はてなキーワード: 風土とは
明治維新以来、日本人が白人コンプレックスをアジア人差別で代償しようとした、というのは的確で、150年経ってもその心理に気づいていない、気づきたくない人が多すぎる根深い問題
東博で今やっている加賀百万石展、前田家が東洋である日本の文化を蒐集し保存し、美意識を磨いていた長い歴史を、明治になって似合わない洋装洋画像や日本の風土にあわない欧州工芸に生活を切り替えて日本独自の文化と美に上書きしたのを見て悲しくなった
必死で脱亜入欧しようとしたことには理由があり、変化の正の面を否定はしない。だからこそ確実に負の面があったことも認知すべき
明治で日本の根幹がグラグラになったまま、アイデンティティのより所を補填する愛国や戦争に突き進んで、完全敗北から文化がほぼ完全に欧米配下に入っていったのも大きい
それでも日本文化を保存したり生活の中で江戸以前から風習として息づいている「日本」を何とか保っているが
本来の日本文化が明治以降にくいこんだ白人コンプレックスに上書きされて、アジアへの共感や帰属意識を失い、西洋の敗北とアジア興隆で文化的な帰属先もなく一人負けのガラパゴス精神鎖国になっている。そして貧しくなってまた根のないアイデンティティのより所を排外愛国に求める空気がある。かなり危険な状態
ふん……。観光地にありがちな、ただ食材を乗せただけの「野菜そば」など、端から期待などしていなかった。伊江島という土地の厳しさは知っている。だが、そんな過酷な大地で育った作物が、果たしてこの一杯の中でどう昇華されているのか。その興味だけで、私はこの「バーディハウス」の暖簾をくぐったわけだ。
運ばれてきた器を見た瞬間、確信した。これはただの料理ではない。伊江島の土と、太陽と、水そのものを喰らう儀式なのだと。
巷の食堂では、野菜は煮込まれすぎてクタクタになっているか、あるいはスープとの一体感が皆無なものばかりだ。しかし、ここの野菜はどうだ? シャキリとした食感の中に、噛みしめるほどに溢れ出す甘みと、大地を突き抜けるような生命力がある。火の通し方が絶妙なのだ。野菜の細胞一つひとつが、伊江島の恵みを吸い上げ、その個性を失うことなく、スープと対話している。
豚骨ベースの出汁は決して野菜の個性を邪魔しない。それどころか、野菜の持つ青々しい滋味を、優しく包み込み、引き立てている。濃厚でありながら後味は清廉。これぞ、素材の持つ力を信じ切った者だけが到達できる境地だ。
小麦の香りと、スープの旨味が絡み合い、口の中一杯に伊江島の情景が広がる。余計な調味料など不要。ただ素材が、素材を活かす料理人の手によって、あるべき姿に整えられているだけだ。
「野菜そば」という名の、あまりに凡庸で退屈なメニュー。しかし、ここで供されるのは、その枠組みを鮮やかに破壊し、再構築した『野菜の主張』そのものだ。
この一杯には、この島に対する深い敬意と、食材を慈しむ心がなければ決して生み出せない「何か」が宿っている。
ご馳走などという言葉は安っぽくて使えん。
……ふん、この店、覚えておこう。私の胃袋をこれほどまでに高揚させた罪は重い。だが、この感動だけは、素直に認めてやろう。
伊江島へ行く機会があれば、まずここに足を運ぶがいい。
チック・リット(英語: chick lit)は大衆小説のジャンルで、「個々の主人公の試練と苦難に焦点を当てた、ヒロイン中心の物語で構成されている」もののことを指す[1]。このジャンルは多くの場合、現代における「女性らしさ」の問題(恋愛関係や女性の友情、職場での問題など)をユーモラスで軽快な方法で取り扱っている[2]。
このジャンルが始まった当初、チック・リットの主人公は「独身、白人、異性愛者、イギリス人かアメリカ人の女性、20代後半から30代前半、大都市圏在住」である傾向が高かった[1]。このジャンルは1990年代後半に人気が出てきて、チック・リットの小説がベストセラーとなったり、チック・リットに特化した出版社ができたりした[3]。チック・リットの批評家の間では、チック・リットのジャンルの始まりはイギリスの作家キャサリン・アリオットのThe Old Girl Network(1994年)であり、チック・リットの「原典」として広く知られているヘレン・フィールディングの『ブリジット・ジョーンズの日記』(1996年)は、これにインスピレーションを受けたものであるということで合意している[4]。
"chick"は英語で「雛鳥」を意味し、転じてアメリカのスラングで「若い女性」を意味する。"lit"は"literature"(文学)の短縮形である。チック・リットの研究者は、この用語の初出は、1995年のクリス・マッツァ(英語版)とジェフリー・デシェルが編集したアンソロジーChick Lit: Postfeminist Fictionであるとしている。これは、マッツァとデシェルの「ポスト・フェミニストの作品を」という呼びかけに応えた22の短編小説を収録したものである[5]。1990年代半ばには、女性作家が女性読者のために書いたフィクションを指す言葉として、様々なメディアでこの言葉が使われるようになった。
この用語を、この用語が生まれる以前の同様の女性向け作品についても適用して、"chick lit in corsets"(コルセットを着たチック・リット)と呼ぶことがある[6]。また、このジャンルの要素と青春物語を組み合わせた、若い読者向けのチック・リットのことを"chick lit jr."(チック・リット・ジュニア)という[6]。
論争
チック・リットは、読者の間では非常に人気となったが、批評家の大半はこのジャンルを支持しなかった。『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評において、アレックス・クジンスキー(英語版)はフィールディングの小説を特に非難し、「ブリジットは男に狂わされた無力感に浸っている哀れな姿であり、彼女の愚かさは言い逃れできない」と書いた[7]。作家のドリス・レッシングはこのジャンルを「すぐに忘れられてしまう」とし、ベリル・ベインブリッジ(英語版)は「泡のようなもの」(a froth sort of thing)と呼んだ[8]。編集者エリザベス・メリック(英語版)は、2005年にアンソロジーThis Is Not Chick Lit(これはチック・リットではない)を出版した[9]。メリックはこの本の紹介文の中で「チック・リットのお決まりのパターンは我々の感覚を麻痺させる」と主張した[9]。編集者ローレン・バラッツ=ログステッドは、メリックの本に対抗して2006年にThis Is Chick Lit(これがチック・リットだ)[10]を出版し、このプロジェクトは「怒りから生まれたものである」と述べた[10]。
