ヒトラーとナチ・ドイツがある程度の国民の支持を受けて政権を獲得し、その統治は第2次世界対戦が始まって戦況が悪化するまで高い支持を得ていました(もちろん、そこにはからくりもあって、そのからくりは石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書)に詳しい)。
 しかし、すべてのドイツ人がヒトラーの起こした戦争や、ユダヤ人の迫害を支持したかというと、もちろんそうではありません。困難な中にあっても、ナチ政権を倒そうとした人、ユダヤ人を助けようと活動した人々がいます。
 この本は、愛国心や歴史認識の問題を考えさせるとともに、そうした「市民的勇気」を発揮した人々の姿を描きだしています。

 目次は以下のとおり。
第1章 圧倒的に支持されたヒトラー独裁と市民の抵抗戦時体制下の反ナチ運動)
第2章 ホロコーストと反ナチ・ユダヤ人救援ネットワーク
第3章 ヒトラー暗殺計画に関与する抵抗市民たち
第4章 反ナチ抵抗市民の死と“もう一つのドイツ”
第5章 反ナチ市民の戦後

 反ヒトラー・反ナチの運動というと、トム・クルーズ主演の映画『ワルキューレ』でとり上げられたヒトラー暗殺計画の実行者・シュタウフェンベルク大佐を知っている人は多いでしょうし、同じく映画『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最後の日々』の《白バラ》グループを知っている人もいるかもしれません。
 この本では、そうしたある程度知られている反ヒトラー・反ナチ運動だけではなく、反ヒトラー・反ナチの運動に携わった人々をできるだけ網羅的にとり上げようとしています。

 ナチ・ドイツの統治下では、ユダヤ人や国外から略奪されたものがドイツ国民に提供されたために、戦争が長引いても国民のヒトラーへの忠誠心は大きく揺らぎませんでしたし、それはホロコーストへの見て見ぬふりへもつながりました(21ー24p)。
 しかし、ホロコースはやはり異常な事態であり、ユダヤ人を救おうとした人々もいました。ドイツ国内に潜伏したユダヤ人はおよそ1万5千人。彼らのかなりの多くは意外なことに首都のベルリンに潜伏しました。これはベルリンで強制移送が始まったのが他の都市よりも遅かったことと、何よりもベルリンが大都市で匿名で隠れ潜むのに適していたからです(34ー35p)。

 この本の第2章では、そうしたユダヤ人たちを危険を犯して匿った《ローテ・カペレ》、《エミールおじさん》といったグループや教会の活動などが紹介されています。
 また、学生として反ナチ運動を展開した《白バラ》グループも、こうしたグループとの繋がりなどを含めて紹介されています。
 彼らの多くは知識人でしたが、敬虔なキリスト教徒の立場から信念を持って反ナチの運動を行う者もいました。
 第3章でとり上げられる、たった一人でヒトラー暗殺を企てたゲオルグ・エルザーもそうした中の一人です。

 1939年11月8日、ヒトラーが演説を行ったミュンヘンの大規模なビアホール「ビュルガーブロイケラー」で爆発が起こりますが、予定より30分ほど早く演説を切り上げたヒトラーは難を逃れます。予定通りであればここでヒトラーは死んでいたかもしれません。
 この暗殺計画を一人で計画し実行したのが、ゲオルグ・エルザーでした。国民学校を卒業し家具職人などをしていたルザーは、「ドイツ政府は現在の教会つまりキリスト教を廃棄」(107p)しようとしていると考え、戦争に突き進むドイツを止めるにはヒトラー、ゲーリング、ゲッペルスの三人を排除しなければならないとして、単独で計画を練ったのです。
 彼は「ビュルガーブロイケラー」の常連となり、物置に潜んで閉店後、店が施錠されてから早朝まで30から35回ほど作業をして爆弾を縁談の背後の石柱に仕掛けました(110ー111p)。信じられないような意志の強さをもって、ナチを打倒しようとした市民もいるのです。

 一方、国防軍の反ヒトラー派は1938年のヒトラーのズデーテン地方の割譲要求のときに、このままでは戦争になるとクーデター計画を練りますが、結局、戦争が回避されたことによって計画はたち消えになってしまいます。
 政治への介入はしないという伝統と、ヒトラーが軍にとって宿願の再軍備を実現させたということから、軍は反ナチでまとまることはなかったのです。

 しかし、独ソ戦がはじまり戦争の行方が不透明になると軍の中からも反ナチの動きが出てきます。
 北アフリカ戦線で右手首上部と左手の小指と薬指、そして左目を失ったシュタウフェンベルクは、不屈の精神力で軍務に復帰すると、一般軍務局参謀長に就任し、クーデター計画を練り始めます。
 これには、以前から反ナチの活動を行っていた、モルトケ(プロイセンの参謀総長だった大モルトケの一族の末裔)の《クライザウ・サークル》も加わり、ヒトラー亡き後のドイツのビジョンなども討議されました。

 失敗に終わった計画(7月20日事件)を知っている立場からすると、暫定政府や新生ドイツのビジョンなどを話し合うよりも、とりあえずヒトラー暗殺にすべてをかけるべきではなかったか、とも思いますが、この本を読むと、「第一次世界大戦においてドイツは国内の反乱によって敗北した」という認識がトラウマのように残っていたことがわかります。
 彼らは、自分たちのクーデターによってドイツが戦争に負ける(秩序だった降伏ができなくなる)ということをなんとしても避けたかったのです。

 この本では、さらに7月20日事件が失敗に終わって以降の《クライザウ・サークル》のメンバーの運命や、残された家族の運命といったものも追っています。
 さらに戦後、反ナチ運動が再評価されるまでにいかに時間がかかったかということもだ第5章で詳述されており、非常に興味深いです。
 反ナチ運動には、「裏切り」のイメージがつきまとい、また、かなりの数のナチ党員が司法の場などに残ったこともあって、反ナチが表立って評価されるにはかなりの時間がかかったのです。
 この本には1951年6月から52年12月に行われた全国世論調査を紹介していますが、その中に7月20日事件について聞いた質問の中に「戦時下に抵抗すべきであったか、戦後まで待つべきであったか」という設問があります。これに対する答えは「抵抗すべきである」20%、「待つべきである」34%、「どちらにせよ抵抗すべきでない」15%、「わからない」31%で、多数は「待つべきである」となっています(229p)。
 この本は、そうした「共同体を裏切る行為」の難しさと、それにもかかわらず行動した人々の勇気を教えてくれる本になっています。

ヒトラーに抵抗した人々 - 反ナチ市民の勇気とは何か (中公新書)
對馬 達雄
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