はてなキーワード: 司馬遼太郎とは
時は現代、されどその様は戦国絵巻を彷彿とさせる。日産自動車、世界の自動車産業を牽引する巨艦。その内部では、63人の役員たちが、それぞれの野心と信念を胸に、静かなる、しかし熾烈な権力闘争を繰り広げていた。
物語の始まりは、カリスマ経営者、カルロス・ゴーンの失脚からである。彼の築き上げた帝国は、その崩壊とともに、新たな覇権を求める群雄割拠の舞台へと変貌した。
若きCEO。彼は、ゴーン後の日産を再建するため、大胆な改革を推し進める。しかし、その手法は、古参の役員たちの反発を招き、社内には不協和音が響き始める。
紅一点の副社長。彼女は、女性ならではの視点と、卓越した交渉力で、社内の勢力均衡を図ろうとする。しかし、男社会の壁は厚く、彼女の理想は、しばしば現実の前に打ち砕かれる。
かつてゴーンの片腕と謳われた男。彼は、その野心とカリスマ性で、再び日産の頂点を目指す。しかし、過去の栄光は、今の彼にとって足かせとなり、彼は孤独な戦いを強いられる。
そして、その他大勢の役員たち。それぞれが、それぞれの思惑を胸に、この権力闘争に身を投じていた。彼らは、時に協力し、時に裏切り、時に謀略を巡らせながら、自らの生き残りをかけて戦う。
日産の命運をかけた、役員たちの群像劇。そこには、人間の欲望、野心、そして誇りが複雑に絡み合い、歴史のうねりとなって、未来へと続いていく。
この物語は、現代の企業を舞台にした戦国絵巻である。そこには、司馬遼太郎の描くような、歴史のダイナミズムと、人間の業が色濃く反映されている。
id:Gl17 普通に包丁やナイフの知識があれば絶対に鵜呑みしないネット俗論。あれは百人斬り訴訟事件の時に戦争犯罪を否定したいウヨが曲論として広め、右寄りネット民が追従して定着したものでそも発端からデマ。
Gl17の主張通りだとするとインターネット時代になってからネトウヨがデマを広めたということになるんだが、そんな根拠どこにあるんだ…?
日本刀で本当に斬れるのはいいとこ三人の主張をするのに複数のソースから採用しているのが書いてある
ソースはWikipedia(笑)レベルでも日本刀で斬れない話が伺え、古くから続く都市伝説なことが伺えるし、
もちろん歴史修正のためではなく、戦前以前からの資料にも存在している。
ブログ主は
司馬史観が色々な場面で影響を与えてることを考えれば00年代に広まった陰謀論よりはよっぽど有力でしょう。
何よりインターネット世代以上の年代でもこの都市伝説が広まってることを考えればバカでも分かるのだが、陰謀論者には難しかったようだ。
「芸術というよくわからないもので飯を食っていけるにはこれくらいできるようにならないといけない」ってのがわかる。
小説の場合は昔は司馬遼太郎がいたから、「まずは新聞記者を目指し、最低でも早大文学部」って感じだった
アマチュアの小説読んでると、流石に早大文学部卒は段違いに文章がうまくて伊達に四年かけて勉強してない。
マーチがそこまで文章上手くなくてびっくりした。マーチもかなり偏差値高いのに。
文章で食べて行くってのも芸術と同じで正解がないから、とりあえず早大合格クラスなら文章の巧緻も習得できるやろって感じなんだろな。
物語の面白さって時代によって正解が変わるから誰にも教えられないけど文章教えられるし、ある程度のIQあれば習得もできるから。
もともと会津藩は領民から嫌われていた。親藩で家格が高いため石高以上の出費があり領民に重税を課していた上、最後の藩主松平容保が京都守護職に任じられるとその負担でさらに年貢が上昇、会津戦争でも農民は新政府軍側について会津藩士と戦ったぐらいだった。
明治維新後も会津藩士に対する反発からヤーヤー一揆という大農民一揆が起きた。明治政府は会津藩士に会津に留まるか、青森県の下北半島に新たに藩を作って移住するかを選択させたが、地元で嫌われていた会津藩士たちは下北半島への移住を選択、斗南藩が新設され会津藩士は斗南藩士として下北半島に移住した。
会津地方の一般人が会津藩士と自己同一化して薩長に恨みを持つようになったのは、戦後会津若松市が戊辰戦争の史跡を観光資源化しようとして会津藩の悲劇を郷土史として広めたのと、司馬遼太郎の小説が原因。
日本には大学教授や研究者を適切に評価するシステムが無いため、多くの人は下記のタイプと接する機会が多かった😭
あと、日本の平均賃金から見たら、大学教授や研究者の賃金は、べつに低いとは言えない。むしろ上位を占めている。
職業 | 年齢 | おおよそ の月収 | ボーナス 等 | おおよそ の年収 | 労働者数 |
---|---|---|---|---|---|
航空機操縦士 | 43.1 | 138 | 123 | 1,779 | 4,970 |
医師★ | 41.6 | 97 | 63 | 1,227 | 77,920 |
