はてなキーワード: 積ん読とは
表題のとおりです。
事の発端は、12月12日に飯田一史さんは記事「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか(抄)」 https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5 (以下、飯田の批判)において、三宅香帆さんの著作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1212-b/ (以下、三宅本)の誤りを指摘したことでした。
これに対し、翌日の13日に三宅香帆さんは記事「「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのか」https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5 (以下、三宅反論)を投稿し、飯田の批判に対する反論を試みました。
このエントリでは、両者の主張に対する見通しを良くすることを目的に、飯田批判と三宅反論の論点を整理したのち、それぞれの問題点を指摘していきます。
まとめたのは人文系の話には疎い人間のですので、誤りも多いかと思いますので、まあ話半分で読んでもらえればと思います。
なお、飯田批判は、飯田一史さんの新著『この時代に本を売るにはどうすればいいのか』(星海社新書)https://ji-sedai.jp/book/publication/konojidaini.html からの抜粋であることを念の為補足しておきます。
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📰 0. 三行要約(問題点)
・飯田批判は、特に「三宅本は(出版流通における)「書籍」と「雑誌」を分けていないからダメだ」という主張に相当問題があると思う。
・三宅反論は、そもそも「反論」できてない。言い換えると、飯田の論理展開をあまり追えておらず、誤読を基に論理を展開するため実のある話があまりない。
・三宅反論は、三宅本の議論の前提に基づく問題を、あたかも飯田のデータ処理の問題にすり替えていて、個人的にあまり心象が良くない。
以下、飯田批判と三宅反論についてより詳細に検討していきます。
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飯田の批判の主張とその根拠、主張を正当化する論証について整理を行います。
理屈が明晰な箇所もある一方、煙に巻くような箇所もあって、議論を追うのはすこし大変だったような印象です。
・直接的には指摘ではないものには「◯」
また、論拠を準備していない主張には大括弧[]で囲っておきます。
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(「・働き始める前から読書量は減り、働き始めた後も日本人の読書量は減らない」の節)
◎主張1-1. 三宅本は、労働により読書量が減少することを前提にする。
しかし、これは誤りであり, 読書量は労働が始まってから変化してはいない。
<主張1-1の論証>
根拠1-1-1および1-1-2は, 読書量の低下は, 労働が始まる前の現象で、それ以降では起きていないということを示す。
これは、三宅本の前提を棄却するデータであり、ゆえに主張1-1が示される。
<論証おわり>
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◯主張1-2. 書籍における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白ではない。
<主張1-2の論証>
*根拠1-2-2. データ: 紙の書籍の推定販売金額と月の平均読書冊数
根拠1-2-1, 1-2-2, 1-2-3のいずれも、書籍に関しては、「買う」の増減から「読む」の増減を帰結することやその逆を主張することは難しいことを表している。
<論証おわり>
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◯主張2-1. 雑誌における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白である。
<主張2-1の論証>
*根拠2-1-1. データ: 紙の雑誌の推定販売金額と月の平均読書冊数
根拠2-1-1は、雑誌に関しては、「買う」と「読む」の間に相関があることを示している。
<論証おわり>
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◎主張2-2. 三宅本では、書籍と雑誌の区別ができていない。
<主張2-2の論証>
根拠2-2-1は、三宅本において雑誌と書籍を区別できていないことを示している。
<論証おわり>
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[◎仮設2-3. 三宅本は、「読書離れ」を論ずる際には雑誌と書籍を区別するべきである。]
(これは明示的に飯田批判にあらわれていないが、以下の主張2-4の論証において機能する暗黙の前提である、と私は思う。)
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◎主張2-4 三宅本は、『読書世論調査』における「読書時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張する。しかし、これは不適切である。
<主張2-4の論証>
*根拠2-4-1. 「読書時間」は「書籍+雑誌との接触時間」である。主張2-1から、雑誌の接触時間は減少傾向であると推察されるので、
「読書時間」の減少は(書籍ではなく)雑誌との接触時間の減少と解釈するのが自然である。
*根拠2-4-2. そもそも「読書時間」もそれほど減っていない。
*根拠2-4-3. 『読書世論調査』の総括では, 読書率はあまり変化がない.
根拠2-4-1, 2-4-3から、 「読書時間」の減少は書籍との接触時間の減少を導くのは難しい。
[仮設2-3]から, 「読書離れ」は特に書籍の読書時間減少を意味すると解釈するべきであり、
また, 根拠2-4-2の存在は、特に読書時間の減少が生じていないことを示唆する。
<論証おわり>
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◎主張3-1. 三宅本は、日本人が現在も長時間労働であることを前提にしている。
しかし、労働時間を「全産業平均」の観点で見たとき、この前提は不適当である。
<主張3-1の論証>
*根拠3-1-1. 厚生労働省「わが国の過去50年間(1973年~2023年)の労働時間の推移についての考察」
<論証おわり>
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◎主張3-2. 三宅本は、次の(i), (ii), (iii), (iv)を主張する:
(ii) 自己啓発(労働による自己実現)のための読書(=「情報」摂取型、「ノイズを除去する」「〈社会〉を遠ざける」)時間が増加した.
(iii)代わりに、人文書や小説などのための読書(=「アンコントローラブル」な「ノイズ」や「他者の文脈」を含む)時間が減少した
(iv) 読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例のグラフを描く
<主張3-2の論証>
*根拠3-2-2. グラフを書くだけの定量的な根拠はない(提示されていない)
根拠3-2-1から、労働者の 「自己研鑽」 = 「学習・自己啓発・訓練(学業以外)」の時間は減少している。
これは(ii)を否定する。
主張1-1および(ii)より(iii)は成り立たない。((iii)が成り立つためには(ii)が成り立つ必要があるため。)
根拠3-2-2は、(iv)を否定する。(少なくとも、(iv)の主張を肯定するだけの理由はない。)
<論証おわり>
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◎主張3-3. 三宅本では、自己啓発書市場の拡大から自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きいかのように解釈する。
言い換えれば、次の(1),(2)を主張する:
(2)(1)が正しいのであれば、「自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きい」は正しい。
<主張3-3の論証>
根拠3-3-1は、「年間ベストセラーにおける自己啓発書の冊数割合は増大している」ことを主張する。
しかし, 根拠3-3-2は 自己啓発本の市場は小説市場よりはるかに小さいということを意味する。
これは、(1)が正しいのに「自己啓発書のほうが~」が間違っているので、(2)は正しくない。
<論証おわり>
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[◎主張3-4, 三宅本は, 上の(1), (2)が成立するとしていたことが原因で、(i)から(ii)および(iii)を導いた]
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以下で、飯田批判を読んでいたときに、個人的に気になった点を列挙します。
●飯田主張2-4について:「書籍」と「雑誌」の区別は本質的か?
