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 2024年2月19日から22日まで、3泊4日の日程で、四国松山・道後温泉に行ってきました。
 四国上陸は、2020年6月に26日間にわたって車中泊をしながら一周してきたとき以来となります。松山はそのときにもある程度は見てきましたが、なにぶん車中泊なので、松山市域内では宿泊せず、ひととおり見て回った程度にとどまりました。しかもあの時はコロナ禍の真っ最中で、松山城に向かうロープウェーは休業中で、歩いては上れるけれども城自体も開いていず、見学しないままに終わったのでした。ほかにも道後温泉周辺のスポットは、街の中では車中泊できる場所が見当たらない関係上飛ばさざるを得ず、伊予鉄道に乗って郊外に出向くようなことも叶いませんでした。

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(愛媛は柑橘類のオレンジ色がイメージカラーだ)

 そんなわけで、車旅中心から都市型ステイに軸足を移して、四国地方の「都市」でステイするとしたら、行きたい場所はいろいろあるけれども、真っ先に行くところは松山だろうと思っていました。松山は人口50万人超の、四国随一の大都市でもあります。
 つれあいは、松山には行ったことがなく、名物の鯛めしも食べてみたいらしく、さらに、四国の名湯道後温泉に泊まりたいようだったので、彼女からはすんなり同意が得られました。
 山形からの飛行便の接続がいいこともプラスに作用しました。山形を朝に発てばその日の14時前には着けるし、帰りについても、午後発ちしても夕過ぎには帰宅できるようです。

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(松山(北条)鯛めし)

 旅の大まかなスケジュールは、次のとおりです。

・2月19日(月)
 朝、山形発 (空路・羽田経由) 午後、松山着  松山市街散歩  大街道泊
・2月20日(火)
 伊予鉄道郊外電車で三津浜方面へ  終日高浜線沿線観光  大街道泊
 (つれあいはJR予讃線で、JR下灘駅を経由して大洲観光へ)
・2月21日(水)
 松山城見学  午後、道後温泉へ  道後温泉泊
・2月22日(木)
 道後温泉散歩  昼過ぎ、道後温泉発 (空路・羽田経由) 夜、山形着

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(伊予鉄道高浜線)

 問題は天候です。予報では、旅の最中の全日にわたって雨マークになっています。松山の中心地の大街道(おおかいどう)に確保したシティホテルは、幸いにしてアーケード街のすぐそばなので、中心部の散歩には大きな支障はありません。しかしそれ以外の三津浜や道後温泉などでは外を歩き回る計画なので、とても困ります。
 でもまあ、行ってみたら晴れていたということもあるかもしれないので、それを期待して出発します。


 2024年2月19日(月)。
 0815に自宅を車で発ち、山形空港へと赴いて、0950発のJAL便で羽田へ。
 羽田空港には1100頃に到着し、1時間ほどの乗り継ぎ時間があるので、ここで昼メシとします。
 第1ターミナル2階の「ジャパングルメポート」はカレー・うどん・ラーメンなどのジャンキーなものが並ぶ、空港内としてはわりと安めの店。高くてサービスのよくない店で食べるよりも、こっちのほうがいいでしょ。
 ゴーゴーカレーが監修したという金沢カレー950円があったので、それでいいやと注文します。金沢で食べる本物とは違うかなというところもあるけれど、ご飯の量がしっかりで、衣が厚いながらカツも厚く、羽田空港内で食べるものにしては実質的だったでしょうか。
 つれは、しらすおろしのぶっかけうどん650円を食べていました。

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(羽田空港「ジャパングルメポート」の金沢カレー)

 羽田発1210の便は少し遅れて離陸し、1400少し前に松山空港着。
 松山空港では、到着出口すぐの1階スカイショップにある「Orange BAR」で、蛇口から出てくるオレンジジュースを飲むことを最初の楽しみにしていました。
 蛇口オレンジジュース、普通サイズの紙コップ1杯で400円。飲んでみれば、当たり前だけれども、普通のオレンジジュースです。そのわりには高いよナ。
 みかんジュースが出る蛇口は、2017年7月より常設されたとのこと。季節によって出るジュースの材料が異なり、その時期一番おいしい旬の柑橘を使用しているそうです。
 サーバーのとなりにいるのは、愛媛県イメージアップキャラクターの“みきゃん”。コイツは松山滞在中にあちこちで見かけることになりました。

