はてなキーワード: 双極性障害とは
※無駄に長い
※なんか弁解っぽくなっちゃった
前回の日記の直後から通院を再開し、仕事は辞めてアルバイトに切り替えた。医者の言う通り、そもそも総合職は本当にやめた方が良かったのだろう。所謂双極性障害1型とのことで医者と相談の上障害者手帳を取得した。定期的に通院を続けている。
元彼との別れから1年半ほど経ち、なんとなく区切りがつくような出来事もあったので、今改めて振り返っておこうかと思う。
ちなみにその後は順当に鬱になりいつ死ぬか分からない状態で、一度は親戚に保護されたが、今は割と穏やかに過ごしている。
振り返ってみると元彼と付き合っていた頃、つまり正社員だった頃の自分は本当にキャパオーバーだったのだろう。仕事が出来ない訳ではなかった。むしろ、周りより早く昇進したことへのプレッシャーが自分を追い詰めていたと思う。そこまで有能なわけではないのに、ADHD故かなまじ初動がいいばかりに期待だけが高まり、本来の自分の実力との乖離で焦っていた。辞めていく先輩、補充されない人員。4,5人分の仕事を1人で引き受け、そこそこの大企業にも関わらず中間管理職もいなかった。ただただ、「キャリアを断絶させてはならない」「レールの上に沿って正しく生きなければならない」と自分に呪文のように言い聞かせていた。躁の時期には万能感で溢れ、あらゆる仕事を馬車馬のようにこなした。鬱の時期は毎日電車で泣きながら出勤し、家に帰ると泥のように眠った。
ちなみに躁でエネルギーが溢れる時期には元彼との結婚のために副業で夜間にバイトもしていた。普通に睡眠時間2時間とかだったので、社会人2,3年目の割には頑張って貯金していたと思う。
今過去を振り返ると、だからこそ、ずっとふたりで話していた25歳での結婚を前にして「貯金4万」とのたまった元彼に失望したのだと思う。ていうかそれは貯金じゃなくて預金では?こればっかりは今でも思う。前回わたしが料理をしない事で元彼をコンビニ貧乏のような状態にしてしまったとは書いたが、冷静に考えて家計の半分以上は私が出していたし、やっぱり貯金4万はどう考えてもおかしい。ていうかそもそも元彼は私の8個上だったし。どうやったら4万になるんだろう?浪費している様子は特になかったが。年収自体がそこまで多くなかったとはいえここに関しては本当に解せない。なぜ?
そして私が大癇癪を起こして別れた後、元彼は貯金4万なので引越し費用を貯めるまで数ヶ月かかり、その間に私があの恥さらしな愚行をしでかした、というのが実際の時系列である。ちなみに結局たぶんアコムかなんかに借金して引越したようである。
ただしかし、上記の事情があったにせよ、デストロイヤーモードの私が元彼に投げつけた言葉や態度は猛省すべきであり、二度と繰り返してはいけないと戒めている。一度口に出してしまった言葉は取り返せない。本人には誠心誠意謝罪した。
人間関係において、きっとどちらかだけが悪いということはあまりないのだと思う。元彼には金銭的な問題があったし、私は家事を疎かにしすぎ、別れた後の態度はあまりにも非人道的だった。
だけどその後謎のおじさんと一緒にいたのは本当になんだったんだ。正気の沙汰ではない。本当に意味がわからない。まあそれが躁なのだろうから、自覚した上でもう二度と同じ轍は踏まない。これに関しても本気で反省している。思い出すとだいぶ希死念慮が湧く。
そしてその後しばらくして、本当に訳が分からないが私に好意を抱く男が現れた。あらゆる過去の愚行を打ち明け、自分と付き合うことのデメリットをいくら列挙してもそばにいたいと言った。ゴミカス人間バカ女すぎると自覚しているのだが、蓼食う虫も好き好きといったところか。
彼は人好きのする、嫌味もなければ卑屈でもない、大変素直な人間である。私が迷った時や悩んだ時には親のように寄り添い導いてくれるが、無理に管理することもなく適切な距離を保ってくれる。めちゃくちゃいいやつである。私はとにかく嘘が付けない性分だが、そういうところが信用できて好きなのだと言う。付き合う前、自戒したとて抗えない何かによって躁になってしまい、あなたを傷つけるのが怖いと言う私に、「俺がいれば大丈夫な気がする」とのたまった。なにを無責任にと思ったものだが、しばらく経った今、過去より確実に波を乗りこなせるようになってきているので、まあ彼の言うことは一理あったのかもしれない。というか多分五理くらいはある。
一緒に住んでいるし、わたしは仕事を辞めたし(バイトはしており食費は私が持っている)、親にも会っているし、お互い金銭的にも問題はないので、結婚しない意味がそもそもない。扶養入っちゃってもいいし。あと普通にめちゃくちゃ仲がいいしめちゃくちゃお互いを好いているし尊重しあっている。付き合って半年程でだいぶロマンティックな場所でプロポーズをされ承諾した。
バイトではバリバリ稼いでいるが、隠居した老人のように本当に穏やかな日々を送っている。
でも、たとえこのまま躁鬱の波が落ち着いたとしても、通院は絶対に辞めないし、病識をしっかり持ち続けたい。躁の自分は自暴自棄になって行動力が強くなり、人を傷つける可能性がおおいにあること。今ふつうに生きていると思っている自分が、いつ豹変してしまうか分からない病気を抱えていること。これをしっかり胸に刻んで生きていきたい。
1年越しではあるけれど、前回の日記で不快な思いをさせた方、ごめんなさい。
(片付けは未だに本当にできない。こないだコバエ湧かせちゃった。)
この格言は、アイルランドの詩人フレデリック・ラングブリッジが19世紀末に綴った詩の一節である。同じ暗い牢獄、同じ鉄格子、同じ限られた視界の中で、二人の囚人は全く異なる宇宙を目撃する。一人は足元に広がる湿った汚泥——腐敗し、沈み、絶望の象徴——に視線を落とし、もう一人は遥か夜空に瞬く星々——無限の光、真理、そして永遠の希望——に目を向ける。
鉄格子とは、遺伝的素因、初期環境、そして強烈な初体験によって刻み込まれた生物学的宿命そのものだ。
