副題は「ネガティブ・リテラシーのすすめ」、2009〜24年にかけて著者がさまざまな媒体で書いてきた時評などを集めたものになります。
そのため、「輿論」と「世論」の区別や「ファシスト的公共性」など、著者の議論をそれなりに追いかけていた人にとっては新鮮さには欠けるかもしれません。
ただし、15年ほどの月日が経っても著者の分析枠組みは古びていませんし、文章の端々に鋭い洞察があります。「安倍一強」の政治状況が終りを迎え、再び政治が動こうとする中で、ここ15年の政治と社会の動きを一定の視座からたどり直すことができる本になっています。
目次は以下の通り。
第一章 ファスト政治1 政権交代選挙前、私はこう書いた(二〇〇九年七・八月)2 マニフェスト選挙の消費者感覚(二〇一〇年一月)3 ファスト政治と世論調査民主主義(二〇一〇年一〇月)第二章 メディア流言1 「想定外」の風土(二〇一一年五月)2 危機予言とメディア・リテラシー(二〇一一年一〇月)3 「災後」メディア文明論と「輿論2・0」(二〇一四年二月)第三章 デモする社会1 論壇はもう終わっている(二〇一四年二月)2 「デモする社会」の論壇時評(二〇一二年八月)3 ファスト政治と「輿論2・0」(二〇一〇年六月)第四章 情動社会1 世論調査の「よろん」とは?(二〇一六年二月)2 もうパブリック・オピニオンはないのか(二〇一六年六月)3 報道の自由度ランキング(二〇一六年一一月)第五章 快適メディア1 玉音から玉顔へ(二〇一七年一二月)2 「変化減速」時代の快適メディア(二〇二〇年五月)3 例外状況の感情報道(二〇二一年三月)第六章 ネガティブ・リテラシー1 戦争報道に「真実」は求めない(二〇二二年九月)2 AI時代に必要な耐性思考(二〇二二年三月)3 ネガティブ・リテラシーの効用(二〇二三年一一月)
まず、著者が以前から唱えていた「輿論」と「世論」の違いについて述べておきます。
現在は前者の「輿論(よろん)」を見る機会はほとんどなく、「世論」を「せろん、よろん」と読んでいますが、戦前はこの2つの言葉は区別されていました。
「輿論」はpublic opinion、「世論」は「せろん」と読みpopular sentimentsを指していたのです。ところが、戦後になって「輿論」の「輿」の字が表外字になってしまったため、「世論」という字で「せろん/よろん」と読ませるようになり、2つの概念は混同されるようになってしまったのです。
著者の持論は「輿論の復権」です。著者に言わせえば「世論調査」とは、その時々の国民の気分や感情を調べたものにすぎず、それで政治が動いてしまうのが現代日本の大きな問題です。
これに対して「人々の意見」である輿論による政治を著者は求めています。
家庭に突然かかってきた電話で、「首相にふさわしい政治家」を突然尋ねられ、その答えが首相の進退に直結してしまう、これが本書の時論が始まった00年代後半の政治状況でした。
小泉純一郎の長期政権のあと、安倍→福田→麻生→鳩山→菅直人→野田とほぼ1年毎に首相が替わりました。その後の第2次安倍政権は長期政権となりましたが、菅義偉内閣は内閣支持率の低迷により短命に終わっています。世論調査が主導する政治は今なお続いていると言えるでしょう。
本書には2011年の東日本大震災を受けて書かれた論考も収録されています。
東日本大震災では原発事故を中心に「想定外」の事態が起きましたが、それに対して「想定外を想定」すればいいわけではありません。「想定外の想定」は流言飛語へとつながります。
マスコミの報道を批判的に読み解くメディア・リテラシーは現代の重要なスキルですが、危機においてはネガティブな情報を優先して取り入れるようにもなりやすく、「マスコミの報じない」流言に飛びつくことにもなりかねません。
芥川龍之介は「大震雑記」の中に次のように述べているといいます。
再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシェヴィツキと◯◯◯◯[不逞鮮人]との陰謀を信ずるものである、もし万一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。(44p)
ただし、東日本大震災後にさまざまな流言が飛び交ったものの、関東大震災における朝鮮人虐殺のような惨事を引き起こさなかったのも事実です。
ある種の情報過剰がメディア流言の影響力を低下させたとも言えます。ネットの過剰な情報が人々を行動にまで至らしめないという側面もあるのです。
著者は2012年4月から2016年3月まで、『北海道新聞』『東京新聞/中日新聞』『西日本新聞』の新聞三社連合の論壇時評を担当しています。
