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 9時過ぎにチェックアウトして、昨日のうちにチェックしていた店での土産物の買い回りを始めます。

 「森の芽ぶきたまご舎」では、カスタードクリームとチーズクリームをスフレ生地でやさしく包んだ「たまごがふわり(スフレ)」と、新鮮な卵をゲット。
 それに、この地に来たならと、「たれで食べる白石温麺」(きちみ製麺)のくるみだれ温麺(2食入り)も購入。日頃温麺には目が向かないのだけど、最近テレビで見ておいしそうだなと思ったので。
 あと、なぜか民芸調の卓上ほうき。400円台で売られていたのを見つけてこれもゲット。近々、実家から運んできた祖父の油絵を埃をはらって整理するのにこういう道具が重宝するはずなので。
 なお、「たまごがふわり」は、すぐに自宅で食べてみたところ、甘さ控えめでふんわりとしていておいしかったです。

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(たまごがふわり(スフレ))

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(「たれで食べる白石温麺」の、これは仙台味噌スープ温麺)

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(店に並ぶ新鮮卵)

 「蔵王チーズ酪農センター」では、各種クリームチーズの中から、スタンダードとガーリックを選択。これをクラッカーに付けて食べればおいしそうですが、クラッカーは高価なここで買わず、スーパーで買うリッツでいいや。
 「チーズキャビン」の向かいにある産直施設では、大きな梨もゲットしました。

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(蔵王クリームチーズ)

 あとは途中でキノコなどの地のものを売る店に立ち寄ったりしましたが、何も買わず、これにて終了。

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(道沿いの露店でさらに物色)

 途中で何かを見て、どこかでランチを食べようと想定していましたが、天候が悪く、見るものもなく、腹に余裕もなくという状態なので、そのまま帰宅することにします。

 隣県なので、家は遠くなく、1時間もかからず11時過ぎには到着。
 まあ、近くをドライブするのは楽チンだし、疲労感もほどほどでいいのだけれども、食べ過ぎはイケマセンな、やはり。(笑)

(了)


 これにてこの日の観光は終了。15時前にはホテルに入ります。
 宿泊先は「メルキュール宮城蔵王リゾート&スパ」。ある日、新聞のチラシを見ていたつれあいが、「ここに行きたい!」と言い出したホテルです。
 その最大のメリットは、宿泊中のアルコールがフリードリンクであることで、それをオールインクルーシブ・プランというのだそうで、しかもこれを早割15で予約すれば、1泊2食の入湯税込みで一人11,310円と、まあまあの料金なのです。

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(メルキュール宮城蔵王リゾート&スパ)

 6階の客室は、やや古さが感じられるものの、10畳の和室で広々。清潔だし、部屋、水回り、空調、景色などの面での不都合は特に感じません。

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(客室はこんな感じ)

 一服したあとには1階の大浴場へ。奇を衒ったところのない広々とした内湯にはたくさんの洗い場があり、となりのシャワーから湯が飛んでくることもなく、寛いで体を洗うことができます。
 透明の湯は、少しだけカルキ臭が感じられるので、完全かけ流しではなさそうです。湯にとろみや硫黄臭はなく、体の脂分が素早く流されていくような感じがありましたが、気のせいでしょうか。

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(大浴場)

 露天風呂も、浴槽が2つあってなかなかよろし。ただ、空が透けて見えるつくりの屋根のため、あいにくの小雨の中では頭が冷たい。

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(露天風呂もよろし)

 入浴後には、同じ1階にあるラウンジでドリンクが飲み放題。浴室よりもこちらのほうがずっと混雑していますが、席を確保して風呂上がりのビールとしゃれこみます。

 夕食は18時から。ご多聞に漏れずここもバイキングですが、内容はわりとよく、これまで体験してきた温泉旅館のバイキングの料理の中では比較的上位にくるものになっていました。もちろんこちらも、アルコールを含めすべてフリードリンク。ビールやハイボールをいただきます。
 地元産の里芋を使った味噌仕立ての芋煮汁がウリのひとつ。海のものは多くなく、目の前でつくってくれるハンバーガーがあり、めずらしい。〆に食べた宮城名物の麻婆豆腐焼きそばは明らかに余計でした。

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(夕食バイキングの一部)

 食後に再度大浴場で入浴し、ラウンジでジャックダニエルを飲めばほぽ出来上がり、もしものときにと買ってきていた缶チューハイの出番はありませんでした。
 本を読み始めればすぐに眠くなり、早々に就寝のはこびとなりました。