脳の報酬回路——中脳辺縁ドーパミン系(腹側被蓋野から核 accumbensへとつながる神経経路)——は、生存に有利な行動を即時的な快楽として強化するよう進化してきた。この回路の過剰活性が、sensation seeking(感覚追求傾向)という性格特性を生む。心理学者マーヴィン・ズッカーマンが提唱したこの特性は、新奇性、リスク、支配感、背徳的スリルを強く求める傾向を指し、遺伝的要因(例:DRD4遺伝子多型)によって個人差が大きい。一度この回路に「刷り込まれた」嗜好は、神経可塑性の限界によりほぼ不可逆的となる。記憶再固定(reconsolidation)というメカニズムで長期的に定着し、意志の力だけで完全に消去することは現代科学では不可能に近い。
泥を見る囚人は、加害の快楽に囚われた者だ。暴力や性的支配、背徳的スリルがもたらす即時的なドーパミン爆発は、脳の報酬系を再配線し、日常のささやかな喜びを色褪せさせる。刑務所という外部の厳格な構造では「模範囚」として規則を守り、仮釈放の審査を通過できる。しかし、鉄格子が外れた瞬間——社会復帰の自由という名の無防備な空間——で、トリガーが再活性化する。神経科学のLibet実験(1983年)が示したように、意識的な「決定」は、無意識の脳活動(準備電位)に数百ミリ秒遅れる。
この哀しみは、決して「弱さ」ではない。人間本性の暗い半面そのものだ。報酬系のdownregulation(受容体減少)により、普通の生活では満足できなくなり、泥の底へと沈んでいく。社会はしばしば「意志の力で更生せよ」と道徳的に責める。衝動の強さを自覚し、任意の治療や構造化された管理を求める道すら、十分に用意されていない。彼らの孤独はさらに深まる。
一方、星を見る囚人は、同じ衝動を創造の原動力に転換する天才だ。極端な好奇心、リスクテイク、新奇性追求は、科学者、芸術家、探検家を駆り立て、未知の真理を掴む。ニュートン、アインシュタイン、ヴァン・ゴッホ、ニーチェ——彼らもまた、社会的規範から逸脱した「狂気」を抱えていた。過剰なドーパミン反応と衝動性を共有しながら、それを「泥」として消費せず、抽象的な探求や芸術的飛躍に昇華させた。鉄格子は彼らにとって、創造の檻ではなく、集中の枠組みとなった。星は、衝動が光に変わった瞬間の輝きである。
しかし、彼らの人生は必ずしも幸福ではなかった。ニュートンは晩年を激しい偏執と孤独に苛まれ、アインシュタインは深い人間関係の困難を抱え、ヴァン・ゴッホは耳を切り、自ら命を絶った。ニーチェは精神崩壊の末に狂気の淵に沈み、多くの天才たちがうつ病、双極性障害、依存症と隣り合わせで生きた。
鉄格子は彼らにとって創造の枠組みとなったが、内面的な牢獄でもあった。星を見上げる視線は、自己破壊的な炎を宿している。
泥と星は、遠く離れた別物ではなく、人間性というコインの表と裏だ。遺伝的宝くじ、幼少期の偶然、環境の偶然が、どちらの面を上向かせるかを大きく左右する。科学はここに「自由意志のフィクション」を暴く
ここに逆説がある。悲劇的に生きることが、人類史を動かしてきたということだ。星を見る者の苦痛と狂気なくして、人類は科学の飛躍も、芸術の深化も、思想の革新も得られなかっただろう。泥を見る者の暗い衝動もまた、人間性の暗部を露わにし、社会規範形成に動機を与えた。栄光と哀しみは、常に表裏一体。人間は衝動の囚人として生まれ、鉄格子の向こうに何を見るかで運命を分かつ。
泥と星の間で揺れ動きながら、生きることの悲哀を背負い続ける——それが、人間という存在の、避けがたい運命なのかもしれない。
虐待を受けて複雑性PTSDになり20代はその治療で終わり、今は30代前半。
(一度、双極性障害の診断も受けていて結果これは誤診だったわけだけど、ただ炭酸リチウムを飲むだけの数年間を過ごしたせいもある)
治療の代金で金を使い、自暴自棄になってこさえた借金の返済で金を使い、貯金は30万。もちろん資産はない。
顔は醜い。
鼻は大きく、肌は汚い。歯は黄色く、目は小さい。苦労してきたからか白髪も多く、シワも深い。
おしゃれはしたことがない。伝わるか難しい話だけど、「おしゃれをしてもいい」と自分に許可できるような心持ちになれたのがつい最近だ。
以前匿名で私の人生のこれまでを書いて、ありがたくもたくさんの人に激励してもらったが、あんまり変われなかった。
運動の習慣を取り入れて少し痩せたくらい。
どう生きる?
はっきり言って、上がり目はないということは自分でもよくわかる。治療をせずに、ずっと記憶内の親に恨み節を吐き続ける毎日を過ごして死んだ方がマシだったんじゃないかと思うこともある。
この立場になって思うのは家庭(親)もしくはそれに準ずるコミュニティから不文律を学ぶことはとても大事なのだということだ。
お金のこと、健康のこと、着飾ること、人と関わることetc...
私の親はどれも不得手だった。お金はあるだけ使っていたように見えたし、好きなものを好きなだけ食べていた。着飾ることもしなくてダサかったし、友達もまともにいなかった。
中学、高校くらいで垢抜けていた人たちの親は着飾っていておしゃれな人が多かったし、人好きのする人の親もやはり明るく社交的だった。
私は不文律を学べなかったのだと思う(もしくは悪い不文律をそのまま受け継いでいるとも言える)
もちろんこのインターネット全盛期にはたくさんの情報に自分でアクセスできるので、私も色々調べたりもした。高い学術書も買って、ストレスを受け続けて働きの悪くなった頭を精一杯回しながら読んだ。
だけどもこれらの情報は"土台"にはなり得ないと感じた。表層的なものだ。良い家の建て方であって、ぬかるんだ地盤を強固にするものではない。
お金を貯める・増やす方法はわかる。でもお金を大事にする気持ちがわからない。きっとそう思える不文律が無いのだ。
健康的な習慣を送る方法はわかる。でもそうして生きる理由がわからない。きっとそう思える不文律が無いのだ。
着飾る方法も知識だけある。でも心のどこかで無駄だとも思っている。きっとそう思える不文律が無いのだ。
人と関わる方が良いという知識だけはある。でもすごく気後れする。きっとそう思える不文律が無いのだ。
不文律はきっと土台を作れるものなのだと思う。でも不文律だから誰も言語化できない。いや、そもそも当然のものだから言語化しようとも思わないんだろうな。
せっかく良くなったのだから、どうにかしたいという気持ちはある。
あるが、どうにかしているうちに私は40代くらいになって、試合の場に出られぬままに消化試合に入る時期が来るのだろうなとも思っている。
どう生きる?