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(松山空港1階にあった蛇口オレンジジュース)

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(柑橘類の商品が並ぶ「Orange BAR」)

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(松山空港リムジンバスで大街道へ)


 遅れて到着した羽田便を待っていたリムジンバスに乗ることができ、1500過ぎには松山の繁華街の大街道バス停着。
 大雨です。バスから降りてトランクから荷物を取り出すうちにかなり濡れることに。この時が旅の最中で最も雨のひどいときだったでしょうか。
 それでも、3年8か月ぶりに訪れた大街道の大づくりな北口アーケードや、停留所に泊まるオレンジ色の伊予鉄道の市内電車を見て、おお松山だ、大街道だとうれしくなりました。

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(大街道商店街北入口)

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(さっそく市内電車を撮る)

 小走りで大街道商店街のアーケードに逃げ込み、大街道入口の目前にあるホテルにチェックインします。この日から2泊する、「カンデオホテルズ松山大街道」です。
 四国最大の繁華街松山の中心部に位置しているため、飲食店には不自由がなく、松山城や「坂の上の雲ミュージアム」などが至近にあり、松山空港や道後温泉エリアへのアクセスも良好という好立地のホテル。最上階となる13階からは松山城や瀬戸内海が一望でき、そのフロアには展望露天風呂も付いています。
 2015年にオープンした「AEL MATSUYAMA」というビルの最上階にフロントがあり、その下の12階から5階までが客室で、4階より下は商業施設とブライダル施設になっています。

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(夜の「AEL MATSUYAMA」(左))

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(「カンデオホテルズ松山大街道」の和とモダンのデザインの客室)

 ここで松山市についてまとめておくと、四国地方で唯一人口が50万人を超える、人口最多の市で中核市。松山城を中心に発展してきた旧城下町で、道後温泉で有名な古くからの温泉地があり、俳人正岡子規や種田山頭火、文豪夏目漱石ゆかりの地で、俳句や小説「坊っちゃん」「坂の上の雲」などで知られる文学の街でもあります。これらの観光資源を背景とした「国際観光温泉文化都市」でキャッチフレーズは「いで湯と城と文学のまち」。
 アーケード街の大街道や銀天街、四国唯一の地下街である「まつちかタウン」、伊予鉄松山市駅ビルに併設された「伊予鉄高島屋」や「ハンズ」などの商業施設、道後温泉、松山城、松山総合公園、愛媛県美術館、坂の上の雲ミュージアム、子規記念博物館、伊予かすり会館、伊丹十三記念館など多様な文化的観光スポットがあります。

 部屋の近くの自販機コーナーから第三のビールを調達し、飲みながらしばらく休憩。1630を期して、大街道と銀天街の散策に出かけます。

 はじめは「松山三越」から。
 終戦すぐの1946年に三越松山店として開店し、2010年に株式会社松山三越として分社化、大規模改装を実施して2021年にリニューアルオープンした百貨店です。
 1階は、「坊っちゃんフードホール」という名の四国最大級のフードホールになっていて、おいしそうな多くの店が入り、ほとんどの松山フードがそろっているようです。席数は多いのに客はそれほど多くなく、ゆったりと食べるにはよさそう。穴場のひとつとしてチェックしておくことにします。

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(「松山三越」1階の「坊っちゃんフードホール」)

 松山三越では、フードコートのほか地下食料品売り場も眺めて愛媛の食卓事情をチェックしてから、「大街道商店街」をまっすぐ南方面へと歩きます。
 ここは、松山中央商店街の一角を占める、松山市を代表する幅の広い商店街。巨大なアーケードは長さ483m、幅15m、天井の高さ13mの、自動開閉式3段ドームの全蓋アーケードになっています。中にある柱には、石鎚山からの水の流れと県花のみかんをモチーフとしたデザインが、エッチング加工されたステンレスで貼られています。
 大正時代初期に用水路が埋め立てられて広い通りができ、大街道という通称が定着。現在通りは歩行者専用となっていますが、1982年までは、両端に片側アーケードのある商店街だったそうです。
 店舗としては衣料品店、身の回り品店、飲食店、遊技場などが多く、北側には「松山三越」、複合商業施設の「AEL MATSUYAMA」があり、通りを挟んで北は「ロープウェー商店街」と、また、南側は「松山銀天街」と、それぞれ接しています。松山銀天街の西側には「伊予鉄松山市駅」があります。

