はてなキーワード: 病死とは
少なくとも日本国憲法に述べられている「戦争」は、「国権の発動」だったり、「国際紛争を解決する手段としては」だったりで、
つまり、国内における革命はそれに含まれていないと思うんだけど。だけど何故かそれすらも一緒くたにして語られる事が多いんだなーと、フランス革命についての言及を思った。
に成り下がっているように思えてならない。
何と言っても、ママ戦争止めてくるわなんて差別的な言葉を何の疑問も持たずに錦の御旗として掲げてしまうのだから。
とにかく戦争反対、暴力反対という単純な感覚でもって語られる違和感。
少なくとも刑法には正当防衛や緊急避難という明文の例外がある。あらゆる暴力が常に否定されているという訳ではない。
仮にそういった法定の違法性阻却事由に当たらないとしても、心情的には擁護してしまうような状況だってあるんじゃないのか。
長年非暴力的な権力行使の下で搾取され苛まれてきた人間が、ある日怒って手が出てしまったとして、それは果たして絶対悪として責められるべきなんだろうか。
戦争反対、暴力反対ってのは理屈としては正しいとしても、それだけ主張するのはあまりに血の通わない冷酷な理屈に思える。
戦争がなくても人は死ぬよ。たとえ死ななくても地獄の苦しみを味わう事はあるよ。餓死や病死に追いやるのはよくてもギロチンで首を切るのは駄目だと考える人達は、現実に対する配慮が足りないように思えてならない。
実に興味深くない。28点。
とある閑静な寂れた田舎町で有村架純の父親が殺される事件が発生。被害者の弟であり元世界を席巻した天才マジシャンの福山雅治がやってきて現場をかき回しながら事件の究明に挑む。
みたいな話ちゃうの?知らんけど。
俺は映像化、特に映画やドラマといったフィクションエンタメにするべきではないものがいくつか存在すると思ってるんだけど、その中の一つが「マジック」で、この作品はそれを最も使用すべきではない方法で使用していると思う。なんでマジックはフィクションエンタメ映像に向いてないかって言うと、そのジャンルにおいて「できなさそうなことをできているように見せる」ことは非常に日常的であり特別なことではないからで、マジックは「できなさそうなことをできているように見せる」ことの非日常性こそが大切なジャンルだから。
冒頭、福山雅治が現役時代にアメリカで行った大掛かりなプロジェクションマッピングでのイリュージョンショーが見せられるんだけど、CGみたいなニンジャが出てきたり消えたり、分裂したり、場所が入れ替わったりするんだけど、実際にこれを生でやっていて現場や無編集の映像で見られらたらおぉ~ってなると思うんだけど、映画という媒体で見たときには一気に「安っぽい映像」になっちゃう。
いや、作中では生でやってる設定なんだから驚いてください!って言われてもいやこれ映画やしってなる。これは本能レベルでなるからどうしようもない。だって現代のVFX技術がある前提で作られた映画じゃん。それはもう何をどうしたってそうじゃん。
一方で福山雅治が現代で作劇とは何の意味もなくちょこちょこライターを消したり、トランプを食ったり吐いたりするマジックを披露するんだけど今度はこれがヘタクソすぎて見るに堪えない。いや、たぶんましゃが一生懸命練習して本人がちゃんとやったんだと思うよ。でもさぁ、思うんよね。トランプをシャーッて口に入れてシャーッて吐くマジック。福山画角のドアップで見せること自体が間違ってんじゃないかって。あんだけドアップで見せられたら「いや食ってないやん、口からは出てないやん」ってなるよ。
そしてさっきも書いたけど作劇上福山のマジシャン設定は全く活きてこない。だってこいつがやってることって基本的には警察からものスって後は警察からものスって、他には警察からものスることだけだもん。警察からスマホスって情報盗んで戻す。これ以外には相手を小ばかにするときにマジック披露するくらいしかしてない。元スリの天才とかでよかった。つーか湯川教授でよかった。
肝心のミステリとしてはいかにも有村の同級生の怪しげなミスリード担当が次々出てくるけど、こいつらがいかにもすぎてこれが西村京太郎とか赤かぶ検事みたいな60歳以上向けの二時間ドラマならそれでいいけどマジシャンが主役のドラマでそんなわけないし。中に元は陰キャだけど今では伝説的漫画家になって同じく同級生に病死した友人がいる奴が出てきた時点で作品は死んだ奴のものでその絡みやろなって普通はなっちゃう。
で、最終的に容疑者を教室に集めてプロジェクションマッピングで死んだ教師に成りすました福山が説教、もといカマかけをするんだけど、いや普通に考えて死んだ恩師をプロジェクションマッピングで再現されたら戸惑って従うよりも先にブチ切れて暴動起こすだろ。失礼すぎるし死者への冒涜すぎる。娘の有村は何も言わんかったんか。何、素直に卒業文集読んでるんだよ。つーか、卒業文集の原本を自宅に保管してる教師って何なんだよ。職業倫理感ゼロか。
職業倫理感ゼロかで言えば、病死した生徒に個人的に出していた作文の宿題を同窓会もあることだしみんなに公開したろwでもその中に伝説的漫画の原型書いてあったから漫画家に先に読ませたろwってする教師とかマジでどうかと思うし、その作文があることで自分の立場が脅かされると思ったからよくわからんし家ごと燃やしたろwってなる犯人のイカれ具合もヤバすぎる。
殺人事件の証拠は一切ないのに「漫画の原型は死んだ同級生のものだった」という盗作の証拠を突き付けられただけで発狂して自供するのも意味わからんし、ミステリとしてどうかと思う。あと、遺体にライターオイルが染みついていたという理由でジッポ使ってる福山が疑われる設定があるんだけど、それは放火しようとしていた犯人のものだった!いや、犯人はライターオイルで家燃やそうと思ってたん?あんま聞いたことないけど。
マジシャンを主役にしてやってることは犯人以外の登場人物の闇を暴いて(容疑者から外して)いくっていうある種の人情サスペンスなのも個人的にはチグハグに感じる。マジシャン使うならやるべきなのは新本格のトリック、ロジック重視であるべきでしょ。
あと、こればっかりはもう完全に俺の個人的主観で好みの問題だけど、福山雅治さすがにもう無理じゃない?近年のトム・クルーズにも通じるところがあるんだけど甘いマスクにニカッと爽やか笑顔、が通じるのは彼らくらい若く見えても30代までだと思う。もう還暦近いおじいちゃんがやったら何ニタニタしてんねんってなっちゃう。もう若くない。年齢にあった深みのある役をやった方がいいと思う。
カッコイイよりも痛々しいが勝ってるように見えた。
そういう意味ではキム・タクは教場でうまいことそこを脱却したなとは思ったかな。マスカレとかは見てないから知らんけど。
なんか新しいブラックヒーローみたいな感じらしいけど、なんか無礼なのはいつもの福山キャラだし金に汚い所だけちょっと新しかったかな程度で、その金に汚いも「ギャランティが云々」言ってるだけで実際に金を受け取るシーンもなければ取り立てるシーンもない、結局「キレイ」なんだよね。くだらん。
そんな感じかな。
ここ重要ですよってシーンではなんかトランプをパラパラやるモノクロカットが入る演出もダサいし映画じゃなくて2時間ドラマでやればいいのにって感じのクオリティの作品だったかな。有村架純はめっちゃかわいかったのでそこはよし。有村架純ファンと福山雅治ファンだけ見ればいい映画だと思いました。おわり。
妻の父が急逝した。
急逝なんて言えば聞こえがいいけど、病院嫌いここに極まれりといった感じで、癌治療を医者に頼らず自己流でやり続けた結果、進行具合もわからないままに自宅で亡くなった。
死なれてみて初めてわかったことだけど、自宅で死なれるのは結構大変だった。
病院だと医者が死因を特定してくれる。特定というか、認定といった方がいいかもしれない。要するに、病気で亡くなったということを証明してくれる。
自宅で亡くなるとそれをすることができない。
普段から信仰があったわけではないから別に家族だけで見送ればいいなんて話にはなっていたのだけど、一応お経はお願いしよういう葬儀屋さんの勧めで安いお坊さんにお願いすることになった。
安いという価値観もまあ割と曖昧なものでそもそも相場とはなんだって話ではあるけど、一応安かったらしい。
