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   文春文庫  448円+税
   1997年6月10日 第1刷
   2007年5月15日 第10刷発行

 「自分の過去が、書きのこすに値いするほどのものかといえば、とてもそんなふうには思えない」という含蓄の作家が初めて綴った、貴重かつ魅力的な自叙伝。郷里山形、生家と家族、教師と級友、戦中と戦後、そして闘病。藤沢文学の源泉をあかす稀有なる記録ともなっている。巻末に詳細な年譜も付した、伝記の決定版。(カバー背表紙から)

 藤沢周平の研究者にとっては欠かすことのできない書であろうもので、これは本人のエッセーであり、小説ではありません。
 「半生の記」と「わが思い出の山形」の2本立てで、初出は、前者が「藤沢周平全集」月報(1992~94)、後者が「やまがた散歩」(1990~92)。これが1994年に文藝春秋社から、新たに年譜(この文庫本で50ページ近くある)を加えて単行本で発行されたものとなっています。
 なお、「やまがた散歩」とは、1972年8月から2001年1月までの間、「やまがた散歩社」が月間誌として全339冊を発行したものであるとのこと。

 管理人は、山形県内陸地方の生まれで、日本海側の庄内地方とはそれほど深い関係にはありませんが、5年ほど前に2年間、庄内地方に単身赴任していた時期があり、その際には意識的にこの地方のわりと隅々まで巡り歩いたことを思い出します。藤沢周平に関係する場所も、映画のロケ地などを中心に見てまわりましたが、高坂地区にある肝心の「藤沢周平生誕の地」は未訪になっていることに気がつきました。いずれ行ってみないと。まあ、この本を読んで、氏の生まれ故郷の当時のありさまをよく知ってから現場に立てることを、むしろ幸いなことだったと考えることにしましょう。

 また、小菅留治君(藤沢周平の本名)は旧山形師範学校に進学して山形市で3年間生活していますが、彼がはじめに入った学校の寮である「北辰寮」は、かつてわが実家のすぐ近くにあり、自分が子どもの頃の格好の遊び場になっていて、寮の中に入って寮生にちょっかいを出し、かまってもらうこともたびたびありました。
 当時の寮の南側は、コンクリート塀を隔てて、旧師範学校だったところが女子高である山形北高の敷地になっていて、藤沢が書いているように古いプールがあり、その隣の校舎からは音楽科の生徒が弾くピアノの音が流れているのでした。それらはもう取り壊されて、今はなくなっています。
 本には、氏がその後に下宿した「善龍寺」という寺がある寺町界隈や、七日町の映画館街、薬師町の県営グラウンドなどが登場し、当時の様子が語られていて、まことに興味深い内容なのでした。
(2021.3.9 読)

2021.04.01 20210331 水
 いつもよりも早く目覚めて、6時15分起床。3月も晦日。早いもので退職してから丸2年が経ってしまった。もたもたしているとたちまち年老いて死んでしまいそうだ。毎日少しずつでもいいからより内容の濃いものにしていく努力を続けなければならない。

 自分が花粉症だとは思っていないが、このところ毎朝、起きるとくしゃみが出て水洟をかむ。その後も鼻がむずむずしてひんぱんに“くっさめ”。幸い涙目にはならずに済んでいるので、諸作業に支障は出ていない。
 朝のうちにブログの記事書き、記事4本のアップロード、下書き3本の公開切替えをちゃちゃっとやってしまう。

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 母の施設に洗濯物等を届けに行くと、玄関内に母が待ち構えていて、4月6日に歯医者を予約しているから連れて行ってくれという。
 このことについては、まず施設の了承を得てから予約するのが手順だと伝えているが、まったく無反省で聴く耳を持っていない。そうすると勝手に自分で決めてかかっている。フロア担当をも交えて、玄関先でバカみたいな話をして、この緊急事態下で行くのはやめようと説得する。
 施設側が言うには、歯が痛いとは言ってもときどき痛みが出る程度で、所定の半分の量の鎮痛剤で十分抑えが効いているのだという。それじゃあこんどは定量でいってみようかと職員が提案すると、強い薬は体によくないとかなんとか、いつもとは真逆の抵抗を示して話は支離滅裂な方向へ。
 命に関わるような症状ならいざ知らず、山形のコロナ感染率が日本一高くなっているときに、たかがときたま痛む歯痛ぐらいで大騒ぎするのは勘弁してくれというのがこちらの思いだ。本当にレジャーか趣味のように病院に行きたがる。病院に行くたびに疲れ切ってしまい翌朝起きられなくなるような人は、通院こそが命取りになると心得るべきなのに。
 また今日も、自分のことしか眼中にないわがままな母のことで、たっぷりといやな思いをすることになった。