諦めたくないよ。
教えてください。
(追記)
色んなご意見ありがとうございます。
不文律の話からは逸れるけど、自分はこういう人たちに質の良くない憧れがうっすらとある。(蔑みの気持ちももちろんある)
自分は言えないからだ。匿名で、自己を特定されないというのが保障されていても言えない。
こう書くと「辛い過去があるからそう思える」とか「そういう人間性が財産」だとか言ってくれる人がきっといる。言われたら自分も「そうかもな」ってきっと思う。
でも心のどこかで『自分のような人間になんにも共感を抱けずに、加害の自覚もなく無責任に吐き捨てられる人間』を羨ましく思う。
なりたい、というわけではない。自分も加害したい、というわけでもない。
深く悩んでいます。
数年前から双極性障害二型を患っており、通院治療を続けています。昨年、結婚を機に仕事を辞め、縁もゆかりもない夫の勤務地へ引っ越してきました。慣れない土地での生活に不安はありましたが、趣味を通じて知り合った年上の友人Aさんの存在が心の支えでした。
Aさんは副業から起業した憧れの先輩で、パン屋を営む私に、マーケティングや会計など商売の基礎を無償で熱心に教えてくれました。「一緒に頑張ろう」という言葉にどれほど救われたか分かりません。
しかし、ある時を境に歯車が狂い始めました。生活費への焦りもあり、Aさんの主力商品の一つを自分の店でも扱い始めたのです。彼女は少し渋る様子を見せましたが、私は自由競争だと思い販売を強行しました。結果としてパンより売上が伸び、喜んで報告したのですが、彼女からは「残念だよ」と告げられ、それ以来、以前のような親密なアドバイスは途絶えてしまいました。
時を同じくして、家庭内でも限界が訪れていました。慣れない土地での孤独と友人との不和が重なり、安定していた病状が悪化。鬱状態に転化してオーバードーズをしてしまったのです。それを機に夫は「そんな人とは住めない」と激昂し、一度は家を出ていきました。
その後、夫は戻ってきましたが、私の作る料理を捨てたり、早朝のアラームで私を睡眠不足にさせたりと、高圧的な態度が目立つようになりました。起こしに行けば暴言を吐かれ、顔を掴まれることもあります。パニックになった私は、約束を破り再度オーバードーズをしてしまいました。
現在、夫は「自力でなんとかしろ」と少額の現金を残して再び家を出ており、離婚を突きつけられています。一方でAさんも「あなたのパンは素敵だから、そこを伸ばせばいいのに」と、私の今のやり方を否定するような言葉を残したまま距離を置いています。
私は専業主婦としての務めも果たしてきましたし、不貞行為もしていません。商売だって、家族旅行に行けるくらい稼ぎたかっただけなのです。どうして信頼していた人たちが皆、私から離れていくのでしょうか。Aさんと元のような関係に戻り、夫ともう一度やり直す道はあるのでしょうか。それとも、このまま全てを失うしかないのでしょうか。
2026/04/07
俺は気分の変調が激しすぎる人間なので、今日の俺は、意外となんとかなるな、今に見てろ、とか思い始めている。躁鬱とか、双極性障害とか、それに近い状態を言い表す病状は見つかるけど、俺は名乗ったりしない。診断をもらったことがないから。
バスに乗っていて思うことはふたつ。国民の血税ってここに流れ込んでるんだな、っていうのと、周りの人間と比べて俺は確実に、宇宙人とか、その類に近いな、ということ。自分だけが、ドラえもんみたいに地面からちょっと浮いているような感覚がある。きっとそれは気のせいなんだけど、情けなくぶら下がった鞄と、表情の読めない瞳を見る度に、俺は不安と安堵をいっぺんに感じている。
俺は人間社会でまともな人間を装うこともままならないのか、という不安と、でもまだ個性を生かしていられるな、という安堵。
エロ画像をGoogleで検索するときって、一回ぼかしフィルターを入れてから、一枚ずつアルバムをめくるみたいに解除していくあの過程が良いと思う。
自○に関連する話をするので、苦手な人は見ないこと。
精神科通い数年。不眠。
うつ症状がマシになったと思ったら別の病になってしまい手術。再発。現在投薬10種類越えのシャブ漬け人間。
自分が踏ん張れてるのは、ポジティブな理由じゃない。幼少期に間近で有様を見てきたからああはなりたくないと思ってるだけだ。
母は自分が小学生中学年くらいのころに精神を崩した。元々何かしらのパーソナリティ障害だったらしいが、ガキは知るわけなかった。
双極性障害で、リスカOD常習犯だった。元気そうに見える時に言う「もうやらないから」をガキはバカのように信じて、調子が悪そうな時は接しないようにする等ガキなりの配慮をした。
成人後に受けたカウンセリングではヤングケアラーだと言われた。
小学生の頃、部屋の扉を開けたら血の海で、倒れた母がいたり、風呂場で手首を切ってシャワーで…等未遂をしていたのを父が発見し…なんてこと何回もあった。どちらも立派なトラウマになってるし、最近フラッシュバックがどんどんキツくなっているのを感じる。きっとカウンセリングが必要だ。
そんな母はODで亡くなった。
そのきっかけが人生最大のトラウマで、マイナス方面で自己肯定感に強く影響している。
そして、こんなことを話せる人なんて周りにいるわけもないので、こうやって匿名で吐き出してる。多くの人間はこれを聞いたら病むし反応に困る。
そう思うと、理性でなんとかできるうちはとどめたい…と強く願ってしまう。
現在10種類弱処方されている薬は睡眠薬、気分安定剤、抗精神薬、他の病の諸々…という感じで、ODしたら明らかにまずい種類の薬ばかりだ。
最悪の想定をすることで実際やらないようにキツく戒めているが、記憶にあるあれそれが影響して想定がやたらとリアルになってしまい、やりすぎるのも精神に良くなさそうで困っている。
別の病の方が落ち着いたらこんなこと考えなくてすみそうなんだが。しばらくはそうも行かなそうなので、騙し騙しやっていく。
読んでくださりありがとうございました。
ぽれは双極性障害Ⅱ型、精神障害者手帳3級、作業所勤務の社会的弱者だ。ここでは社会的弱者と言っておく。後に説明するが社会的弱者と弱者男性は違う。
以前弱者仲間を集める目的で一年ほど弱者男性のLINEオープンチャットを運営していたことがある。そのため自称弱者男性の生態、精神構造については普通の人よりは理解しているつもり。
彼らには示し合わせたように共通の心理がある。といってもステレオタイプな弱者男性のイメージとほぼ同じ。彼らは芯の部分に非モテコンプレックスを強烈に持っており、非モテだから自分は弱者男性なんだと思ってる。弱者男性間でも弱男の定義が度々議論になるが、彼らの中では非モテ=弱者男性でほぼ間違いない。実際彼らの多くは非モテではあるが、まれに後天的な努力でモテるようになった弱男も存在する。じゃあ彼らが非モテコンプレックスを解消=脱弱男できたかというと、いくらモテたところでコンプレックスは変わらないし自認弱者男性のままだ。というわけでこれから自称弱者男性たちへの処方箋を書く。
なぜ彼らがモテても脱弱男できないか?それは非モテ=弱者男性という認識がすでに間違ってるからだ。彼らはモテ以前に友達がいない。家族との人間関係も希薄orいい年して親を嫌ってる。職場での人間関係も希薄。同性からのリスペクトが枯渇している状態。それをモテによって誤魔化そうとしているがそれはその場しのぎの対処療法にしかならない。この際モテはどうでもいいから同性からの信用を勝ち取ることにコミットせよ。
彼らだけじゃなく社会的弱者は大体なんかの政治思想か宗教思想、スピでキマってる。ぽれも共産主義とスピに傾倒していたことがある。もちろん彼らはXを中心とした女叩きにハマってる。ぽれも女叩きしてたこともあるがあれは精神衛生上良くない。心が濁る。近いところで行くとイスラム過激派の思想とかの方がまだマシだと思う。
3・自信つけるために悪いことしよう
うまく説明できないが彼らの多くがやってる筋トレより犯罪を犯す方が度胸も自信もつく。多分彼らもそれはわかってて女により酷いことをできる奴が強い男みたいな価値観を持ってるけどそれじゃショボい。ガチの悪さをしよう。
彼らの多くは自己効力感がないためか真正面から努力することを嫌い、より賢くルールをハックして成果を上げることを好む。まあ自尊心が低い中で自分は悪くてずる賢い奴だと思い込まないと自分を保てないからね。社会的弱者である中で自分は真面目で愚直でいいやつだという自己認識でい続けるのはキツい。でもそこに戻らないと人生にアツさが出ない。
今ぽれは作業所勤務の社会的弱者だけど自分を弱者男性とは思わない。なぜか?わからん。こればっかりは気持ちの問題でしかない。まあ人間関係を充実させて真面目に仕事することだよね。
私は双極性障害を患っている。
明けても暮れても病人で、躁の時は過労と気が狂ったような金遣いに悩まされ、鬱の時は出勤ひとつまともにできない。
そもそも母も精神障害を患っており、それ以前の問題として小学生の頃から母の看病に人生を捧げた結果、私も発症した。
母は私から看病を受けながら景気良く私を虐待し、私は自他共に認める異常者と成り果てたわけだ。
以前私は、発達障害、ASDを疑われた際に知能検査を受けた結果、IQが130あると言われた。
ちなみにASDではなく、グレーですらなく、単なる人でなしであるという結果だった。
あまりにも私らしすぎて結果を聞いたその場でひっくり返って笑った覚えがある。
母から精神的・肉体的虐待を受け、自殺教唆を受け、それを「普通」と認識してしまった。
当然の帰結とも言えるが、なんと男運まで悪く、母と同じく私を精神的・肉体的に虐待し、私に対して自殺教唆を繰り返したり殺人未遂を働いたりする男とくっついて、別れたのが数年前。
この上手くいかない人生の帳尻を合わせるには、私の抱え続ける夢を叶えるしかないというのが私の見解だ。
しかし多分、IQは130あったとしても、私にはその方面の才能が無い。
気付いてしまった、精々が「上手い素人」、プロになれる域に達していない。
私のIQの平均値を130までテコ上げしているのは主に記憶力の類だそうだ。
聞いて納得、私の最初の記憶は2歳の頃のもので、母が甘ったるい声で「お姉ちゃんなんか死ねば良いのにね」と妹をあやしている声を2分前のことのように思い出せる。
片や論理的思考は(平均より数値は高いとは言え)あまり得意ではなく、実際、学生時代の数学のテストは壊滅的だった。
私が「その道のプロ」になるには論理的思考が出来ないとどうしようもない。
そして私の論理的思考能力は「生き延びるという結果から逆算して今の最善行動を弾き出す」という計算にしかほとんど使われたことがない。
だって論理的思考を「何故自分が今不遇にあるのか」という推測に使ってしまったら死ぬしかなくなるから。
同じように、「私はこのまま人生の負債を目一杯負ったまま死ぬしかないのだ」と論理的に考えてしまっても。
私が130という中途半端に高いIQを使って成し遂げたのは「病人になってでも生き延びる」ということだけだ。
そんなにどうしようもないことって無いだろう!
