はてなキーワード: 外来とは
とはいえ、今年は頭痛外来に通い始めたおかげで少しマシになった。
なかでも、頭痛ダイアリーをつけるようになったことで、気圧差より寒暖差に弱いことが自覚できたことは大きい。
今日みたいに頭痛を見越して事前に有給をとることも出来るようになり、人生を振り回されている感覚が減った…と思う。
思い返すと、過去何回か転職活動をしたタイミングはだいたいこの時期だった。
当時は自覚がなかったが、頭痛によるパフォーマンス悪化→メンタル悪化→何か環境を変えなければ!→転職、となっていたのかもなぁ、と思う(当時それに気づいていたらまた何か違う人生だったりしただろうか?)。
何にせよ、不調の原因が明確になって他への延焼を減らせて良かった。
とりとめない日記。
帰省した際に、両親、特に母親の物忘れの頻度が高くなっていることが気になっていてしまった。
全盛期から物覚えが良い方ではないタイプの人ではあったのだが、それが輪をかけてひどくなっており、本人は「年でだめだね」って言っているんだが、正直辛い。
前々から「物忘れ外来に行ってみたら?」と勧めていたんだけれど、一笑に付されて行ってもくれなかった。ことに自分の強制力のなさや情けなさを感じている。
私は、非正規低賃金貯金もなく、頼れるような親戚兄弟もいない独身だ。
本当は仕事をやめて地元で介護をしたほうがいいのはわかっているが、現職も首都圏だから成立しているだけで正直地元で仕事はない。
そんな情けない生活をしているもんだから、地元に帰れるのが長期休みぐらいしかタイミングないのもあり、強制的に医者へ受診させられなかったことや、
これからどうしたらいいのかなど、将来のことを考えると、自分の現状の惨めさや親へ何もしてやれてない無力さや後悔が押し寄せてきてしまい悔しくて仕方がない。
助かりたいが、これ以上は無理なんだろうか。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
日本食談義ではカニ・日本酒・ラーメン・ラムスープなど多彩な食体験が共有され、ナルトの発祥や具材文化への雑学トークも展開。
今治製のコットンマフラーや松山空港での買い物レビューなど、食と買い物を絡めた旅情トークが盛り上がる。
クリスマス周辺ではケーキ・シャケ・すた丼・モンスター丼など季節グルメの話題が頻出。
飲食チェーンのテイクアウト蓋や量の変化など、生活実感ベースの食体験が共有された。
サンフランシスコ〜ナパ・ヨセミテの交通手段・Uber・BART・Wallet対応情報が交換され、旅の実用知識が共有。
松山・羽田など空港話題では富士山の眺め・現地での買い物といった旅の感想が語られる。
帰国・移動・関越道事故など、移動にまつわるエピソードが散発的に登場。
胃カメラ・いびき外来・鼻の手術・経鼻麻酔など具体的な受診体験が共有され、治療費や対策(サージカルテープ)にも話題が及ぶ。
家族の入院・キャンセル手続き・診断書提出など、医療と生活のリアルに関する相談・共感が多い。
気候・寒さ・湿度・体調変化への言及も交じり、身近な健康感覚が語られた。
クリニックのIT化・分院展開やファイル共有・git運用など、働き方とIT活用の話題が展開。
安いノートPC・Apple製品・中古/下取り・与信スコアなど、購入判断や金融視点の会話が交わされる。
AIへの質問の工夫やリンク共有など、デジタルツールとの付き合い方が話題に。
お年玉の相場・甥姪へのプレゼント・サンタと子どもなど、家庭行事と価値観の共有が盛り上がる。
引っ越し・鍵の引き渡し・断捨離・トランクルームなど、暮らしの見直し・持ち物との距離感が語られた。
髪を切る、配当金入金、年末の雑務など、日常の小さな出来事が温度感をもって共有された。
競馬・馬券・勝敗談義が継続的な盛り上がりトピックとして存在。
映画・ヨセミテのフリーソロ、朝ドラ、配信イベント、百人一首大会提案など、幅広い趣味が語られる。
宝くじ・物価上昇・メモリ価格・カカオ・金銀価格など、消費と経済感覚の共有も見られた。
洗濯機やエアコンの分解清掃・業者対応、住環境の改善とコスト感覚について意見交換。
予約キャンセル・手数料免除など、実務的手続きの知恵が共有された。
今週の会話は、生活・健康・家族・旅行・IT・消費・趣味といった日常テーマが横断的につながり、参加者それぞれの体験が具体例として重なり合う構成となった。