 さて、そんな馬鹿々々しいことは一刻も早く忘れて、気分を変えたい。
 本日の昼食は、久しく五目焼きそばを食べていないことに思い当たり、それなら質・量ともに間違いないあそこだねと、2年3か月ぶりに金生東の「熱烈中華○武」へ行く。
 ランチメニューの一角をなす、五目餡かけ焼きそば990円。これは立派。五目餡が大きな皿から溢れそうだ。強めに焼きが入った焼きそば麺も多い。普通の店の大盛りぐらいはあるのではないか。もちろん味もよく、具材も豊富。価格はやや高めだが、それもむべなるかな。注文を入れるような点はまったくない。
 ここで餡かけ焼きそばを食べるのはちょうど6年ぶりだが、前回の画像と比べてもボリュームがグレードアップしているように見えた。

 午後は、名古屋情報の収集を。名古屋の観光情報をほぼ固めて、次は名古屋めしへ。やはり名古屋は食が楽しみなのだ。

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(名古屋の“あんかけスパ”がおいしそうだ)

 入浴を済ませた夜も、飲みながら孤独のグルメ、プロレス、バナナマンのせっかくグルメなどを観たほかは、パソコン作業中心。不愉快な気持ちがまだ残っていて、読書など神経を一点に集中して行うものに取り組めないでいる。そんな精神状態に最も障るスマホは、スヌーズ音さえ聞きたくないので空いている隣室へ放置。

 22時で作業は切り上げて、ようやくここから本日の読書に移行する。だが睡魔は着実にやってくるもので、「街道をゆく34 大徳寺散歩、中津・宇佐のみち」を40ページ読むにとどまる。この3月に読了した本は、これを含まず11冊となった。

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   講談社文庫  820円+税
   2016年2月13日 第1刷発行

 新商品センベイの草の根宣伝のため、東京下町でのボランティア活動に精を出す坂田には、ひそかな楽しみがあった。言葉は悪く化粧気はないが、老人たちにはとても優しいサッコこと小川咲子が気になって仕方ないのだ。
 祖父仕込みの将棋と自然体な配慮で男を上げつつあった坂田に、健康枕販売のセールス指導のバイトが持ちかけられる。サッコの冷たい視線が気になりつつも、打合せのために会場に出向いてみると、そこには死体が……。さらに巻き込まれつづけ事態はひどくなりつづけ、それでも抜けられなくなっていく。(単行本版の内容紹介から)

 「走らなあかん、夜明けまで」「涙はふくな、凍るまで」に続く、大沢在昌の“不運なサラリーマンの坂田シリーズ”の3作目です。
 大阪のヤクザやロシアのマフィアが相手だったこれまでと違って、今回の立ち上がりに坂田は詐欺師に言い寄られます。過去2回のような、殴られたり銃を突き付けられたりというものではないのでしょうか。そうすると、大沢お得意のバイオレンスの筆致が楽しめなくなるということなのですが。
 しかしやはり、後半からはヤクザが登場。でも、ただのサラリーマンでしかなかった主人公の坂田はこれで修羅場を踏むのは3度目とあって、ヤクザにすごまれても相手から目をそらさずに堂々と渡り合える度胸が身についてきています。相手のヤクザも「お前、リーマンにしておくのはもったいねえな、見直したぜ」と舌を巻いていました。
(2021.3.15 読)

2021.04.02 20210401 木
 もう朝日が射している6時前に起床。
 明け方、つれあいと二人で旅に出ている夢を見た。大型フェリーに乗ってどこかの巨大空港ターミナル前の港に着く。大勢の客が車の搬入口から一斉に下りて行くのだが、その最後尾を歩いていて誰かの札入れを拾ってしまった。あれれ、これ誰の? どこかに届けないと。そう思っているうちにつれあいを見失ってしまった。これから乗り込むフライトのチケットや、その窓口等が記載されている資料は彼女が持っていて、初めての大空港でどこに行けばいいのか、途方に暮れてしまう。常々やっている一人旅ではすべて自分が持っているので、こういうトラブルは起きないのに。札入れの取り扱いも怠るわけにはいかず、どれから取り組むべきなのだろうか。すべては落とし物から始まったわけで、こんなもの拾わなければよかったぁ!――と嘆いているところで“つづく”となった。
 こんな夢を見るなんて、人生そのものにゴーアストレイ状態になっているのかもしれない。

