2022.09.15
20220914 水
尿意のため、5時半起床。いつもよりも起きるのが早いと当然ながらその分だけ朝の時間が長くなり、余裕をもって過ごせるのがとてもいい。早々と洗顔・髭剃りを済ませてすっきり。今日も一日晴れるとの予報だ。
今朝までのNY株式は、米消費者物価指数が予想を上回って上昇したことを受け大反落。ダウ平均で1,276ドルも下落し、2年3か月ぶりの下げ幅となった。これは4%近い下げで、ナスダックは5%超。
このことを踏まえれば、今日の東京も大きく下げるはずだ。日経平均で同程度下げるのであれば、5%以上下げる銘柄は拾っておこうか。もし今日の東京がNYと同程度まで下げなければ、明日も下がると読んで、買いのタイミングを遅らせてみよう。
そう読んで今日の株取引をスタートさせるが、結果としては、日経平均は800円、2.78%程度下げたが、持ち株に関してはそこまでは下がらず、「買い」をそそるほどのレベルには至らなかった。ホールド状態で明日を迎えることになる。
(image-深まる秋(立川・国営昭和記念公園))
一昨日から「あじフライを有楽町で」(平松洋子著、文春文庫、2017)を読み始めている。
週刊文春に連載された「この味」の、2013年5月から14年12月にかけての部分を文庫化した、「とにかく、あじフライだ。この下世話さがいいんだなあ――。志ん生が愛した“酒かけ天丼”、紀伊から届いた衝撃のシカ肉。赤坂で本場のソルロンタンを想い、パリではキャロット・ラペをしみじみ噛みしめる。古今東西を駆け巡る、美味なるエッセイ78篇が文庫オリジナルで登場! 安西水丸画伯との最後の饗宴です」(カバー背表紙から)――というものだ。
平松作品は過去に何かを読んだ気がするがもはや覚えていず、実質的には1冊目。平松は、岡山県倉敷市出身のエッセイストで、東京女子大学文理学部社会学科卒。アジアを中心として世界各地を取材し、食文化と暮らし、文芸と作家をテーマに執筆活動を行っている人。1993年以来の著作群は、けっこう多作だ。
文庫1冊に78篇ということは、1篇につきせいぜい3ページの極めて短い文章なので、次の篇に移るときの気分を切り替えるのに難儀する。というか、うまく切り替えられない。したがって、長く読み続けることがツライ……という状態に陥ってしまう。文章表現も正しい女性の書くもので、誉め言葉は上手だが率直な否定表現などがなく、言ってしまえば毒のない淡白なものに感じられてしまうところが、当方にとっては著者の重大な欠点のようにも思える。「あじフライ」なんて、実に魅力的な素材なのだけどな。まあ、ほかの書物と並行して少しずつ読んでいくのがいいかもしれない。今日はこれを90ページ読む。
(「あじフライを有楽町で」と平松洋子(2021.11))
10時半過ぎ、肉そばを食べに、5年4か月ぶりに寒河江バイパスの東側、西根にある「そば工房お山の大将」へ。
肉そば・とんかつセット880円の蕎麦を大盛りにして、990円にて。冷たいかけそばと揚げ立てのとんかつは果たしてしっくりくるのか?!というあたりが、今食のポイントとなる。
蕎麦は、つれが注文していた肉そばの単品普通盛りが間口の広くない小さなどんぶりで、当人は案外量があるとは言うけれどもこれでは少なく、大盛りにして正解だったなと思ったところ。麺量はおそらく普通盛りの倍近くはあったのではないか。この差が110円増しで得られるなら、男性は絶対にそうすべきだと思う。そばつゆはノーマルに寄っていて、鶏油少なめ、甘さ控えめで、さっぱりとしておいしい。オドロキは添えられた茄子漬で、濃紺色が鮮やかで大ぶりのものが2個。漬物が苦手なつれの分ももらってヨロコビつつ4個食べる。
+200円のとんかつは、揚げ具合が絶妙で、ここはとんかつ屋ではなく蕎麦屋だったよナと思うぐらいのスグレモノ。ただ、冷たい蕎麦を啜りながら熱々のとんかつを齧るのは、どちらかというとやや違和感が勝り、ご飯も少し欲しいというのが本音だった。おいしく食べてゴチソウサマ。
食後には、「慈恩寺テラス」と「チェリーランドさがえ」に立ち寄り、13時半頃帰宅。
(「お山の大将」の肉そば・とんかつセット)
夜には、アマゾンから3冊と、ブックオフオンラインから4冊、古書を購入。在庫があるか、どちらが安いかなどを比較検討して、このような形になった。7冊合計で2,296円。
気候も涼しくなってきたいわゆる「秋の夜長」ならば、多少学術的で内容の硬いものでも読めるようになってきただろうと、「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」(平敷武蕉著、コールサック社、2019)を取り出す。定価2千円もする本なのだが、発売後2年余り経った今年1月に200円の古書でゲット。うん、これはうまくいった買い物だったな。(笑)
20ページほど読んでみたが、なかなかハードで大変そうな書物を読み始めてしまったという思いがする。
23時過ぎに消灯、就寝。
今朝までのNY株式は、米消費者物価指数が予想を上回って上昇したことを受け大反落。ダウ平均で1,276ドルも下落し、2年3か月ぶりの下げ幅となった。これは4%近い下げで、ナスダックは5%超。
このことを踏まえれば、今日の東京も大きく下げるはずだ。日経平均で同程度下げるのであれば、5%以上下げる銘柄は拾っておこうか。もし今日の東京がNYと同程度まで下げなければ、明日も下がると読んで、買いのタイミングを遅らせてみよう。
そう読んで今日の株取引をスタートさせるが、結果としては、日経平均は800円、2.78%程度下げたが、持ち株に関してはそこまでは下がらず、「買い」をそそるほどのレベルには至らなかった。ホールド状態で明日を迎えることになる。
(image-深まる秋(立川・国営昭和記念公園))
一昨日から「あじフライを有楽町で」(平松洋子著、文春文庫、2017)を読み始めている。
週刊文春に連載された「この味」の、2013年5月から14年12月にかけての部分を文庫化した、「とにかく、あじフライだ。この下世話さがいいんだなあ――。志ん生が愛した“酒かけ天丼”、紀伊から届いた衝撃のシカ肉。赤坂で本場のソルロンタンを想い、パリではキャロット・ラペをしみじみ噛みしめる。古今東西を駆け巡る、美味なるエッセイ78篇が文庫オリジナルで登場! 安西水丸画伯との最後の饗宴です」(カバー背表紙から)――というものだ。
平松作品は過去に何かを読んだ気がするがもはや覚えていず、実質的には1冊目。平松は、岡山県倉敷市出身のエッセイストで、東京女子大学文理学部社会学科卒。アジアを中心として世界各地を取材し、食文化と暮らし、文芸と作家をテーマに執筆活動を行っている人。1993年以来の著作群は、けっこう多作だ。
文庫1冊に78篇ということは、1篇につきせいぜい3ページの極めて短い文章なので、次の篇に移るときの気分を切り替えるのに難儀する。というか、うまく切り替えられない。したがって、長く読み続けることがツライ……という状態に陥ってしまう。文章表現も正しい女性の書くもので、誉め言葉は上手だが率直な否定表現などがなく、言ってしまえば毒のない淡白なものに感じられてしまうところが、当方にとっては著者の重大な欠点のようにも思える。「あじフライ」なんて、実に魅力的な素材なのだけどな。まあ、ほかの書物と並行して少しずつ読んでいくのがいいかもしれない。今日はこれを90ページ読む。
