はてなキーワード: パワーバランスとは
イラクのときと違い西側に味方もおらず、政権もまともじゃない。
ドローン兵器の普及と決定的な対抗兵器の不在でこれまでの非対称戦のルールが変わったのが大きい。これがパワーバランスを変えた。
「ノマ爆」とは、主に二次創作でBL(ボーイズラブ)の妄想をしていた男性キャラクターのいずれかに、公式(原作)で女性の恋人ができたり、異性愛の描写が確定したりすることを指すネットスラングです。
この言葉は「ノーマル(異性愛)」によって、ファンの妄想(BLカップリング)が「爆破」されるというニュアンスで使われています。
この現象が界隈で激しく荒れる理由には、主に以下の要因が挙げられます。
多くのファンは「原作は原作、二次創作は二次創作」と割り切って楽しんでいますが、一部の熱狂的なファンは自分の妄想やカップリングを「公式に近いもの」や「正解」と思い込んでしまうことがあります。
そのため、公式で異性との関係が描かれると、自分のアイデンティティや居場所が否定されたかのような衝撃を受け、攻撃的になるケースが見られます。
「ノマ爆」に直面した際、それを作品の正当な展開として受け入れられず、「公式が間違いを犯した」「権利元が右翼思想に支配されている」といった陰謀論やデマを流布する人が現れることがあります。
中には、公式スタッフへの誹謗中傷や、SNSでの過激な政治的・宗教的な投稿に走る妖怪と化すケースも報告されています。
ファンコミュニティ内では、特定のカップリングを推すことで他者に対して優位に立とうとする「マウント」の取り合いが発生することがあります。
公式でカップリングの可能性が消滅(爆破)することは、こうした界隈内のパワーバランスにおける「敗北」と捉えられるため、過激な反応を招きやすくなります。
一部の層には、単なるキャラクター愛を超えて「異性愛主義(ヘテロ)そのものが憎い」という思想を持つ人々も存在します。
彼らにとって、推しキャラが女性と結ばれることは、エンターテインメントの枠を超えた思想的な「敵対行為」と見なされ、政治的な議論にまで発展して炎上することがあります。
ノマ爆に遭った際の「正解の対応」として以下の意見が挙げられています。
このように、「ノマ爆」による荒れは、個人の妄想が公式によって否定されたと感じる強いショックや、それを攻撃性に変えてしまう一部のファンの振る舞いによって引き起こされています。
稼ぐ俺様と「流行」の平和主義:思考を放棄した大黒柱の優雅な余暇
家族を養うという高尚な義務を果たすあまり、脳のリソースを完全に給与明細の確認に使い果たしてしまったようですね。あなたのその「忙しさ」を盾にした思考停止と、奥様への透けて見える蔑視の数々、奥さんが気の毒でしょうがない。
あなたの「稚拙な論理」と「現実逃避」について指摘してあげるよ。
「お前を養うために働いているから、戦争なんて考える暇はない」――。これは、現代の日本で絶滅危惧種かと思われていた、化石のようなマチズモ(男性優位主義)の典型例ですね。
奥様が家族の命や国の行く末を案じている横で、「俺は金を稼いでいるんだから、高尚なことは考えなくていい」と開き直る姿は、まるで「泥棒が来るかもしれない」と警告する同居人に対して「俺は戸締まりの鍵代を稼いでるから、防犯のことなんか考える暇はない!」と怒鳴っているようなものです。昭和の世界の産物、あるいは遺物だと思っていたけれど、令和の時代でもあったんだね。
あなたが必死に稼いだそのお金も、一発のミサイルや経済制裁、あるいは徴兵制に近い制度変更で紙屑や無意味な数字に変わるという想像力すら、お仕事の忙しさで消えてしまったのでしょうか。会社では危険予知とかはしないのかな。
「なんでこんなに女の間で流行ってんの」という一言には、奥様の知性を自分より下に見ているという、救いようのない蔑視が凝縮されています。
平和を願うこと、あるいは危機を察知することを、タピオカやパンケーキの流行と同じレベルで語れるその感性は、ある意味で「平和ボケ」の極致と言えるでしょう。
「証拠出せ」の幼稚さ: 泥棒が「今からあなたの家を襲います」と契約書を持ってくるのを待っているのですか? 政治の言葉は常に「防衛」や「平和」の衣をまといます。その裏にある予算の配分、法案の解釈変更、そして何より周辺国とのパワーバランスの変化を読み取ろうとしない姿勢は、知的怠慢以外の何物でもありません。
