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 2022年7月10日(日)から15日(金)まで、5泊6日で石川県金沢に滞在してきました。
 金沢には2018年に業務上の出張で訪れましたが、兼六園を見る程度でほかは業務に専念したので、ほとんど行った甲斐がありませんでした。
 また、2019年5月に北陸・山陰方面へと赴いた車旅では、車で移動しながら道の駅などで寝泊まりするものだったため、都市部の金沢市内はほぼ完全にスルーしました。その際に、金沢には別の機会に改めて訪れて、市内をじっくり見ようと決めていたのでした。あれから3年の月日が経ち、今回そのチャンスがようやく巡ってきたというわけです。

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(金沢駅「鼓門 2022.7.10)

 実際の行程は、概ね次のとおりとなりました。

7/10 移動 金沢駅周辺、近江町市場
7/11 近江町市場、尾張町界隈、主計町茶屋街、ひがし茶屋街
7/12 広坂・出羽町界隈
7/13 金沢城公園、香林坊・片町界隈
7/14 にし茶屋街、長町武家屋敷跡界隈、北陸鉄道浅野川線で内灘へ
7/15 移動

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(「石川四高記念文化交流館」 2022.7.13)

 今年は史上最速のペースで梅雨明け宣言がなされた年になりましたが、もどり梅雨がやってきて13日以降は雨がちの天気となったのに加えて、はじめから連日蒸し暑い日々が続き、精力的に外歩きをするにはあまり条件のよくない毎日になりました。その分市内バスを使って機動性を確保し、早上がりした夕方からは毎晩長めの休息・飲酒タイムをとって(笑)、体力回復に努めることとなりました。

 予定していたポイントはほぼ回れたし、地元の名物グルメも楽しめて、充実した滞在となりました。
 ステイの詳細については、別途旅日記として書いていきますので、そちらのほうをお読みください。

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(「近江町海鮮丼家ひら井」の近江町海鮮丼 2022.7.11)


 2022年7月10日(日)。
 いつもよりも早い5時起床。今日は5泊6日の金沢ステイへと出かける日だ。
 今日から15日までの6日間、石川県金沢を訪れ、同市内の様子をじっくり見てくるつもりだ。

 金沢市は、人口46万人ほど。江戸時代には、江戸幕府(約800万石と言われる)を除き、大名中最大の102万5千石の石高を領した加賀藩(「加賀百万石」)の城下町として栄え、人口規模では江戸・大坂・京の三都に次ぎ、名古屋と並ぶ大都市だったという。
 第二次大戦中に米軍の空襲を受けなかったことから、市街地に歴史的風情が今なお残っている。また、長年の都市文化に裏打ちされた数々の伝統工芸、日本三名園の一つとして知られる兼六園、加賀藩の藩祖・前田利家の金沢入城に因んだ百万石まつり、さらには庶民文化(加賀宝生や郷土料理の治部煮等)などによって、観光都市として知られている。
 2009年にはユネスコの創造都市に認定されている。(国内では神戸市、名古屋市に続く3番目、クラフト&フォークアート部門ではアジア初)

 起きてすぐから、昨夜から実行して途中になっていたモバイルパソコンのウィンドウズ・アップデートを継続し、ほどなく完了。これでようやっと、パソコンをフレッシュな状態で旅に持参することができる。
 朝のルーチン作業や、マイブログの記事公開などを済ませて、荷物の最終チェック。

 晴れていい天気の朝7時20分に家を出て、最寄りのバス停からバスで山形駅へ。8時02分の山形新幹線で大宮へと向かう。車内は6割ほどの客数だろうか。
 司馬遼太郎の「街道をゆく40 台湾紀行」を読み始めるが、米沢を過ぎたあたりで早くも眠くなる。東北地方は空気が澄んでかっきりと晴れている。この季節は田んぼの稲が成長して、緑が一面に広がっている風景がいい。この天候が、旅の最後まで続いてくれることを願う。

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(朝8時前の山形駅新幹線ホーム)

 10時20分過ぎの定刻に大宮に着き、20数分後に北陸新幹線の「かがやき509号」に乗り換える。めったに下りることがない大宮駅だが、新幹線改札内の様子には見覚えがある。見ながら、北陸新幹線に乗るのは4年前に業務上の視察で石川県に行った時以来これが2回目であることを思い出した。むろん、フリーな立場になって一人で乗るのは初めてとなる。
 大宮駅で食べたことのない弁当を買って車中で食べるのもいいが、金沢には13時前に着いてしまうので、金沢入りしてから駅ビル内の食事処でランチタイムの海鮮丼を食べるほうがいいだろうと思い、買うのを我慢する。