(「あじフライを有楽町で」と平松洋子(2021.11))
10時半過ぎ、肉そばを食べに、5年4か月ぶりに寒河江バイパスの東側、西根にある「そば工房お山の大将」へ。
肉そば・とんかつセット880円の蕎麦を大盛りにして、990円にて。冷たいかけそばと揚げ立てのとんかつは果たしてしっくりくるのか?!というあたりが、今食のポイントとなる。
蕎麦は、つれが注文していた肉そばの単品普通盛りが間口の広くない小さなどんぶりで、当人は案外量があるとは言うけれどもこれでは少なく、大盛りにして正解だったなと思ったところ。麺量はおそらく普通盛りの倍近くはあったのではないか。この差が110円増しで得られるなら、男性は絶対にそうすべきだと思う。そばつゆはノーマルに寄っていて、鶏油少なめ、甘さ控えめで、さっぱりとしておいしい。オドロキは添えられた茄子漬で、濃紺色が鮮やかで大ぶりのものが2個。漬物が苦手なつれの分ももらってヨロコビつつ4個食べる。
+200円のとんかつは、揚げ具合が絶妙で、ここはとんかつ屋ではなく蕎麦屋だったよナと思うぐらいのスグレモノ。ただ、冷たい蕎麦を啜りながら熱々のとんかつを齧るのは、どちらかというとやや違和感が勝り、ご飯も少し欲しいというのが本音だった。おいしく食べてゴチソウサマ。
食後には、「慈恩寺テラス」と「チェリーランドさがえ」に立ち寄り、13時半頃帰宅。
(「お山の大将」の肉そば・とんかつセット)
夜には、アマゾンから3冊と、ブックオフオンラインから4冊、古書を購入。在庫があるか、どちらが安いかなどを比較検討して、このような形になった。7冊合計で2,296円。
気候も涼しくなってきたいわゆる「秋の夜長」ならば、多少学術的で内容の硬いものでも読めるようになってきただろうと、「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」(平敷武蕉著、コールサック社、2019)を取り出す。定価2千円もする本なのだが、発売後2年余り経った今年1月に200円の古書でゲット。うん、これはうまくいった買い物だったな。(笑)
20ページほど読んでみたが、なかなかハードで大変そうな書物を読み始めてしまったという思いがする。
23時過ぎに消灯、就寝。
2022.09.16
20220915 木
曇り空で、秋の虫の奏でるひよひよという静かな音を聞きながら、6時前に起床。
朝のカキモノをさっさと済ませて、8時過ぎからは株式の仕込みをしながら開場を待ち、ウォッチ。この日の株価は大きく動かず、出していた売りも買いも成立せずに終わる。
(okinawa favorite musician しゃかりのチアキ(文章とは関係ありません))
午前のうちから、平敷武蕉(へしきぶしょう)による沖縄関連の書評本「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」を読む。
沖縄文学全般を視野に入れて批評活動をしている著者による評論集で、小説から俳句・短歌・詩、社会時評・文芸、書評まで、沖縄文学の優れた試みであるか否かを内に問いながら記述しているものだ。
エンタメ小説などと違って、論理の核心を見失わないよう注意しながら読まないとわけがわからなくなりそうな本だが、今日読んでいるのは大城立裕の「普天間よ」、目取真俊の「露」、「忘れてぃやならんど」など、たっぷりと読んできている作家に関するところなので、興味深く読める。だが、もう少しすると論点が小説からなじみの薄い俳句・短歌・詩に向かうため、そのときに好奇心が続いてくれるかどうかが心配なところだ。
俳句・短歌・詩が終われば、その後の「社会時評と文芸」「書評の」の章では、崎山多美や大城貞俊、文学研究者の仲程昌徳や岡本恵徳、歴史学者の新崎盛暉などにも論及する節があるようなので、ある程度の忍耐を受け入れつつじっくりと読んでいきたいと思う。
これを夜までに90ページ。ほかに、「あじフライを有楽町で」を50ページ。
(「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」と平敷武蕉)
昼食は、2年5か月ぶりに、あかねヶ丘の「らーめんぬーぼう三代目店」で、油そば(大)+わかめスープ、780+100円を食べる。
細麺仕立ての油そば。つゆなしの中華そばとしては、1.5玉の「大」が適量。熱々だし、この7月に食べたどこぞのまぜそばとは違い、麺がひとかたまりになっているようなことは当然ながらない。彩りのよい盛り付けで、正統的な味わい。途中から卓上の魚粉を加えたりして味変を楽しむ。添えてみたわかめスープも、サービス品レベルを超えた量があり、おいしかった。
今年3月、河北町に系列店で焼きそばがメインと思われる「ぬーぼうチャウチャウ」がオープンしているので、いずれそちらでも食べてみたい。
(「らーめんぬーぼう三代目店」の油そば)
夜は、格別の変わりはなし。朝晩は気温、湿度とも日中よりも下がり、暑くて辛いようなことはもうなくなっている。
21時台には寝支度を整えて、しばらく本を読んで23時過ぎに就寝。
朝のカキモノをさっさと済ませて、8時過ぎからは株式の仕込みをしながら開場を待ち、ウォッチ。この日の株価は大きく動かず、出していた売りも買いも成立せずに終わる。
(okinawa favorite musician しゃかりのチアキ(文章とは関係ありません))
午前のうちから、平敷武蕉(へしきぶしょう)による沖縄関連の書評本「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」を読む。
沖縄文学全般を視野に入れて批評活動をしている著者による評論集で、小説から俳句・短歌・詩、社会時評・文芸、書評まで、沖縄文学の優れた試みであるか否かを内に問いながら記述しているものだ。
エンタメ小説などと違って、論理の核心を見失わないよう注意しながら読まないとわけがわからなくなりそうな本だが、今日読んでいるのは大城立裕の「普天間よ」、目取真俊の「露」、「忘れてぃやならんど」など、たっぷりと読んできている作家に関するところなので、興味深く読める。だが、もう少しすると論点が小説からなじみの薄い俳句・短歌・詩に向かうため、そのときに好奇心が続いてくれるかどうかが心配なところだ。
俳句・短歌・詩が終われば、その後の「社会時評と文芸」「書評の」の章では、崎山多美や大城貞俊、文学研究者の仲程昌徳や岡本恵徳、歴史学者の新崎盛暉などにも論及する節があるようなので、ある程度の忍耐を受け入れつつじっくりと読んでいきたいと思う。
これを夜までに90ページ。ほかに、「あじフライを有楽町で」を50ページ。
(「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」と平敷武蕉)
昼食は、2年5か月ぶりに、あかねヶ丘の「らーめんぬーぼう三代目店」で、油そば(大)+わかめスープ、780+100円を食べる。
