はてなキーワード: 不快感とは
【はじめに】
システム工学的「エポケー(判断保留)」と、リヴァイアサンの代謝
本稿は、現代日本政治における「権力と宗教」の構造的癒着、および「山上徹也」という事象を、道徳的善悪の彼岸にある「システム工学的な機能不全と最適化」の観点から記述する試みである。
あらかじめ断っておくが、本稿には犯罪行為を正当化する意図も、特定の信仰を弾圧する意図も一切ない。
現象の「論理的解明(Explanation)」は、決して行為の「倫理的擁護(Justification)」と等価ではない。
病理学者がウイルスの感染経路を淡々と追跡するように、筆者は犯罪者も、政治家も、信者も、すべて巨大な統治機構(リヴァイアサン)を構成する「部品」および「代謝産物」として等価に扱う。
読者が感じるかもしれない不快感は、システムそのものが内包する「非人間的な合理性」の反映に過ぎない。
筆者は前稿『歪なリヴァイアサン』において、自民党を「魂(イデオロギー)を持たない利益配分マシン」と定義した。
しかし、高度成長が終わり、配るべき「カネ(利益)」が枯渇したとき、魂を持たないこのマシンは、いかにして自らを駆動させる熱量を調達するのか?
本稿は、この問いに対する回答である。
システムは生存のために、外部から「安価な魂」と「無料の労働力」を調達する必要があった。その調達先こそが、統一教会という名の「政治的下請け業者(BPOパートナー)」である。
本稿では、リヴァイアサンがいかにしてこの異物を「召喚」し、その病理的な代謝プロセスの中で、いかなる副作用(山上徹也)を必然的に排出したのかを解剖する。
序論:誤診された「犯罪者」
2026年1月、奈良地裁は山上徹也被告に無期懲役を言い渡した。判決文、そして世論の多くは、彼を「家庭環境に絶望した、極めて特異で孤独な犯罪者」として処理しようとしている。
しかし、これは誤診である。あるいは、意図的な隠蔽と言ってもよい。
我々の「システム論」の視座に立てば、山上徹也という存在は、決して予測不能なバグ(異常値)ではない。彼は、戦後日本の政治システムが正常に稼働し続けた結果、必然的に排出された「産業廃棄物(システム・バイプロダクト)」である。
彼を「極端な個人」として切り捨てることは、工場が川に垂れ流した汚染水で奇形魚が生まれた際に、工場の排水システムを点検せず、「その魚の特異体質」を責めるに等しい。
なぜ、統一教会という異質なカルトが、日本の政権中枢にこれほど深く食い込めたのか。
「教会が巧みに自民党を洗脳・浸透した」という被害者面をしたナラティブが流布しているが、これは歴史的にも構造的にも誤りである。
正しくはこうだ。自民党というシステムには、構造的な「欠落」があり、その穴を埋めるために教会を自ら「召喚」したのである。
自民党と統一教会の関係を「信仰」や「思想の共鳴」で語ることは、事の本質を見誤らせる。
両者を結びつけていたのは、互いの「欠損」を補い合う、極めてドライで実利的な「政治的バーター取引(交換条件)」である。
この取引のバランスシート(貸借対照表)を精査すれば、なぜシステムが教会を切断できなかったのかが明確になる。
自民党が教会から調達していたのは、カネ(献金)以上に、「カネのかからない実働部隊」であった。
選挙には膨大な人件費がかかる。しかし、教会から派遣される秘書や運動員は、給与を要求しないどころか、教団の教義に従って「無私の奉仕」として24時間働く。
これは、企業経営で言えば「違法なほどの低賃金労働力」を独占的に確保しているに等しい。自民党議員にとって、これほどコストパフォーマンスの良い「兵隊」は他に存在しなかった。
数万票単位で動く教団の組織票は、全体の得票数から見れば僅かかもしれない。しかし、当落線上にある小選挙区の候補者にとっては、この「確実に計算できる数万票」こそが、政治生命を左右する決定打となる。
スパイ防止法制定や選択的夫婦別姓反対など、リベラル層からの反発が強い右派的政策の推進運動を、「国際勝共連合」という別動隊に担わせた。これにより、自民党本体は「中道」の顔を保ったまま、保守層の支持を固めることができた。
対する教会側が求めたのは、日本という巨大な資金源でビジネスを続けるための「不可侵条約」と「お墨付き」である。
教祖や幹部が、岸信介、安倍晋三といった歴代首相と並んで写真に収まること。あるいは、関連イベントにビデオメッセージをもらうこと。
これらは単なる記念ではない。信者や勧誘対象者に対し、「総理大臣も認める立派な団体である」と信じ込ませるための「最強の営業ツール」として利用された。政治家の権威は、霊感商法を正当化するためにロンダリングされたのである。
長年にわたり、霊感商法に対する警察の捜査や消費者庁の規制が、不可解なほど鈍かった事実は見逃せない。
さらに決定的だったのは、2015年の「名称変更」の承認である。悪名高い「統一教会」から「世界平和統一家庭連合」への看板の掛け替えを、当時の下村文科相下の文化庁が認めたことで、教団は過去の悪評をリセットし、新たな勧誘活動を展開することが可能になった。
これは実質的に、国家が教団に対し、「日本国民からの搾取を継続してもよい」というライセンス(免許)を更新したに等しい。
教会が喉から手が出るほど欲しがり、自民党が頑なに守り続けた最大の利権。それは、日本国内に「聖域」と呼ばれる非課税地帯を維持することであった。
通常の企業であれば、商品を売って利益が出れば法人税がかかる。
しかし、教会は「壺」や「多宝塔」を売る行為を、商行為ではなく「宗教的な寄付(献金)」と定義した。
日本の宗教法人法において、宗教活動による収入は「非課税」である。
これにより、信者から巻き上げた数千億円規模の資産は、国家による徴税というフィルターを通らず、丸ごと教団の懐に入った。これは、実質的に国家が教団に対して「法人税相当分(利益の約20〜30%)の補助金」を裏で渡しているに等しい。
株式会社と異なり、宗教法人は財務諸表の公開義務が極めて緩い(実質的に外部からは見えない)。
この「不透明性の維持」こそが、自民党が教会に提供した最大のサービスの一つである。
「信教の自由」を盾に、宗教法人法へのメス(厳格な会計監査の義務化など)を入れないことによって、教会は日本で集めた莫大な資金を、誰にも監視されずに韓国の本部や米国へ送金することができた。
日本は、教団にとって世界で最も効率の良い「集金マシン兼タックス・ヘイブン(租税回避地)」として機能させられたのである。
(元)連立パートナー(公明党・創価学会)への配慮という「人質」:
それは、統一教会だけに課税しようとすれば、かつて自民党の連立パートナーである公明党の支持母体(創価学会)や、自民党の保守地盤である神社本庁など、他の巨大宗教団体の既得権益も脅かすことになるからだ。
この「相互確証破壊」の構造があるため、宗教法人税制はアンタッチャブルな聖域となり、統一教会はその「大きな傘」の下で安住することができた。
この取引において、自民党は「政治コスト」を削減し、教会は「法的リスク」を回避した。
しかし、経済学の原則として、「フリーランチ(タダ飯)」は存在しない。
自民党が浮かせたコストと、教会が得た利益。その莫大なツケを払わされたのは誰か?