このジャンルの作家たちは、その弁護に乗り出した。チック・リット作家のジェニー・コルガン(英語版)は、すぐさまレッシングとベインブリッジに反撃した[11]。『グッド・イン・ベッド(英語版)』(2001年)や『イン・ハー・シューズ(英語版)』(2002年)など数多くのチック・リット小説を著したジェニファー・ウェイナー(英語版)は、常にチック・リットを擁護した[12]。『スレート』誌2013年5月22日号では、『ウーマン・アップステアーズ(英語版)』(2013年)の著者である小説家クレア・メスード(英語版)が、女性の小説と主人公の好感度について語ったコメントに対する、ウェイナーの記事を掲載した[13]。ウェイナーはその記事の中で、商業小説、特に女性の商業小説に存在する偏見に疑問を投げかけた。ウェイナーは、『ニューヨーク・タイムズ』紙に"The Snobs and Me"を執筆するなど、チック・リットに対する人々の認識に挑戦し続けている[14]。この記事では、自分の作品を軽視する文化的風土の中で、自分の作品を信じようとする彼女の個人的な葛藤が綴られている[15]。
ダイアン・シップリー[16]などの他の作家もこのジャンルを擁護している。特に、フェミニストのグロリア・スタイネムがウェイナーの意見に共鳴し、女性の文学に対する偏見に注目しながら、自分たちがこの言葉を使っていること、そしてこの言葉が女性や女性の小説について何を語っているのかを問うよう人々に求めた[17]。
その後の状況
出版社がこのジャンルをプッシュし続けているのは、売上が高い状態が続いているからである。作品の市場性を高めようとして、この用語の様々な派生語が造語されてきた。
『リファインリー29(英語版)』のライター、ローレン・ルヴァイン(Lauren Le Vine)は、2016年3月に"The Chick-Lit Books That Won't Destroy The Feminist Inside You"(あなたの中のフェミニストを破壊しないチック・リット本)と題して、女性が女性のために書いた8冊の本を紹介した[18]。ルヴァインは、女性を題材にした小説の文学的伝統には、時に、買い物に夢中になって夫とはぐれた女性が夫を探すという物語が含まれており、このような本はフェミニストの価値観と矛盾しているということを認識している。しかし、ルヴァインはヘレン・フィールディングの1996年の小説『ブリジット・ジョーンズの日記』を紹介する際に、「一人の女性が個人的な満足感(それは彼女にとって愛、キャリアの成功、身体の受容を意味する)を見つけようとすることにのみ焦点を当てた本であり、それはフェミニズム(どの波に乗っても)とは何かということである」と書いている[18]。
『パブリッシャーズ・ウィークリー』誌の編集者であるサラ・ネルソン(英語版)は、2008年に、チック・リットというジャンルの中で考えられるものの定義が、より完成度が高く、「成長した」ものになってきていると示唆している[19]。
2000年、『シドニー・モーニング・ヘラルド』は、女性読者を対象とした小説の新しいトレンドについて、次のように述べた。「ポスト・トーリー、ポスト・グランジの軽やかさの精神が、雑誌を読む女性やテレビを見る女性たちの間に広まっていった。この小説は、『チック小説』(chick fiction)または"chicfic"いう『出版現象』の誕生であり、主題、パッケージ、マーケティングによってすべてが統一されている。キャンディ・ブライトで、ピンクと蛍光色の重い表紙、『キャンディ・ブライト』なタイトルにより、簡単に消化しやすく、良い笑いを提供することをほのめかしている。そのような本は、雑誌の記事、小説や小説化されたもの、テレビと、自宅で一晩で消化できる快適な食べ物のハイブリッドとして市場に位置づけられている[20]。」
チック・リットは一般的に女性が主人公であり、プロットの中でその女性らしさが重要なテーマとなっている。ほとんどの場合で現代世界を舞台としているが、歴史上の時代を舞台とした作品もある。扱われている問題は、しばしば消費主義よりも深刻なものである。例えば、マリアン・キーズ(英語版)の『子持ちクレアの逆転勝利』(Watermelon)は、現代世界で母親であることに悩む主人公を描いている。宗教的なチック・リットの市場も成長している。他のタイプの大衆小説と同様に、著者や出版社は多くのニッチ市場をターゲットにしている[3]。主人公の民族、年齢、社会的地位、配偶者の地位、キャリア、宗教などは様々である。goodreadsでは、チック・リットは恋愛小説のサブジャンルとしては扱われていない。それは、チック・リットは、プロットに恋愛の要素が含まれていることもあるが、恋愛関係と同じくらいにヒロインの家族や友人との関係が重要であることが多いからである[21]。チック・リットのやや厳しいジャンルルールにより、チック・リットの作家が異なるジャンルに進出するのは難しくなっているが、チック・リットは歴史小説に結びつくこともできる。
女性作家の中には、自分の作品が「チック・リット」というレッテルを貼られるのを避けるために行動している人もいる。例えば、『ガーディアン』紙の2010年の記事によれば、ユーモア作家のD・J・コンネルは、自身の作品がチック・リットとされるのを避けるために、ペンネームを「ダイアン」から「D・J」というイニシャル表記に変更した[22]。コンネルは、女性名でユーモアを書くことは、自身の作品を危険にさらすことになり、チック・リットのレッテルが貼られた場合、その作品は真剣に受け取られないだろうと言った。別の例では、作家のルース・ギリガン(英語版)は、自身の作品がチック・リットとみなされることで、どのように一般の人々、エージェント、出版社から軽蔑されたかについて書いている[23]。ギリガンは、大学のキャンパスでの性的暴行についての小説で新しいスタイルを試したが、出版社は明るい花のような表紙を提示し、ギリガンはこれを失礼だと感じた。