 3年8か月ぶりの大街道商店街を感慨深く歩き、そのときと同じように「松山銀天街」の先、「南銀天街」の「お芝居の松山劇場」前まで行って、戻ります。
 誰もが楽しめるわかりやすさと、ボリューム満点なのに低料金であることが、幅広い世代に親しまれる魅力だという「お芝居の松山劇場」。時間等が合えば観るのもいいかなと思いましたが、この日の出しものは残念ながら、なしでした。

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(「松山銀天街」の北入口)

 大街道が銀天街と交差する北西角の細路地には、松山鍋焼きうどんの名店「鍋焼うどんアサヒ」と「ことり」があり、この時間はもう店仕舞いしているので、その場所だけを見に行きます。
 松山の鍋焼きうどんは、讃岐うどんとは対極ともいえるコシのない柔らかいうどんが、レトロなアルミ鍋に入って提供されるもの。松山では冬の食べ物としてではなく年中食べられていて、居酒屋でも〆メニューとして扱われているようです。戦後まもなく開業した「アサヒ」と「ことり」が発祥の店。ちょっと甘めの出汁に、柔らかいうどん、かまぼこ、玉子焼き、甘辛く煮た牛肉、青ネギなどが入り、どこか懐かしくほっこりする味が印象的だとのことです。

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(「ことり」の店構え)


 1730。今夜の食事はさっそく鯛めしです。
 愛媛に旅行に来たら鯛料理は外せません。鯛めしはもちろんのこと、鯛バーガー、鯛そうめんなどさまざまな食べ方で楽しまれているようです。鯛めしも、地域によって受け継がれている調理法があるようで、宇和島鯛めしは生の鯛を、卵、調味料・酒・みりん・出汁・醤油を合わせた温かいタレに浸して食べるもの、松山(北条)鯛めしは鯛を丸ごと1匹焼いたものを炊き上がる前の醤油、酒、塩で調味した米の上に載せて食べるものであるとのことです。

 事前に予約した「郷土料理五志喜」へ。大街道のアーケードの2本西、三番町通りにある、創業380年以上の鯛めし高評価の老舗で、ここでは宇和島と松山の両方が食べられるとのこと。鯛めし以外にもじゃこカツやちりめんサラダ、みかん寿司や鯛そうめんなど、愛媛の郷土料理を味わうことができます。

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(「郷土料理五志喜」へ)

 ごはんものはあとまわしにして、まずはハイボールとともに、鶏の唐揚げのせんざんき660円と、じゃこ天ならぬこの店の名物だというじゃこカツ300円を。
 「せんざんき」は、鶏肉を骨つきのまま揚げることだと聞いたような気がしますが、ここのはふつうの唐揚げだったようです。
 じゃこ天ではなくじゃこカツを選んだのは正解で、これ、うまいのなんの。じゃこ=雑魚(小魚)なので味は知れていると考えたのは間違いだったようです。

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(「郷土料理五志喜」のせんざんき)

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(同 じゃこカツ)

 さて、メインへ。
 揚げ物で腹が膨れた当方は、宇和島鯛めしを食したことがあるので、松山(北条)鯛めしの単品1,250円にし、生魚の大好きなつれあいはセットの宇和島鯛めし御膳2,300円にして、御膳のセットの部分を二人でシェアすることにします。
 不動の人気だというつれあいの注文品は、宇和島鯛めしにミニそうめん、じゃこ天、ふくめん、ちりめんサラダが付いたもの。ふくめんとは、こんにゃくを紅白のそぼろ、みじん切りに刻んだねぎやみかんの皮などで覆う宇和島の郷土料理であるとのことです。当方が宇和島で食べたときは、タレは急須状の容器からたっぷり注いだように記憶していますが、この店では玉子の入った濃いめのタレを少々といったものになっていました。
 松山(北条)のほうは、つれが言うには鯛の切身の厚さ、大きさは宇和島タイプよりも上だったとのこと。2つ並べてみると、宇和島タイプのほうがよさそうに見えましたが、これは好みの問題でしょう。

