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2026-04-23

[][][]比較理解古代帝国異民族政策

中国南北朝時代特に八王の乱以降)と、ローマ帝国末期(3世紀5世紀)は、異民族の大量移住軍事力依存という点で、驚くほど構造が似ています。どちらも「文明の中心」が異民族武力を頼るようになり、最終的に帝国崩壊・大混乱を招いた点が共通しています

主な類似点

中国後漢末〜南北朝

後漢後期から異民族五胡匈奴・羯・鮮卑・氐・羌)を辺境防衛のために積極的中華域内移住させ、兵として動員した。

西晋八王の乱王朝が弱体化すると、異民族が一気に反乱・独立し、五胡十六国という極端な分裂時代が始まる。

・結果として、漢人異民族虐殺応酬強制移動が300年近く続き、隋が統一するまで泥沼化した。

ローマ帝国末期(特に西方ローマ

3世紀危機以降、ゲルマン民族フランク族ゴート族ヴァンダル族など)やフン族を「連合軍(foederati)」として大量に受け入れ、帝国軍の主力として活用した。

特に4世紀後半以降、ゲルマン部族帝国領内に定住させ、軍事力として依存する「蛮族化」が進む。

・最終的に410年に西ゴート族ローマを略奪(ローマ sack)、476年に西方ローマ帝国が滅亡する。

共通構造

・両者とも「自らの軍事力が衰えたため、異民族を大量に移住傭兵化して補う」という政策を取った。

最初は「防衛力強化」のための方便だったが、異民族人口増加と軍事力の掌握により、帝国の統制が効かなくなり、最終的に崩壊・大混乱を招いた。

中国では「五胡十六国+南北朝の300年混乱」、ローマでは「蛮族王国の成立と西方帝国崩壊」という結果になった。

中国場合八王の乱以降)

異民族王朝のものを次々と建てた(前趙後趙前秦北魏など)。

漢人異民族民族単位での虐殺応酬が極めて激しく、朝廷交代のたびに前王朝皇族名族がほぼ全滅するパターン常態化した。

出自主義(家柄重視)が強かったため、「一族誅滅」が政治の標準手段となり、残虐性がより組織的報復的になった。

結果として、民族対立の泥沼が長期間続き、隋による再統一まで300年近くかかった。

ローマ場合

異民族基本的に「連合軍」として帝国の中に留まり独自王国を建てるまでには時間がかかった(西方では5世紀中盤以降)。

ローマ人は異民族を「蛮族」と見下しながらも、文化的同化させる努力をある程度行った(キリスト教化など)。

中国ほど「民族ごと殲滅しよう」という極端な発想は少なく、征服されたゲルマン王国の多くはローマ的な行政法制度を一部継承した。

・ただし、410年のローマ略奪やヴァンダル族による北アフリカ占領など、残虐行為はもちろん存在した。

歴史からの教訓

八王の乱から唐成立までの約300年は、中国史上でも特に残虐で混沌とした時代でした。後漢末期の胡人移住政策が遠因となり、西晋の自滅が引き金となって始まった民族対立連鎖は、ローマ帝国末期の「蛮族依存」と構造的に非常に似ています

軍事力外注化の危険性


自前の正規軍を疎かにし、異民族武力依存すると、結局その異民族帝国を乗っ取られるリスクが極めて高い。

異民族移住コントロール失敗


最初は「労働力兵力確保」のつもりだったのが、人口増加と軍事力の掌握により、帝国の内部から崩壊を招く。

文明連続性


中国は隋・唐で再統一され、異民族は最終的に漢化・吸収された。一方、ローマ西方で完全に崩壊し、ゲルマン諸王国が中世ヨーロッパの基盤となった。

両者とも「文明の中心が異民族軍事力依存するようになった」結果、統制を失い、大混乱に陥りました。

中国場合民族単位虐殺応酬がより長期化・激化し、ローマ場合帝国の分裂と蛮族王国の成立という形で決着しました。

この比較からわかるのは、異民族政策の失敗は、帝国の存亡を直接左右する極めて危険な賭けだということです。

後漢西晋の胡人移住政策も、ローマのfoederati政策も、短期的な軍事力補強には寄与しましたが、最終的には文明崩壊を招く原因となりました。

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[][]五胡十六国時代、異質なまでに残虐な時代

序:三国時代と異なる残虐さ

三国時代(220-280年)は、確かに戦乱と残虐行為に満ちた時代でした。しかし、そこにはまだ「英雄ドラマ」と「一定格式」が残っていました。曹操諸葛亮のように、教養・統率力と残酷さが同居する人物が多く、敵将の降伏厚遇するケースも少なくありませんでした。

これに対し、八王の乱(291-306年)から隋・唐の統一(589-618年)までの約300年は、中国史上でも特に苛烈で残虐な時代として際立っています。


三国時代唐代以降と比べても、「民族単位での大規模虐殺」「朝廷交代ごとの皇族名族の根絶やし」「強制移動の頻発」という特徴が極端に目立ち、単なる戦乱を超えた「文明崩壊民族対立の泥沼」といった様相を呈しています

八王の乱——晋王朝の自滅と混乱の引き金

西晋(265-316年)が統一を果たした直後、皇族同士の権力いであ八王の乱が勃発します。
八人の王(皇族)が互いに殺し合い、短期間に大量の皇族処刑自殺暗殺されました。この乱は単なる宮廷内紛ではなく、:「朝廷の交代=皇族絶滅」:という悪しきパターンの始まりでした。

晋は乱の影響で極度に弱体化し、北方異民族五胡)を傭兵として大量に呼び込みました。これが後の大混乱の直接的な引き金となります

後漢末期の胡人移住——悲劇の遠因

この混乱の遠因は、後漢後期(2世紀後半)にさかのぼます

後漢北方異民族匈奴鮮卑・羯・氐・羌など)を「胡人」と呼び、辺境防衛力不足を補うために積極的中華域内移住させ、兵として動員しました。
特に:西涼現在甘粛省青海省あたり)の軍閥は、:胡人の騎馬戦力を基盤とした強力な勢力として台頭しました(董卓馬超西涼軍が典型例です)。

この政策一時的国境を安定させましたが、結果として大量の異民族内地に定住する事態を招きました。三国時代にはまだ抑えられていた民族間の緊張が、西晋の衰退とともに爆発的に表面化したのです。

五胡十六国時代(304-439年)——民族単位虐殺応酬の始まり

西晋崩壊後、北方華北)は:五胡十六国時代と呼ばれる極端な分裂期に入ります。:匈奴・羯・鮮卑・氐・羌の五つの主要異民族が次々と王朝を建て、漢人王朝も含めて20近い小王朝が乱立しました。

この時代の最大の特徴は、民族単位での大規模虐殺応酬です。

・石勒(後趙羯族)は漢人を大量に坑殺(生き埋め)する「漢人殲滅政策」を実行。

冉閔漢人)はこれに報復し、羯族民族ごと殲滅しようとしました(数十万人規模の虐殺)。

・各王朝の交代のたびに、勝者側が敗者側の民族皇族を根こそぎ殺すパターンが繰り返されました。

三国時代のような「個人の野心や復讐としての残虐」ではなく、民族全体を弱体化・根絶やしにしようとする集団的報復的な虐殺常態化した点が、極めて異質です。

南北朝時代(420-589年)——門閥貴族と族誅の呪い

北方北朝南方南朝に分裂した後も、残虐性は収まりませんでした。

北朝

鮮卑族の北魏華北統一しましたが、皇族貴族粛清が絶えませんでした。:河陰の変(528年)は、:爾朱栄が北魏王公貴族2000人を一度に虐殺し、洛水を血で赤く染めました。

南朝

宋・斉・梁・陳の各王朝交代のたびに、前王朝皇族名族がほぼ全滅する:「禅譲茶番」が繰り返されました。:幼い皇帝を無理やり即位させて形式的禅譲を行わせ、用済みになったら即座に殺害するという、偽善的で残酷な手口が常套化しました。