細麺仕立ての油そば。つゆなしの中華そばとしては、1.5玉の「大」が適量。熱々だし、この7月に食べたどこぞのまぜそばとは違い、麺がひとかたまりになっているようなことは当然ながらない。彩りのよい盛り付けで、正統的な味わい。途中から卓上の魚粉を加えたりして味変を楽しむ。添えてみたわかめスープも、サービス品レベルを超えた量があり、おいしかった。
今年3月、河北町に系列店で焼きそばがメインと思われる「ぬーぼうチャウチャウ」がオープンしているので、いずれそちらでも食べてみたい。
(「らーめんぬーぼう三代目店」の油そば)
夜は、格別の変わりはなし。朝晩は気温、湿度とも日中よりも下がり、暑くて辛いようなことはもうなくなっている。
21時台には寝支度を整えて、しばらく本を読んで23時過ぎに就寝。
2022.09.17
20220916 金
小用のため3時過ぎに一度起きたあとは、ぐっすり眠れたからなのかつい寝坊をして、今朝は6時半起床。行動に多少巻きを入れて遅れを取り戻しつつ、朝の時間を過ごす。今日もいい天気だ。
昼は、寿司が食べたいねということになり、5か月ぶりに南館の「くら寿司山形南館店」へ。つれあいは今朝の新聞に入っていたくら寿司の「生サーモンと新物うにといくらフェア」のチラシを見てそう思ったらしい。チラシを入れた効果は絶大(!)ということか。
当方はうにやいくらへの格別な思い入れはなく、回転寿司は日常食の一環としてのひとつの選択肢だと捉えているので、ここで1皿330円や1貫だけで220円のものをありがたく食べようという気にはならない。いつもどおり2貫で110円の皿を中心に攻める。
まずは、サーモンのベジロール(これは220円)、天然ぶりユッケ軍艦、大盛貝柱にぎり、はまちの4皿から。その後には、天然しいら香味揚げ、釜揚げしらす軍艦、たら白子ジュレポン酢軍艦、ねぎまぐろ軍艦、チャンジャにぎりの5皿を食べて、二人で2,090円也。
ひとつひとつの握り方が極小なのでもっとイケルかなぁと思ったが、それでも食後にじわじわと満腹感がやってきて、ここでやめたのは正解だった。寿司ってやっぱりおいしいし、見た目にも華やかでいい。それに、この程度の価格なら大きな負担感はないので、また行っちゃうよナ。
(「くら寿司山形南館店」のマイセレクション)
4回目のワクチン接種のため、15時前にいつものSクリニックへ。2か月に一度の簡単な診察も受け、内服薬をもらって、往復の時間を含めものの1時間程度で帰宅。
戻ってきてからは書籍の発注をする。短編集2冊のほか、荻原浩と椎名誠の著作を合計5冊。ほしい本を買い揃えてこれでたったの880円だというのだから、笑いが止まらない。8,800円ではないのだぞ。
明治頃の文学生は食うべきものも食わずに古書店で本を買い漁って貧乏を極めたというが、今の世の中多少の我慢をし、パソコンで情報を集めさえすれば、読みたい本など二束三文でその多くを買い揃えることができる。もっとも、専門書であればこうはいかないだろうが、好きな本を好きなだけ読みたいという気楽な構えの老境に入った一庶民にとっては、この程度で十分だ。いまさら高望みをして書籍に金を突っ込もうなどという気は起きないし、身のほどを知っているからある程度のところで満足する術を心得ている。一定の高支出をすることで意味のない満足感を得ていた若い頃とはもう違うのだ。
(image-books)
夕方からはいつもの過ごし方をするが、飲み始める頃になるとワクチンを打った左腕に違和感が出始める。用意周到なつれあいは、解熱剤と痛み止めを準備しているからいつでもどうぞと言うのだが、原因の明らかな発熱や我慢できる程度の痛みであれば、薬などあえて飲む必要はないのではないか。
そもそも身体によくないものを注入しているわけだから、それに素直に反応しているわが身体は立派であると賞賛してやりこそすれ、それに輪をかけるようにしてさらなる異物を入れてやる必要などないのだと考える。ああ、せっかく親切で言ってくれているのに、物事をそのようにしか考えられない自分はただの臍曲がりでしかないのだろうな。
この数日、日記程度のものは別として、書評や滞在記などの文筆作業から遠ざかっている。このような状況を客観的に眺めると、走ることはやめていないものの5kmのラップが17分近くに落ちてしまったマラソンのトップ選手と似ていなくもない。これでは他の一流ランナーと比べれば明らかに大きく脱落するペースだ。市民ランナーならいざ知らず、そのトップ選手にとっては、17分ペースで走り続けることにどのような意味があるのだろうか。
自分は社会評価的な「一流」は身に着けられなかったけれども、自分がやりたいことに無垢な姿勢で取り組みたいという気概や姿勢だけは、誰にも負けたくはない、自分にとっては一流だと納得していたいと思っている。そんな自己満足的なことには身を削る必要はなく、どうでもいいことではないかという考えもある。だが、ずっとそういうことを貫きながら生きてきた者にとっては、いまさら簡単にそうだよねと譲れるようなシロモノではないのだ。
なにも5kmを15分で刻めなくても、17分であれば立派ではないか――といった論調が、トップ選手にとっては何の慰めや励ましにもならず、その人物の存在や生きている意味を斟酌しない、ただの罵声に聞こえるのと同じことだろう。
(okinawa-image 南大東島)
母の施設からは、火曜日以来3日連続で電話連絡がない。ないということは大きな問題が持ち上がっていないからだと捉えれば、たいへん喜ばしいことだ。何か起こるのではないかと毎日びくびくしながら過ごしているような気がするのだが、こういう状況はいつまで続くのだろう。
一方、9月6日に、新たな受け入れ先となる病院では、コロナ陽性者が出て入院期日が再度延期になっているのだが、いつから入院できるのだろうか。あれからすでに10日が過ぎているが、まだ連絡がない。
「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」を40ページ読んで、やっと第1章「小説」を読了する。あと3つの章が残っている。「あじフライを有楽町で」のほうは、50ページ。
23時前には就寝。
大型で非常に強い台風14号が南大東島に近づいてきている。あの小さな絶海の孤島は大丈夫だろうか。
昼は、寿司が食べたいねということになり、5か月ぶりに南館の「くら寿司山形南館店」へ。つれあいは今朝の新聞に入っていたくら寿司の「生サーモンと新物うにといくらフェア」のチラシを見てそう思ったらしい。チラシを入れた効果は絶大(!)ということか。
当方はうにやいくらへの格別な思い入れはなく、回転寿司は日常食の一環としてのひとつの選択肢だと捉えているので、ここで1皿330円や1貫だけで220円のものをありがたく食べようという気にはならない。いつもどおり2貫で110円の皿を中心に攻める。
まずは、サーモンのベジロール(これは220円)、天然ぶりユッケ軍艦、大盛貝柱にぎり、はまちの4皿から。その後には、天然しいら香味揚げ、釜揚げしらす軍艦、たら白子ジュレポン酢軍艦、ねぎまぐろ軍艦、チャンジャにぎりの5皿を食べて、二人で2,090円也。
ひとつひとつの握り方が極小なのでもっとイケルかなぁと思ったが、それでも食後にじわじわと満腹感がやってきて、ここでやめたのは正解だった。寿司ってやっぱりおいしいし、見た目にも華やかでいい。それに、この程度の価格なら大きな負担感はないので、また行っちゃうよナ。