主張2-4の背後には「書籍と雑誌は分別するべきである」という暗黙の前提(仮設2-3)があるように思う。
三宅本の「読書」から「雑誌」を除外することは本当に妥当かを考えたい。
といっても自分は出版業界の人間ではないので正しい理解かは怪しいのだが、調べた範囲のことをまとめておく。
(間違ったこと言ってたらごめんなさい)
「書籍」「雑誌」の辞書的な定義はたとえば布川ほか編『出版事典』(出版ニュース社)のp.217およびp.167にある。
ざっくりまとめると「書籍」と「雑誌」の違いは一定の編集方針の下で定期的に刊行されているかどうかという部分のようである。
これは、1985年のユネスコの出版統計上の「図書」と「新聞及び定期刊行物」の違いともおおむね合致しているように見える。
("図書、新聞及び定期刊行物の出版及び配布についての統計の国際的な標準化に関する改正勧告". 文部科学省. https://www.mext.go.jp/unesco/009/1387396.htm)
より実際的な取り扱いは, "既存の雑誌が「創刊」とは、これ如何に". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20070111/
によれば、
そもそも本というのは「書籍」と「雑誌」に大別されますが、出版業界では「雑誌コード」が付されたものを厳密に「雑誌」と区分しているのです。
一見雑誌のように見える本も、このコードがなければ「雑誌」ではなく「書籍」ということになります。
ということらしい。(しかし、これはあくまでコラムの中の記述でありカチッとした話ではないことに注意)
「書籍」と「雑誌」の実際上の取り扱いの違いは、「雑誌コード」の有無、つまり流通上の取り扱いの違いから生まれてくるという。
日本では、「書籍」はISBNコードを持ち、「雑誌」はISSNコードや雑誌コードを持っている。
その中間にあたるムック本では、ISBNコードだけでなく雑誌コードも付随しているようなものは「雑誌」の対象とするようである。
("「雑誌」の定義と出版統計". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20060911/)
ともかく、「書籍」と「雑誌」を分けるのは明らかに内容やジャンルではない。定期的に刊行するかどうかであったり、それを根拠に雑誌コードが付いているかどうかだったりである。
コミック誌を除外したとしても、『anan』のようなファッション誌もあれば『文學界』や『オール読物』のような文芸誌も、また『Nature』や『ナショナルジオグラフィック』のような理工系の雑誌もまとめて「雑誌」にカテゴライズされる。
さらに言えばサイエンス社の『SGCライブラリ』シリーズの書物は, それぞれ内容的に全く独立しており実質的に単行本ではあるのだが、『SGCライブラリ151』までは『数理科学』の臨時別冊という扱いだったのでそのカテゴリは「雑誌」になっている。(なお『SGCライブラリ152』以降は「書籍」である)
一方、書肆侃侃房の『文学ムック たべるのがおそい』は確かにムック本ではあるが、雑誌コードを取得しておらず取り扱いは「書籍」であった。
このように「書籍」と「雑誌」の区分はそもそも出版流通上の区分であり内容面での区分ではないばかりか、その区分が出版物の実情と必ずしも合致しているわけでもない。
この区分はかなり表面的、形式的なものであると見るべきだろう。
・以上を踏まえて、飯田の批判、つまり「書籍」や「雑誌」という出版流通における区分の不徹底でもって三宅本を批判したことの妥当性ついて吟味してみよう。
それは、「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)という批判である。
そして、なぜ飯田が「不適切である」と主張するかといえば、「書籍」と「雑誌」は分けて考えるべき(仮設2-3)だからと考えているからであり、
特に三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍の読書量(≒読書時間)の低下」を採用するほうがより妥当である、という飯田が信念を持っているからである。
ここで注意したいのは、主張1-2, 2-1は「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)の根拠ではない。
飯田はその直前に「「書籍の読書量と出版売上」の相関は弱い(主張1-2)一方で、「雑誌の読書冊数と出版売上」が正の相関関係にある(主張2-1)という事実を指摘してはいるものの、飯田はこれらを「読書量を測定するにあたって「書籍」と「雑誌」を区別するべきである」(仮設2-3)の根拠にはしていない。主張2-4は仮設2-3からは出てくるものの、主張1-2, 2-1には立脚していない。三宅反論で大いに誤読したのは、主張1-2, 2-1があたかも主張2-4の根拠になっているかのような書きぶり、配置の魔術ゆえであろう。
ともかく、飯田の批判の妥当性を吟味する際はこの信念「三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍の読書量(≒読書時間)の低下」を採用すべきである」という部分に注目すればよい。
三宅本で対象としている「読書」は、大方「人文書や小説などのような(「ノイズ」や「他者の文脈」を含む)書物を読む行為」と解釈するのが妥当だろう。
したがって「読書離れ」は「人文書や小説などの書物を読む頻度が減ったり、そのために費やす時間が減少している」ということだろう。たとえば理工書や技術書、ファッション誌、ゴシップ誌などを読むことは端から三宅本の「読書」に含まれていないと見るべきである。
転じて言えば、たとえば「雑誌」であっても文芸誌を読む場合は「読書」に含まれるべきだろうし、「書籍」であっても理工書を読むことは「読書」に含まれない(と三宅本では考えている)かもしれない。
要するに、「読書」といったときに、読まれるべき書物を分類できていないと批判するならば、むしろそのジャンル(文芸・歴史書・哲学書・理工書・サブカル・ゴシップ・ファッションなど)の違いに着目するべきなのであり、出版流通における「書籍」「雑誌」という区分は、少なくとも直接的には重要でないだろう。もしこれが重要なのであれば、それは驚くべきことなので、別でこれを論証すべきである。
もちろん、おそらく「雑誌」の出版売上の中でファッションやゴシップが支配的で文芸誌や理工系雑誌は影が薄いだろうから、その意味で「書籍」「雑誌」の区分で売上を観測することがジャンルの傾向をよく記述するとは言えるかもしれない。言い換えれば、「ジャンルによる読書量の違い」を捉えるにあたって「出版流通における Permalink | 記事への反応(0) | 20:21
https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5
https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5
「なぜはた」の明確な問題点は「タイトルの主語が大きすぎること」です
<以下本文>
まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的な問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。
→大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。
「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。
これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人の平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気は存在しない」と言っているのに等しい議論です。
→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。
あえて寿命で例えるなら、「日本人の平均寿命は延びているから、喫煙者の平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通の評価軸である「寿命」で比較できますし、「日本人の平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者の平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます。
(しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者の平均寿命~」とするべきで、主語を日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)
全体平均の中に埋もれてしまっている「特定の属性の変化」に光を当てるのが拙著の役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析の手法として適切ではありません。
→マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。
おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います。
こういう人たちに、「タバコは健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人の経験則を否定することになり、もめます。
マクロデータの目的は、「特定の属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析の手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります。
だからこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在そのものをデータとして示す必要があるのです。
拙著で統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます。
→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。
飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されています。しかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています。