この時代出自主義(家柄を絶対視する価値観)と一族誅滅(族誅)が固く結びついていました。名族であるほど権力も大きかった分、失脚時のリスクも極端に高かったのです。

隋・唐への移行と残虐時代終焉

589年に隋が南北統一し、618年に唐が成立することで、この長い残虐時代はようやく終わりを迎えます。
隋・唐は科挙制度を拡大し、血統ではなく能力による官僚登用を推進することで、門閥貴族の力を弱め、中央集権を強化しました。しかし、唐の成立も北周の関隴貴族鮮卑系混血が多い)を基盤としたため、完全な「漢人王朝」とは言えない複雑な出自を持っていました。

総括——なぜこの時代特に残虐だったのか

八王の乱から唐までの約300年は、三国時代唐代以降と比べてもひときわ残虐で混沌とした時代でした。
三国時代

英雄同士の知的な激突と、一定格式が残る「名士の戦い」の時代

この時代

民族間の生存競争が激化し、民族単位虐殺応酬一族誅滅が常態化教養と残虐さが分離し、文明形式すら崩壊した。

唐代以降

科挙による能力主義が広がり、士大夫階級が成立。門閥貴族血統支配が崩れ、比較的安定した時代へと移行。

世界史における意義

後漢後期の胡人移住政策が遠因となり、西晋の自滅が引き金となって始まったこの混乱は、中国史の中でも特に暗く、虚無的な時期と言えます

ローマ帝国末期が異民族軍事力依存し、崩壊の遠因となったのと似た構造を持っています

この時代は、単なる戦乱ではなく、「出自主義呪い」と「民族対立連鎖」がもたらした、人間社会の極限的な暗部を象徴しています

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2026-04-22

[]東アジアにおける科挙制度

中国史における科挙制度功罪

科挙制度の拡大は、単なる人材登用改革ではなく、地方門閥軍事力を弱体化させるという、政治的意味合いも持っていました。

南北朝時代までの貴族階級は、土地を基盤に私兵を抱え、地方で半独立的な軍事力を保持していました。九品中正制の下では、家柄がそのまま軍事行政権力に直結していたため、地方門閥朝廷に対して強い交渉力を持っていました。

隋・唐が科挙を推進した背景には、この地方門閥軍事力中央に回収する狙いもありました。

能力試験官僚を登用することで、血統ではなく皇帝への忠誠と学問で選ばれた人材中央に集め、地方私兵私権を削いでいく——これが唐代以降の中央集権強化の重要手段となりました。

しかし、この変化は必ずしも一方的成功とは言えませんでした。

科挙による文官優位は帝国統治を安定化させる一方で、軍事力相対的弱体化を招きました。

特に宋代では、文官軍事を軽視する風潮が強まり北方遊牧勢力に対する防衛力が低下する要因の一つとなりました。

日本韓国ベトナムでの科挙導入

中国で生まれ科挙制度は、東アジア周辺国にも導入されましたが、それぞれの社会構造軍事力のあり方によって、異なる結果を生みました。

日本
の事例

奈良平安時代律令制一時的に課試(科挙に似た試験)が導入されましたが、すぐに蔭位の制(貴族の子弟を試験なしで官位に登用する制度)が優先され、形骸化しました。
地方軍事力は、荘園を基盤とする在地領主(後の武士階級)に移行し、科挙的な能力主義ほとんど根付きませんでした。

結果として、平安後期以降は武士世襲支配が強まり中国とは異なる「武家中心の封建社会」が成立しました。

韓国高麗李朝)
の事例

高麗時代から科挙積極的に導入し、李朝朝鮮王朝)ではさらに整備されました。しかし、両班という世襲的な貴族層が実質的科挙を独占する構造が続き、血統重視の価値観近代まで残りました。
地方門閥軍事力も、中国ほど中央に回収されず、両班地方豪族一定私兵・影響力を保持していました。

科挙は導入されたものの、メリトクラシー形式的に留まり中国ほどの社会変動は起こりませんでした。

ベトナム
の事例

ベトナム中国の影響を強く受け、科挙をかなり忠実に導入しました。特に李朝陳朝以降、科挙合格者が官僚の中核を占め、士大夫に近い階層形成されました。
しかし、地方の村落共同体や在地豪族軍事力が強く残り、中央集権は完全には達成されませんでした。中国のように「地方門閥軍事力を徹底的に解体する」までには至りませんでした。

科挙は「中央官僚養成装置」として機能しつつ、地方軍事社会構造独自の形で維持されました。

まとめ——能力主義光と影

六朝出自主義から始まった貴族階級の変質は、隋・唐の科挙拡大と宋代士大夫成立によって、大きな転換を迎えました。これは東アジアで最も早いメリトクラシーの事例であり、中国社会価値観根底から変える歴史的意義を持ちます

しかしその一方で、帝国軍事力弱体化という負の側面を生み出しました。

日本韓国ベトナムでの科挙導入は、それぞれの国情によって中国とは異なる帰結を迎え、完全な能力主義根付くまでには至りませんでした。

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[][]中国貴族階級の変質と代償—出自主義衰亡

六朝時代(220〜589年)——門閥貴族の全盛と「出自主義」の極致

六朝時代魏晋南北朝時代)は、中国史上でも特に貴族階級の力が強かった時期です。この時代貴族士族名族)として政治文化社会をほぼ独占していました。

最大の制度基盤が九品中正制です。これは官吏登用において、各地の「中正官」が人物を9段階に評価する仕組みでしたが、実際には家柄(出自)が最優先され、能力より「どの名門の生まれか」が決定的な基準となりました。

清河崔氏、范陽盧氏、荥陽鄭氏、太原王氏といった名族は、数百年にわたり血統を維持し、互いに婚姻を繰り返して閉鎖的なエリートネットワーク形成しました。この価値観出自主義と呼びます出自絶対視する考え方は極めて強固で、「家柄」がその人物価値のものを決定づける時代でした。

しかし、この出自主義は同時に残虐性と深く結びついていました。 

名族であるほど権力も大きかった分、政権交代権力闘争が起きると「一族ごと滅ぼす(族誅)」ことが常套手段となりました。

名族血統のものを断つことで、再起を不可能にする——この論理が、南北朝を通じて繰り返されました。

隋・唐の統合政策貴族階級の変質

589年に隋が南北統一したことで、状況は徐々に変化し始めます。隋の文帝・煬帝科挙制度の原型を導入し、家柄以外にも登用ルートを開きました。ただし、この時点ではまだ門閥の影響力が強く、科挙は補助的な役割に留まっていました。

唐代に入ると動きが加速します。特に武則天時代科挙が大幅に拡大され、安史の乱755763年)を境に伝統的な門閥貴族(関隴集団など)は経済的軍事的な打撃を受け、急速に衰退しました。

唐は「華夷一家」(漢と夷を区別せず一つの家族のように扱う)という政策を掲げ、血統的に非漢人要素の強い人々も「唐人」として吸収しようとしました。

しかし、この統合政策の裏側には、軍事力の弱体化という深刻な問題もありました。

中央集権的な官僚制度を強化する一方で、地方軍事力を軽視した結果、辺境防衛脆弱になり、安史の乱のような大反乱を招く一因ともなりました。

士大夫誕生とその両義性

唐末から五代十国を経て、北宋(960年成立)で士大夫という新しい階級が本格的に成立します。

士大夫とは、科挙特に進士科)に合格した知識人官僚層のことです。

彼らは血統ではなく、学問儒教的教養能力によって地位を得ました。

宋代になると、皇帝科挙を徹底的に整備したことで、士大夫政治だけでなく文化地方社会でも大きな影響力を持つようになりました。

この士大夫階級の成立は、世界史上でも早い段階でのメリトクラシー能力主義)の事例と言えますしかし同時に、軍事能力の衰退とも密接に関連していました。

宋は文官優位の体制を徹底した結果、軍事力相対的に弱体化し、北方遊牧勢力契丹女真モンゴル)に対して苦戦を強いられることになります

士大夫中心の官僚制度は帝国統治を安定化させる一方で、「文弱」という新たな脆弱性を生み出したのです。

まとめ——変質の意味と代償

南北朝は、貴族階級の栄華と脆さを象徴する暗い時代でした。隋・唐の統合政策科挙の拡大により、出自主義呪縛は徐々に解かれ、宋代には士大夫という能力教養重視の新しいエリート階級が生まれました。