一応転勤で来たってことになってるけど、実際は彼に合わせて来た部分が大きいと思う。自分で決めたことだし、それはいい。でも、実際東京に来てみて思ったよりきつい。
まず、なんでか同棲してない。
これは彼の事情も分かる。仕事が忙しいし、生活リズムも不規則だし、いきなり一緒に住むのは不安だったんだと思う。でも、結婚前提で東京に来て、一人暮らしスタートは思ってた以上にしんどい。
知り合いもいないし、帰っても誰もいないし、「何のためにここにいるんだろう」って思う瞬間が普通にある。
仕事も激務ではないけど、難易度が上がってついていけてない感じがあるし、小さいミスを何度もして、ずっと引きずってる。毎日「またやった」「なんでできないんだろう」って思ってる。
小さい会社だから、本社に来て会社の上層部の嫌なところや会社の風土が見えてしまったり、実質会社を牛耳ってる事務方のボスの機嫌でわたしを含め色んな人が一喜一憂したりしてて、明日は我が身って感覚が抜けなくていつも追い詰められてるかんじ。
辞めたいって何回も思ってて、正直限界に近い。
でも辞められない。
東京で無職になるのは無理だし、最近やっと同棲が決まって、結婚の話も出てて、東京の家賃は異常なほど高いしここで辞めるのは現実的じゃないのも分かってる。だから辞めないよ、辞めないんだけど。
でも、このまま続けられるのかって言われると、それも分からない。
彼には「しんどい」って言ってる。でも、具体的に説明できない。「全部しんどい」っていう状態で、具体的に何を話せばわかってもらえるかわからない。
彼も優しいし、「大丈夫?」って言ってくれる。でも向こうも激務でさ、仕事が忙しいのも分かってるし、それ以上を求めるのは違う気がして、あまり言えない。
本当は、会いに来てほしいとか、一緒にいてほしいとか、思ってるけど、言えない。
気づいてるけど平日に会いに行くのは無理っていうのも感じてるし。
自分で選んで東京に来たんだから、自分でなんとかしないといけないんだろうなあと。
地元なら生活コストも低いし、家族もいるし、もう少し楽に生きられる気がする。
あと、彼はキャリアや仕事、人生で何を成し遂げるかが大切っていう価値観。男の人だしそれはわかる、大切にしてほしい。東京出身東京育ちの彼に地方に来てもらうのは現実的じゃないし、何より自分が感じてる「環境が変わるしんどさ」を、自分が無理だからって代わりに彼に背負わせるのは違うと思う。
じゃあ東京でこのまま暮らし続けるのかって言われると、それもイメージできない。
東京で子育てしてる自分とか、正直全然想像できない。生活も、仕事も、人間関係も、全部どこか無理してる感じがある。
でもじゃあどこならいいのかって言われると、それも分からない。前いた関西とか?って思うけど、関西でも共働きは必須だし、双方の両親がいない状況で子育ては無理だよね。
なんか、東京に来たのは間違いだったのかとか、もっと早く同棲してたら違ったのかとか、大阪にずっといたらよかったのかとか、考えても答えが出ないことばかり考えてる。
彼のことはめっちゃ大好きでずっと一緒にいたいし、結婚したいから、東京に来た。
でもずっとこのまま東京にいていいのかも分からない。仕事も本当に辞めたい、かなり。
でも、とりあえず明日も仕事には行く。まだ体は動くし。でも、どうやって続けていけばいいのか、これが正解なのか、分からない。
○ご飯
朝:トマト。コーヒー。昼:袋ラーメン。ミックスベジタブル。ブロッコリー。ほうれん草。夜:カレーメシ。間食:柿の種。チョコボール。アイス。
○調子
一人でじっとしてた。
来週も忙しくなるので、心を落ち着けて、平常な仕事が戻ってくる日を楽しみに、頑張ろうと思う。
○ ポケットモンスターY(悪タイプポケモン旅)
ゲッコウガ、カラマネロ、ゴロンダの3匹旅だけど、案外カラマネロの使い勝手が良くて旅だと輝くポケモンだ。
ディアスポラ拳をリビルドして、ディアスポラ武器を覚醒タイプ3種×2をリビルドする目標を達成。
これでレヴァンスの3種×2の目標は、火水風土闇の5属性が終わった。
残りの光は近道がないので、天パ自発を毎日してゆっくり進めようと思う。
なのでそろそろ次のコンテンツに取り掛かろう。
陸上自衛隊にちらっとお邪魔したときの話をフェイク込みで書き込みます。主観がめちゃくちゃ入るのと、情報保全隊から怒られたくないので防衛上の問題にならないことをさらっとね。
・人間性はサイコパスクズから人格者まで、幅がものすごく広い。一般的な企業が[-50〜50]のレンジなら、自衛隊には[-100〜90]までさまざまな人がいる感じ
・志が高い人は向かないって話はどうやらマジ。そういう人を積極的に追い出してしまったことを後悔してるみたいな話も聞こえたけど、いまの30代でさえそんな空気感。20代はまだ青さが感じられた。
・努力してる人が認められるってのもどうやらマジ。少なくとも教育部隊にいる間は、人格者な人は間違いなく見てくれてる。まあ、見える範囲にも限界はあるようだけど、誠実に続けていけばなんとかなると思われた。
・責任回避と他責思考な人がかなりの割合で観測される。たぶんこれがいちばんやばい。
これ、おそらく高ストレス環境から身を守るための適応的な反応。自分以外に責任が回るようにしたり。
彼らも怒られるの嫌って単純な動機ではなく、理不尽な昇進や除隊、異動、懲罰、いじめが絡むからストレス回避のためにこうなったんだろうなって感じ。
教育部隊の中でなにかミスったらしかったときの空気感すごかったけど、中隊長くらいの責任になるってわかったときの空気のほぐれ具合すんごい落差あった。
ストレスは人を本能に駆り立てるなら、人間の獣性がかなり強く出る。
・上司は部下辞めさせるコマンドを持ってるようなので、問題はおこなさないこと!