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(「郷土料理五志喜」の宇和島鯛めし御膳)

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(同 松山(北条)鯛めし御膳)

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(参考:宇和島鯛めしはこのように、タレを急須状容器からたっぷり注いだと記憶しているのだが……)

 足りなかったら2軒目に行けばいいと話していましたが、これでも多いぐらいでそれは無理。途中のコンビニで追加のアルコールと乾きものを調達して、1900前には部屋に戻ります。
 再度飲む前に、ホテルの大浴場へ。大浴場があることは、都市型ホテルを選ぶ際の大きなアドバンテージとなります。最上階の13階にあって、眺めよし。大きさはほどほどですが、半露天風呂やサウナもあって、寛げます。

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(「カンデオホテルズ松山大街道」の大浴場)

 100円ショップで買ってきた大きな使い捨てコップに、部屋そばの自販機コーナーからゲットした氷をゴロゴロと入れて、ストロング缶チューハイをごくごくと飲めば、とってもシアワセな気分に。
 21時台のニュースを見ているうちに眠くなり、22時ごろには早々と消灯、就寝となりました。

 旅の2日目、ホテルで目覚めた2024年2月20日(火)。
 0645起床。耳栓が効いて、つれがテレビを点けても音が聞こえず、この時間まで眠っていられました。

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(0700、12階の客室から北の方角を眺める)

 この日、午前のうちはどんよりとした曇りがなんとか雨にならずに持ちそうで、午後遅くからは雨になるとの予報です。明日も雨のようなので、外を歩いて回るにはこの日の午前の使い方が重要となります。
 事前の予定どおり、つれはJRで大洲方面へと向かうようです。すでに大洲方面をひととおり制覇している当方としては、未訪の地を目指したいので、伊予鉄道の郊外電車を使って三津浜・高浜方面を攻めることにしようと思います。

 宿泊しているホテルは朝食なしのプランを選んでいるので、近隣にたくさんある地元系喫茶店のモーニングサービスをねらいます。しかし、天候の関係上少しでも早く発ちたい今朝は、0830頃から開き始める地元系を待ってはいられません。幸いにしてホテルの隣に「マクドナルド松山大街道店」があり、ここなら0600からやっているので、こちらで朝食です。
 マックの朝の定番の、ソーセージマフィンのバリューセット380円。コーヒーがMサイズでたっぷり飲めるのがよく、しかも激安。いいんじゃないの、これで。

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(マクドナルドで、定番バリューセットの朝食)

 いったんホテルに戻り準備を整えて、0800過ぎ、大街道から伊予鉄市内電車で松山市駅へと向かいます。大街道の電停付近はどんよりと曇っています。

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(大街道電停からR11の西方を望む)

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(同 北西、「松山ロープウェー商店街」南入口を望む)

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(大街道電停にやってきた伊予鉄道市内電車)

 朝の今のうちに松山市駅周辺を眺めておきます。

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(松山市駅周辺図)

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(終点の松山市駅電停に着いた電車)

 「松山銀天街」の、松山市駅側入口。
 松山市駅前でひときわ目立つギャラクシービジョンがあり、ここから松山市中心部を横切る全長600mのL字型の、大街道へとつながるアーケードが始まります。
 1970年代頃までは生地店が多かったようですが、現在は衣料品店、身の回り品店、雑貨店、化粧品店が比較的多く、時計・貴金属店、呉服店、飲食店などもある様子。実際に歩くのは今夕にとっておきますが、0830頃のこの時間帯の市駅側入口付近はさほど人が出ていません。

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(「松山銀天街」の松山市駅側入口)

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(銀天街、朝の状況はまだ静か)

 「小林信近翁碑・銅像」。
 小林信近は、1887年に日本初の軽便鉄道「伊予鉄道」を設立し、地域経済の発展のため多くの事業を興した松山の政財界を代表する人物で、県会議長、松山市会議長を歴任。その功績を伝える銅像・顕彰碑です。

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(小林信近翁碑・銅像)