これは東アジアの中で比較的早いメリトクラシーの実現例です。しかし、門閥貴族血統支配を崩した代償として、帝国軍事力は弱体化し、「文官優位の弊害」という新たな問題を生み出しました。

士大夫誕生は、中国社会価値観を大きく変えた歴史的転換点でしたが、「能力主義」という光と、「軍事統治の弱体化」という影は常に表裏一体でした。

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[][]六朝時代の残虐性(北朝編)

五胡十六国時代南北朝時代における漢人勢力異民族勢力虐殺応酬の具体例を、時系列に沿って整理して詳述します。

この時期の特徴は、三国時代のような「個人の野心や復讐としての残虐」から民族単位での集団的報復的な大虐殺へと質が変わった点です。

漢人異民族を、異民族漢人を、互いに「根絶やしにしよう」とする応酬が繰り返されました。

1. 五胡十六国時代初期(4世紀前半)

石勒(後趙羯族)による漢人大量虐殺

• 石勒は奴隷出身羯族で、後趙建国

漢人を「奴隷以下」と見なし、特に知識人貴族層を徹底的に虐殺

特に有名なのは、「漢人殲滅政策」。漢人を「一族ごと」殺すケースが多く、捕虜を坑殺(生き埋め)したり、城ごと焼き払うような残虐行為が記録されています

• 石勒自身晩年になって漢文化を取り入れようとしましたが、すでに漢人側の深い恨みを買っていました。

報復冉閔漢族)による羯族虐殺冉魏時代、350年頃)

• 石勒の死後、後趙内乱に陥った隙に、漢人養子だった冉閔クーデターを起こして後趙を滅ぼし、冉魏建国

冉閔は「漢人至上主義」を掲げ、羯族(石氏一族を含む)を民族ごと殲滅する政策を実行。

洛陽や鄴を中心に、羯族の男女老若を問わず数十万人規模の虐殺が行われたとされ、「一日で数万人を殺した」という記録もあります

• これが五胡十六国時代で最も大規模な「民族単位虐殺」の一つで、羯族はほぼ壊滅状態になりました。

この石勒→冉閔応酬は、典型的な「異民族漢人虐殺漢人異民族報復虐殺」のパターンです。

2. 前秦時代とその崩壊4世紀後半)

苻堅(前秦氐族)の漢化政策とその後の報復

• 苻堅は氐族でありながら漢文化を深く学び、漢人官僚積極的に登用して華北統一を目指しました(淝水の戦い前は比較的穏健)。

しか淝水の戦い(383年)で東晋大敗すると、前秦は急速に崩壊

• 敗北後、漢人や他の異民族鮮卑・羌など)が一斉に反乱。苻堅は捕らえられ、姚萇(羌族)によって屈辱的な処刑を受けました。

• その後、前秦の残党に対する漢人勢力報復殺戮が各地で発生。苻氏一族もほぼ壊滅しました。

ここでも「異民族統一王朝漢人を中心とした報復連鎖」という応酬が見られます

3. 北魏時代5世紀6世紀

河陰の変(528年)——北魏最大の虐殺事件

北魏末期、権臣**爾朱栄(鮮卑系)**が洛陽近郊の河陰で、胡太后と幼帝を殺害した後、北魏王公貴族・高官2000人以上を一度に虐殺

対象は主に漢人中心の貴族層で、「血が川のように流れ、洛水が赤く染まった」と記録されています

• この事件の後、漢人側も鮮卑勢力に対する反撃・粛清を繰り返し、北魏東魏西魏に分裂して崩壊の道をたどります

4. 北斉北周時代6世紀

北斉(高氏、漢人系)

高洋(文宣帝)は鮮卑貴族を徹底的に弾圧虐殺。「鮮卑を皆殺しにすべき」と公言するほどで、鮮卑人の大量処刑が相次ぎました。

北周(宇文氏、鮮卑系)

宇文護や宇文邕は、逆に漢人官僚を重用する一方で、旧来の鮮卑貴族粛清民族の力関係が逆転するたびに虐殺対象が変わる応酬が続きました。

全体の特徴まとめ

応酬連鎖

漢人異民族虐殺異民族漢人虐殺 → また漢人が…という悪循環

民族単位殲滅志向

三国時代は「敵対勢力指導者や軍を倒す」レベルが多かったのに対し、この時代は「特定民族全体を弱体化・根絶やしにしよう」という発想が戦略として出てくるのが異質です。

教養と残虐の分離

三国時代のような「残虐だが教養がある」人物が少なくなり、残虐行為がより原始的集団的になる。

この応酬連続が、隋の統一(589年)まで約300年近く続き、中国史の中でも特に暗く泥沼化した時期と言えます

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2026-04-11

女性統治者が自ら主体的領土拡張侵略戦争企図したケース

1. エカチェリーナ2世ロシア帝国18世紀

彼女は「啓蒙専制君主」として知られる一方、ロシア史上でも屈指の領土拡張を行った統治者です。

2. 武則天(唐・武周7世紀

中国史上唯一の正統な女帝である彼女は、内政での冷酷な権力闘争で有名ですが、外征においても非常に積極的でした。

3. ゼノビアパルミラ帝国3世紀

ローマ帝国の混乱期に、現在シリアを中心としたパルミラ帝国の実権を握った女性です。

4. イサベル1世カスティーリャ王国15世紀末)

スペイン統一の基礎を築いた女王です。

5. セミミスアッシリア伝説史実混交)

伝説的な色彩が強いですが、モデルとなった史実摂政サムムラマート(紀元前9世紀)は、女性でありながら異例の軍事遠征を行った記録が残っています

伝説上のセミミスは、エチオピアインドまでをも征服しようとした「侵略的な女帝」の象徴として、古来より多くの文学作品ダンテの『神曲』など)に描かれてきました。

なぜ女性統治者戦争企図したのか

歴史家たちは、女性統治者侵略戦争選択した背景に以下の要因を指摘することがあります

サッチャーのように「自国領土への侵略に対する反撃(フォークランド紛争)」という防衛的側面が強いケースとは異なり、

上記の人々は明確に他国領土を奪う」「勢力圏を広げる」という意図を持って軍を動かした例と言えます

2026-03-28

深圳日本人男児刺殺事件が起きた当時のコメント

 2024年中国深圳日本人男児刺殺事件が起きて、当然のことながら当時中国への厳しい批判コメントが多くなされたわけだけど、自衛官中国大使館に刃物を持って侵入するというとんでもない事件が起きた今、改めて当時の中国批判コメントを見返すと中国日本を入れ替えるだけで今の日本への批判コメントとして成り立つようなものが多くてしんどいな。

 


登校中に刺された日本人学校の男児死亡 総領事館明かす 中国深圳朝日新聞

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASS9L4301S9LUHBI01MM.html

長年共産党主導で「反日教育」が時に推進、時に容認され、昨今ではSNSでの日本ヘイト商売になる状況を放置している結果なんじゃないかな。現状を正確に報道しないと、日本でもおかしな「反中」が広まりかねない。。

犯人の弱き子供へ刃を向ける卑怯さもさることながら、中共自分らの失政から目をそらさせる為に日本への憎悪表現放置したその挙句にこの事件は起こった。中国史や中国文化好きだが中共嫌いの自分は怒りしかない。