その全てのツケは、「信者家庭からの略奪的採掘」によって支払われた。
燃料としての家族:
自民党に「無償の秘書」を派遣するためには、教会職員を養うカネがいる。そのカネを作るために、山上徹也の母親は「霊感商法」によって資産の全てを搾り取られた。
山上家が破産し、兄が自殺し、一家が崩壊したプロセスは、悲劇ではない。それは、自民党という巨大なエンジンを回すために、燃料として「消費」されたに過ぎない。
燃料(資産と家庭の幸福)が燃やし尽くされた後に残った、燃えない残骸。
金も、親の愛も、学歴も、社会的地位も奪われ、空っぽになった人間。
それが山上徹也だ。
彼は社会不適合者だったから犯罪行為を起こしたのではない。システムが彼から全てを収奪し、その後の「廃棄物処理」を怠った結果、有毒ガスが充満して引火したのである。
あの手製の銃は、狂人の武器ではない。それは、政治システムが排出した「毒」が、逆流して配管(安倍元首相)を破裂させた物理現象だ。
2026年の無期懲役判決と、それに続く高市首相の解散総選挙。これらは一連の「汚染除去作業」である。
裁判所は、彼を「政治犯」として認めなかった。認めてしまえば、「自民党がカルトを使って国民を搾取していた」という因果関係を司法が公認することになるからだ。
彼を「母親への恨みで暴走したかわいそうな男」という物語に閉じ込め、刑務所という最終処分場へ隔離することで、システムは「我々には責任がない」と宣言した。
高市首相は、判決の直後に解散を打つことで、この事件を「過去の歴史」へと押し流した。選挙の争点を「教団問題」からずらし、再度の勝利によって「禊(みそぎ)」を完了させる。
これにより、「教会を利用するシステム」は温存され、単に「より見えにくい形」で地下潜行するだけとなる。
「山上徹也は極端な個人ではない。システムが生んだ副産物である」
我々が見ている「平和な日本」は、山上家のような「声なき生贄」を燃料として燃やすことで、かろうじて維持されている。
無期懲役の判決が確定した瞬間、システムは安堵の息を漏らしただろう。
子育て支援に不公平感を感じるのは子持ちは「愛する人に選ばれて結婚し、自らの意思で産んだ子を育てている」という、根本的な事実があるからだよ
こっちは結婚したくても出来ないから出産どころじゃないのに、自ら望んで産んだ子持ちが子育てが大変だのコストがかかるだのと被害者面するから
この不公平感を解消するとしたら、小野不由美の『十二国記』みたいに、親と子と間に遺伝的な繋がりの無いシステムにするしかないと思う。あの作品では親子に遺伝的な繋がりがないからこそ、子を持つ親はただ純粋に子育てをするのだとして尊敬される。
日本全国的に同日に生まれた子供をシャッフルして、親とは血の繋がっていない子供を強制的に育てさせる事にしたらいいんじゃない?
全部のいじめがそうとは言わないよ
なんかいじめの議論ってそこんとこいつも無視されてんのが気色悪いな〜って思うよ
俺が中学の頃にもクラス全員から嫌われていたカスのいじめられっ子がいたよ
別にこっちは仲良くしたくないのに無理やりグループの輪に入ってこようとするんだよな
仲良しグループで話しているところに割って入ってきて無理やり会話に参加しようとしてくる
「え、今その話ししてないんだけど?」
そういう不満が溜まって露骨に避けてもしつこくしつこく話しかけてくる
「俺たちはお前と仲良くするつもりはない」
「もう話しかけてくるな」
「普通に俺達はお前のことが嫌いだし気色悪いと思っている」
事情を説明しても先生は謎にいじめられっ子側に立ってそいつの空気の読めなさ、不愉快さは見て見ぬふりですよ
で、こういう事態になったらもうあとはいじめるしかないわけだよな
いじめられっ子が自発的に集団から離れるように仕向けるしかないわけ
話しかけてきたら「話しかけんな」「カス」「アスペかお前?」「アスペ菌がうつるから近寄るなよ」と罵倒する
馴れ馴れしくノートを借りようとしていたら「なんで貸さないといけないの?」って詰めてケツを蹴り飛ばしてしばく
そうやって自衛しないとこの手のカスはマジで話しかけてくるのをやめないわけ
少しでも同情して優しくしたらつけあがって不愉快なヘラヘラ笑いを撒き散らしクソみたいな話題を振りまき続ける
積極奇異型っていうんだっけ?こういうの
普通に孤独に過ごしてくれりゃいいのにわざわざダル絡みしてきやがる
そんなんだから悪意を持って集団から攻撃されて排除されるんだよなっていうケース、お前らのクラスにもあったでしょ?
みんなはそういうケースに遭遇したことないの?