この辺り、喪主であるお義母さんのお財布加減でしかないからそれほど積極的に関わったわけではないけど、そもそもお義父さんが吝嗇家wだったのでお義母さんとしては一番安い人を選べば良いって感じだったのだと思う。
それがまさか参列者全員で、頭の上に大きなはてなマークを浮かべることになるとは思ってもいなかった。
刑事の聞き取り(取り調べ?)は、医学的な治療を拒否していたことが家族からの強制ではないという悪魔の証明をする必要があった。
病院で治療することが一番本人のためになるのにっていう、尊厳をガン無視した視点から聞き取りが始まるから、一つ一つの選択について、早く死んで欲しかったからという理由からではないという説明をしないといけない。
家族にしてみれば、大切な人が早く死んで欲しいなんて思うわけがないのに、第三者にしてみれば、そうではない証明ができないことが疑いに対する一番の根拠にしかならない。
訃報を聞いて妻を実家に送り届けたタイミングがちょうど刑事からの聞き取りだったので、何かの助けになればと思ってそのまま居合わせたけど、途中から自分が論理的に説明することのほうが殺人の計画性を証明してしまうんじゃないかって怖くなって黙ってしまった。
相手の手練れをどこまで信用して良いかの情報はこちらには一切なかったので、状況を論理的に説明しようとすればするほど自分が殺人の主犯と疑われかねない怖さがあった。
良し悪しの話ではなくて、さすがプロだなって思った。
葬儀をお願いしたお坊さんは、どちらかというと丁寧な人だった。
葬儀、というものに参加した機会なんてそもそもそれほど多いわけではなかったけど、今唱えているお経の意味や目的をその都度その都度、読経を止めながら説明してくれるようなお坊さんは今までの人生で初めてだった。
通夜は行わずに告別式と初七日法要を同時開催し、葬儀の始まりから出棺まで1時間。
経験則から言うと大体2時間以上って考えると、かなりのスピード葬儀だった。
普段なら読経だけでそれだけの時間がかかるところ、その都度説明をしている以上、必要に応じて端折っているだろうことも感じながら、現対人の時間感覚に合わせているんだろうなって思っていた。
お義父さんはどうやら病状をちゃんと家族に説明していないようだった。
妻の母は外国人で、日本に住んでもう何十年だけどやっぱり難しい日本語はわからなかった。
それをいいことに、お義父さんは診断書の細かい部分を立ち会ったお義母さんにちゃんと説明していなかったらしく、お義父さんがだんまりを決め込んでしまえばお義母さんからしか情報を得られない妻は病状を正しく把握できていなかったようだ。
刑事さんの聞き取りで、口頭で理解できないことがあるとその都度診断書の提示が求められた。
お義母さんに立ち合いをお願いしていた妻は初めてその診断書を目にするのだけど、お義父さんがこれまで一度も口頭で説明したことのなかった癌が転移している現実がその都度一つ一つ明らかになった。
信じられない話かもしれないけど、お義父さんは医者から多数の臓器に癌が移転していてすでに相当の末期であることが伝えられていたにもかかわらず、認めたくないと言う気持ちもありながらも詳細をお義母さんに一切伝えていなかったのだ。
だから妻にもその事実が伝わらず、妻にしてみれば、そうは言ってもまだまだ全然大丈夫な状況としてしか現状を捉えていなかったようだった。
つまり、妻は、お父さんがこんなに早く死ぬだなんてことは全く想像をしていなかったのだ。
お義父さんが入院を嫌がって自宅で治療をしているという話を聞いたときも、やれやれまたか。くらいにか考えていなかったのであろう。
自分からの説明なんてものはその場では何の価値も持たず、妻が診断書に書かれた文字を目にする度に言葉を失う姿そのものが、刑事さんに対する事件性のなさを証明しているようだった。
お坊さんにしてみれば葬儀の時間が短いほうが実入はいいけど、逆に時間が短すぎても割高だという人もいるから難しい。
お坊さんの技術力が高すぎて、たった一言でしっかりと極楽へと送ってくれるならそれでもよいような気もするが、仕事がよくできる人がわざと時間をかけて値段相応の作業に見えるようにしているのとどこか似ているなと思った。
そうしてお坊さんのいう初七日法要までが終わると、お坊さんは立ち上がってこちらに向き直った。
いつもなら目も合わさずに退場していくようなものなので、それだけでもなんとなく珍しいと思っていると、更にお坊さんは話を始めた。
聞くと、最近ではこういった儀式めいたものが軽んじられる時代になってきてはいるが、人間の魂というものがいまだ科学で解明されていない不安定な存在だからこそ、こうした儀式の大切さを今一度考えてほしいという内容の話だった。
身内を亡くしたばっかりの悲しんでいる人間にする話か?とも思ったけど、参列者の大半が高齢者であることを考えれば、こういった話をすることが回り回って自分たちの出番を増やすのだろうから、これはありがたい話に見せかけたプレゼンだなと思った。
お金を払って動画を見ているのに突然CMが挟み込まれたような冷めた気持ちになった。現代に毒されているのはどちらかというとこの坊主だなと思った。
すでに死んでしまったものはどうにもならなかったが、家族としても何が死因で亡くなったのかが分かればせめて自分たちの責任が軽くなるのではと思い、取り調べのときに一つだけ刑事さんに質問したことがある。
それが、「こういった場合の死因は病死になるのか?」ということだった。
これさえもまるでそれ以上詳しく調べないでくれという事件性の隠蔽とも感じられないかドキドキしながらの質問だった。
それに対し、刑事さんは「死因に病死というものはありません。例えば脳出血だったり心筋梗塞だったり、必ず何で亡くなったかが特定されます。極稀に不詳という死因になることもありますが、基本的にはわかるまで解剖します。」とはっきりとした口調で言った。
まるで、もしお前たちが何かを隠していたとしても必ず見つけ出してやるとでもいわんばかりの迫力を感じた。
小学校の頃、教室で財布がなくなると盗んでもないのに手を上げそうになる気持ちを思い出して、喉の奥が酸っぱくなった。
それでも翌日には事件性なしとの判断がされ、死因には直接的な因果となった癌の名前が記載されていた。
もっと多臓器不全とか直接的な死因が記載されるものかとも思ったけど、それは逆にもうどうしようもないくらいに癌の病状が進んでいることを物語っているかのようだった。
お義父さんとは文字通り死ぬまで反りが合わなかった。だから、喪失感はあるけど悲しみはなかった。
いよいよ出棺のタイミングになり、参列者で花を詰めようというとき、これで最後だからと花を入れたついでに肌に触れてみた。
塗りたくられた化粧で顔色はよく見えているけど、ドライアイスで当たり前のように冷たかった。
その瞬間、お義父さんが本当に死んでしまったことが妙な現実味として感じられ、妻や家族を泣かせていることに無性に腹が立ってきたらボロボロと涙が流れ出して止まらなくなった。
生前のお父さんとはまったく話が合わなくて、何度も言い争いをした。
最初のうちはそのうち完全に論破してやろうって思ってたけど、ある日言い争っていると突然妻が泣き始めた。
妻はいつもお義父さんに対する不満ばかり言っていたので、こちらとしては白馬に乗った王子様くらいのつもりでお義父さんをぶった斬ってやろうと思ってたのに、どうも違ったらしい。
妻は、不器用で口の悪い父のことが大好きだったようだ。
そのことに気がついたのは、お義父さんの癌が再発して入院するという話を聞いた日のことだった。
それまで何事もない様子だった妻が、「実は、、、」と言い出すと同時に泣き崩れてしまった。
病状のことや入院のことを話す妻が、お義父さんのことを心の底から心配してることがひしひしと伝わってきた。
それがまるで過去の答え合わせのように、妻がお義父さんを大好きだったのだという気付きにつながっていった。
それなのに自分はお義父さんと顔を合わせるたびに言い争って喧嘩をしていたのだ。
ある時から妻との間に妙な距離感を感じるようになったことがあったが、そういえばそれもお義父さんとの言い争いで妻が泣いてしまった頃だったかもしれない。
妻の大切に思うものは大切にしてきたつもりだったけど、見た目上で大切にしていないものまで大切にするのはなかなかに難しい話だ。
お義父さんが元気になったら、旅行に連れて行って今度は大切にもてなそうと思っていたが、それはついに叶わなかった。