その道の才能が欲しかった。
せめて安心できる家庭環境か、それが手に入らなくても抜きん出た才能が欲しかった。
死にたくない。
死なないためには、才能が必要だ。
私は昨日も一昨日も先一昨日も、才能を伸ばすための努力を続けている。
それは果たして芽吹くのか。
私は死なずに済むのだろうか。
私の持病双極性障害の医療ガイドラインには、「双極性障害の遺伝率は70-90%」と書いている。この遺伝率とは少し理解するのが難しく、その確率で遺伝するとか簡単なものではない。双生児研究から出された遺伝率だ。片親が双極性障害の場合はだいたい2割程度は発症すると言われてる。
そのうえで、性と生殖における健康と権利(SRHR)という決め事がある。これは簡単に言うと、体や性や子供をもつもたないに関することを本人が決めて良いということらしい。何歳になってもなんの病気を持っていても環境が整ってなくてもどちらも選んで良いとされる。本人に知的障害であっても遺伝率の硬い病気を持っていても、そにれに対して他人がとやかく言うことは望ましくない。
では医師はどんなときに「私はあなたの妊娠出産を勧めません」と言えるのだろうか。それは「生命、健康被害リスクが医学的に高い場合」である。わかりやすくいうと「出産すると母体が亡くなってしまう可能性がある」「子供が亡くなってしまう可能性が高い」などの場合だ。
そうなると、新婦や妊娠希望患者と関わる医療従事者が「私だったら産まないな」と思ったとしても、業務上そのような発言をすることは絶対にないのだ。もしその発言をされた場合は、相当なリスクがあるかその医療従事者がやばい奴かだろう。
双極性障害2型の診断受けて早数年。
躁状態といわれている時も鬱々とした気持ちがベースにあったから、ずっと双極性障害じゃないと思ってた。
でも、鬱状態▶︎寛解に入った今はじめて躁状態の輪郭が見えてきた。
・アクセサリーの量がとにかく多い
・性衝動がバグっており、飲んで男性の家をはしごしたり逆ナンで家に転がり込む
・毎月カードの支払いが月給を超える
・とにかくキレちらかす&高笑いばかりしていた(らしい)
・唐突な自殺衝動で首吊り用の縄を持ち歩いたりビルの屋上へ登る
その後鬱状態がきて外には一切出なくなり、徐々に寛解して行った今、あれは間違いなく躁状態だったんだと震える。
あの頃買った服は全て(露出が多すぎて)着られないし、なぜあそこまで性行為に執着していたのかも全く分からない。
躁は病識ないって本当なんだ。
何年か前に絶縁状態になってた元友人、Facebookはブロックされてなかったので定期的に動向を見に行ってたのだが、全く更新されないまま、さっき見たら追悼アカウントというのになっていた。
そんなものがあるのを知らなかったが、生前に誰かに託してたり、死後遺族が申請したりするとそういうのになるらしい。
歳も近くて気も合って、随分と遊んだのだが、10年以上の付き合いのなかで向こうは結婚したり離婚したり、そもそもそいつは双極性障害が結構深刻で、こっちもまあまあのキチ◯イだったから喧嘩もしたりで、最後には喧嘩別れみたいになっていた。離婚して仕事もうまくいかず、実家に帰るという話になった時、じゃあそのうち実家の方に遊びに行くわ、と言ったら怒り始めて、今会えないのか、お前は俺の言ってる意味が分かってるのか、と怒鳴り始めたので、うるせえこっちにも都合があるんだおめえの言ってることぐらいわかるわ、と怒鳴り返してそれっきり。
今考えると、あいつはあの時にもう死ぬ事を決めてたんじゃないかと思う。追悼アカウントになったのはつい最近(半年前に見たときはなってなかった)なので、自殺ではなく病死(多分酒の飲み過ぎだろう)かもしれないが、結局仲直りの機会はなかった。
近しい人で自死、あるいはその可能性がある人間はこれで二人目になる。一人目は40にもなってなかった。二人目だって50代だ。人生なんて何が起こるかも分からんし、何も起こらなくたって死ぬよりゃマシじゃねえかと思うのだが、何でみんな死にたがるかね。
俺は生きるよ。何を、誰を犠牲にしても。汚く行き永らえてやる。そんであいつらのことを忘れないでいてやる。いつまでも口汚く罵ってやる。ふざけんじゃねえ。
※この記事には性的被害の描写が含まれます。フラッシュバックを起こしそうな方は読むのをご遠慮ください。
35歳の女。発達障害と双極性障害で、障害者雇用でフルリモートで働いている。IT職で、Excel VBAやPower Automateの仕事をしている。理解のある彼くんはいない。
家族構成は父親と私の2人。母は12年前に統合失調症で自殺した。父親と私は近距離別居をしているが、先日まで毎日、仕事終わりに父親と一緒に買い出しに行ったり、父親に食事を作ったり、父親にマッサージ機をかけたりしていた。
また、土日祝の休みは父親に従って社寺に参拝したりホームセンターに行ったりする義務があり、自由時間が休みごとに4時間しかなかった。
少しでも逆らうと「誰がお前のような穀潰しを養ってやっていると思っているのか」とパワハラ会議が始まり、1〜2時間拘束されて罵倒される。なぜパワハラ会議から逃げないかと言うと、中高生の頃によく殴られていて、力では叶わないことはよく分かっているからだ。
父親は老後、施設には絶対に入らないと言っている。私に仕事を辞めて在宅介護をしろと暗にほのめかしている。
7月ぐらいのこと。父親は、今の車にフォグランプが付けられないことを知り、新車が欲しくなった。そして、2人で買い出しに行くために車に乗っている時に「新車が欲しい。お前が新車の代金300万円払いなさい」「お金を取っちゃうぞ」と言いながら、私の太ももや膝を触った。後に警察にそれを追及された時は「足をぷしゅんしただけ。ただのスキンシップじゃないか。何が悪いんだ」と気色の悪い意味不明な発言をしていた。
また、12月末に私が病院で座薬をもらったことをしつこくからかい「座薬をケツの穴にチュッと入れるんだ。チュッとね!」と1日3回ずつくらい言われるので、気持ち悪くて死にたくなってしまった。
今年の1月13日(火)、仕事が終わったら父親に会わないといけないと思うとたまらなくなって、110番して警察に助けを求めてしまった。
警察官には「お父さんはあなたを心配して座薬を入れるように言ってるだけだよ。それに座薬はケツの穴に入れるもんでしょう」と説教されたが、「キモいもんはキモいんです!」と叫んだ。すると、別の警察官が来て「お父さんに言いたいことがあるなら、私と一緒に言いましょうか」と言われたので、私は警察官の人と一緒に、父親にものすごい形相で睨みつけられながら、「お父さんに足を触られたり座薬を入れろと言われたりするのが嫌です。お父さんと一緒にいるとつらいので、東京を出て田舎に帰ります」と伝えた。
今はまだ、父親が家賃と水道光熱費を払っている。父親がLINEしてきて、「食費と日用品費を渡す」と言ってきたが「一人暮らしの練習がしたいです」と断った。今は、最低でも食費と日用品費だけは、自分の給料で賄っている。身体がボロボロで医療費があちこちかかるので、そこだけ障害年金から出す。