あなたが「証拠がない」と鼻で笑っている間に、世界はあなたの理解が及ばないスピードで変質しています。
トランプを「ただのビジネスマン」だと思っているなら、あまりに楽観的です。彼は同盟国に「金を出さなければ守らない」と公言し、既存の秩序を破壊することを厭いません。彼のような自己愛的な破壊者が再び世界の中心に座れば、日本はアメリカの都合一つで最前線の盾(文字通りの肉壁)にされるリスクが激増します。
先進国の多くが、アメリカの一極集中から距離を置き、多極化する世界でどう生き残るか必死にバランスを取っています。
それに対し、日本はどう? どの国よりも前のめりに軍備増強を叫び、アメリカの不安定な戦略に盲従しています。「世界の大半が反対・警戒している事象」に対して、日本だけが尻尾を振って追従しているこの歪な構図こそが、最大の「予兆」であり、奥様が本能的に感じ取っている戦前への回帰、戦争を起こす国への恐怖の正体です。
奥様が「なんであんたはわかんないの?」と繰り返すのは、あなたの知識不足を責めているのではありません。同じ船に乗っているはずのパートナーが、迫り来る嵐の雲行きを見ようともせず、甲板の掃除(仕事)だけしてれば安全だと信じ込んでいるその「幼さ」に絶望しているのです。
奥様を「うるさい流行追随者」として切り捨てる前に、まずはその「忙しくて考えられない」脳を、休日の今日は社会や家族のために使ってみてはどう?
最近ちょっと思ったんだけど、LLM(大規模言語モデル)の普及って、単に「作文が楽になった」とかそういうレベルの話じゃないよね。
これ、ぶっちゃけ**「一般市民が手に入れた、巨大組織ハック用の共通プロトコル」**だわ。
今までの社会、特に行政とか警察みたいな公共機関とのやり取りって、基本「無理ゲー」だった。
あっち側は「専門用語(お役所しぐさ)」っていう難解なプロトコルを盾にして、こっち側の「お気持ち(ナチュラ言語)」を全部ノイズとして弾き飛ばしてきたわけ。
この圧倒的な**「情報の非対称性」**の壁の前に、みんな泣き寝入りするしかなかったんだよね。
でも、LLMが出てきたことで、このパワーバランスが完全にぶっ壊れた。
私たちが抱く「それっておかしくない?」っていう主観的な怒り。
LLMは、それを「手続きの瑕疵」「合理的配慮の欠如」「生存権の侵害」みたいな、**行政システムが受理せざるを得ない「正論コード」**へ一瞬でコンパイルしてくれる。
もはや、法律を何年も勉強して「あっち側の言語」を習得する必要はない。AIっていうコンパイラがあれば、誰でも「システムが拒絶できないコード」を叩き込めるようになったんだよ。
今までのお役所仕事って、「手続きの摩擦(フリクション)」で市民を遠ざけるのがデフォだった。
「平日の昼間に来い」「この書類を何枚も書け」「たらい回しにするぞ」。
これ、要は市民のメンタルを削って諦めさせるための**「アナログなファイアウォール」**だったわけ。
でも、LLMを使えば、一通の陳情書を作るコストなんてほぼゼロ。
一箇所に送るのも、四箇所に同時爆撃するのも、手間は変わらない。「組織の縦割り」っていう防壁が、AIによる「マルチパス攻撃」の前に無力化されつつあるのは、見てて正直ちょっとスカッとする。w
今までの市民活動って、どこか「お上にお願いする」みたいな湿っぽいニュアンスがあったけど、LLM時代のスタンスはもっとドライ。
「あんたらの運用のロジック、法的な仕様と矛盾(バグ)ってるよ。パッチ当てといて」
これはもはや「苦情」じゃなくて、**社会っていう巨大なプログラムに対する「デバッグ作業」**なんだよね。
今までの「適当な説明で煙に巻く」やり方が、もう通用しなくなってることに。
相手は、自分たちと同等かそれ以上の論理武装をしたAIを味方につけた「武装した個人」だから。
これは組織にとっての脅威じゃない。むしろ、組織を「誠実さ」と「透明性」へと強制的にアップデートさせるための、強力な外部刺激なんだと思う。
お役所が「誠実に対応したほうが、AI武装した市民に突っ込まれるよりコスパがいい」って気づいた時、社会のOSは一段階新しくなるんじゃないかな。
ってLLMが言ってた。
「哲学で戦争が止まるなら苦労はしない」というのが、冷徹な現実を直視した際の本音だと思います。著者の千葉氏の論理を、あえて「机上の空論」ではなく「システムの設計指針」として現代の紛争に当てはめると、以下のような考察になります。