 翌7日。ぐっすり眠れて、6時半起床。
 小雨はまだ続いているので、今日はある程度部屋で寛ぎ、昨日下調べした箇所でお土産を買い、特に何もせず帰ることになりそうです。

 7時40分、朝食バイキング。
 たくさん食べると後が辛くなることを自覚しつつも、おいしそうなものがたくさんあるので、ついあれもこれもと取ってしまう貧乏性。
 個人的な目玉は、まぐろブツのやまかけと烏賊ソーメン。コイツをごはんにぶっかけて食べればさぞうまかろうと思ったけれども、ごはんは自粛します。
 塩麹仕立ての芋煮汁にはクリームチーズを合わせるのが宮城蔵王流なのだそうで、これも美味。クリームシチューもうまし。ああ、またもや腹がいっぱいになってしまいました。

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(朝食バイキングの一部)


 2024年10月6日(日)、1泊で遠刈田温泉へ、風呂に入りに行ってきました。

 遠刈田温泉は、わが家から蔵王山を挟んで反対側に位置しているわりと近間の温泉郷なのですが、あまり行く機会はありませんでした。しかしわがつれあいが、オールインクルーシブというシステムの宿に行ってみたいと言い出します。夕食時とラウンジでのアルコールドリンクが飲み放題で、一人1万円そこそこで泊まれるらしく、それなら迷っていないで行くべきだと、2週間先の予約を入れました。ホテルの状況についてはあとで書くことにします。

 6日の11時前に家を出発し、途中経由地の蔵王温泉泉街で、「しばママのお店」という飲食店に初めて入って、しばママ御膳1,300円を食べました。
 野菜がメインで、花などもあしらって、ビジュアルが美しいのですが、ハンバーグには特徴がなく、副菜も格別のものはなく、ボリュームも多くないので腹がくちくなることはありません。これで1,300円は観光地価格なのだろうなと思ったところです。足りない部分は夜のバイキング料理で取り戻せばいいわけで。(笑)

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(「しばママのお店」のしばママ御膳)

 蔵王温泉から蔵王ライン、坊平アスリートヴィレッジ、蔵王エコーラインを経由して宮城県に入り、途中峩々温泉、青根温泉の様子を眺めて、遠刈田温泉の宿泊先へ。入室するには早いのでフロントでのチェックイン手続きだけ済ませようとしたのですが、それも14時からのようなので、いくつかの立ち寄り先を今日のうちに見ておくことにします。霧雨と濃霧といった悪天候の中を車で街場のほうに下りていきます。

 はじめに向かったのは、蔵王町のふるさと文化会館の「秋の蔵王里いもまつり」です。駐車場内の特設会場で地元生産者グループが里芋を市価よりも2~3割ほど安い値段で販売しているとのニュースを見たので、行ってみたところです。
 この日の15時までということで、おまつりの賑わいは後半にさしかかっていましたが、強いぬめりが特徴だという皮付きの「土垂芋」を入手しました。
 後日家で芋煮汁にして食べましたが、とろりとした食感がよくとてもおいしい。買ってきてよかったと思います。

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(「秋の蔵王里いもまつり」で里芋をゲット)

 次からの2か所は、つれあいが事前に情報を得ていた場所です。
 「森の芽ぶきたまご舎」は、宮城蔵王のたまご専門店。「おいしいものはうまれたて」をモットーに、各種たまごやたまごスイーツ、たまごカフェを運営しています。
 今日は事前調査にとどめ、買うものの目星をつけて、明日買うことにします。

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(森の芽ぶきたまご舎)

 もう1か所は、「蔵王チーズ酪農センター」。
 工場でクリームチーズをはじめとしたフレッシュチーズやたくさんの乳製品をつくっているところ。直売店の「チーズキャビン」で、明日買うものの品定め。各種あるクリームチーズからチョイスすることになるのだろうな。

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(蔵王チーズ酪農センターの直売店「チーズキャビン」)

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(蔵王チーズ酪農センターの「チーズキャビン」)


 3月28日(火)。
 朝からの好天に誘われてドライブでもしようかとつれあいを誘い、蕎麦を食べがてら大石田町まで行ってみることにした。つれからは以前から、春になったら大石田に行き、蕎麦を食べて「千本だんご」で団子を買いたいと言われていたのだった。
 9時半過ぎに家を出て、昨秋に新庄までつながった東北中央自動車道の無料区間を始めて走って、大石田ICで下りる。おお、ぐっと近くなった感じだな、大石田。