(「くら寿司山形南館店」のマイセレクション)
4回目のワクチン接種のため、15時前にいつものSクリニックへ。2か月に一度の簡単な診察も受け、内服薬をもらって、往復の時間を含めものの1時間程度で帰宅。
戻ってきてからは書籍の発注をする。短編集2冊のほか、荻原浩と椎名誠の著作を合計5冊。ほしい本を買い揃えてこれでたったの880円だというのだから、笑いが止まらない。8,800円ではないのだぞ。
明治頃の文学生は食うべきものも食わずに古書店で本を買い漁って貧乏を極めたというが、今の世の中多少の我慢をし、パソコンで情報を集めさえすれば、読みたい本など二束三文でその多くを買い揃えることができる。もっとも、専門書であればこうはいかないだろうが、好きな本を好きなだけ読みたいという気楽な構えの老境に入った一庶民にとっては、この程度で十分だ。いまさら高望みをして書籍に金を突っ込もうなどという気は起きないし、身のほどを知っているからある程度のところで満足する術を心得ている。一定の高支出をすることで意味のない満足感を得ていた若い頃とはもう違うのだ。
(image-books)
夕方からはいつもの過ごし方をするが、飲み始める頃になるとワクチンを打った左腕に違和感が出始める。用意周到なつれあいは、解熱剤と痛み止めを準備しているからいつでもどうぞと言うのだが、原因の明らかな発熱や我慢できる程度の痛みであれば、薬などあえて飲む必要はないのではないか。
そもそも身体によくないものを注入しているわけだから、それに素直に反応しているわが身体は立派であると賞賛してやりこそすれ、それに輪をかけるようにしてさらなる異物を入れてやる必要などないのだと考える。ああ、せっかく親切で言ってくれているのに、物事をそのようにしか考えられない自分はただの臍曲がりでしかないのだろうな。
この数日、日記程度のものは別として、書評や滞在記などの文筆作業から遠ざかっている。このような状況を客観的に眺めると、走ることはやめていないものの5kmのラップが17分近くに落ちてしまったマラソンのトップ選手と似ていなくもない。これでは他の一流ランナーと比べれば明らかに大きく脱落するペースだ。市民ランナーならいざ知らず、そのトップ選手にとっては、17分ペースで走り続けることにどのような意味があるのだろうか。
自分は社会評価的な「一流」は身に着けられなかったけれども、自分がやりたいことに無垢な姿勢で取り組みたいという気概や姿勢だけは、誰にも負けたくはない、自分にとっては一流だと納得していたいと思っている。そんな自己満足的なことには身を削る必要はなく、どうでもいいことではないかという考えもある。だが、ずっとそういうことを貫きながら生きてきた者にとっては、いまさら簡単にそうだよねと譲れるようなシロモノではないのだ。
なにも5kmを15分で刻めなくても、17分であれば立派ではないか――といった論調が、トップ選手にとっては何の慰めや励ましにもならず、その人物の存在や生きている意味を斟酌しない、ただの罵声に聞こえるのと同じことだろう。
(okinawa-image 南大東島)
母の施設からは、火曜日以来3日連続で電話連絡がない。ないということは大きな問題が持ち上がっていないからだと捉えれば、たいへん喜ばしいことだ。何か起こるのではないかと毎日びくびくしながら過ごしているような気がするのだが、こういう状況はいつまで続くのだろう。
一方、9月6日に、新たな受け入れ先となる病院では、コロナ陽性者が出て入院期日が再度延期になっているのだが、いつから入院できるのだろうか。あれからすでに10日が過ぎているが、まだ連絡がない。
「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」を40ページ読んで、やっと第1章「小説」を読了する。あと3つの章が残っている。「あじフライを有楽町で」のほうは、50ページ。
23時前には就寝。
大型で非常に強い台風14号が南大東島に近づいてきている。あの小さな絶海の孤島は大丈夫だろうか。
2022.09.18
20220917 土
夜中に2度覚醒しつつ、6時過ぎに起床。昨日打ったワクチンで、夜から徐々に腕の接種部に痛みが加わったが、今回は眠れないほどではなく、発熱もないようだ。どこかに怠さがあるような気がするが、気のせいのレベルを超えるものではない。いつもよりも早い7時半までに、朝ルーチンを終える。その後はテレビの録画セット。
その後は読書へ。涼しくなってきたので、横になってではなくきちんとデスクを前にして、大きくて重い中身のハードな単行本を、背筋を正して読めるようになっている。エアコンの付いていない真夏の自室では到底できないことだ。
「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」を読むのだが、俳句・短歌・詩の章に入ってからも面白く読める。著者の平敷武蕉についてはこれまで知らずにいたが、大御所の大城立裕をバッサリとやり、地味だが誠実に沖縄問題と向かい合っている大城貞俊は理由を明らかにしながら高評価をつけるなど、論調がすっきりしていて、筆致も小気味がいい。
この日はこれを、午前のうちに40ページ読む。
(大城貞俊の既読近著3冊)
昼食は、上山市湯町にできた日帰り温泉施設「名人のゆ」を初訪問。旅館をリノベーションして2019年2月にオープンしたとのこと。カフェ・軽食処が併設されているので、入浴はせずそこだけを攻めてみた。
ビーフカレー(目玉焼き付き)800円。多少懸念していたとおり業務用のカレーを使っていて、色から察すれば本格的なもののように見えなくもないが、辛くもなく、スパイシーでもなく、塩分も少なめで、味の骨格になるものが抜けている感じ。少しでもアレンジして独自性を出せばいいのに。でもまあ、ややミルキーな感じがあってそれなりにおいしいし、ルーの量も足りないことはない。
断言するが、ここの白眉はサラダだ。大きくない器にレタス、千切りキャベツ、キュウリ、紫タマネギ、ワカメ、トマトなどがぎゅう詰めになっていて、食べ応えあり。そのボリュームに負けないぐらいのドレッシングのかけ方もステキだ。かき玉のスープにはベーコンやタマネギも入っていて、味わいは洋風。つれあいは東京シーフードパスタとかいうものを食べていた。
(「名人のゆ」のビーフカレー)
外出から戻ってしばらくした頃から、急激に調子が悪くなる。朝に感じた怠さのようなものがずっしりと存在感を増してきて、微熱があることを自覚できる。熱を測ってみたらとつれに言われるが、あることは間違いないし、もしそれがぐっと高かったりしたらショックは大きい。だから敢えて計測せず、本を持ってベッドに横になる。横になるなら重くなくて簡単な本がいいだろうと文庫本に持ち替えるのだが、横になったとたんに眠気がやってきて、そのままダウンしてしまった。
すっかりワクチンにやられてしまった格好だが、こういう日が長く続かないことはわかっているので、今は黙って静かに我慢していよう。
夜は、飲酒はせず。量を減らしたり、濃度の低いものにしたりするのではなく、飲まず。そういうのっていつ以来のこと?