(男女合計)管理的職業従事者 | 50.2 | 47 | 522 | 1,086 | 6,720 |
大学教授(高専含む)★ | 58.0 | 66 | 275 | 1,067 | 59,530 |
法務従事者 | 49.9 | 68 | 176 | 992 | 21,150 |
大学准教授(高専含む)★ | 48.9 | 55 | 207 | 867 | 39,880 |
歯科医師★ | 40.5 | 60 | 42 | 762 | 15,090 |
その他の経営・金融・保険専門職業従事者 | 39.3 | 46 | 156 | 708 | 16,000 |
大学講師・助教(高専含む)★ | 41.6 | 49 | 108 | 696 | 56,890 |
高等学校教員 | 43.1 | 43 | 163 | 679 | 69,200 |
研究者★ | 39.8 | 42 | 156 | 660 | 118,450 |
輸送用機器技術者 | 40.1 | 41 | 159 | 651 | 191,480 |
小・中学校教員 | 40.3 | 42 | 146 | 650 | 31,200 |
システムコンサルタント・設計者 | 40.4 | 46 | 97 | 649 | 78,730 |
電気・電子・電気通信技術者 (通信ネットワーク技術者を除く) | 41.8 | 41 | 154 | 646 | 285,830 |
そのため、賃金を上げろと言われても、日々の生活や老後のことを考える我々的には、『いや、十分な額でしょ。ナメとんのか?』となってしまい、
ほとんどの人は、大学教授や研究者の賃金を上げることに賛成しなかった
(つか、上記の状況を見続けて、おけおけ!上げとこ上げとこ👌なんて感情にはまずならんでしょ😒)
高学報酬による競争で全体の質を担保するのではなく、個人の情熱と能力と使命感と倫理観だけに全てお任せしてしまった結果、もう本当にどうしようもないことになった
まずはこれ
"民" とか時代劇の殿様かな?っていうスゲー文章だが、2024年の東京大学准教授の投稿である(成りすましでなければ)
アサシン・クリード・シャドウズの問題、いつか鎮静化すれば良いと思っていたが、民が暴徒化しており、お気楽なパブリックヒストリアンたちは口を噤んでいるようなので、Xなるものを稼働させることにした。時々呟く。
そして、これもまさかの2024年の日本の大学教授(わざわざプロフィールで所属と身分を明かしている)の投稿である、うっへぇ~ありがてぇ~~~
PSA: It's not only "white racists" who are angry about the new Assassin's Creed game. A lot of Japanese internet users are angry too. Why?
Check this image for some examples of Japanese netizens expressing their views about Assassin's Creed Shadows.
(お知らせ:新しいアサシン・クリードゲームに怒っているのは「白人の人種差別主義者」だけではありません。多くの日本のインターネットユーザーも怒っています。なぜでしょうか?
アサシン・クリード・シャドウズについて日本のネットユーザーが意見を表明している例をこの画像で確認してください。)
↓
いわゆる "坂上田村麻呂黒人説" や "African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan" などは、
それに便乗する白人至上主義者によるアジア人の透明化と文化の盗用(ホワイトウォッシュしながらアフロセントリズムを押つけ、アジア人を透明化する糞ムーブ)、
上記に類するアクション(『日本人は怒ってない』とSNSでお気持ちを勝手に代弁するありがてぇ白人様たち)に対して懸念を持っています
これは、司馬遼太郎氏やカジュアルな歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇のフィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います。
"坂上田村麻呂黒人説" の言い出しっぺは、今から100年以上前、カナダの人類学者、Alexander Francis Chamberlain 氏です。
米国の非営利団体 Internet Archive で原著を確認できると思うんですけど、
氏は『The Contribution of the Negro to Human Civilization』(1911年)という論文の中でこう書いてます。
484 ALEXANDER FRANCIS CHAMBERLAIN
[...]