まず、拙著が対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?
次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり、統計的な定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます。
→対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍のタイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。
ちなみにこの統計、データ(https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。
これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたものを記載してみます。
<16-19歳の読書数>
0冊=66.3%
1-2冊=22.9%
3-4冊=8.4%
5-6冊=1.2%
7冊以上=1.2%
あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)
3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃいますよね。
おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代の比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法で調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。
しかも、令和5年の大学、短大、専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。
だから、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。
ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働期間中(生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています。
学生時代の読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。
もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析が必要です。しかし、データの限界を差し引いてもなお、この「労働期間中にのみ、特定の読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしまう飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。
→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータで示唆するのは無理があります。
U字カーブ? あなたは70歳以上の人が自在にスマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?
交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?
「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)
一見すると、「書籍の読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えます。しかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模の根拠として用いられているデータの定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。
雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍と雑誌の読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。 書籍は図書館での貸出や、古書店・メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイントが豊富です。
→なるほど、たしかに書籍は図書館や古書店で接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。
つまり、「読書数の総量=新品購入+レンタル・中古」になるってことですな??
ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。
こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉は存在しない。
→えーっと、積読があるから「読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。
……市井氏は積読があるから「読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古やレンタル市場があるから「読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!
まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍の読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌は読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである。
また、拙著の「雑誌や自己啓発書を中心として、労働者階級にも読まれる書籍は存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌と書籍の区別がついていない」と批判されています。しかし、拙著の記述は明治時代の出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌はコミックや週刊誌の割合も時代とともに変わっていきます。明治の雑誌出版に関する記述を、現代の雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。
以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイントも考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。
→えーと、前半の文章は市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているから不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。
後半は……
構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切」
あれ、あなたも書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?
市井氏のnoteをみると、扱っているデータは70年代以降のもので明治時代の話はしてなさそうですけどね。
それに市井氏の
なお、『読書世論調査2016年度』には書籍の読書率について「戦後、読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査を引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。
この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータだから?
引用元の文献(黒田祥子・山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈と適用先が間違っていると考えられます。
というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書の読書」は、行動の質が全く異なります。論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。
「キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータを根拠にするのは的はずれです。
→確かに「自己研鑽の時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。
飯田さんは「市場規模において、依然として小説は自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています。
第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性(トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。
第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダードが存在します。 飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態は書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。 しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額(市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています。
→いったん整理すると、
<三宅氏の主張>
読書の方向性が手軽な自己啓発書にシフトしているから読書量が減った。
<市井氏の主張>
小説の市場規模の方が大きいので自己啓発書の読書量に対する影響は大きくないはずだ。
市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定の根拠にはなりません。
さっき書籍と雑誌の比較で「市場規模と読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書と小説を市場規模で比較するのはおかしい!ダブルスタンダード!
