次の選挙まで4年間、国民の悲鳴を無視して突き進む。
今、高市を支持してる奴ら。
お前らが次に投げる一票は、4年後の自分へ利子付きで返ってくるぞ。本当にこの政策に納得しているのか、よく考えてから投票してほしい。
この学校の生徒の親はサラリーマンや公務員ももちろんいるけれど、それ以上に開業医や経営者、士業等が多い。
金銭的に余裕があり、子供の教育やスポーツに情熱も時間もお金もかけるタイプ。
月1で役員全体会議、さらに月2で役員の中の委員会ごとに会議、行事があればそれも参加するという具合に多い時は月5回ほど役員と顔を合わせる。
かなりぼかすが代々続く会社や不動産を持っていて、この市に住んでいたら誰もが知っているお金持ち。
私より歳が18くらい上。
私より3歳歳上、役員の男性より15歳歳下の奥さんに私は劣等感を抱いている。
週1で通う美容室によって維持させるツヤツヤの金髪、ヒアルロン酸とハイフで作った美しいフェイスライン、糸リフト、半年に1回のシミ取り、美容医療系ダイエットと家に先生にきてもらってのピラティスとバレエによる細い身体、歯科矯正、まつ毛エクステカラコン。
幼稚園の送迎なのに毎日変えてくる小さなブランドのバッグ、大きな貴金属。
元気が有り余っている息子さんを週5で運動会習い事にお手伝いさんに送迎してもらい、
もちろん家は大きく、掃除をするお手伝いさんが家を綺麗に保ってくれる。車はディーラーが週1で洗車にくるピカピカの外車。
私のような、月何万円積み立てれば何年後にいくらになって〜などとせこせこ考えている庶民にはとても真似できない生活。
それでいて息子がやんちゃでつかれる、娘がバレエの主役をとれなくて落ち込む、忙しいと笑いながら愚痴っているのである。
そして奥さんは役員の男性を「パパ」と呼び、外では冷たい。外では必要最低限の会話しかしない。家庭でのことはわからない。
書いてておもったけど、これただの性格の悪い私の彼女への嫉妬だわ。
話は戻るが、私はその役員の男性に性的に何かしているわけではない。
ただ、会議中じっとみつめる。目が合ったら少し微笑みかける。
世間話をする機会があれば話を聞く。褒める。
飲み会でもやっぱり見つめる。目が合えばしっかり微笑む。軽く手を振る。
その人から二次会に行くかと聞かれたら、あなたが行くなら行きたいという内容を他の人には聞こえないように答える。
学校で掲示物を作る等、着ていたジャケットを10分程脱いだ。私は胸が大きい方で、アンダー70でGカップだ。(別に痩せても太ってもいないけど胸だけ大きい感じ)
低いタートルネックになっているリブ素材のタンクトップだったからだいぶ胸のラインがでる。2人で作業するときはこっそりボディタッチをした。向かい合って座っている時軽く太ももをあてる、筆記用具を取ろうとして軽く手と手が触れるという中学生レベルの古典的なものだったが、耳が真っ赤になってすごくニコニコして可愛かった。
役員の男性さんがいるからPTAも楽しい、役員さんはお仕事も忙しいだろうに子供たちのために役員をされていて素敵だ、(自分は職場では指示しているだけで大したことはしてきない、と謙遜されたので)役員さんの人柄と適切な指導力がすばらしいのだと思う、と話した。
でも絶対に奥さんから疑われたくないから学校以外では2人きりにはならない。
まずラインでやりとりしていない。聞かれたがラインは好きではないからと断った。
会った時何度も2人だけのランチを誘われているが、すごく行きたいけれど予定があると全部断っている。
役員の男性は恋する大学生のような顔で私をみてくれるが、それ以上は進ませない。
私はただ相手の反応をみて遊びたいだけ。
実はこの遊びが好きで、彼氏がいない時期はよくやっていた。男性が嬉しそうな苦しそうな切ない顔を見さてくれるのが好きなのである。そこにドキドキする。
こんなことしているのはPTA関連のことをしている時だけ。普段は思い出しもしない。
推し活なんかと同じなのではないだろうか?その瞬間わっとやってあー楽しい、みたいな。