100年近く前の9.18柳条湖事件を利用して反日ヘイト煽り続けてきた中国共産党民衆が、この児童狙いのヘイトクライムと全く無関係とは思えないな。中国政府の奴隷でもなければ、あちらの発表を鵜呑みにすべきでない

この件で一番邪悪なのは事件自体中国国内では報道管制で一切ニュースになってないって所だよな。本当にどうしようもない。自浄作用にも期待できない






 日本反中感情を政権支持を取り付けるのに利用してるし、報道の扱いも事件の重大性に比べれば妙に小さいし、なによりネットでの反中煽り商売になってるってのは言い逃れできない事実だしな。

 試しに今ログアウトした状態Youtubeで「中国」で検索してみた結果、上位に出てきた検索結果の動画タイトルがこんな感じ↓

中国内部が異常事態になりました…日本人の皆さん大至急見てください【高市早苗 青山繁晴 片山さつき 自民党

中国経済危機 総まとめ:1000兆円の負債預金封鎖、取付騒ぎの隠された内幕

中国崩壊習近平が「50年のタブー」を破った代償…14億大陸を吹き飛ばす超巨大・経済爆弾と最悪のジ

太陽光発電半導体、すべてが詐欺だった」中国政府の債務爆弾崩壊兆候が現れ、史上最悪の危機に直面した習近平呆然としている

爆笑中国政府さん、日本政府にプライドをズタズタにされてしまうwww

中国経済崩壊 広州1900万人の巨大都市から人が消えた…橋の下テント生活空っぽショッピングモー

【80回 近藤大介イラン依存中国が陥る「現実」…救いを求める相手は?

【悪質】中国人が日本の店でスマホをかざし続ける理由 #中国 #海外の反応 #shorts

イランが投げた「致命的な罠」を飲み込んだ中国経済の核心4部門が同時に崩壊した鳥肌モノの理由

【胸糞】日本人のフリしてロンドン発狂する中国人 #中国 #海外の反応 #shorts



 これ、頑張って中国叩き動画を探したわけじゃなくて、大手メディア公式動画以外のうちの8~9割がこんな感じ。

2026-03-23

anond:20260323121404

海外の丸パクリをよく見かけるから、たぶんちゃん独自コンテンツとして作ってるチャンネルもあるんだろうけど、日本語学術系はかなり敬遠してる。

積極的に見るのは日本史中国史くらいやな。

2026-02-04

anond:20260204170433

近親婚ってメリットもあるんよ。だからから行われてきたわけだし。

金持ち王族ほどこのメリットがでかくなる。

1. 家の財産を外に出さないで済む

2. 外戚を作らせない

結婚は家の足し算だから自分金持ちだった場合貧乏な人と結婚すると、マイナスになるわけ。

から同格の相手結婚してきたわけだけど、王族とか国一番の富豪となると同格の相手を見つけるのが難しい。

近親婚の場合、この問題を一気に解決できる。

結婚した相手の親や親せきに家を乗っ取られることがある。いわゆる外戚というやつだ。

日本史なら藤原氏がいたわけじゃん。中国史もっとたくさんいるし、欧米の国でもある。

これも近親婚の場合外戚存在しないのでこの問題解決できる。

課題としては遺伝的な病気がでやすいという欠点がある。

でも将来、科学進歩して、遺伝編集(デザイナーベイビー)が普通にできるようになれば、この手の問題も克服できるだろう。

そうなると、デメリットがなくなるので、メリットの方が輝くようになるかもしれない。

2026-01-09

anond:20260109120513

結論(最も重要ポイント

中国共産党天安門事件を隠す最大の理由は、事件が「党の正統性のものを揺るがす」から

検索結果でも、天安門事件中国共産党の最大のタブー と明言されている。

まり

「失敗」ではなく

“党が国民銃口を向けた唯一の事件

であり、

これを認めることは「党の統治根拠」を壊す

と党自身理解している。

から「消すと増える」ことを承知の上で、消すしかない。

1. 天安門事件は“党の正統性”を破壊する性質を持つ

検索結果では、天安門事件

中国史上初めて軍が学生市民銃口を向けた事件

とされている。

これは中国共産党にとって致命的。

なぜなら、党の正統性

人民代表である

人民を守る」

という建前の上に成り立っているから。

そこに

人民を殺した」

という事実公式に認められたら、

党の存在理由のものが崩れる。

2. 事件を認めると“党内の責任問題”が発生する

天安門事件は、

鄧小平(当時の最高指導者

李鵬首相

楊尚昆国家主席

らが決断した武力鎮圧

もし事件を認めれば:

誰が命令したのか

誰が責任を取るのか

党の判断は正しかったのか

という議論が避けられない。

これは 党内権力闘争火種 になる。

3. “民主化運動”の再燃を恐れている

検索結果では、天安門事件

民主化言論の自由政治改革を求める運動だった。

まり事件を認めることは:

民主化要求は正しかった」

「党が間違っていた」

と認めることになる。

これは

現在一党独裁体制正当性を揺るがす。

4. 「事件を認める=党の歴史観崩壊する」

中国共産党

抗日戦争勝利

国共内戦勝利

改革開放の成功

などを「党の偉大な歴史」として語る。

そこに

民主化を求めた学生戦車で轢いた」

という事実絶対に入れられない。

歴史は党の統治の道具であり、

歴史観崩壊統治崩壊

につながる。

5. “認めても得がない”という合理的判断

あなた

素直に認めて反省すればそれ以上突っ込まれない

と言ったけど、党にとっては逆。

認めると:

国内民主化要求が再燃

国際社会から批判が再燃

党内の責任問題が再燃

歴史教育の全面書き換えが必要

党の正統性が揺らぐ

まり

認めるメリットゼロで、デメリット無限大

から徹底的に封じる。

6. 実際に「隠蔽は徹底されている」

検索結果でも:

中国国内では検索しても出てこない

若者の多くは事件存在すら知らない

と明記されている。

これは「消すと増える」どころか、

“消し続ければ存在しなかったことにできる”

という中国式の情報統制成功例でもある。

🎯 まとめ

中国共産党天安門事件を隠す理由は:

党の正統性破壊する

民主化運動が再燃する

党内の責任問題が発生する

歴史観崩壊する

認めても得がない

という政治的合理性によるもの

検索結果でも、

天安門事件中国共産党の最大のタブー

とされており、

これは単なる“汚点”ではなく

「党の存在理由を揺るがす致命傷」

からこそ隠され続けている。

2025-12-28

anond:20251225224402

>「低能な多数者の専制」を脱出し、ゾーン建設する願望は、低能とされた人種から隔離主義21世紀植民地主義にしばしば結びつく

 

民主主義というのは、市民社会というものをそこそこ愛していないと、成立しない気がする

からいか搾取し、しゃぶりつくすかしか考えてないような民衆では無理

中国史とか、300年スパンボロボロになり国ごと崩壊するガラポン歴史の繰り返し

今の日本政府も、明治維新の志士たちが作ったスタートアップだったけれど、しゃぶられて劣化していきボロボロ

2025-11-25

anond:20251125172245

中国史無知なんだけど、なんでもっと早くに滅ぼさなかったんですか?としか思ってない。

いつでも滅ぼしにいくタイミングあったと思うんだけど。

2025-11-21

anond:20251121121239

それこそおまえのいうとおり中華作家活躍部分的中国史好きはだいぶふえてるよ

三国志演義も嘘ばっかやけど日本人のほうが中国人より詳しいやん

2025-09-10

粗雑な中国崩壊論ですhttps://anond.hatelabo.jp/20250910180316

1 「失業率過去最大でインフレに苦しむ中、過去最大の税収」

判定:部分的に正しい・部分的に誤り。

根拠と注記:

中国都市部公式失業率調査失業率/城鎮調査失業率)は、2022–2023年に若年層で高止まりし、若年失業率歴史的に高い水準を記録した時期があるが、公式の「過去最大」と断定するのは文脈依存。全国ベースの長期統計定義が変わるため単純比較は誤解を生む。