And we can cross the whole of Asia and find the Negro again, for, when, in far-off Japan, the ancestors of the modern Japanese were making their way northward against the Ainu, the aborigines of that country.
(そして、我々はアジア全土を横断して再び黒人を見出すことができる。遠く離れた日本では、現代日本人の祖先がその国の先住民であるアイヌに対して北上を進めていた時に。)
THE CONTRIBUTION OF THE NEGRO 485
the leader of their armies was Sakanouye Tamuramaro,
(彼らの軍隊の指導者は 坂上田村麻呂 であり、有名な将軍であり、黒人であった。)
Full text of "The Contribution of the Negro to Human Civilization"
まぁこんなこんな感じで唐突に 『坂上田村麻呂 は黒人である』 と論文の中で言い出してるんですね。
そして、この論文の記述を 全米黒人地位向上協会(NAACP) の設立者の一人である W・E・B・デュボイス氏 が、『The Negro』(1915年)にもしたため、
As rulers and warriors we remember such Negroes as Queen Nefertari and Amenhotep III among many others in Egypt; Candace and Ergamenes in Ethiopia; Mansa Musa, Sonni Ali, and Mohammed Askai in the Sudan; Diaz in Brazil, Toussaint L'Ouverture in Hayti, Hannivalov in Russia, Sakanouye Tamuramaro in Japan, the elder Dumas in France, Cazembe and Chaka among the Bantu, and Menelik, of Abyssinia; the numberless black leaders of India, and the mulatto strain of Alexander Hamilton.
(統治者や戦士としては、エジプトの多くの中でもネフェルタリ女王とアメンホテプ3世、エチオピアのカンダケとエルガメネス、スーダンのマンサ・ムーサ、ソンニ・アリ、モハメド・アスカイ、ブラジルのディアス、ハイチのトゥサン・ルヴェルチュール、ロシアのハンニバロフ、日本の坂上田村麻呂、フランスの父デュマ、バントゥ族のカゼンベとチャカ、アビシニアのメネリク2世などの黒人を思い出します。また、インドの無数の黒人指導者たち、そしてアレクサンダー・ハミルトンの混血の血筋も挙げられます。)
The Negro
さらに後続の米国黒人公民権運動で活用されたり、歴史フィクションのアイデア元になった歴史があります。
そのため、一部の児童向けサイトや教師向けサイトでYASUKEと共に今も見掛けることが稀にあります。
For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood
日本人ならそんなことわざは無いこと知っていると思うんですけど、ググると色んなところで見掛けます
Why do Afro-centrists claim that the first samurai warrior was a black African? | Quora
https://www.quora.com/Why-do-Afro-centrists-claim-that-the-first-samurai-warrior-was-a-black-African
弥助(YASUKE)は、取得難易度が高い日本語を解する多言語話者の黒人の方で、しかも剛力で恵体、世が世なら・・・と言うとても優秀な方だったみたいです。
弥助はえらい人の覚えがめでたく、織田信長は彼を大変気に入って、連れて歩いていたようです。わざわざそのことが記録にも残っています。
頭が良くて体格もいいとかカッコイイし、本来であれば正当にその実力が報われて欲しかったし、彼がヒーローして描かれるフィクションが作られるのは共感できます。
というかフィクションであれば、もっとアフロサムライやキンバリーみたいな肌の色が濃い侍や忍者が増えて欲しいですね。
(最近のゲームでは Rise of the Ronin みたいに、主人公の人種を自由に設定できるオプションがデフォだけど)
ただ、史実では、さまざまなことが重なって、弥助は一般的に武士(侍)ではありませんでした。そもそも、有力武将や宣教師などでは無かった為、ほとんど記録には残っていません。
わずかに残される記録(ネットでも確認できる)からわかることは、下記くらいです。
『ゆうて、一部の歴史オタク が 弥助は武士(侍)って言ってるだけでしょ』『時代劇でもよくフィクション入るじゃん』って思うでしょ?🤔
それが、どういうわけか、YASUKE の 英語版の Wikipedia 見ると、日本のアカデミアのお墨付き貰ってるのとか、参考文献に引っ張ってきてるのよね。それも京都大学とかの
ZINBUN は査読付き学術誌と京大で紹介されてるんですけど、その中でこんな風に書かれてます。
Perhaps more extraordinary is that Yasuke’s story does not end here. Retained as an attendant by Nobunaga, he later accompanied him into battle against the rival lord Akechi Mitsuhide (1528? - 1582) who upon defeating Nobunaga at Horyuji, spared the African and subsequently released him.