・防衛予算に関する金がないからか、衣類や靴、雑貨など必要なものはかなり自前で用意させられる。10万円ぐらい溶けるけど、辞めても補償されない
入る前に覚悟しないといけないのに、そういう説明がないのも良くない。
すぐ辞めても補償されんし、なんなら事前説明にない解約金まで請求された。説明のない解約金は支払う必要ない。
俺より先に入った人たちも解約金請求されて払ってたんならめちゃくちゃ不憫だ。
これ俺が指摘するまで放ったらかしだったっぽく、是正されてればいいね(マジで払った人らからすると優良誤認もいいところだけどな!)
勧誘のやり方もこっすいし、そんな方法で国のために働こうとしてる若者の金をかすめとって罪悪感とかないんかなと思いました。
入ってすぐ辞めたら間違いなく十数万円以上の損なので、入る時は自己分析はしっかりすること。俺と同じ轍を踏むなよ。
追記:防衛省の皆さん、パワハラの有害性を論理的に説明できる人間が自衛隊内にたくさんいる時点で、応募者増やしてもたくさん脱落者生まれますよ〜。
新卒カード切って入ってる人は特にそうだけど、退職させるってことはその人らの人生の可能性を狭めてるってことなんで、現場の人手不足感を減らすためにも、もうちょいそこんところどうにかならんのですかねえ。
親御さんだってそんなこところに安心して子供預けられんでしょ。
特に、後方支援部隊に入るような子らに強烈なストレスのかける必要があるのか疑問。まあ、普通科に転属させるために必要だって理屈なのかもですけど、適性どおりに配属されてないってことなんですかねえ…
実際に教育を受けたことがある人間として生の声を(今どこにいるかは聞かないでね♡身バレしたくないの♡)。
外部から「コイツめっちゃ極右やんけー」となってしまう講師を呼んでの教育、私も受け申した。
おおむね周囲の反応は冷ややか。基本的には「鼻で笑う」のレベル。
「こんな奴を税金出して呼んだの?」「極右と呼ばれたって文句言ってたけど間違いなくアイツは極右だろ」「右翼痛いー」って感じ。
とはいえ根が真面目なのか逆張りが好きなのか「でも、言ってることのうちココは良かったよね」と擁護モード。
うんうん、そこから付け入られていくって考えられない辺りガードが緩んでるよ。と内心思った記憶がある。
「共産党は中国の息がかかったヤバい奴らなので絶対に近寄るなよ」「中核派は悪い奴らだ」「学生運動のノリでクビになるぞ」みたいな?
うーんまあ右翼の戯言に比べると10倍は真っ当かな(極右も極左もどっちもクソバカだからってだけの話だが)。
自衛隊は頭悪い人や勉強できるけどバカな人も結構いるから予防接種しておくのはありかもとは思ったね。
ナショナリズムの危険性とそこからファシズムまでの距離の短さとかを教わったことは全く無いんだよね。
本当に一切ない。
というか、「ナショナリズムはサイコーだ」みたいにあえて口にしないだけで実質それを奨励するような思想はしょっちゅう飛んでくる。
「国家を守るために私心を捨てて団結しましょう。団結を乱すやつはカスなので虐めて人格を矯正してあげよう」が自衛隊の基本理念だからさもありなんよね。
何かあった時の責任追求を回避することを至上命題としている組織。
やっぱ基本的にはお役所的だからってのが理由の一つ。もう一つの理由は「国防≒どんな成果をあげたか自分たちで好きに査定できるもの」を扱っていることによる曖昧さ。
成果基準が曖昧な仕事って評価軸が「如何にケチのつけようを減らせたか」になっていくからさ、自衛隊って組織は減点主義的な目線でひたすらこじんまりとした「無辜の役人」であろうとするのよね。
まあ軍隊が加点式で動くと侵略が一番手っ取り早い手段になってロシアや神奈川県警ばりのインチキなやり方がまかり通る無法地帯化するから、それよりはマシだけど。
んでまあそんな組織風土の中だと「我々は何の失敗もしていない。何故なら我々は日頃から失敗をしない努力をしているからだ」と主張し続けるだけのエコチェン拗らせ集団に堕すのは必然なのよ。
そんな集団の何処かで「右翼思想の何が間違っているのだろう。教官や講師が言っていた内容に基づいているのだから我々こそが正しい自衛官のはずだ」みたいなのが流行りだしたら・・・はい、終わり。
大体分かりました?
