ともに生きたことを感謝

「寂しい」とは口にするな
「死んだ」でいいのだ
「死んだ」でいいのだ
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9月8日『長岡監督特集上映 第4弾』で『モノクロームの少女』を上映後。
お会いしたこともない方から1冊の本と映画のチラシ1枚が届いてました。
ありがとうございます。
大杉漣さんの著書『現場者(げんばもん) 300の顔を持つ男』
すでに単行本は持って読んでいましたが、漣さんが亡くなった後に文庫化されたことは知ってたものの、
手にしたのは初めてなので読み返してみました。
監督に呼ばれることは「この作品で一緒に遊ぼ!」と言われるのと同じだと思う。
だったら、ぼくはたくさんの人と楽しく遊びたい。
プロローグの役の大小に関わらず、あらゆる役をこなしジャンルを超えていった漣さんの真骨頂と思う考えが凝縮されたような一文がまぶしく目に入りましたが、読み進めると第12章「俳優稼業は命がけ」でハードワークからくる過労でダウンしたことを大きく割き、ここに自身の死について漠然と書いており、かなりドキリとしました。
もちろん茶目っ気とともに書かれていましたが、自身の死について予感めいたものがあったのではと振り返り想像しました。
文信堂書店に『纐纈あや監督特集』のチケットのお願いに行ったところ、
お世話になってる店長が『第6回長岡アジア映画祭』でお招きした大杉漣さんも参加した打ち上げの感想を、
「漣さんを見ていると必ず参加者一人一人と言葉を交わし、自然と居心地のいい空間を作っててスケールの大きい人だと思った」と話してて、まさにこの本の漣さんがそうなんだと思いながらも、文庫本には特別寄稿として漣さんと若い時から一緒だった奥様が貴重な思い出の数々を寄せていて、一読すると若き日々の沈痛な面持ちの漣さんの姿を垣間見るようで、夢中で読みました。
漣さん亡き後、資料を整理をしていたら20代の漣さんの気持ちを綴った六冊のノートが見つかり、それは奥様を前にした時と全く別の漣さんの姿が、当時の焦りや自虐、かなしみが存分に思いのままに書かれて、奥様も驚愕したと書いてます。
確かに『現場者』の明るいタッチと全くそぐわず、読んでいくうちに漣さんの鬱々とした内面があり、これはこれで漣さんの魅力を損なうものではなく、その姿に大きな共感でさえ感じることができました。
展示会のアルバイトやり終え日銭を手にしたが沖縄の意に沿わぬ体制的な展示会だった。情けなく思う。
↑その中の一文ですが担当者も当時支持せぬ候補者の選挙の運動員や東電からの仕事である柏崎・刈羽原発の撮影手伝いなど意に沿わぬ仕事をした後のやるせない思いを持ったことがあるだけに共感を得ましたが、↓こちらの
http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/blog-entry-1804.html
『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』のナレーションを担当したのは、なぜなのかと思ってたので、若い時に沖縄へ関心があったことを伺わせてなるほどと思い納得できました。
「寂しい」とは口にするな
「死んだ」でいいのだ
「死んだ」でいいのだ
一緒に暮らしていたセキスイインコが死んだ朝に綴ってた文面だそうですが、残された人たちへ漣さんはこんな思いを伝えたかったのではないかと。
奥様の寄稿の終盤には漣さんの最初プロデュース作で最後の主演作となった『教誨師』での現場者の姿が綴られていましたが、文庫本と一緒に収められていたのが、この映画のチラシでした。
先日の『モノクロームの少女』上映会はきっと漣さんも喜んでいたハズです。
文庫本の『現場者(げんばもん) 300の顔を持つ男』はもちろん長岡・文信堂書店で発売中です。
『教誨師』公式HP http://kyoukaishi-movie.com/
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