(さらに驚くべきことに、弥助の話はここで終わりません。信長の従者として残された彼は、後に信長と共に、ライバルの大名(rival lord)である明智光秀(1528? -1582)との戦いに参加しました。光秀は法隆寺で信長を破った際、このアフリカ人の命を助け、その後解放しました。)
Excluded Presence : Shoguns, Minstrels, Bodyguards, and Japan's Encounters with the Black Other
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/71097/1/40_15.pdf
Horyuji(法隆寺)かぁ。あと、さすが魔王ノッブ、1万を超えたとも言われる大軍勢を前に、自刃することなく弥助と共に立ち向かっちゃうぜ。諦めたらそこで試合終了だもんな(白目)
更にこれに加えて、日大の教授が、いろんなところで、弥助は日本で最も有名な外国生まれの武士(侍)となった、
弥助は本能寺にいて伝令の役割を担った、弥助の最後の使命は首を守ることだったとか、いろいろ言って回ってますからね
African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal Japan |CNN
https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html
そんなわけで、YASUKEの件も、司馬遼太郎氏やカジュアルな歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇のフィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います
文字数制限に引っ掛かったから続く → 日本のアカデミアは本当にどうしようもないところにまで来ている・2
日本の学者や研究者を名乗る人がYASUKE肯定した結果、それを根拠にして、日本の人種差別主義者ガーとか英語コミュニティでコメント付いてる例
However, a recent, widely shared post from Japanese historian Yu Hirayama argues that Yasuke was indeed granted samurai status by Nobunaga. Hirayama cites Yasuke’s stipend, housing, and sword afforded him by Nobunaga, but acknowledges that Nobunaga’s enemies did not view Yasuke as a samurai.
(しかし、日本の歴史家である平山優氏による最近の広く共有された投稿では、弥助が実際に信長から侍の地位を与えられたと主張しています。平山氏は、信長が弥助に与えた俸禄、住居、そして刀を根拠として挙げていますが、信長の敵対者たちが弥助を侍とみなしていなかったことも認めています)
↓ 対するコメント
racist in Japan and racist in the rest of the world get to work hand-in-hand now
(日本のレイシストと世界のレイシストは、今、手を取り合って働く)
https://www.polygon.com/24204308/assassins-creed-shadows-yasuke-samurai-ubisoft-controversy
While there’s some question as to his exact role, Yasuke was a real person and, as a Japanese scholar has recently pointed out, there’s no doubt that he was a samurai, which is a social status that can encompass a variety of duties.
(弥助は実在の人物であり、日本のある学者が最近指摘したように、彼が武士であったことは間違いない。)
https://metro.co.uk/2024/07/23/ubisoft-apologies-assassins-creed-shadows-doesnt-say-21281545/
この炎上の根本原因は、アジア人蔑視、アジア人の透明化、そして日本文化の軽視だろ
実際のところ、『アフロサムライ』や『キンバリー』、Netflixの『弥助』、『Rise of the Ronin』のような時代劇ゲーで主人公を黒人にできるオプションなどは、
だから、この問題を『主人公が黒人であること』だと逆張りでミスリードするのはやめろ
つか、増田はいつもの逆張りでも、ガチで『サムライの中には黒人もいたはずだ』『白人によって歴史が消された』『もしかしたら日本にもいたかもしれない』と
信じてる人たちもいるわけ。それは長年にわたり、一部の人々の間で下記の言葉が信じられて来たからだ
For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood
この言葉や歴史観は、子ども向けのウェブサイトや書籍、教師向けの資料にも掲載されてたりする
これは、一部の人が司馬遼太郎の作品を事実として信じているのと似た現象なんだけど、アメリカの黒人公民権運動で利用されてきたっていう歴史がある
そのため、本心で下記みたいになる人もいる
Where Are The Black People in 'Shogun'?
このような人々のさらなる誤解をさらに深めるような無意味な逆張りはやめろ
anond:20240724130753 anond:20240724183209 anond:20240724193537 anond:20240724215021 anond:20240724215021
anond:20240724211603 anond:20240726211114
追記があったので。キミがnoteで逆張りをおやんなさいanond:20240726185220
角田裕毅というドライバーは典型的な日本人の性格のパターンの一つである、
カッとなりやすく火がついてしまうと自分を制御できなくなってしまうタイプの人だ。
F1界では、彼はドライバーとしての腕前は優れていると認められているものの、
見ている私たち日本人のファンからしてもこれは少し違うだろう?
