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2022.09.01 20220831 水
 ふと気がつくと7時半。ぐっすり眠って、つい寝過ごしてしまった。2日続けて歩き回った疲れが出た形だが、疲れたときは素直にたっぷり眠られるのはとてもいいことだ。ホテルの部屋の遮音性がいいことも一役買っているだろう。今日は時間内にチェックアウトできさえすればいいので、それでも問題はない。グラタンコロッケバーガーの朝食。

 いつもよりも1時間半も朝の時間が短いと、時間が経つのが早い。9時までに何とか昨日分の日記を書き上げて、直ちにアップロード。その後、開場直後の株式市況を見るなどして、ようやくチェックアウトの準備に移る。

 10時前にチェックアウトし、フロントでキャリーバッグを預かってもらって、東京街歩きの続きをする。今日は日本橋界隈だ。
 ホテルからてくてくと東のほうへ歩けばすぐなのだが、この時間の東京は異常で、早くもかなり気温が上がっている上に、湿度がハンパない。数分歩いて日本橋の北東橋詰に着いて写真を撮ろうとすると、レンズが曇ってなかなか取れない。つまり、ホテルの部屋の温度及び湿度とは格段の差があったということで、日本橋前で曇りが取れるまでしばしボーゼンとしてしまう。こんな湿気は東北地方ではあまり体験することがない。

 日本橋魚河岸跡、橋を渡って南西橋詰にある日本橋由来記の碑、橋上の日本橋麒麟像、北西橋詰の日本国道路元標複製などを見る。
 そこからさらに西へと進んで、日本銀行の貨幣博物館を見て、日本銀行本店ビルや、買い物もしないのに日本橋三越本店の店内をひととおり眺める。このあたりの整理は別途。

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(日本橋麒麟像)

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(日本銀行本店ビルの一角)

 昼食は、人形町駅付近まで戻って、事前にリストアップしていた「アジア料理菜心」で、サービスランチ900円を食べる。アジアを名乗るが、店の女性は中国系のようで、食べた「XO醤と野菜の鶏肉炒め」は中華料理風。搾菜・白飯・スープ付き。メイン以外はすべてスチロール製の皿というのが泣かせるが、味は確かで、料理もごはんも量が多い。主菜が汁がちだったので、これはこうやるべきだろうと、途中からつゆごとごはんにかけてレンゲでパクつく。人形町にも安価でしっかりした内容のいい店があるではないか。
 食べ終える頃には正午となり、入店者が増えてきたので、冷たい中国茶をもう1杯もらって飲んで退店。この界隈にいくつかある狭い路地には飲食店がひしめいていて、「ランチ・とんかつ定食800円」を掲げる小さな中華料理店など、そそる店をいくつか見つけた。うん、いいトコだったな、人形町。

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(「アジア料理菜心」のXO醤と野菜の鶏肉炒め)

 いい時間になったので、荷物をテイクして、日比谷線で上野へ。上野駅新幹線コンコースでしばらく、エアコンの吹き出し口に近いところを選んでベンチで汗をひかせて、13時06分のつばさに乗る。
 車内では本を取り出したものの、東京の暑さと湿気にやられてしまい、ほぼすぐさま眠りへ。米沢を過ぎるぐらいまでずっとうつらうつらしていた。

 帰路は順調で、予定どおり16時半過ぎに帰宅。雨だという予報と違って、山形は晴れている。だが、気温も湿度も東京みたいにバカ高くない。山形って、案外暮らしやすいんじゃないの。
 汗まみれの服を着替え、冷たい麦茶で一息つき、旅の荷物を解き、郵便物やメールのチェック、パソコンのデータ処理などをやるうちに、たちまち時間が経ってしまった。

 18時半にシャワー。家飲みは4日ぶりだが、どうもこれがいちばん寛ぐというのが本音だ。金目鯛の粕漬の焼き物に、冷奴とつれあいがつくったポテサラ。これらが舌に馴染んで、これでいいという感じだ。
 不在中の録画をいくつか観ながら飲み終えれば、心地よい旅の疲労感がやってくる。琉フェスや街歩きのドキュメントなどやるべきことはいくつかあるが、今夜は早く寝て、明日からがんばるということでどうですかね。
 誰かに尋ねているのではなく自分に問いかけているわけなので、答えはYesにしかなりっこない。ではそーゆーことで、まだ21時前ではあるけれども、これから早くも減速ということで。
 眠るまでに読み切ってしまおうと思った「立ちそば春夏秋冬」は、わずかに読み残してしまい80ページ。21時半前には眠りへ。

