はてなキーワード: 辟易とは
分割山手線一周散歩2日目。大崎-上野。休憩込みで5時間ぐらい。
高輪ゲートウェイでトイレを探して彷徨う。駅は綺麗で大きい。観光客っぽい爺婆をよく見た印象。
浜松町あたりで早くも足が痛くなってくる。たぶんマメができた。中1日じゃ全然疲労抜けてない。
新橋でトイレにしんばしビルに入る。ビル内のあまりの昭和っぽさに感動する。レトロな雰囲気がとても良い。
有楽町でちょっとだけ休憩。食事にしようかなと思ったが混んでてあきらめる。
線路沿に東京へ。大手町タワーに入って食事にしようかと思うも場違い感を感じてすごすご退散する。
秋葉原まで歩く。観光客の多さに辟易とする。ヨドバシに寄ってここで食事。
御徒町から上野はアメ横を抜ける。ここはいつ行っても人が多い。嫌い。
上野で退散。品川から上野間はあんまり面白さはなかったかも。線路沿を歩けるけど飲み屋ばっかだし、工事中も多い。
次はもうちょっと日を空ける。
なるほどよくわかった。
するとあれか、よくある「もちろん暴力は許されないけど」という断り書きが最初にあれば、まあ許されるって感じかな?
しかしまあ、「その手の断り書きを頭に付けとけばなんでも許されるのか!」みたいな批判もよく聞かれるし、私なんかはむしろその定型句と、それの免罪符的な扱いに辟易してるくらいではある。
左右の対立でよく聞かれる、「もちろん我々右翼だって戦争反対なのは当たり前だ、そんなことさえいちいち書かんとわからんのか」みたいな話にも通じるよね…。イスラエル界隈でガザ侵攻を批判する時に必ず「もちろん10月7日の暴挙は許されないけど」と頭に付けとかなきゃいけないみたいな風潮とかもそうだった。
それはそうで、断り書きはあるに越したことはないと思うけど、ブコメの100文字制限の中にもそれを求めるのは、酷じゃないか?酷でもないか?直前の別の記事へのブコメとかで表明してあったりすれば許されない?それもだめ?だめかあ。
必ず、かの邪智暴虐の輩に物申すと決意した。
というわけで、ですね
竹田君
子宮摘出手術での注意過誤
これらの話題を通してここ1,2週間くらいずっとTwitterで医者と弁護士界隈が大喧嘩していますね
お互いに罵倒のようなものから冷静に意見を言おうとするものから色々と
まぁみててしんどい
しんどいし、思うこともあるのでいろいろ言いたい、というか自分のTwitterアカウントでも少し言及はしましたが
私のアカウントはあくまでもプライベートやゲームについてつぶやく用であり、長々とご高説を垂れるためのものではなく、
とはいえこのまま飲み込むには腹の虫がおさまらないと感じたので好き勝手書き散らかせるこの場をお借りしようと思った次第でございます。
自身の感情の吐き出し先として思うことを言うだけなので一部話が飛んだりまとまっていない場合があります。
メロスに少し代弁してもらいましたが、私自身はただの一般人で、法律家でもなければ医者でもないです。
つまりただのド素人です。ついでにいえば院卒のわりに鬱で倒れてキャリアをダメにしたので30手前にしてはまだ社会にでたてで金も彼女も資格もない弱者男性です。
ここに記載することがすべて正しいという意味ではなく、素人から見て今彼らがしている議論…のようなものを見て思ったことを書きます。
ここまでご理解いただいたうえで続きを読んでいければと思います。
簡単な時系順に起きたこと、思ったことをまとめていきます(当初はこんなに延焼すると思ってなかったので正確には覚えてないですし調べる気もないです)
この大喧嘩が始まったきっかけは間違いなく、裁判官マップがきっかけにあると思います。
大まかな理解としては、いわゆる口コミによる評価は直接的な評価にはつながらないので何書かれてても問題ない
という判決に基づいて、それなら裁判官も口コミによる批評にさらされても問題ないよな!と開設されたサイトであると理解しています。
このサイトについて、弁護士の方たちがTwitterでやりすぎでは?こんなことしてどうするの?と、裁判官を擁護するツイートがきっかけでしょう。
これに対し、多くの医者の方たちが、俺たちは昔からこんなかんじの理不尽な批評にさらされているのだからお前らも当然耐えられるよなぁ!と反駁することで開戦の火蓋が切られました。
そもそもの背景として、長らく医療は司法の下すトンデモ判決により、善良な医者が訴訟にまけ、莫大な慰謝料を払わされたり、職を辞さなければならないという状況にあり、
医療裁判で負けないために多くの対策をしてきてみたものの、どれも正当に効力があるわけではなく、その結果として不必要で過剰なまでの検査検査検査で現場が疲弊していました。
同意書を書かせてもダメ、患者の意向に沿ってもダメ、きちんと説明しても理解できてなかったらダメ。
これは介護業界にも近しいものがありますね。夜間に認知症で徘徊して一人でこけて骨折したらなぜか施設が訴えられ、しょうがないから出れないように拘束すれば人権侵害だと訴えられる。
そして司法側に、じゃぁ具体的にどうすればいいのだと聞いても具体的な基準は返ってきません。個々のケースに拠ると。
このようなダブルバインドで司法は医療に対して長年圧力をかけていました。実際、これは私が小学生中学生の頃にすでに問題視されており、子供心ながらにおかしくないか?