ただし、「論壇」なるものは過去からその衰退がたびたび指摘されており、1976年に見田宗介が「論壇の終焉」と題した論壇時評を『読売新聞』に発表しています。
戦後の論壇の中心にあったのが雑誌『世界』ですが、1950年前後は部数が低迷しており、発行部数が増加に転じるのは異例の5刷を重ね15万部を売り切った「講和問題特集号」(1951年10月号)からです。
しかし、これは全面講和を主張した『世界』が早期独立を目剤して単独講和を支持した国民と袂をわかった瞬間でもあったといいます。
この後、社会党支持団体と連携し『世界』は部数を伸ばしますが、小泉信三が「講和問題特集号」を「全面講和論者または中立論者の同人雑誌の如き」(74−75p)と述べたように、部数と反比例するかのようにその閉鎖性を高めたのです。
こうした論壇誌の閉鎖性を打ち破ることが新聞の論壇時評には期待されるわけですが、これも年々難しいことになっているのかもしれません。
著者の書いた論壇時評の中でもっとも注目を浴びたのが、2012年8月28日付『東京新聞』に掲載された「「孤立的民主主義」から「デモする社会」へ?」だといいます。
ちょうど、福島第一原発事故を受けて原発反対デモが盛り上がっていた時期で、柄谷行人も『世界』に掲載された「人がデモする社会」で「人々が主権者であるような社会は、代議士の選挙によってではなく、デモによってもたらされる」(81p)と書いていました。
しかし、著者はナチ党がデモや集会を通して台頭したことに注意を向け、「デモの称賛は「代議士の選挙」への絶望感の裏返し」(81p)だと指摘します。
これに対して、『朝日新聞』の論壇時評で高橋源一郎が今のデモはナチの時代とは違う「新しいデモ」だとデモを擁護し、この一連の議論はネットなどでも言及されました。
著者はデモには、ヘイトスピーチ・デモなどもあり、デモというだけで礼賛はできないと考えます。「新しいデモ」とされるサウンドデモ、「お祭りデモ」などもオープンなようでいて一定のノリを強制するものでもあります。
『ファシスト的公共性』という著作もある著者にとって、街頭での政治参加というのは大きな危険も秘めたものでもあるのです。
また、著者は政治にすぐに結果を求める「ファスト政治」にも警鐘を鳴らしています。民主党政権はまさにこの罠にハマりました。事業仕分けでもそうですし、普天間移設問題もそうです。これについて著者は次のように述べています。
普天間基地移設問題をめぐる迷走は鳩山ツイッター政治の未熟さに尽きるが、ほとんどの観客は5月末の決着が無理だと分かっていたはずである。無理を承知で見守りながら、期限がくれば見すてる観客、こうした有権者にも相応の責任はあるというべきではあるまいか。(99p)
一方、こうした著者の主張に対して、東浩紀は『朝日新聞』の論壇時評(2010年10月28付)で次のように述べています。
世論に対して輿論を、ネットに対して熟議を立てるこの提言はじつに良識的で、だれもが頷くものだろう。しかし、それだけに観念的とも言える。佐藤は熟議の導入を求めるが、現状はそもそも人々が熟議に背を向けたからこうなっている。(101p)
著者はこうした指摘を「痛い所を突いている」と認めつつ、即時的報酬ではなく遅延的報酬を重視する考えの必要性を主張しています。
そして、「速報性を必要とする新聞のウェブ化が不可避であるならば、総合雑誌や新書はいっそう遅延的報酬的、つまり教育的な「輿論2.0」のメディアをめざすべきなのではないだろうか」(102p)と述べています。
この遅延的報酬については、じっくりとした熟議で一定程度は考慮することが可能になります。
2012年に行われた「エネルギー・環境の選択肢に関する討論型世論調査」では、参考資料や専門家からの情報提供、グループ討議、全体闘技を経ることで、より長期的展望を持った意見が形成されるようになったといいます。
ただし、このようなやり方は時間がかかり、遅延的報酬についてより強い利害を持つ若者の参加が難しくなります。
第4章では佐藤俊樹からの批判にも応答しています。佐藤によれば、現代の民主主義において公共的 publicと大衆的 popularの区別はできず、現実に存在するのは感情的公共性に過ぎないといいます。また、世論(私的心情)こそが輿論(公的意見)の基盤であり、両者は補完し合うものだというのです。
さらに佐藤は、「とりわけ「戦後民主主義」のなかで、世論にはむしろ過剰な、道徳的意味づけがされてきたように思う。みんなの意見だから正しい、みんなの意見だから優れている ー そうした種類の思い込みである」(127p)と述べていますが、これについても著者はこの指摘に同意しつつ、だからこそ「輿論」の理想型を保持すべきだと考えています。