 伊予鉄道「松山市駅」で切符を買い高浜線のホームに出ると、むこうから鮮やかなオレンジ色の電車が入線してきました。伊予鉄道の3000系。1983年頃に製造された車両で、2009年頃までは京王井の頭線を走っていたもののようです。どうりで、見覚えがあるわけです。
 0845発の高浜線に乗り、三津浜へと向かいます。

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(伊予鉄道「松山市駅」北側入口)

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(同 切符売場)

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(高浜線・横河原線を走る3000系。もとは京王井の頭線を走っていた)

 「高浜線」は、伊予鉄道が運営する3つの郊外電車線のうちのひとつで、松山市駅で接続する横河原線と直通運転を行っています。四国初の鉄道として1888年に開業。松山の古くからの外港だった三津(ただし三津浜港まではやや距離がある)と、伊予鉄道が整備したその先の高浜港へのアクセス鉄道として、機能しています。
 普通列車のみの運行で、早朝と夜間を除きほぼ全列車が横河原線と直通運転により、15分間隔で運転されています。
 終点の「高浜駅」は高浜港の目の前ですが、船舶の大型化等に伴って高浜港の北に松山観光港が整備され、島嶼部への航路を除き、阪神・九州・広島方面への船舶の発着が「松山観光港」へと移転し、今ではこちらが松山の海の玄関口となっています。
 松山観光港へは、鉄道終点の高浜駅からバスで連絡しています。松山観光港までの鉄道延伸構想が、工費費などの問題のために進んでいないためです。2000年に新築された「松山観光港旅客ターミナル」の2階は、将来の鉄道乗り入れを視野に入れた設計になっているのですが、未実現となっています。

 まずは、松山市駅から6つ目の「三津駅」で下りて、古くは漁業や経済の中心地として栄えたという三津浜の町歩きをします。いつしかシャッターが目立つようになっていた商店街が、近年古き良き時代の面影を残す町として息を吹き返し、今ではこの町が、多くの人々から再注目されているとのことです。

 約15分の乗車で、0900三津駅着。
 「三津駅舎」はレトロモダン。昭和初期に建築された四国最古の駅舎を2009年に建て替えたものです。
 歴史を振り返ると三津駅は、松山の海の玄関・三津浜港との連絡駅の役割を果たしていました。夏目漱石は1895年、愛媛県尋常中学校に赴任する際、船に乗り三津浜港に降り立ち、この三津停車場から「マッチ箱のような列車」に乗って、松山市街に向ったそうです。
 三津駅内には「三津交流館(風月堂)」があり、ここで町歩きマップをゲットする予定でしたが、この時間では店はまだ閉まっており、手元に用意していた地図だけで歩くことになりました。

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(伊予鉄道「三津駅舎」)

 駅舎をくぐると、その正面で「三津浜商店街」が迎えてくれます。駅を出てすぐの橋を渡ると商店街の入口です。おお、晴れや晴れや。当面、傘の心配はいらなそうです。さっそく歩き始めます。
 ある程度想定はしていましたが、今となっては商店街というよりも駅前住宅地といってもよさそうな気配です。しかし、古めかしい間口の商店がある中に、若い人たちが新しいことにチャレンジしているような店も目につき、懸命に生まれ変わろうとしている様子が窺えます。

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(「三津浜商店街」の三津駅側口)

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(古めかしいところもあるけれども……)

 商店街の1本南の通りにあった「旧濱田医院」。
 1923年に建てられた産婦人科医院で、この十数年空き家となっていたものを、医院の擬洋風建築物を活かし、2016年にまちの観光複合施設としてオープンしたそうです。立派、立派。北ではなく南向きであればもっとよかったのに。
 北側の病院部分は洋館、その奥の南側は家族の住まいとして使われていた和室で、中には雑貨・食品・アトリエなど様々なテナントが入っているようです。

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(旧濱田医院)

 まだ0930ほどなのに、土地柄なのか、もうどこからかお好み焼きの匂いがしてきます。
 そうなのです、三津浜といったら、三津浜焼きなのです。
 三津浜焼きは三津浜のソウルフード。生地を鉄板で焼き、その上に味付けをした麺、キャベツ、ちくわ、肉や牛脂などの具材をのせて焼く粉もの料理。これを食べずんば三津にやってきた甲斐がないというものです。
 さらに路地のあちこちをぷらぷらと歩いていると、おっ、お好み焼き店発見。しかもこの時間、すでに店を開けているではありませんか。
 「お好み焼みよし三津店」。うーむ……入ってしまおうか。いや待て、あわてるでない。店は逃げない。もう少々見るべきものを見てから、ここに戻って来ようではないか。