→
反論①については、たしかにトレンドはそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから、自己啓発書のトレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。
反論②については、雑誌と書籍の比較と、小説と自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較は全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。
ご自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態の根拠とするのは、論理的一貫性を欠いています。
→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析を仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります。心配になりました。
<お わ り>
公開から2ヶ月近く経ってしまったけど、RA.1000の目玉企画のひとつであるDJ HarveyとAndrew Weatherallによる6時間半にわたるB2Bセッションの録音を聴き終え、とても素晴らしかったのでここに感想を記したい。
好きな人だけがこっそり楽しむにはあまりに勿体なく、DJカルチャーに明るくない人にも伝わるように書いたら恐ろしく長くなってしまったことを最初に断っておきます。
https://on.soundcloud.com/qtDLB6biRpSlOPR3Mp
■RAについて
Resident AdvisorはアンダーグラウンドなDJ/電子音楽/クラブカルチャーにおいて世界最大級の音楽メディアです。
彼らが2006年にスタートした「RA Podcast」は毎週更新のミックスシリーズで、多種多様なDJ/アーティストをゲストに迎えてオリジナルコンテンツを積み上げてきました。
2025年8月に1000回目を迎えるにあたって包括的な特別編として「RA.1000」を公開。歴史的価値の高いライブ音源からコンセプチュアルな新作まで10組のアーティストによる幅広いラインナップが無料公開されました。
中でもDJ HarveyとAndrew Weatherallが2012年に行ったB2Bのライブ録音はRA.1000企画の目玉といえるスペシャルな音源です。
またRA.1000の公開に合わせて過去の1000本を超える膨大なアーカイブが公開されており、これがはっきり言って文化遺産レベルの達成です。積ん読ならぬ積ん聴き。秋の夜長にどうぞ。
■DJ HarveyとAndrew Weatherallについて
彼らの経歴等は長くなるため割愛。ウェザオールは2020年に死去しており、今回が死後初のミックスリリースとなりました。
強調したいのは両者ともジャンルを横断してダンスミュージックの地平を拡大してきた先駆者であること、特にウェザオールは彼がいなかったらダンスミュージックのみならず現在の音楽シーンはまた違った形になっていたと断言できる人物です。
そして両名ともコマーシャル的な成功より眼の前のお客を熱狂させることに情熱を注ぐタイプのDJということ。
その2人が過去に行ったB2Bの録音が2025年に発表されたことに界隈はザワつきました。しかもハーヴィーがB2Bを行ったのは後にも先にもこの一回きりとのこと。
もし中田秀夫監督と清水崇監督がリング/呪怨の直後に共同制作した未公開作品がいま発表されたらホラー映画ファンは歓喜するでしょう?分かりづらい例えをしてしまい申し訳ないがそんなイメージです。
宮崎駿と高畑勲に例えようかとも思ったけどちょっとビッグネームすぎた。
■B2Bについて
B2B(Back-to-Back)は複数人で曲のかけ合いを行うDJスタイルのことで、一対一で1曲ずつのプレイが基本的な形です。
DJ同士がその場のノリで自然発生的にやる場合もあれば、Harvey × AWのように「夢の共演」としてメインに企画されることもある。
勝敗を決定する趣旨はなく、一緒に一夜を作り上げる共闘関係ではあるが「どちらがより遠くへ行けるか」という意識は(DJに限った話ではないけど)当然存在し、そこには音楽による提起、アンサー、挑発、協調、意趣返しがあり、対話と文脈が生まれます。どこに向かいどう着地するかはDJの技量次第。これは修正できないひと筆書きの物語です。
このセットについて、海外のフォーラムでは「Are they playing side by side and alternating?」と議論があるようだけど、自分は基本的には1曲ずつかなと思います。(理由は後述)
ただしプレイが2012年であることに加え、ウェザオールが存命でないため、誰がどの曲をプレイしたのか本当のところはHarveyにしか分かりません。
以下に感想を詳しく書きますがファンによる不確実な憶測を多分に含みます。
・43:52〜
The J.B.'s – Doing It To Death
おそらくHarvey。スタートからの探り合いののちにウェザオールが仕掛けた「スピリチュアルお経」に対するアンサー。
JBがDJセットに組み込まれること自体は珍しくないが、このトラックは思わずクスッとなるエディットが仕込まれている。(オフィシャルのクリアランスを取ってるとはとても思えない)
それにしても最初の仕掛けにしてはあまりにぶっ飛んでるAWと即座に変化球を返すハーヴィーの瞬発力よ。
飛び道具上等といったところか。
・1:34:51〜
Boys From Patagonia - Rimini '80
おそらくウェザオール。0:40頃のカマし合い以降はウェザオールの低重心で硬質なモードにHarveyが同調し、お手本のようなジリジリとしたビルドアップからのコレ。そこに至る(Harveyの協調による)緻密な助走ありきの到達といえる。アクセルを踏み込むタイミングを見定めたら容赦ない加速。
上モノのピロピロ笛がシンセリードに切り替わって音階を昇る瞬間は自分もウォウ!と叫んでしまった。
・1:54:30〜
Lindstrøm - Rà-Àkõ-St (Todd Terje Extended Edit)
おそらくHarvey。ウェザオール主体の軸で一定のピークを迎えたことで新たな軸を模索する動き。
オリジナルよりBPMを落としているのだがそれが重めの音調となってここまでの流れに違和感のない繋がり。
2012年当時はNu Discoと呼ばれる北欧のアーティストが中心となったトレンドが成熟を迎えつつあった時期で、Harvey自身がその流行を作り出した一人といえる。
ついでに言うとハウス/テクノ/エレクトロのセットとしてはBPMが遅く、それもひと昔前の空気を感じるところ。
Harveyはそろそろかっ飛ばしたいはずだがウェザオールがそれを許さない。
・3:11:15〜
Bang The Party - Bang Bang You're Mine (Tom Moulton Edit)
これはどっちだろう?前後の繋がりからHarveyな気がする。
依然としてエレクトロ圧が強いが、この時間帯になるとHarveyも適応して自身の得意なディスコやハウスのグルーヴを入れ込みつつ構築。ウェザオールもウィングを広げてジャンル横断感が加速。
ウェザオールもローをカットしたりハイハットを差し込むようなイコライジングは行うが、Harveyのそれはもうちょっと能動的、ハウス的なツマミぐりぐり系なので分かりやすい。(とはいえB2Bなので相手の曲をイコライジングする局面も当然あり得る)
・4:09:20〜
Tooli - No Reason (John Farnham - Age of Reason)
ピアノ!四時間超にしてたぶん初めてのピアノソロ。これも多分Harvey。
なんてクールな曲だろうと思って調べたら原曲は80sのちょっとダサめな(申し訳ない)ポップロック。https://youtu.be/adVR3MT8fGg?si=F2979n8bV_VK2vYN
これも権利チェックで弾かれる系のエディット盤だが、自分はこういうのが聴きたくて長年音楽を掘ってるまである。
ウェザオールは眉をひそめたかもしれないが、無しを有りにする角度の付け方は大好き。
・5:11:46〜
Something For Kate - Killing Moon (T-Rek Desert Disco Dub Mix)
ウェザオール印。
どこまでもクールに、ダークにいくよというウェザオールの芯のブレなさ。ダブとロック(チャグ)の一貫性。
ただ終盤の90分はウェザオールの色が薄まった気もする。もしかすると途中で抜けてるかも?
