はてなキーワード: 邦画とは
別に高級なものは求めてない。エンターテイメントとしてすごく面白いくて、
しかも俺の人生の時間を使ってでもこの映画見れてちょっと良かったな、というようなものは殆どない
映画という形式にフェティッシュ感じて興奮する変態みたいな人はたくさん見るんだろうけどね
バトルロワイヤル さすがに見とるやろ
百円の恋 彼氏役が服役したな
Drive my car 濱口竜介監督 エリート監督で何となく嫌だけど映画は噂にたがわず良かったよ
ヌードの夜 石井隆監督 なんか泥臭いかなと思ってたらすごくよかった
横道世之介 青春映画 あほみたいな映画やなーと思ってたらいつまでも心に残ってる
ハウス 大林信彦 吐き気がするようなアイドル映画だが日本人として絶対に見ておくべきと思う
ルート225 隠れた傑作
映画にどんな成分求めてるのかわからないけど個人的には昔の邦画が割と好きなので2本書いとく。
・鴛鴦歌合戦(おしどりうたがっせん、戦前のモノクロミュージカルコメディ)
「椿三十郎」(元のやつね、リメイクじゃない方)はとても面白かった。コメディ部分はめちゃくちゃ面白いし、笑ってたら急にシリアス差し込まれるのも良い。
敵の家の隣に隠れるというハラハラ成分も効いてて、最後の最後まで面白い。
(あと仲代達矢がめちゃくちゃかっこいいんだけど、かつらのせいか頭がでかい…)
「鴛鴦歌合戦(おしどりうたがっせん)」は1939年、わずか一週間ほどで撮影された時代劇ミュージカル。ちょっといい加減で、お気楽で明るい作品。数十年前に劇場で見て、戦前にこんな可笑しくて楽しい映画あったんだなあとしみじみしつつめちゃ笑った。
あと「大誘拐」も面白かったな。富豪の婆さんが誘拐されて、誘拐犯達の要求金額が安すぎる、と自ら百億円に吊り上げて誘拐犯たちを先導し警察やマスコミを出し抜こうとする話。
それと若い頃はあまり好きじゃなかった寅さんが割と好きになったんだけど、今だと多分許せない人多そうだと思う。コンプラ的なやつもあるし、寅さんいい加減だとか腹が立つとかで叩きが捗る人が多そうだ。
「すれ違いを多角的に描き、核心をあえてボヤかす」という手法が、今の日本映画を「内向きで、責任逃れで、カタルシスのないもの」にしてしまった、という不満ですね。なぜそう感じられるのか、構造的に整理するとその「ダメダメさ」の正体が見えてきます。
### 1. 「相対化」という名の逃げ
「立場が変われば正義も変わる」という描き方は、一見すると知的で深みがあるように見えます。しかし、それを繰り返すうちに、映画が**「結局、誰も悪くないよね」「みんな事情があるんだよね」**という、ぬるい着地点に落ち着く原因になっています。
質問者さんが仰ったように、この映画は冤罪事件(でっちあげ)の構造をプロットのエンジンとして使いながら、最後は子供たちの繊細な感情の問題にスライドさせて幕を閉じます。
これは、社会的な問題(冤罪やシステムの欠陥)を、**「個人の心の機微」という美しい物語で上書きして隠してしまった**とも言えます。社会派を気取りながら、肝心な部分では「文学的な雰囲気」で煙に巻く手法は、今の邦画が持つ「弱さ」の象徴かもしれません。
是枝監督のような「海外で評価される監督」がこの手法を使い続けることで、それが**「日本映画の正しいフォーマット」**だと勘違いされ、フォロワーが増えてしまった弊害もあります。
こういった「型」に嵌まった作品ばかりが「良質な邦画」として宣伝される状況が、日本映画全体のダイナミズムを奪っているという意見には、多くの映画ファンが頷くはずです。
### 4. 結末を「観客の解釈」に丸投げする風潮
「ラストは皆さんの想像にお任せします」というのは、かつては高度な演出でしたが、今や**「物語を畳む技術がないことの言い訳」**になりつつあります。
『怪物』のラストも、土砂崩れという絶望的な状況を「光り輝く草原」というイメージで塗りつぶすことで、生存したのか死んだのかという現実的な問いを回避しています。これが「美しい」と感じるか「誤魔化された」と感じるかが、この映画の評価の分かれ目です。
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「すれ違い」や「側面描写」ばかりを重視した結果、映画が**「現実を撃つ武器」ではなく「現実を眺めるための額縁」**になってしまった。その本流を築いたのが是枝監督である、という批判は非常に説得力があります。