 見つけた店から再び商店街の通りへと北上し、さらに北へと進んで港のほうまで行ってみることにします。
 商店街通りとの四辻にあった「辻井戸」。
 藩政時代、松山藩主がこの地に御船手を配備した際、彼らの専用水として掘られた井戸で、明治以降は住民の大切な水源となり、昭和初期の上水道整備まで使われていたそうです。三津浜は良質の地下水に恵まれていたのでしょう。現在は、ベンチなどが置かれた憩いの空間になっています。

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(辻井戸)


 「辻井戸」のある場所から北西方向に進んでいくと、「土壁の残る路地」「旧銀行通り」「旧問屋街」「旧医者町通り」などと名付けられた旧名家の並ぶ町並みが残っていて、明治、大正期の企業や銀行、医院などの擬洋風建築や、木の格子戸の古民家など、往時の面影を色濃く残す三津浜特有の風景を見ることができます。
 江戸時代から海上貿易や漁業で栄え、松山の「海の玄関口」として地域経済の中心を担っていた三津浜ですが、戦火を逃れたことが逆に時代に合った再開発が進まない要因となり、古い建物が多く残ったという一面もあるようです。

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(古く、保存状態もほどほどといった蔵があった)

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(土壁の残る路地)

 また、三津浜ではそこここに住宅などの壁に描かれた壁画を見ることができます。風情ある景観とアートがコラボレーションしているのが魅力的です。
 いくつか撮ってきた中で、いいなぁと思ったものを2枚。
 旧問屋街に面した店舗の壁に描かれた躍動感のあるアートは「三津の渡し」。高知県出身の女性画家による作品。
 旧銀行通りのリノベーションした古民家に描かれた、三津浜の夏の風物詩である花火大会の様子。松山を拠点に活動す男性アーティストによる作品。

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(三津浜の壁画アート1「三津の渡し」)

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(三津浜の壁画アート2「三津の花火」)

 「旧銀行通り」と「旧問屋街」を結ぶ細路地にあった「旧鈴木邸」。
 三津桂町で米穀商を営んでいた鈴木勢美吉(すずきせみきち)が、現在の場所に移動した際に明治から大正にかけて建設したとされる、築110年の古民家であるとのこと。宿泊ができ、貸室、カフェなどがあるようです。
 その向かいの家は、たぶんふつうの民家なのだと思いますが、その玄関先にあったレモンの木が見事。たわわに実ったレモンがいくつもぶら下がっていて、さすが四国、こういうものが庭先で生るのだなぁと、北国からやってきた通りすがりの者は感じ入るのでした。

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(これも北向きの「旧鈴木邸」)

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(レモンが生っている!)

 旧鈴木邸から西へと進んで、「石崎汽船旧本社」。浜が近づくにつれて海の匂いがしてきました。
 1924年築の鉄筋コンクリート2階建ての建物。正面が左右対称形、バルコニーやレリーフなど洋風の意匠が施され、当時としてはハイカラな建物だったことでしょう。国登録有形文化財です。

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(石崎汽船旧本社)

 石崎汽船旧本社の西側は、三津の旧「きせんのりば」、現在の「三津港」エリアです。
 ちょうど0940発の柳井港行きのフェリーが出ていくところだったので、その船をパチリ。この航路は防予フェリーと周防大島松山フェリーが運航しており、この便は周防大島松山フェリーの運航だったようです。

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(「三津港」のフェリーふ頭。内海らしく波はなし)

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(0940に、柳井港行きフェリーが出ていく)

 フネが出たばかりの「三津浜港のフェリーターミナル」は、次の発船が2時間後なので静かなものです。これもちょうどやってきた折り返し運転の路線バスは、空気だけを運んで戻って行きました。

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(三津浜港のフェリーターミナル)

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(「三津浜港のフェリーターミナル」の内部)


