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   朝日文庫  620円+税
   2008年9月30日 新装版第1刷
   2017年6月30日 第4刷発行

 1973年、著者は新潟からソ連を経てモンゴルへと飛びます。当時はまだ旅行が不自由な時代だったため、入国査証を得たことで、「わがモンゴルよ」と、心の中で叫ぶ思いがあったといいます。少年の頃から中国周辺の少数民族にあこがれ、大学時代にモンゴル語を学んだ著者にとっては、念願のかなった旅となります。満天の星空に圧倒され、須田剋太画伯とゴビ草原の夜をさまよい歩く場面が心に残ります。

 初めてのモンゴルへの旅は、新潟から始まります。新潟空港からソ連(現ロシア)のハバロフスクへと飛び、さらにイルクーツクのモンゴル領事館でビザを受け取り、二度の乗り換えでようやくモンゴルへたどり着いています。これが当時のモンゴルへの最短ルートだったのでしょう。

 1冊200円で買った古書ですが、司馬本はこの価格以上の価値は確実にあります。
 司馬の最終学歴は、大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)の蒙古学科。少年時代に空想をかき立てられ、青春期にはその言語を学んだモンゴルという土地は、司馬にとっては夢想の中のあこがれの国だったのでしょう。
 目次を見て、全300ページ余のうち、ウランバートルに入る前段のハバロフスクとイルクーツクにいる間の記述が120ページほど。本題に入る前の長い思索は司馬のお得意とするところで、本論部分を読むためにもこの前段、前提はわりと重要だったりします。
 そして、巻頭付近にある「モンゴル周辺図」を見て、このあたりの地理について自分はほとほと無知なのだなあと思ったところ。ハバロフスクってどこだ? 極東のロシア(旧ソ連)領ってこうなっていたのか、イルクーツクとウランバートル間の距離ってこれしかないの、などと。

 司馬はハバロフスクで、アムール川の対岸に広がる中国領を望み、かつて国境をはさみソ連軍と対峙した戦車連隊士官時代の記憶に、歴史と運命の皮肉を思っています。イルクーツクでは、江戸時代に日本から漂着した大黒屋光太夫の軌跡をもしのんでいるのでした。
 ようやくモンゴルに入国した司馬は首都ウランバートルで、ノモンハン事件の悪夢に日本人とモンゴル人の不幸な出会いを嘆いています。
 そして、ウランバートルから足を延ばした南ゴビで、満天の星空や一望何億という花の咲きそよぐ草原を眺め、さらに純朴な遊牧民たちと交流し、司馬は帰りがたいほどの想いにかられているのでした。
(2022.4.14 読)

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