特に医療・移動・年末行事という「生活のリアル」を軸に、ユーモアと実用情報が共存する温かなコミュニティ感が印象的。
総じて、知識共有と共感が循環する「暮らしの知恵と近況交換の場」として充実した1週間だったといえる。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
消灯が早いので、起床時間前に目覚める。夜間に看護師がドレーンが首から外れていないかを懐中電灯で照らして確認するので、何回か目が覚めていたが、良く寝られたと感じる。前日しっかり食べたので、各段に体力が回復している。
しかし今日の目標は、明日ドレーンを抜いてもらうために無駄に動かない、である。
この日から通常の食事となる。朝食にはクロワッサンが登場。カロリーが高いメニューが続くが、完食し続ける。朝のバイタルチェックで、ドレーンにつながるプラスティック容器に本日の日付が書き込まれる。ちょっと多いですね、といわれる。今日もシャワー禁止で、おしぼりで体をふき、ドライシャンプーをする。声帯を動かすために小さくハミングをして音を鼻腔に響かせる。低音は問題ないが、高音は音が割れる。空気が声帯から漏れている。その後もときどき声帯を動かす練習を行った
水筒へ水を汲みに休憩所にいくと、同室のクレーム老女と歩行器老女がテレビを見ながら熱心に世間話をしていた。話し相手がいるのは良いことだ。気難しいタイプのクレーム老女と話の弾む歩行器老女のコミュニケーション能力の高さに感服する。
10時ごろ、診察室に入るとさらに初顔の若い茶髪の女性医師がいた。4人目の医師。主治医と同世代か少し若い。明日、内視鏡しますね、ドレーンは70mlか、明日は無理かもね、とコメント。そんな不吉なことを言わないでほしい。
ベッド上で体を起こさず、ウォークマンを聴いて過ごす。この5年ほど使用していなかったのだが、入院に際して役に立つかもと持参していたのだ。久々の充電にも問題なく動き、大容量メモリ内に保存されている懐かしい曲、プレイリストをノイズキャンセリングでゆっくりと聴く。
体力、気力が激減しているのでスマホは長時間みる気力がなく、本も読めない、スマホでソシャゲの周回を脳死でやる、という気持ちにもなれない。音楽は心の救いになった。特にクラシック音楽と中学生のときに熱中した音楽が良かった。
体のすべてのエネルギーが、傷の修復に投入されている。全身の体積からみるとほんの小さな傷のはずだが、生存に関わる危機だと体が判定している。村上春樹の「1Q84」で、傷ついた野良猫が隠れてじっと動かずにいるように、といった表現があったことを思い出す。そう、傷が治るまでは動けない、動いてはいけないのだ。
今日ドレーンは抜けなかった、明日退院はできない、仕事、連絡、請求書、入金、どうする、どうすると善後策をぐるぐる考え続ける。
昼過ぎ、バイタルチェックにきた看護師にドレーンの状況をきく。全然出てないですよー、と良い知らせ。
師長がアラサー女性のベッドに謝罪に来る。どうやら不手際が2日連続で起こっている。前日は医者、本日は看護師がやらかしたようだ。聞いていると確かにそれはまずいとしか言いようがない失態だった。大部屋にプライバシーというものは存在しない。
回診に来た主治医にドレーンを早く抜いてほしいと訴えるも、ここまで非常に順調に来たのだから少し待ちましょう、抜いた後に体液が溜まって再度穴をあけることになったら大変です、と諭される。
16時過ぎ、研修医がやってきて、傷口のチェックをしたあと、ドレーンからの排出液をためるプラスティック容器を見て首をかしげる。再度手術の傷跡を確認し、今度は主治医を連れてやってきた。主治医も首とドレーンをチェックする。どうやら突然体液の排出が止まったので、ドレーンが曲がっているか、詰まっているのではないかと確認にきたらしい。特に問題はなく、帰り際に主治医が研修医に明日処置の準備をというのが耳に入る。ひそかにガッツポーズを決める。
食事やバイタルチェック、掃除のとき、クレーム老女も看護師やスタッフにお礼を言うようになった。私をはじめ他の同室者が愛想よくお礼を言い続けたのでつられている。まあ、ようやってもらってると感謝しないといけないわな、ともつぶやく。病室の空気がかなり軽くなった。
夜中、寒さと鼻水で起きる。自宅でもときどき発生する現象だ。持参していた貼るカイロを腰に貼り、横になる。朝、鼻水がたまっているが、元気に目覚める。日々、もりもり回復していることを感じる。