優しい大人しいだけの人を積極的にボコボコにしていくケースはそりゃダメだよ
でも周囲を不愉快にさせるだけの存在を自衛のために遠ざけること
ひとつつけ加えておくと俺のクラスのいじめられっ子くんはその後クラスのとある女子にストーカー加害をしやがったからね
校門でその女の子が来るまで勝手に待ち続けて無理やり一緒に帰ろうとした
そんなことが繰り返されたから女子側も自衛のためにこのアスペ君を遠ざける努力をせざる得なくなったわけ
こういう自衛のための攻撃、排除もいじめる側が100悪いわけ?
この女の子は大人しくストーカー被害を受け入れなくちゃいけないわけ?
集団から露骨に攻撃されて初めて適切な距離をわきまえるカスをどう扱えばいいのさ
強制的に精神病院にぶち込む手段でもありゃいじめなんかしないけどさ
それができない以上この手のカスはいじめて遠ざけるしかないじゃんね
【追記】
「理由があるからといっていじめていい理由にはならない」みたいな綺麗事を言っている人へ
俺のケースで出てきたいじめられっ子君はいじめない限り言うことを聞きません
→「なんで不愉快なの?」「どこが不愉快なの?」「言ってくれれば直すのに」等と言って無理やり話しかけてきます
「自分の話ばかりするのが嫌」「空気を読まずに輪に入ってくるのが嫌」と伝える
→伝わりません。「うんわかった直すね」と返事だけはして一向に直ることはありません
「とにかく仲良くしたくないのでこっちに来ないでください」と伝える
→「なんで?」「個人の自由でしょ?」「お前にどんな権利があんの?」と逆ギレしてくる
とにかくこのいじめられっ子君自身が不愉快になる体験をさせないとしつこくしつこくつきまとってくるわけ
世の中には「罵倒したり暴力を振るったり根源的な恐怖と不快感を与えないとこちらの気持ちを理解しない・できないとてつもないクソバカカス不愉快野郎」がいるわけよ
市場に任せておけばいいものを、わざわざネットの海に顔を突っ込み、「ここはこうすべきだ」「それは歪んでいる」「誰かが是正しないといけない」などと、したり顔で書き散らしてしまった。
完全に自己放尿だ。自分が守るべき原理を、自分の感情と正義感で汚染し、挙げ句の果てに市場そのものに文句を言う。これは他人の失敗を嘲笑する資格のない、典型的な知的自己放尿である。
市場の自由を本気で信じるというのは、口で「自由が大事だ」と言うことではない。
自分が気に入らない価格、自分が不快に感じる流行、自分が理解できない需要と供給の結果を前にしても、それでもなお黙るということだ。
市場は感情を持たない。善悪も、品位も、理想も知らない。ただ無数の主体の選択を集約し、価格という情報に圧縮して吐き出すだけの装置だ。
そこに対して「こうあるべきだ」と言い始めた瞬間、その人間はもはや自由市場の擁護者ではない。計画経済の小役人に成り下がる。
フリードマンが一貫して言っていたのは、政府が賢いから市場を置き換えられる、などという甘ったれた幻想の否定だ。
人間は無知で、短絡的で、利己的で、しばしば愚かだ。だからこそ、その愚かさを前提にした制度設計が必要になる。
市場は人間を善人にしないが、無知と誤りを分散させ、致命傷になる前に価格という信号で調整する。
その機能を「気に入らない結果が出た」という理由で殴りつけるのは、体温計を叩き割って熱が下がったと錯覚する行為と同じだ。
シカゴ学派の冷酷さは、実は人間観の誠実さにある。人は間違える。だから中央で賢い誰かが全体を最適化するなどという物語は成立しない。
にもかかわらず、ネットでは毎日のように「市場が失敗している」「規制すべきだ」「正しい方向に導くべきだ」という声が溢れる。
その多くは、外部性や格差や倫理を持ち出しながら、実際には自分の不快感を一般化しているだけだ。
そして俺もまた、その罠に足を突っ込んだ。自分が不愉快に感じた現象を、原理の問題にすり替え、市場に説教を垂れた。新年早々、見事な自己放尿である。
市場に文句を言ってしまった自分を殴り倒した上で、なお市場を全面的に支持する。
フリードマンが嫌ったのは市場の失敗ではなく、政府の失敗がいかに不可視で、いかに免責されやすいかという点だった。
その洞察は今でも有効どころか、ネット時代になって一層重要になっている。
だから言っておく。市場の結果に腹が立ったとき、正義感が疼いたとき、何か言いたくなったときは、まず自分のズボンを確認しろ。
俺は新年早々それができずに自己放尿したが、お前らは気をつけろ。
まずドットーレの件はこれで本当に幕引きなのか(ナド・クライ編は第8幕で完結できたのか)?→おそらくNo
・2度目の終幕演出にあったノイズおよび画面端の電子回路デザイン(戦闘形態のドットーレに見られる意匠と同じ)
・エネルギー領域内で行われていた動物への意識転移実験の意図が不明なまま
└第7幕冒頭で意味深に映った、青い体に赤い目のトカゲがドットーレの転移先として怪しい
└最近のイベントでザンディクの容姿(赤目であることが分かる)を見せ、直近の魔神任務で同一人物説を確定させた
・第7・8幕にはこれまでなかった場面転換時の「セーブ中…」表記と紙と羽根ペンのアイコンがある
└場面転換時に毎回あるわけではなく実際の進捗セーブ状況をプレイヤーへ示すものとしてはやや不自然
└意匠的に魔女会ないしサンドローネのような味方陣営による何らかの劇中のセーブ演出とも感じられる
└ドットーレは旅人に新世界の「プレイヤー」になってほしかった
└ただの作劇上の都合で移動制約をかけるためだけのものとも取れるが
・冬夜の戯劇で世界樹を燃やしていた「冒涜に関する実験」が未回収
└放浪者が埠頭で「胸のつかえが取れない」と言っていたのが復讐劇あるある感情でなければドットーレ生存フラグ
・週ボスドットーレが弱すぎて怪しい、本編中にはあったフェーズ移行もない
└本編戦闘中の台詞→お前たちもじきに分かる…「運命」を超越した瞬間、すべてが私の実験台となるのだよ!