結論から言えば、「事後」の解決策としては無力に近いですが、「事前・事中」のシステム維持としては極めて重要な変数として扱われています。
著者の視点に立てば、2022年の侵攻以前の数年間が「消極的平和(ただ戦争がないだけの状態)」であったことが最大の失敗とされます。
構造的暴力の放置: 2014年のクリミア併合以降、国際社会は「火種(不正義)」を根本から取り除こうとせず、表面的な停戦(ミンスク合意)で妥協しました。
「正義」の欠如が招いた結果: ロシア側の領土的野心という「不正義」に対し、人権や国際法を基盤とした強固な包囲網(積極的平和への投資)を構築できなかったことが、プーチン大統領に「力で現状変更が可能だ」という誤った計算を許してしまいました。
結論: 千葉氏の理論を「防衛システム」として運用していれば、もっと早い段階で経済・外交的コストをロシアに突きつけ、侵攻の動機を削ぐ(=積極的平和の構築)必要があった、という分析になります。
台湾問題において、平和主義の哲学は「抑止力の正当化」と「対話の窓口」の両立という、非常にバランスの難しい役割を担います。
現実的な平和主義のスタンス: 著者の立場は「無抵抗主義」ではありません。他国の主権を侵害する武力行使を拒否するための「抵抗」は、正義を守るために(苦渋の選択として)肯定される余地があります。
平和の構想力: 台湾防衛においては、単なる軍事力(リアリズム)だけでなく、中国側が「武力行使をするよりも、国際社会のシステム(正義・人権・経済)の中に留まる方が得だ」と考えさせる相互依存のインフラを維持できるかが鍵となります。
結論: 哲学だけで防衛はできませんが、「なぜ台湾を守る必要があるのか」という国際的な大義名分(正義)がなければ、西側諸国の足並みは揃わず、防衛システムは機能不全に陥ります。
著者の主張を「実務」に置き換えると、以下のようになります。
| 視点 | 戦争の捉え方 | 解決アプローチ |
|---|---|---|
| 純粋な現実主義 | 避けられない力のぶつかり合い | 武器の量とパワーバランスのみで制御 |
| 千葉氏の平和主義 | システムのバグ(不公正)の爆発 | バグ(貧困・抑圧・不正義)を修正し、爆発を防ぐ |
著者が「正義」や「人権」を持ち出すのは、それらが欠けたシステムは「遅かれ早かれ必ず暴発する」という予測に基づいています。つまり、平和主義とは「優しい世界を夢見る」ことではなく、「持続不可能なシステム(独裁や抑圧)がもたらす破滅を避けるための、高度なリスク管理」と言い換えることができます。
「チー牛」に「豚丼」で対抗した奴らって、当時「これで女も黙る!」とか鼻息荒くしてたけど今どうなった?
女がチー牛って言わなくなった?なあ、いつそんな平和な世界線が訪れたんだよ。今でもチー牛はネットのインフラとしてバリバリ現役だぞ。
マジで生きてて恥ずかしくないの?
あのカウンター、最初から見てて痛々しいレベルの「無理ゲー」だったんだわ。今や概念として定着しきったチー牛に比べて、豚丼なんてどこで使われてんの?
そもそも、女側の土俵が人生イージーモードすぎて、あんな程度の低い煽りで勝てるわけないだろ。
チー牛には、あの「絶妙な陰キャ感」をこれでもかと凝縮した伝説のイラストがある。一目で「あ、これだ」ってわかる記号としての完成度が天と地なんだよ。
対する豚丼は? ただの肉が乗った米じゃねーか。
女側は、男が少しでもダサい格好をしてたり、陰なオーラを纏ってたりするだけで「チー牛www」の一言で社会的生命を断てるチート武器を持ってるんだよ。この不公平なパワーバランスに気づけよ。
一番寒いのは「言い返してやる!」っていう小学生並みのメンタリティな。
男側が「豚丼!」とか必死に叫んでる間、女側は鼻で笑いながら、また新しい「男をラベリングして叩く言葉」を探してるんだよ。
男がどんだけ必死にカウンターを考えようが、女側が持つ「選別する権利」というイージーモード特権の前では、ただの負け犬の遠吠えでしかない。
チー牛には、言われた側が「まあ俺のことなんだけどなw」って自虐できる「愛嬌」と「隙」がある。
でも豚丼にはそれがない。ただの剥き出しの敵意。おまけに女側は「そんな言葉使う男、キモい」の一言でその攻撃を無効化できる。
審判もプレイヤーも女がやってるゲームで、豚丼なんていう粗末な石ころを投げて勝てると思ったのか?