あっ、悲しいことにここに書いてあるのはふつうに事実なんで、諦めたほうがいいよ。
まあ国防のために軍隊運営してたらこれぐらいのことは思想へのコラテラルダメージってことで諦めようや。
こうでもしないと「日本はもう駄目だ!我々の手によって革命する!」みたいなのが産まれる確率が今より大きくなっちゃうからね。
ま、もうちょいマシに出来る気はするがな。
とりま極右の教師を呼んだり、「司令官のオススメ書籍コーナー」にバリバリウヨってる本が並んだりするのはどうにかしろって思うが。
あんなのが出世するんだから200年後には帝国に戻ってるんじゃねーかって気はする。
まあその頃には俺死んでるしどうでもいいやー。
そうおもわないとこっちが壊れちゃうー。
知り合いのN=3でしかないんだけど、別の駐屯地で働いてる3人が3人ともそういう思考回路の持ち主なのは偶然で終わらないんじゃないだろうかと感じてしまう。
そもそもの自衛隊というものが「え?これは侵略のための戦力じゃないですよ?」みたいな『ひたすらすっとぼける精神』で運用されているのは決してなくはなさそう。
普通の会社でも社員は企業理念に少なからず染まりがちな傾向があるけど、自衛隊という組織の理念が『本当はアウトでもすっとぼけてグレーと言い続けることでセーフになるから頑張って分からないふり』なんじゃなかろうかなと。
そう考えていくと昨今話題になった敵地攻撃能力も「え?これはあくまで反撃のためのものであって、別に敵地を本気で攻撃するためになんて用意してませんけど?それにこっちが敵地攻撃能力を有していれば相手は攻撃を躊躇するはずだから、それを運び込んだ所が戦場になるのは前提がおかしいですが?」というご飯論法ですらない開き直りの数々も自衛隊しぐさなんじゃなろうかと。
つまる所『理解したら謝らなきゃいけないものを開き直るために、自分の理解力を去勢せよ』という理論を三等兵から統幕長までキッチリ浸透させているのが自衛隊組織なんだろうなと。
外部からみれば『物わかりの悪さ』にしか見えないものが、本人たちの中では『完璧な状況理解力を持って行われる能動的知能障害』であるのだろう。
マジで怖いな。
こんな連中がいざって時に国民や国家を守ってくれるんだろうか・・・。
「日本を存続させるためには、独立のための実力組織の存続が不可欠であり、つまる所は首をすげ替えればいいだけの天皇やいくらでも湧いてくる国民や政治家よりも自衛隊の存続を優先するのはアタリマエではないか」みたいな開き直り方を最後の最後でされてもおかしくない気がする。
存在の自己矛盾に対して開き直りの道を選び続けた80年の歴史が作り出した組織風土は既に救いがたいほどの重病となっているんじゃなかろうか。
※本稿では、陸上自衛隊情報科情報保全隊の業務範囲と推測される「国家の安全保障を脅かす情報漏洩の監視・予防」、つまり陸上自衛隊の持つ兵器や装備品、情報システム、隊員個人に関する情報。これを扱わない。
陸上自衛隊の将補が自身のパワーハラスメントに関する内部通報に対して、「これはテロ行為だ。通報者を特定しろ」と部下に命令し、ハラスメント行為で停職一日の処分というニュースを見かけた。
自衛隊や警察のような階級社会において、なぜハラスメント行為は減らないのか。おそらく、組織における取引コストがとてつもなく大きいからなんだろうな。
下仕官は上官の命令に逆らえない。閉鎖的な環境において上官に生殺与奪の権利が握られていれば、上官に媚びを売り生き残ろうとする人が現れるのも自明だ。これはナチス・ドイツのユダヤ人強制収容所における看守・カポー・一般収容者の関係性によく似ている。
看守は収容者の中からサイコパス気質の強い人間を選抜し、自身の代わりに収容者を監視させる代わりに、見返りとして高待遇を与えたという。それがカポーだ。カポーは一般収容者から蛇蝎のごとく嫌われたらしい。私が陸上自衛隊で若年層を観察していたときも、やはりこのような傾向を持つ人は何人かいた。
(誤解を与えないように補足すると、彼らは善良な人間としての側面を保持している。彼らは自分のチームの人間にやさしかった。それに全員がカポー的な特徴を持つわけではない。しかしながら、上官が一見しておかしな言動(あるいは、明らかにパワーハラスメント的な)をとっても怪訝な顔をする人は見られなかった。それどころか、積極的に肯定する人も見られた。)
彼らは、上官に嫌われることが自分の立場(生存)をどれくらい脅かすのかをよく理解していたのではないか、と思われる。
かなしいことだ。彼らは自分は組織内における政治的・社会的な立ち回りがうまい自分を環境に適応できる強者として自認してるのかもしれないが。実態はただ他人に責任を擦り付けたり、他人を容赦なく殺せるのがうまい人間が生き残るだけなんて。
ナチス・ドイツの強制収容所では、俗に言う「良い人」は誰も生き残らなかったとヴィクトール・フランクルは述べている。
たまに「自衛官や警察官のいちばんの敵は身内」という投稿をSNSで見かける。階級社会には、「生存競争のための倫理なき内ゲバ、足の引っ張り合い」問題がつきまとっていると考える。
おそらく、自衛隊や警察の上層部には現状に気づいてる人がそれなりにいる。昨今、ハラスメント行為に対する取り締まりが厳しくなっている。これは、トップマネジメント層がミドルマネジメント層の悪行を咎めることでしか正常化できないと気づいたからではないかな。