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   講談社文庫  571円+税
   2005年12月15日 第1刷発行

 講談社文庫のカモちゃんのアジアパー・煮え煮え関連6冊中、3作目となるもの。「小説現代」に、2001年1~10月にかけて「新アジアパー伝」として連載されたものを、改題して文庫化されたものです。
 ブックオフの110円棚から入手したものですが、体裁もまだきれいなもの。自分にとってはアジアパー伝シリーズの4冊目となります。

 寺で修行するために訪れたミャンマーでも、いつの間にか娼館へ。失禁しても飲み続けた韓国の夜に、欲求不満が募るタイ娘とのデート。ベトナムのパンツ職人やコーベの路上生活者との出会いで鴨ちゃんが悟ったことは。
 笑激と哀愁のサイバラ漫画も向かうところ敵なし。諸行無常の世の中を見つめるアジア紀行。このままじゃバカになる 酒と女の人生修業!?(カバー背表紙などから)
 ――というもので、内容のすさまじさに圧倒されながら、ついつい読み続けてしまうようなものです。

 ですがまあ、4冊目ということもあって、ぼちぼちマンネリ化しつつありますかね。残りのあと2冊は読み通したいと思いますが、そのあたりで一段落つけたほうがいいのかな。

 「文庫版あとがき」でカモちゃんは、とある女性(西原)との7年間の結婚生活が破綻し、日々が荒れ、酒を飲んだくれて、夜中に大吐血をしたと語っています。そしていつの間にか心の病がひどくなり、この本を作るのにいろんな人に迷惑をかけたことを詫びて結んでいます。これを書いた日付が2005年11月14日。
 彼は、2006年、アルコール依存症からの回復の道を歩み始め、著書「酔いがさめたら、うちに帰ろう」を著し、その中で癌であることを告白。西原と復縁(入籍せず、事実婚の形)し、闘病生活を共に過ごしたのち、2007年3月20日、腎臓癌のため42歳で死去しています。

 蛇足ですが、一方の西原理恵子も苦労人だったようです。高知の漁師町に生まれ、実父は入退院を繰り返すアルコール依存症で、母親は理恵子の妊娠中にその夫と離婚。実父は西原が3歳のときに一度も会わないままドブに転落して死亡しています。さらに、母親の再婚相手は無類のギャンブル好きで、何十種類もの仕事を転々とし、バクチとオンナに入れ込んで、家計は火の車、絶えず怒鳴り声が飛び交う家庭だったそうです。
(2022.6.17 読)

2022.09.02 20220901 木
 昨晩は早く寝たにもかかわらず、6時15分までゆっくり眠る。身体は正直だ。

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(image 初秋)

 昨日までの8月の株式取引について総括する。日経平均はこの1か月で1.04%上昇したのに対し、自己資産額(取引に充てている全体額で、保有株式時価総額+買付余裕資金)は3.35%の上昇となり、まずまずの結果となった。買いよりも売りが主体となったため、買付余裕額がぐんと増えて、再投資しやすい環境をつくることができている。少しぐらいの下げ場面ならばいつやってきてもいいぞといったレベルだろうか。この1か月間に確定した利益(売った株式の、買った時との価格差)は35万9千円余りと、このところの平均的な水準を維持している。
 近時アメリカの景気減速が顕著なので、9月は大きな期待はできず、むしろ守りの展開になるのではないか。したがって、買値よりも上昇している株式についてはたとえ小利益であっても売りに走ったほうがいいのかもしれない。ただし、マイナスのものについては損切りせずに辛抱強く上がるのを待つという方針は今のところは変えたくない。
 なお、今日の東京も大きく下げている。