インフレ消費者物価指数 CPI):近年はゼロ近傍〜低めのインフレ率で、2022–2024年デフレ圧力や低成長懸念がしばしば報じられた。したがって「インフレに苦しむ」と一括するのは誇張の可能性あり(局所的・品目別の価格上昇はある)。

税収について:中国中央地方財政・税収は2020年代回復基調で増加した年もあるが、「過去最大」の主張は年次・範囲中央のみか全国か)を特定しないと検証不能。2021–2023年には税収増の年もあるが、それが歴史的最高かは年度比較必要

2「こんな状況にも関わらず、国民支援は行わなず」

判定:誤解を含む。

根拠と注記:

中国政府感染症対策景気対策としてインフラ投資、減税・猶予中小企業支援雇用促進策などを行ってきた。直接的な現金給付欧州米国の大規模一時給付)とは異なる形だが「支援を一切行わない」は事実と異なる。支援規模や対象に関する評価は分かれる。

3「共産党員の基本給を3割もアップした」

判定:誤りまたは未確認(おそらく誤報)。

根拠と注記:

共産党員党員)と公務員や党幹部給与政策は別々の制度だが、公的に「党員の基本給を一律で30%引き上げた」という公式発表や信頼できる報道確認できない(2025年9月時点の公開情報に基づく)。賃金改定は段階的・職位別で、地方ごとに差があるため一律30%増という断定は疑わしい。

4「アリババもこんなことになるよな」(政府政策が原因でアリババ不振

判定:過度な単純化

根拠と注記:

アリババ中国ハイテク企業が直面した困難(規制強化、独占禁止調査金融持株会社構造改革景気後退、消費低迷など)は複合要因による。政府支出・税収や党幹部給与だけを原因とするのは因果関係の過剰単純化

5「中国って昔から天下統一されたことがなく、200年足らずでどの国も滅んでた」

判定:誤り。

根拠と注記:

中国史では複数回の「天下統一」が存在する(秦・漢・隋・唐・元・明・清など)。王朝の交代は長期的周期で繰り返されたが、「天下統一されたことがない」は明確に誤り。

「200年足らずでどの国も滅んでた」というのも一般化しすぎ。王朝寿命は短いものも長いものもあり、地域時代差異が大きい。

「今回の中国チベット香港取れずにそろそろ国が終わりそう」

判定:誤り・推測的。

根拠と注記:

チベット香港は現状で中華人民共和国の一部と位置付けられており、特に「取れずに」や「国が終わりそう」といった表現事実に基づく分析ではなく予測的・感情的評価。国の存続を左右するかどうかを示す具体的根拠は示されていない。

まとめ(簡潔)

史実に関する記述過去統一について)は誤り。

共産党員の一律30%昇給など具体的政策の主張は確認できず誤報または根拠不十分。

失業率・税収・インフレ国民支援に関する主張は、定義統計範囲によって真偽が分かれる(部分的事実と誤解が混在)。

企業アリババ)の問題国家の存続に関する結論因果の短絡や推測が強く、裏付けが不足している。

2025-07-27

著書の一部「中國窪地:一部內亞主導東亞的簡史」

劉仲敬(リウ・ジョンジン)の著書《中國窪地:一部內亞主導東亞的簡史》は、漢族中心の「中国史観」を根底から問い直し、「中国」とは本来「窪地(デプレッション、Basin)」であり、その上に覇権を打ち立てたのは内陸アジア(內亞)の諸遊牧帝国だった――という挑戦的な視座から書かれた歴史解釈書です。

この書は、彼の「文明圏多元論」「諸夏主義」「脱中華思想の根幹をなす理論著作ひとつです。

概要

書名の意味

「中國窪地」とは、地政学的に見た「中国盆地中原」のことであり、東は山東半島と海、北は長城・蒙古高原、西は黄土高原、南は山岳地帯に囲まれた“低地”です。この地理的な「くぼみ(窪地)」が、周辺からやってくる外来征服者モンゴル女真満洲契丹など)にとって統治やす空間だったという発想です。

基本構図:

従来の中国史は「漢族が外敵から文明を守った」という中華中心史観だが、実際には:

内亞(中央アジア北アジアモンゴル高原)の勢力が主導し、

漢族は被支配者・被同化者の役割に留まり

中国王朝の多くは「征服王朝」だった。

構成(簡略):

地理文明相互作用:なぜ中原は「文明の中心」ではなかったのか。

周辺文明=内亞勢力連続性(匈奴鮮卑契丹→金→元→清)

征服王朝中華概念政治的利用

清帝国の版図と中国ナショナリズムねじ

中原文明の周辺従属性と「脱中華」の可能

詳細なポイント解説

1. 中国は「文明の中心」ではなく「窪地」である

黄河流域は人口密度が高く農耕は発展していたが、防衛的には極めて脆弱で、常に外部勢力侵入を受けやすかった。

文明の重心」は周辺(北西のオルドス草原モンゴル高原満洲チベット高原)にあったとする。

特に乾燥気候遊牧民は、動員・軍事組織力に優れ、常に中原の静態的農耕社会凌駕していた。

2. 征服王朝連続性:中國=内亞の代理政権

漢人王朝」はむしろ例外であり、主な統一王朝外来起源

鮮卑北魏

契丹(遼)

女真(金)

蒙古(元)

満洲(清)

これらの王朝は、内亞の軍事遊牧構造を基盤に「中國窪地」を包摂し、自らの征服構造正当化するために「中華文明」の装飾を用いただけ。

中華」は本質的に「支配の飾り」や「便利なツール」に過ぎず、征服王朝文化的正統性演出するための道具だった。

3. 清と中華ナショナリズムの逆説

清朝は史上最大の版図を築いたが、それは「大中華」ではなく、「大内帝国」として理解されるべき。

辛亥革命以後、漢民族ナショナリズム清朝多民族帝国遺産を奪い、「中華民国」という名前で引き継いだが、実態としては「満洲帝国の皮をかぶったナショナルステート」だった。

民国中共も「満清の版図」を正統と見なし、それを守ることが国家の使命であると信じたが、これは歴史的には極めて不自然

4. 「中国史」とは「中原支配された歴史

中原(=窪地)は一貫して政治軍事的に無力で、常に外来勢力軍事力に従属していた。

その歴史を「一体的な文明発展史」として語るのは、近代以降に発明された「ナショナルヒストリー国家史)」であり、虚構である

書籍学術的・思想的意義

項目 内容

目的中国漢族国家ではない」という主張の体系化

方法 地政学文明史的視点で再解釈

主張の強さ 「中国」という国家概念が内亞の帝国的秩序によって形作られたという、極めて挑発的な歴史

思想的貢献 「諸夏主義」「脱中華」「多文明的再編」論の土台を提供

国際的含意 チベットウイグル内モンゴル満洲雲南などの「非漢族地域」の分離独立文明的に正当化できるという論理的土台

まとめ:なぜこの書が重要か?