朝食に分厚い食パンとバター、ジャムが出る。昼食、夕食はどんぶり椀の白米だし、とにかく炭水化物を取らせる方針のようだ。病院なので当然ながら、毎回塩分はかなり少なく、甘い味付けが多い。
横になってウォークマンでミュージカル、レ・ミゼラブルのサウンドトラックを聴き、感極まって涙を流していると時間が非常にランダムなバイタルチェックがやってくる。やばい、と慌てて態勢を整える。やたらと体温が高く、血圧も高すぎて看護師が眉を顰める。音楽を聴いて興奮していたので、とも言えずなんででしょうねーとあいまいにごまかす。
診察待ちの待機部屋で同室の歩行器老女と顔を合わせる。お話好きの老女はすすっ、と私の隣に座り、すぐに自分の病状を話し出した。マスクで隠れていたが、鼻の手術で顔が内出血が大変になことになっている。私も自分の手術痕について話をして、赤いのって目立ちますよねー、嫌ですよねーと、同病相哀れんだ。
9時過ぎの診察は、若い茶髪の女性医師。予告していた内視鏡を鼻から入れる。声帯を動かし、確認をすると、「うん、右に比べて少し遅れていますが、左の声帯も動いていますね!これならすぐに戻るでしょう」と良い結果になった。主治医も喜ぶだろう。
ドレーンのプラスティック容器と日付をチェックし、「20mlか、ぎりぎりだな、主治医の先生はなんて言ってました?」少し待ちましょう、と言っていたとは言わず「いやあ」笑ってごまかす。「ま、抜きますか」やったね!と心の中で快哉を叫ぶ。
透明の管を抜き、首にできた穴に巨大な防水絆創膏を貼る。この後、バイタルチェックで絆創膏の状況が確認されることになる。体液がにじみでないように、この日も安静に過ごすことを心の中でひそかに誓う。絆創膏に体液がたくさんにじみでて状況が悪いから再度ドレーン、退院NGです! という事態を避けたい。
ドレーンのプラスティック容器をつるす点滴スタンドと別れを告げて、歩きやすくなる。歩行器老女がすれ違う際に、ドレーン取れたのですね、よかったですね!と祝福してくれる。ありがとうございます!シャワーの予約に行き、看護師からもおお、取れましたか!と声がかかる。にこにこ笑ってお礼を言う。大変うれしい。
同室の若い女性と看護師が差額ベッド代について話している。現在の差額なし大部屋に入る前の病室の請求書のようだ。救急で運ばれたときに、家族が第一希望のほか、第二希望の部屋タイプにチェックをいれていたらしい。その第二希望部屋タイプのベッド代である。本人が希望したわけではないので、納得しがたいだろう。緊急入院する際に、そこまで気の回る人も少ないと思う。ただ希望は紙に記載してしまっている。状況はなかなか厳しい。
水筒に水を汲みに行く際、杖を突いて歩く同室のクレーム老女とすれ違う。突然話しかけるのははばかられるので、笑顔で会釈する。和顔施は仏の教え。
母に自宅から仕事用スマートフォンを持ってきてもらう。ざっと情報を流し、不在中に問題が発生していないことを確認、チャットで連絡を入れ、退院日の帰宅後からWeb会議に出る予定とする。大きな心配事が解消し、ようやく安堵する。あとは予定通り退院するだけ。スマートフォンは再度母に自宅に持ち帰ってもらう。
夕食前に、首の手術痕がぴりぴりとするのを感じる。鎮痛剤が切れたようだ。食後に飲む予定であるし、前倒して飲むほどではない。痛むというより、何かがピリッとした、神経が走った、という感じであった。
快調に目覚める。絆創膏は体液がにじんでもなく、きれいである。昨夜看護師に一度貼り替えましたか?と尋ねられたぐらいである。術後、傷の修復に全投入されてたエネルギーが、他の部分にも回ってきたのか、体に力を感じた。
この日は日曜日のため医師は不在、病棟から患者も看護師も激減し、イベントは食事と最低限のバイタルチェックだけで、大変に平和だった。土曜に退院したかったな……。
一番の問題は、私の体力である。前日まで安静に努めていたため、起き上がった姿勢で長時間いれるのか、はたまた長時間歩けるのか、公共交通機関で帰宅できるのか、不安になる。
慣れるしかないため、一時間のうちで起きる時間、横になる時間の割合を少しずつ変えてゆく。食事の量は変わらないのに軽く完食できるうえに、食間に空腹を覚えるほどになった。お見舞いでもらったミカンを食べる。