 さてさて、これにて三津浜で見るべきものは概ね見終えたので、先にチェックしていた三津浜焼きの店「お好み焼みよし三津店」に戻ることにします。まだ1000を過ぎたばかりですが、我慢はよくないですからね。
 狭い店だろうから、先客がなければいいなと思いつつ入店すると、店のおばさん一人だけで客はいず。翠富士から肩透かしをくったような気になったものの、いいんじゃないのとテーブル席に着きます。
 遠慮しないで焼き台のそばにドウゾとおばさんが誘ってくれますが、遠慮しているのではなく、歩きっぱなしで汗が止まらず、鉄板のそばでは困るのでこちらに座ったわけです。でもって、ビールなんぞを注文するものだから、これを飲めばさらに汗が……。(笑)

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(ステキな外観の「お好み焼みよし三津店」)

 店のメニューは、うどんかそばか、シングルかダブルかの選択肢しかない超シンプルな設定。そばのシングル700円に、ビール中550円を添えて。
 運ばれてきたものを見て、そのボリュームにびっくり。ダブルなんて頼んだ日にはもう……。魚の削り粉とちくわを用いるお好み焼きで、ソースの匂いが食欲をそそります。二つ折りの半月型で提供されるのもお約束。
 広島焼きに似ていますが焼き方に違いがあります。広島では生地の上にキャベツや具材等を先に乗せて素焼きにしたものをあとで麺の上に重ねるのが一般的ですが、三津浜では生地を鉄板で焼き、その上に味付けした麺(中華そば・うどん)を先に乗せます。
 そばやうどんを入れたものを「台付(だいつき)」と呼ぶのだそう。たっぷりの牛脂が入っていますが、これが旨みの素のようで、具材と溶け合ってジューシーでやみつきになりそうです。
 胡麻、青海苔、七味、マヨネーズ、ソースでカスタマイズしながら、味は濃いめなのでソースは使わずに食べます。

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(こんな雰囲気、好きだなぁ♪)

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(肉玉台付そば(シングル))

 ああおいしかった。おばさん、ゴチソウサマ。ビールを飲んだため、食後も汗が止まりません。この段階からホテルに戻るまでは上着は一度も着られず、最後まで手荷物になってしまいました。

 再び三津の町を北へと戻り、渡し船に乗って入江を挟んだ対岸の港山地区へと渡り、伊予鉄道高浜線でさらに北を目指します。
 「三津の渡し」へと向かう途中、「三津で一番古い通り」と案内が出ている通りを歩きます。「旧銀行通り」から北に伸びる通りで、今となってはその名残を見つけようとしても、私のような素人にはよくわかりません。

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(「三津で一番古い通り」を南側から望む)

 その通りの北の突き当り、やや右手に「三津の渡し」があります。
 南側の三津地区と北側の港山地区を結ぶ渡し船で、500年の歴史があるそうです。乗務員2名に、乗客は当方一人。人柄のよさそうな年配の乗務員さんが話してくれたところによれば、この渡しは市道高浜2号線の一部で、彼らも役所側の者だとのこと。年齢から察して、嘱託さんか何かだと思われます。ご苦労様です。
 年中無休・無料で年間約4万人が利用しているそうです。話をしているうちに、たちまち80m先の対岸へ渡り切ってしまいました。

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(「三津の渡し」(三津側))

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(渡し船)

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(港山側からすぐに三津側へと戻る渡し船)

 乗務員さんから、港山では「港山城跡」を見るといい、こんな幅の入口から上ればすぐだからと教わったので、行ってみることにします。
 ははあ、入口というのはここか。港からはたしかにすぐじゃん。しかし、ここから先の山道は思いのほか長く、中腹らしい広場のようなところまで行っても、その先は鬱蒼とした竹林になっていてまだだいぶありそうです。こりゃダメだなと、そこから引き返すことにしました。
 帰宅してから調べてみると、2016年に登山道が整備されて、なんと半世紀ぶりに上まで行けるようになったとのこと。三津浜地区や沖合の興居島(ごごしま)を含む島々の景色を一望できるビュースポットになっているそうです。

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(「港山城跡」への登り口)

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(中腹からでもそれなりに三津浜地区を望むことができる)

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(途中から先は、このような竹林が)