劉仲敬は《中國窪地》を通じて、「中国国家正統性幻想である」「中華文明の中心は常に“外”にあった」と論じ、現代中国ナショナリズムの基盤を根底から覆しています

この本は、以下の読者に特に重要です:

中国史地政学的に再解釈したい人

漢族中心史観を相対化したい人

東アジア多民族史に関心がある人

台湾香港ウイグルチベット問題の背景理解を深めたい人

「なぜ中国は一つの国であり続けるのか?」という問いを根底から問い直したい人

https://anond.hatelabo.jp/20250727140855

劉仲敬の代表的 著書の紹介

https://anond.hatelabo.jp/20250727120239

《民國紀事本末》(2013年

いわゆる「共和国時代」の出来事時系列に整理しつつ、従来の教科書的な叙述を批判的に再解釈した作品史実の列挙にとどまらず、当時の政治的思想的背景を浮かび上がらせ、国共内戦から国民政府期に至る人脈や権力構造連続性と断絶を明らかにする。

《從華夏到中國》(2014年

華夏」という文明単位から「中國」という近代ナショナルステートへの移行過程を史的にトレース。劉仲敬独自の「文明分析」の下、周秦以降の冊封体制清朝の版図拡大、近代ナショナル・アイデンティティの醸成をリンクさせ、「中国」という概念いかに後付けの政治装置として形成されたかを論じる。

《安·蘭德傳:生平與思想》(2015年

アイン・ランド(Ayn Rand)の伝記的考察。従来の思想史や伝記とは一線を画し、ランド個人主義思想中国東アジア文脈で再評価彼女小説『肩をすくめるアトラス』の世界観と、劉仲敬が批判する中央集権体制との対比を鮮やかに描き出す。

《經與史:華夏世界的歷史建構》(2015年

儒教経典(「經」)と史書(「史」)が中国文明自己叙述をいかに形作ってきたか分析。『春秋』『史記からまり、後世の史観儒学解釈政治体制正当化になった過程を追う。文字通り「経典」と「歴史」の相互作用に着目し、文明自己神話メカニズムを解剖する。

《守先待後:思想、格局與傳統》(2015年

劉仲敬自身思想羅針盤を示す論考集。先行する思想制度(「守先」)を理解した上で、新たな時代構造(「待後」)を構想するという二段階モデル提示し、中国内部の制度変遷や外部文明の衝撃に対処する方法論を提起している。

近代史的墮落」シリーズ(2016–2018年

東アジア現代の主要人物を題材に、それぞれの生涯を通して「文明堕落」を読み解く評論シリーズ

《晚清北洋卷》:清末の北洋官僚をめぐる権力と腐敗の構造分析

《國共卷》:国民党共産党指導者層の思想的相違と利害駆け引き

《民國文人卷》:黎明期共和国文化人知識人が抱えた矛盾理想の断絶。

いずれも「近代国家の没落」をテーマに、政治家・知識人個別事例から大局的な文明批判を行う。

《遠東的線索:西方秩序的輸入與中國的演變》(2017年

ヨーロッパ国際秩序ウェストファリア体制産業革命後の列強均衡)が東アジアにもたらした制度価値観検証。清末以降の不平等条約から中華民国共産党政権への制度移植過程を、構造主義的に解剖し、「外来」と「内向」の相剋を描き出す。

《中國窪地:一部內亞主導東亞的簡史》(2017年

「窪地(低地)」概念を用い、ユーラシア内陸アジア勢力モンゴル満州中央アジア部族)が東アジア世界に与えた影響を再考。従来の漢民族中心史観を覆し、「内亞(シベリアモンゴル満州から視点で見た中国史」を示す、劉仲敬の代表作のひとつ

《滿洲國:從高句麗、遼金、清帝國到20世紀,一部歷史和民族發明》(2019年

満洲国を単なる傀儡政権とみなすのではなく、高句麗→遼・金→清帝国へと続く「北方遊牧文明」の連続性を強調。20世紀満洲国成立を「民族発明」の一例として論じ、ナショナル・アイデンティティ形成ダイナミズムを浮き彫りにする。

文明更迭的源代碼》(2020年

いわゆる「阿姨學(劉仲敬思想)」の内幕を語る、自著解説書兼思想史。各文明の興亡パターンを「源代碼(ソースコード)」として抽象化し、文明間の普遍的法則提示。連載講義をまとめたスタイルで、初心者から上級者まで劉仲敬の全体像を掴むのに最適の一冊。

劉仲敬と従来の中国反体制派の違い

https://anond.hatelabo.jp/20250727120239

劉仲敬と従来の中国反体制派の違い

項目 従来の中国反体制派(民主派自由主義派) 劉仲敬の主張

中国国家既存の「中華人民共和国」を民主的改革民主化すればよい 「中華人民共和国」という国家枠組み自体が人工的で非現実的中国多民族連合体として再構築・分裂すべき。

民族観・統一観 「中国は一つの民族中華民族)としてまとまるべき」ことが前提 「中華民族」は政治的神話実態複数民族の多元集合体単一民族国家否定

体制批判の焦点 一党独裁権威主義体制民主化自由化目標 体制批判根本的。中央集権国家崩壊多元的地域分裂・自治を推奨。

未来ビジョン 民主主義中国の実現(西洋民主主義への接近) 「諸夏主義」などの地域文明単位による緩やかな連合体形成国家民族固定観念解体

歴史観 中国は長く続く統一国家であることを基本に認めている 中国史は分裂と連合の繰り返し。単一連続的な民族国家歴史は作られた神話

国家態度 中華人民共和国を乗り越えるための改革革命志向 国家のもの時代遅れ解体視野。新しい地域単位多元的な秩序を目指す。

国際関係国家主権尊重国家としての中国民主化目標 国家の枠組みを超えて地域間の多様な連携自治を重視。国家主義ナショナリズム否定

具体的に言うと…

従来の反体制派は「共産党独裁民主主義に変える」「言論の自由法の支配確立する」といった改革を求めます。これは「中国という国家を良くする」ことが前提です。

一方、劉仲敬は「中国という国家そもそも巨大な神話であり、漢民族中心の大中主義虚構」とし、「国家民族概念自体を分解し、多様な民族地域が緩やかに連合する新しい秩序を作るべき」と主張します。

まり、従来の民主化運動が「国家改革」を目指すのに対し、劉仲敬は「国家の枠組みの破壊と再構築」を提唱しているのです。

なぜ彼の考えはユニークか?

伝統的な中国の「民族統一」観や「国家主権」を根本的に疑っているため、単純な民主化論や自由化論では解決できない根本問題を突きつけている。

そのため、民主派自由主義から理解しづらい「分裂主義」としても受け取られることがあります

逆に言えば、彼の主張は中国の多様な民族地域現実を踏まえ、より柔軟で現実的未来像を模索しているとも言えます

反体制派の中国人に劉仲敬(リュウ・チュウケイ)は熱狂される理由

劉仲敬(リュウ・チュウケイ)とは?

劉仲敬は中国出身歴史学者思想家作家であり、東アジア歴史民族問題政治思想に関する独自視点で知られています特に中国史の再解釈」や「民族国家のあり方」に関する論考で注目されており、中国体制批判や分裂論、地域主義的な思想を持つことで話題を集めています

基本情報

生年月日:1970年代まれ(詳細は非公開)

出身中国湖北省

専門:歴史学、政治思想民族学、文化人類学視点も持つ

活動拠点:主に海外日本アメリカなど)、インターネット上でも発言多数

言語中国語、英語日本語も堪能

主な思想・特徴

1. 中国の「統一神話」への批判

劉仲敬は、中国共産党や中華思想が唱える「中華民族=一体的な統一民族」という見方を強く批判しています。彼は、現代中国の「中華民族」という概念は後付けの政治的神話であり、実際には多民族国家である中国複数の異なる民族文化圏集合体だと考えています

2. 地域主義・分裂主義的な見解

中国の広大な領域複数地域に分け、それぞれが独立自治を持つべきだという考え方を支持しています歴史的には、元・明・清などの王朝も「多民族連合体」であり、単一民族国家ではなかったと強調します。

3. 「諸夏(しょか)」論

彼が提唱する「諸夏主義」とは、中国全体を「複数の夏(文明圏文化単位)」の集合体とみなし、これらが連合してきたという概念です。これにより、漢民族中心の大中主義を相対化しています

4. 国家観・民族観の独自

国家民族歴史的・文化的に流動的なものであり、固定的・普遍的ものではないと考えます。そのため、現在国境民族単位時代と共に変わっていくものだという視点を持っています

日本人にとって注目される点

日本歴史観との違い

日本歴史教育では、中国は連綿と続く一つの大国というイメージ一般的ですが、劉仲敬はそれを「作られた神話」とみなします。これは、日本歴史認識中国理解を見直すきっかけになるかもしれません。