と思っていたのでもう10年20年はこのような状況だったと思います。
このような司法からの圧力は当然ながら裁判官側にはありません。それなのに少し批評の嵐にさらされるだけでやめてくれと訴えてくるのは軟弱すぎるだろう
それからは弁護士によるよくわからない擁護が続いてましたね、このような批評にさらされると判決に影響が出るかもしれないなんて意見が出てて笑ってしまった記憶があります。
そもそもどうして裁判官を擁護するのが弁護士だったのかが理解に苦しみますがこの辺りはあれですかね?
裁判官が攻撃される=司法崩壊の危機!みたいな感じだったんですかね?そもそも既にちゃんと機能してるか怪しくありません?
まるで自分たちが攻撃されているかのように擁護している方が散見されて不思議に思いました。
このころは特に医者からの医療への強い主張はなく、ただ司法にその批判にもさらされず責任も取らなくていい特権階級から降りてこいという趣旨しかなかったと思います。
せん妄事件で裁判官が冤罪を産み出し、お子さんを間接的に殺害した責任をとっていないという記憶が新しい中、自分たちだけが昔から一方的に結果に対して責任を取らされていたことへの皮肉でしょう。
長くなりましたが、この頃はまだ自分も考えがまとまってなくてただひたすらに論点のぼけた主張をする弁護士達が多くてこんなんで本業は大丈夫なのか?と心配してました。
ただまぁ同時に負けそうな議論はひたすら論点をずらす、ぼかすで曖昧にすることで負けないようにするというのもひとつの手法なのかなとかも思ったりしました。
ここから1週間くらいすると、裁判官マップの是非ではなく何故司法は医療裁判でトンデモ判決をだして責任をとらないのか という議題にシフトしていき、
完全な医療ミスなどほとんどないのに有罪をだす司法は何様のつもりだもう少しまともになれゴミ
という医療と、
医者の言う過失と私たちの過失は意味が違うのに誤解する医者が悪いに決まってるだろ
という司法による罵りあいになり、そんな中、子宮摘出手術時のミスで1600万円の支払いを命じられた事件と
小児心臓外科医が手術した先天性の疾患をもつ子が術後なくなってしまったことに対する訴訟が発生してもう大変なことに
小児の心臓外科医なんて神に訴訟してやってくれなくなったらどうするんだ!という医療サイドと
属性だけで訴訟するなとはどういうことだ!特権階級をよこせというのか!?という司法サイドで現在絶賛大バトル中。という感じでしょうか
この辺りから弁護士のツイートをいくつか見てて思ったことをつらつらと書かせてもらいます。
医者側もそれは無茶だろって思ったりすることはありますが概ね彼らの言ってることはわからんでもないって感じだったので
全体的な話でもあり、前述した話でもありますがまずどうにも弁護士先生方の論点がずれていることの多いこと多いこと
そのずれた話に医者も反論するのでどんどん話が意味不明な方向にとっちらかって
私の頭の中より話がとっ散らかってるんじゃなかろうか
医師と弁護士で大きく認識が食い違っていると思えることが3つあって
・特異的な例外的な状況だったことが明らかなとき、どこまで適切に罪状を減らす(増やす)かを議論する
というものです。これなら自身に落ち度がないなら安心して裁判をうけれると思うんですよね
あなた方が全力でやっている、依頼人の利益を最大化するために理屈をこねくり回して現実的ではない解釈を作り出すということは求められていません。
あまりにも弁護というのは依頼人の主張を無理筋でも通そうとすること というツイートが多くてびっくりしました。
それは事実ではなく、事実もとに展開した私たちの弁論(ストーリー)を元に判断しろということで、あまりにも事実を蔑ろにしていて傲慢だなと感じました。
そもそも被告原告が引き起こした事実ではなくお互いの弁護人や検察が生み出した物語で勝負するのであればその判決結果は物語を産み出した弁護人や検察に責任が帰属しそうなものです
これは雑談ですが法学部って一般教養で実験実習とかやらないんでしたっけ?