と怒りを感じるものであったが、
理不尽なことに対して怒りをあらわにすることにダメージはないが、
そうではないのだから彼は自分が至って冷静な大人であることをより多く周囲に対してアピールしなければならない。
特にレースが終わったあとにその怒りを「行動」で表現してしまったのは良くない。
正しい、正しくないより単純に損だ。
何も得をすることがない。
もちろん「言葉」でその理不尽に対して冷静に抗議をすることは必要だ。
しかし、子供っぽさを感じさせるようなことは絶対にしてはいけない。
彼が上位チームであるレッドブルへの昇格を望んでいるのであれば特にだ。
アンガーマネジメントという観点で彼には常に注目している。
精神面でのアドバイスを受けるために専属のトレーナーもついていると聞く。
果たしてそのような行動で人は変わることが出来るのかどうか?
その面で興味をいだいている。
現在のレース実況ではドライバーとチームが会話をしている場面が放送される。
そこではアドレナリンで溢れきったドライバーたちが思わずFワードを連発することもある。
しかし、欧米人の怒り方はどこかクールさが残っていて私たち日本人がしがちな「激昂」とは少し違う。
かつて司馬遼太郎はその小説の中で日本人は射撃が下手だ、と語っていたことがある。
日本人は欧米人と比べて感情が激してしまうので引き金をやさしく引くことが出来ないのだ、
といった話だったと思う。
元々小説以外の分野で活躍し、プロフェッショナルな行き方をしていた人が小説家になったというケースを探しています。
なぜこのような人を探しているのかというと、『巨大投資銀行』『トップレフト』などを著作に持つ黒木亮氏の作品があまりに面白かったからです。
この小説は、金融の世界でプロフェッショナルとして生きていない限り、絶対に書けない小説でした。
金融の世界にいた人間が書く小説。これは、その世界の匂いがわかるほどリアルなものでした。
圧倒的な知識に裏打ちされた小説は、それだけで心地よいものであるともわかりました。
単に文章がうまい、文学的に表現する、などの小説家は求めていません。吉本ばななのような小説家は不要です。
小説家になる前に、すでに別世界でプロフェッショナルとして生きていて、小説家に転向した人を教えてください。
■追記
「元々別の職業をしていて、その知識を活かして小説を書いている小説家を教えてください」が私の意図するところです。
司馬遼太郎が元新聞記者だからといって、「元新聞記者にしか書けない小説」を書いていますか?
夏目漱石が元英語教師だからといって、「元英語教師にしか書けない小説」を書いていますか?
村上春樹が元バー経営者だからといって、「元バー経営者にしか書けない小説」を書いていますか?
誤読している人が多すぎてがっくり。
祖父のような人が、昨日死んだ。
血の繋がった祖父は、自分の生まれる前に亡くなっていた、少なくとも父方の祖父は、割と早くに亡くなったらしかった。
母方の祖父は、母親が子供の頃に祖母と離婚しており、多分早くに亡くなったのだと思うが、仮に生きていても会うことはなかった。自分がいつそんなことを聞いたのかは確かではないが、物心ついた自分が、血の繋がった祖父、というものを意識した時にはどうやら亡くなっていたらしいのは確かだ。
「祖父のような人」は、僕が生まれるずっと前から、祖母と一緒に暮らしていた。多くの人が誰しも持つ思い出のように、自分も子どもの頃、祖母と彼の住む家に遊びに行き、甘やかされ、小遣いをもらい、トランプやら野球やら将棋やらをして、思う存分に遊んだ。
将棋のルール、司馬遼太郎、池波正太郎、他にもいろいろと、今ではどれが彼に教わったものか一々思い出せない程、いろいろなことを彼は教えてくれた。
むしろ、祖母と彼には、高級旅館に何度も旅行に連れて行ってもらったり、高級料理を食べたり、普通の人よりも随分いい思いをさせてもらった、祖母のお金だったのか、彼のお金だったのか分からないが。
祖父、おじいちゃん、適切な言葉は分からないが、彼は自分にとって唯一のそういった存在だった。彼は無責任で、冗談と嘘をよく話し、調子のいい軽口を叩き、良い人間とも思えないが、憎めない人だった。