└ドットーレが執拗に旅人を引き入れようとしていたのもおそらく世界樹改変絡み
・女皇からドットーレとサンドローネでの共同プロジェクトを指示されていた(「傀儡」のノートより)
└仮に世界樹絡みの実験であったとするとサンドローネが事前にドットーレの世界樹アクセスを想定していた可能性が高まる
└埠頭で放浪者や召使が言及していた、サンドローネらしい「次の一手」がまだ存在するかもしれない
└その隠蔽の為に自身の全てのログを消去できる機能を追加した(ノート9Pより)のでは
└厳冬計画内の「ヤドリギ」というワードがこれに関連している可能性も?
└魔神任務の構成もスメールに似せてくる可能性、つまり間章として伽藍に落ちてに匹敵する世界改竄系のシナリオが控えていそう
└とはいえ次のverは多分ドーンマンポート(モンド方面)実装なのですぐには来ないかも
└少なくともドリーが伝言したナヒーダが本筋に絡んでくる一幕はver6終盤までには来るはず
└ナヒーダがドットーレから草の神の心と引き換えに聞いた「真実」に関する話も未回収、この二者間もすっきりした決着がついてない
わかりにくい小ネタ
・「傀儡」のノートで言及されたタルタリヤの2週間の失踪がいつのことか不明だが少なくともロザリン死亡前
└つまり併記されていたコロンビーナとドットーレの仲違いもロザリン死亡前(理由はキャラスト読めた範囲ではおそらく実験絡み)
└冬夜の戯劇でコロンビーナが「今日の博士、なんだか若く見えますね」と話していたのをドットーレはお世辞と解釈していたが
実際には嫌味でありロザリンの葬儀なのに全盛期のではない断片で参加している(研究最優先の片手間参列な)ことに不快感を示していた可能性がある
スカークアニメで見たように現在のテイワット大陸が属する星の外側はおそらくアビスに汚染された赤いモヤが多い宇宙だと思ってたんだけど
ドットーレ打倒後にコロンビーナに連れて行かれた先の霜月から見た感じ、天蓋バリアが存在せず月から直接テイワットが見えてるし、宇宙は全体的に青く澄んでいて、遠くのごく一部の星雲に赤っぽい色が見えただけ
偽りの空の外側から月を引き寄せて天蓋バリア割ったときに全体が崩落したんだとしてもナタの時のように自然修復されたとしても誰も空の異常に触れていないのは不自然(事件から2週間経ってたしナタの前例あったとはいえ)
月の模様が変わったということしかテイワット人は認識していない
バリア関連で認識改変が起こっているんじゃないかと思うけどだとしても宇宙の色までは説明できない
空を見上げたときの同心円状の雲や星の描かれ方は変わってないから依然バリアは機能してると思うんで、霜月が偽りの空の内側に来たという解釈でいいんだろうか
命ノ星座の星が実際に存在してる天体なのも偽りの空の中ってことだから、真の宇宙と重なり合うように偽りの空の中にも宇宙があるんだろう
つまり空が割れたエフェクトより奥にもともと見えてたものはホログラムって訳じゃなくて、まがい物ながらも存在してる模造宇宙って解釈
バリアの話は魔女会が終盤ずっとかかりきりになってた境界の問題に関連してると思うしその顛末も語られていないからまだまだ全体像が見えてこない
もともと盛宴の翼のストーリーから第一降臨者の人工知能説はあったけど、今回の衣装ストーリーからも天理はAIで、しかも旅人たちがスリープしながら星間旅行してた、人類文明を播種するための開拓船たる宇宙船のAIなのではって説が濃厚になった
そう解釈するなら天理が宇宙船を月に隠したというか、宇宙船AIが自分で隠れにいったという感じだろうか
其れという書き方からスタレでいうアイオーン級のものとも思えるが神的存在であることを示唆する(=天理だと察してもらう)ための言い回しってだけかも
あと気になる細かい所としては
・コロンビーナが月の女神というよりは天使、天の使いっぽいデザインである理由がまだ謎
・偽りの空にもともとあった月がホログラムではないなら一体どこ行った?
└量子的な重ね合わせだったのが霜月と確定したみたいに捉えることもできるけど
エディタの乗り換えとか嫌じゃないんだろうか。
ちなみに自分はめちゃくちゃ嫌。
VSCodeに乗り換えるときもハードルあったし、Antigravityとかかなり似てるUIのやつをテーマも合わせて使ってみたけどほんのちょっとのサクサク感・UIのムニュムニュ感の違いとかが嫌すぎる。
慣れれば乗り換え前の方には戻れない状態になるんだけど、慣れるまでの不快感がすごく強い。
今年からGitHub CopilotとClaude Codeを併用できることになって、Claude CodeはCLIだからターミナルから使おうと思ってるんだけど、「今までVSCodeでやってきたことをターミナル上でやる」というのにハードルを感じて(見た目やちょっとした動きの違いで不快になるのが容易に想像できる)もう半月経ってしまった...