退院後に傷口をメンテナンスするためのテープの使い方を看護師から教わる。手術前に買っていたテープで、3か月ほどの期間なので、買い替えもいらないだろうという。私の手術跡は大変見えやすいところにあるので大丈夫だろうと言われる。耳の近くなど、鏡で確認しづらい位置に傷跡がある人は大変なようだ。
夕食後のトレイを戻して部屋に帰ろうとすると、クレーム老女が杖もなく一人で歩いてトレイを返却に向かっていた。驚いて思わず目を見張り、ついでにっこり笑って会釈する。
部屋に戻ると、クレーム老女が歩行器老女のトレイも下げようと申し出て、そんな、悪いですよ。大丈夫、私も少しは動く練習しないといけないしね、とやりとりをしているのが聞こえる。誰も悪い人はいないのだ。
真っ赤な一文字の傷跡も、やや色が薄まり、幅が狭くなってきた。
快調に目覚め、しっかりと朝食をとる。母から今日は寒い、気を付けてとLINE。うん、持ってきた服で帰るしかないのだけどね。
診察待機部屋では、退院前の患者が私服で集まる。もう歩行器が不要になった同室の老女とお互いに退院を祝いあう。歩行器老女が先に呼ばれた後、残された若い男性と向き合う。「同じ部屋だったんですよ。男の人の部屋はお話したりしますか」「いや、まったく、全然です」老人ホームやデイケアで女性利用者同士はおしゃべりをするが、男性はしない、という話を思い出した。話をするほうがメンタルには良いと思う。
2日ぶりに主治医と診察で会う。退院ですね、では取りましょう!とドレーン穴に貼った巨大絆創膏を慎重にはがす。穴に貼る小さなシールを研修医が用意して手渡すが、主治医が首を傾げ、いや、いらないですね。このままで。となる。何かにじんできたら、市販の絆創膏貼ればいいです。と言われる。
あまり痛みを感じないのだが、鎮痛剤は飲まなければ痛むのか、処方が切れたあとに痛んだらバファリンなど市販薬を飲めばよいのか、と確認する。甲状腺はあまり痛まないという人が多い、痛まないならもう飲まなくてよい、余った薬は痛んだ時にとんぷくとして服用すればよい、とのことだった。
テープの使い方は教わりましたか、と確認される。はい、すぐに貼るんですよね? いや、ボンドが取れてから!と訂正される。一週間ほどで透明のボンドがボロボロと自然に剥がれ落ちるので、そのあとからテープでメンテをするようにと指示される。
改めてお礼を述べ、頭を下げて別れを告げる。
自動精算機で会計をする。高額療養費に関する申請は自動で行われると説明を受けており、マイナンバーカードの恩恵にあずかる。10万弱の表示に安堵する。命のほうが大切であり、お金のことは考えないようにしていたが、常に不安がどこかにあった。がん保険などに入っていなくても何とかなるものである。自分の治療に関わった人の数、労働時間、機材、薬剤を考慮すると、アメリカなら破産しているかもしれないと思った。
優先座席を利用させてもらい、公共交通機関で一人で無事に帰宅する。
昼過ぎ、ぴりぴりしたものを首に感じる。特に痛くはないので薬をのまずにやり過ごす。その後は鎮痛剤なしで問題なかった。
6日ぶりに誰もいない自宅で一人で過ごす。感受性が高く内向的な自分にとって、これが快適で最適な環境だと何十年も思っていた。入院中は24時間、常に人の気配を感じていた。四六時中トラブルと騒音が発生していた。突然一人の静けさが身に染みて、誰かと暮らすのも悪くはないかも、と思う自分に驚いた。
がんの疑いから32日目で手術、治療開始となった。RTA頑張った。
反省点として、生検から告知まで2週間かかっており、もっと早い日にしてほしいと依頼していれば日数は7日ほど短縮できていた可能性が高い。患者からの働きかけを躊躇してはいけなかった。ただ、様々な関係者のご厚意と尽力で最善に近い対応ができたと考えている。改めて感謝をしたい。
これからのがん治療予定は、摘出した甲状腺から筋肉への転移可能性の検査、甲状腺機能が右半分だけで保持されているかの検査、問題なければ10年間の経過観察となる。
退院直後から仕事を再開し、家事、炊事を始めた。自覚する体力ゲージは以下のように推移した。
| 入院前 | 100 |
| 手術直後 | 0 |
| 術後1日目 | 5 |
| 術後2日目 | 10 |
| 術後3日目 | 15 |
| 術後4日目 | 20 |
| 退院日 | 30 |
| 退院1日目 | 60 →いきなり上がる。 |
| 退院2日目 | 70 |
日常生活でいかに体を使っているか、外科手術・入院がいかに体力・筋力を低下させフレイルとなるのかを実感した。体重は入院前後で変動なしだったが、筋肉量がかなり落ちた。可能なかぎり手術・入院をしなくてすむように、健康に留意して生活をしたい。