琉球台湾東トルキスタン新疆)などの地域問題への言及

劉仲敬は、中国の中でも特に少数民族独自文化を持つ地域独立自治問題に関心が深いです。たとえば琉球沖縄)を「独自民族圏」としてとらえ、中華民族範囲に含める中国の主張を批判しています。これにより、日本安全保障地域情勢への示唆を与えています

中国現代政治批判

彼の思想中国共産党の一党支配体制に対する批判も含み、中国未来や分裂可能性についての議論を促しています中国理解の深化に役立つ視点です。

発信方法と影響力

YouTubeSNS書籍での発信

劉仲敬は動画ブログSNSを通じて思想を発信し、特に中国語圏や日本台湾香港知識層に影響を与えています

ネット界隈でのカリスマ存在

学問的には異端ともされますが、彼の自由な発想と大胆な主張は、若い世代ネットユーザーの間で支持を集めています

簡単なまとめ

ポイント 内容

出身・専門 中国出身歴史学者思想家

主張 中国多民族連合体単一民族国家ではない

諸夏主義 中国複数文明圏連合したものと考える

中国共産党批判 一党支配大中主義神話批判

日本との関わり 日本台湾香港での思想交流や影響力がある

地域問題への示唆 琉球台湾新疆などの民族問題に注目

2025-04-21

欧米中心史観に基づく問題のある用語をchatgptに聞いてみた。

https://x.com/pre_dk/status/1914149915388940583

結構オランダ人長崎出島日本における植民地認識してたりする。

オランダ人出島をkolonie(植民地)と呼んでるそうな。

上記ツイート見て面白そうだったのでchatgptに似たようなフレーズいか聞いてみた。


1. “Japan was discovered by the Portuguese in 1543”

discovery発見)=「それまで世界地図の空白地だった」という大航海時代メタファー

実際には倭寇琉球貿易中国史料に日本記述は山ほどある。


西洋が見つけてあげた” 物語に収まり日本側の連続した対外関係が消える。


2. “Commodore Perry opened Japan to the world” (1853–54)

主語米海軍動詞=opened(能動)、客体=日本受動)。

江戸後期の対ロシア清朝交渉長崎オランダ商館経由の情報収集が見えなくなる。


文明開化アメリカ恩恵」という進歩史観が固定。


3. “Japan’s sakoku policy = a closed country”

鎖国=完全孤立」と描くが、実際はオランダ中国朝鮮琉球などと交易使節往来が続いていた。

“閉じた日本西洋がこじ開けた” というヒーローナラティブを下支え。


4. “Meiji Restoration = modernization along Western lines”

欧米モデル=唯一の近代化ルート」と単線的に語る。


富国強兵殖産興業国内思想アジア情勢の中で選択された側面が大きい。


5. “Feudal Japan” というパッケージ

欧州中世的 “封建制” と江戸幕藩体制をゴッタ煮。

士農工商家禄制の固有性が “feudal(遅れている)” のひと言で失われる。


割と使えるね。人種差別論争でもAIは猛威を揮いそう。

2025-03-29

三國志で一番の名シーン『桃園結義(桃園の誓い)』はデマ

じゃあどうやって劉備関羽張飛って中国史上稀に見る最強の三人は義兄弟になったんだろ

説明付かないかでっち上げたんじゃないか

全然違和感ないもの

2025-02-16

anond:20250216164825

しろ主人公が成長して友情エピもアクションシーンもなくなったら、存在意義無くない?

作者の好きな中国史を見渡しても、完璧超人の友人キャラの居所ってあんまり思いつかない。

せいぜいで太平天国あたりだろうか。

2025-01-05

薬屋のひとりごと違和感ひどすぎて見るのやめた

正月暇だったのでたまたまサブスクで「薬屋のひとりごと」ってアニメ見てたんだけど違和感ひどすぎて見るのやめた。

なんちゅうか、主人公感覚現代人過ぎるんだよなあ。歴史物のくせに主人公の「一歩引いたところから世界を見てる」ような感覚ものすごい現代的だし、しか子どものくせに性格大人のそれ。知識量も大人凌駕してる。

さら裏切り裏切られの世界であるはずの古代中国時代設定は不明だが)で考えられないくらい周りの連中が生ぬるすぎるところも気持ち悪い。環境があまりにも主人公に都合がいいんだよ。

決定的だったのが「実は美少女」設定ね。俺はこれが一番大嫌いでさ。鬼滅の伊之助とかもっとごっついやつでいて欲しかったし。この手の設定マジで要らない。いかにもオタクが好きな美少女イケメンコンテンツですよって感じがチラチラしてダメだった。ただでさえかわいげがまったくない主人公なのにこれで美少女だったら完璧過ぎなんよ。もはや人間味がない。ここで見るのやめたよ。ブス設定だったら最後まで見てたと思う。

俺はアニメオタクじゃないし、作品のことも作者のこともようわからんけど、まるで「オタク女のキモい妄想だな」って思ったわけ。俺は何を見せられてるんだ?って冷めてしまってもうダメだった。こういうのを異世界無双物っていうんだよな。俺はその手のものノットフォーミーなので、できるだけ避けてたつもりが詐欺られた気分だよ。気づくの遅すぎじゃねwってつっこみは無しでお願いします。

追記

美少女設定というのはイラスト云々じゃなくて「そばかすをわざと描いてブスになってた」設定のことを言ってるんだが。

あと、なんちゃって中国設定とかキモい妄想のどこが悪い?とかのコメントに全部ひっくるめてひとことで返すなら「歴史物を期待してみたら異世界物だった」これに尽きますね。異世界物なら生ぬるくても妄想でもなんでもOKいいんじゃない?。

追記

もしかして妄想に過ぎないストーリーリアリティ()とか言ってる口?

自分歴史が好きなので、時代考証とかけっこうと気になるタイプです。お互いキモいと思ってて問題ないです。でもそういうすぐ極論で受け取ってしまう幼稚さはお話にならないよ。もしかして創作」と「妄想」を同じ意味だと思ってる口?「妄想」を辞書で引くといいよ。

追記

>そう思うと十二国誌は永遠に主人公にも読者にも厳しくてすごい

お、十二国記は子供の頃たまたまテレビで見てて、なんか妙に憶えてて、最近サブスク見直したばかりだよ!

あれはいいよね。薬屋と何が違うのかはわからないけど。たぶん十二国記のほうは「がっつりファンタジーですよ」って雰囲気出してくれてたか最初からわかって見てたし、話もぜんぜん生ぬるくないからだと思う(無双ではあるけどそこまで万能感はない)。設定の緻密さがうまい具合に妄想っぽさを薄めてるのかな。

>本放送の時に、増田みたいな頓珍漢なニワカが大量に発生してぼこぼこにされてたんだけど

俺みたいに歴史物を期待した人間か、非アニオタじゃないかな。大量発生したってことは実はトンチンカン見解でもないってことじゃない?ともかく過去に同じような感想を抱いたひとたちがいたようで安心したよ。教えてくれてありがとう

>(暗黒微笑)は陰キャ女子の夢なんや

なるほど、ちびまる子ちゃんでいう野口さんポジションキャラ無双物ってわけか。違和感の正体が判明した気がしますw


<なんかいつの間にか伸びてるのでさら追記

パッと見、歴史物かなと思って見ただけだよ。評論家でもないしアニオタでもない作者も原作も知らない。正月暇だったのでサブスクたまたま見かけただけ。本文にもそう書いてあるんだけどなあ。短い題名中華風の絵、普通に考えてそれだけの情報一般人が「中華風ファンタジー」だと判断するのは無理ゲーじゃね?もちろん見始めてからすぐに違和感には気付いたけど。もしかしてオタク世界では「好き=めちゃくちゃ詳しい」って意味なのかな。もしそうだったとしたら誤解させてすまんね。俺は歴史好きではあるが、中国の全時代のあらゆる王朝風俗文化にめちゃくちゃ詳しいわけではないし、正直いうと途中まで作品を楽しもうとしてたんだよ。でもダメだったってだけの話。この話題が何周目かも知らんし興味もない。