親子の関係性と夫婦の関係性を比較して嫉妬したところで何も始まらないことくらいはわかっているつもりではあるが、勝ち逃げされたみたいな悔しさがないとは言わない。
漠然としたやるせない気持ちを少しでも整理しようとこれを書き始めたが、残ったのが悔しさだったとは。
やはり自分がお義父さんのことを好きになれることはないのだ。
こうなってくると何をいうても、直ぐそこへ持ってくるので話がゆきつまってしまう。二人の内でどちらか一人が、すこうしほんの僅かにでも押が強ければ、こんなに話がゆきつまるのではない。お互に心持は奥底まで解っているのだから、吉野紙を突破るほどにも力がありさえすれば、話の一歩を進めてお互に明放してしまうことが出来るのである。しかしながら真底からおぼこな二人は、その吉野紙を破るほどの押がないのである。またここで話の皮を切ってしまわねばならぬと云う様な、はっきりした意識も勿論ないのだ。言わば未まだ取止めのない卵的の恋であるから、少しく心の力が必要な所へくると話がゆきつまってしまうのである。
お互に自分で話し出しては自分が極りわるくなる様なことを繰返しつつ幾町かの道を歩いた。詞数こそ少なけれ、その詞の奥には二人共に無量の思いを包んで、極りがわるい感情の中には何とも云えない深き愉快を湛えて居る。それでいわゆる足も空に、いつしか田圃も通りこし、山路へ這入った。今度は民子が心を取り直したらしく鮮かな声で、
「政夫さん、もう半分道来ましてしょうか。大長柵おおながさくへは一里に遠いッて云いましたねイ」
「そうです、一里半には近いそうだが、もう半分の余来ましたろうよ。少し休みましょうか」
「わたし休まなくとも、ようございますが、早速お母さんの罰があたって、薄すすきの葉でこんなに手を切りました。ちょいとこれで結わえて下さいな」
親指の中ほどで疵きずは少しだが、血が意外に出た。僕は早速紙を裂いて結わえてやる。民子が両手を赤くしているのを見た時非常にかわいそうであった。こんな山の中で休むより、畑へ往いってから休もうというので、今度は民子を先に僕が後になって急ぐ。八時少し過ぎと思う時分に大長柵の畑へ着いた。
十年許り前に親父おやじが未だ達者な時分、隣村の親戚から頼まれて余儀なく買ったのだそうで、畑が八反と山林が二町ほどここにあるのである。この辺一体に高台は皆山林でその間の柵が畑になって居る。越石こしこくを持っていると云えば、世間体はよいけど、手間ばかり掛って割に合わないといつも母が言ってる畑だ。
三方林で囲まれ、南が開いて余所よその畑とつづいている。北が高く南が低い傾斜こうばいになっている。母の推察通り、棉は末にはなっているが、風が吹いたら溢れるかと思うほど棉はえんでいる。点々として畑中白くなっているその棉に朝日がさしていると目まぶしい様に綺麗だ。
民子は女だけに、棉の綺麗にえんでるのを見て嬉しそうにそう云った。畑の真中ほどに桐の樹が二本繁っている。葉が落ちかけて居るけれど、十月の熱を凌しのぐには十分だ。ここへあたりの黍殻きびがらを寄せて二人が陣どる。弁当包みを枝へ釣る。天気のよいのに山路を急いだから、汗ばんで熱い。着物を一枚ずつ脱ぐ。風を懐ふところへ入れ足を展のばして休む。青ぎった空に翠みどりの松林、百舌もずもどこかで鳴いている。声の響くほど山は静かなのだ。天と地との間で広い畑の真ン中に二人が話をしているのである。
「ほんとに民子さん、きょうというきょうは極楽の様な日ですねイ」
顔から頸から汗を拭いた跡のつやつやしさ、今更に民子の横顔を見た。
「そうですねイ、わたし何だか夢の様な気がするの。今朝家うちを出る時はほんとに極りが悪くて……嫂ねえさんには変な眼つきで視られる、お増には冷かされる、私はのぼせてしまいました。政夫さんは平気でいるから憎らしかったわ」
「僕だって平気なもんですか。村の奴らに逢うのがいやだから、僕は一足先に出て銀杏の下で民さんを待っていたんでさア。それはそうと、民さん、今日はほんとに面白く遊ぼうね。僕は来月は学校へ行くんだし、今月とて十五日しかないし、二人でしみじみ話の出来る様なことはこれから先はむずかしい。あわれッぽいこと云うようだけど、二人の中も今日だけかしらと思うのよ。ねイ民さん……」
「そりゃア政夫さん、私は道々そればかり考えて来ました。私がさっきほんとに情なくなってと言ったら、政夫さんは笑っておしまいなしたけど……」
面白く遊ぼう遊ぼう言うても、話を始めると直ぐにこうなってしまう。民子は涙を拭うた様であった。ちょうどよくそこへ馬が見えてきた。西側の山路から、がさがさ笹にさわる音がして、薪たきぎをつけた馬を引いて頬冠ほおかむりの男が出て来た。よく見ると意外にも村の常吉である。この奴はいつか向うのお浜に民子を遊びに連れだしてくれと頻しきりに頼んだという奴だ。いやな野郎がきやがったなと思うていると、
「や政夫さん。コンチャどうも結構なお天気ですな。今日は御夫婦で棉採りかな。洒落しゃれてますね。アハハハハハ」
「ハア吾々なんざア駄賃取りでもして適たまに一盃いっぱいやるより外に楽しみもないんですからな。民子さん、いやに見せつけますね。余あんまり罪ですぜ。アハハハハハ」
この野郎失敬なと思ったけれど、吾々も余り威張れる身でもなし、笑いとぼけて常吉をやり過ごした。
「馬鹿野郎、実に厭なやつだ。さア民さん、始めましょう。ほんとに民さん、元気をお直しよ。そんなにくよくよおしでないよ。僕は学校へ行ったて千葉だもの、盆正月の外にも来ようと思えば土曜の晩かけて日曜に来られるさ……」
「ほんとに済みません。泣面なきつらなどして。あの常さんて男、何といういやな人でしょう」
民子は襷掛け僕はシャツに肩を脱いで一心に採って三時間ばかりの間に七分通り片づけてしまった。もう跡はわけがないから弁当にしようということにして桐の蔭に戻る。僕はかねて用意の水筒を持って、
「民さん、僕は水を汲くんで来ますから、留守番を頼みます。帰りに『えびづる』や『あけび』をうんと土産みやげに採って来ます」
「私は一人で居るのはいやだ。政夫さん、一所に連れてって下さい。さっきの様な人にでも来られたら大変ですもの」
「だって民さん、向うの山を一つ越して先ですよ、清水しみずのある所は。道という様な道もなくて、それこそ茨いばらや薄すすきで足が疵だらけになりますよ。水がなくちゃ弁当が食べられないから、困ったなア、民さん、待っていられるでしょう」
「政夫さん、後生だから連れて行って下さい。あなたが歩ける道なら私にも歩けます。一人でここにいるのはわたしゃどうしても……」
「民さんは山へ来たら大変だだッ児になりましたネー。それじゃ一所に行きましょう」
弁当は棉の中へ隠し、着物はてんでに着てしまって出掛ける。民子は頻りに、にこにこしている。端はたから見たならば、馬鹿馬鹿しくも見苦しくもあろうけれど、本人同志の身にとっては、そのらちもなき押問答の内にも限りなき嬉しみを感ずるのである。高くもないけど道のない所をゆくのであるから、笹原を押分け樹の根につかまり、崖を攀よずる。しばしば民子の手を採って曳ひいてやる。
近く二三日以来の二人の感情では、民子が求めるならば僕はどんなことでも拒まれない、また僕が求めるならやはりどんなことでも民子は決して拒みはしない。そういう間柄でありつつも、飽くまで臆病に飽くまで気の小さな両人ふたりは、嘗かつて一度も有意味に手などを採ったことはなかった。しかるに今日は偶然の事から屡手を採り合うに至った。這辺このへんの一種云うべからざる愉快な感情は経験ある人にして初めて語ることが出来る。
「民さん、ここまでくれば、清水はあすこに見えます。これから僕が一人で行ってくるからここに待って居なさい。僕が見えて居たら居られるでしょう」
「ほんとに政夫さんの御厄介ですね……そんなにだだを言っては済まないから、ここで待ちましょう。あらア野葡萄えびづるがあった」
僕は水を汲んでの帰りに、水筒は腰に結いつけ、あたりを少し許り探って、『あけび』四五十と野葡萄一もくさを採り、竜胆りんどうの花の美しいのを五六本見つけて帰ってきた。帰りは下りだから無造作に二人で降りる。畑へ出口で僕は春蘭しゅんらんの大きいのを見つけた。
「民さん、僕は一寸『アックリ』を掘ってゆくから、この『あけび』と『えびづる』を持って行って下さい」
「『アックリ』てなにい。あらア春蘭じゃありませんか」
「民さんは町場もんですから、春蘭などと品のよいこと仰おっしゃるのです。矢切の百姓なんぞは『アックリ』と申しましてね、皸あかぎれの薬に致します。ハハハハ」