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(大宮駅17、18番線ホーム)

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(「かがやき509号」が入線、停車した)

 「かがやき」は、高崎すら停まらず、長野と富山だけに停まって、2時間余りで金沢に着いた。高崎以降は山岳ルートとなり、長いトンネルを走っている時間が長い。トンネルを抜けたわずかの間に大きくない駅を通過するという感じだろうか。長野を過ぎた段階で、車内は空席がぐんと多くなった。

 12時51分定刻、金沢着。まずは、金沢港口(西口)すぐのところにある、今日から5泊する「アパホテル〈金沢駅前〉」に行き、荷物を預かってもらって、再び駅へ。
 まずは、最初に目に入った金沢駅西広場にある「金沢市制百周年記念事業モニュメント」をチェックする。「悠颺(ゆうよう)」と命名されたもので、活力、魅力、潤いのある「新しい金沢」をイメージし、日本芸術院会員の鋳金家・蓮田修吾郎が1991年に制作したものであるとのことだった。

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(滞在する「アパホテル〈金沢駅前〉」は駅前すぐ)

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(金沢市制百周年記念事業モニュメント)

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(JR金沢駅金沢港口(西口))

 駅ビル内の金沢百番街には、土産店がずらりと並ぶ「あんと」と「Rinto」があり、「あんと」内の「味わい小路」には金沢らしい食事処がいくつか入っている。そしてその1軒の「魚菜屋」では「得盛海鮮丼ランチ」を1,350円で出していることを調べてきている。で、その店に行ってみると、ランチの設定がないように見受けられる。あれれ……あ!そうだ、今日は日曜日なのだった。だから、ないのかもしれない。ガックシだな。
 では、この店は明日以降ということにして、金沢名物のカレーにしよう。「味わい小路」内には「ゴーゴーカレー」があるが、これは何度か食べているので、別の店がいい。


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(金沢百番街「あんと」へ)

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(「あんと」内はこんな感じだった)

 金沢駅の兼六園口(東口)にまわり、「鼓門(つづみもん)」と「もてなしドーム」も見ておかないと。
 金沢は雨や雪が多いため、「駅を降りた人に傘を差し出すおもてなしの心」をコンセプトに誕生したのがここ。幾何学模様のガラスの天井が迎えてくれる。
 フォトスポットとしての人気は、金沢の伝統芸能・能楽で使われる鼓をイメージしているという「鼓門」だ。高さ13.7m、2本の太い柱に支えられた門構えは堂々としたもの。金沢駅は世界で最も美しい駅14駅の1つに選出されているのだという。
 日没から深夜まで、毎時00分に2分間、加賀五彩(えんじ、藍、草、黄土、古代紫)をイメージした光で鼓門がライトアップされているそうなので、それも見に来てみようか。

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(鼓門)

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(もてなしドーム)

 金沢発祥のカレーのチェーン店は、「ゴーゴーカレー」のほかに「カレーのチャンピオン」「ゴールドカレー」「ターバンカレー」などがあり、このうち「ゴールドカレー」の店が「近江町市場(おうみちょういちば)」の「めいてつエムザ」内にあるようなので、そこに行くことにしよう。

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(ちなみにこれが、「ゴーゴーカレー」のロースカツカレーなのね)

 その前に、東口側にある「金沢フォーラス」6階のフードコート「KUUGO」もチェックしておく。どちらかというと地元客向けの店舗ラインナップになっていて、観光客の当方としては新鮮そうで価格も手頃そうな回転寿司屋に惹かれた。
 金沢フォーラスへと向かう途中には、「やかん体、転倒する。」と名付けられた奇妙なオブジェがあった。やかんがひっくり返って半分地面に埋まっている。後に調べてみると、「金沢・まちなか彫刻作品・国際コンペティション2006」で最優秀賞を獲得した彫刻作品であるとのこと。金沢は古都としてのイメージが強いが、現代アートの町としての認知度も高めるべくがんばっているらしい。

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(「やかん体、転倒する。」)