飲みたくないときは飲まないという、シンプルな姿勢だ。おかずを何品かと、チューハイの代わりに少量のチンごはんと麦茶。今日のような体調の時は、そのほうがしっくりくることを知る。
録画していたNHK-BSプレミアムの「風よあらしよ」の第1回(9月4日放送)を観る。
大正時代、文筆活動で女性の地位向上や自立を求めた伊藤野枝の波乱に満ちた人生を描いたもので、原作は村山由佳の初の評伝小説。主演の吉高由里子がいい。肩の力が抜けている庶民的な演技が素直で自然に見えるからなのかもしれない。
(「風よあらしよ」で伊藤野枝を演じる吉高由里子)
ぐったりしていた午後から夜にかけては、「あじフライを有楽町で」を90ページほど読んで読了。
読んでいて思ったのは、食べることとは、各人が小さい頃から積み上げてきた食の記憶や思い出を食べることのだなということ。あの時、誰と、こうして食べたという記憶が、食べるものをおいしくする。
著者も「あとがき」で、「食べものは無数の記憶や物語をもたらす。それらが味と結びつくとき、さまざまな感情、予期せぬ思いまでむっくりと起き上がるので、味の井戸がまたぞろ深くなる。覗き込んだ井戸の暗闇の濃淡を、わたしたちは「おいしさ」として味わっているのだろう」と記している。
「解説」でも、作家の戌井明人は、「全体を通して思ったのは、口に入ったものは、そこで終わりではないということ。食べたものは記憶や身体の一部になって生き続け、毎日の食事には、それぞれ物語がある」と述べているのだった。
調子が出ないときは早く寝るに限る。22時台にはベッドに横になり、23時過ぎに消灯就寝。
その後は読書へ。涼しくなってきたので、横になってではなくきちんとデスクを前にして、大きくて重い中身のハードな単行本を、背筋を正して読めるようになっている。エアコンの付いていない真夏の自室では到底できないことだ。
「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」を読むのだが、俳句・短歌・詩の章に入ってからも面白く読める。著者の平敷武蕉についてはこれまで知らずにいたが、大御所の大城立裕をバッサリとやり、地味だが誠実に沖縄問題と向かい合っている大城貞俊は理由を明らかにしながら高評価をつけるなど、論調がすっきりしていて、筆致も小気味がいい。
この日はこれを、午前のうちに40ページ読む。
(大城貞俊の既読近著3冊)
昼食は、上山市湯町にできた日帰り温泉施設「名人のゆ」を初訪問。旅館をリノベーションして2019年2月にオープンしたとのこと。カフェ・軽食処が併設されているので、入浴はせずそこだけを攻めてみた。
ビーフカレー(目玉焼き付き)800円。多少懸念していたとおり業務用のカレーを使っていて、色から察すれば本格的なもののように見えなくもないが、辛くもなく、スパイシーでもなく、塩分も少なめで、味の骨格になるものが抜けている感じ。少しでもアレンジして独自性を出せばいいのに。でもまあ、ややミルキーな感じがあってそれなりにおいしいし、ルーの量も足りないことはない。
断言するが、ここの白眉はサラダだ。大きくない器にレタス、千切りキャベツ、キュウリ、紫タマネギ、ワカメ、トマトなどがぎゅう詰めになっていて、食べ応えあり。そのボリュームに負けないぐらいのドレッシングのかけ方もステキだ。かき玉のスープにはベーコンやタマネギも入っていて、味わいは洋風。つれあいは東京シーフードパスタとかいうものを食べていた。
(「名人のゆ」のビーフカレー)
外出から戻ってしばらくした頃から、急激に調子が悪くなる。朝に感じた怠さのようなものがずっしりと存在感を増してきて、微熱があることを自覚できる。熱を測ってみたらとつれに言われるが、あることは間違いないし、もしそれがぐっと高かったりしたらショックは大きい。だから敢えて計測せず、本を持ってベッドに横になる。横になるなら重くなくて簡単な本がいいだろうと文庫本に持ち替えるのだが、横になったとたんに眠気がやってきて、そのままダウンしてしまった。
すっかりワクチンにやられてしまった格好だが、こういう日が長く続かないことはわかっているので、今は黙って静かに我慢していよう。
夜は、飲酒はせず。量を減らしたり、濃度の低いものにしたりするのではなく、飲まず。そういうのっていつ以来のこと?
飲みたくないときは飲まないという、シンプルな姿勢だ。おかずを何品かと、チューハイの代わりに少量のチンごはんと麦茶。今日のような体調の時は、そのほうがしっくりくることを知る。
録画していたNHK-BSプレミアムの「風よあらしよ」の第1回(9月4日放送)を観る。
大正時代、文筆活動で女性の地位向上や自立を求めた伊藤野枝の波乱に満ちた人生を描いたもので、原作は村山由佳の初の評伝小説。主演の吉高由里子がいい。肩の力が抜けている庶民的な演技が素直で自然に見えるからなのかもしれない。
(「風よあらしよ」で伊藤野枝を演じる吉高由里子)
ぐったりしていた午後から夜にかけては、「あじフライを有楽町で」を90ページほど読んで読了。
読んでいて思ったのは、食べることとは、各人が小さい頃から積み上げてきた食の記憶や思い出を食べることのだなということ。あの時、誰と、こうして食べたという記憶が、食べるものをおいしくする。
著者も「あとがき」で、「食べものは無数の記憶や物語をもたらす。それらが味と結びつくとき、さまざまな感情、予期せぬ思いまでむっくりと起き上がるので、味の井戸がまたぞろ深くなる。覗き込んだ井戸の暗闇の濃淡を、わたしたちは「おいしさ」として味わっているのだろう」と記している。
「解説」でも、作家の戌井明人は、「全体を通して思ったのは、口に入ったものは、そこで終わりではないということ。食べたものは記憶や身体の一部になって生き続け、毎日の食事には、それぞれ物語がある」と述べているのだった。
調子が出ないときは早く寝るに限る。22時台にはベッドに横になり、23時過ぎに消灯就寝。
2022.09.19
20220918 日
脱水症状もあって、夜中に何度か起きたりしていたため、朝は起きたくなるまで自然体で眠る。結果、7時前起床。体調が芳しくないときはこれでいいのではないか。
寝覚めは昨日の状態からかなり改善していて、腕の痛み、だるさ、微熱は後退している。その後も回復基調が持続し、午前のうちには平常ペースに戻る。
3連休の中日で、好天、高温。明日あたりから台風の影響が出てくるのだろうか。鹿児島県に「暴風・高潮・波浪特別警報」が発表されていて、「かつて経験したことのない」「何十年に一度」という規模の台風なのだという。台風を要因とする特別警報が沖縄県以外に発表されるのは初めてとのことだ。
(台風14号の進路予測)
午前中はデスクでみっちり「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」を読む。昼食までに40ページ。この習慣はなかなかいい。
昼食は自宅で、休日定番のげそ天そばを食べる。そば、げそ天ともたっぷりで、蕎麦湯を飲むのもきついぐらいに食べてしまった。だって、うまいんだもん。
午後からは、「明日の記憶」(荻原浩著、光文社文庫、2007)を読み始める。
「広告代理店営業部長の佐伯は、齢50にして若年性アルツハイマーと診断された。仕事では重要な案件を抱え、一人娘は結婚を間近に控えていた。銀婚式をすませた妻との穏やかな思い出さえも、病は残酷に奪い去っていく。けれども彼を取り巻くいくつもの深い愛は、失われゆく記憶を、はるか明日に甦らせるだろう! 山本周五郎賞受賞の感動長編、待望の文庫化。」(カバー背表紙から)