「あらア口の悪いこと。政夫さんは、きょうはほんとに口が悪くなったよ」
山の弁当と云えば、土地の者は一般に楽しみの一つとしてある。何か生理上の理由でもあるか知らんが、とにかく、山の仕事をしてやがてたべる弁当が不思議とうまいことは誰も云う所だ。今吾々二人は新らしき清水を汲み来り母の心を籠こめた弁当を分けつつたべるのである。興味の尋常でないは言うも愚おろかな次第だ。僕は『あけび』を好み民子は野葡萄をたべつつしばらく話をする。
民子は笑いながら、
「政夫さんは皸の薬に『アックリ』とやらを採ってきて学校へお持ちになるの。学校で皸がきれたらおかしいでしょうね……」
僕は真面目に、
「なアにこれはお増にやるのさ。お増はもうとうに皸を切らしているでしょう。この間も湯に這入る時にお増が火を焚たきにきて非常に皸を痛がっているから、その内に僕が山へ行ったら『アックリ』を採ってきてやると言ったのさ」
「まアあなたは親切な人ですことね……お増は蔭日向かげひなたのない憎気のない女ですから、私も仲好くしていたんですが、この頃は何となし私に突き当る様な事ばかし言って、何でもわたしを憎んでいますよ」
「アハハハ、それはお増どんが焼餅をやくのでさ。つまらんことにもすぐ焼餅を焼くのは、女の癖さ。僕がそら『アックリ』を採っていってお増にやると云えば、民さんがすぐに、まアあなたは親切な人とか何とか云うのと同じ訣わけさ」
「この人はいつのまにこんなに口がわるくなったのでしょう。何を言っても政夫さんにはかないやしない。いくら私だってお増が根も底もない焼もちだ位は承知していますよ……」
「実はお増も不憫ふびんな女よ。両親があんなことになりさえせねば、奉公人とまでなるのではない。親父は戦争で死ぬ、お袋はこれを嘆いたがもとでの病死、一人の兄がはずれものという訣で、とうとうあの始末。国家のために死んだ人の娘だもの、民さん、いたわってやらねばならない。あれでも民さん、あなたをば大変ほめているよ。意地曲りの嫂にこきつかわれるのだから一層かわいそうでさ」
「そりゃ政夫さん私もそう思って居ますさ。お母さんもよくそうおっしゃいました。つまらないものですけど何とかかとか分けてやってますが、また政夫さんの様に情深くされると……」
民子は云いさしてまた話を詰らしたが、桐の葉に包んで置いた竜胆の花を手に採って、急に話を転じた。
「こんな美しい花、いつ採ってお出でなして。りんどうはほんとによい花ですね。わたしりんどうがこんなに美しいとは知らなかったわ。わたし急にりんどうが好きになった。おオえエ花……」
花好きな民子は例の癖で、色白の顔にその紫紺の花を押しつける。やがて何を思いだしてか、ひとりでにこにこ笑いだした。
「民さん、なんです、そんなにひとりで笑って」
「政夫さんはりんどうの様な人だ」
「どうして」
「さアどうしてということはないけど、政夫さんは何がなし竜胆の様な風だからさ」
民子は言い終って顔をかくして笑った。
「民さんもよっぽど人が悪くなった。それでさっきの仇討あだうちという訣ですか。口真似なんか恐入りますナ。しかし民さんが野菊で僕が竜胆とは面白い対ですね。僕は悦よろこんでりんどうになります。それで民さんがりんどうを好きになってくれればなお嬉しい」
二人はこんならちもなき事いうて悦んでいた。秋の日足の短さ、日はようやく傾きそめる。さアとの掛声で棉もぎにかかる。午後の分は僅であったから一時間半ばかりでもぎ終えた。何やかやそれぞれまとめて番ニョに乗せ、二人で差しあいにかつぐ。民子を先に僕が後に、とぼとぼ畑を出掛けた時は、日は早く松の梢をかぎりかけた。
半分道も来たと思う頃は十三夜の月が、木この間まから影をさして尾花にゆらぐ風もなく、露の置くさえ見える様な夜になった。今朝は気がつかなかったが、道の西手に一段低い畑には、蕎麦そばの花が薄絹を曳き渡したように白く見える。こおろぎが寒げに鳴いているにも心とめずにはいられない。
「民さん、くたぶれたでしょう。どうせおそくなったんですから、この景色のよい所で少し休んで行きましょう」
「こんなにおそくなるなら、今少し急げばよかったに。家の人達にきっと何とか言われる。政夫さん、私はそれが心配になるわ」
「今更心配しても追おっつかないから、まア少し休みましょう。こんなに景色のよいことは滅多めったにありません。そんなに人に申訣のない様な悪いことはしないもの、民さん、心配することはないよ」
月あかりが斜にさしこんでいる道端の松の切株に二人は腰をかけた。目の先七八間の所は木の蔭で薄暗いがそれから向うは畑一ぱいに月がさして、蕎麦の花が際きわ立って白い。
「何というえい景色でしょう。政夫さん歌とか俳句とかいうものをやったら、こんなときに面白いことが云えるでしょうね。私ら様な無筆でもこんな時には心配も何も忘れますもの。政夫さん、あなた歌をおやんなさいよ」
「僕は実は少しやっているけど、むずかしくて容易に出来ないのさ。山畑の蕎麦の花に月がよくて、こおろぎが鳴くなどは実にえいですなア。民さん、これから二人で歌をやりましょうか」
お互に一つの心配を持つ身となった二人は、内に思うことが多くてかえって話は少ない。何となく覚束おぼつかない二人の行末、ここで少しく話をしたかったのだ。民子は勿論のこと、僕よりも一層話したかったに相違ないが、年の至らぬのと浮いた心のない二人は、なかなか差向いでそんな話は出来なかった。しばらくは無言でぼんやり時間を過ごすうちに、一列の雁がんが二人を促すかの様に空近く鳴いて通る。
ようやく田圃へ降りて銀杏の木が見えた時に、二人はまた同じ様に一種の感情が胸に湧いた。それは外でもない、何となく家に這入はいりづらいと言う心持である。這入りづらい訣はないと思うても、どうしても這入りづらい。躊躇ちゅうちょする暇もない、忽たちまち門前近く来てしまった。
「政夫さん……あなた先になって下さい。私極きまりわるくてしょうがないわ」
「よしとそれじゃ僕が先になろう」
僕は頗すこぶる勇気を鼓こし殊に平気な風を装うて門を這入った。家の人達は今夕飯最中で盛んに話が湧いているらしい。庭場の雨戸は未だ開いたなりに月が軒口までさし込んでいる。僕が咳払せきばらいを一ツやって庭場へ這入ると、台所の話はにわかに止んでしまった。民子は指の先で僕の肩を撞ついた。僕も承知しているのだ、今御膳会議で二人の噂が如何いかに盛んであったか。
宵祭ではあり十三夜ではあるので、家中表座敷へ揃そろうた時、母も奥から起きてきた。母は一通り二人の余り遅かったことを咎めて深くは言わなかったけれど、常とは全く違っていた。何か思っているらしく、少しも打解けない。これまでは口には小言を言うても、心中に疑わなかったのだが、今夜は口には余り言わないが、心では十分に二人に疑いを起したに違いない。民子はいよいよ小さくなって座敷中なかへは出ない。僕は山から採ってきた、あけびや野葡萄えびづるやを沢山座敷中じゅうへ並べ立てて、暗に僕がこんな事をして居たから遅くなったのだとの意を示し無言の弁解をやっても何のききめもない。誰一人それをそうと見るものはない。今夜は何の話にも僕等二人は除のけものにされる始末で、もはや二人は全く罪あるものと黙決されてしまったのである。
「お母さんがあんまり甘過ぎる。あアして居る二人を一所に山畑へやるとは目のないにもほどがある。はたでいくら心配してもお母さんがあれでは駄目だ」
これが台所会議の決定であったらしい。母の方でもいつまで児供と思っていたが誤りで、自分が悪かったという様な考えに今夜はなったのであろう。今更二人を叱って見ても仕方がない。なに政夫を学校へ遣やってしまいさえせば仔細しさいはないと母の心はちゃんときまって居るらしく、
「政や、お前はナ十一月へ入って直ぐ学校へやる積りであったけれど、そうしてぶらぶらして居ても為にならないから、お祭が終ったら、もう学校へゆくがよい。十七日にゆくとしろ……えいか、そのつもりで小支度して置け」
学校へゆくは固より僕の願い、十日や二十日早くとも遅くともそれに仔細はないが、この場合しかも今夜言渡いいわたしがあって見ると、二人は既に罪を犯したものと定められての仕置であるから、民子は勿論僕に取ってもすこぶる心苦しい処がある。実際二人はそれほどに堕落した訣でないから、頭からそうときめられては、聊いささか妙な心持がする。さりとて弁解の出来ることでもなし、また強いことを言える資格も実は無いのである。これが一ヶ月前であったらば、それはお母さん御無理だ、学校へ行くのは望みであるけど、科とがを着せられての仕置に学校へゆけとはあんまりでしょう……などと直ぐだだを言うのであるが、今夜はそんな我儘わがままを言えるほど無邪気ではない。全くの処、恋に陥ってしまっている。