実験レポートの解析で主観マシマシお気持ち満載のレポート書いたら怒られません?
お気持ちを重視するならそれは法治国家ではなく情治国家と名乗った方がいい。
裁判官への批評一つで判決が変わるかもしれないらしいし、もうそうなっているのかもしれない
手術というのはガチャです。
それは執刀医がとかミスるかどうかとかではなく、手術後無事に回復できるか自体がガチャであるということです。
ガチャの内容は快復だったり合併症を引き起こすなどなどいろいろあると思いますが医者が手術をすることそのもの
を通して単発でガチャを引け、その結果に応じた状態を患者は入手できると。
患者の状態や手術の難易度に応じて中身の確率は変わりますが、所謂SSR確定券というのは存在しません
なので確実に手術が成功して快復するという保証はできないんですよね
この状態でのミスというのは別のガチャを引くとか、ガチャ結果を別の人に渡すとか意図的にガチャの内容を変えるとか
そういうのをミスというのであってガチャの結果が悪かったから訴えるというのは筋が通らないというのはおわかりいただけるでしょうか。
もっというなら、成功率が低いガチャなんて引きたくないのですよ。
でも引けるのは自分たちしかいないし、引かなかったら死んでしまう。
だから人助けのつもりで引くのも大変なガチャを回す。しかし結果が悪ければ訴訟される。
裁判官も弁護士も裁判結果が出た後にくじを引いて当たりだったら裁判結果と同等の罰を受ける
あまりにも法の下に活動している私たちが正義で医者はおろかである。
弁護士というのは基本的に弱者の味方として巨悪である権力のあるものに立ち向かうもの
というように扱われていますが別に弱者が常に正しいわけじゃないですよね?
スポーツの試合で負けるのは勝った側が違反してるからだ とか思っているのでしょうか
正々堂々戦ったのにズルしてる!といわれて不快にならない人がいるのでしょうか
長くなりましたがようするにですね、
弱者の代弁者として噛みつくのは大切です。がそれは相手に何も落ち度がなかった場合、
ただひたすらに現場の足を引っ張っているだけ。という事実は認識されていらっしゃりますでしょうか
別にやるなとはいいませんが膨大な時間を奪われることやそもそもの社会的な信頼を失うことによる損失は保証されているようには思いません
これはシンプルに疑問なのですが、例えば手術が間に合わなくて病状が悪化したとき、執刀医あるいは担当科が医療訴訟を抱えており、
そのせいで全体の手術の件数が減っていた場合はその医療訴訟してる患者と弁護士は責任とってくれるんですかね?
あるいは医療訴訟が原因で近くに手術できる病院がなくなっていた場合、遡ってでもその医療訴訟起こした人を訴えられるんですかね
別に責任とってくれとまでは思わないですがそのあたりの影響考えずにできるのは無責任でお気楽ですねとは思ってしまいます。
個人の利益を重視しすぎた結果社会が回らなくなることを本末転倒というのではないでしょうか
あと気になったのは裁判沙汰になっているということに対する社会的な影響に対して少し無自覚過ぎませんか?
小児心臓外科医が訴えられた件、まだ報道が出ただけで何もしてないのにかばいだてするな
という意見が数多く出ているように見えましたし、実際事実だけならそうなのでしょうけど
それなら原告の弁護士だってすぐに名前と所属と声明を出すべきじゃないですかねぇ?
そもそも小児の心臓なんてからあげ1個分とかのサイズなんじゃないの???
数ミリどころか0.数ミリで結果変わる世界だろ!そんな世界の過失ってなんだ
書類作ってる際のタイプミスや裁判中一瞬でもつっかえたらもう弁護過誤として扱うならまぁしょうがないかってなるけど
とにかく、詳しい声明が最初の報道時にあればそれだけでも話変わるよねぇ?