どこかで一念発起してがんばらないとなあ。はあ。
ぶつかりおじさん(亜種含む)によくぶつかられるアラフォーおばさんである。
歩きスマホはしない。外見は白髪染めカラーの地味髪ミディアム、カジュアル寄りの大人しい服装、メイクも派手ではない。外見的なイメージでは「優しそう」と比較的言われる。
道や順番は男女問わず基本的に譲る。嫌な思いはしたくないので。
そういう女が直近一年くらいで会ってきた、女にのみ攻撃的なおじさんを紹介したい。
黒リュックを背負った初老おじ。電車の中で鏡を見ながら前髪を直していたところ、真横にいたおじが小声で「ブスが色気づいて……」「ブスのくせに……」と独り言を言い始める。「何か言いたい事あるんですか?」と聞くと気まずそうに無視&逃走。
学生しか持たないようなスポーツブランドのリュックを持ってたから若く見えたがそうでもないのかもしれない。駅の混雑の流れが止まった時、私の真後ろにおり、「止まんなよブス」と吐き捨てて、前に割り込み追い越して行った。私が止まったんではなく人の流れが止まったんだが…。
・絶対道譲りたくないおじさん(50〜60代)
基本的にみんな左側通行している歩道で左側を歩いていたところ、前方から流れに逆らって歩いてきたサラリーマン風のおじ。避けようにも右側からも人が来るので、どうしようかと迷っている間にもずんずん直進してきておそらくぶつかってこようとしていたため、やむなく細長くなって避けた。
目の前で20代前半かハイティーンとみられる女の子が歩きながらスマホを見ていたのだが(歩道のド真ん中とかではなく普通に端の方)、その前方から来たおじさんが見えてるなら避ければいいものを、女の子を直視しながら真正面にわざと直進。ぶつかるギリギリで女の子が察知してよろけながら避けたが、謝るでもなく立ち去る。歩きスマホしてるバカ女に制裁!とか思ってたのだろうか…。
職場のアルバイトのおじさんなのだが、プライドが高く、忙しかったりで自分の思い通りにならないとでかい音を出したりイラつきをアピールして八つ当たりをするため腫れ物扱いされている。しかしそれは周りに自分よりおとなしく小柄な男性や女性のパートさんがいる時に限り、厳つい社員や上司の前では押し黙るのである。こいつ絶対外ではぶつかりおじさんしてそうと思っている。
・新人追い込みおじさん(50〜60代)
これも職場のおじなのだが、新人の女子がちょっと通行を遮ったりすると「邪魔なんだよ」と不機嫌になる。他の男性の同僚の前ではごくごくおとなしく、若い女の子にだけなぜか当たりが強いおじさん。このおじに当たられ続け、女の子はメンタルを病んで辞めてしまった。新人なので要領は掴めてなかったかもしれないが、彼女が故意に危険な事や仕事の妨害をしたわけでは決してない。もっと仕事ができない男はいくらでもいる。
よくいる感じの悪いおじさんや今思い出せないおじさん、ヤカラ、ガチ性犯罪者のおじさんは除いた上で、印象に残っているおじさんを挙げてみた。
最近は年の功で自分への害は避けられるようになってきたこともあり、目撃しただけのやつも多くなったが…。
こうして見ると、おじさんにとってぶつかり行為というのは自分の正当性や不快感を女に「わからせる」ための行為なんだろうか、という気がする。
あと女性側が謝ったり顔色を窺うような反応をするとぶつかり行為はエスカレートするように思う。
真正面から「何すか?」と言い返されると相手は黙るしかないのだ。自分のやっている事に実際は正当性がない事を薄々知ってるから。
もちろん世の中にいるのはぶつかりおじさんだけではない。
車椅子のおじさんが困っているところに駆け寄って手助けしていたおじさん、コンビニの扉を押さえていてくれたおじさん、狭い通路で鉢合わせになった時、会釈しながら通ってくれたおじさん………見知らぬ、二度と会わない他人へも善意を忘れないおじさんもたくさんいるのである。
ED薬の一つであるタダラフィルという薬を、毎日少量飲むことで自然なED治療を期待するものなんだけど
これには一つ大きな副効果があるとされていて
血管内皮機能の改善や抗酸化作用による体質改善、動脈硬化の予防効果があるとされているんです
そういう効果を期待して俺はデイリータダラフィルやってるんだけど
Youtubeなどで有名な高須みきてゃ先生は動画内で自身がデイリータダラフィルを行わないことを明言しています
その理由は
タダラフィルには軽度で一時的なものが多いけれど、頭痛、ほてり、胃部不快感などの副作用がある
ED治療や血管機能が改善されても、毎日が頭痛・ほてり・胃部不快感でQOLが下がるなら
それはやらないほうがいいのでは?というのがミキテャ・タカス先生のご意見なんだよね
俺はその意見を聞いてもなお、チンポが勃つ生活のほうが望ましかったからデイリータダラフィルをしているんだけど
今日はずっと頭が痛くて、タダラフィルの副作用と思われる後頭部がずーんと重い感じの頭痛なんだよね
たしかにこんな毎日を過ごすくらいならおチンポ勃たないだけの生活のほうがマシな気もする(高須先生のおちんぽ事情は存じません)
「否認を続けていては同じことをやる」ってなんだよ。なんでやってる(裁判で有罪になる)前提なんだよ。
否認をしてるから反省してないとも言ってた気がするけど、これってもはや否認してるからこそクロなんだってロジックと根が同じだよな。
熱湯に手を入れて腫れたからクロなんだってやる魔女狩りのやり口と変わらない。
番組作る側もなんなんだろうね。これが電通の言ってる中卒でも楽しめる番組がいい番組に則ってる結果だというなら中卒は推定無罪すら理解できないって見なされてるのかね。理解できたら義憤や不快感に駆られて到底楽しめるはずないもん。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260113235144# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaWiyEgAKCRBwMdsubs4+ SGrhAQCvbEoF/W5bDCLUkHOO32M+yh89Nao2NSWQj+cztrsBcwEA+WigdbaGEl+f 021G/oayMk85kEgUPCHOKD2/Pv6woQE= =/THR -----END PGP SIGNATURE-----