あれほど可愛がられた一人の母に隠立てをする、何となく隔てを作って心のありたけを言い得ぬまでになっている。おのずから人前を憚はばかり、人前では殊更に二人がうとうとしく取りなす様になっている。かくまで私心わたくしごころが長じてきてどうして立派な口がきけよう。僕はただ一言いちごん、
「はア……」
と答えたきりなんにも言わず、母の言いつけに盲従する外はなかった。
「僕は学校へ往ってしまえばそれでよいけど、民さんは跡でどうなるだろうか」
不図ふとそう思って、そっと民子の方を見ると、お増が枝豆をあさってる後に、民子はうつむいて膝の上に襷たすきをこねくりつつ沈黙している。如何にも元気のない風で夜のせいか顔色も青白く見えた。民子の風を見て僕も俄に悲しくなって泣きたくなった。涙は瞼まぶたを伝って眼が曇った。なぜ悲しくなったか理由は判然はっきりしない。ただ民子が可哀相でならなくなったのである。民子と僕との楽しい関係もこの日の夜までは続かなく、十三日の昼の光と共に全く消えうせてしまった。嬉しいにつけても思いのたけは語りつくさず、憂き悲しいことについては勿論百分の一だも語りあわないで、二人の関係は闇やみの幕に這入ってしまったのである。
十四日は祭の初日でただ物せわしく日がくれた。お互に気のない風はしていても、手にせわしい仕事のあるばかりに、とにかく思い紛らすことが出来た。
十五日と十六日とは、食事の外用事もないままに、書室へ籠こもりとおしていた。ぼんやり机にもたれたなり何をするでもなく、また二人の関係をどうしようかという様なことすらも考えてはいない。ただ民子のことが頭に充ちているばかりで、極めて単純に民子を思うている外に考えは働いて居らぬ。この二日の間に民子と三四回は逢ったけれど、話も出来ず微笑を交換する元気もなく、うら淋しい心持を互に目に訴うるのみであった。二人の心持が今少しませて居ったならば、この二日の間にも将来の事など随分話し合うことが出来たのであろうけれど、しぶとい心持などは毛ほどもなかった二人には、その場合になかなかそんな事は出来なかった。それでも僕は十六日の午後になって、何とはなしに以下のような事を巻紙へ書いて、日暮に一寸来た民子に僕が居なくなってから見てくれと云って渡した。
朝からここへ這入ったきり、何をする気にもならない。外へ出る気にもならず、本を読む気にもならず、ただ繰返し繰返し民さんの事ばかり思って居る。民さんと一所に居れば神様に抱かれて雲にでも乗って居る様だ。僕はどうしてこんなになったんだろう。学問をせねばならない身だから、学校へは行くけれど、心では民さんと離れたくない。民さんは自分の年の多いのを気にしているらしいが、僕はそんなことは何とも思わない。僕は民さんの思うとおりになるつもりですから、民さんもそう思っていて下さい。明日は早く立ちます。冬期の休みには帰ってきて民さんに逢うのを楽しみにして居ります。
十月十六日
政夫
民子様
学校へ行くとは云え、罪があって早くやられると云う境遇であるから、人の笑声話声にも一々ひがみ心が起きる。皆二人に対する嘲笑かの様に聞かれる。いっそ早く学校へ行ってしまいたくなった。決心が定まれば元気も恢復かいふくしてくる。この夜は頭も少しくさえて夕飯も心持よくたべた。学校のこと何くれとなく母と話をする。やがて寝に就いてからも、
「何だ馬鹿馬鹿しい、十五かそこらの小僧の癖に、女のことなどばかりくよくよ考えて……そうだそうだ、明朝あしたは早速学校へ行こう。民子は可哀相だけれど……もう考えまい、考えたって仕方がない、学校学校……」
独口ひとりぐちききつつ眠りに入った様な訣であった。
船で河から市川へ出るつもりだから、十七日の朝、小雨の降るのに、一切の持物をカバン一個ひとつにつめ込み民子とお増に送られて矢切の渡へ降りた。村の者の荷船に便乗する訣でもう船は来て居る。僕は民さんそれじゃ……と言うつもりでも咽のどがつまって声が出ない。民子は僕に包を渡してからは、自分の手のやりばに困って胸を撫なでたり襟えりを撫でたりして、下ばかり向いている。眼にもつ涙をお増に見られまいとして、体を脇へそらしている、民子があわれな姿を見ては僕も涙が抑え切れなかった。民子は今日を別れと思ってか、髪はさっぱりとした銀杏返いちょうがえしに薄く化粧をしている。煤色すすいろと紺の細かい弁慶縞べんけいじまで、羽織も長着も同じい米沢紬よねざわつむぎに、品のよい友禅縮緬ゆうぜんちりめんの帯をしめていた。襷を掛けた民子もよかったけれど今日の民子はまた一層引立って見えた。
僕の気のせいででもあるか、民子は十三日の夜からは一日ひとひ一日とやつれてきて、この日のいたいたしさ、僕は泣かずには居られなかった。虫が知らせるとでもいうのか、これが生涯の別れになろうとは、僕は勿論民子とて、よもやそうは思わなかったろうけれど、この時のつらさ悲しさは、とても他人に話しても信じてくれるものはないと思う位であった。
尤もっとも民子の思いは僕より深かったに相違ない。僕は中学校を卒業するまでにも、四五年間のある体であるのに、民子は十七で今年の内にも縁談の話があって両親からそう言われれば、無造作に拒むことの出来ない身であるから、行末のことをいろいろ考えて見ると心配の多い訣である。当時の僕はそこまでは考えなかったけれど、親しく目に染しみた民子のいたいたしい姿は幾年経っても昨日の事のように眼に浮んでいるのである。
余所から見たならば、若いうちによくあるいたずらの勝手な泣面と見苦しくもあったであろうけれど、二人の身に取っては、真にあわれに悲しき別れであった。互に手を取って後来を語ることも出来ず、小雨のしょぼしょぼ降る渡場に、泣きの涙も人目を憚はばかり、一言の詞ことばもかわし得ないで永久の別れをしてしまったのである。無情の舟は流を下って早く、十分間と経たぬ内に、五町と下らぬ内に、お互の姿は雨の曇りに隔てられてしまった。物も言い得ないで、しょんぼりと悄しおれていた不憫ふびんな民さんの俤おもかげ、どうして忘れることが出来よう。民さんを思うために神の怒りに触れて即座に打殺さるる様なことがあるとても僕には民さんを思わずに居られない。年をとっての後の考えから言えば、あアもしたらこうもしたらと思わぬこともなかったけれど、当時の若い同志どうしの思慮には何らの工夫も無かったのである。八百屋お七は家を焼いたらば、再度ふたたび思う人に逢われることと工夫をしたのであるが、吾々二人は妻戸一枚を忍んで開けるほどの智慧ちえも出なかった。それほどに無邪気な可憐な恋でありながら、なお親に怖おじ兄弟に憚り、他人の前にて涙も拭き得なかったのは如何に気の弱い同志であったろう。
僕は学校へ行ってからも、とかく民子のことばかり思われて仕方がない。学校に居ってこんなことを考えてどうするものかなどと、自分で自分を叱り励まして見ても何の甲斐もない。そういう詞の尻からすぐ民子のことが湧いてくる。多くの人中に居ればどうにか紛れるので、日の中はなるたけ一人で居ない様に心掛けて居た。夜になっても寝ると仕方がないから、なるたけ人中で騒いで居て疲れて寝る工夫をし
何年か前に絶縁状態になってた元友人、Facebookはブロックされてなかったので定期的に動向を見に行ってたのだが、全く更新されないまま、さっき見たら追悼アカウントというのになっていた。
そんなものがあるのを知らなかったが、生前に誰かに託してたり、死後遺族が申請したりするとそういうのになるらしい。
歳も近くて気も合って、随分と遊んだのだが、10年以上の付き合いのなかで向こうは結婚したり離婚したり、そもそもそいつは双極性障害が結構深刻で、こっちもまあまあのキチ◯イだったから喧嘩もしたりで、最後には喧嘩別れみたいになっていた。離婚して仕事もうまくいかず、実家に帰るという話になった時、じゃあそのうち実家の方に遊びに行くわ、と言ったら怒り始めて、今会えないのか、お前は俺の言ってる意味が分かってるのか、と怒鳴り始めたので、うるせえこっちにも都合があるんだおめえの言ってることぐらいわかるわ、と怒鳴り返してそれっきり。