・6:13:10〜
The Brand New Heavies - I Don't Know Why (I Love You) (A Tom Moulton Mix)
Harveyによる締めのスイーツ。
絞ったLoを解き放つたびに加速するストリングスとホーンとボーカル。オリジナルの音源が100だとしたら120にも130にも響かせてやろう。
モータウン味を感じると思ったら原曲はスティービー・ワンダーで納得。
■あとがき
6時間半をどうやってぶっ通しで聴くかだけど、自分は一人で遠方まで運転する予定を作りました。自宅だと長尺はキツいし、ある程度の音量で聴きながら体でリズムを刻んだり叫んだりしたかったから。
最低2時間くらいはまとめて聴けるようにするとより没入できると思います。
作品としてリリースされたミックスや自分が現場で体験してきたDJプレイを含めて、トップクラスに素晴らしい音楽体験でした。
今回Harvey × AWを取り上げたけど、自分はTheo ParrishのRA.1000についても同じ熱量で語りたいくらいだし、というかRA.1000について日本語で読める言及がネット上に見当たらず、この文化的喪失に危機感を覚えたので増田に書き殴ってやろうと思った次第です。
https://anond.hatelabo.jp/20240609080053
https://web.archive.org/web/20170710055555/
http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201209
そろそろ書店に並んでるかな?
「私、雨女っぽいんですけど、行って大丈夫ですかねえ。。?」と
一応聞いたら、編集さんの顔がくもってた。
大丈夫かな。
今回もちょこっと描きますよ。
こういうレポート&エッセイ漫画って、もう一生コミックスに再録されない
はずなので、、雑誌掲載後、ブログにアップしちゃっても良いかもですね。
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お仕事---
すごいな~。
なんとなく頭が混乱する。
「最強のふたり」も観てきましたよ。
なんか変なところで泣く。映画館で観れて良かった。
予約いっぱいだったので、、天王洲アイルの「t.y.harbor」でビール。
この季節、気持ちいいな~このお店。
夜風はすっかり秋ですね。
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本・映画---
発売直後に買ったまま、ずっと積ん読だったのを
やっと今日読みました。
そこまで明確にランク分けされてなかった気がするなあ。。
うちの高校は。私が鈍かっただけかな。
口にすら出せなかった。(絵が下手だったから。)
そんなことを思い出しました。
「絵を描く仕事がしたいです」なんて、もの凄く絵の上手い人しか
言っちゃいけない気がしてたんですよね。たぶん。
生きるのが楽になったりはしますよね。
語ってた理由が分かりました。語りたくなるなる。
昨夜、原稿終わりましたよー。
あとはゆっくりチェックをしながらネームを入れて、編集さんにお渡ししたら、終わり。
今回読み切りと重なって量が多くて大変で、「疲れた疲れた」言っちゃう
アシさんのおかげで、何とか無事今回も大真面目に〆切前に
あがりましたよー。いつもどうもありがとう!
秋服買いに行きたい。
(いきなり物欲)
あとは、平和を願うよ。ほんとうに。
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本・映画---
ベツコミ発売してました。
10月6日(土)深夜24:55~ 日テレさんにて放送ですよー。
初回は一時間拡大版ですけど、基本は30分枠です。
実は物凄く物凄く悩んでしまったのですけど、
(そして周囲に迷惑をかけた。)
最終的には、これもご縁なのかなと思い至って、お受けする事になりました。
「漫画」という便利なツールの力を借りて、ギリギリ「読み物」として
成立するか否かの、なんというか、わりと痛々しいモノを描いてる自覚が
あるので、、、
実写は正直、いつもテンパります。
どうぞご覧くださいませ。
通常ドラマより尺が短いので、原作の全てを詰め込むのは無理ですが
(1h×1クールでも、何もかも丁寧に描くのは無理ですよね、きっと。
ボリューム的に。)、
それはさておき。
どうぞ最後までお付き合いくださいませ。
次号、10月13日発売のベツコミは「Piece」特集号ですよー。
成海がぶっ壊れてます。
なぜかうちのニャンコが載ってたり(多分。使って貰えてれば。)
色々盛り沢山なので、手に取ってみてくださいね。
発売前に、またお知らせします。
長くなりました。
ではでは!
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お仕事---
もう解禁でいいのかな。
詳細はまた後ほど。
https://anond.hatelabo.jp/20231215113558
俺はアラサー非モテである。別にモテたいわけじゃないけど、少なくとも彼女は5年以上いない。
で、正にこんな家に住んでいる。東京の狭いワンルーム18m^2に住んで10年、1口コンロでまともに自炊はできないが、そんな中で調理家電揃えたりするともう部屋にスペースはない。買いに買った積ん読本が部屋の3割程度を圧迫している。バロンチェアのデスクスペースの横には万年床、寝床の頭上には200冊程度の積ん読の山が鎮座している。二竿ある本棚は既に満杯だ。
そういう生活はたしかに人を呼ぶ前提で作ってない。そもそもテーブルが不要だ、パソコンデスクで食事も済ませればいいんだから。
で、元増田の内容は全部うんうんって頷いて読んだ。そもそも床に座らせるな、デスクチェアを女性に譲れ。それはそう。
でも、そこでふと思ったんだけどさ。そもそもみんな「人を呼ぶ」前提で部屋に住むものなの?