倫理なき生存競争が起きるのは上官が下仕官の生存を脅かすからだと思われる。医学的な見地から考えると、人は強いストレスを与えられたとき扁桃体が活性化し、副腎などを経由して闘争・逃走・凍結反応を引き起こす。個体差はあれど、ストレスに適応できるまで人は衝動的になりやすくなる。その結果、他害的な行為が増えるのではないかと推測される。この環境を改善するためには、下士官に与えるストレス値をマネジメントできるようになるしかない。理不尽さの匙加減を調整するのだ。
したがって、上官が部下を不当に扱うのを咎め続けることでしか階級社会の規律を保持できないと判断してると思われた。ボトムアップは受け付ける風通しの良さを導入できないから。
体育会系の組織風土に苦手意識を持つ人もブルカラー組織に組み込まないと維持が難しくなりつつある昨今、どうやって組織風土の保持と人手不足解消のバランスをとるのだろうかなあ。
社会の変化についてけない組織は振り落とされるだけだ。人の人生を壊す組織は、社会からの信認(国民からの負託)を失い自壊していく。そうならないように国民からの信頼を維持するのも現職の人達の仕事の一環だろうが、強い使命感を持つ人が内部にどれくらいおられるのか。
…あまり多くはないんだろうな、と悲観してしまうがどうだろうか。
若い頃に受けた扱いを、歳をとってから若い人に繰り返す人はとても多い。
人はみんな弱くて醜い。
これは評論村・同人村とジャニーズの界隈は全く別物として考えたほうがいいと思っている
自分もナマをかじっている者も多くいる界隈だから、内容にかかわらずここまで声が大きくなってしまった以上売っちゃダメだろと思う側。こそこそ出してたら別に売っててもよかったんじゃね?と思う
(女敵視が多い最近の増田で言うことじゃないかもしれない。たぶんこれもぶっ叩かれそうだと事前に書いておく)
ジャニーズだって見目麗しい男がいっぱいいるんだから、そりゃもとから腐女子どもが群がってることは想像に難くないし実際にいる
だけど事務所に関係するような同人誌を出しているということ自体がタブーという界隈(ジャニーズに限らず特撮やドラマなどのいわゆるそういうのでシコシコ活動するオタクたち)なのだから、これはもうエッチな本じゃなくて評論だからセーフ、という簡単な話じゃないんだよな。
だって評論とかいうから高尚なものみたいに感じるかもしれないが、要は書き手の思想、その人意見しか乗ってないってことだから、ただの思想本だろ
事務所が肯定しているものでも何でもない。その観点で言うとジャニーズの人たちが組んずほずれずしているエッチな同人誌と変わらないと思う。
「ジャニーズが出している公式なものか/そうじゃないのか」のちがいで、基本的に非公式のものは大々的にやるべきではない、という世界だ。
だから細々とやればいいのに、同人誌出します~~~~~!ここから買えます~~~~!売れ行き好調なので増版します~~~~~!(これは結局しないらしい?)を高らかに宣言したらダメだろ。
ましてや、今はジャニーズの火薬庫と読んでも差し支えない、息するだけで燃えるグループの、界隈である
※増田はこの事務所のオタクじゃないけど似たような界隈にいるので、なんとなく薄目で流れてくる範囲だけで言うと、「まぁそら誰がやってたとしても燃えるやろ」みたいな妥当な炎上と「それは別にいいだろ」みたいな火にくべられた炎上の玉石混淆のイメージがある。アンチの過激さでの故意な炎上ももちろんあるし、オタク側の無理筋の擁護で余計に延焼ということもあると思っているが、もう嫌われすぎて区別がつかなくなってきていて、とりあえずここのグループで何かあればグループ自体のこと/オタクが勝手にやったことに関係なくとにかく燃えるのだ
そんな危ないところから、(ナマモノ文化がもともとあり、こそこそ日陰でやっていこうねという風土の界隈なのに)堂々と「同人誌」というワードが出てしまったら、もう、そらそうよという話
この時点でジャニーズのオタクに限らずヤバイ騒動になっていて一刻も早く収拾してほしいと願っているほか界隈オタクもおおくいるだろう。
あと、最初は評論村/ナマに関係ない同人村の人たちが評論本を出すことに対してのただの意見を言っているだけだったのだが、ジャニオタをバカにしたいただ一心で弱男たちがこぞってよくわからないのに急に「これだから女オタクは/ジャニオタはw」と絡んできているように感じている
これは前述したとおり、そもそもナマという土壌があるかどうかで違う価値観なのだから、訳知り顔で入ってこられても…に尽きる。
「ああそっちはそうなんですか、こっちはそもそも同人誌というワードと事務所が結びついたらだめなんですよ」で終わる。「韓国はまだユッケ生食で行けるんですね。日本はだめになってしまったんですよ」「御社は正月休みは4日までですか。弊社は三が日までなんですよ」と同じで、そこで根付いた文化が違うんだから同一視できないと思う。異文化交流ありがとう
あと、ただの反論ならともかく、この俺様が教えてやって論破してやろうという気概が強くなってきている人に関しては、もはや”生理や妊娠出産を経験しなくてわからない、どうあがいても無関係なはずなのに「無知の女のおまえらに教えてやる!生理くらい我慢しろ!出産なんて痛くないんだから無痛なんて甘いこと言うな!」と言ってくるおじさん”と同じですよ
チームみらい代表の妻の黒岩里奈さん、本人のXアカウントではKADOKAWA勤務時代にセクハラを受けたと主張していたけれど、
KADOKAWAの方ではその事実はないと反論していたみたいなんだよなあ。
しかも、「黒岩は休日出勤手当の不正受給で懲戒を受けたことがあり、会社に居づらくなって自主退職を選んだ」って…?真実はどっちだ?