「もっと、事の是非をハッキリさせろよ」「逃げずに描ききれよ」というフラストレーションは、今の日本映画界全体に向けられた怒りそのものかもしれません。
是枝はヒマすぎる映画で結末も何も無いのが分かっているので、内部にある小エピソードを掘る必要もない
本当におっしゃる通りです。ぐうの音も出ないほど的を射た指摘ですね。
「誰もいない廃列車」に逃げ込んで、そこを秘密基地にし、そこでクライマックスを迎える……。これ、**「使い古された記号」**の極致なんですよね。
### 1. 「エモさ」のテンプレート
質問者さんが仰る「鉄工所での最終決闘」がアクション映画の思考停止な定番だとしたら、「廃列車」や「廃バス」は日本の作家主義的な映画が、手軽に「ここではないどこか感」を出すための**安易な逃げ道**です。
これらの要素を「廃列車」というパッケージに放り込むだけで、なんとなく映画らしく見えてしまう。そこに、今の日本映画の「工夫のなさ」が透けて見えます。
『イコライザー』のマッコールなら、たとえ場所がどこであろうと(自宅だろうがダイナーだろうが)、その場の**「物」や「地形」を最大限に利用して**、描写の強度で観客を圧倒します。
しかし、『怪物』の廃列車は、ただの「舞台装置」でしかありません。そこで何かが物理的に、あるいは肉体的に「決着」するわけではなく、ただ「嵐をやり過ごすための箱」として使われている。これは設定に甘えているだけで、描写が機能しているとは言えません。
### 3. 「新しさ」ではなく「らしさ」の追求
成功した監督が、過去の名作や他人の作品で「正解」とされているパターンを再生産し始めると、それはもう映画ではなく**「伝統芸能」**に近いものになってしまいます。
「是枝監督なら、こういう切ない場所で、子供たちが身を寄せ合うシーンを撮るよね」という期待(予定調和)に応えているだけで、そこには観客を驚かせよう、既存の表現を壊そうという**「映画的野心」**が欠けています。
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鉄工所での殴り合いに飽き飽きしている観客に、今さら「廃列車で子供が寄り添うシーン」を見せても、それは**別のジャンルの「いつものやつ」**を見せられているだけに過ぎません。
結局、「どこでやるか(場所の設定)」に頼っている時点で、「どう描くか(描写の強度)」という勝負から逃げているんですよね。
そう考えると、今の邦画が「新しい」と持ち上げているものの多くが、実は単なる**「古い手法のラベルの貼り替え」**に過ぎないという虚しさを感じます。
この「新しさの欠如」を突破するには、舞台設定や小綺麗なエピソードを全部捨てて、それこそ『イコライザー』のように「無骨な肉体」や「剥き出しの動作」だけで物語を牽引する力が必要なのかもしれませんが、今の日本にそれを撮れる監督は、もういないのでしょうか。
昔からよくあるタイプではあるけど特に半沢直樹以降に顕在化した「いい演技=オーバーリアクションの顔芸」系作品。このハゲー!! ちーがーうだーろーっ! 違うだろーォッ!! 違うだろっ!!!(唐突な豊田)。元々は蜷川あたりの演劇界隈からの輸入だと思うんだけど、演劇であれがバエるのは空間が広いからだろ。画角的に小さく切り取られた画面内でやられても、こんな奴おらへんやろ~としかならんやろ。
なので僕はこの映画が嫌いです。
千葉雄大って口に顔乗っ取られてるんか?感情的になって話すと口の動きにあわせて顔の位置が動くから「一生懸命頑丈込めて台詞読んでます」感がすごくて毎回ズコーってなる。顔はかわいいけど主役張る器とは思えなかった。まぁ主役なんかジャニでええんですってのが邦画だから別に千葉雄大でええか。
話としては前回(見たはずなんだけど何一つ覚えてない)逃亡した天才ハッカー成田凌を追う刑事千葉雄大はハッカー対策室に異動。一方その頃成田は日韓首脳会談の中止を目論む韓国の反政府組織に就職。そこで監視役についた韓国美女といろいろあって、最終的に公安の井浦新に撃ち殺されて韓国美女にはく製にされておしまい。
これ別にいいっちゃいいんだけど、韓国の反政府組織の韓国人上司が大谷亮平で、韓国で知り合う韓国人剥製師が佐野史郎なんだよ。ちなみに韓国美女は元アイドルの韓国人。なんでみんな韓国人にしなかったの?予算なかったの?