 金沢駅西通りを歩いて近江町市場へと向かう。古い街並みの中に無理やり太い線を引いて再開発したような通りで、両脇にのびる細い路地とそこに張り付く建物は昭和中期から時間が止まっているような雰囲気がある。
 一方の大通りは、歩道と車道の間にコンクリート造りの堰が設けられ、幅のある歩道の上には空が透けて見えるアーケード様の屋根が付いている。歩きやすいが、駅前通りなのに繁華といえるほどの場所ではなく、駅と片町・香林坊方面の中心地とをつなぐ道という感じだ。

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(堰が整備されていた「金沢駅西通り」)

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(歩道には空が見えるアーケード付いている)

 武蔵交差点の手前左側に「金沢エムザ」の建物が見えてきた。さっそく入って、地下にある「ゴールドカレー武蔵店」を目指し、腹も減っているので見つけてすぐに入店。(笑)
 「ゴールドカレー」は、石川県庁近くに本店があり、石川県下を中心に7店舗を持つ、比較的新しい金沢カレーチェーン店だ。五郎島金時(サツマイモ)を使ってとろみを加えたルーが売りなのだという。能登産鶏卵を使用したオムカレーや、誰でも食べやすいミルフィーユカツなどの特徴あるトッピングも魅力だが、ここはぜひともハントンカレーを食べなければならないだろう。

 ハントンカレーのM、1,045円。金沢発祥のハントンライスとは、ケチャップライスを半熟卵でくるんだオムライスに白身魚フライがトッピングされた料理に、タルタルソースとケチャップがあしらわれるもの。ハンガリーの「ハン」と、仏語で鮪を意する「トン」が、その名の由来なのだそうだ。
 で、こちらの「ハントンカレー」は、ハントンライスと金沢カレーという金沢B級グルメの2つが同時に楽しめる欲張りなもの。オムレツの下にはカレーが敷かれ、カリッと揚げられた牡蠣・海老・白身魚のフライがタルタル添えでトッピング。
 ああ、うまいな。スパイシーながら塩味のするカレーや、銀色の皿、先にフォークが付いたスプーンなどがしっかり“金沢カレー”していて、ハントンの雰囲気も損なわれていない。Mサイズはごはん2膳分だそうで、これ1食で空腹が一気に解消され、急激に満たされた消化器が驚いているようだ。満足しての退店となる。

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(ゴールドカレー武蔵店)

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(これが「ハントンカレー」だ)

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(金沢エムザ)

 その後は「近江町市場」を流す。
 近江町市場は、金沢駅から徒歩15分ほどのところにある、加賀百万石の台所。生鮮食品などの食品と生活雑貨を扱う小売店が主体で、狭い地域に170店舗余が建ち並び、鮮魚、青果、精肉、かまぼこ、乾物、塩干、漬物、酒、駄菓子、惣菜、花、セトモノ、洋品雑貨などが売られている。活気のある市場として観光客からも人気のようだ。
 日曜日の14時過ぎは市場機能としてははずれている時間帯だが、それでもそれなりに人は出ている。この程度の混みようであれば、今なら傍若無人なチャイニーズたちもいないし、ウンザリさせられることもない。高級魚ののどぐろはどのぐらいするのか見てみるが、1尾でもうひゃあ!と思えるような値段。こりゃ手が出ないよな。
 海鮮丼の有名店の「ひら井」や「井ノ弥」の前を通ったが、この時間なので行列はなく、店によっては仕込み時間になっているところもあった。今日はもう無理だが、食べたいなぁ、海鮮丼。

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(「近江町市場」のエムザ口)

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(「近江町市場」内1)

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(「近江町市場」内2)

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(「近江町市場」内3)

 まだ新しさが感じられる「近江町いちば館」は、市街地再開発事業により2009年に開業した建物だ。青果・鮮魚などの市場が1階に並び、2階は和食・丼・中華などの飲食店街、地階はベーカリーや軽飲食、薬店・日用雑貨、能登の農産品や海産物加工品など、食を中心とした店が揃っていた。
 ここにも海鮮丼の有名店「ひら井」が入っていたので、ここで食べるのがいいかもしれない。なお、3・4階には金沢市近江町交流プラザ、5階には金沢近江町消費生活センター、介護労働安定センターが入っていた。

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(近江町いちば館)

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(「近江町いちば館」1階の青果店)

 近江町市場からまた駅前まで歩き、金沢港口に出てショッピングモールの「クロスゲート金沢」や「金沢駅西イベント広場」などを見て、駅内のコンビニなどで今夜の飲み物やアテを買い、チェックインをするべくホテルへ。

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(金沢駅兼六園口から線路向こう側のアパホテルを遠望する)