また、父親が親戚が亡くなったから来いとLINEしてきたので、一応父親の家に行ったら、「お前が田舎に戻るなら一切助けないぞ。元の生活に戻るならいくらでも金を出してやる」と言ってきた。特に返事はしなかった。
今は、毎日、東京の郊外を自転車で走り回って食品と日用品を買い集める生活を送っている。プライベートブランドにできるものは全てプライベートブランドだが、工夫してなかなかおいしい料理ができている。
体力的にはきついはずなのだが、父親なしの時間が多いと、すごく身体が軽くて、朝7時に起きてウォーキングができる。
仕事は、5時間契約だが、ここのところ5.5〜6時間働いている。身体が軽いのだ。時給がいいので助かっている。仕事の業績も悪くなく、上司に、「増田さんは去年1年で120〜140時間くらいの業務時間を削減した。中には非常に高時給の専門職の人の工数削減も含まれているよ」と言われた。これなら、万が一今の仕事を失っても、何とかなるような気もする。
結局父親のお金で家賃を出してもらっているのでは、いつ父親の襲撃に遭うか分からないので、田舎(愛知と岐阜の境)に帰ろうと思う。
田舎なので、家賃が3万円からある。そして、母が死ぬ直前に書いてくれた遺書により、まとまったお金(父親が奪おうとしたお金でもある)がある上、障害年金を貯めているので、なんとかなりそうである。
愛知や岐阜には(多くは名古屋市だが)友人が多く住んでいるので、また会えたらなと思う。友人グループの中にちょっと問題のある子がいて離れていたのだが、私から様子伺いのLINEをしたら、その子がグループを抜けていたので、助かった。
不安なのは、緊急連絡先を社会福祉協議会にして通る家があるかどうかだ。でも、前より状況は良くなっている。少なくとも、一生父親にハラスメントされて介護要員にされる運命から抜け出しつつあるような気がする。
今年も一年が終わろうとしている。
今年もまた、脅迫や脅迫まがいのことを生業として過ごしてきた。ただし相手は間違えていない。
つまりどういうことかというと、社会的正義のための脅迫や脅迫まがいのために飼われている立場である、ということである。
だからガッツリ脅迫をしてもし相手が被害届を出したとしたら、相手はこちらサイドが洗いざらい警察に告発するとやましいことがめくれるため、それをされることは無い。
はずだった。今年も一年、無事に終わろうとしていた先月のことだ。ちょうど一ヶ月前になる。
前日が華金であったため立ち飲み屋に何軒か寄り、終電で帰宅していた翌朝だ。
眠りに落ちたのは午前2時頃であっただろうか。不眠なのでいつも通り眠剤も入れた。
そういうわけで10時になってもまだ深い眠りの中に居たところを、ケーサツ達にゾロゾロ入ってこられて寝込みを襲われた。
治安もいいし盗まれるものもないからだ、強いて言えばPS5、レア物のスニーカー、某アパレルブランドの洋服などは総取りされれば30万円程度の被害額にはなるかもしれない。
(盗んで売った者は10万円程度は手にするだろう)
それで難なくケーサツ達は俺の部屋に入ってこれたわけだ。まあそれでいい。鍵が開かないからと大家さんに連絡されれれば警察沙汰がバレる。バレずにいたいからな。
まどろみの中、メガネもないままおぼろげに確認すると8人もケーサツが乗り込んできている。しかも10時に。「ケーサツでーす、ケーサツでーす、起きてー」などと声を発しながら。
ふつうこういう時は近所への配慮から早朝ピンポンでこっそり連れていかれるものじゃないのか?それをこんな時間にゾロゾロと。配慮など無いようだ。
逮捕令状、ガサ状、押収令状の三枚の紙を見せられ、ぼうっと寝ぼけているとガサがさっそく始まった。
本棚やタンスの引き出しなどを漁られ、「本と服が好きなんだねえ」と言われたぐらいであとは机の上のサバイバルナイフをチェックされた。
これは何をは言わないが、何かの時に使用するために持っているもので、刀身は長いが切れ味は悪い。ま、そういうことだ。
ナイフについては「こういうものを持っていてはいけない」とだけ言われて押収はされなかった。どうやら押収令状に書いてあるもの以外は押収できないらしい。
令状には「スマホ」「パソコン」と書いてあり、素直にスマホとノートパソコンを差し出した。パスワードを聞かれたのでそれも素直に吐いた。どうせ即開けられるからな。
ちなみに、俺はAndroidだがiPhoneのパスワードはケーサツでもロック解除は困難という話だ。
どうしても見られたくなかったらパスワードを黙っていることも可能だろうが、それが取り調べにプラスに働くかマイナスに働くかは分からない。
基本的には素直に吐いたほうがいいだろう。容疑の唯一の証拠たりえるものがiPhoneの中である、というならワンチャン賭けるのもありかもしれない。
逮捕状がすでに出ているので手錠はされてもしかたなかったのかもしれないが、近所の目も気にしてくれたのか、そのまま連行されハイエースというのか、ケーサツがよく使う大きな車に押し込められた。俺などという小物、この小さな事件でケーサツが8人も来ているのはよっぽどおおげさだな、2台も車で来てよ、と思った。
署へ向かうことになった。
正直あちこちへ脅迫まがいや脅迫をしていたので、どこでだれが被害届を出していて、どこの署に連れていかれるのかわからなかった。
数十分ほどの距離を走り、署へ到着。東か。あいつかよ。この一年まるまるかけてお互いのサイドが弁護士までつけてやりあってきた宿敵だ。
やつの不法行為ももちろん許せなかったが、俺の中に燃えている社会的正義という炎がやつを許さなかった。
やつはそれなりに地元で悪い意味で有名な人物であったが、雲隠れをし連絡もとれないという状態で完全に逃げをうっていた。
依頼者としても手の出しようがなく、行政やケーサツに訴えても助けになってくれないからこちらに話が回ってきたというわけだ。
結論から言えばネットを介した仄めかしレベルの文面が脅迫の容疑ということで、それが半年前に出ていた被害届でやっと逮捕にきたということのようだった。
こちらとしては仕事としてやっているので、証拠が残るネットを介してのものでもラインを超えないレベルのやり方というのも心得ている。はて、どうなるかなと思った。
だからこそ細心の注意を払っていたはずだが、と。思案。
前回は略式起訴で罰金10万円で済んだが、「繰り返し」「同じ罪状で」「危害性が高い」となると今回はどうなるか分からないな。
それはある業界の日本ナンバー2、この県でもトップで、隣接する業界の様々な肩書のある立派な人物からのチクリからであった。
その男は「この業界で悪事を働く者は許さない」と常々言っていた人物であったが、その人物にまんまとハメられ「ぼやき」をスクショされ宿敵に証拠として提供されそこから被害届が出たというわけだ。まぁ耳を疑ったね。後に検事にも聞かれたが、「そことそこが繋がっているとは思わなかったわけだよね?」と。「悪事をなす者とつながりませんと言っている者がつながっているとは思わないじゃないですか」ということで、俺は業界の偉いさんから目をつけられて留置所へ行くことになったわけだ。この腐った業界、根本から変えなくてはいけないなと今は思っている。「魚は頭から腐る。俺はウンザリしてるんだ。」