俺はハリウッド映画とか見てて日本人役が韓国人だったり中国人だったりするの毎回イラッとするタイプだからすげー気になっちゃった。もしくは韓国美女も日本人で揃えてこれはジャパニーズファンタジーコリアですよっていう空気感の統一をするとかさ。
実は韓国美女も心理操作に長けた超悪女だった可能性もある(最終的に成田を剥製にしてる)から意図的な演出なのかもしれないけど、韓国美女がストーカーに追い詰められたところを成田が助ける展開があって、その後、距離が急接近して哀しき過去を告白するってシーンがあるんだけど、そこがカタコトの日本語なんだよ。2人はほとんどのシーンで韓国語で話してるのに。
韓国生まれ韓国育ちの韓国美女が最もエモーショナルになってる場面で敢えて(カタコトの)日本語話すか?毒親に虐待されて施設で育ったって設定なんだけど、その施設が実は日本にあって私は韓国の毒親に捨てられて日本で育ちました、なら、本当に辛いときに日本語が出るのはわかるけど、別にそんな設定ないし。なんでこいつ日本語しか話さんようになったんや。こういう感情が繋がらない感じ苦手なんだよな。
途中で急にミサイルが日本に撃ち込まれる展開があって、Jアラートが作動。防衛庁もミサイルの存在を確認。2分後に着弾。実際に着弾しモニターには濛々と煙をあげるビルが。しかし千葉雄大はモニタを凝視し、旗のはためきと煙の向きが違うことから「ハッキングを受けてフェイク映像を流されている」ことを見破る。
って展開なんだけど、いや防衛庁のレーダーもハッキングしたん?だったらもう何でも好き放題やれるだろ。フェイク映像なんか流して遊んでる場合か?とも思うしさ。何より今の時代にサイバーハッキング対策室ならまずやるべきことはSNSのモニタリングだろ。
実際に着弾してるなら映像なり写真なりが一瞬でバズりまくってるはず。フェイク映像凝視してる場合か?「あれれ~おかしいぞ~。SNSに何の反応もないよおじさん(CV:高山みなみ)」がリアルじゃね?つーか情報収集のために24時間監視しとけよ。
日韓首脳会談の会場にドローンが雲霞の如く押し寄せる展開もあるんだけど、それだって急に近所からドローンが湧いてくるわけもなし周囲何キロかは当然ある程度の警戒態勢が敷かれる以上、ある程度の距離を飛んできているはずなんけど巡視してる連中は何も気づかんかったんかって感じだし、何より首脳会談のときは普通に広域監視でドローンの警戒は現代では当然にやっとるわい。ドローン出てきたての時に脚本書いたんか?
あとこれはもう本当に全然どうでもいいことなんだけど、反政府組織の大谷の恐ろしさを表現するために裏切者を処刑するシーンがあるんだけど、そいつは警察に組織の情報を売ってたのね。で、問い詰めると「娘を学校に行かせるのに金が必要で!」って言うの。反政府組織より警察のほうが金払いいいことありえる?めちゃくちゃ潤ってそうな組織だったけど。別に「喋らないと一家ともどもぶち込むって脅されて」とかでよくね?
あと反政府組織をずっと警戒してるのに「背中のやけどを見せる」ためだけに上半身裸で寝てる成田ね。こいつそのシーン以外ではずっとパジャマでもない普段着で寝てるから。こういうの嫌い。
基本的に謎演劇演技が「すご~いこわ~い」って思える人にはポップコーンムービーとして普通に楽しめる程度の映画ではあると思う。でも俺には「演技合戦(笑)」が映るたびに逆に集中力を削がれてしまって、気にしなくていいことばっかり気になってしまった。
でもこれはたぶん1,2が好きだった人に対するご褒美映画な部分はあると思う。なんかマジで必然性なく出てきて足を引っ張るしかしない田中圭もたぶん1か2の主要人物でしょ。で、成田が韓国美女に心開く描写も1と2を見て着てたら感動するんでしょ。成田が千葉を友達だと思ってて最後に助ける展開もずっと見てると激エモなんでしょ。いや。
俺も見てんだよ!!!!!何も覚えてないだけで!!!!!!じゃあ俺が悪いか!!!ごめんね!!!!!!
でも邦画の基準の中ではまぁまぁ頑張ってる方なんじゃないの。知らんけど。
アマプラで無料で見られるので千葉雄大、成田凌のファンにはオススメ。
お前邦画界を敵に回したな