妄想で書いているとか思われるかもしれない。
でも全部本当。
こんなに長い文を読んでくれてありがとうございます。
おやすみなさい。
問題があるのかないのかというのは各個人の見解に基づいて団体が採択しコンセンサスを得ることで公布し対応の準備期間を置いてのち徹底させるべき
この文字列にあるとおり「問題のあるなし」は個人の問題なので個人が問題のあるなしを問うのなら紛争解決に司法を頼ればいいだけの話です
そんなもんは人の数だけあるわけでしょう
どの団体がどの範囲でどうすべきだと決めたのか、という事が「その場所で・その行為をする・その見解」を定めたというのならその場所を利用する上では遵守すべきでしょう
他人のルールが決められているところに自分の主義を持って行って押し通すのはただの問題行為でしかないです
そこで「プールでえっちな撮影会を禁止した」という話は別に禁止でもなんでもすればいい話です
服なんてきない部族の出身でルーツを尊重したいので服をきません、なんて話が通じるわけはないでしょう
えっちな撮影会は禁止するってきまりがあるプールで開催したいと申し込んでもそんなものは却下です
そこでなにが問題なのかって話は「撮影会がえっち」とか「水着の女子が搾取されてる」とかそんなもんは別問題です
問題なのは「許可して懲罰的結果になる状態で中止という行動を余儀なくされた」ことでしょ
読んで字のごとく「余儀なくされた」のは行動の自由を阻害されてますよね
明らかに見解を流布して「ダメなことをしていたからダメだといっただけ」という無駄に面倒な価値観を評価として流布されてますよね
途中ではしごを外して落下は重力の仕様で転落してけがをするのは自己責任なので、安全対策しといてくださいねと、はしごを外した人間が言うのが問題でしょ
許可のはんこひとつで100人が被害を被るのに、おしたのははんこだけだからはんこの分だけ責任をとればいい、なんてわけありますか?
えっちなことをしようがしまいが、どういう価値観でどんな人間を商品にしたりしなかったりでもどうでもいいですよ
自治体が、とりまとめている個人の意見をまとめてその地域でのありかたをそれぞれ定義したらいいだけですよ
そういう100通りでも1000通りでもある各個人のバラバラの意見をあつめて煮詰めてその地域で行える情報にしたんですか
全てを準備しきったあとでも「識者がダメっていったらいきなり無償で中止にさせることがあります」とか条文にあったんですか
つみかさねの準備が全部無駄になる地域だということは公知されてたんですかね
なんの定義も前振りも相談もとりきめもなく現行犯的に対応をせまるのはもはや差別的であるでしょう
いったん書類を受理したという問題行為を罰する必要がでてくるんじゃないですか
女体がどうのとか男の性欲がどうのとか、全然関係ないしどうでもいい話です
女の魅力がドタキャンを保証するんですか、ドタキャンの責任は男性にあるんですか
個人や少数の意向で「ただお願いをしただけ」でどれだけ影響があるのかわからん人を代表にする民主主義なんかに意味ないでしょ
それも影響を予想して本人が辞退をせざるを得ないような追い込みをかけて知らなかったで済ませる予定だという事自体が邪悪です
するならまず全員の損失を納得いく形で埋めたあとで、なにが失敗だったのか、どの判断がよかったのか、議論でもなんでもすればいいと思います
それが女性の性を商品化してるとかエロとか有害とかそういうのとは全然関係がありません
問題があるといってる派は反省してほしいし、ないと言っている派が幅をきかせるのもやぶさかではないです
ただそれだけの話だと思います
自分で投票してない政党や代表が勝手にやってて意向にそってくれてないのを選挙期間以外にわめくだけという事自体が政治という話題においては問題だと思います
そういう不満を解消する意向をまとめて条文にして支持政党や支持候補にもたせて選挙で勝てるように活動する必要があると思います