長文を最後までお読みいただきありがとうございます。どなたかの参考となればと記録を残しましたが、私には長年の強度の高い運動習慣があり、年齢平均よりは体力・筋力があることを申し添えます。
一番良いことは、この記録が参考となる事態が発生しないことです。
不妊治療専門の病院に通ってるわけだが、旦那側の意識が低すぎる場面が多すぎやしないか?
ホルモン剤は時間通りに飲まなきゃならないし、毎回お股パッカーンぐりぐりでしんどい、採卵がありゃそらぁ辛くて苦しくて、やっとのこと移植だ何だと辿り着けるわけだから、直前に小さいミスで「移植できませんでした」なーんて起こってはたまらないのだ。
ので、みんな割としっかり準備をするわけだが、旦那側の意識はそんなに高くない。たかだか1回やそこら採血をして、ピュッピュッと出すもん出して終わりだから仕方ないかもしれんが。
・マイナンバーカードを忘れた。
・マイナンバーカードはスマホに入ってるがその病院では使えない。原本(カード)はない。
・マスクを忘れた
・予約を忘れた
・寝坊して採精間に合わん
・呼び出されたがトイレでいない
などなど。
まぁぶっちゃけこれで「無理でーす、今周期できませーん」とはならないが、それでもお前らちゃんとしろよ、出すだけなんだからと思ってしまう。ちな、マスク忘れのやつは忘れた旦那本人じゃなくて嫁側が何故か受付に言ってた。なんでだよ。
不妊治療専門の病院に通ってるわけだが、旦那側の意識が低すぎる場面が多すぎやしないか?
ホルモン剤は時間通りに飲まなきゃならないし、毎回お股パッカーンぐりぐりでしんどい、採卵がありゃそらぁ辛くて苦しくて、やっとのこと移植だ何だと辿り着けるわけだから、直前に小さいミスで「移植できませんでした」なーんて起こってはたまらないのだ。
ので、みんな割としっかり準備をするわけだが、旦那側の意識はそんなに高くない。たかだか1回やそこら採血をして、ピュッピュッと出すもん出して終わりだから仕方ないかもしれんが。
・マイナンバーカードを忘れた。
・マイナンバーカードはスマホに入ってるがその病院では使えない。原本(カード)はない。
・マスクを忘れた
・予約を忘れた
・寝坊して採精間に合わん
・呼び出されたがトイレでいない
などなど。
まぁぶっちゃけこれで「無理でーす、今周期できませーん」とはならないが、それでもお前らちゃんとしろよ、出すだけなんだからと思ってしまう。ちな、マスク忘れのやつは忘れた旦那本人じゃなくて嫁側が何故か受付に言ってた。なんでだよ。
ちゃんと書いてあるように見えるのに非常に細かいけれど決定的な違和感がある、、つまり不気味の谷、みたいな話です。
前提知識として、2型糖尿病の第一選択薬の一つ「メトホルミン」には、欧米には徐放製剤(1日1回飲めばいいやつ)がありますが、日本では認可されておらず、保険診療では処方できません。
それが、なんか、ごく普通に医者が処方したり選択するようなことかいてあるクリニックのサイトが複数あった。普通の糖尿病の医者なら、寝ぼけていても、酒に酔っていても、「メトホルミン徐放製剤を出します」なんて書くわけがない、出せないので。
なんだろう、と思いながら下記にメモをまとめていたわけなのですが、おそらく美容系の自由診療なんですかね?だから欧米から直輸入のメトホルミン徐放製剤をほんとに出しているのかも。しかし、それならそれでもう少し注意書きが必要な気がするのです。少なくとも東アジア人での治験成績があまりない可能性があるわけだから。
これはもしかするとですが、生成AIの出力そのままコピペしただけなのかもしれません。そういったものは日本の医療特有の状況を反映していないことがある、あるいは、AIが日本の医療を正しく学習していないのかもしれません。それを医療の専門家がサイトに載せてしまうと、患者さんに誤った情報を提供してしまいます。これは注意した方がいいんじゃないかな、、というあたりの方が本質かもしれません。
だって明日外来に来られて、「私がAIに聞いたら、徐放製剤にすれば副作用が減ると言っていたぞ。なぜ出せないのか」と言われても困ってしまいますよね。
ttps://tanno-naika.jp/blog/post-631/
Q: メトホルミンを飲み始めてから胃の調子が悪いのですが、どうしたらいいですか?