 朝からのカキモノは、琉球フェスティバルのインプレ書きが主。鑑賞しながら書き認めたメモを見て、ウェブを用いてうたわれた曲名やその歌詞、出演者のプロフィールなどについて確認しながら書いていく。書くというよりも、観てきたシーンを頭の中で再度味わっていると言ったほうが正しいかもしれない。
 午前中は、前書きとオープニング、琉球オールスターズ、きいやま商店に関する部分を書く。

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(「琉球フェスティバル東京2022」での琉球オールスターズのステージ)

 この日の昼食は、刺身系をいきたいとつれあいに申し入れ、先月8月にオープンしたばかりの、内表にある「海鮮の泉」を初訪問。
 刺身盛り合わせ定食(並)1,100円。ごはん大盛り無料、ランチタイムは半そばサービスと、お得感がある。「並」の上には「上」1,650円が控えているので、それよりも大きくレベルが下がっていたら困るなと思っていたが、そんなことはなし。
 まぐろ、はまち、鯛、サーモン、海老。内陸の地山形で食べる刺身としてはまあ上出来か。「半」と言っても4~5箸分の量は十分にある手打ち風細打ちの山形そば。漬物2種にだし巻き卵はいずれも上品で、おみ漬けは特にうまかった。
 一方、出汁ごはんだというごはんは、どこが大盛りなの?というレベル。ところが、海鮮丼(並)1,350円のごはん少なめを注文したつれあいは、これは多いよと、3箸分ぐらいのごはんをこちらにまわしてきた。何かの手違いがあったのかもしれない。250円高い海鮮丼だったが、見比べると蛸が一切れ多いだけでほかの刺身は定食とほぼ同じで、添え物は定食のほうが上。これなら定食のほうがいいよねという結論に達した。

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(「海鮮の泉」の刺身盛り合わせ定食(並))

 午後も琉フェスインプレを書き続け、成底ゆう子とよなは徹バンドの分を仕上げ、17時半までやっていったん終了する。まだ2組の出演者とフィナーレの部分ができていない。

 夜は、「Mリーグ2021-22~白熱の戦い~」と「鳥人間コンテスト2022」を観ながら一人晩酌。後者については、一昨年の夏に琵琶湖のほとりの会場地を見てきているので興味が湧いて。だいぶ前は仮装行列の様相を呈していたこのコンテストも今はどれも航空工学に基づいたしっかりしたつくりになっていて、最長記録となった東北大学のチームなどは10数キロ沖合のパイロンを回って戻ってくる1時間超のフライトを見せていた。

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(「鳥人間コンテスト2022」の一場面)

 昨夜読み残した「立ちそば春夏秋冬」を20ページ近く読んで読了。その後は「パリへ行った妻と娘」(近藤紘一著、文春文庫、1988)を読み始めて50ページ。
 23時半まで読んでから、眠りへ。

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   ポプラ文庫  640円+税
   2009年6月5日 第1刷発行

 「ナビィの恋」で知られる映画監督・中江裕司が手がけた新作映画、「真夏の夜の夢」(2010年作品)の原点を描いた書き下ろしで、沖縄の島を舞台にして精霊(キジムン)のマジルーが、400年以上の時を超えて世界中を飛びまわり、なんとシェイクスピアとも出会ってしまうという、奇想天外な物語になっています。
 映画のほうは、封切り時の2009年夏に、那覇の「桜坂劇場」での先行上映で鑑賞していて、映画では主人公が、現代女性のゆり子として登場していたところが、小説とちがっていました。そのゆり子の子供時代を蔵下穂波が、また娘時代を柴本幸(柴俊夫と真野響子の娘)が演じていました。ロケ地は伊是名島でした。映画監督の書く物語なので文章的な難しさはなく、すいすいと読めるものになっています。
 なお、この本の挿画を担当している荒井良二は、山形市出身で、自分の2年先輩です。