選挙とか民主主義とか無視していいことだから、わるいことだからみたいな部分だけを言い合いする事自体が問題そのものです
規制派は黙って急にいきなり上から要請だして実質強制的なことをしない
推進派は問題のない行為だとか害がないとかではなく、許可をとったという事は担当者が問題ないとしたという事について問うべき
そう思います
(前回のご報告)https://anond.hatelabo.jp/20221119235431
6月生まれで8月に行き倒れ状態で保護されたこねこを10月にお迎えし、その後なにごともなく無事年を越しました。先代ねこをずっと診ていただいていた獣医師の先生は、6月生まれにしてはちょっとちいさいね。というお見立てでしたので、お正月を迎えるとともにちょうど生後半年という節目をことほぎ、ここに駄文を記します。
先代ねこを見送って、心の整理がつかないままこねことの生活に突入したわけですが、それよりも部屋の整理がつかないままだったことがことのほか重く、無造作に棚に積んだ小物や、リモートワークで増えた無数のUSBケーブルや電源ケーブルにかたっぱしから反応するこねこをダンボールとガムテープでの応急処置でさばくことはしょせん無理な話であり、期せずして大掃除と模様替えを行うきっかけを与えていただいたこと、不精な増田としてはたいへん感謝しているところです。
先日、保護団体に所属されている獣医師の先生から譲渡後の聞き取り調査としてお電話をいただきました。こねこちゃんが好きなことはなんですか?と聞かれたので、彼女がどれくらいひもを愛しているかについて、朝起きると枕もとにひもが置かれていること、リモート勤務中に増田が打鍵しているキーボードの上を横切りつつ、モニターの前にひもだけ残して去っていくなどのエピソードを得意満面でお話ししたのですが、先生はこんな話を聞きたかったわけじゃないと、今気が付きました。また、最近の写真を数枚送ってほしいとのことでしたので、数十枚でなくていいんですか?と食い気味に返答したりと非常に困った対応をしてしまったのですが、とりあえずは同居人としての適正ありと認めていただけたようで何よりです。
こたつに入ってヨギボーにもたれかかりながらスマホなど眺めていると、いつの間にか顔の横にこねこが香箱を組んで座ってこちらを見ていたりするので、頭を傾けてちょっと彼女とくっつくととたんに喉を鳴らして甘えてくれます。20年以上連れ添った先代ねこならいざしらず、ともに暮らし始めてまだ3ヶ月ほどしかたっていない、こんなに美しいすてきないきものが増田にこころを許してくれる多幸感はものすごく、また触れた体やにくきゅうの体温の高さに老ねこにはなかった若さと明るい未来を感じたりするなど、あいかわらずのねこ一匹ひと一人の生活をおくれていること、とてもうれしく思います。こちらからは以上です。
ユークリッドからガウスの手前くらいまでの数学は、我々の感覚から自然に延長された世界の把握の仕方である。
一方、19世紀初頭、リーマン、ガロアあたりから登場した現代数学の基底となったアイディアは、一見、実世界では観察されえないものの、人間のもつアプリオリな思考からは確実に真相を表していると考えられる世界・宇宙のとらえ方である。前者は「悟性」、後者は「理性」に相当するのではないか、と解釈しながら読んだ。
「AはBである」という命題には「分析的命題」と「総合的命題」の2種類あることが示されている。
「分析的命題」は、言い換えのようなもので、Aをよく吟味すれば、Bであることがわかる。「総合的命題」は、「理性」を必要とし、思考の飛躍が必要である。つまりAをいくら眺めたところで、Bはなかなか出てこない。BはAの世界の外にある。
昔、大学初年のころ「数学は単なる式変形や定義のトートロジー(言い換え)であるからつまらない」と言っていた友人がいた。彼はその後数学科から哲学科に転向した。
中学生のころ、速く動くと時間が遅れるとか、空間が曲がっているとか、そういう相対性理論の話を聞きかじったときに、なぜそういうことが人間にわかったのか不思議に思った。