当方にとって荻原浩の著書を読むのは、「海の見える理髪店」に次いで2作目。
なかなかショッキングな事象を扱っていて、固有名刺がすっと出てこなくなっている主人公の様子には身につまされるものがある。しかし、大切なクライアントとの約束をした記憶がすっぽりと抜け落ちて大失敗していて、自分はまだそこまではいっていないぞと一安心もする。
つい引き込まれてしまい、眠さを忘れて24時45分まで、一気に290ページ読む。
(「海の見える理髪店」「明日の記憶」と荻原浩)
今夜も飲まず、おかずだけで済ませる。中華風五目うま煮と小ぶりのチキンカツ一切れ、食後に梨。飲み物はペットの緑茶。ぐだぐだと飲むことがないので、ものの20分ほどで食事が済んでしまい、いつもよりもその後の時間が長い。
結局この日は一歩も外に出ず、本をしっかり読んだ日になった。
ずっと家にいてはボケてしまうのではないかと言う人がいるかもしれない。しかし、昔のご隠居さんと違って、外に出なくとも家でやれること、やるべきことがたくさんあるので、それは時代錯誤的な考えだと言っておこう。職場に赴かなくても仕事ができる在宅ワークと同じで、ネットとつながる環境さえあれば、世界や社会とつながっていられる。興味を感じていることや不明点等は、このBOXさえ手元にあれば、誰かから受動的に聞くまでもなく、自分から能動的に情報を取りにいける。図書館には行かなくともよく、百科事典を買い揃える必要もなく、自分が求めることを最も効率的に入手でき、満たしてくれるものがネットなのだ。
家にばかりいるとやることがなくてつまらないと嘆いていた時代は大昔のことになっている。要は、自分が自分の外部に対して求めるものとして、どのような質のものをどれだけ持っているのか――ということだ。そういう確かなものが自己の中から湧いてこなければ、その人は昔のご隠居さんレベルから脱却することなく年老いていくしかないのだろう。
ただ、家にばかりいると、心配なことが一つある。頭脳は活き活きとしていても、身体を動かさないために足腰が衰えてしまうことだ。ここは何らかの改善が必要だろう。
(石垣島「前田食堂」で食べた牛肉そば!(2013.8.13))
ワクチンによる腕の痛みはほぼ取れた。これで、寝返りを自在にうちながらゆっくり眠ることができるだろう。
今夜は眠りに就くまで扇風機が放せない、秋にしては暑い日だった。
寝覚めは昨日の状態からかなり改善していて、腕の痛み、だるさ、微熱は後退している。その後も回復基調が持続し、午前のうちには平常ペースに戻る。
3連休の中日で、好天、高温。明日あたりから台風の影響が出てくるのだろうか。鹿児島県に「暴風・高潮・波浪特別警報」が発表されていて、「かつて経験したことのない」「何十年に一度」という規模の台風なのだという。台風を要因とする特別警報が沖縄県以外に発表されるのは初めてとのことだ。
(台風14号の進路予測)
午前中はデスクでみっちり「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」を読む。昼食までに40ページ。この習慣はなかなかいい。
昼食は自宅で、休日定番のげそ天そばを食べる。そば、げそ天ともたっぷりで、蕎麦湯を飲むのもきついぐらいに食べてしまった。だって、うまいんだもん。
午後からは、「明日の記憶」(荻原浩著、光文社文庫、2007)を読み始める。
「広告代理店営業部長の佐伯は、齢50にして若年性アルツハイマーと診断された。仕事では重要な案件を抱え、一人娘は結婚を間近に控えていた。銀婚式をすませた妻との穏やかな思い出さえも、病は残酷に奪い去っていく。けれども彼を取り巻くいくつもの深い愛は、失われゆく記憶を、はるか明日に甦らせるだろう! 山本周五郎賞受賞の感動長編、待望の文庫化。」(カバー背表紙から)
当方にとって荻原浩の著書を読むのは、「海の見える理髪店」に次いで2作目。
なかなかショッキングな事象を扱っていて、固有名刺がすっと出てこなくなっている主人公の様子には身につまされるものがある。しかし、大切なクライアントとの約束をした記憶がすっぽりと抜け落ちて大失敗していて、自分はまだそこまではいっていないぞと一安心もする。
つい引き込まれてしまい、眠さを忘れて24時45分まで、一気に290ページ読む。
(「海の見える理髪店」「明日の記憶」と荻原浩)
今夜も飲まず、おかずだけで済ませる。中華風五目うま煮と小ぶりのチキンカツ一切れ、食後に梨。飲み物はペットの緑茶。ぐだぐだと飲むことがないので、ものの20分ほどで食事が済んでしまい、いつもよりもその後の時間が長い。
結局この日は一歩も外に出ず、本をしっかり読んだ日になった。
ずっと家にいてはボケてしまうのではないかと言う人がいるかもしれない。しかし、昔のご隠居さんと違って、外に出なくとも家でやれること、やるべきことがたくさんあるので、それは時代錯誤的な考えだと言っておこう。職場に赴かなくても仕事ができる在宅ワークと同じで、ネットとつながる環境さえあれば、世界や社会とつながっていられる。興味を感じていることや不明点等は、このBOXさえ手元にあれば、誰かから受動的に聞くまでもなく、自分から能動的に情報を取りにいける。図書館には行かなくともよく、百科事典を買い揃える必要もなく、自分が求めることを最も効率的に入手でき、満たしてくれるものがネットなのだ。
家にばかりいるとやることがなくてつまらないと嘆いていた時代は大昔のことになっている。要は、自分が自分の外部に対して求めるものとして、どのような質のものをどれだけ持っているのか――ということだ。そういう確かなものが自己の中から湧いてこなければ、その人は昔のご隠居さんレベルから脱却することなく年老いていくしかないのだろう。
ただ、家にばかりいると、心配なことが一つある。頭脳は活き活きとしていても、身体を動かさないために足腰が衰えてしまうことだ。ここは何らかの改善が必要だろう。
(石垣島「前田食堂」で食べた牛肉そば!(2013.8.13))
ワクチンによる腕の痛みはほぼ取れた。これで、寝返りを自在にうちながらゆっくり眠ることができるだろう。
今夜は眠りに就くまで扇風機が放せない、秋にしては暑い日だった。
2022.09.20
20220919 月
昨夜は遅くまで本を読んで、その後夜中に起き出すことなく、5時15分起床。台風が近づいているためか、朝焼けの雲の色がなんだか不気味だ。朝から気温が高めになっている。
今日は「敬老の日」だが、それがなぜ9月15日(2002年まではこの日に固定されていた)なのか、由来についてわからなかったので調べてみた。すると、もともとは兵庫県のある村で、1947年9月15日に村主催の「敬老会」を開催したのが始まりとされているとのこと。つまりこの祝日は、日本文化や歴史の上での根拠は極めて薄弱で、祝日を設けるための方便でしかなかったのではないと思えたりする。勤労感謝の日、憲法記念日、天皇誕生日などよりも数段ランクの低い祝日なのではないか。まあ、「海の日」や「山の日」よりは上かもしれないが。
(今日5時15分の北東の空)