できるかどうかもわからない「恋人」の存在を仮定して住む家決めなくない? 友人を家に呼ぶ前提なのかな。あるいは家族。あんまりそういう実感ないからわかんないんだけど。わかんないから非モテなのかな。
だってさ、たとえば上記の例だと椅子とか2つ要らないじゃん。デスクチェア1つで事足りる。ダイニングテーブル? お前ワンルームでそんなの必要ないだろ。1Kに住めって言われるとつらい。
元増田の言う「自宅デート」ができない家に住んでいる身としては、「俺は絶対自宅に恋人呼べないな」という反省と、「自宅に恋人呼ぶの前提で家引っ越すのめんどくさすぎ、恋人作らんでいいわ」ってげんなり感が同時に襲ってきたんだわ。
>ゲーム、音楽、映画、動画。これらについては今も昔も95%くらいはつまらなく、5%くらいは楽しい。
手あたり次第だと割合は似たようなものかもしれないけど、楽しめそうって思うのしかチャレンジしなくはなった。Xで出来上がったTLに感性合う人多いから助かっている
昔は週刊ジャンプサンデーマガジンチャンピオンとファミ通読んでて半分以上はなんだかんだ楽しめてた。
今はアニメは年に1~3作ぐらい。漫画や小説は月に数作新しいのに出会えてる(漫画や小説は古い未読作も多い。らんま以降の高橋先生作品とかまだまだ未読が沢山残ってたので)
ゲームは、今年はティアザキ(4神殿クリアで飽きた)とピクミン一応エンディングとAC6三周と、あとインディーゲーとかスマホゲー少しか。
インディとかアプリ系は安いからついつい買っては放置(数分~数時間やって積む。積みプラは五箱ほど。積ん読は小説10冊漫画50冊ぐらいでまあまあ消化できてる。1円セールとかの除く)
音楽は家で聞く習慣がない。ジョギング中、運転中ぐらい。どっちもほとんどしなくなったからライブでしか聞かなくなって、ライブも体力的にほとんど行かなくなってしまった
スキルアップ的なのでいえば
流石に英語と、20年前ぐらいにちょっとだけやってやめた3Dモデリングと、ゲームプログラミングと、あと簿記かなんか考えている。
たまに飲みには行く
小説、イラスト、漫画、動画とデジタル系創作は結構集中してやったことがあり、先述のゲームやモデリングもその延長で考えてる。AIさんに手伝ってもらって
それらを本格的にやる気失ったら家庭菜園と、三味線と木彫りを予定してる
どっかでやる気出たら映画撮りたい
50まであと3年切ったなぁ…
昨日は最高気温が29度、午後から市内中打たせ湯何億何兆本みたいなどしゃ降りが続いた日で、昼からの熱気と湿気が建物の中にこもって体からも熱が抜けず、足がじんじん熱くて眠れないのでいちばん風が通って涼しい居間の窓を全開にしてそこで寝ることにした。
居間の電気は消してダイニングの赤い明かりをつけてちょっと暗くして、テレビは小さい音でつけたままソファに寝っ転がって年始ごろに買ったまま積ん読状態だった「オメガ城の惨劇」をやっと半分まで読み進めたところで、今の時間は02:09。
ここはマンションの9階なんだけど、外の音めちゃくちゃはっきり聞こえるもんだね。
ベランダにはよくこんな小さい羽でここまできたね!ってちょっと感心するくらいな小さい虫がくるんだけど、マンションの外壁に沿って上昇する風に乗って飛ばされてくるんだって以前叔母が言ってた。
音もそんな感じでここまではっきりした姿でやってくるのかな。
地上の音がほとんど隣で聞こえるみたいにはっきりしてて、こんな時間でも下のバス通りを乗用車やバイクが何台も通過していく走行音やエンジン音が聞こえてる。
大型のトラックみたいな車ははあんまり通らないみたい。タイヤの音が重くないからわかる。
春先からこっち晴れてる日の真夜中はほぼ毎日エンジンふかしながら走りくるってる暴走族どもとそのバイクどもは今日はお休みらしい。
雨天決行じゃないんだな。しおらしいところがある。かわいくはない。
その代わりに激しいけどなんか妙にかわいいリズムを取ってクラクション鳴らす初めて聴くタイプの暴走車が東から西へ走りぬけていった。
うるさいし阿波踊りの曲のMVのベースみたいな鳴らし方でおかしい。
なんでこんな真夜中にそれをするんだろう。追われてる車とかいないといいけど。
もう今は02:46で、まだまだひっきりなしに車が走ってる。
こんな時間に、みんなどこに向かってたり帰ってたりあるいは仕事してたり遊んでたり他のなにかしてたりするんだろう。
都会とはまあ呼んでも差し支えない街ではあるけど、いつもこんな感じだったのかな実は。
部屋で寝てるときは聞こえないから知らなかった。なんか少し不思議な気持ちになる。
はっきり起きて動いてる人の気配がはっきり外にあっていつもより不安ではない。
車の中の人はでも不安かもしれないな。楽しいかもしれないけど。
私はその人たちじゃないからわからなくてわからない人がたくさんいて安心する。
みんなそのうちに、もしかして明るくなってからかもしれないけど、まあ家とか部屋とか目的地に無事に着いて眠れるといいな。
私はもう少し本を読もうかな。
日常的にマンガを読む人は感じないだろうけど、マンガを買うという行為は結構ハードルが高い。
マンガの単行本というのを今まで買ったことが無かった。いや、AKIRAは買ったが大分前だ。
一方、無料で公開されてるWEBマンガは結構読んでいて漫画太郎や『アンテン様の腹の中』とか、漫画家の病気体験記とか楽しく読ませてもらっていた。
そこで虚構新聞を見るたびに広告が出て気になっていた『無能の鷹』のリンクをクリックしてAmazonで買ってみた。
めっちゃおもろいやんけ。美人で身のこなしもさまになっていて如何にも仕事が出来そうな女性社員が実はポンコツで仕事も出来ず仕事の話も出来ずに話にならない。
でもその天然ボケなのに威厳がある立ち振る舞いによってポジティブに勘違いされ組織としての仕事はうまい方に転がるって話だ。
次に以前かなり人気があったブログ「デマこい」の作者が描いたという『女騎士、経理になる。』を注文した。
これ読もうと決意して6年以上経ってるわ。
これも最高に面白かった。昔ネトゲしてた頃、中世ヨーロッパやファンタジーの文脈を勉強していたので話の勘所が判って大変に面白い。
ファンタジーで舞台はどっかの港町なのだが、これは中世~近世を調べた事があればモデルはイタリアの都市国家、フィレンツェ、ジェノバ、ベニスなどと判る。この頃複式簿記が普及し、同時に紙と株式会社、持株会社という資本主義の原型が出来た。そこら辺の歴史(会計史)を教養主義の外連味なくプロットにしている。
同時に度々複式簿記の実践が挿しはさまれるという流れだ。これ青色申告で簿記の勉強してる時に読みたかったぞ。
そんな風にマンガ熱に浮かれだした増田は街の本屋に出かけたのだ。
まず、『無能の鷹』と『女騎士、経理になる。』の続巻がどこにあるのかが判らない。また、ネットでちょっと読んで名前を知っているような本も全く見つからない。
探しているうちにすっかり疲れて何も買わずに店を出てしまった。
次に小さめのブックオフに行ってみた。
すると女戦士の方は見つかった。しかしそれ以外は見つからない。
家に帰ってから考えるに、どうも店が大きいと見つからないが小さいと限定的に見つかるという事のようだ。
それは察するに総当たりで探しているからでは?