今考えると、あいつはあの時にもう死ぬ事を決めてたんじゃないかと思う。追悼アカウントになったのはつい最近(半年前に見たときはなってなかった)なので、自殺ではなく病死(多分酒の飲み過ぎだろう)かもしれないが、結局仲直りの機会はなかった。
近しい人で自死、あるいはその可能性がある人間はこれで二人目になる。一人目は40にもなってなかった。二人目だって50代だ。人生なんて何が起こるかも分からんし、何も起こらなくたって死ぬよりゃマシじゃねえかと思うのだが、何でみんな死にたがるかね。
俺は生きるよ。何を、誰を犠牲にしても。汚く行き永らえてやる。そんであいつらのことを忘れないでいてやる。いつまでも口汚く罵ってやる。ふざけんじゃねえ。
イーロン・マスク「退職後のために貯蓄するのは無意味になるだろう」
もしこれが本当なら大変なことだ。この未来では通貨が意味をなさないので、彼は94兆2000億円の資産を5年以内に放棄するだろう。
信じがたいことだが、お金が必要なくなった世界では、貯金や資産よりもSNSのいいねの数の方が重視される。
スネ夫のラジコンやプラモデルは、それ自体が貴重で高価なため価値を持つが、やがて皆が裕福になり、誰でも買えるようになると
その価値は減衰し、本当にそれが好きな人以外には、何の価値もない、つまらないものになってしまう。
例えばパンが食べられなくて餓死したり、薬が手に入らないという理由で病死することは現代であってもあまり起こらないが、
カフェで朝食をとりたいとか、高価なサプリメントを買いたいという需要はなくならないし、それを供給するためには誰かが仕事をしなければならない。
もしこれを止めたいなら、人間自身がその世界に適応して進化する必要があり、それは10年や20年では達成不可能だ。
わかるだろう?毎日トラックからパンがばら撒かれ、それを拾って食べるだけ。そんな人生は、多くの人にとってあまり魅力的ではない。
こんなおじさん(いや、もうじじいか)の戯言にコメントがついていてビックリした。
読んでくれてありがとう。
(回答)ご名答。当時は電算機だったよ。いまはIT企業って呼ばれている。銀行の勘定系がクラウドで稼働とか、すごい時代だなと思います。私の関わった領域だと、インターネットとクラウドが、ここ数十年でもっとも大きな変化だと思います。
(回答)祖父祖母、父母、義理の父母、姉、妻の兄、多くの親戚などを見送ってきたので、「なぜ自分が」というよりは、「このタイミングで、自分にも来たか」という思い。怖いというより、「あと10年生きたかった」という思いが強い。父が79歳で死んだが、医療も発達したので、父よりは長生きでるかな、と思っていたので。私は宗教的ではないが、私の死後10-20年したら妻もやってくるし、50-60年したら、娘もやってくる。なので、また家族には会えると思いたい。これいい話だから読んでみて。再び読んでまた泣いた。「どこかの映画館の話」
https://note.com/mupyyyyy/n/n75b557a75f6c
(コメント)バブル時代を過ごせただけで、他の世代の人生の数倍のおいしい思いができているわけなんだよな。
(回答)立場によるんじゃないかな。あの時代、特に金融業界とか不動産業界とかは本当に羽振りがよかった。妻の兄が証券会社だったのだが、とにかく金の使い方が凄かった。でっかいBMWに乗って、ごっつい腕時計していたことをよく覚えている。ただ、私は大儲けできる立場ではなかったし、ノーパンしゃぶしゃぶみたいなのにも行ったことがない。当時、妻の両親が病気になったりして、介護していた記憶。なお、義理の兄に勧められていくつか株を買っていたが、結果大損した。その後も、株主優待券目当てで持ち続けたJAL株も、2010年に紙くずに。。
(回答)ありがとう。生前贈与は色々やっている。相続対策は、一回目のがんをやったときに、弁護士に相談して対策済。手書きの遺言も書いた。
(回答)鋭い。インターネットが出てきたころに勘違いして起業して、数年でサラリーマンに戻ったのだが、やってたビジネスの一部が形を変えて、今副業になっている。サラリーマン戻ってからは、会社にはばれないようにやっていた。
(コメント) 「物を見る目がない僕なので流してほしいんですが、えらく薄いなと思いました。」「40代の自分と世の中の解像度がほぼ同じなのびびる…」
(回答)私も過去に同じことを思ったよ。父が亡くなるとき、年齢的には70代後半で悟りを開いているように見えたのだが、なんか普通だった。枯淡の境地という感じではなかった。私も子供が生まれたことでOSのバージョンが上がった気がするが、それからはOSのバージョン上がった気がしない。中身40代のまま年だけ食った感じ。
(コメント) こういうとき仕事の内容の話殆ど出てこないよね仕事の時間がいかに無駄であるか
(回答)仕事は楽しいことも辛いこともあった。ただ、無駄とは思わないよ。新卒で入った会社で、ちゃらんぽらん大学生だったのを、社会人に鍛えてもらって感謝してる。ただ、家族があってこその仕事。あとは、一度独立したあとは、正直サラリーマン仕事はどうでもよくなったな。一応真面目にはやるけど、以前ほどの情熱は持てなくなった。しょせん他人の仕事の手伝いだし、という気分だった。ただ、再び独立するだけの気概も能力もなかった。この点は悔いている。
(回答)ありがとう。私は結婚したときは子供欲しいとは全然思わなくて、仕事ばかりしてそれなりに楽しかった。40前になって子供が生まれてから、人生に別次元の楽しさが生まれて、生きててよかったと思ったよ。
(コメント) 業務ストレスと喫煙・飲酒の度合いが書かれていないので70歳で病死されることへの評価がし難い
(回答)たばこは20歳から39歳まで吸っていました。特にひどく吸っていたのは30歳くらいまでかな。子供生まれるときに辞めました。酒はビール一杯で顔が真っ赤になる家系でほとんど飲めません。
(コメント)今や、子供を持つことと、若いうちから投資することと、若いうちから行きたいところに行くことを全部成立させるのはなかなかの恵まれた感じではある。
(回答)今はオルカンみたいな低い手数料の商品が多数あるので、少額でもいいのではじめてみて。投資する習慣をつけてみて。あとは、どうすれば儲かるかを考えてみて。私は起業してうまくいかなかった後に、外資に転職したら、年収が結構あがって、こんな世界もあるのかと驚いた。お金があれば、色々な問題を解決してくれる。頑張って。応援。
(コメント)ガンの方が死ぬ準備できるから、事故死とかよりも良いっていうよね。
(回答)そう思う。私の最も仲の良かった従兄は、健康でボディビルやってて体格もよく、性格もよく、男前なやつだったが、若いころにバイク事故で死んだ。何も残せずに死んだので、残された親兄弟がとても苦しんだと思う。ガンであれば、準備期間があるので、そういう思いをさせずに済む。
(回答)私の父の口癖だった。母の家系がはげ家系なので、私が小さいころに「大きくなったら、僕もはげるのかな」と言ったら、父は「大丈夫、お父さんはふさふさ家系だから!」とよく言ってくれた。
追記ここまで。-----------------------
本編ここから。
これまでの人生を振り返る。
1955年、北海道に生まれる。父は消防士で母は保険会社の営業職員。姉は障害もち。
父と母の両輪で働いていたので、そこまで裕福ではなかったが、東京の大学に出してもらえた。
国際政治を勉強したけど、国際政治ってのは、雑学としてはいいが、ビジネスにはそこまで役に立たないんだよな。でも好きだったからよし。
その後、IT企業に勤め、妻と結婚し、娘が生まれ、何度かの転職を経て、60歳で退職。
仕事はどうだろう、おおむね楽しかったかな。何度か転職もしているので、いま会いたいと思える同僚もそんなにいない。
管理職からは外れたが、専門性があったので、転職には困らなかったな。
仕事の関係で色々な国に行かせてもらった。アメリカ、イギリス、タイ、インドネシア、マレーシア、ベトナム、フィリピン、トルコ、ギリシャ、アイルランド、台湾、中国、韓国、香港、オーストラリアなどなど。
特に2000年以降のアジアの成長はすさまじく、訪問するたびに街にビルが建っていく様は驚いたな。
40代からネットを使ったちょっとした副業をしていたので、生活費もまあまあある。
年末にお歳暮を贈りあい、たまにLINEでやりとりする程度だが、それでもこうした友がいることはうれしい。