朝のうちに難書読解をしようとデスクに向かうが、この数日と比べるとかなり蒸し暑いために思うように進まず、「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」は20ページにとどまる。
ぼちぼちやらないとあとで大変なことになると思われる読後本のインプレ整理や東京散歩のまとめなどのカキモノも、今日は手に付かず。すべて暑いことのせいにして胡麻化しているという面も大いにある。
10時過ぎ、米沢ラーメンを食べるために、つれとともに米沢へ。狙っていた「ひらま」は開店前に行列ができていたのであっさりパスし、川井の「幸来軒」へ。米沢の飲食店で食べるのは1年4か月ぶり、この店に限ればなんと13年1か月ぶりとなる。
メンマラーメンの大盛り、750+100円。ここがいいラーメン店であることを忘れずにいたが、今回も13年前のインプレッションをそのまま敷衍してよい、文句なしの米沢ラーメンだ。とりわけ生姜の香りと飾らない鶏ガラスープが絶品。増量されたメンマの繊維質もいい役割を果たしている。もちろん、極細手もみ縮れの麺も秀逸。米沢ラーメンは喉越しがポイントであることを再確認する。米沢までわざわざ食べに来た甲斐があったと大満足だった。
米沢ラーメンのおいしさはもっと評価されるべきだし、「ひらま」と比べても遜色のない「幸来軒」ももっと評価されてもいいと思う。
「道の駅米沢」に立ち寄り、中心部の新しくなった米沢市役所、建物が取り壊された旧大沼の跡地、市民図書館「ナセBA」の建物などを車内から見て、山形へ。歩いているときには一時的に雨がぱらついた。
(「幸来軒」(米沢)のメンマラーメン)
午後から夕刻までに、「明日の記憶」を100ページほど読んで読了。これはベッドに横になって楽な恰好で。
夕餉には、3日ぶりに飲もうかと思っていたのだが、つれあいに先手を打たれ、今夜はご飯を炊いているからということなので、飲まずにメシにしたところ。芋煮汁に、少しもったいない気もするが炊き立てのご飯をぶち込み、雑炊風にして食べる。
(本日の夕食)
「全日本プロレス中継50周年記念大会」のライブ放送があったのを録画で観る。「全日本」を観るのは実に久しぶりのことだ。はじめの6人タッグでは、渕正信、大仁田厚、越中詩郎、グレート小鹿、谷津嘉章、グレート・カブキといったものすごい面々が登場していた。小鹿は80代、渕は78歳、谷津は右足が義足だった。田上明、川田利明、小橋建太、スタン・ハンセンらもリング上へ。だが、現役選手の多くは知らないレスラーばかり。また、リングファイトのスピード、テクニック、ショーマンシップなどの面では、今の新日本のレベルからは置いていかれている印象を持った。
(「全日本プロレス中継50周年記念大会」の特別試合)
台風は、明日の明け方から昼にかけて山形に最接近する模様。だが暑いので、窓を開けたままにして眠りへ。
今日は「敬老の日」だが、それがなぜ9月15日(2002年まではこの日に固定されていた)なのか、由来についてわからなかったので調べてみた。すると、もともとは兵庫県のある村で、1947年9月15日に村主催の「敬老会」を開催したのが始まりとされているとのこと。つまりこの祝日は、日本文化や歴史の上での根拠は極めて薄弱で、祝日を設けるための方便でしかなかったのではないと思えたりする。勤労感謝の日、憲法記念日、天皇誕生日などよりも数段ランクの低い祝日なのではないか。まあ、「海の日」や「山の日」よりは上かもしれないが。
(今日5時15分の北東の空)
朝のうちに難書読解をしようとデスクに向かうが、この数日と比べるとかなり蒸し暑いために思うように進まず、「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」は20ページにとどまる。
ぼちぼちやらないとあとで大変なことになると思われる読後本のインプレ整理や東京散歩のまとめなどのカキモノも、今日は手に付かず。すべて暑いことのせいにして胡麻化しているという面も大いにある。
10時過ぎ、米沢ラーメンを食べるために、つれとともに米沢へ。狙っていた「ひらま」は開店前に行列ができていたのであっさりパスし、川井の「幸来軒」へ。米沢の飲食店で食べるのは1年4か月ぶり、この店に限ればなんと13年1か月ぶりとなる。
メンマラーメンの大盛り、750+100円。ここがいいラーメン店であることを忘れずにいたが、今回も13年前のインプレッションをそのまま敷衍してよい、文句なしの米沢ラーメンだ。とりわけ生姜の香りと飾らない鶏ガラスープが絶品。増量されたメンマの繊維質もいい役割を果たしている。もちろん、極細手もみ縮れの麺も秀逸。米沢ラーメンは喉越しがポイントであることを再確認する。米沢までわざわざ食べに来た甲斐があったと大満足だった。
米沢ラーメンのおいしさはもっと評価されるべきだし、「ひらま」と比べても遜色のない「幸来軒」ももっと評価されてもいいと思う。
「道の駅米沢」に立ち寄り、中心部の新しくなった米沢市役所、建物が取り壊された旧大沼の跡地、市民図書館「ナセBA」の建物などを車内から見て、山形へ。歩いているときには一時的に雨がぱらついた。
(「幸来軒」(米沢)のメンマラーメン)
午後から夕刻までに、「明日の記憶」を100ページほど読んで読了。これはベッドに横になって楽な恰好で。
夕餉には、3日ぶりに飲もうかと思っていたのだが、つれあいに先手を打たれ、今夜はご飯を炊いているからということなので、飲まずにメシにしたところ。芋煮汁に、少しもったいない気もするが炊き立てのご飯をぶち込み、雑炊風にして食べる。
(本日の夕食)
「全日本プロレス中継50周年記念大会」のライブ放送があったのを録画で観る。「全日本」を観るのは実に久しぶりのことだ。はじめの6人タッグでは、渕正信、大仁田厚、越中詩郎、グレート小鹿、谷津嘉章、グレート・カブキといったものすごい面々が登場していた。小鹿は80代、渕は78歳、谷津は右足が義足だった。田上明、川田利明、小橋建太、スタン・ハンセンらもリング上へ。だが、現役選手の多くは知らないレスラーばかり。また、リングファイトのスピード、テクニック、ショーマンシップなどの面では、今の新日本のレベルからは置いていかれている印象を持った。
(「全日本プロレス中継50周年記念大会」の特別試合)
台風は、明日の明け方から昼にかけて山形に最接近する模様。だが暑いので、窓を開けたままにして眠りへ。
2022.09.21
20220920 火
5時45分起床。暑かった前夜は台風に伴う風がぶはぶはと入るのをかまわずに窓を開けたまま眠りに落ちたが、その後はそれ以上に強く吹くことはなく、朝までそのままにしてしまった。朝の室内温度は29℃あるのに、天気予報では今日の最高気温は24℃の見込みだと報じているのだが、これはどういうことなのか。
あとで気象庁の「最高気温」のページを見てみると、この日の山形の最高は30.2℃で、その記録時間は「00時05分」となっていた。したがって、気象庁では「今日」というのは時計どおり00時から24時前までをいうのだろう。まあ、当然か。
一方、朝の天気予報で示している最高気温は、つれあいの判断では「今日の日中の」という意味なのではないかとのことだが、それが正しいのかもしれない。さらに調べると、09時から18時までの間で最も高い気温と決めているようだった。
6時頃には山形市付近に中心があった台風は、通過した7時頃から吹き返す形となり、風向きが北からの強風に変わり、雨も伴う。北側の窓を全閉する。