ここから決着がつくまで、あの病院で心臓手術を受けること自体にリスクが発生します
小児の心臓病なんて決着がつくまで手術を延期できるわけもないでしょうに
そもそも新任の医者がきてくれるかもわかりません。今いる医者も異動してしまうかもしれません
患者が生きてるならね
移民問題、ハンターの猟銃、せん妄事件、ループやら自転車の問題等々
直近の話だけでもこんなに滅茶苦茶やってるのに司法が絶対的に正しいと思えるのは何故なんでしょうか
司法がきちんと機能していない状況で疑問を持たれるのは当然であり、それに対して法がルールなのだから従えと盲目的に高圧的にでれるのは面白いなと思っています
もっと面白かったのが法律が悪いというなら医師会から立法に働きかけてみては?という提案
なんで?弁護士だって司法関係者でしょ?法律の専門家なのに法律について改良するための動きは何一つできないの?
医者って法律に関しては素人のはずなんだけど素人に手伝ってもらわないとアクション起こせないならもう少し医者側に理解を示しなさいよ
そもそもただでさえ多忙な医者にさらに仕事を悪気無く押し付けようとするの、人の心がなさすぎる
弁護士としての仕事の後に夜勤ボランティアでもしてくれるのでしょうか
馬鹿の一つ覚えみたいに医者の考え方がおかしいっていう前に自分たちの信奉する法が現実に即しているかくらい考えられないものですかね
ルールに則ってるだけで悪くないというのなら歴史上のの悪法について学んでみてはいかがでしょうか
制定されている法が完璧である保証はどこにあるのでしょうか。ついでに裁判官の公平性はどのように担保しているのでしょうか
一般人からしたらむしろ司法の方が自分たちだけの言葉の使い方で一般人を締め出してそのルールの中で良し悪しを決めているように見えますし、それってまさしく貴族政治の振舞では?と思ってしまう
こんな感じでTwitterで暴れまわってる司法関係者たちが自分たちの特権に無自覚的なまま医者をボコボコに好き勝手叩いているのは見ていて気持ちが良いものではないですよねってフラストレーションがすごかったよってお話
あ、忘れてほしくないのですが、これだけボロクソに言っていますがちゃんとしている弁護士の先生方がいるのは認識しています。
ただシンプルに彼らって死ぬほど忙しくて連絡してもド深夜だったり翌日にやっと連絡が返ってくる感じなので当然Twitterなんてしてる暇ないのですよね
なのでTwitterにしょっちゅう流れてくる人のレベルは推して知るべしという話ではあるのですが
あまりにも目に余るので何か言ってやらないと気が済まなかったというか...
今回の一連の話を通じて、日本には客観的事実に即した司法判断を下す場所が存在しないというのがよくわかりまして、正直若干絶望しています。
電車3、4駅ぐらいで東京都に入ってしまうぐらいには東京に近い所に住んでいるので、実質都民とそんな変わらない交通網で生きているとは思うが、しかし同時に明確に東京人ではない。
Xでしばしば見かける「東京の人は田舎まで遠征に来ないからクソ」「田舎は面白くないのに何を言ってるんだ」という論争を、
どちら寄りかといえばそりゃ東京人寄りだろうけど、でも微妙にどちらでもないような奇妙な立場から眺めていた。
ある日、Xでふとこんなつぶやきを見かけた。
「自分は埼玉県民だけど、東京の人に埼玉に来て欲しいと思った事は無い」
これだ。たしかに。
言われてみればない。全く。考えたこともない。
その時、多分この問題には、来る側の『損をした』という感情の有無が大きく関わっているのだと気が付いた。
埼玉県民は東京に行ったところで、別に損をした気分にはならない。
まず近場である為コストが低いというのはもちろんのこと、ちょっと楽しい所に羽を伸ばしたというあくまでも楽しい気分で帰ってこれる気がする。
とはいえこれは低コストだから済んでること。地方の人から見たら何万もの投資になるのだから、重なると辟易するのは分かる。
でも、同時に、根っからの東京の人間を動かすのは結構難しいと思う。
とにかく東京というところは、一生かけても遊びきれないほどの娯楽で溢れている。
別に田舎に面白い所が全くない訳ではないと思うが、数百円の交通費で無限に娯楽が手に入る場所で、何万もかけて他所に行くなら、単純計算で東京より何十倍も楽しく充実している場所でなくてはならない。