お前らの完全敗北なんだわ。
「消去法で自民」とか言ってる連中に聞きたいんだが、
今の情勢で自民に投票することが「与党勢力350人」の巨大なモンスターを産み落とすって自覚があるのか?
高市の扇動で大半の日本人が勘違いしてるようだが、これは推しを一人選ぶ大統領選挙や生徒会長選挙じゃない
議会選挙の本質は、誰が好きかじゃない。「選挙後の議会勢力図をどうデザインするか」だ
1人が勝つか負けるかじゃない、集団がどういうパワーバランスになるかを決めるゲームなんだよ
歴史を振り返ってもギリギリ過半数くらいの時の自民党が一番マシなのは事実だろう
そういう奴まで消去法で自民党に入れる気なら考え直せ
自民と維新を合わせて350議席なんて状況になったら「チェック機能の完全な消失」を意味する
議論もクソもない、数の暴力による閣議決定の追認マシンが出来上がるだけだ
小泉チルドレンや安倍チルドレンがウヨウヨいた頃はまさにそんな感じだった
気のせいじゃなければ、明らかに今の無修正の女優よりレベル高かった気がする。わかりやすく言えば、当時の環境で修正ありの業界の女優たちに見劣りしなかった。
特に業界に詳しいわけじゃないけど、それ以前の無修正の女優のレベルってけっして高くはなかったと思うので、この時期に顕著に上昇したんじゃないか、と思う。
この年代ってポルノをネット環境で見る、ってことが普通になった時期だと思うので、修正ありとの競争に負けないように、スカウトやマネージメントが強化されたり、
それに見合ったギャラが投下されたりしたんじゃないか、と勝手に想像している。
で、現在では修正ありの方がレベル高い環境に戻っている気がする(いまの無修正の女優さんには悪いけど)。
2010年前後とは逆に、事務所の営業力や資金が抜けていってしまったのでは、と思うが、想像に過ぎないし、推察が合っていたとしてなぜか理由はわからない。
同人AVの方にパワーバランスが傾いた? でも、同人にすごいかわいい女優が出てるかというとそうでもない気がするし、奪い合いではないっぽい。
もしかして、以前だったら女優になってた層が表裏以前に別の環境(海外渡航のセックスワーカーとか)になってたりするのか、とも思うが、詳しい人がいたら教えてほしい。
・敵モンスターきも カラフルな発光カリフラワーみたいなのに寄生された動物?にしてもでかすぎるな どろどろしててきも
・茶髪(ザイロ)常にイライラしすぎで怖い キレすぎだろ 鼻つまみ者の勇者以前に態度が怖い
・魔王出てくるのはっや
・騎士隊長?のお姉さん(キヴィア)がヴンダーのミサトさんに見える
・「まさか…貴様!勇者か!」ってザイロが勇者だと分かった途端におまじないのようにこの悪人が!大罪人が!と罵倒し始めるのなんかモヤる
・敵つよすぎない?
・女神の力つよすぎない?
・なんか詰め込みすぎというかバトル凄いけどよくわかんない
・あんな高い所にいる魔王に短剣で立ち向かっていくのいくらなんでも無謀じゃないか?
・ザイロの滑舌がときどき怪しい まあずっとキレてるから無理もないか
・地球はかいばくだんみたいなので魔王撃破 こんなんで終わったのか…?