 今日から新年度が始まるが、関係者に学童期の者はいないし、年度替わりだという意識はほとんどない。過去に所属した職場では年度替わりというとさまざまな儀式的なことに身を合わせなければならなかったが、今となってはそんな窮屈さに頓着する必要はなくなり、気楽なものだ。
 新年度を迎えるに当たって訓示を聴いたり人に垂れたりすることもあった。人前に出てしゃべることなどリタイアしてからはほぼなくなったが、そうなってみてわかるのは、たいした蓄積もない人間が人前で話すなどという大仰なことはそう易々とやってはいけないということだ。現職の幹部の皆さんも、しょうがなくなのか嬉々としてなのかは人によるだろうが、職を退いた後には、当時自分はつまらないことをなぜああも偉そうに語っていたのかと思うことになるだろう。

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(世は新年度を迎えたが……)

 いつもの朝作業のほか、沖縄・奄美の画像収集も少しだけやる。
 そうするうち、8時過ぎから今日も病院に連れていけ攻撃が始まる。施設の意向確認が先だからまずはそれをやってくれ、許可が得られたなら連れていくよう施設側からこちらへ電話を入れるようにしてくれ、という2点を伝える。何度も言っていることだ。
 しばらくするとまたかかってきて、話に行こうと歩行器で歩いていたらだんだん疲れてきて、歯医者まで行く自信がなくなったというではないか。そら見ろ、そんな状態で外出するなんて、文字通りの自殺行為だろう。
 結局、歯医者行きは自分のほうから取り下げる。昨日から大騒ぎしていたことをこうも簡単に取り下げる。職員に話すことはこの日もしていない。
 でもって、代わりに鎮痛剤を買って持ってこいという。そのことなら昨日玄関口で話し、職員がストックしているバッファリンを半錠から正規の1錠に戻して服用することで結論が出たではないか。足りなくなったら施設側で補充手続きをすることにもなった。だからそうしてくれと言うと、どうして私の希望を何一つ受け入れてくれないのかと嘆く。いったいナンナンダコレハ。

 でも、今日はさすがにこれで終わりだろう。途中、母が嫌っていない若い職員が入室したらしく、こちらの話をそのとおりだと裏打ちしてくれたため、母もこの一瞬間だけは納得をしたようだ。また明日になって同じことで騒がないでくれよと伝えて電話を切る。まあ、騒ぐだろうが。

 何度もかかってくる電話はこのように、自身が蒙昧であることを棚に上げての不満、悪口、疑心暗鬼、実現不可能な要求の繰り返しだ。
 それは電話の上だけではなく、差し入れをするたびに、洗濯物とともに読めないような字で恨みつらみを書き綴った便箋を10枚近く入れてくる。そんなことをして溜飲が下がるのだろうか。支えているまわりの人間の気持ちを考えたことがあるのだろうか。
 書くことで、訴える側はむしろ苦しみが増し、訴えられる側は親しみ、愛情、惻隠の情といったノーマルな感情が確実に崩れていくだけなのに。
 母も辛い思いをしているのはわからないでもないが、それをストレートに毎度毎度ぶつけられると、こちらの精神までじわじわと冒されていくような気になり、強い不安に苛まれる。もう勘弁してほしい。

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(okinawa-image(アンガマに出現するファーマー))

 昼は、北目の「楽風家(laughya)」を初訪問して、油そば(大)700円を。
 麺に最初から色と味が付いていて、その上にたくさんの刻みネギとメンマ、それに低温調理したのかハムのような燻製風味がするチャーシューが載っている。天地返しをして底の熱々の油をまんべんなくなじませて食べ始める。
 途中から卓上のすり胡麻、ホワイトペッパー、にんにくチップなどを加えて、微妙に味を変えて。麺量は思ったほどではなく、普通の大盛り感覚で食べられる。味がしっかりしているので最後まで口飽きせず、また、つゆものではないので大汗をかかずに、食べることができた。食後に舌がひりつくのはご愛敬か。
 ココはラーメンと中華そばが別々に存在している。隣りの人が食べていたとんこつ醤油味のラーメンの醤油香がよく、とてもおいしそうに思えた。中華そばの80円増し。無限ライス200円はいらないが、このスープに半ライス50円を投入して食べたらさぞおいしかろう。次回はこれだな。