陽気に昔の自慢話を語り、祖母や叔母に返す刀で昔の失敗をからかわれると、機嫌を損ねて無口になり、眠ければ眠り、食事の時は誰よりも早く食卓について料理が出てくるのをやたらと祖母に急かした。彼は一言で言えば、「簡単」な人だった。読書好きで、色んな経験をしてきたらしい割に難しいことは考えず、毎日似たようなことをして気楽な生活を送っていた。
祖母が彼と暮らし始めたのは、離婚した直後のようだった。母や叔母(母の姉、祖母の娘)は、彼のことを時折「おとうさん」と呼んだし、祖母、叔母、母、彼の四人で暮らしていた時や旅行をした話を聞くことも稀にあった。
ただ、彼は、外に出れば家族ではなかった。彼の苗字は一人だけ違った。祖母が「田中」(仮名、でもそれくらいありふれた苗字だった)と彼の苗字を口に出す時、聞いてはいけないタブーに踏み込んでいるようで、胸がざわついた。今でも克明にそのざわつきを思い出すことができる。
父方の家族に会う時、彼がその場に来ることは当然なく、それどころか、彼のことを口に出してはいけない、そんな人はいないものとして話さないといけないことは、子どもの自分にもいつの間にか十分過ぎるくらい分かっていた。
父は自分や兄や母とともに、母方の祖母の家に行くこともあったが、彼のことを嫌っており、彼と会ってもまともに話さず、彼の話を自分や兄から聞くと不機嫌になった。自分も兄も馬鹿じゃなかったので、幼い頃から、彼の話を父の前でしてはいけないことは分かっていたが、父は、祖母の家から帰ってくるたびに普段の落ち着いた様子からは考えられない程ぶっきらぼうに「田中はいたんか」と自分に聞いて、「うん」とだけ自分が答えると、より一層不機嫌になった。
母は、自分たち兄弟を育てながら、よく酒を飲み、よく荒れた。父は単身赴任で平日ほとんどおらず、母は毎晩のように台所で酒を飲み酔っ払って、自分や兄を理不尽に怒鳴って手を挙げ、警察や学校や塾にやたらと電話をかけてほとんど脅迫に近いようなクレームを怒鳴り散らかした。たまに帰ってきた父がそれを制止すると、コンクリートで出来た平成生まれの一軒家ですら、簡単に壊れてしまうのではないかという程の暴れ方で反抗した。酒を飲んだ母は、怪物だった。
母は、素面の時、神経質で、常に他人の目を気にしていた。タクシーの運転手にも、ずいぶん年下の店員にも、学校の先生にも、息子の同級生の親にも、そこまで丁寧に話さなくてもいいのにという程、丁寧に低姿勢に話した。素面の時も、酒を飲んで暴れる時も、母は「正しい社会」から向けられる目に怯え、苦しみ、酒を飲んだ時だけ、自分の正しさを暴力的に吐き出すことで、何とか自分という存在を保とうとしていた。
自分が中学生か高校生くらいの頃、彼には今は離れて住む子供がいることを知った。思えば「いない」とも聞かされたことはなかったが、はっきりとそれを聞いた時は、ただ胸の内で「そうだったんだな」とショックを受けたのを何となく覚えている。
それくらいの頃、叔母が離婚し、一人暮らしを始め、段々と精神を病み、盗聴されている、組織に狙われてるなどと、典型的な統合失調症の症状が出始めた。
この頃から父はよく自分にもはっきりと言い始めた。母が酒に荒れ、叔母が病んだのは、家庭環境のせいだ、母、叔母の親である祖母と、彼が不倫をして、母や叔母の実の父親を追い出したからだ、と。きっと母や叔母は、「外で言ってはいけない」ことを家の中で強く教えられ、世間の目を気にして怯えて生きてきたのだと。
それはある意味で納得のいく説明だった。祖母は、離婚の理由を、相手、僕の実の祖父の賭け事のせいと言っていたが、どこまで本当かよく分からなかった。
知り合い、昔からの友人である大学の同級生と会う時も、祖母は、「娘が二人いて、孫もいる独り身」として話しており、彼のことを誰にも言っていないようだった。
お盆、お坊さんがお経を唱えに祖母の家に訪ねてくる時、彼は訪ねてくる少し前に外出し、お坊さんが帰ってもういないことを電話で聞くと、すぐに帰ってきた。用事があって出かけるのではなかったから、すぐ近くにいたのだろう。祖母は、お坊さんが来る時間をいつも気にして、去年は遅かったとか今年は早過ぎるとか言っていたが、後ろめたさと面倒なことへの苛立ちが入り混じっていたのだと思う。