4日ぶりの営業日となる東京株式市場は、方向感を欠いている盛り上がらない相場。こうなると打つ手は少なく、ウォッチでのスタートとなる。
結果としても、売り買いなしとなり、資産価値に関しても期待に反して微増程度にとどまった。
(こんな楽し気な表情で相場を眺めていたいものだ)
雨と風がある中を、母の薬をもらいにS総合病院へと出かけ、それを届けに入居施設へ。
転院と泌尿器科外来の日程が重なってしまったので調整した結果、27日の転院は変えず、外来日を3日後の30日に変更して対応することにした。
この結果外来は、母を転院した入院先から連れて行くことになる。その際はまた、意に沿わないことについてお小言をたっぷりと聞かされることになるのだろう。呪詛ではなくお小言程度であれば、黙って聞く耳は持っているつもりだが、その程度で収まるかどうかはわからない。施設に戻せ、病院には戻りたくないと駄々をこねられるのではないかと心配している。
昼食は、通りかかった「ココス山形南原店」にて。ここは2019年2月に朝食バイキングを食べて以来、3年7か月ぶりの入店となる。
ランチメニューの中から、期間限定だというきのこクリームのココットハンバーグランチ869円をチョイスして、無料サービスとなるライス大盛りで。「こだわりのココットにビーフとポークの合挽きハンバーグ、しめじ、ブロッコリーと特製のクリームソースを閉じ込めてオーブンで焼き上げました。ハンバーグ・ライス(もしくは石窯パン)・サラダ・ミックスベリーゼリーを1つのプレートで♪」とのこと。
それぞれそれなりにおいしく、特に、小さいながら食後のミックスベリーゼリーがとてもいいワンポイントになっている。スープバーのスープは2種あり、各2杯ずつ飲んでようやく元を取った気になれた。
(「ココス山形南原店」のきのこクリームのココットハンバーグランチ)
午後の成果は何だったかと振り返るが、めぼしいものは何も浮かばない。昼寝をしたわけでもないのに成果がないというのは悲しいことだ。
早々と16時台に、今日は気温が落ち着いていたので何日ぶりかで風呂を沸かして入浴。体重が増えていて、入浴後であっても77kg以上ある。これは何とかしないと。
4日ぶりに飲酒。飲めばうまいが、どうしても飲まなければならないとまでは思わなくなっている。ストロングの500mlでは量も濃度もやや手に余る感じだ。
飲酒をしながらよく観ていた居酒屋番組は、この頃少々食傷気味になっていて、吉田類と「おんな」の両酒場放浪記は録画するのを休止している。「太田和彦のふらり旅 新・居酒屋百選」も、放送が月1回に減っているため、観る機会は減っている。
(最近の知名定男 2022.4)
アルコールがよく身体に染み渡ったからなのか、21時を過ぎた頃には妙に眠くなる。今日はこのまま眠っちゃっていいんじゃね、ということで眠ろうとするが、今夜は急激に冷えている。半袖Tシャツと短パンを脱ぎ、アンダーシャツに長袖・長ズボンの部屋着に取り替えて眠ることにする。窓を閉めれば、掛けるものはタオルケット1枚でまだなんとか大丈夫だろう。
22時過ぎに消灯。
この日の読書は、「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」を30ページと、新たに「ふるさとの生活」(宮本常一著、講談社学術文庫、1986)を読み始めて30ページ。
あとで気象庁の「最高気温」のページを見てみると、この日の山形の最高は30.2℃で、その記録時間は「00時05分」となっていた。したがって、気象庁では「今日」というのは時計どおり00時から24時前までをいうのだろう。まあ、当然か。
一方、朝の天気予報で示している最高気温は、つれあいの判断では「今日の日中の」という意味なのではないかとのことだが、それが正しいのかもしれない。さらに調べると、09時から18時までの間で最も高い気温と決めているようだった。
6時頃には山形市付近に中心があった台風は、通過した7時頃から吹き返す形となり、風向きが北からの強風に変わり、雨も伴う。北側の窓を全閉する。
4日ぶりの営業日となる東京株式市場は、方向感を欠いている盛り上がらない相場。こうなると打つ手は少なく、ウォッチでのスタートとなる。
結果としても、売り買いなしとなり、資産価値に関しても期待に反して微増程度にとどまった。
(こんな楽し気な表情で相場を眺めていたいものだ)
雨と風がある中を、母の薬をもらいにS総合病院へと出かけ、それを届けに入居施設へ。
転院と泌尿器科外来の日程が重なってしまったので調整した結果、27日の転院は変えず、外来日を3日後の30日に変更して対応することにした。
この結果外来は、母を転院した入院先から連れて行くことになる。その際はまた、意に沿わないことについてお小言をたっぷりと聞かされることになるのだろう。呪詛ではなくお小言程度であれば、黙って聞く耳は持っているつもりだが、その程度で収まるかどうかはわからない。施設に戻せ、病院には戻りたくないと駄々をこねられるのではないかと心配している。
昼食は、通りかかった「ココス山形南原店」にて。ここは2019年2月に朝食バイキングを食べて以来、3年7か月ぶりの入店となる。
ランチメニューの中から、期間限定だというきのこクリームのココットハンバーグランチ869円をチョイスして、無料サービスとなるライス大盛りで。「こだわりのココットにビーフとポークの合挽きハンバーグ、しめじ、ブロッコリーと特製のクリームソースを閉じ込めてオーブンで焼き上げました。ハンバーグ・ライス(もしくは石窯パン)・サラダ・ミックスベリーゼリーを1つのプレートで♪」とのこと。
それぞれそれなりにおいしく、特に、小さいながら食後のミックスベリーゼリーがとてもいいワンポイントになっている。スープバーのスープは2種あり、各2杯ずつ飲んでようやく元を取った気になれた。
(「ココス山形南原店」のきのこクリームのココットハンバーグランチ)
午後の成果は何だったかと振り返るが、めぼしいものは何も浮かばない。昼寝をしたわけでもないのに成果がないというのは悲しいことだ。
早々と16時台に、今日は気温が落ち着いていたので何日ぶりかで風呂を沸かして入浴。体重が増えていて、入浴後であっても77kg以上ある。これは何とかしないと。
4日ぶりに飲酒。飲めばうまいが、どうしても飲まなければならないとまでは思わなくなっている。ストロングの500mlでは量も濃度もやや手に余る感じだ。
飲酒をしながらよく観ていた居酒屋番組は、この頃少々食傷気味になっていて、吉田類と「おんな」の両酒場放浪記は録画するのを休止している。「太田和彦のふらり旅 新・居酒屋百選」も、放送が月1回に減っているため、観る機会は減っている。
(最近の知名定男 2022.4)
アルコールがよく身体に染み渡ったからなのか、21時を過ぎた頃には妙に眠くなる。今日はこのまま眠っちゃっていいんじゃね、ということで眠ろうとするが、今夜は急激に冷えている。半袖Tシャツと短パンを脱ぎ、アンダーシャツに長袖・長ズボンの部屋着に取り替えて眠ることにする。窓を閉めれば、掛けるものはタオルケット1枚でまだなんとか大丈夫だろう。
22時過ぎに消灯。
この日の読書は、「修羅と豊饒 沖縄文学の深層を照らす」を30ページと、新たに「ふるさとの生活」(宮本常一著、講談社学術文庫、1986)を読み始めて30ページ。