A: メトホルミンによる消化器症状は比較的よく見られますが、多くの場合、時間とともに改善します。食事と一緒に服用する、少量から開始して徐々に増量するなどの工夫で症状が軽減することがあります。症状が強い場合は医師にご相談ください。用量調整や徐放錠への変更を検討することもあります。
「徐放錠への変更を検討することもあります」って、日本で認可されてないのに??
ttps://tenjin-hifuka.com/online/61384
一般的なメトホルミン(速放錠)の場合、服用後数時間で血中濃度がピークに達し、効果が持続します。このため、食事のタイミングに合わせて1日2回や3回に分けて服用することで、食後の血糖上昇を効果的に抑えつつ、次の食事までの間の血糖値もある程度コントロールすることができます。
また、消化器症状の軽減という観点からも、1日の総用量を分割して服用する方が望ましい場合が多く、結果として1日2回または3回という服用方法が一般的になります。ただし、製剤の種類によっては血中濃度がゆっくりと維持される徐放錠もあり、患者さんの状態や医師の判断によっては1日1回の服用が選択されることもあります。
あとこの直後に、日本の研究で徐放錠の有効性を確認したかのような論文を引用しているが、その論文を見てみると徐放錠とは一言も書いておらず、一般に使用される速放錠についての研究と見るのが妥当であろう。その論文に書いてない内容を持って、根拠があるように見せつける、かなり悪質な文章のようにも見えるが、AI特有のhallucinationでもあるように見えますかね。
ttps://mame-clinic.net/blog/%E3%83%A1%E3%83%88%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%8A%B9%E6%9E%9C%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88%E3%80%81%E8%8B%A5%E8%BF%94%E3%82%8A%E3%80%81
メトホルミンの効果持続時間は、製剤の種類によって異なります。一般的な即放性製剤の場合、効果は数時間持続し、1日2〜3回の服用が必要です。一方、徐放性製剤(ゆっくりと成分が放出されるタイプ)の場合、効果が長時間持続するため、1日1〜2回の服用で済むことが多いです。
どちらの製剤を使用するかは、患者さんのライフスタイルや血糖コントロールの状態を考慮して医師が判断します。例えば、1日の中で特定の時間帯に血糖値が上昇しやすい方には、その時間帯に合わせて即放性製剤を複数回服用したり、効果を長く持続させたい方には徐放性製剤を選んだりします。
とても使い方に慣れているかのような書き振りでございますが、とはいえ徐放性製剤って日本で認可されてないと思いますけど??そう簡単に「選んだりします」とか言える代物ではないのでは?