逮捕されたら通常どうなるか。まず48時間(最大72時間だが、まあ48だろう)の勾留が決定されていて、取り調べが行われる。俺の場合、3~4時間。
もっと複雑だったり容疑が多かったりすると最初の勾留も取り調べも長くなるだろう。俺の場合は事実確認とどういう意図でやったか、簡単にまとめられ取り調べ終わり。
細身の感じのいい刑事だったな。雑談も交えながらな。俺も素直に応じたしな。で、そこで前科前歴のことも聞かれる。素直にその時前回の脅迫の前科のことも話した。
俺はとことん正直だから「あると思いますがねえ」と言ったが、無いという。これは当然あとから出てくるわけだが。日本の警察の調査能力・捜査能力は世界一だから隠しても無駄であるからすべて話したほうがいいというのは留置所で話す被疑者仲間や弁護士先生とも共通の見解であるから、舐めないほうがいい。無能ケーサツ神奈川県警ならばどうにかなるかもしれないが。
前歴の二十歳の時にやった自転車どろぼうで微罪即日釈放の紙ペラが一枚出てきただけで、「これだけだよ」と言われたが。
まあこの時は「それが出てこないということは俺に有利だ。幸運だ。略式起訴で罰金払ってすぐ出られるだけだな」と思っていたが、当然あとで前科が出てきて、「起訴(裁判をするため拘置所へ行って1ヶ月~二ヶ月、檻の中に居なきゃいけなくなる)か略式か半々」という心理的にかなりしんどい気持ちで過ごすことになる。
ここら辺りで「家族に連絡を取るか」聞かれるが、これはそれぞれの事情によってそうしてもいいししなくてもいいと思う。
が、有罪になった場合はどっちみち身元引受人に家族・親族に来てもらわなくてはいけなくなるから、言ってもいいだろう。
ちなみに保釈金を200万円だか積めば出られる可能性もあるから、弁護士と家族と相談してその道をとってもいい。認められない場合が多いが。逃げられたら大変だし。
補足情報として保釈金協会とかいうビジネス団体もある。これは大体、10万~50万ぐらいで、その200万円を肩代わりしてくれるという団体だ。
いいビジネスもあるもんだ。俺のとこは6万円と、かなり良心的だったが辛くとも中に居ることを選択した。
前回もやったのだが、次は「鑑識」だ。
全体の写真を撮られ、正面、斜め、後ろ、顔(メガネ有り/無し)を撮られ、指紋掌紋、チョップのとこの紋を取られて、身長体重を測られて終わりだ。
その後いよいよ警察署に併設されている留置所への扉が開く。その時にはもう手錠をされていたと思う。手首の骨に当たる冷たい金属の感触はなかなかに人権的ダメージをくらうよ。
刑事が「また」と言うので、ああ、48時間勾留→検察での弁解録取→裁判所で勾留10日延長はほぼ確定だよな、と覚悟は出来ていた。48時間勾留で返される人は中には居るだろうが、誤認逮捕とかそういう人たちだろう、99.9%の人は警察がやれるマックス20日勾留延長をくらう。その後、再逮捕でさらに延長、一ヶ月以上留置所で調べを受ける被疑者も居る。
「弁護士」についてだが、まずは当番弁護士というのがその日のうちに来るだろう。わけもわからない状態なら色々聞いてみるといい。
時間は30分ぐらいで、と決まっているらしいが、それはあくまでも目安なので後ろに面会が詰まっているとか弁護士が忙しいとかじゃなければ1時間でも話してくれるだろう。
そして、+10日の勾留(最大20日の勾留が認められている)が認められたら、裁判所で国選弁護士か私選弁護士を選ぶこととなる。
国選弁護士は資力が50万円以下の場合、つまり貧乏人の場合タダで公費から雇える弁護士だ。半ば公務員のようにこの状態でなるため、もしこの弁護士の助言などによって思ったより刑が軽くなったからといってもお礼になにか渡してはならない。感謝の気持ちがあってもだめなものはだめなのである。
それよりお金があれば私選弁護士といって、各々が交渉して報酬を話し合って弁護士を決めることになる。が、裏技もあってそれ以上お金があったとしても国選ルートに無理やりズラすことも出来る。うまくやれ。弁護士はこれまでの経験からどれぐらいの刑罰になりそうか(起訴か略式起訴か不起訴か、釈放まである)とか、法律の知識とか、不安を和らげるとか、雑談相手になってくれる。俺などはずっと雑談をしていたが。その時にもらえるかどうか分からないがもしその時たまたまお金を持っていなくてノートも買えない(お金を持っているとお菓子とかノートとか、その程度のものは買える)ようなら、「弁護士からのアドバイス」という小冊子と「被疑者ノート」という取り調べの記録をしておくための冊子をもらっておこう。ヒマ潰しに絵でも書いていてもいいし、俺のように中であったことを文章にしてこのように残しておいてもいい。本来の使い方としては、取り調べに暴行や脅迫や威圧がなかったか、署名の捺印を強制されなかったか、容疑以外のことで聞かれなかったか(原則、容疑以外のことで、これやあれもやってるだろ吐け、というのはNGだ)とかを記録しておいて裁判の時に自分の身を守るためのものだ。
いよいよ「留置所」だ。
俺はチャックのある皮パンに、チャックのあるダウンジャケットを着ていたからそれが金属探知機に引っかかるからということで預かられ、というか持ち物身ぐるみすべて剥がされ取られるのだが(財布や免許証や靴から靴下まで)、ジャージと長袖とトレーナーに着替えさせられ、これも何百回されたか分からない「身体検査」という全身を触ってへんなものを持っていないかのチェックがなされる。足裏まできっちり金探されるよ。
では「留置所の中」についてだ。
どんな感じかというと、硬い畳が三枚敷かれていて奥に和式便所と扉があり、外を覗けるようになっている(金網越しだが)。
その広さは1人で居るには少し広いし、2人だと狭いといった程度だ。つまり留置者が増えて同室になることも想定されているということ。
この頃はまだなんということもなかったのだが、留置最後のほうになると忘れもしない12/3、留置所の警察官(看守)の若い兄ちゃんが昨日雪降ったんスよ。
というぐらい俺の居た期間というのは季節のちょうど移ろい時で、暖房は一応効いているのだが奥の金網の向こうは外と繋がっていてケーサツが時々通る通路になってる。
そのためそこから冷気が入っていて寒くてやれなかった。毛布か布団か何か出してくれないかと言っても駄目だ。耐えるしかない。
なんにもない、なんにもすることのない部屋で。時計もカレンダーも鏡もない(鏡は割られたら自殺自傷の恐れがあるから当然だろうが)。
そこでじっと過ごすことになる。大体の人がマックス20日と+最初の勾留48時間の20数日はそこで監禁されることが確定となるわけだ。
時計は留置室からひょいと覗けば時間は分かる。が、時間の進む遅さの苦痛に耐えられないため見ないほうがいいかもしれない。
今日が何月の何日か、というのも分からない。それは一日に30分だけ読ませてくれる新聞で確認するしかない。ちなみに新聞は産経新聞でかなり「右」だった。
俺は「左」の人間なので、反対側のイデオロギーから見た新聞の見解というものを見れたことはけっこう収穫であった。右の人たちの考えを知ることが出来たからだ。
時はちょうど台湾有事発言を高市がして、さてあれはどうなったかな、オールドメディアと呼ばれるものでは実際どう報じているのかな、と覗いてみた。