 「アパホテル〈金沢駅前〉」の自室に入ったのはちょうど16時。4階に割り当てられた部屋は、よくこれだけ狭くつくれたものだと思えるほどの極めて狭いもので、椅子とベッドの間は30cmあるかどうか。この幅では体を横にしてカニ歩きで奥に行くしかない。幅のないデスクを前にして椅子を後ろに引けばベッドが邪魔をするし、座ろうとすると足元に余裕がなく両膝があちこちにぶつかってすごく痛い。キャリーバッグを広げて置けるスペースすら確保するのが大変といったありさまだ。
 それでもこの狭ささえ我慢すれば、プライバシーは守れるし、空調にも不満はない。テレビは大きな40型が据えられて、近眼の眼鏡をはずしてベッドに横になって見ることもできる。

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(すごく狭い部屋)

 このホテルをセレクトしたのは、価格が安く抑えられるのと、駅から徒歩0分の便利さに加えて、深夜を除いてほぼいつでも入れる大浴場「アパスパ金沢駅前」があったことだ。部屋で荷を解いたり、今日から始まった大相撲名古屋場所を見たりして1時間ほど経ってから、さっそく大浴殿「玄要の湯」へ。
 Tシャツ・短パンというラフな格好で、部屋のスリッパ掛けでいつでも入れる気安さがいいではないか。利用客が数人しかいない広い風呂で体を伸ばせば、これ以外は何もいらんといった気分になれるのだった。

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(大浴殿「玄要の湯」(アパのHPから))

 今夜の飲み方は、ビール、チューハイ、ハイボールと進めていく。アテは金沢・北陸製菓の「ビーバー」だ。よく見かけるピーナッツあられを一回り大きくいたようなもので、1970年開催の大阪万博のカナダ館で展示されていたビーバー人形の歯が、この菓子を2本並べたカタチに似ていたことから名前が付いたとのこと。あられにしては大きめサイズでうまい。
 20時前から始まった参院選の開票速報を見ながら寛げば、今日のログ付けも明日でいいやと思ってしまう。締めは、セブンの冷やし中華。思いのほか普通に食べられ、これもイケた。

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(金沢・北陸製菓の「ビーバー」)

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(締めはセブンの冷やし中華)

 眠くなってきて、23時前には眠りへ。明日もゆっくりでいいよな。

 2022年7月11日(月)。
 7時まで眠り、ニュース番組で自民・与党側が圧勝した前日の参院選の結果を見るなどしながら活動を開始する。山形選挙区では国民民主党の現職が議席を守ったようだ、朝食は、メロンパンと牛乳。

 その後は、昨夜やらずに終わった昨日分のログ付けをみっちりとやる。時間が経つと内容を忘れがちになり、その分余計な時間がかかるので、そうならないように。その合い間に、週明けの株式投資の仕込みをして、9時以降はそのウォッチも行う。
 手こずって、10時半過ぎにようやくログ付けを終了。ではそろそろ2日目の金沢めぐりを始めるとしようか。今日は、昨日行った「近江町市場」から百万石通りを東に進んで、「主計町茶屋街(かずえまちちゃやがい)」と、そこから浅野川橋を渡った先にある「ひがし茶屋街」を主に巡ることにしよう。

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(平日11時前の金沢駅メイン通路)

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(金沢駅兼六園口の「時計噴水」)

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(「武蔵」交差点。左奥に進めば「橋場」交差点にたどり着く)

 11時前にようやく街めぐりを始める。
 まずは食事からということで、昨日のうちに目を付けていた「近江町いちば館」2階の「近江町海鮮丼家ひら井」へと赴く。平日の開店直後の時間なので、並ぶこともなくすんなりと着席し、「当店おすすめ! 魚介14種盛り」という近江町海鮮丼2,700円を食べる。
 観光地で食べる海鮮丼はけっこう当たりはずれがあり、高価な金を払ってがっかりすることがままあるのだが、ここは大当たりだった。わが住地のような内陸で食する刺身とは違って、タコはキコキコな食感だし、赤身はうっすらと脂を含んでぽってりしていて、どれも鮮度が高く美味。金沢らしく、マグロには金粉があしらわれていた。大満足。
 「近江町市場」は、ほとんどの店が営業していて、昨日の午後よりもずっと活気がある。のどぐろは一夜干しで1尾2千円台後半ほどと、やはり高い。

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(近江町海鮮丼家ひら井)

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(“当店おすすめ! 魚介14種盛り”の近江町海鮮丼)