 午後は、日経平均は上がっているが持ち株が手ひどく下げている。何だ、この下げ方は。そのため、下げている数銘柄をもうひと下げしたら買うつもりで追加の注文を出す。結果、3銘柄がそのレベルまで下げて約定した。明日が一勝負になりそうな予感。さらに下げれば今日拾えなかった部分を買い、上がれば今日買ったものを放出して小利益を得る形だろうか。膠着した状態もしくは下げ基調のようなので、小利益でいい。

 夕方に戻ってきたつれあいが、施設から、母が衣類をある人に盗られたと言ってもめているとの連絡を受けた話をする。つれあいの指示で自室の衣装ケースの中を探したところ、その衣類はそこから出てきたらしい。物がなくなると、誰かが盗っていったと考えることは以前からあったが、とうとう施設の近しい人まで疑い始めた。
 ことほど左様に母は身勝手な思い込み満載で暮らしている。そして我々夫婦は毎日、そんな母と向き合いながら暮らしている。

 夜の暮らし方はほぼいつもどおり。
 読書は、寝る前も含めて「街道をゆく34 大徳寺散歩、中津・宇佐のみち」を50ページ。

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   朝日文庫  660円+税
   2008年12月30日 新装版第1刷発行

 島原の乱(1637年)を大きなテーマにして書いています。2019年秋に長崎から島原半島を反時計回りに一周し、天草諸島も一通り回ってきているので、その記憶とともに読みました。

 はじめに、徳川家康に気に入られ抜擢されて、大和から転じて島原の領主になった松倉重政という大名の、今でいえばヤクザのような、領民に対する厳しい収奪の状況について述べています。身分不相応な島原城の建設や南蛮渡来の武器購入のため、領民は絞り殺すほどの勢いで絞られ、島原の乱の民衆蜂起が起こるのは必然だったと述べています。
 そして、50ページを過ぎてから、ようやく須田画伯とともに、諫早から島原へと向かい始めています。

 旅で見てきた島原の武家屋敷群の様子が詳細に書かれています。通りの中央に溝が切られていて、それがかつて、両側の家の生活用水になっていたことが思い出されました。
 雲仙・普賢岳が噴火した1991年に島原市長をしていた鐘ヶ江管一氏も、当時の県教育委員長として登場しています。著者らは鐘ヶ江氏の営業する旅館に泊まっています。

 天草四郎の乱で切支丹側の立て籠もりの地になった原城跡を経由して、口之津へ。口之津は、ポルトガル船が入港していた16世紀後半に華の時代を迎え、禁教後にはいったんはさびれましたが、明治初期からは三池炭鉱の石炭の輸出港として再び息を吹き返した歴史があります。
 旅で見てきた口之津の旧税関の建物についての記述もありました。司馬はこの古めかしい建物を、口之津の歴史を集めた博物館にすればどうかと提案しており、現在はその提案どおりに整備されているのでした。

 一行は、島原半島の口之津港から、天草下島の鬼池(おんのいけ)港に船で渡っています。また、天草の主邑の本渡では、「天草キリシタン館」にも足を運んで、切支丹は天草に何を遺したのかを考えていました。
 天草下島苓北(れいほく)町の富岡城跡についての記述も。1637年の晩秋、肥前唐津城主寺沢氏の飛地の治所となっていた富岡城を農民一揆が攻め、島原半島で島原城を攻めている農民決起に呼応した場所です。天草は公称4万2千石だが実力的にはその半分もなかったらしく、厳しい取り立てに疲弊しきった領民たちは立ち上がるしか道はなかったといいます。

 天草下島西海岸の高浜を経由して、大江教会と崎津教会を見たところで記述が終わります。これらの教会は、明治なってから欧米諸国の抗議で切支丹禁制が解除されて以降、フランス人宣教師の尽力によって建てられたものなのでした。
 南の端の牛深まで足を延ばしていないのが惜しいところです。
(2021.3.20 読)

2021.04.03 20210402 金
 6時に起きて、そのまま昨夜のうちに読み切れなかった「街道をゆく34 大徳寺散歩、中津・宇佐のみち」を20ページ読んで読了。

 以前から緊急事態宣言が開けた頃には名古屋ステイを敢行したいと考えていたのだが、もう4月だ。またもやコロナの第4波が始まりつつあるようなご時世ではあるが、昨秋以降5か月間もずうっと家で雌伏しているので、もう旅を我慢することができなくなっている。
 また、母のわがままし放題にはすっかり嫌気がさしていて、この環境から少しの間逃げ出さなければこちらが病気になってしまいそうだ。そして、昨日の段階で母の病院行きたい病には正常な判断の範囲では一定の歯止めがかかったと言えなくもないし、これ以上に状況が改善することなど期待できない。
 そういうことなので、4月5日から確保していた宿はキャンセルせず、計画通り名古屋に行くことにする。