 大石田駅の構内にある案内所で街歩きグルメマップと大石田そば街道パンフレットをもらい、まずは駅近くにある乗舩寺の「釈迦涅槃像」を見る。これを見るのは30余年ぶりとなる。
 1694年にある上人によって寄進されたもので、本来京都から最上川を使って山形の寺院に収められるはずだったが、大石田付近で急に舟が動かなくなったため、それが仏意と悟って乗舩寺に安置されるようになったという。

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(乗舩寺の「釈迦涅槃像」)

 パンフレットで検討した結果、大石田で蕎麦を食べるならやはりここだろうと、次年子の「七兵衛そば」へ。ここで食べるのも四半世紀超ぶりだ。
 開店してしばらく経った頃の入店で、番号札は11番。グループ客ですでにほぼ満員で、我々のすぐ後からウェイティングが始まった。
 メニューは「そば食べ放題」の一択で、大人1,300円。玄関を入ると目の前で店主が蕎麦を打っており、その打ち立て・切り立て・茹で立てを、辛味大根のおろし汁に直接そばつゆを追加して食べるという、次年子のおふくろの味だ。

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(「七兵衛そば」1)

 以前と変わることなく、お通しとしてわらびの一本漬、辛子で食べる浅茹でのキクラゲ、白菜の煮物の3種類の総菜が供される。薬味の刻みネギもたっぷりなのがうれしい。
 椀に入った蕎麦がなくなりそうなタイミングでお姉さんが「おかわり、いかがしますか」とやさしく誘ってくれるので、ついつい3杯も食べてしまう。とろりとした蕎麦湯も超絶品で、最良の蕎麦を味わえたと実感するとてもいい食事となった。

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(「七兵衛そば」2)

 膨れた腹をさすりつつ、再度大石田の中心部へ。
 途中「あったまりランド深堀」前を通ったので、売店を見てみようかと寄ったが、あいにく月に一度の定休日に当たっていた。そうか、今回は気が回らなかったが、ドライブに出るなら出かけた先で風呂に浸かるのも悪くないな。風呂上りには昼寝をするなどして休養を取ってからゆっくり帰ればいい。

 街の中心部に戻ったのは、「最上川千本だんご」で団子を買うためだ。本当ならこの場でつくりたてを食べて行きたいところだが、蕎麦で満腹のためそうはいかない。何本か買って帰ろう。
 平日なのに20人近くの行列ができているが、ココを愛好しているつれが言うには、この程度の列ならふだんよりは少ないのだそうだ。団子のほかにも、ここはもともと豆腐屋なので厚揚げとがんもどきも買ったと、つれはうれしそうにしていた。

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(「最上川千本だんご」)

 あとは中心部をひと巡り。太平洋戦争の終戦後に斎藤茂吉が一時疎開していたという「聴禽書屋」を見逃したが、大石田にはまたいずれ蕎麦を食べにやってくるだろうから、そのときでいいや。

 ということで、14時過ぎの帰宅となった。

 鶴岡市役所近くまで戻り、「鶴岡商工会議所会館」内にある土産店「HOUSE清川屋」で名産品を眺めて、次は、「荘銀タクト鶴岡(鶴岡市文化会館)」隣の「庄内藩校致道館」へ。ここにも初めて入る。

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(鶴岡商工会議所会館)

 「庄内藩校致道館」は、庄内藩の士風の刷新と、優れた人材の育成を目的に、1805年、酒井家9代目・忠徳公が創設した藩校。徂徠学を教学とし、自主性を重んじた教育方針で、各自の天性に応じ長所を伸ばすことに主眼がおかれ、質実剛健な教育文化の風土を育む土壌となった。
 現在は、表御門、聖廟、講堂、御入間などが残っており、国指定史跡として無料で一般公開されている。なお、この藩校建築は、現存するものとしては東北地方唯一のもので、歴史的、文化的にも価値が高いものだという。

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(「庄内藩校致道館」の表御門)

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(同 講堂には立派な額があった)

 「鶴岡公園」付近を西へ5分ほど歩いて、「致道博物館」へと向かう。
 なお、「鶴岡公園」は、庄内藩・酒井家歴代藩主の居城として栄えた「鶴ヶ岡城」跡に広がる城址公園で。当時の城は、三重に堀と土盛りをめぐらした平城で、1875年に城は取り壊され、本丸と二の丸が今のような公園になった。県内随一の桜の名所として春には大勢の花見客でにぎわう。
 酒井の殿様が庄内に来る前、この地は山形の最上義光の領地で、その頃の城は「大宝寺城(だいほうじじょう)」とよばれていた。ある日、酒田の海岸に大きな亀がうち上げられ、これはめでたいと考えた義光公は酒田の城名を「亀ヶ崎城」とした。このとき「鶴は千年、亀は万年」ということわざにちなみ、大宝寺城も鶴ヶ岡城と改められたといわれている。ふふん、庄内地方ではもうその頃から鶴岡と酒田は何かと比較され、競争し、張り合って発展してきたというわけか。