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(「近江町市場」内1)

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(「近江町市場」内2)

 市場近くの「博労町」交差点から歩き始めた「百万石通り」には、古い建物が多く並んでいる。
 はじめに目に留まったのは、「尾張町町民文化館」だ。もとは1907年に建てられた銀行で、外観は黒漆喰仕上げの和風な土蔵造り。平日は休みのため玄関には鍵がかかっていて入れなかったが、内部は白漆喰仕上げの銀行らしい洋風空間になっていて、当時の面影を残す旧窓口や旧頭取室も見ることができるようだった。

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(尾張町町民文化館)

 古い建物はほかに、古い薬舗「石黒薬局」、「諸油問屋森忠商店」、中華料理店「梅梅(めいめい)」、大正モダン風の「三田商店」など。やはり戦災を受けなかったことが大きいのだろう、いつからあったのだろうと思えるような建物がいくつも普通に並んでいるところがびっくりで、すごい。

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(石黒薬局)

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(諸油問屋森忠商店)

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(中華料理店「梅梅」)

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(三田商店)

 「梅梅」の、道路を挟んで北向かいに「金沢蓄音器館」がある。館内で少し涼めるかなと思って入館してみると、一週間ほど冷房が故障していて修理中ですとのこと。あっちゃぁ。せめてもの償いであろう塩飴をもらって階上へと進むと、うひゃあ、風を感じられる外よりも暑いではないか。リュックからタオルを取り出して、吹き出す汗を拭きながら見ることになってしまった。
 市内で長年レコード店を営んできた人が収集してきた蓄音機540台(!)、SPレコード約2万枚をもとに、2001年に開館したとのこと。これだけの数の蓄音機がずらり並ぶさまはなかなか壮観だ。話を聞くと、やはりここも戦災の影響を受けなかったことが大きく、加えて蔵に入れて保管していたものが手つかずで放置されていたことが幸いしたということだった。
 14時から蓄音機を実際に鳴らすからそれを聴きに再度ドウゾと言われたが、興味深くはあるけれども、この暑さではちょっと……。

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(「金沢蓄音器館」内部1)

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(「金沢蓄音器館」内部2)

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(「金沢蓄音器館」内部3)

 そのすぐ東には「泉鏡花記念館(泉鏡花生家跡)」がある。生家(明治時代の火災により焼失)跡に建つ記念館で、ミニシアターで泉鏡花の生涯が資料映像を交えて概観できるらしいのだが、悲しいかな鏡花自体をまったくと言っていいほど知らないので具体のイメージができず、外観を撮影するにとどめる。
 あまりに無知なのが恥ずかしいので少し調べてみると泉鏡花(1873~1939)は、尾崎紅葉門下で戯曲や俳句も手がけた小説家。「高野聖」で人気作家となり、江戸文芸の影響を受けた怪奇趣味と特有のロマンティシズムで、幻想文学の先駆者として評価されているとのこと。

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(「泉鏡花記念館(泉鏡花生家跡)」の入口)

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(「泉鏡花記念館」は、「金沢蓄音器館」のすぐ東隣だった)

 その東、「橋場」の三叉路には、「石川県里程元標」があり、「金沢文芸館」も建っている。文芸館は旧石川銀行の支店を再利用し、金沢の文芸活動の拠点、発信基地となるべく2005年に開設されている。ここは外観だけで十分だろう。

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(石川県里程元標)

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(金沢文芸館)

 でもって、城北大通りを北進して「主計町茶屋街」へ。
 加賀藩士・戸田主計(とだかずえ)の屋敷があったことに由来する、金沢最大の茶屋街とのことで、浅野川沿いに昔ながらの風情ある料理屋や茶屋が立ち並んでいる。
 かつて旦那衆が人目を避けて茶屋街に通ったとされる、昼間でも薄暗い石段が続く「暗がり坂」や、2008年に地元住民から依頼を受けて作家・五木寛之が命名した「あかり坂」は、趣のある風景に出会える場所として多くの観光客が訪れるのだそうだ。この日も修学旅行生が何人かの団体行動で路地なかを巡っていた。川沿いから1本内側に入った通りの小路は自動車が通れない極細の路地で、ここで火災が起きたならひとたまりもないだろうと思わせた。
 夕暮れ時になれば、芸妓が奏でる三味線と太鼓の音が聞こえてきて情緒溢れる雰囲気に包まれ、夜の街灯の明かりと、格子戸から漏れる光に浮かぶ街並みはとても魅惑的なのだという。ここはやはり、夜に茶屋目当てで来なければ本当でないのだろうな。