 琉球王国時代、勝連城主である阿麻和利の謀反を、王国派の重臣護佐丸らが鎮圧にかかる戦いをベースにしていますが、歴史的通説とは大きく異なるいわば支離滅裂な展開で描かれています。また、首里城が炎上して焼け崩れるシーンが出てきますが、2019年の首里城火災のときの映像と重なって、複雑な気持ちになりました。
 キジムンのマジルーと人間の女性カマルー(琉球国王・尚泰久の娘で、阿麻和利の妻となった、百十踏揚(ももとふみあがり)であるとの設定)は、琉球を守るため(?)、首里を越え、琉球を越え、日本を越え、走り続けて万里の長城、チョモランマの頂上、ガンジス川、エジプトのスフィンクス、ローマのコロッセオ……そして最後には月まで行ってしまうという、よくわからない展開となっていくのでした。
 なお、この物語では、カマルーこと百十踏揚が、伊是名島出身の臣下・金丸に王位を授けた形で描かれていますが、ここまでくるとあまりにも本来の歴史を改竄し過ぎています。歴史家の間では、王権は金丸らによって奪われたと考えるのが極めて一般的な解釈となっています。

 カマルーと阿麻和利の間にできた子が尚円王(=金丸)のあとを襲うなど、かなり内容が適当になってきたところでだんだん興味が薄れていき、読み続けるのが辛くなる一面もありました。もしも、映画もこういう内容だったら、さぞかしつまらないものになっていただろうと思います。

 そして、最後に語られる、この物語と映画との関係。カマルーの血を引いた玉のような赤子と、世嘉富島のゆり子との関係は……?! ははあ、ナルホド。“原点を描いた”という意味は、そーゆーことだったのね。そうであるわけね。で、あるわけさね。
(2022.6.18 読)

2022.09.03 20220902 金
 深い眠りが得られないままに朝を迎え、覚醒してしまった都合上5時45分に起床。もっと寝ていたい気もするのだが。
 朝作業は、カキモノ、山形市のプレミアム商品券「紅ペイ」の抽選受付への応募、朝ドラ「ちむどんどん」の視聴、株式市況のウォッチ、いくつかの画像のスキャン処理など。
 「ちむどんどん」では、比嘉家の長男の賢勇が働いている猪野養豚の娘・猪野清恵役の佐津川愛実のくりくりっとした眼がかわいい。この日の放送にも、昔の男に出会って不安そうな表情をした佐津川が登場していた。彼女は17年前の映画「蝉しぐれ」で、ヒロインの町娘役を演じていた記憶がある。

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(「ちむどんどん」の佐津川愛実)

 つれあいが出かけたので、昼食は一人で食べに出かける。かつて飯田にあった店が、去年夏に飯田西の「居酒屋海鮮館」だった建物に移転して以降初めて、「きのくにや」にて。
 肉そば(冷)ミニ丼セット、850円。単品600円の肉そば(安い!)に、単品350円のミニ丼を付けるとアラ不思議、この価格に。値上げして1杯800円もするどこぞのベーシックな醤油ラーメンなどを食べている場合ではないのだ。ミニ丼は、天丼・かき揚げ丼・特製鶏丼・カレーの4品から選べる仕組みで、今回は天丼にしてみた。
 肉そばは、量がやや少なめだが、硬くてコリコリした親鶏肉が本場の谷地を思わせ、テイクフリーの揚げ玉を加えればコクが増して美味。比較的甘みが抑えられているつゆは鶏油もほどほどのため、揚げ玉を投入してミニ天丼を添えても気にならずにイケル範囲だ。一方の天丼は、ミニの範囲を超えるボリュームがあり、蕎麦と合わせれば充実したセットになっている。天ぷらは、海老・椎茸・舞茸・茄子。
 ああ満足。価格もステキだし、次回は鳥中華にちがったミニ丼を添えて食べてみるのもいいかもしれないな。

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(「きのくにや」の肉そば(冷)ミニ丼セット)

 書いてばかりの時間が続いたので、午後は琉フェスのインプレ書きをしばらくサボり、横になって本を読む。人間の場合、この姿勢が最も楽チンなんだよねぇ。
 この日の読書は夜までに、「パリへ行った妻と娘」を90ページ読む。
 近藤紘一の著作の中では、氏がサンケイ新聞サイゴン支局長として赴任したベトナム時代のことを書いた「サイゴンのいちばん長い日」(1975)が最も有名だろうが、これまでにはベトナム人の妻とその娘について記した「妻と娘」シリーズを読んでいる。「サイゴンから来た妻と娘」(1978)、「バンコクの妻と娘」(1980)と順に読了し、1985年初出の3冊目となる当著を今読んでいるというわけだ。
 「サイゴンから来た妻」の連れ子ユンがフランス留学をしたのはいいが、白人青年に求婚されたらしい。娘の様子を監督に行ったはずのベトナム女房は事もあろうに前の亭主や元恋人が亡命しているパリにマンションを衝動買いしてしまった。熱帯病の後遺症に苦しみつつ東京で奮闘する夫の複雑な心境。シリーズ第3弾。――というものだ。
 この著書の後には、著者が病死した直後に発表された「妻と娘の国に行った特派員」(1986)がある。それもすでに「サイゴンのいちばん長い日」とともに入手しているので、順次読んでいこうと思っている。