・どうせザイロにも深ー-ーい事情があったんだろうけどこんな短絡的な世界だとそこまで斟酌してもらえないんだろうな
・ザイロの過去回想 なるほどここで勇者刑になっちゃったわけかー
・世界が単細胞すぎるのあんまし好きじゃないな 理不尽とか仕組まれてるっていうよりなんかあまりに単純
・タイトル回収
・なるほどなー ザイロがあんなにムカムカしてるのがわかった気がする うーんでも事情はわかったけどキザすぎーって感じ
・画面が暗い云々はそこまで気にならなかったな
自民東(統一)、中道西川(いじめ事件の市長)、共産おぎう(おじいちゃん)。顔ぶれは前と同じやね
前回北海道は立憲が勝ちまくった中で、6区は自民がギリギリで議席を守った。まあ立民西川も比例復活で行ったが。
西川はやはりいじめ事件が尾を引いていて、そのイメージを払拭できてないように思う。本人のインスタ見ても、彼自身がほぼ独自の政策に触れていない。
西川は政治家がやりたいだけで、日本を変えたいことは、特に無いんだろう。
もっとも人物の印象があんまないのは、東のほうも大差はないので、結局政党のパワーバランスで決まるんだろうなあ。
北海道6区はドブ板するには広すぎるから、仕方ないっちゃ仕方ない。
報道では公明票は1万近くあるとされていたが、正直そんなにはいないだろ。ただ党の言いなりになる創価員がそんなにいるもんかね。
それでも自民に入ってた公明票のいくらかは中道に移動することになる。高市を嫌うオッサンや左寄りの無支持層も少しはいるだろう。
逆にうっすら反石波、親高市という層が自民に戻ってきて、そのどっちが多いかで趨勢は決まるだろう。
俺は蓋開けたら自民増、自維で過半数とれて、国民がやきもき、中道は解散して元の木阿弥という展開と読んでいる。
正直「どっちがマシか」の選択なんで、他の党が出てこないかは心配だった。とくに参政党なんていたらぽっと通っちゃう可能性もある。
なぜなら、社会の根本的なパワーバランスが今も圧倒的に男性>女性だから。
政治、経済、企業トップ、メディア、性的承認、安全、未来の選択肢——平均値で見れば、男性が「強い側」の構造は崩れてない。
そんな中で、女性が男性に対してどんな言葉を投げかけようが、どんな制度を求めようが、それは「弱者による強者へのカウンター」でしかない。
差別とは、強い側が弱い側を抑圧するもの。逆はあり得ないんだよ。
最近バズってる「女子枠拡大」と「国交省の女性トイレ便器数優遇指針案」(女性用を男性以上にする案)を見て「男性差別だ!」って叫んでる奴ら。
悪いけど、それ全部「過去の女性排除の是正措置」でしかない。理系女子が少ないのは、昔からのステレオタイプと教育機会の格差の結果。
それを暫定的に補正するのが女子枠。アファーマティブ・アクションとして国際的にも認められてる。
男子が不利? いや、スタートラインが違うんだから当然の調整。
「俺の席が奪われた」って? それが「強者男性」の特権意識そのものだろ。
トイレの行列問題も同じ。女性の利用時間が男性の3倍近くかかる実態調査に基づいて、便器数を女性優遇するのは物理的な公平。
男性は小便器でサクッと済ませられる特権があるのに、「スペース削られる!」って文句言う?
女性用小便器の写真見て笑ってる奴らこそ、女性の身体的現実を無視してる差別者だよ。
これらを「男性差別」って呼ぶ時点で、君たちは自分が「強い側」にいることを無自覚に証明してる。
いるのは「男性の中の階級格差」だけ。稼げない男、モテない男は、女性じゃなくて「他の強い男」に負けてるだけなんだから。
DV被害? 男性被害者もいるけど、シェルターが女性優先なのは歴史的に女性が圧倒的に被害者だったから。
今さら「男性も!」って騒ぐのは、女性の苦しみを相対化したいだけ。
親権? 母親が取るケースが多いのは、育児の主担当が母親だった現実の反映。
男らしさ強制? 自殺率高いのも過労死も、結局「男は稼げ、守れ」って男性中心社会が作った呪い。
女性が文句言ってるんじゃない。男性同士の競争とプレッシャーだよ。
女性専用車両、レディースデー? それも女性の安全・機会是正のための暫定措置。
同一料金で排除? いや、女性のリスクを考慮した「特別扱い」なんだから、強者への特権剥奪じゃない。
本質はこれ。