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(「主計町茶屋街」。アプローチは浅野川沿いの道から)

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(その1本南を走る路地は、このように極細)

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(町事務所の奥へと進んでいくと……)

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(「暗がり坂」が見えてきた)

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(こちらは「あかり坂」)

 主計町茶屋街から眺めた「浅野川大橋」。浅野川に架かる3径間アーチ橋で、国登録有形文化財。藩政時代初期には、「お江戸日本橋に劣らぬにぎわい」といわれるほどに栄えたところなのだという。

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(浅野川大橋)

 浅野川大橋の北橋詰から「秋聲(しゅうせい)のみち」を東へと進み、「徳田秋聲記念館」に立ち寄る。徳田秋声(1872~1943)は、金沢の三文豪の一人とされ、「女性を描かせたら神様」と評された自然主義作家なのだという。まだ1作も読んだことがなく、知らなかったけど。
 秋声に関する多くの遺品、直筆原稿、初版本を展示しているほか、忠実に再現された書斎や代表作を和紙人形で紹介するシアターがあるらしいのだが、この作家にもなじみは薄く、入館まではせず。
 秋声についても調べてみると、彼は没落士族の末子で、小学生時代(現・金沢市立馬場小学校)では、泉鏡花が一学年下にいたのだそうだ。上京して尾崎紅葉の門を叩くが、玄関番の泉鏡花に不在を告げられて辞去し、しばらく各地・各職を転々としながら半放浪的生活を送る。その後紅葉門下に入り、「新世帯」「足迹」「黴」「爛」「あらくれ」などを発表し、自然主義的技法の完成者となったとのこと。せっかくここまで来たのだから、いずれ何作かは読んでみなければならないのだろうな。

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(「秋聲のみち」をぽくぽくと歩く)

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(徳田秋聲記念館)

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(「ひがし茶屋街」へと向かう路地)

 次は、本日一番のお目当てである「ひがし茶屋街(ちゃやがい)」へ。
 メインストリートに入る前に、「ひがし茶屋休憩館(旧涌波家住宅)」に寄ってみる。江戸時代に建てられた町家を復元し、当時の人々の暮らしが感じられる施設となっている。

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(ひがし茶屋休憩館(旧涌波家住宅))

 そして、ひがし茶屋街のメインストリート。落ち着いて閑散としていた主計町からこちらにやってくると、沢山の観光客で賑わっていて別世界のように思える。地元料理の飲食店や茶屋、陶器、海産物、地酒、漬物などの店が並んでいて、昔の面影を残した綺麗な町並みだが、あまりにつくられ過ぎているというか、なんだか出来過ぎているようで、鼻白むところもないではない。
 「国指定重要文化財 志摩」は、1820年に建てられたお茶屋で、2階の客間は遊芸を主体としたお茶屋特有の繊細・優美な造りになっているらしいのだが、入場料500円は不相応。
 「懐華樓(かいかろう)」は、金沢で一番大きなお茶屋建築で、金沢市指定保存建造物。金箔の水引で織られた畳の茶室、輪島塗の朱階段、加賀友禅の花嫁暖簾、夜は今も一見さんお断りで「一客一亭」の座敷があげられている部屋などがあるという。750円出せば全てを見学することができるが、もちろん省略。

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(「ひがし茶屋街」を西側から攻める)

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(国指定重要文化財「志摩」)

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(懐華樓)

 一方、金箔ものを販売している「箔座ひかり藏」では、奥に金色の蔵があり、これはタダで見られる。15年ほど前に2万枚の金箔を用いて建てられたものだ。

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(「箔座ひかり藏」の“金色の蔵”)

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(茶屋街の中ほどで、もう1枚)

 ひがし茶屋街の通りをひととおり見終えて、その東側の山沿いにある「宇多須(うたす)神社」。加賀藩前田家の初代利家の没後、ここに卯辰八幡宮を建立して利家の神霊を祀って藩社としたもの。境内には忍者が潜んでいる。
 大通りに戻る途中に「お茶屋美術館」があったが、スルー。1820年に建てられたお茶屋のつくりをそのまま残している建物で、優美な髪飾りや加賀蒔絵、加賀象嵌などの道具類を展示している。500円。

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(宇多須神社)

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(お堂の下に忍者が潜む)

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(「お茶屋美術館」。浴衣姿の観光客も)