 「致道博物館」すらも、2年間の単身赴任中には観たことがなく、今回が初入城となる。入館料800円。
 鶴岡公園の西隣にある、鶴岡の歴史や文化を知ることができる施設。元々は庄内藩主酒井家の御用屋敷だったものを博物館として公開したもので、国指定重要文化財の「旧西田川郡役所」や、多層民家、「旧鶴岡警察署庁舎」などの歴史的建築物が移築されている。郡役所は6月初めから内部改修中で入れず。また、警察署は逆光のためいい写真が撮れず。
 江戸中屋敷の一部を移築した「旧庄内藩主御隠殿」の奥座敷では、足が疲れたので胡坐をかいて一休み。そこからは東北地方では珍しい書院造の「酒井氏庭園」を眺めることができた。

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(「致道博物館」内の旧鶴岡警察署)

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(同 西田川郡役所)

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(同 旧庄内藩主御隠殿)

 これにて市内中心部の見て歩きは終了。駐車場に戻って15時50分。あれまあ、ずいぶん長い間観ていたものだ。楽しいと時間が経つのが早い。
 そろそろ戻り始めないと帰宅が夜になってしまうが、もう1か所見ておきたい場所がある。それは、鶴岡市の高坂集落にある「藤沢周平生誕の地碑」だ。藤沢周平の生家跡地に建つもので、その場に立って藤沢周平を偲びたいと思ったので。
 正確な住所や位置はわからないが、集落に行けば看板ぐらいはあるだろうと考えて、行ってみる。すると、集落のメインストリートと思しき一本の細道に標識があり、車がやっと通れるような横道に無理やり入って進んでいったら、容易に見つけられた。本当に一軒分ほどの長方形の空き地があり、その一角に碑が建っていたのだった。
 生誕の地碑はチェックしたが、市立湯田川小学校の敷地内に、中学校教師時代の教え子たちが建立したという「藤沢周平先生記念碑」もあったことを、戻ってから思い出した。そちらも見ておくのだったなあ。

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(藤沢周平生誕の地碑)

 本日の行動はここまでか。鶴岡市三千刈(旧櫛引町)にあるという「横綱柏戸記念館」にも行きたかったが、これからでは閉館時間直前になってしまうので、またの機会に。

 コロナのため県境を越えての観光がしづらい環境の中、県内の移動ならば多少は許されるのではないかと思いほんの気まぐれで訪れたのだが、結構楽しめたのだった。(了)

 梅雨の合間の晴れの日となった6月28日(月)、主として鶴岡の市街の見どころを歩いてきました。
 庄内地方には2017年4月から19年3月までの2年間単身赴任していたので、ある程度の土地勘は持っているつもりですが、鶴岡市の中心部については仕事の取引先には頻繁に訪れ、また飲食店や飲み処などは何度か利用したものの、観光地を巡り歩くようなことはしていませんでした。
 今回、おそらくは2年ぶりぐらいに庄内地方に足を踏み入れ、旧鶴ヶ岡城址周辺をじっくりと見てきたので、その概況を記しておきます。

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(tsuruoka-image)

 正午過ぎ頃に鶴岡市街に入り、東北公益文科大学大学院に近い鶴岡公園中央駐車場に車を停めてスタート。はじめにアプローチしたのは「大宝館」。鶴岡公園付近では目立っていた建物でよく目に入ってはいたが、入館するのは今回が初めてとなる。大正天皇の即位を記念して1915年に建てられた、赤いドームと白壁が特徴の洋風建築物だ。
 開館当初は物産陳列場、戦後は市立図書館として利用され、現在は、明治の文豪・高山樗牛や日本のダ・ヴィンチといわれた松森胤保など、鶴岡が生んだ先人たちの偉業を讃える資料を展示している。ほかに名を知っているところでは、相良守峯(さがらもりお、独文学者)、茨木のり子(詩人)、石原莞爾(軍人)、横綱柏戸、森敦(小説家)、横光利一(小説家)、中田喜直(作曲家)、田沢稲舟(女流作家)なども。来訪者はそれほど多くないが、郷土への理解を高めるためにはこういう施設が必要だと感じた。