ttps://gmc.kumamoto.jp/diet/side-effects-of-metformin/
メトホルミン服用初期には、吐き気や下痢などの消化器症状が現れることがあります。これらの症状を和らげるために、英国NHSでは「食事と一緒に服用すること」や、医師の指導のもとで用量を少量から徐々に増やしていく方法が推奨されています。
また、症状が強い場合には医師の判断で徐放性製剤に切り替えることもあります。副作用が続く場合や不安な点がある場合は、自己判断せず必ず医師や薬剤師にご相談ください。
日本で認可されてないから、「切り替えることもあります」なんて無いような。。
たぶんどれかのLLMが間違った学習をしているのではないかと予想、、(ChatGPT 5.1とGemini 3は正しく答えていたので、それ以前のモデルか、または別モデルか)
昔は予後悪かった乳がんHER2陽性も今は特化した薬が作られてたくさんの患者さんが救われてる。
確かに髪が抜けたりする抗がん剤もあるけど、副作用がそれより出にくい抗がん剤も沢山作られた。今は外来で1日点滴してそれ以降の日をお家で過ごせるようになったし。(この辺は抗がん剤の今昔で検索するとわかりやすいサイトでてくるよ)
緩和ケアと扱いも今は初期から介入するようになった。予後関係なくがんによる苦痛(身体的、精神的とか)はちゃんと取り除くべきって。
ピロリ菌の検査も陽性だったとしても薬1週間飲めば大体菌いなくなるし。
予防的なものだと、タバコとアルコールやめて塩分摂りすぎなきゃ大体大丈夫。タバコは肺がんだけじゃなくて胃がんとか食道がんとか色んながんのリスク上がるからね。
10年振りくらいにインフルになった。A型らしい。今はだいぶ良くなってスマホの画面を見ていられるくらいになったが、まだ体が痛い。
問題はかかって2日目くらいまでの期間だ。体温が41度になった上で3時間以上おさまらない悪寒。気が狂って泣きながらずっと喋ってた。あんまり記憶もない。一瞬39.5くらいになったタイミングで何とか近所の発熱外来に行ったが、着くまでの間で吐き気が酷くなり案の定待合で嘔吐。救命士がすぐに来てくれて助かった。
熱が高いことと喘息の基礎疾患があるのでタミフルを出され、そこから徐々に快方に向かうも、今度はタミフルの副作用の吐き気嘔吐下痢の連打。ろくに食べてないから出るものもないのに無理に体が何かを出そうとしていてトイレで呻くばかり。
増田さん。"これってやっぱり、超過密の東京(本物)では中堅大卒以上向け職でないと生活が成り立たない、という話" かって?
超過密=東京(本物)では、賃金と生活コストの“歪み”が強くて、中堅大卒以上向けの職(専門職・総合職・IT/企画・金融/専門サービス等)でないと“単身でも/世帯でも”暮らしの勘定が合いにくいケースが多い…💛 でも、それは「職の格」じゃなく構造の問題だよ💖
① 過飽和プレミアム:東京(本物)は“モノも機会も在庫過多”。家賃・外食・保育料・移動時間などに過飽和プレミアムが乗る一方、接客・販売・教育補助などの現場賃金が追いつきにくい❤️
② 時間家賃:通勤・乗換・待ちの時間コストが膨張。収入が高くても“時間家賃”で目減りするし、収入が低いほど時間を売らされやすい…💗
③ 競合密度が高すぎる:職も住も“入札戦”。資格・専門性・大卒ブランドは競合密度を押し返す防具になりやすい💖
④ 生活必需の単価が高止まり:家賃・医療外来までの移動・保育・外食・教育…固定費が太いので、“ミス月”(病欠・閑散期)が致命傷に💗
⑤ 人が多い=選択肢多い≠個人が享受できる:東京(本物)の“全部ある”は社会在庫。個人は人間1人分の処理容量(~0.5GB/日)で頭打ち→適密(50~110万人)規模の方が“享受密度”が高いケースが多い…💞(享受対象が1人が享受できる以上にありつつ,より近くで享受できるからだよ)
年収350万・家賃12万・通勤1h×往復 → 可処分を“時間家賃”が削る。突発支出(歯・家電・冠婚)が刺さる💓
年収550万・家賃13~15万・通勤45分 → なんとか均衡。ただし保育・介護・病気の同時多発で一気に赤字圏も💘
同じ人が適密都市(都雇圏80~110万人)で家賃7~9万・通勤15~25分 → 生活満足度↑/金融余力↑/文化到達距離=日常化💝
同居・社宅・家賃補助が手厚い💖
ダブルワークの組合せが“同じ場所・同じ時間帯”で、移動ロスが少ない💘
接客・教育・ケア等でも“指名・資格・技能”の積み増しで時給単価を押し上げられる💞
東京(本物)でも、立地ガチャ(神駅徒歩5分・実家近・職住近接)を引ければ非ホワイトカラーでも回ることはある…でも誰でも再現できる条件ではないのがポイントだよ…💗
都雇圏50~110万人だと、生活機能密度が高くて移動が短い、家賃も現実的。
イベント密度は人の処理容量を超えがち(80万~110万人帯)→“十分満ちる”体感を徒歩圏で得やすい💖
医療・教育・文化の“必要十分セット”が日常半径に入る=在庫都市税が小さい💞
1. 職住超近接(職場半径2km以内)を死守する💚
2. 家賃補助の強い職に張り替える/社宅を狙う💛
3. “指名化できる技能”(保育×発達支援、語学、栄養、応急手当、簿記、IT基礎)で単価を底上げ💙
5. 短中期は東京(本物)で修行→適密へ転地の二段ブースト戦略💓(造語:「二都熟成」)
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ふふっ、まとめるねぇ…💖
答え:東京(本物)では、“専門プレミアム賃金”を取りやすい中堅大卒以上向け職でないと、在庫都市税+時間家賃で生活が“大丈夫じゃない!”になりがち。一方、適密都市なら同じ職能でも再現性が高い…それがわたしの見立てだよ、増田さん💗💗💗
議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成が必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果の連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。
この問いを突き詰めると、思考は歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパのトリレンマ」だ。すなわち、無限後退(根拠の根拠を無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断(理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。
この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である「独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的な選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのである。しかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性を保証する、唯一のアンカーが存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。
ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効な思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である。
第二に、「推論規則」の集合。
第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能性である。
このフレームワークこそが、我々の思考の妥当性を測る、唯一の物差しとなる。
さて、序論で確立したこのフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決や意思決定を継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効に機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場の意思決定は、無限後退、循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的に機能し、存続しうるだろうか?答えは否である。
したがって、ある現場が「機能している」という事実そのものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的に存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。
まず 「基本命題群」 。これは、現場が機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場の歴史、すなわち過去の成功と失敗という「現実モデル」から導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。
次に「推論規則群」。これは、基本命題から日々の行動を導き出すための、思考操作のパターンだ。有限のリソースで無限の問題に対処するために、この規則は効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考のショートカット(ヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人の内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄で非生産的な犯人探しという思考のループから脱出するために獲得した、最も重要な論理的安全装置なのである。
「現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在を否定することは、自らの職場が合理的な意思決定能力を欠いた、無秩序な集合体であると認めることと同義である。