(ちなみにテレビにも一応イデオロギーはあるがあれはもうすべてがエンタメなのでメディアと呼べないと俺は思っている、うちにはテレビもないし知らないが)
記事自体はファクトであり何も偏りは感じない、ちゃんとしているじゃないか、と意外に思った。が、あの社説というのか、あの窓のところだけとんでもなく偏っていた。
小誌(産経)意外は高市発言を批判しているがうちはしていない、国民の支持率は高い、テレ朝のコメンテーターの発言に不満がある、とかなり寄って語られていたな。
それは日々のことでおもしろがって見ていたが、そのイデオロギーは時々記事にも漏れ出していて、特にコラムのような自由欄については櫻井よしこの大枠での起用や、へんなおっちゃんが関西弁での口語調で「中国とは断交したらええねん」レベルの発言をさせていたのは気になった。「右」の人にとっては気持ちの良いものだろう。私はまあ逆の立場だから、苦笑いするのみであったが。
ともかく、それでもそれは情報食いの俺にとって日々の確実な楽しみとなったし、今日が何月の何日で何曜日なのか・・・を知るためのたった1つの与えられたものだったので意義が大きかった。
ちなみに留置者に何か影響を与えそうな記事は白い厚紙で厳重に読めなくしてあり、恐らく犯罪関連のことは知らせてもらえないのだろう。中にいて一度も山上の記事などは見なかった。
ただ、ごく小さな記事で死刑を求刑されていた者が、発達障害ということで情状酌量して無期になった、という記事ぐらいは見ることが出来た。
基本的に障害があるからといって刑務所に入らなくていいなんてことはなくて、むしろ刑務所には障害者が一般世界より多い。
ただ、最近おもしろかったのは「哲学的ゾンビ殺人事件」で2人ぐらい殺した統合失調症が無罪になった、というWikipediaの記事を読んだことだ。
何回読んでも俺には理解出来なかったが、何やら哲学的ゾンビという概念があるらしく、それを人だと思わなかったから殺してしまったということで無罪?という話だった。
とはいえ、そういう人はこの先一生精神病院で暮らすことになるのだろうが。
まあ別に今何時か、とか、今日は何月の何日か、ぐらいは看守に聞けば教えてくれるのだが。
そして「官本」だな。言わなきゃもらえないこともあるらしいが、本のリストをくれる。そこから読みたい本を選んで伝えると本をくれる。
暇な読書家はそれを1番から順に読んで行って、今何番まで読んだ、と話す人もいた。
俺も特に十代の頃は孤独な読書青年であったから、興味を持ってリストを眺めてみたが面白そうなものはほぼ見当たらない。
唯一筒井康隆の本があって、2014年ぐらいに書いた短編集を頼んだ。あのジジイまだ生きていてまだ書いていたのか・・・。そう思った。
内容自体は相変わらずの筒井節はあれどさすがに枯れたか、面白い話はなかった。その後本を読むことをやめ、空想の世界で生きることで時間を費やすことにした。
「食事」は3食食わせてくれる。これは普段ろくなものを食っていない俺にとってはかなりの楽しみとなった。
また、私語禁止が基本だが看守たちは黙認してくれるので、留置者同士、「今日はあれが美味しかったな」とか「たまに魚がくるとテンション上がるね」とか、あとで語るが留置者同士が交流出来る「洗面・歯磨き」「運動場」での共通の話題となるのでそれもまたお互いの境遇を励まし合うという意味でいいものであった。
中身は3食、ご飯がギッチリ入っていて揚げ物中心のメニューである。毎日代わり映えしないので飽きてくるが、中ではそれぐらいしか楽しみがないのでなかなかに美味しいと感じてしまう。
基本的には留置者が被らないように1人1人出されるようにしているように感じたが、それをやっていては2時間も3時間もかかってしまう。
別に誰も運動なんてしないのだが、外の空気を吸えて、そこで捕まっている自分がどんな顔をしているか確認出来る「鏡」がある。
これを見てどう思うかね。俺は、変わらんな、と思った。月水金にはヒゲを剃らせてくれる。
20日ほど居て運動場でたまに会う他の留置者との交流が一番楽しみであった。
そこでもやはり私語禁止とデカデカと貼ってあるのだが、警察官も交えてトークをするのが楽しみとなっていった。
看守の業務に任じられると24時間勤務・休み・休みというシフトになるためしんどいでしょ?と若い看守に聞いてみたり、ナイフを持った相手との闘い方は・・・とか様々な雑談をした。
その若い看守とは3日に1回しか会えなかったので20日ほど居て5回ほどしかそこで話していないがよく話したものだ。
他には、一番最初に運動場に出された時、白髪のじいさんがいて「君は何の病気か」と尋ねてきたので、いや、別になにもと答えたが気になって看守や弁護士に「ここは精神に問題のある者が収容される専門の留置所なのか」と聞いてみたりした。そうではない、ということだった。看守は、相手にしなくていい、と一様に答えた。
あと4名の「仲間」の話をしておこうか。
暴行で捕まったというが、残りの犯罪についても向こうには既にバレていて、「警察の調査能力は凄いですから全部話したほうがいいですよ」と。
14歳で適応障害(当時そんな病名は聞かなかった)を発症してから20数年。
鬱病、強迫神経症、摂食障害は正式に病名がつき、その他、双極性障害2型と統合失調症は医師からそうかもと言われた。
大学は鬱と摂食障害で中退し、そこから寛解期に猛烈に労働したお陰で正規雇用で働き続けているが、6年前に再発して以来ずっと精神科のお世話になっている。
普通に働けているようで働けていない。
薬を飲みながら周りには隠して労働しているが、前職は耐えきれず鬱の診断書を職場に提出して休職する羽目になった。
夜眠れないし朝起きれない。
たまにドキュメントがしっかり読めないし、物忘れが年々激しくなっていく(医師には一時的な脳疲労と言われたが、負荷で萎縮して不可逆的ダメージ負っているのではと思っている)
ちょっとしたことで感情がかき乱されるし、またいつ折れるか分からない不安が傍にある。
貯金がないので働かざるを得ない。
ゆっくり休むだけの余裕がない。
若い時分に実家には死ぬほど迷惑をかけたので、親にも「いい歳なんだからちゃんとしてよ」しか言われないので頼る気も起きない(申し訳ない。親も高齢者だ)
家庭もないし恋人もいない。
友達も鬱期になると縁が切れてしまうので知人レベルしかいない。
発狂しそうな気持ちを抑えて労働しているけど、毎日消えたい気持でいっぱい。
働くだけでは誰も認めてくれない。
精神の病を患いながら働いてる人は周りにもいるのだろう。
みんなどうやってこのどうしようもない感じと付き合いながら生きているんだろう。
ヤバいくらい興味沸かない....こんなに興味ないことってあるんだ。
逆になんかすごい。
ぐらいかな。これは実際に何かやったんならその具体的な話を聞きたい。でも「決断した」だから具体的なアクションには結びついてないのかもな。
「自分の中では大したことだったのかもしれないけど他人に関係ないな〜」って思う話ばかり
■Noteで有料記事書こうと思うけどこのトピック気になる人いると思う?
