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 2022年の「琉球フェスティバル東京」が、今年は8月28日に開催される旨の告知が届きました。去年までは10月頃に開催されるのを例としていたので、今年は早いです。(嬉)

 「沖縄復帰50周年公演」ということで、告知画像には「沖縄復帰50周年」のロゴが入っています。勝手に推測すると、こうすることで、記念公演として県等から助成金が得られるのかもしれません。

 2020年はコロナで中止となり、21年は残念ながら不参加でしたが、気温13度という寒い中、大声出しも乱舞も酒飲みもカチャーシーもNGという今一つの開催だったようです。しかし26回目の開催となる今年は、規制が緩やかになってきこともあり、きっと楽しめるイベントになるのではないか。

 公演詳細です。
 8月28日(日) 開場15:15/開演16:15。
 会場は恒例、日比谷野外大音楽堂(雨天決行)。ここしか考えられない。
 料金:前売7,300円/当日7,800円(全席指定・税込)、一般発売日は6月3日(金)

 気になる出演者は、
 大工哲弘 with 苗子。恰幅がよかった大工さんは公演時には74歳。年齢とともに痩せてきたのではないか。一方の苗子さんは、沖縄の女性らしくますます元気そう。アコーディオンなどの演奏家のロケット・マツがサポートするようだ。
 パーシャクラブ。琉フェス東京になくてはならない存在。いつものように激しく元気なサウンドを聴かせてくれ。
 よなは徹バンド。三線ナンバーワン、いまや沖縄島唄界の第一人者。それにとどまらずヘヴィサウンドもこなす万能選手だ。
 きいやま商店。石垣島代表。唄のみならず笑いも取れるジョートー・タレントだ。
 成底ゆう子。エイサーソング「ダイナミック琉球」でブレイクしたが、彼女の真価は別のところにあると思う。「真っ赤なデイゴの咲く小径」あたりが、好きなんだ。彼女は大阪開催では2009年に出場しているが、東京開催に出場するのはもしかしたら初めてかもしれない。さて、琉フェスの必修科目である三線は披露してくれるのか?
 琉球オールスターズ。よなは徹のほかに、伊藤幸太・前田博美・宜寿次光(ぎすじひかり)がメンバーらしい。伊藤は大工哲弘の弟子で東京在住、前田は沖永良部島出身で沖縄県立芸術大学大学院卒の実力派、宜寿次は1999年沖縄市生まれの若手唄者であるという。
 司会は、いつものとおりガレッジセールだ。笑わせてくれ。

narisoko yuko 2018
(東京開催は初出場?の成底ゆう子)

 心配なのは、秋口の台風の襲来と、まだ8月の厳しい暑さだろうが、自分にとって3年ぶりとなる琉フェスなので、今年はぜひ見に行こうと思っている。
 今から楽しみだ。

 沖縄音楽の祭典「琉球フェスティバル2021」が10月17日、東京・日比谷野外大音楽堂にて開催された。去年はコロナのため中止となり、第25回目の開催となる今年も、どうにかこうにか開催にこぎつけたといったところ。
 出演者は、大工哲弘with苗子、ディアマンテス、パーシャクラブ、よなは徹バンドで、司会はいつものガレッジセール。当初クレジットされていた神谷千尋は体調不良のためキャンセルとなった。
 今回も参加するつもりだったが、家庭の事情というヤツで、残念ながら不参加となった。

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 21日になって、開催状況を知るためにウェブ情報を求めたが、かつてのような多くの情報はなく、出演者の一人の大工哲弘が自らのブログに書いた記事ぐらいしか見つけられなかった。
 以下に、大工哲弘の公式ホームページ「南風のイヤリィ」の琉フェスの記述を引用しておく。

・琉球フェス 2021.10.19
 日比谷野外音楽堂での「琉球フェスティバル」は17日、無事終了しました。
 リハーサルしている頃までは小雨でしたが「日頃の行いが良かったのか?」、本番スタートする頃からは雨も上がりキレイに晴れ、愚生の出番の刻には旧暦12夜の月がキレイに見えました。
 しかし気温が13度というオキナワの真冬の寒い中でみんな「ヒーサヨー=さむいな~」と言いながらトップバッターの與那覇徹&バンド、ディアマンテス、大工哲弘with苗子、トリは新良幸人パーシャクラブの順番で、フィナーレは皆で「豊年音頭」「唐船ドーイ」で熱く盛り上げ、2021の琉球フェスティバルは幕を閉じました。
 今回はコロナ禍ということもあり、お客の大声出しも乱舞も、酒飲みもカチャーシーもNGという規制の中にも関わらず、リアクションはいつもの琉球フェスの雰囲気でした。
 例年のようにノッケから超盛り上がる雰囲気もいいが、今回のように落ち着いた雰囲気のコンサートもいいなぁ~と思いました。
 勿論、MCのガレッジセールの司会トークも抜群で会場をぐいぐい引きつけてくれました。
 規制はお客様の楽屋への出入りも厳しく、差し入れもNG、アルコールも禁止、いつも楽屋で盛り上がる「ミニカフェ」もなく、琉球フェスの一番の楽しみの打ち上げも今回はなかったので、なんか忘れモノをしたような感じです。(笑)
 寒い中、お客様、出演者、スタッフの皆様、そして何よりも主催者M&Iカンパニーさま、ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

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(「琉フェス2021」の模様(大工哲弘のブログから拝借))