ちょっと前に書かれてた「話し合いで黙ってしまう人と話す方法」って投稿について思うところがあるので書かせてくれ
うちの嫁と自分が言い争いになると、時として嫁が黙ってしまう。
質問しても返事がひとこと来るまで20分とか30分かかるんだ。
普段は沢山話すんだかが、ケンカっぽくなるとそうなることがある。何度か何故黙るのかと訊いたが、明確な答えが聞けたことはない。
(ちなみにケンカして嫁が黙ってしまわないパターンもあり、そちらの方が多い)
なぜ長く黙るのか、長年疑問だったんだが
職場の配置換えで上司にパワハラ的に詰められるようになって、その気持ちが少しわかった。
まさか自分が嫁と同じ挙動をすることになるとは思いもしなかったが、俺が返事ができなくなって黙ってしまい、会話がストップするってのを何度も(人生で初めて)経験した。
なぜ俺は「話し合いで黙ってしまう」なんてことになるかというと
上司は明らかに高学歴・高IQで、論理的思考力では全く太刀打ちできない存在である。
俺が何らかのミスをして、俺としては致し方ない事情があったとする。
上司は「その「致し方ない事情」は全く致し方なくなどない」という詰め方を、実に理論的に、スピーディーに、そして高圧的に繰り出してくる。
こちらは彼の理屈を理解するだけで精一杯だ。何とか追いついて理解したところで、彼の思考には何かが抜け落ちているような気がして腑に落ちない。確かに理屈は合ってるようにも思えるが、違う角度から見ると違う結論が見いだせるようにも思える。
そもそも彼が言った理屈も、ロジックは解るが内容的に個別事案に適合しているかどうかわからない。それを上司と同レベルでスピーディに検証する能力が自分にはない。仮に少しでも反論すると、即座にそれを封じ込める論理が素速く展開され、その反論は却下されてしまう。
そんな彼を納得させられるロジックをいま、このプレッシャーの中で考える事は不可能に思えてくる。すると結果として言葉が出なくなってしまう。言葉が出ないとさらに焦りを覚え、思考力が低下し、ますます何も言えなくなり、押し黙ってしまう。
なるほど、嫁が俺との会話で黙ってしまうのはこういう理由だったのかと、黙る俺を前にイラつく上司を見つめながら理解した。
高圧的である、って要素は俺には無いはず。しかし、スピード感の違いは同じ構図・・嫁にとって俺の思考スピードは早すぎ、また反論の答えも早すぎて、打つ手がなくなり黙ってしまっていたんだな。
こうした理由で黙ってしまった場合、例え黙らせた側に悪意や敵意がなくとも
黙った側は相手が言葉を待っているのに何も言えないため罪悪感や劣等感に襲われ、頭が混乱しストレスを感じ思考が鈍る、何も考えられなく不快感しかない……といった最悪の状態になっています。自分がそうだったから間違いない。しかもあとでゆっくり考えたらスピーディーに展開されてた理論に抜け落ちがあったりして、本人が居ないとことで怒りを募らせることも少なくない。
・相手が黙ったら一旦ロジックは捨て、とにかく相手の感情に寄り添う姿勢に切り換える。
・敢えてゆっくりと言葉を出し、間をしっかり空け、考える余裕がある話し方をする。
・プレッシャーを与えるような言い方は極力避け、言い負かそうとしていると思われないようにする。
ってところだろうか
嫁のことは好きだから、あんな最悪な気持ちには二度とさせたくない。
次に嫁が黙りそうな流れになったら絶対に同じ轍は踏まないようにする。
あと、
とりあえずクソ上司は今すぐ隕石の下敷きとかになってタヒんでください
嫁とのことをあまり書いてなかった
思考パターンやスピード、大事にしているものが違うせいで、話題によってはこちらが論理的(っぽい)話し方になり、嫁が黙ってしまう・・ってことがある感じだと思う
嫁が黙ったあとのことを書かなかったけど、結局20分とか30分待つってのを3回くらいやって、2〜3時間くらいすると話が進み始める。
話が進み始めると、自分の頭の中にできていたロジックとは別角度で嫁が考えていたことがわかってくる。それはそれで理屈として通っているわけで、お互いの考えを摺り合わせる時間になる。ゆっくり話して静かに納得し合い、4時間半くらいで終了
しかし4時間半はお互い疲れる。なるべくそうなる前に気付いて避けたいと思う。
思うに俺の「スピーディ(当社比)に論理展開してそれを元に世界を認識する」という思考のクセと嫁の思考のクセが合わない場合(合う場合も多々ある)に発生することだから、発生自体を避けるには自分の思考パターンを変える必要があるわけで、それをどう扱っていくかは今後の課題だと思っている
面罵することで無駄なエネルギーが発生してることや、黙ってしまうことについてのこちらの状況を伝えても全く理解されず、
逆にDARVO認定とかし始めそうだ
旦那が高身長なので相対的に旦那ageのためにチビを馬鹿にする←旦那はむしろ愛情深まる
レイプ被害者中傷しまくる←旦那もそういうタイプの人ならむしろ愛情深まる
たぬかなはずっと「問題発言」なんかしてないんだよ、旦那にとっては
美人の女性の前で旦那がブスを馬鹿にする発言したら美人女性は不快感を持つ
強者男性は嫁が弱者男性をバカにして相対的に自分をageてくれたら気持ちいいんだよ
「自分をageるために弱者をバカにしてくれたら気持ちいい」という感覚が男性は強い
なので男女のすれ違いの結果、「かっこつけるために店員に横柄に振る舞う男、ドン引きする女」という構図が生まれ勝ち