仮に作家からのセクハラが事実であれば、それこそその作家の名前を明るみに出して欲しい。セクハラ作家の本を買いたくないから。
投稿の一部を引用する。 〈私はKADOKAWAという上場出版社で20代を過ごしましたが、少なくとも5年前の同社の文芸は、作家からのセクハラを周囲に相談すると、「気に入られたんだな、よくやったな!」が普通に起きる世界でした。「美人だから/イケメンだから」特定の作家の担当をすることを「合理的」とされる環境に、当時それなりに一生懸命馴染もうとしてしまっていました。結局、クライアントではなく社内の人間関係(ハラスメント)に耐えかねて転職を決めましたが、今でもあの時に何ができたのか、自分があの風土を醸成する一人だったのではと振り返ることがあります〉
ところが、この投稿にKADOKAWA側が異常な反応を見せた。 関係者の話によると、KADOKAWA文芸局で当時局長だった遠藤徹哉が「黒岩の件で話をする」と召集をかけて、投稿から3日後の1月22日午後から文芸局の局全体集会が開催された。その場で遠藤は「社内ヒアリングを行ったところ、黒岩からのハラスメントの訴えは確認されなかった」と作家からのセクハラを否定する趣旨の発言をした。さらに、投稿にあった「社内での人間関係(ハラスメント)に耐えかねて転職を決めました」という部分に対して、「黒岩は休日出勤手当の不正受給で懲戒を受けたことがあり、会社に居づらくなって自主退職を選んだ」と説明したのだ。
と、言われても理解できないと思いますが、日本は「専守防衛」を敷いていますよね?
実際に世界中の国々や軍隊から日本国自衛隊は外征能力に欠いている(海外で戦う力が無い)と評価されてます。これは中国の人民軍にすらそう指摘されてるほどです
で、この専守防衛なんですけれども、つまり外国から侵略を受けた際に迎撃する事に特化するという意味なのは何となくわかるかと思います
これをですね、軍事戦略の基本的な類型を当てはめると「内線作戦」というものを取るということです
この「内線作戦」とは何か?ですけれども、前提として国内のインフラを精緻に整備することが先ず求められます
整備されたインフラを持つことによって、侵略軍が攻めてきたときに直ぐ様に戦力を集中して迎撃体制を築けるようにするんですね
おや?ここで1つ気になることがあります
精緻なインフラ整備、田中角栄の日本列島改造論で既に日本では達成されてしまっていますね?
日本は僻地離島にすらアスファルト舗装道路があるので未整備未舗装な道路よりも迅速に自衛隊は動けてしまいます
話がそれましたが、更に付け加えると「内線作戦」の特徴の一つとして「縦深(じゅうしん)」を取るというものがあります
つまり、侵略軍を自国領土へわざと引き込んで、勝手知ったる自国領土内で侵略軍を寝かせないレベルで叩き続けたり、罠を張り巡らせたりして疲弊させ、侵略軍の「侵攻限界」を目指す戦い方です
さぁ問題です
この「内線作戦」での「縦深」で先ず最初に戦災の犠牲に遭ってしまうのは日本の何処の地域でしょうか?
そうですね、現在の日本周辺の状況を考えると最初の犠牲は「沖縄県」です
沖縄県は非常に反戦意識の高い風土です。自衛隊を解散しろと言う人すら居るくらいの土地柄なのです
では、何故こんな主張をするかと言えば日本の「専守防衛」は「内線作戦」であり、最初に戦闘地域として選ばれるのは「沖縄県」だからですね
しかし、沖縄県民のすべてがこの様な極端な主張をしているわけではありません。何なら自衛隊を解散しろ派はかなりのマイノリティです
侵略へ対する抑止力としての自衛隊は保持すべきという沖縄県民はかなり多く、「専守防衛」である自衛隊は反戦戦力として適切であると考えています
ここで矛盾が発生するわけですね
「専守防衛」は性質上「内線作戦」を取らざる得ない、でも自衛隊が存在しなければ侵略へ対する抑止力とならない
これが沖縄県民が抱える戦争・軍事の悩みの中心であり、日本が軍事力を強化していって侵略する側になったらどうするんだ?という悩みはかなり現実味がなく重要度が低いんですよね
むしろ4℃はある種の草の根活動(アニメディレクターたち)によって自社ブランドからアニメを見ても良いもの、として持ち上げ続けた人たちのことだろう。
森本晃司や湯浅政明らの独自性をスタジオの個性として取り込みその道での広め方(ある種のジブリへのアンチテーゼであり並走でもある)を考えてきた側じゃないか。
そもそもアニメギークたちがみつけたのも始まりはマインド・ゲームだったように思うし、この作品なしに4℃は語れないはずだよね。
とにかく今現在からの視点しかないのにここまで一方的に言われるはずもないし、ウェブ黎明期から彼らの美学(デザイン性や独自性)を貶めて良いわけがない。
確かに社長は業界でも有名なアレだけど、彼女たち制作側の熱意ももちろん、クリエイターたちの"4℃ならやっていい"の許される風土を知らない意見すぎて呆れる。
大資本が入ってなかった昔の世界ではこの手のスタジオ性=信頼性だったわけで、そこを突破するための策をこんな形で言われる筋合いは全くないよ。
https://x.com/tsuda/status/2020710305270280628
この間いろいろ記事読み、出口調査や専門家の分析なども見て、反自民票の分裂した選挙区の割合とかも調べたりもして昨日の開票特番に臨んだけど、今回くらいの突風が吹くと反自民側(今回でいえば中道)が何をやっても勝つのは(現状維持すら)難しかっただろうなという感じ。
元々政策の争点の対立軸から選挙結果が決まることがないこの国で組織票が年々力を失い、最大勢力である無党派層の動向が選挙結果を決める傾向が強まったということであり、コストをかけてその無党派に浸透するための戦略を手にしたところが勝つ政治風土になったということでもあるのだろう(この傾向は兵庫県知事選という極端な事例を引くでもなくいくつかの地方の首長選で傾向が見られていた)。
この極端な結果は
といった、従来型のマスメディアが注目しがちな争点・アジェンダよりも、
⑥SNS全盛時代に政治家が堂々と付くウソが「ナラティブ」という耳障りの良い言葉でコーティングされ人々に膾炙していく