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(大宝館)

 「大宝館」の北西奥には「荘内神社」がある。
 出羽国庄内藩主として信濃松代から移封され、鶴ヶ岡城に居城した酒井忠勝を祀る神社で、1877年、旧藩主を慕う庄内一円の人々によって鶴ヶ岡城旧本丸跡に創建されたもの。8月15日の例祭には大名行列があるという。

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(荘内神社)

 今回の鶴岡めぐりのメインとなる「鶴岡市立藤沢周平記念館」は、荘内神社の目と鼻の先。言うまでもなく、鶴岡市出身の時代小説家、藤沢周平の作品を深く味わえる拠点となっている。2010年4月29日の開館。4~5年前から藤沢周平の文庫本を年代順に読み続け、残すところあと数冊というところまできていて、その復習の意味も込めて今回初めて入館してみた。入館料は320円。
 館内には数多くの作品を執筆した自宅書斎が移築・再現されている。自筆の原稿や手づくりの同人誌などを豊富に所有している点がこの記念館ならではの大きな特徴で、自筆原稿には椎名誠の肉筆にも似た個性的な文字が並んでいて、多く字を書く作家の文字とはえてしてこういう形になるのだろうかと思う。
 著作本や関連する郷土資料を読むことができるサロンでは、モニターを通して貴重なインタビュー映像を視聴することができる。同じ鶴岡市出身のアナウンサー石川牧子がインタビューしていて、藤沢の話しぶりにはやさしそうな人柄が感じられたほか、アクセントこそわりと普通だが、言葉自体に入り込む東北弁特有の濁音は完全に抜けていない感じがあり、そういう点も彼の魅力のひとつに違いない。

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(鶴岡市立藤沢周平記念館)

 次は、荘内神社の参道を東へと進んで、「鶴岡カトリック教会天主堂」へ。
 ここは庄内で暮らしていた当時一度訪れていて、2度目。幼稚園が併設されていて、この時間はわりとにぎやかだ。
 1903年、庄内藩家老屋敷跡に建てられたロマネスク様式教会で、国の重要文化財。赤い塔屋がひときわ目を引く白亜の殿堂になっている。ステンドグラスとは異なる独自の技法でつくられた「窓絵」や世界的にも珍しい「黒い聖母マリア像」は、国内ではこの教会でしかみられない。

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(鶴岡カトリック教会天主堂の外観)

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(同 内部)

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(黒い聖母マリア像)

 教会から北へと進み、「旧風間家住宅 丙申(へいしん)堂」を初めて観る。
 風間家は、もともとは越後の国沢海藩(そうみはん、現在の新潟県中蒲原郡横越村)の武士だったが、村上で商人となって酒田に移り、鶴岡城下で庄内藩の御用商人として発展して呉服・太物屋を営み、後に鶴岡一の豪商となった家柄だ。説明を聞くと、戦前まで貸金業に携わり、庄内地方では酒田の本間家に次ぐ大地主に成長して、現荘内銀行の礎となったとのこと。
 1896年の丙申の年、武家屋敷跡に風間家7代当主によって住居と営業の拠点として建てられたのが丙申堂。薬医門(約200年前の武家門)のある商家として当時の繁栄ぶりをよく残している。建物の特徴は、約4万個の石が置かれた「石置屋根」にあるとの説明で、主屋を中心に4つの蔵や広大な板の間と大黒柱など、豪商の往時の面影を今に伝える貴重な歴史遺産として国指定重要文化財にも指定されている。
 2005年に全国公開された藤沢周平原作の映画「蟬しぐれ」では、この建物内の「小座敷」で文四郎とおふくの再会シーンが撮影されたといい、そこも見学コースに組み込まれている。

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(旧風間家住宅 丙申堂の、杉皮葺きの石置屋根)

 丙申堂より約50m北側には「風間家旧別邸無量光苑釈迦堂」がある。丙申堂との共通券400円で、こちらも観ることができる。
 1910年に丙申堂の別邸として建てられた建物で、主に来客の接待などに使われていたという。風間家は代々浄土真宗への信仰が厚く、創建時から「無量光」の額が掛けてあったことから、8代目当主が建物と庭園を合わせて「無量光苑」と命名。広さ約2,700㎡の庭園には、樹齢200年を超える桜、ツツジ、ツバキなど数多くの花木があり、とりわけ白ツツジがいっせいに咲く5月中旬が最も華やかで美しいのだそうだ。