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(名古屋へ行こう)

 だが、今朝も8時台から電話。近々家を空けることを伝えていたが、その間に誰が病院に連れて行ってくれるのかと心配のようで、実家の御近所の友人おばさんに電話で事情を話して引率役をお願いしたいとのこと。やはりこの人は自分のことしか念頭になく、頼まれる側のことなど露ほども考えていない。偉いもので、具合が悪いと感じたら、連絡すれば誰だってすぐに来てくれると思っている。そんな身勝手なことは頼むからやめてくれと制したが、一度言ったぐらいでは多分わかっていない。

 入居者に何かあれば、はじめに施設職員が動くのが基本であって、施設側から家族に連絡があればその指示に従う。軽微なことで本人だけが騒いでも施設が問題なしと見るのであればスルーしていいし、旅先にいたとしても国内なわけだから、緊急の場合は駆け付けられる。
 しかし、入居してもう1年以上になるが、施設側から医者に連れていくよう求められたことなどこれまで一度としてない。我慢することを知らずにレクリエーションのように思って通院したがっているのは当人一人だけであって、周囲はまた騒いでいるよと冷めた眼で見ている様子が手に取るようにわかる。

 今日はもう出ないからねと言っているのに、その後何度もかけてくる。毎日そうされる相手の心境のことも考えてくれよ。もうこちらのほうまでこわれそうだ。
 外は天気がよく、山形では今日、観測史上最も早く桜が開花したというのに、気分は憂鬱なままだ。

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 10時過ぎには買い物へ。レギュラータイプの靴下がみんなボロくなっているので、この際全交換をしようとバーゲン品8足をまとめ買いする。靴下は消耗品なので、高いものなどは買わない。ダメになったら新品を買えばいい。

 朝食をカットしているので、昼はしっかりいくつもりだ。天童市の初訪ラーメン店に行き、足りなければ途中で弁当を買って帰ろう。
 まずはラーメン。天童市東本町の「おばこ食堂」を初訪問。温泉街の中にあり、昭和28年創業で、伝統の味を守り続けているとのこと。同名の店は鶴岡の旧温海町と鶴岡の町なかにもあり、県内の「おばこ食堂」は都合3軒あることになる。
 支那そば600円。まさに昔ながらの味。ラーメンでも中華そばでもなく、これは紛れもなく支那そばであると言っていい。スープは薄味。温泉宿で飲んだ後に食べるラーメンとして最適なのではないか。それはボリューム面についても言えることで、昼時間の空腹時であれば、この1杯だけではやはり足りない。

 弁当は、「茂利多屋」にてのり弁当430円を調達する。これは前回ここを訪問した時に狙っていたものだ。今回は作り置きがなかったので、厨房に声をかけてつくってもらった。「ほっともっと」あたりと比較するとグレードは一枚上。白身魚フライが大きい上に、チキンカツも付いてくる。調味料もタルタルソースの大袋にソース、醤油も。ボリューム満点でコスパ抜群だった。
 なんだか気分の落ち込みを食べることでカバーしている感じだ。

 午後は、昼寝もしてダラダラと。株式はこの日も日経平均は大きく上げたが、持ち株評価額は少し上がっただけで物足りない。その程度の動きなので取引約定はなかった。あとは名古屋ステイに向けての調べ物。

 夜もいつもどおり。しつこい着信は、夜までに8回もあって、気持ちが悪くなりそうだ。当人は起きている間は食事中などを除き、睡眠薬を飲んで安らかに眠るまでひたすらかけ続けるという構図だ。もちろん、相手の状況などはお構いなしだ。

 飲みながら観た「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」は、四国編の前編。剣山をスタートして、祖谷のかずら橋、琵琶の滝などを巡って阿波池田にたどり着いたのは深夜。まだその日の宿が取れていない状況で、小島瑠璃子らが焦っているところで終わる。このあたりも去年初夏に巡ったところだ。

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(祖谷のかずら橋 2020.6.29)