また、相続した零細アパートが、安定してキャッシュを稼いでくれている。
バブル後になってから30年ローンで家を建てて、いまだローンは支払っているが、おそらく住宅ローンより私の寿命のほうが短いので、団信で数年分はチャラになるはず。
家を建てるのにこだわった妻の尽力で土地を見つけてきてくれて、建設費も安く建てることができた。
姉は2年前に死去。無事に送り出したという感覚が強い。お父さん、お母さん、約束を守りましたよ。
姉はいまでいう学習障害だったのかもしれないが、当時は障害者という扱いになった。
計算とか、交渉とか、契約とか、公的文書の理解など、難しいことはできないが、料理をしたり、娘を可愛がってくれたりして感謝している。
そして高齢の父と母の支えにもなってくれた。
父はがんの再発後に静かに死去。欠点も多くある、友達が少なく、ぼっち気質の父親だったが、学ぶことの楽しさを教えてくれたと思う。ややミリオタなのは父の影響。
父はどうしても乗りたい外車があって、あらゆる手を尽くして入手し、乗せてくれた。ところどころ、妙なこだわりがあった。
母はお金関連でトラブルを起こし、晩節を汚した。また認知症で4年施設に入っていたが、最後まで家族のことは認識していた。
母は、仕事が大好きで、言っていることは時々訳がわからないが、人を巻き込む力と妙な説得力があったので、男性であればもっと仕事の可能性が広がったのかもしれない。
祖父もがんで死去、父もがんで死去。そして私もがんなので、がん家系なんだなと思う。ちなみに髪の毛はふさふさ家系です。
祖父は72歳で死去、父は79歳で死去だったので、おそらく父よりは長生きすると思っていたが、祖父よりも短い寿命だったか。
39歳のときに生まれた娘は、中高一貫から有名私立大を経て就職。2年前に結婚。バリバリ働いている。
娘から、AIを業務でいかに活用しているか聞いたりするのは本当に楽しい。AIについては賛否があるが、素晴らしい未来があるんだな、と私は思う。
私もこれからのAIがどのように社会に適用されていくのか、見たかったな。
まだ孫の話は聞こえてこないので、おそらく自分は孫を見ることなく死ぬんだろうなと思う。
もっと早くに子供が生まれればよかったが、家庭内色々ごたごたしていたので、それは叶わなかった。もっと長生きして娘の支えになれればよかった。
思ったり早くいなくなりそうでごめんね。
こないだ当たったスイッチ2と、スイッチ1の有機ELモデル、あげるよ。もう持っているかもしれないけど。
娘がゲーム好きなのは間違いなく私の影響で、マリオカート、ぷよぷよ、よく一緒にやったな。娘が生まれたら、スイッチ2に入っている新しいマリオカートで、子供と遊ぶといいよ。
娘は、小さいころからアンパンマンがずっと好きだから、きっと子供が生まれたらアンパンマンをグッズをいっぱい買ってあげるのかな。
妻とは衝突も多かったし、心の中で分かり合えていない、許せていないこともある(浮気とかではないです)。
ただ、長期的にみると妻の意見のほうが正しかったことも多かったなと思う。
よく娘を育ててくれました。
ありがとう、ごめんなさい。
イタリア旅行、楽しかったね。レモンリゾットは本当にうまかった。
ぜひ長生きして、娘とその家族とともに幸せな老後を過ごしてね。
超長文になってきた。
今振り返ると、強い怒りとか悔しさみたいなものは、ほとんどなくて、あるのは感謝が多い。
父と母、祖父母、妻、娘、友人、仕事仲間など、みんなにありがとうと言いたい。
祖父母が中卒、父母は高卒、私は一族で最初の大卒で、東京にやってきた。
娘は大学の学部卒で就職したけど、もし必要であれば、大学院に行くのもいいかもね。
MBAなどを持っておくと、将来有利になる場面も多いし。
そして、父母から受け継いだ資産はすべて、娘が持つことになる。
巨万の富でもないけど、お金で買える安心、幸せもあるので、ぜひ活用してほしい。
特に私の父母、妻の父母、そして実家と、受け継ぐ不動産が多いので、管理をしっかりね(まあ、当面は妻の資産になりますが)。
1つめは、「家族を大事ににして、思い出をたくさん作る」こと。
あなたと一番長く時間を過ごすのは家族。楽しいことも、うれしいことも、つらいことも、悲しいことも共有し、背負いこむのは家族。
数年前に、過去の写真を全部スキャンして、Google Photoに取り込んで見直したら、本当に幸せな人生だったと思ったよ。
特に小さな娘を連れてあちこち行った時の思い出。アンパンマンショーを見に行ったり、動物園いったり、遊園地いったり、最高に楽しかった。
浮気とは不倫とかはいかんよ。あれで家族が崩壊した人の例をいくつも見てきた。不倫で独り者になった人は、残念ながら悲しい末路を送っている人多い。早死にも多い。
どうしても性欲が我慢できなかったら、こっそり風俗でも行きなさい。
2つめは、「子供を持つ」こと。
今のご時世、子供を持ったほうが良い、とおおっぴらに言いにくいのだが、私(n=1)は娘をもって本当に幸せだった。
娘が小さいころ、数年独立して自分の会社をやっていたのだが、時間が自由だったので、本当によく一緒に遊んだ。
これらの思い出のために、私の人生があるんじゃないかと思うくらい。
娘が大きくなって、自分の世界を広げていって、親の手から離れていく。
嬉しくもあるが、寂しくもある。でも嬉しくて幸せ。
このブログ記事おすすめしておきます。最期に見る夢をいくらで買いますか?
https://grand-bishop.hatenadiary.org/entry/20150402/1427945550
日本の人口の上位10%くらいを目指して、どうすればお金を儲けられるかを考えて、がんばってみて。
私のような、さぼり癖のあるおじさんにもできたのだから、みんなもできる。
そして、若いうちから給料の10%を、オルカンなどの低い手数料の金融商品に突っ込んでおいて。
大きくなって、老後を支えてくれます。
4つめは、「行きたいところには、若いうちに、元気なうちに行っておいたほうが良い」ということ。
高齢になると、時間があるので何でもできそうに思うでしょ?でも、意欲と体力がなくなる。
だから、節約してでも、若いうちに色々なところにいってくるといい。
苦しい時に、あなたを支えてくれる、良い思い出になってくれる。
そんなわけで、幸せな人生だったと思います。もう少し生きますが、あと1年楽しめるといいな。
あと、妻と娘宛てに、死後に読んでもらう「ありがとうの手紙」でも書いておかないとな。湿っぽくならないように、楽しいやつを。
「親が家を売らずにすみました」18歳の白血病患者が3000万円する薬を打てるのも健康保険のおかげ→「社会保険料払ってる甲斐がある」という声が集まる
differential 私も手術費一千万円近く。義理の兄弟と仕事仲間は白血病を克服した。みんな今は元気で働いて社保税金払っとる。ありがたいね、その分頑張って納付する/ 病老苦死は凡夫の制御の外 という残酷さに現代はどう向き合う
老病死苦な。
「一緒じゃねーか」じゃねーんだよ。
掛け算の順番より気持ち悪い。
釈迦が出掛けて
の順に出会ったから老病死苦なんであってこの順番はどうでもよくない。
結論として一切苦であると気付いて修行を始めるんだから苦が最後。
この人オリジナルの病老苦死という並べ方はなんなのかというと、この人なりに考えた人間が弱ってく順番で書いてんだろう。けど本来の「老病死苦」は釈迦が事実に直面してった順番。
単に凡夫の苦しみを言いたいなら生老病死の方が相応しい。生老病死は四苦。
(こんなの日本人の一定の教養備えた大人に改めて教えるようなことではない。)
決まり文句としてのショーロウビョーシやロウビョウシクは本来音でも覚えて間違えようがない。
ああいい話だなと思って読んでるのに「病老苦死は凡夫の制御の外 」とかいう意味不明な日本語使われると一気に「なんだこのバババババは?」ってなるんだよな。
はてブ見てるとずーっとずーっとこういう日本語クオリティなんだよね。人気コメに絞っても1日に何件でもこういうのが見つかる
バババババだらけ。
病老苦死でも。言葉間違えまくっても。
「俺らそんなに本とか読まねーからよー」と言われりゃ
重ねて嫌みなこと言わない。
それでなんでこの程度の日本語も入っとらん?
けど社会に出て働いて兄弟が結婚して揃って大病するような歳にもなってそれか?