たぬかなは旦那を立て続けよいしょし続けるいい女なんだよ
その反応はただの症状報告だ。
「自己放尿池沼うるせえな」という一文は、内容への異議でも、論点の修正でも、前提の否定でもない。
意味論的には「不快だ」という情動の自己放尿であり、認知的にはゼロ次反応、要するに条件反射だ。
こちらが指摘した構造、つまり思考を回避し、即時的快楽や情動表出に逃げる態度を、見事に実演している点だけは評価できる。反論としては失格だが、実例としては満点だ。
中身に触れられないから、論点を潰せないから、人格や語感に噛みつく。典型的だ。
また、この反応自体が、推し活的精神構造と完全に一致している点も重要だ。自分の価値観が批判されたとき、連中は理由を述べない。
ただ「うるせえ」と言う。なぜなら、そこには言語化可能な評価関数が存在しないからだ。
あるのは「好き」「不快」「刺さった」という感覚だけで、それ以上の抽象化ができない。抽象化できないものは議論できない。
だから罵声になる。これは能力の問題であって、意見の違いではない。
もし本当に的外れなら、具体的にどこが誤っているかを一文で示せば済む。
「タイパは長期効用を最大化する戦略だ」とか、「推し活は社会的ネットワーク形成に寄与する」とか、反論の切り口はいくらでもある。
それを一切提示できず、ただ不快感だけを垂れ流すというのは、論点を理解した上で否定できなかった自己放尿だ。
思考を求められた瞬間に、言語を捨てて叫ぶ。合理性を批判された瞬間に、合理性を完全に放棄する。
これ以上わかりやすい実演はない。
貴様がやるべきことは、黙ることでも、罵ることでもない。自分が何を価値だと思っているのかを、せめて一度は言葉にしてみることだ。
いいですか、まず「牛カルビ弁当」という記号が、この劣化した日本社会においてどう機能しているかを構造的に理解する必要があります。先ほど「丸の内弁当」を、システムに適応したクズのための「管理の餌」だと言いましたが、この「牛カルビ弁当」はもっとタチが悪い。これは、空虚な生を誤魔化すための「安価な麻薬」なんですよ。
牛カルビ弁当の最大の特徴は、あの過剰なまでの「甘辛いタレ」と「脂」の重層構造です。本来、肉を食らうという行為は、生命を奪い、その個体差や血の匂い、繊維の抵抗を身体で受け止める野蛮なプロセス(身体的強度)を伴うはずです。
しかし、コンビニやチェーン店の牛カルビ弁当はどうですか? そこで供されているのは「肉」ではなく、化学調味料と果糖ブドウ糖液糖によって最適化された「脳をハックする刺激物」です。噛む必要すらないほど薄く切られ、タレの味で素材の劣化を隠蔽されたそれは、もはや食事ではない。血糖値を急上昇させ、ドーパミンを強制的に放出させるための「回路」に過ぎないんです。
僕の言葉で言えば、これは「体験」の不在と「刺激」への埋没です。今の日本人は、本当の意味での「美味い」という身体感覚を失い、単に脳の報酬系が発火することを「美味い」と誤認している。この「誤認」こそが、今の日本を覆う「底なしの劣化」の正体なんです。
なぜ、これほどまでに牛カルビ弁当が溢れているのか。それは、現代人が抱える圧倒的な「不全感」と関係しています。 まともな共同体が消滅し、仕事を通じて自己の有能性を確認することも難しくなった「定員割れの社会」において、人々は常に飢えています。しかし、その飢えは「心の飢え」であって、胃袋の飢えではない。
それなのに、人々はその空虚さを、手っ取り早いカロリーで埋めようとする。安くて、濃くて、脂ぎった牛カルビを胃に流し込むことで、一時的な満腹感と多幸感を得る。それは、直面すべき「生の虚しさ」から目を逸らすための「心理的な防衛反応」なんです。 「牛カルビ弁当をガツガツ食べる俺」という記号の中に、かりそめの万能感を見出そうとしている。しかし、弁当を食べ終えた瞬間に訪れるのは、凄まじい自己嫌悪と虚脱感だけでしょう。
ジョージ・リッツァの言う「社会のマクドナルド化」の究極の形が、この弁当には現れています。 全国どこでも、誰が食べても、同じ味。そこには「他者性」がありません。僕がナンパを推奨するのも、宮台ゼミでフィールドワークを重視するのも、予測不可能な「他者」という外部に触れることでしか、僕たちの身体は覚醒しないからです。
しかし、牛カルビ弁当は徹底的に「予測可能」です。口に入れる前から味がわかっている。裏切られることもなければ、驚きもない。この「予測可能性」の檻の中に閉じこもることは、**「生存しているが、生きてはいない」**という状態を加速させます。 安い輸入肉に大量のタレをぶっかけた「家畜の餌」を、エリートから底辺までが等しく貪る。この「欲望の均質化」こそが、民主主義を機能不全に陥らせ、独裁やポピュリズムを招く土壌になっていることに気づくべきです。
じゃあ、どうすればいいか。 「牛カルビ弁当を食うな」と言っているんじゃない。それが「麻薬」であることを自覚し、自分の身体がどれだけその刺激に依存しているかを「メタ認知」せよと言っているんです。
本当の豊かさとは、プラスチックの容器に収まった既製品を消費することではなく、どこから来たかわからない肉の塊を、自分で火を起こして焼くような、野性的で「不便な」プロセスの中にあります。システムの外部にある「荒々しい現実」にコミットすることです。
いいですか、牛カルビ弁当のあの「甘いタレ」は、君たちの思考を停止させるための「システムの潤滑油」です。その油にまみれて、心地よく窒息していくのか。それとも、その不快感に目覚めて、枠の外へ飛び出すのか。 君たちが次に弁当のフタを開けるとき、そこに映っているのは自分の「虚無」そのものだということに、いい加減気づいたらどうですか。
[B! togetter] 『AKIRA』でカオリが服を破られて殴られるような「嫌悪感を抱くシーン」がある時点で「作品として評価できない」という結論に至る人がいるのはなぜ?