彼は、彼の子供とは長年会っていないようだった。彼の子供は、僕の父や母と同年齢程度のはずだが、彼の子供や、家庭のことを思うと、僕に罪はないのに申し訳ないというか、複雑な気分になった。彼の家族が彼のことをどう思っていたか分からないが、少なくとも誇りには思っていなかったのではないかと思う。
祖母と彼は、僕が知る身近な家族の中で最も夫婦らしい二人だった。時に自分の子どもたちを犠牲にしてまでも二人の時間を過ごし、お互い喧嘩し、お互い気ままに生きて、美味しいご飯を食べ、よく酒を飲み、一緒になってから数十年間を死ぬまで共に暮らした。
この一年程、彼はほぼ寝たきりになり、祖母は、彼の子供のところへ帰って欲しいと伝えていたようだが、結局最後まで彼が聞き入れることはなかったようだった。
彼とのことで一番はっきりと思い出せるのは、大学で落研に入った自分に、彼が帯をくれたことだった。自分の着ていた着物は、桃色で、当時自分が持っていた水色の帯とは合っていなかった。祖母がその写真を見て、「合う帯があったら、おじいさんにもらい、おじいさん、呉服屋の社長をやってたから」と言った。彼は昔の仕事の話をされるのが少し気まずいのか、「ええの残ってるか分からんで」と言っていたが、次会った時に、自分の着物によく合う、濃紺の帯をくれた。とても気に入った帯だったし、締める時は不思議な気合が入った。他人に言えない自分の生まれを、言葉に出さずとも身に纏って話しているようだった。
思えば彼について知らないことも多い。下の名前も一度くらいは聞いたことはある気もするが思い出せない。思い出すのは、人となりと、「田中」と呼ばれているのを聞いた時の、あのばつの悪さだ。彼がくれた帯も、彼がどこにしまっていたのか分からない。少なくとも祖母と彼が暮らしていたマンションには、彼の私物をしまうスペースはほとんどなかったはずだった。彼は、祖母のマンション以外にも一応自分の部屋を借りていたらしいが、ほとんど帰っていなかったし、何を残して、何を捨ててきたのか、いつから祖母と暮らし始めたのかも、本当のところはよく分からなかった。
「二日前くらいから入院してもう危ないとは聞いてたんやけどな、おばあちゃんが病院行かはったんやけど、内縁の妻、言うんかな、死んでも詳しくは教えてくれへんのやて。ほら、おじいちゃんて、"田中"さんやんか、息子と娘さんがお葬式とかお通夜しはるから、心の中で弔ってあげてな」
母は冷静に話すようにつとめているようだったが、その話し振りは、まだ状況が飲み込めない子どものようでもあった。
母にとって、彼がどんな存在だったのか分からない。少なくとも、幼少期ともに過ごし、自分の血の繋がった親である祖母と暮らし続けていた「彼」のお葬式にもお通夜にも出れないことは、やはりショックな出来事であり、何を悲しんでいいのか、すぐには整理がつかないようだった。
きっと、親である祖母が離婚して、その後すぐ彼が家に来て、そこからずっと母は、同じように色んなことを飲み込めないまま生きてきたのだと思った。
もう高齢で、ボケかけの祖母は、すぐには状況が完全に理解できなかったらしく、母からLINEが入っていた。
母は気持ちの整理がつかないのか、若干文章ががおかしかったが、「やはり 悲しいことと思います。」と書かれていた。
彼が死んだら、お葬式にもお通夜にも、自分はおろか、「田中」以外の人間が出ないことは、ずっと前から、僕が生まれるよりも前から分かっていたことだった。
別に祖母がそのことをどうにかしようとする素振りもなかった。祖母と彼はただ一緒に暮らして、おそらく楽しい思い出をつくり、何かを片付けることもないまま、彼は死んだ。
残された人はみんな、この悲しみをどう受け止めていいかも、怒っていいのかも、誰に話していいのかも、どう弔えばいいのかも、分からないままだ。
祖父のような人が、昨日死んだ。このことを上手く話せる日が、いつか僕に来るだろうか。