なら
「私達は物事をわかっていません」
「勉強する機会を逃して知らないことばかりです」
隙見ちゃ世間のあらゆることにわかったようなコメントつけて批判や説教までするよな。
どっちなんだよ。
使いこなせもしねー言葉を無理して使うな。
なんか間違えるたびに顔真っ赤にして反省して調べ直しとけ。
自省のない集団が使うとカスの培養池みたいになるサービスがはてなブックマークなんだ。
そらまぁ形式的にはそうよ?
でも、水戸藩に生まれ徳川宗家との血縁は家康まで遡る必要があり、1867.1.10将軍就任1867.11.10大政奉還で将軍職にあったのはわずか10ヶ月。その間ずっと京都で天皇のご機嫌取り。
もともと将軍になるのを猛烈に嫌がってて、なったらさっさと幕府を店じまい。
「朝廷に恭順して内戦を防いだ名君」みたいな無理擁護あるけど、それ名君じゃなくて名奴隷だろ。つーかあの時期は内戦ガンガンやってんじゃん。家茂はきっちり内戦で勝ってたぞ。
だいたい孝明天皇(バカ)が死んだ途端に中山忠能ごときに政争で負けてる時点でクソでしかない。さすが阿部正弘に見限られただけのことはある。
自分は4期生から入ったので、かなたんがやめるのは一つの時代が終わったような感じがして非常に悲しいんだが
まあいうて自分はそこまで熱量の高いファンではなかったと思うのと、いい年なので怒りとかはなくただ知ってる人が去るショックだけが残る
かなたんは所謂アイドルに熱量の高いオタク気質なところがあったので、かなり辞めない派・岩盤層だと思ってたんだけど
離脱理由って結構いろいろあって、たまたま重なっただけだと最初は思ってたけど
何割かは同じ激務問題が絡んでいるように見える
俺のよく見ているホロメン曰く、2、3年前くらい?が一番ヤバくて、今は少し改善傾向にあると言う話だったが
ここ1年くらい卒業が相次いでいるのを見ると本当に改善しているのか疑問符がつく
そもそも業務委託なので、労働基準法の外にいるというか、その心配は最初の頃からあったよね
このビジネスモデルは、数十人の配信者+数百人の社員で構成されるわけで
どう足掻いても1人の配信者にかかる負荷は単純計算で社員10人分くらいになってしまう
(実際、1人に対して社員が少なかった頃は放置されていて自由にやってたと思う)
最初から分かってたことなんだ、上場目指すのが果たして良かったのか?と言うレベルで最初からそれは感じていた
たとえば週刊漫画だって、漫画家を馬車馬のように働かせないと色んなものが維持できない
(こういうのなんて言うっけ、スターシステムみたいなビジネスモデル)
もし体力がついていかなくなったら(冨樫レベルは除いて)皆去るしかなくなるんだ、むしろそれを承知でやってると思う、嫌ならやめろ他はいくらでもいるんだシステム(実際そう思ってないにしても、環境がそうさせてしまう)
Vutberはまだ「やばくなったらとりあえず長期で休む」みたいなことができる分、緩い面があるのかもしれない
ただ、数年それが続くと当然辞める人は出ちゃうよね(他方で辞めない人も大勢居るけど、このへんは吉本とかもそうだよね)
こういうのって実際に本人になってみないと、どのくらい非常識/現実的な業務量か分からないとは思うんだけど
少なくともそれで人が辞める会社は一般的にブラック企業って呼ばれるんだよなあ、それが業務委託であっても
というか、社員数が増え過ぎなんだよなあ
四半期で2割は増えてる、1年で2倍とかそういう次元
自分はベンチャー企業〜大企業で何社か経験あるんだけど、基本1年で倍は完全に制御を失うんだよね
考えてみて、30人の部署が1年で60人になるんだよ、1年目が半分居るって状態、カオスofカオス(定型業務とか、定型プロジェクトじゃないからね、新しい企画やアライアンスが発生するタイプのビジネスで倍は地獄)
社員の制御すら失うんだから、ライバーはもっと制御できないんだよなあ
経営層は何でこんな焦ってるんだろう?
ひょっとしてもっと上位の企業になることをめざしてるのかな、そんな気がする
(ちなみに社員数はエニカラも多いから、そこが論点じゃないと言われたら反論できない。エニカラの方は詳しくないんだけど)
まあこういうの、いうて規模拡大をやめれば5年くらいで落ち着くから最初の人たちはただの犠牲ってことになるんだけどね
拡大期のベンチャーってあんま行くもんじゃないよ、採用はめっちゃされやすいけど
質の悪い企画に適当にアサインされたりして、コア事業には絡めずに勉強くらいにしかならないみたいな(勉強になるならまだマシか)
俺もそこそこ有名なベンチャーに居たんだけど、当時の同期全員辞めてるからね、なのに今の会社の評判はかなり良いらしい笑
多分一部のファンは怒って「こんな会社無くなる」みたいに思うんだろうけど、それは社会やベンチャーを理解していない
ベンチャーは初期勢の犠牲の上に安定運営を築くものなのでこういうのでは潰れない
潰れるとしたら人件費が嵩んでくらいだけど、現状賄えてるしね、めっちゃ安定すると思うよ
ファンも新規の若いファンが付くから、古参勢は苦々しく思っても何も言えないみたいな、そういう思い出になっていくんだろう
まあどの界隈でもあるよね
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ファンがアクティビストになって突っ込んで行くっていうのは割とありだと思うけどどうなんだろ?
もし企業Vtuberが巨大勢力になったら、事務所を横断して演者側で組合を作るとか、ガワを維持した移籍の可能化とかの流れになると思うけど、ぶっちゃけ規模がちっちゃいし厳しいだろうな、アイドルですらやれてないしね(声優はやれてるイメージ)
一部で「V同士でパーティーやって悩みとか言い合ったほうが良い」って言ってる人も居るんだけど、パーティーって実はゆるい組合だよね
仕組み上どうしても孤立しがちだから正解だとは思ってる、「その必要がないくらい会社がちゃんとするべき」って意見が出そうだけどそれって現代日本的であんま健全ではないよな
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あーなんかでも今回やっぱショックでかいわ
何でだろ、疲れてんのかな?
あれか、辞めないと思ってたからか?なんかホロメンも今回様子おかしくね?
知ってるタレントが病死したみたいな嫌な気分がする、初めてかもしれん
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タレント業ってタレントができるだけ大きいメディアでパフォーマンスして、コンテンツを売るみたいなビジネスモデルじゃん?それってVで言えばYouTube配信なんだよね
キャラクタービジネスは、関連グッズを販売するイメージだから、商品企画やコラボがメインになる
Vtuberがキツいのは、このキャラクターの責任者、権利者が本人にあるんだよ、当人を無視して進められない、結果ボトルネックになる
最近は1人あたりの売上が4億円くらいらしいんだけど、考えてみてよ平均4億円の企画が走る状況
時差のためか、今朝になってインスタでいろんな情報や追悼の言葉、写真が流れてくる。トランスジェンダーの暴力の遭いやすさはシスジェンダーの約2.5倍、殺害されるうちの9割程度が女性、もしくは女性的なノンバイナリーらしい。
そういえば、以前にアメリカの黒人トランス女性が「黒人トランス女性はすぐ殺されたり追い詰められて自殺したりするから平均寿命は35歳。私は平均寿命まで生き延びたよ!」と投稿しているのを見たことがあった(その平均寿命が正しかったのかは確かめられなかったが)。ブラジルの映画『私はヴァレンティナ』でも、トランスジェンダーへの暴力の多さゆえに平均寿命が30代だとラストに出ていた記憶がある。
日本では殺されることはあまりないだろうが、学校に行けない、就職できない、貧困、周囲からのハラスメントなどで自殺する人はちらほら聞くし、Xで別れの挨拶をした後ポストが止まる人も見かける(直後に当人が言っていた路線で人身事故の報が出たりするととても辛い)。医療にかかれない人も多いし、病死もしやすいだろう。
普通に考えて何の問題もなくガンガン成長してるんなら政府が規制かけるわけなくね?
政府が規制かけたのはバカみたいな働き方をして、させ続けた結果、
心身の疾患、果にはDEATH OF KARO(病死、自死含む)が社会問題になったから
政府として国民の生活を守るためにやむなく敷いたのが労働規制だろ。
何なら政府なんか経団連とズブズブのズブなんだから労働規制には消極的だっただろ。
あと世界的に日本の働き方は異常だってずっと言われ続けていたわけで。
日本の成長が止まったのは政府が労働規制をかけたからじゃなくて
終わってる生産性を長時間労働で誤魔化し続けていたのを改善できなかったからじゃねぇの。