AKIRA自体は前にYoutubeで公式が無料公開してたのを見たことはあるんだが、当該のシーンは記憶になく特段ひっかからなかった。
・「悪人を悪人として」「よくないことをよくないこととして」描いているシーンである
・「作品の中で描いている」=「それを賞賛している」というわけじゃない
って擁護に引っかかった。
これ自体は只の事実で正論で実に正しいんだけど、それでも尚「それは前提とした上で視聴者に映像面での不快感や嫌悪感を与えない表現」もあるんじゃね?って思う。
レイプであることは匂わせつつライティングとカット割りで工夫して本番そのものは見せないようにしたり脱走兵をバイクで牛裂きにするけど肝心の瞬間は砂埃で隠したりって感じのやつ。
そればっかりにしろとは思わんしレーティングさえしっかりしてくれればエロでもグロでもやればいいと思うし好きで見てるものもあるけどマスに向けるなら必要な配慮になってくんじゃねとは思う。
例えば寿司はサビ入りしか認めんのだが最近の回転寿司やパック寿司は最初からサビ抜きで作ってあって好みでどうぞって感じなんだよね。いやそれ昔はそっちがオプション扱いだったやろがい!って
あと喫煙者でもあるんだが最近はめっきり吸える場所が少なくなって家かバーで紫煙くゆらしてるけど昔は新幹線の車両で吸えたり職場で堂々と吸ってて非喫煙者がマイノリティだったもんな。
この遷移って昔は刺激とも感じなかったことに苦手な人が声を上げられるようになって、より万人に向けた低刺激を基準と捉えなおした結果だと思うのよ。
そんな感じで世間様は「より不快感や嫌悪感を与えない」社会を求めていくんじゃないかなー、と。その対象が表現だとしてもね。
まぁなんでこれ書いたかっていうと時計じかけのオレンジの最初の方で仲間と一緒に夫婦の家を襲撃した段階でキブアップした苦い経験があるんだよね。
あれが次段の更生矯正教育(なんか目開けさせるやつ)に繋がっててそれが話題で本当に名作でって言われたとしても見る気起きなくなっちゃった。
今後も見るつもりないです、はい。
『System Crasher』という映画を観た。
観終わって元気になることなんて、万に一つもない。
ただ、どこまでも「誤魔化しのない」映画だった。
暴れる。壊す。精神科、投薬、施設。家庭も制度も、とっくに限界に来ている。
実の親ですら見放す。それも正直、分からなくはない。
でもこの映画は、「だから仕方ないよね」という安易な着地を許してくれない。
約束は守る。相手にも守らせる。それを破られたとき、激しく怒る。
社会的には万引きもする。でも彼女の中では、すべて一貫している。
母を喜ばせるため。関係をつなぎ止めるため。
ただ、彼女の秩序が、社会のルールと絶望的に噛み合っていないだけだ。
予測不能な怪物に見えるその内側は、実はひどく純粋で、かなり予測可能でもある。
寝ているときだけは、普通の子どもだ。起きた瞬間から、世界との摩擦で火花が散る。
母親以外に顔を触られるのが無理。反射的に暴れる。
過剰な演出でも何でもない。
この映画は、それを分析もしないし説明もしない。ただ「そうなるもの」として置く。だから嘘がない。
一番、腹の底から不快感が湧いたシーンがある。母親がベニーに言う。
ベニーは狂喜乱舞する。世界が一気に明るくなったはずだ。なのに直後、母親は言う。
「やっぱり怖いから、無理」
一緒に住めないのは仕方ない。
でも、できないことを「できる」と口にしたことだけは、どうしても許せなかった。
その場しのぎの慰めじゃない。
一度言われたら、世界そのものがそういう形で確定してしまう言葉だ。
それを、自分の「その時の気分」で上書きして、なかったことにする。あとでどれだけ深く突き落とされるか想像もしない。言ったなら、引き受けろよ。
「できる気がした」
「そうであってほしかった」
そんなのは、言った側の都合だ。口に出したなら、死ぬ気でやるか、無理ならせめて、自分の言葉で、自分の責任で、本人に撤回しろ。
母親はそれをしなかった。説明すら放棄して、職員に丸投げして逃げた。あの卑怯さが、一番きつかった。
唯一の救いは、職員が母親に本気で怒った場面だ。事情も限界も分かった上で、それでも「自分で説明しろ」と線を引く。「最悪」と毒づく。
一緒に住めなかったことじゃない。言ったことを回収しなかった、その不誠実さに対して怒った。
この一言があったから、ベニーはあそこで完全に「見捨てられた」わけじゃなくなった。
「それは起きてはいけないことだった」と誰かが言ってくれただけで、観ているこちらの呼吸も少しだけ楽になった。
翻って、自分の娘を見る。
正直、扱いが難しい子だ。
家庭でも、園でも、問題は多い。
でも娘は恵まれている。
一人っ子で、両親が揃っていて、母親の手が、いつも自分のほうに伸びている。
私やベニーには、それがなかった。兄弟が多く、施設に送られ、母はいつも、手の届かない場所にいた。
特性が同じでも、愛情に触れられる距離が違えば、人生の軌道はここまで残酷に変わる。
これは教育的な怒りか?違う。多分、妬みだ。
「お前はこんなに恵まれているのに、なぜ」という、浅ましい嫉妬。
私はそれを正当化しないし、娘にぶつけもしない。
ただ、自分の中にそういう泥みたいな感情があることを、認めるだけだ。
この映画は、本当に「分かっている人」が作っている。
子役の演技は圧倒的だし、設定も盛っていない。分かるように 誠実に作られている。
とにかく、良い映画だった。
これを読んで何を感じるかは、
2歳ちょい男児。1歳半からミリも進まぬトイトレの記録を残す。今年の末には笑って読み返したいという願いを込めて。
トイレに行くどころかオムツすら替えるのを嫌がる。嫌がるというか今やっている遊びを中断したくない、やめたくもない様子。
興味ゼロ。シールあそびが好きなので便器に貼ったトイレちゃん(しまじろう内のキャラクター)のシールを剥がし始める始末。
効果ほぼ無し。絵本の好みがはっきりしているためこれをセレクトして読み始めると閉じて別のお気に入り絵本を持ってくる。
amazonで千円くらいのステッカーを息子が好きなモチーフを選んで買って、トイレ内と扉に貼りまくったが二日で飽きた。通りがかるとちょっとうれしそうにはするが、別にトイレに入ろうとはしない。つまり無。
分厚すぎる上に防水加工もされているので一度洗ったが最後、三日は乾かない。乾燥もNG。共働きドラム式勢には苦しい仕様。買わなければよかったオブザイヤー2025大賞受賞。二度と洗いたくなくて試す気にもならず断念。
ガン無視。どう考えても濡れてるし実際何とか替えた後に触っても濡れてるが、「トイレに行こう」「おむつ替えよう」と声をかけてもおもちゃで遊び続ける。しまいにはパンツから染み出してズボンが濡れた。
SNSで見た気がする手法。6ヶ月頃に軽くかぶれて以来、お高めのおむつを使っていたが逆に不快感がなさすぎておむつ替えに意識が向かないのでは?という理由で西◯屋のおむつを導入。
結果ガン無視。何も変わらずおもちゃで遊び続ける。とはいえ特にかぶれる様子はなく、家用が西◯屋になってお財布に優しいのでこれはこれでヨシ???