 この日から「昼のセント酒」(久住昌之著、カンゼン、2011)を読み始めて、寝るまでに50ページ。

2021.04.04 20210403 土
 6時半に起きて、コーヒーを飲みに居間に行くと、もう6時半には着信があったとつれあいが暗い顔をしている。飲んでいる間に再度着信。何事かあったのかと脇で聴いていると、「歯が痛くて朝食が食べられないのでクリームパンを買って届けてくれ、以上」というものだった。殿様気分で、こちらはまるで小間使いだ。我々は毎日こんなことで夜討ち朝駆けの電話をかけられている。でもまあ今回は、聞くに堪えられない不満の訴えではないだけマシと言えるかもしれない。

 所望の食料等をつれあいが調達してきてくれて、それらを10時台に施設へ届けに。その際職員の方々に会って、来週、再来週の水曜日の届け物を休止することと、当人は歯科の外来受診を求めているが、受診させるべきかどうかは諸般の情勢を踏まえていったん施設側で判断し、必要ということであれば施設から連絡をもらいたい旨を伝えてくる。よーし、これで旅立ちの地固めはできたぞ。

 昼食は、天童市糠塚のとんかつ店「三州屋」を1年8か月ぶりに再訪。かつ丼を食べようと思って入店したものの、壁メニューに「メンチカツコロッケ盛合せ定食1000円(税込)」とあったのを見て、プラス100円ならこっちかなと、それに変更。
 配膳されたものを見て思わず唸ってしまう。これ、メンチとコロッケがそれぞれ一人分じゃないの。加えて、半端ないキャベツの量。キャベツが好きな人は思わずにんまりし、得意でない人は腰がひけてしまうはずだ。
 各卓上には、もう好きにしていいんですからねといった感じで、フレンチと青じそのドレッシング1リットル入りボトルがどどんと置かれ、三州屋ブランドのとんかつソースの瓶も2本屹立しているので、それらをたっぷり使わせてもらう。
 ごはんの量も多く、味噌汁もうまい。そうなると唯一の難点は、つい食べ過ぎになってしまうことだ。

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(メンチカツコロッケ盛合せ定食は充実の極みだった)

 満足して戻ったが、予想に反して午後も大騒ぎとなる。施設でももう押さえが効かないほどに、母の頭の中は歯科通院することでいっぱいになっている。フロアの保健師から電話があり、この日は休日だった施設長と連絡を取って、歯痛云々や理屈ではなくこのヒトの性格上どう話しても納得しないので、行きたいなら行かせるしかないとの結論に至ったとのこと。
 つまりは施設側も呆れ果てたわけで、施設からゴーサインが出れば外来受診することになる。こういうことはこれで何度めになるのだろう。しかしこちらは月曜からの旅をFIXしてしまったので、どうしても週明けすぐに行きたいのなら、別契約の通院介添人を頼んで連れて行ってもらわざるを得ない。どうしてこういうタイミングで騒ぐのかねえと呆れてしまうが、それで納得するのであれば1回2万円ほどかけて誰かに連れて行ってもらえばいい。どうぞご自分の金で。
 施設までが通常の方針を大きく変えて対応しなければならないほどに、母の頑迷さ、蒙昧さはタダナラヌ段階まで来ている。

 本日の飲酒は、昼のフライ盛合せがまだ消化しきれていず、つまみの量を落として楽しむ。
 「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」の四国後編を観る。
 何とか阿波池田で宿を得た翌日は、まんのう町の山の中にポツンとある有名店「山内うどん店」でセルフの「ひやあつ」とゲソ天を食べている。自分もここで極太の非常に硬い麺とぶっとい足のいかゲソ食べた。いい店構えだったな。見ているだけで本場の讃岐うどんを食べたくなる。その後こんぴらさんの石段をきちんと本宮まで登り、東洋のウユニ塩湖と言われる父母(ちちぶ)ケ浜でゴール。去年の旅ではそれらにも行った。
 ただただ電動バイクで走るこの番組だが、馬鹿げているものの自分も立寄った場所が出ているとつい映像を追いかけてしまい、それなりに楽しめるのだ。

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(まんのう町の有名店「山内うどん」 2020.6.29)

 さて、明後日から名古屋へと旅立つが、気持ちに余裕がなく、荷造りは電子機器の動作確認などはもちろんのこと、情報収集すらスムーズに進んでいない。こうなれば、旅先でできることはそちらに赴いてからやることにして、持ち物だけは漏れのないようにするほうに重きを置くことにしよう。今回は車旅ではなく、安ホテルでの長期ステイとなるので、Wi-fiやBS放送もあるし、毎晩銭湯探しをすることもない。

 読書も進まず、「昼のセント酒」を30ページだけ。いつもならこういう本なら100ページぐらいはすぐにいってしまうのだけどな。
 24時就寝。