という事で次は棚の並びの特徴を捉えることを目標にしてみた。
すると、ダーッと並ぶ棚は集英社や講談社の大出版社の単行本が並び、それが一番の売れ線らしいという事が判った。
そして自分が探しているようなマンガはマイナー、ロングテールに属するものになり、それらは端っこや奥の方に追いやられて陳列されているのだと。
でも待てよ?奥付を見ると『無能の鷹』は講談社刊だ。なんで講談社のところにないのか…。
考えながら棚を観察するとマンガ雑誌の連載の有無で場所が決まっているらしいという事に気が付いた。講談社刊であっても連載物じゃない作品は中小出版社のものと同じ扱いを受けるようだ。世知辛い。
ここまで到達するのに2週間程度を要した。
しかし未だ解明されていないのが、漫画家の病気ルポみたいな実録マンガがどこにあるか?だ。
本屋のマンガコーナーをぐるぐる回り続ける増田氏はやがて棚の下の方に「大判本」というジャンルを見つけた。
普通の単行本より一回り大きいので、高さが違う棚に入っている。
そして下の方にあるという事は売れ行きは良くないという事であろう。本屋によってはこの大判本は柱の影の凹みなどに棚があったりする。
更に気が付いたのは、連載物は巻数が多く、新刊が出てる限りは現役で、棚を占拠し続ける。
だが実録系は単発なので売り切りなのだ。元がマイナーで発行部数が少ない上に、配本があった時しか棚刺しされない。
それが売れたらそれっきりなので本屋で買うのは結構難しいらしい、という事に気が付いた。
ネットで見るとフラットに見えてしまうが実店舗ではヒエラルキーがある。増田が好むのは下層に近い。実録系に至っては一期一会で、偶然見つけた時に確保せねばもう出会いはないのだ。
ここまでに至るのに1ヶ月くらい掛かっている。
最初の右も左も分からずすごすごと敗退した時に比べたら大分成長したが、それでも未だに不如意な感覚はする。
東京に出てきて「中央線の黄色じゃなくてオレンジの電車に乗ればいいんだ」と覚えていたら深夜早朝に黄色電車が無くなって混乱みたいな事が良く起きる。
マンガを買う層と買わない層の間には結構深い溝があり、マンガの売り場は購買スキルがある人間に最適化されていると思われる。
シャバに出てもスーパーでの買い物が出来ずに他の客が買ったものを大量にかごに入れてるニキータになった気分である。
というのも、かなりの速読なので半日で10冊近く読んでしまうのだ。買う時に苦労するものを半日で10冊も減らしてしまうなど勿体なくて気軽に読めない。無くなったら「どのマンガが面白いのか」という新しいミッションエイムに立ち向かう事になるのだ。
なぜ警備・介護・清掃の3つなんだよw
■人生失敗した…
財産をすべて失って、生活保護一直線のコースがここからはじまる
ただ、所有物=自分を縛っているもの、という意識はずっとあったのだ
例えば、なんか難しい専門書を積ん読していれば、それをいつか読まなければいけない
読まないでも、読んで理解できんでも、そこから何か元を取る結果に結び付けなければいけないと焦る
というか、もっと簡単に例えるなら、クルマを買ったら乗らなければいけない
飽きたらほったらかし、というのは単に駐車場代を浪費するだけだった
捨てていく、失っていく過程を自分で行わなければならないのがつらい
先々が生活保護とか考えると、うかつに冷蔵庫を捨てるとかは躊躇してしまうのもある
でも、開発の機材とか、工作機械とかはバッサリ捨てる必要がある
ソフトウェアとかハードウェアとか、もうやっても警備、介護、清掃の世界では何の役にも立たない
音楽の知識も、絵画の知識も、警備、介護、清掃の世界では何のアドバンテージもない
これまでの人生のすべてが無駄になってしまった、無駄なものだったと心の底から思える
しかし、そうは思いつつも、捨てるにも粗大ゴミのシール買ってくるだけでもめんどくさい
というか、最近になって大病してしまって、後遺症とかで外を歩くのもつらい
でも、全部自分の身から出たサビだということは自分が一番良く理解しているのである
本当にばかなことをしたなぁ…
仕方ないね
夢中になってるとすぐ水位が上がって取り残される
姉妹ってあるから「8才と5才」とかかと思ったら、40代と50代かよ。密漁者かよ。
┐(´д`)┌
HEM2(@HEM_SQUARE) - 14分前
桐山 生叶(@Ikuto_Kiriyama) - 15分前
人の命が失われるという事は痛ましい事ですが禁止区域で注意喚起もしてるので自業自得感が
あと記事の見出しを訂正して欲しいですね、「貝採り」ではなく「密漁」です
SATO(@SATO95644595) - 25分前
引用:
ShiriH3(@Ek8VRjF2aGpkL8y) - 32分前
私も釣りのウェーディングで経験した事がありますが、干潮で潮が引いていても、上げ潮になると驚くほど早く水かさが増してきて、あっという間に退路を塞がれて逃げ場を失うので危険です。注意しましょう
Cohen 🇯🇵 Stand with Ukraine 🇺🇦(@Cohen_jp) - 37分前
人はそれを密猟という。危険だからやめようね。日本語以外でも書いてるよ。
高階陽聖(紐)【公式】(@takashina_hi) - 41分前
AN通信(@AN_NewsAgency) - 41分前
自殺じゃん
金払って潮干狩りすればいいのに
日本に来て好き勝手なルール無視を行い溺れて死亡、ルールは守るためにある。
これから暖かくなってくると、こんな奴らがわんさかニュースをにぎわす。合掌
とん助(@Wx3HibqcxtBidTo) - 44分前
凡人志向(@tukumonidanida) - 45分前
2人の死因は水死とみられ、ライフジャケットは装着していなかった。現場付近は潮の干満で水深が約2メートル変動するという。
ジュネス (jyunesu)(@jyunesu_) - 49分前
GWに潮干狩りで行った「ふなばし三番瀬」で人が死んだとのことでとても驚いたけど……立ち入り禁止区域で密漁した結果すか。
魎魍魅魑(@yomenaiyo) - 51分前
午前零時に中国人が禁止箇所で潮干狩りって密漁以外何があるのw
パと(@patorimm6666) - 56分前
人が亡くなったというのにざまぁだの自業自得だのと匿名をいい事に平然と言ってしまう奴らが民度を語るなよ。反吐が出る。
稲荷(@vivvi216) - 59分前
ノーモラホイホイ?