「悟性」の単なる延長上で、数学を進めていっても、数学がトートロジーであったならば、現代物理でわかっている宇宙や素粒子の構造は理解できなかったに違いない。つまり、現代の数学や理論物理は「分析的命題」によるのではなく、「総合的命題」の積み重ねによっている。
この本は、なぜ、このような理解が可能であるか、を説明しようとしている本なのではないか。本書のすごいところは、現代数学や現代物理学が誕生する以前に書かれたにもかかわらず、現代数学の諸概念を考えるきっかけを作ったのではないかと思えるところだ。実際、リーマンやガロアが出現した時代は、この本が出た直ぐ後であり、本書が、まるでその後の現代数学の誕生を予見していたかのように見える。さらに、現実の宇宙がまさに、それらの現代数学によってしか記述てきないものであることを発見したアインシュタインや、物質の状態に不確定性を見たハイゼンベルクなどドイツ系の理論物理学者は、若い頃にカントを読んでいた節がある。
現在では、宇宙が量子場の曲がった多次元空間であり、群の対称性から素粒子とはまさにその多次元空間の変換の規約表現そのものであることが発見され、物質の質量は後天的に獲得されたものであることがわかり、人間の思考と実験によって、「理性」による「総合的命題」が積み重なり、驚くべき宇宙の理解が進んできている。
この現代の数学、物理学の飛躍的発展に、本書が間接的に果たした役割は、かなり大きいのではないか。人類の残した書物の金字塔の一つであろう。
と、いうごく単純な理屈がどういうわけか人類には理解できない。
ということをよく考える。
であれば、貴方はまず、痴漢してた人に関するルポや証言を知るべきである。個人の精神にとどまらず、痴漢をするような精神を広める社会自体を否定したいならば、貴方は痴漢ものAVやゲームの内容や売れ行きを知らねばならない。
注意しなければならないのは、痴漢を否定するフェミニストの言葉や、痴漢逮捕にかかる統計や、痴漢被害者の凄惨な悲しみを知っただけでは、上記の条件は満たされないということだ。否定したいのは「痴漢男の精神性」だからだ。夏目漱石の批評がしたいと思っているのに、芥川龍之介全集を読んでどうする? 無関係ではないかもしれないが、明らかに知識が方向音痴だ。
いや、判っているとも。
どういうわけか、などと書いたのはレトリックだ。
知りたくないよな。痴漢男の精神の内容や、痴漢ものAVの内容がどういう風だとよく売れるか、なんて真実は。さらっと流しただけとか、伝聞情報とか、想像だけで済ませたいよな。そりゃあそうだよ。
だから普通の人間には、実は「嫌いなものを否定する」ことは出来ないのだ。
安倍晋三を嫌いな人は、安倍晋三の全発言や全行動を追っかけられないので、彼を本当の意味で否定することはできないのだ。
アニメやゲームが嫌いな人は、アニメやゲームの流行を追う事なんでてきないので、アニメやゲームの本当の悪いところを見つけることできないのだ。
韓国が嫌いな人は、韓国にわざわざ行って韓国人と話すことなどないし、現実の韓国人の本当に悪いところを知ることなどないのだ。
戦争を無くしたいと思っている人間は、たいてい人一倍戦争に疎いし、そこらへんのネトウヨに鼻で笑われるようなことしか言えないのだ。
もしも嫌いなものについて本当に勉強し出来る人間がいるとすれば、そいつは9割がた頭がおかしくなっている。
論理と理性を極めた残り1割の人間は、感情を完全に抑圧したうえで本当に嫌いなものについて研究することが、あるいは出来るかもしれない。
しかし、そこまで詳しく「嫌いなもの」についての真実を知ったとき、嫌悪はもはや保たれないであろう。
韓国の酸いも甘いも噛分けるほど韓国に詳しくなったうえで、韓国を嫌いなままでいれるはずがない。
明確な嫌悪ではなく、良いところと悪いところを順に挙げることだけが、唯一できることになる。
なので嫌悪を全面に何かを批判しているやつは、対象が何かとは無関係に、もれなく何も知らないアホなんだね。