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(「妻と娘」シリーズ三部作)

 夕刻からはインプレ書きに戻る。過去の記録を振り返ったり、調べなければ書けなかったりするところがあり、書くよりもむしろウェブや自分が書いてきたものを検索している時間が長かったが、大工哲弘 with 苗子、パーシャクラブ、フィナーレの部分を書き上げて、最後までいくことができた。テキストは1万字を超えているから、原稿用紙で30数枚のボリュームだったろうか。
 そこまでで21時半を過ぎてしまったので、画像のはめ込みとブログサーバへのアップロードは明日に持ち越すことにして、この日のパソコン作業はここまでとする。
 今日も「書く」がメインの日だったが、これから甲府散策と東京街歩きのインプレも書かなければならず、ここしばらくは「書き過多」の日が続きそうだ。

 23時半には就寝。

01 ryufes2022 program (当日配布のパンフレット)

 2022年の琉フェスは、通算26回目。例年よりも少し早めの8月28日(日)、恒例となっている日比谷野外音楽堂で開催された。故・竹中労が企画した1974年の「琉球フェスティバル東京公演」(旧の第1回目)も暑い時期の8月29日に、ここ日比谷野外音楽堂で開催されている。(その前日28日には大阪フェスティバルホールで開催)
 一昨年はコロナのため中止、昨年は10月17日の秋の寒い日に、飲酒なし、歓声なし、踊りなしの盛り上がらない形で行われ、今年は飲食物の持ち込み禁止は続いくものの、3年ぶりに場内でのアルコールの販売が再開され、少しだけ琉フェス独特の盛り上がりが帰ってきたようだ。
 自身としては、昨年は母の体調不良と要求過多に悩まされた時期だったのに加え、つれあいが入院した時期とドンピシャ重なって行けずじまいとなり、今年は3年ぶりの琉フェス鑑賞となった。現在もいろいろとあるけれども、まずはこうして参加できることに感謝しなければならない。

 長年琉フェス東京のプロモートを担っている「M&Iカンパニー」のホームページによれば、今年は沖縄復帰50周年の年でもあり、「東京のど真ん中が沖縄になる!」と意気込んでいる様子。
 出演は、大工哲弘 with 苗子(サポート:ロケット・マツ)/ パーシャクラブ / よなは徹バンド / きいやま商店 / 成底ゆう子 / 琉球オールスターズ(よなは徹・伊藤幸太・前田博美・宜寿次光)で、司会はいつものガレッジセールだ。
 ちなみに去年は、大工哲弘with苗子、ディアマンテス、パーシャクラブ、よなは徹バンドのわずか4ユニットのみの参加にとどまった(神谷千尋は直前にキャンセル)。今年はそれらからディアマンテスが外れ、きいやま、成底、オールスターズが加わった形だ。でもこれは、過去に比べればけっして出演者が多くなっているわけではなく、ある程度までは戻ったというレベルでしかない。

 この日、山形を発つときから始まって、新幹線の車内、東京に着いてからの各地はどこも雨。東京で街を歩く人々は傘をさして歩いている状況だった。しかし、開場時刻の15時15分をまわった頃から雨は上がり始め、16時前に日比谷野音前に着いた頃にはうまい具合に止んだ。雨がひどいようならキャンセルするしかないかと思っていたが、これなら琉フェス鑑賞は大丈夫だ。
 当日券を買い求めているうちに、場内では東京沖縄県人会のエイサーが始まった。
 いつものように、ステージに向かって右側のほぼ最上段に席を確保して、鑑賞を始める。

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(東京沖縄県人会のエイサーが始まっていた)