また、第4章では「報道の自由」の問題にも触れています。
2016年に亡くなったジャーナリストむのたけじは、戦時報道について「検閲官が社に来た記憶はない。軍部におもねる記者は一割に満たなかった。残る九割は自己規制で筆を曲げた」(130p)という回想を残しています。
むのは生前最後のインタビューで「国境なき記者団」による報道の自由度ランキングが世界61位にまで下がったことに対して、「報道機関の踏ん張りどころ」だと答えていますが、先程の回想を頭に入れれば、これは報道機関が自主規制することへの危惧だと言えるでしょう。
日本における「報道の自由」について、著者は「体感自由」度が大きく影響していると考えています。安倍政権のもとで政治家による居丈高な物言いもありましたが、それとともに比較的高かった安倍政権の支持率のもとで、ものが言いにくい雰囲気があったと思われます。
日本の「報道の自由度ランキング」は2003年の小泉純一郎政権のときが44位、2010年の鳩山政権のときが11位、2016年の安倍政権のときが72位と大きく変動しています。確かに民主党政権では記者会見のオープン化などの成果はあったわけですが、実態にここまでジャーナリストを取り巻く環境が変わったとも思えません。
森達也が「放送禁止歌」を通して明らかにしたように、鍵となるのはジャーナリズムの自己規制なのです。
第5章ではコロナ禍の中で書かれた文章が収録されています。
コロナは例外状況だったわけですが、そこではっきりしたのは「メディア報道とはそもそも客観報道ではなく感情報道だったという事実」(161p)だったといいます。
ウォール=ヨルゲンセンはピューリッツァー賞賞受賞記事を分析して、その大半が「感情的な語り」、取材対象の個人や集団の感情を浮かび上がらせるものだったことを明らかにしています。
一方で、客観的な事実、例えば、コロナでの死者はプライバシーへの配慮などから匿名化され、数字としてカウントされていきます。
著者は、個人が特定できないまでも、年齢や性別、既往症の有無などを正確に載せるべきではなかったかと考えています。
第6章の章題は本書の副題にもなっている「ネガティブ・リテラシー」です。
ネガティブ・リテラシーとは見過ごし、やり過ごす能力であり、ウィリアム・ジェームズも「読書術とは(ある程度の教育段階になると)読み飛ばし術であるように、賢明になる術は見過ごすべきものを見極める術である」(170p)と述べています。
2022年に露によるウクライナ侵攻が始まります。ロシアは「ウクライナの非ナチ化」など、荒唐無稽とも思えるさまざまな主張をしており、ロシア初の情報は信用できるものではありませんでした。
ただし、だからといってウクライナ側から発信される情報が正しいとは限りません。ウクライナ側からは大量の動画が発信されましたが、当然ながら、それはウクライナにとって都合の良い動画である可能性があります。
刻々と変化する戦況を正確に捉えるすべはないのです。
こうした情報の氾濫の中、期待されるものの1つが教育かもしれませんが、リップマンは1925年の『幻の公衆』の中ですでに次のように述べています。
教育への月並みな訴えは失望しかもたらさない。現代社会の諸問題は、教師たちが把握し、その実質を子どもたちに伝えるよりも速く現れ、変化するからである。その日の問題をどう解決するか、子どもたちに教えようとしても学校はいつも遅れてしまう。(187p)
現代はさらに情報は増え、伝達速度は上がっています。ますます教育は遅れざるをえません。
そこでネガティブ・リテラシーというわけです。もともとこうした状況に対処するために推奨されたのがメディアリテラシーの向上でしたが、メディアに対する批判的な態度は常に正しく機能するとは限りません。「「マスゴミ」批判もメディアリテラシー教育の意図せざる結果と言えなくもない」(189p)わけです。
そこで、著者は情報を批判的に吟味して真実を求めるのではなく、ときにあいまいな状況に耐え、あいまいな情報をやり過ごす能力が必要だといいます。これがネガティブ・リテラシーなのです。
このように、本書は10年以上の前の時論も含みながら、今でも刺激的な内容になっています。
時間が経ってみると、なぜあんなに盛り上がっていたのかよくわからないようなトピックというのもありますが、本書でとり上げられているのは現在にもつながる話題であり、解決できていない問題です。
時評には鮮度が求められますが、本書に収められた時間が経っても鮮度が落ちない時評を読むことは、まさに著者が要請する「遅さ」を体験するものと言えるかもしれません。