 これから察するに、雨に降られこそしなかったものの、気温がかなり低かった模様。
 ステージ順は、與那覇徹&バンド、ディアマンテス、大工哲弘with苗子、トリは新良幸人パーシャクラブだったことを知る。
 そして、今回の琉フェスは、当局側の指示に沿って、いつも違う落ち着いた雰囲気で行われたようだ。酒の持ち込みはもちろんのこと、大声やカチャーシーもNG。ということは、ガレッジの二人が観客から原液の泡盛を飲まされるシーンもなかったということだろう。むしろそういう琉フェスとして極めてイレギュラーな場面を見たかった気もする。
 また、大抵ならばクレジットにない当日のサプライズ出演者が登場したりするのだが、今回はそれもなかったのではないか。
 楽屋への差し入れと飲酒、恒例となっている終了後の打ち上げも、今年はなかったようだ。それでは出演者にとっても楽しくなく、自身の記憶にも残りづらいものとなっただろう。琉フェスで幸人がシラフでうたうところも貴重な場面だったはずだ。(笑)

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 中止となった去年に続いて今年も参加できなかったが、引き続き開催されるのであれば、来年こそはぜひ参加したいと思っている。

 “おとう”嘉手苅林昌の名相方だった大城美佐子が逝去したとの報。
 永く「絹糸声(いーちゅぐぃ)」といわれる独特の声でうたい、“おんな嘉手苅”とも称された彷徨する唄者だった。
 大城美佐子は琉フェスや沖縄で生のステージを見たほか何度も生の歌声に接していて、2002年3月に宮城県大河原町「えずこホール」での単独ライブを見に行ったことや、2003年に開催された「山形ドキュメンタリー映画祭」の際にも蔵座敷での彼女の唄会に参加したこともあった。
 趣味が昂じて美佐子のCDについてのインプレッションを書いていたところ、新譜の「唄ウムイ」(2007年)が発売されたときには音楽会社からそれが贈られてきたりもしたのだった。
 最後に大城の立ち姿を見たのは、2020年11月29日に名護市民会館で収録された「民謡魂 ふるさとの唄」で、松田末吉とともにうたった十八番の「白雲節」だった。

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「沖縄島唄3 沖縄うらみ節」(1991)、「絹糸声」(1997)、「唄ウムイ」(2007)

 本当の沖縄島唄を知る真の唄者がまた一人逝ってしまい、悲しい限りだ。1974年に竹中労の提唱で初めて日比谷野音で開催された琉球フェスティバルには大城美佐子も出演したが、当時の出演者はもうほとんどこの世にはいない。嘉手苅林昌、照屋林助、登川誠仁、山里勇吉、金城睦松、知名定繁、瀬良垣苗子、里国隆、糸数カメ……。大城美佐子もとうとう彼らの元へと旅立ってしまったわけだ。当時のメンバーで残っているのは、知名定男と大工哲弘ぐらいだろうか。奄美のウタシャも坪山豊や築地俊造はもう逝った。ああいううたを唄える人間がどんどんいなくなっていく。
 冥福を祈るしかない。

 以下に、沖縄タイムスと琉球新報の訃報を掲載しておきます。

・沖縄民謡界の大御所歌手・大城美佐子さんが死去 84歳 2021.1.18 沖縄タイムス
 民謡歌手の大御所、大城美佐子さんが死去したことが18日、分かった。84歳。
 関係者によると同日未明、那覇市の自宅で倒れているのが見つかり、死亡が確認された。告別式は家族のみで執り行う。
 大阪市大正区で生まれ、名護市辺野古で育った。1962年にシングル「片思い」でデビュー。嘉手苅林昌とデュオを組み、名コンビとして活躍。映画にも出演するなど多方面で活動し、民謡の普及や後進の育成にも尽力した。

・沖縄民謡の重鎮、大城美佐子さん死去 84歳
 「絹糸声」 故嘉手苅林昌さんと名演 2021.1.18 琉球新報
 沖縄民謡歌手の重鎮、大城美佐子さんが死去したことが18日、分かった。84歳。告別式は家族のみで営む。
 関係者によると同日未明、那覇市の自宅で倒れているのが見つかり、死亡が確認された。
 大城さんは1936年、大阪市大正区生まれ、沖縄県名護市辺野古で育った。歌手の知名定男さんの父、知名定繁さんに弟子入りして民謡の道に進み、1962年にはシングル「片思い」でデビュー。伸びやかな高音が「絹糸声(いーちゅぐぃ)」と評され大ヒットとなった。故嘉手苅林昌さんの名相方としても活躍。高嶺剛監督の「夢幻琉球・つるヘンリー」(98年)で主演を務めるなど、映画にも出演した。

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(海洋博のシンボルマーク入りの浴衣姿で歌う大城美佐子(2015年6月、海洋博記念公園))

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(芸能生活50周年記念公演で知名定男と歌を披露する大城美佐子(2007年7月、那覇市民会館))

 おがさわら丸に乗船してから先、島内でも頻繁に聴いて、いいなあと思った2曲です。

 それは、Okei「大切なもの」と「レモングラス」。


「大切なもの」



「レモン林」


 Okeiは「小笠原古謡の唄うたい」。
 何度も聴いたので、本土に戻ってからもこれらの曲が脳内を駆け巡っています。

 小笠原はいいところだったけれど、最も心に焼き付いたのは、おが丸出港時の盛大な見送りと、この癒しの音楽だったかな。