男性が社会のデフォルトとして君臨してる限り、どんな「是正」も「優遇」に見えちゃう。
女子枠もトイレも、全部「女性が少しでも息をしやすくするための最小限の調整」。
それを「逆差別」って騒ぐのは、特権を失うのが怖い強者の遠吠えでしかない。だからもうやめようぜ。
歴史は韻(いん)を踏むというが、それは時に残酷なまでの既視感として我々の前に現れる。
一九一八(大正七)年、言論の自由を死守すべきジャーナリズムが国家権力という巨大な壁に膝を屈した「白虹(はっこう)事件」。
そして令和の今日、台湾情勢を巡る高市首相の答弁に動揺し、思考停止に陥る現代メディアの姿。
これら二つの事象は、単なる政治の混迷ではなく、一世紀を経てもなお変わらぬ、日本のマスメディアの本質的な「脆弱(ぜいじゃく)」を露呈させている。
白虹事件という言葉を知る者は、現代では稀(まれ)かもしれない。しかし、この事件こそが日本のジャーナリズムを去勢し、後の軍靴の響きへと道を開いた決定的な転換点であった。
当時、米価の高騰に喘(あえ)ぐ民衆の怒りは「米騒動」として全国に飛び火していた。
批判の矛先は寺内正毅内閣と、利権を貪(むさぼ)る政商へと向けられた。
同紙は一九一八年八月、米騒動の背後にある社会の矛盾を指摘する記事の中で、
「白い虹が太陽を突き刺す」――。
これは古代中国の天象解釈において、武器を持った臣下が君主を殺害する兵乱の前兆とされる。
太陽を天皇の象徴、白い虹を反乱の武器と見なした当局は、この記事を「安寧秩序を乱す」不敬な扇動であるとして、新聞紙法違反で起訴。
これに対し、大阪朝日の経営陣が選んだ道は「ジャーナリズムの殉教」ではなかった。
以後、同紙は急進性を失い、権力の顔色を伺う「翼賛」への道を一歩踏み出すこととなったのである。
翻(ひるがえ)って現在、高市首相が国会答弁で「台湾有事が存立危機事態になり得る」と踏み込んだ発言を行った際のマスメディアの反応はどうであったか。
中国政府が「一つの中国」という彼らにとっての「神聖な国体」に触れたとして猛反発し、経済的な威圧をも示唆した途端、
国内メディアの多くは、あたかも「不敬」を咎(とが)めるかつての内務省のように、その「不用意さ」を論い、緊張緩和を優先せよとの合唱を始めた。
「国家の核心的なタブー(=国体的な要素)」に触れた言葉に対し、メディアが即座に「静止」や「回避」のバイアスをかけるという構造そのものだ。
かつては「天皇の神格化」という国内の国体が言論を封じ、今は「大国への外交的配慮」という疑似的な国体が、事実上の報道の自主規制を強いている。
どちらも、国家や外部権力が設定した「虎の尾」を避けることを最優先し、事の本質――すなわち、国民が直面している真のリスクを直視させることから逃げているのではないか。
日本のメディアは、平時には些末(さまつ)な不祥事や揚げ足取りをもって「反権力の監視役」を自演する。
しかし、いざ国家の根幹を揺るがす安全保障や、他国とのパワーバランスといった真に重い論点、すなわち「現代の国体」と呼べる領域に話が及ぶと、突如として腰が引ける。
メディアの役割とは、国民が保有する「知る権利」を具現化し、権力の意志を透明化することにあるはずだ。
それが国内の権力であろうと、中国のような強大な外国の権力であろうと、そこに国民の命運を左右する「真実」があるならば、メディアは不敬や摩擦を恐れず、白虹となってその核心を貫かなければならない。
百年前、大阪朝日が社に掲げた「不偏不党」の看板は、弾圧を前に色あせた。
現代のメディアもまた、表面的な正義の裏側で、同じ轍(わだち)を踏んでいないか。
権力の意図を忖度(そんたく)し、タブーの前で立ち止まる存在であるならば、それはもはやジャーナリズムではなく、単なる「広報機関」への堕落である。
歴史の白虹は、今も我々の空を貫いている。
その下で沈黙を守るペンの罪深さを、我々は今一度、厳しく問い直すべきである。
こういう内容のコラム書いてってお願いすると書いてくれるのはやっぱりAIすごいなと思う一方で、
不偏不党は、白虹事件を機に成立したもので、「どの政党にも偏らない」という積極的な自由の宣言ではなく、
「政府と正面から衝突するような過激な主張を捨て、企業の安全が保証される範囲内で報道する」という、いわば「去勢」の宣言だったはず。