あと気づくの遅いってのは、これが「異世界無双物」ってジャンルだと気づくのに時間かかったって意味です。君たちにとっては馴染みのあるジャンルかもしれないが一般人は知らんて。でも、なんか矛盾するようだけど俺はこれに気づいたとき少し嬉しかったんだよ(増田感情を吐こうとした理由はたぶんこれだ)。今まで毛嫌いして避けてきただけに「これが異世界無双物かー」「予想通りぜんぜんノットフォーミーだわw」って気付いた瞬間、この作品解像度がグンって上がったっていうのかな。もちろん悪い意味でねw 

まあ、勝手に見といて詐欺られたってのはちょっと言いすぎだったかもしれません。そこは素直に反省するよ。


さら追記(たぶんもう終わり)>

ああ、歴史物って「歴史を題材にした創作」って意味であって「史実に忠実な作品」って意味ではないんだわ。語弊がある使い方して申し訳ない。つまり正確にいうと俺は薬屋に「歴史を題材にした創作」を期待したら「なんちゃって中華風ファンタジー」だったってわけだ。史実かどうかなんて物差し最初から持ち合わしちゃいないよ。そんなこと細かく言い出したらキングダムなんてほとんど創作だしね。でも俺の理屈ではあれは歴史物といえる。そもそも王朝が変わるたびに歴史改竄されてきた古代中国史において史実なんてわかってないことのほうが多いんだし、それなのに、なぜ俺が史実厨みたいにブコメされてんのか意味不明だわ。スパイファミリーとか一言もいってないしw

あとブコメに指摘されてる西遊記って500年くらい前に成立した作品だよね。現代につくられた異世界無双物でもないしご都合主義的な内容でもない。あまつさえ主人公が実はイケメンだったという設定でもないと思うんだけどw どういう理屈で俺がそんな作品に対して同じ指摘をしなきゃいけないんだ? マジで意味不明なんだがそれなりに星が集まってるってことは、もしかして俺の知らない西遊記の話してる可能性ある!?

2024-09-21

anond:20240921122318

元の新聞記事に書いているけれど、

> 中国では土地ほとんどが国有地で、管理する地方政府不動産会社などに土地使用権を売ることで開発が進む。使用権の売却収入は、地方政府収入の約4割を占めてきた。だが不動産不況でそうした収入が大きく減り、公務員雇用賃金に影響が出ている。(遼寧省瓦房店=西山明宏)

革命政府がタダ同然で取り上げた土地を、地方政府が何千倍の値段で売却することで成り立ってきた。持続可能じゃない。

とうとう売り払えるものがなくなったら、革命でもう一度取り上げる事になるような。

中国史はループものゲームやね。。

2024-07-25

朗報黒人・弥助を神とした元ネタ論文が見つかる。

アサクリの弥助・黒人奴隷と、そこから派生したロックリー・岡美穂子両氏の言説の元ネタっぽいものを見つけたので要約しておく。

○著者:David Wright

題名:The Use of Race and Racial Perceptions among Asians and Blacks: The Case of the Japanese and African Ameridans

○出典:1998年一橋大学社会学ジャーナルhttps://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/8321/

概要(俺の読解なので是非原本にあたられたし)

16世紀半ばからポルトガル人奴隷等としてかなりの数の黒人日本を訪れていた。

日本人は彼らに好意的で、彼らは尊敬対象だった。特に弥助という者について、信長厚遇した。

ポルトガル人が頻繁に黒人奴隷を献上するので、日本人も彼らを見下すようになり、明治維新の頃にはその見方が定着していた。

・というか白人との接触から日本では白い肌が美しいと言われてたけどね。(その割にはお歯黒は何故?)

・一方で、肌の黒い聖人いたこから黒い肌に対する欧米のような差別感情は持ってなかった。オランダから入れ知恵されてたのに不思議だね。

(以下開国時の話が続く)

この、「日本人は彼らを尊敬していた」「肌の黒い聖者もいた」が、ロックリー・岡美穂子両氏による「弥助は神とされた」等に変換されていったのではないだろうか。

なお、知る限り弥助を神とした、または神に近かった、神のようだったなどとする史料発見されておらず、専門家によるものでは、ロックリー氏や岡美穂子氏が述べているものがすべてのようだ。

特に八幡神は南無八幡大菩薩那須与一)で有名な武士の神であり、これになぞらえるというのはとてつもない厚遇だし、文献にも残っていると思うのだが何を根拠にされたのだろうか。

(岡美穂子氏インタビュー記事より)

信長に関する史料では弥助のビジュアルイメージが「八幡神に近かった」と言われています。あるいは、中国史料ではアフリカ系の人を「黒鬼」と表記している。ですから実用的な屈強さを求めただけでなく、そういう人間自分の近くに置くことで「こんなに強いヤツを従えているんだ」という格付けに役立つと考えた、イメージ戦略の部分もあったと思います

https://www.cyzo.com/2021/02/post_268095_entry.html

(岡美穂子氏インタビュー記事より)

弥助もそもそもアフリカ大陸内の部族闘争で生け捕りにされ、外国人に売られたといわれます

(略)

中国では「黒鬼」と呼ばれていましたが、差別的な意味だけでなく強いものに対する憧れ、神格化も含まれているでしょう。

https://books.google.co.jp/books?id=ueI9EAAAQBAJ&pg=PA45&lpg=PA45&dq=%22%E7%A5%9E%E6%A0%BC%E5%8C%96%E3%82%82%E5%90%AB%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%22&source=bl&ots=VL8Mdfp5xc&sig=ACfU3U0mVfcGBaVjLwU6pkAfd6NYXORlew&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwj1_bTS7sOHAxWrb_UHHZRqGX8Q6AF6BAgcEAI#v=onepage&q=%22%E7%A5%9E%E6%A0%BC%E5%8C%96%E3%82%82%E5%90%AB%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%22&f=false

ロックリートーマス氏によると、当時の都だった京都住民と同様、信長は弥助の背丈や体格、肌の色に畏怖の念を抱いたという。

(略)

信長は弥助を「大黒天」ではないかと考えた。大黒天は豊穣(ほうじょう)の神で、寺院では通常、黒い像によって表現されている。信長は弥助の肌の色は墨によるものだろうと思い、こすり落とそうとした。本当に黒人だと納得すると、直ちに宴会を開いて敬意を表したという。

https://www.cnn.co.jp/world/35138192.html

追記

中国語の「黒鬼」に屈強なという意味はないのでは?

→通常の中国語ではその通りで、日本語に訳すと「黒い幽霊」といった意味合いになる。

あとは道教では鬼というのは死後の世界の人に該当するもので、鬼世界があって普通に鬼が暮らしていて鬼の役人がいたりもする。

いずれにしても中国語の「鬼」には日本のように「強い」「屈強な」という意味はない。(例えば「悪党中世)」・「悪源太(源義平)」・「悪太郎堀内恒夫)」という使い方はしない)。

なので、岡美穂子氏が「屈強な黒人」「神格化」という意味で取り上げたのは、解釈の誤りのように思う。御本人の説明を求めたいところだが。

ただ中国史については良く分からないので、昔はそういう使い方をしていたというのであれば補足よろしく

追記2

そもそも弥助ってアフリカであるとは限らないのでは?

→弥助はモザンビーク出身って記述があるんだけど、前半生は全くの不明で、岡美穂子氏が「部族闘争の結果生け捕りになった」とした根拠不明

当時のモザンビークってインド人大勢住み着いてるので、インド人とか混血の可能性は十分にある。

追記3

信長が弥助のことを大黒天(神)と思った

トップブコメにこうあったが、そんな証拠はどこにもない。

現時点ではロックリー氏と岡美穂子氏の頭の中だけに存在すると言って良い

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