最近色んな人と話すことが多く、思ったより自分の人生が他人よりも濃い人生送ってるな・・・と感じた(まあ周りがあまり自己開示してないだけかもしれないけど)
なんか人生の切り売りするみたいであんまよろしくないなーとは思うものの、自分の人生の振り返りを兼ねて記録して、まあ、それで楽しんでくれる人やお布施くれる人がいるなら良いのかなと感じている。
トピックとしてはざっくりこんな感じ
- なんか俺の出生届だけが兄弟と全く違う件
- キラキラネームとアイデンティティ
- 狂った家庭の虐待の話
- ヤクザの親父を持ったことの大変さ
- クソ親父の思い出
- 幼少期の自分や友達が持っていたレアグッズの話(現在市場価値も添えて)
- グレた自分の学校での奇行について
- 家系の謎の話(プロテスタントと真言宗醍醐派仏教の話)
- 自分の宗教観と日本社会の宗教観の話
- WW2の曾祖母の伝説とそれが与えた自分への価値観
- 親父が殺し屋に襲われた件
- 右翼団体についてざっくりと知ってること
- 家賃2万円の貧乏生活について
- ガチで飲食店が向いてなかった話(+学生バイトの思い出)
- 不登校からの社会復帰の話(中1~2不登校)
- うごくメモ帳のという閉ざされた空間のカルチャーを振り返る
- ヤバい(褒め言葉)高校に通ってた話
- いじめの話(なぜ子供はいじめを行うのか?)
- 自分のインターネットの懐古歴(海外フラッシュゲームの懐古と、角煮との出会い、萌へ萌へ王国ってなんだっけ・・・)
- 2chAPI移住騒動の思い出(避難所の栄光と衰退)
- iPhoneの脱獄アプリの思い出と、公式に取り込まれたその機能について
- Hackintosh、3DSの改造、arm9loaderhaxやNTR cfw,kit-katなどの話(偽トロ不要の無線キャプチャの思い出)
- 成長期における狂った投薬、抗うつ薬、睡眠薬の話
- ドーピングは悪なのか?
- 学生に流行ったスマートドラッグの話
- 大麻は国内で禁止すべき理由とバッドトリップ、法哲学の話
- ダークウェブの話
- 写真の思い出
- 俺はパンクなのか?
- アンダーグラウンドミュージックの話
- アナログレコードの面白さとゲームミュージックのアナログレコード市場の話
- スニーカー文化論の面白さ
- レアスニーカーの話
- 自分のスニーカーコレクションの話
- サバゲ沼の話(自分のカスタムについて)
- アートブック収集の面白さ、レアなアートブックはどんなものか
- 自分の作った服の話
- 自分の買った面白い服の話
- 近代ブートレグファッションについての批評、フェイクの取り締まりやバックグラウンドの話
- メサイアコンプレックスの話
- 独自のスタイルを持つことと、ズレたダサさの違い
- ピストバイクのカスタマイズの思い出
- 近代グラフィティ(ステッカーカルチャー)の考察
- 自分のグラフィティスタイルの話
- 出会系アプリを自動化したら平均32いいねのところを408いいね取って滅茶苦茶になった話
- ぼったくりバーの話
- 現代美術を知って
- スケボーの話(ギアや好きなプロスケーター、日本のスケートについて)
- ジョン・マカフィーやばくね?
- メディアリテラシー論を受けて
- 大学の思い出
- 俺のフルネームがボカロ?になってしまった話
- 大学で脳科学の実験モルモットになった話
- お酒が飲めない話
- 人を助けることの難しさ
- 自殺について(選択肢の豊かさについて)
- 日本の受動的攻撃行動について(+なんで日本は発達障害率が高いんだ?)ソース1ソース2
- 明晰夢と夢の中の分析の話
- ゲームの没データの話
- エミュレートサーバーの魅力
- FireStickの改造の話、アングラAndroidアプリの魅力
- ウクライナ避難民の保護を決断した話
- 支援の難しさと汚職について
- ウクライナのマフィアの話
- 如何にして人と分かり合えるか(1DKの同棲生活を3年続けた方法)
- 彼女の惚気話と自分の恋愛観の話
- 正しさとは何か
- アロマの話
- カフェ巡りの話(オススメの飲食店の話)
- 自分のうつ病との付き合い方、双極性障害についてなど
- 社会支援について知る
- システムで行う自己制御について(紙巻たばこの魅力)
- 自己流節約術
など
なんか哲学的は話とぶっ飛んだ話の組み合わせが好きなのは自分がミッドナイト・ゴスペルが好きだからかもしれない
最近色んな人と話すことが多く、思ったより自分の人生が他人よりも濃い人生送ってるな・・・と感じた(まあ周りがあまり自己開示してないだけかもしれないけど)
なんか人生の切り売りするみたいであんまよろしくないなーとは思うものの、自分の人生の振り返りを兼ねて記録して、まあ、それで楽しんでくれる人やお布施くれる人がいるなら良いのかなと感じている。
トピックとしてはざっくりこんな感じ
など
なんか哲学的は話とぶっ飛んだ話の組み合わせが好きなのは自分がミッドナイト・ゴスペルが好きだからかもしれない
京都だけど、「ボク、生活保護ウケてるよ!」と路上で酒飲んでる赤バンダナおじさん外国人(白人)がいるんだよね
あれどうなってるんだ?とは疑問に思う
路上で酒飲んで見知らぬJKに話しかける生活保護おじさんって、違法ではないけどヤバいだろ
あと生活保護関係ないけど、今どき巨大なコンボを抱えてクソデカ音量で街を練り歩くガタイのいい黒人もいる
カオスかここは
ただここで朗報がある
日本人の老人で、多分認知症なんだが元気だけは有り余ってるジジイがいる
スタバにいる客にガラス越しに叫んだりするし、クソデカい声で歌いながら街を練り歩くんだよ
あいつ強いな
なんか良い案ない?