2022.09.04 20220903 土
 5時50分起床。昨日はずいぶん眼を使ったので、ドライアイの様相を呈して朝の眼の開きがよくない。眼精疲労が溜まっている感じだ。
 今日も元気に朝からすぐにカキモノに取り掛かり、合い間にむこう一週間分のテレビの録画番組をセットする。ここまでで軽く8時を過ぎてしまう。でもまあ、気候も心身も爽やかなこの時間にやる作業ははかどりもして、気分もいいものだ。
 その後も作業を続けて、10時過ぎまでに琉フェスのインプレを8本のブログ記事に仕立てて完成させる。これらを午後にはブログ側のサーバにアップロードして、1本ずつ公開していくことにする。

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(image 初秋)

 10時半過ぎにつれあいとともに家を出て、母の施設に洗濯物と食料を届ける。3日後には転院の運びとなるので、どちらもいつもより少なめにして持っていく。先月23日の予定だった転院が、施設内でのコロナ陽性者発生のため2週間繰り延べられて、果たしてその間母は生命を維持することができるのかとかなり不安だったのだが、なんとか持ち堪えてくれる見通しだ。
 8月上旬にはほとんど食事が喉を通らない状況だったが、介護の方々の努力もあって、その後はムラがあるものの少しずつは食べている様子で、夜も毎日のように騒ぐことはしばらく収まっているとのことだった。つまりは、騒ぐほどの体力もなくなってきたということなのではないか。

 昼の外食は、五十鈴の「玉子そば屋(そば処玉子屋)」を、ほぼ2年ぶりに訪問。ここは各種麺類、飯類、セットと何でも食べられる食堂だ。今回はラーメン類が食べたいと思い、中華麺メニューの中からげそラーメン800円を選んでみた。
 スープはけっこうオイリーで、表面がテカり湯気もたたないほどに油がスープに溶け込んでいるようなつくり。それがコク深くてとてもおいしく、いつまでも熱さが抜けない至高のスープに仕上がっている。
 げそ天は、太くて長くて、つま先がくるりと丸まったチャーミングなものが4本。齧ろうとすると、いやよいやよとなかなか噛み切れてくれず、その間に唇を火傷することになる。げそ天が入ることでチャーシューが省かれるが、メンマ、かまぼこ、海苔がカットされずに残っているのがうれしい。
 この地方のスタンダードと言える中太の麺は、舌に馴染んで味わいがよく、スープのつくりと相俟ってこれぞ山形ラーメンといった感じ。普通盛りでもそれなりに量があり、げそ天とともに食べれば自分にとってはこの程度が適量だった。
 中華そばってのは、これでいいんじゃないか。妙な凝り方をして価格だけがつり上がった風変わりなものよりも、ずっといいと思う。

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(「玉子そば屋(そば処玉子屋)」のげそラーメン)

 琉フェスインプレのアップロードを終えた午後の時間は、読書態勢。真夏の暑さは遠のき、ベッドで横になって読んでいても汗が出ることはない。ああ楽チンだなあと思っているうちにしばしうつらうつらする。この日は25.4℃が最高だったようだ。

 夜は、何日ぶりかで熱い湯に浸かって汗をかき、その分しっかりチューハイを飲む。
 23時前に減速し、多少本を読んで、22時半過ぎに消灯・就寝。

 この日の夜までの成果は、「パリへ行った妻と娘」を130ページ。
 このあたりにきて3部作で初めて、このパリで先妻が精神を病み、著者もともに呻吟の日々を送っていたことが明かされる。先妻はその後に亡くなるのだが、過去のすべてを心の隅に封じ込めることによって人生の継続を図った筆者は、その2年後に後妻となるベトナム女性と暮らし始める。そしてそのことを時に酷薄、軽佻となじられながらも懸命に再生しようとする筆者は、「可能な限り彼女(後妻)を幸せにしてやる以外ない」とし、「自分の自我はけっして捨てない。その代わり、夫として彼女の行動や心の動きに物言いをつける権利は一切放棄しよう」と自らの心に誓っているのだった。報道人らしく、ウェットに走ることなくさらりと表現しているが、著者にとってこれは悲壮な決断だったにちがいない。