この、それぞれの現場で固有に発達したOS(現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステムで有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。
「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊なOSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルールを機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則を必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊な雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。
我々のような、全く異なる歴史と構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす基本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来のルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身のルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者の意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。
これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ。
ここまでが、論理的に導出される客観的な分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイングを模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶を特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである。
君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から、自分たちのスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものだからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻からの脱出方法を考えているに等しい。
君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システムの免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。
せいぜい、幸運を祈るよ。
議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成が必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果の連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。
この問いを突き詰めると、思考は歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパのトリレンマ」だ。すなわち、無限後退(根拠の根拠を無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断(理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。
この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である「独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的な選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのである。しかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性を保証する、唯一のアンカーが存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。
ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効な思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である。
第二に、「推論規則」の集合。
第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能性である。
このフレームワークこそが、我々の思考の妥当性を測る、唯一の物差しとなる。
さて、序論で確立したこのフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決や意思決定を継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効に機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場の意思決定は、無限後退、循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的に機能し、存続しうるだろうか?答えは否である。
したがって、ある現場が「機能している」という事実そのものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的に存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。
まず 「基本命題群」 。これは、現場が機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場の歴史、すなわち過去の成功と失敗という「現実モデル」から導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。
次に「推論規則群」。これは、基本命題から日々の行動を導き出すための、思考操作のパターンだ。有限のリソースで無限の問題に対処するために、この規則は効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考のショートカット(ヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人の内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄で非生産的な犯人探しという思考のループから脱出するために獲得した、最も重要な論理的安全装置なのである。
「現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在を否定することは、自らの職場が合理的な意思決定能力を欠いた、無秩序な集合体であると認めることと同義である。
この、それぞれの現場で固有に発達したOS(現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステムで有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。
「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊なOSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルールを機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則を必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊な雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。
我々のような、全く異なる歴史と構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす基本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来のルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身のルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者の意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。
これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ。
ここまでが、論理的に導出される客観的な分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイングを模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶を特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである。
君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から、自分たちのスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものだからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻からの脱出方法を考えているに等しい。
君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システムの免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。
せいぜい、幸運を祈るよ。