⑦金持ちだけが選挙を支配できないようにするための平等原則を定めた公選法が動画全盛時代になったことで有名無実化したこと+収益化目当てのアテンションエコノミーがその状況を最大限悪化させた(にも関わらず、その情報インフラを提供しているのは世界で支配的な地位を持つ米テック企業なので、日本側からガバナンスできることが少なく、容易に世論形成に使われてしまう)
という2つの隠れた争点が争点化することなく猛威をふるったことでもたらされた現象ではないかと思う。
政策の打ち出し方とか、ウイングを広げるための発信の工夫とか、もちろんそういうのはやればいいし、負けた側はたくさん反省すべきことがあるとも思うけど、なんかそれ以前の地殻変動が起きていて、それを政治の側も、報道の側も認識できていないんという感覚を長年持ち続けてきた。
↑これだけ情報環境と(報道含む)情報ビジネスをめぐるエコシステム・お金の流れが変わっているにも関わらず、多くの政治家や選挙を取り仕切る人の感覚はそれこそこのグラフでいう左端、2005年くらいで止まっているのでは? と感じることが最近本当に増えた。永田町民がそのことわかってないんじゃないかという感覚は自分のようなメディア関係者だけでなく、有権者にもじわじわ広がっていて、それが多選のおじさん/おじいちゃん政治家より未来のある若者を(イデオロギーや政策は無視して)選ぶ現象が起きる一因になっているのではないかとも思う。
今回の選挙結果を受けて、自分が10年くらい前、トランプが大統領になる前くらいからつくっていたパワポファイルを見返していた(上記3つは2015~2017年くらいにつくったものな)んだけど、当時自分(多くの情報社会学者)が指摘した問題点って何ら解決してないんだよね。EUが問題を認識して何とか対抗しようとステークホルダー集めて規制の議論をしていたこの10年間、日本は政治側も報道メディア側もこういう新しいダークパワーを過小評価して、従来のやり方にこだわり続けた。その帰結として今回の選挙結果があるのだと思う。従来選挙区で圧倒的な強さを誇った中道の安住幹事長がSNSのデマ攻撃でそれに対抗する手段もほとんど取れず無残に敗退し、派閥の力学からパージされた高市首相は若い世代から「挑戦者」として受けとめられ、動画やSNSを自分の政治資源に変換することに成功した(そしてそれはかなり意図的にやられた)ことは今回の選挙を象徴する一つの光景だろう。それを「日本人や日本政治の劣化」と表現するのはたやすいことだけど(気持ちはよくわかる)、「劣化」という言葉が覆い隠してしまうものも多々あるので、そこから先の議論をすべきタイミングなのだと思う。日本人の政治不信の根っこにあるものを情報環境の変化から探っていく試みが今後は不可欠なのでは。
上のパワポであげた「解決策」ってどれも対症療法的なものでしかなくて、こういう情報環境とそれがもたらす政治状況に対する特効薬なんて存在しないんだよね。でも、対症療法だからといって一切やらないともっと酷いことになってしまうから、やらないよりかは全部やった方がいいのであって、結局今回高市首相に負けた側は(反省はすればいいし、した方がいいところもたくさんあるけど)戦略や自らのあり方を内省する以前に、このろくでもないアリーナで自分たちは戦わざるを得なくなっているのだということを正確に状況認識して、「高市首相を面白おかしく批判するリベラルショート動画で一発逆転」みたいな特効薬を探すのではなく、地道にやれるところから積み上げていくしかないんじゃないかな。
ポリタスTVは小さな独立メディアなので(金銭的な体力と気力が続く限り)今後もそれを淡々と続けていくだけです。
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「男を育てる役割が女側にも生じる、痛みを伴うプロジェクト」?
なにそれ、完全に責任転嫁じゃない?
まず、「男を育てる」って発想自体がもう古い。
パートナー同士なんだからお互いが対等に成長し合う関係が理想でしょ。
女性が一方的に「男を教育する」みたいな構図を前提にしてる時点で、ジェンダー平等の理解がズレてる。
これらを国レベルで変えていくこと。
女性が個別に「痛みを伴って」男を育てるなんて、誰も望んでないし、現実的じゃない。
むしろそんな負担を女性に押しつけるからこそ、女性は「この男と子供産みたくない」ってなるんだよ。
次に「男の粗相に敏感ですぐカエル化現象を引き起こす完璧主義的な精神構造」って…
カエル化現象(ちょっとしたミスで急に幻滅するやつ)は、確かに一部の女性にみられるけど、それって男性側の粗相が積み重なってる結果でしょ。
最初から相手を尊重して、思いやりを持って接してればそんな極端な反応は起きにくい。
女性が完璧主義なのは、過去に何度も「男の粗相で傷ついた」経験の積み重ねが原因の部分が大きいんだって。
原因と結果を逆にして「女性の精神構造が悪い」って言うのは、典型的な被害者責めじゃない?
そして「実子誘拐に代表されるように、日本女性の思考は世界的にも異質」って…完全に偏見とデマのミックスでしょ。
実子誘拐(連れ去り親権問題)って、確かに日本はハーグ条約加盟後も運用が問題視されてるけど、
・連れ去りをするのは父親も母親もいる(統計上、母親側が多いのは事実だけど、父親側も相当数いる)
・欧米でも共同親権が導入されてる国で、母親が連れ去りするケースは普通にある
・日本の場合、単独親権制度+調停の長さ+DVの立証の難しさが、連れ去りを誘発してる側面が大きい
これを「日本女性の思考が異質」って一括りにするのは、国際比較としてもデータとしても無理がある。
むしろ、男性がDVやモラハラを繰り返した結果、女性が子供を守るために逃げるケースが大半。
それを「女性の異質な思考」って言うのは、加害者側の視点でしか物事を見てない証拠。
要するに、女性に「メタ認知しろ」「完璧主義をやめろ」「痛みを伴って男を育てろ」って言う前に、
これをやらないと、女性が「この人と子供産みたい」って思うわけがない。