「じゃあ、数百円で行ける場所の数十倍、数百倍の楽しさを提供してくれんの?」と言う話だと勝てなくなるのだ。
そうなると、希少なものを見に行ったり、大事な人に会いに行ったり、推しを追いかけたりするような「プライスレス」にカテゴライズされた時だけだ。
中途半端な決心だと無理だ。それなら交通費数百円で行けるテーマパークみたいな商業施設や、何かの展示会みたいな所に行く方がコスパがよろしい。そして基本そのネタは延々と補充され続けて途切れる事がないのだから。
東京の近くに住んでいるからこそ「そりゃそうだろうな」と納得してしまうのだ。
ちょっと美味しい食べ物がある、ちょっと綺麗な景色がある、こんなのは彼らから見たらあまりにもカードが弱すぎる。
それが分かっている。
まあ、もし来てくれたら嬉しいけどね。
小学館のマンガワンが性加害判決が認定された漫画家の起用、編集部の隠蔽疑惑が大炎上している。
美術教育の世界って、かなり閉じた価値観で評価の基準も点数化されるものではないからこそ
美大生の7割ほどは女子らしい。対して教授、指導陣の8割は男性だという。
私が受験した美術科がある高校も7割が女子生徒だった。そして、学科長は女子生徒に手を出していると受験生にまで噂になっていた。
私が通っていた画塾の先生は、生徒に手を出す教師を軽蔑するとしきりに言っていたが、
先生に勉強になるから食事に行ってきなさいと紹介された画家に個室で襲われそうになった。
先生と画家は友人で、20歳ほど年が離れた私を"交際"目的で差し出したようだった。先生が彼は年下好きだからと言っていた。
私は若く、世間知らずで、ASDだったから、額面通り受け取ってしまった。食事とは、食事という意味だと思ってしまった。勉強になる話が聞けると期待してしまった。意図を汲み取れなかった自分が馬鹿だったと悔やんだ。
先生はよく、当時交際経験のなかった私に恋愛しないといい絵は描けないよと話していた。
幸い、今は周りに恵まれて不自由なく活動ができてるが、先日年上の男性アーティストにコレクターから枕の誘いとかないの?と聞かれて辟易した。あってたまるか。
最近、MacBook Neoの8GBメモリ固定が話題で、はてブで「8GB足りないって言う奴はMac使ったことない確定」みたいな煽りが飛び交ってる。Apple信者さんたち、Windowsユーザーを「メモリ感覚古い」「ユニファイドメモリ知らんのか」って馬鹿にするの、ほんと辟易するわ。俺はiPhoneとiPad Air使ってるけど、Apple製品自体は好き。でも信者の上から目線は我慢ならん。
事実を整理しよう。MacのユニファイドメモリはCPU/GPU共有で効率的。ライトユース(ブラウジング、Office、軽編集)なら8GBでWindowsの16GB相当の体感。ベンチマークでも証明済み。MacBook NeoはA18 Proチップでファンレス、価格10万円切りでカジュアル向け。重作業なら上位モデル選べばいい。
でも信者の「Macはメモリ少なくても神」理論、最近のニュースで崩壊じゃね? Mac StudioのM3 Ultra、元々最大512GB unified memoryでAI大型モデル(600億パラメータ超)ローカル処理可能ってApple宣伝してたのに、世界的なDRAM不足で512GBオプションこっそり削除。今最大256GBで、アップグレード価格+12万円値上がり、出荷5月以降。MacRumorsや9to5Mac報じてる事実だ。
これどうよ? 「効率いいから少ないメモリOK」なら、なんで512GB用意したんだ? Windows PCの似たAIタスクは96~256GBで済むのに、Macの効率神話で半分以下のはずが、Apple自身が512GB必要認めてた証拠。それを諦めて価格上げてるんだぜ。DRAM枯渇でハイエンド切り捨て、信者たちはまだWindows叩き?
WindowsはRAM柔軟増設可能、選択肢広い。Appleの囲い込みに盲信して視野狭窄な信者こそ、Appleのイメージ下げてるわ。Macの8GBで十分な人もいるけど、重プロは上位選ぶ。DRAM不足ニュース見て、まだ「Mac使ったことない乙」煽るの?