Enokinoko(@Enokinoko9) - 59分前
辛辣なコメ多いなーと思ったら色々お察しだった。やっぱテロップだけじゃ当てにならねーわ。
あまり無くなった方の事を悪く言いたくないけど、速報と通知が来て、何事?って思ったけど、記事を読んだら、立入禁止、漁の禁止、ってなってるのに入って獲ってたって。駄目じゃないですか。
専門の知識と訓練受けてないやつが海や水場をなめんな
海は怖いよ、土地勘のない海には入ったらいけない
Spinel(@spinel_scarlet) - 12:41
しかも2日午前0時半頃に
一切求めてくんなよガメツイから 。
むらぽん成し遂げる大阪市長(@35mrpnnokd_1231) - 12:38
大人から満潮の時&浅瀬じゃなく深い所まで行かない限り溺れないけどね🙄普通、潮干狩りっ
、変動ある浜辺なら気を付けないと😓🌊
もち🐢🌸(@14p66HPFUOVHtQg) - 12:38
ここね…毎年密漁する人がいて、亡くなる人もいるんだよね💦禁止区域に立ち入っている時点でアウトだと思います。
まりペンペン×りおパンケイ(@m0tc82jh0n) - 12:32
かわいそう…(´・ω・`)
🎌烏龍茶🎌(@Vocaloid_Oolong) - 12:30
欲をかきすぎると
命を落とす。
【速報】
貝採り中に溺れたか
2日午前0時半ごろ、船橋市潮見町のふなばし三番瀬海浜公園近くの海岸で女性2人の死亡が確認されました。
.
ひろひよ(@hirohiyo3) - 12:26
密漁目的か知らないけど、この2人は身をもって海の危険を教えてくれましたね。
密猟者かぁ、これは同情できないな。しかもちゃんと警告の看板まであったのを無視しての結果みたいだし。
椛〈なぐさ〉お仕事絶賛募集中!(@studio_Nagusa) - 12:23
密漁かよ…
今眠龍@マリンアクア始めました。(@imaminn) - 12:23
:外国籍云々というより、食えるものがあったら獲る方向に思考する文化圏の人もおるやろなぁってところで。立ち入り禁止と密漁禁止の看板ふたつも意味なしてないし。日英中韓語で書いてあるっぽいけど。
密漁者は死して屍拾う者なし
信さん(のぶさん)@次どうしようね(@ossanshinshi) - 12:11
いつも通勤の時に見えていたあの2人組かな?
レイモンドさん💛 🐰(@ninnjinn021027) - 12:08
ここと江戸川の密猟はどっかのコミュニティで出回ってるんじゃないかってぐらい有名だよな
エミジャフ(emijah)(@Emijah_Kait) - 12:07
なんとショッキング、三番瀬でそんなことが、、、。ご冥福をお祈りします。
大槻 真嗣(@ShinjiOtsuki) - 12:07
majoram(@majoram18) - 12:06
自業自得やね
再三の警告と注意をきいていれば助かった命。
👥貝採り中に溺れたか 女性2人はいずれも中国籍の40代と50代の
雅信(@masanobu_i) - 11:55
外国籍のお人だそうで・・・
〉
Pou-Fou(@hiro07hata27) - 11:36
立ち入り禁止区域に入って死んだんじゃあ、同情する気にはなれない。
南雲仁@積ん読が崩せない(@jin_nagumo) - 11:36
密漁?
kupomo(@kupomo6) - 11:04
あー、さんざん問題になってるアホみたいな量の牡蠣を獲っては殻を捨てていく人たち?組織的にやってるならそういうとこでのレスキューも組織的にやってあげたらいいのにね
警告の看板が設置され色んな言語で注意事項が書かれているしイラストもあるとこは本当に危険な場所って事だね。
それ以外の場所でも注意事項は守らなきゃだけどね。
らび(@rabininja900) - 09:55
ラル大尉(@zx9r98c1) - 09:54
(ニュース)<【速報】潮干狩り中に溺れたか - 千葉日報オンライン>2022年06月02日 09時05分
Collect(@Collectbook) - 09:51
せやろなあと思ったらせやった
MA108P(マトバ)<蒸機公演は永遠(@MA108P) - 09:47
また起こってしまった…。
ぴこにゃん💕島津太彦(@pikonyan) - 09:43