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tanpenbest 2015

   徳間文庫  740円+税
   2015年6月15日 第1刷発行

 2014年に刊行された各文芸誌に発表された全短篇の中からベスト11を選出した1冊で、同シリーズの2003年以降14年のものまではすでに読んでいて、これが12冊目となります。

 浅田次郎の「流離人(さすりびと)」は、五能線と思われる日本海側の寂しげな鉄道車内で同席した老人から聞く、戦があった頃の話。昔と現在がシンクロする浅田ワールドが愉しめます。
 飛鳥井千砂の「夜の小人」は、大空港フロアのディスプレイを縁の下で支える人々の話。文章に新人らしい硬さを感じながら読み始めたものの、読み進めるにつれてどんどん引き込まれます。
 井上荒野の「うそ」は、男の一人語りで、彼が関わり合った女たちの輪郭が描写される作品。異性を相手にするために嘘をつく人間。そういう人々のことにはもうあまり興味がなく、共感もそこそこにとどまります。
 奥田英朗の「正雄の秋」は、順調に会社員人生を送ってきた男に訪れる、出世レースでの敗北という転機を描いています。当方にも身に覚えがないわけではない出来事を扱っており、実感を伴いながら読めました。

 小池真理子の「テンと月」は、主人公の女性が自然豊かな地のペンションを畳んで、都会へと還る話。夫婦の離婚を扱う物語ですが、こういう話は女性向きなのでしょうか、あまり興が乗りません。
 田丸雅智の「E高生の奇妙な日常」は、苦楽を共にしてきた通学用の自転車が勝手に自分で動くようになってしまった話のほか、高校生活の合間で体験する非日常的な3題。
 酉島伝法の「環刑錮」は、おお始まったかという感じの、作家の自己陶酔でしかないようなSFもので、そもそも使われる言葉が漢語的で妙に読みづらく、滅多にないことですが途中からスルー。こういう文章なり作品がベスト本に選び出されるのであれば、日本のSF界の将来は決して明るくありません。脈絡のない混乱が広がっていくだけの書き方になっていて、それで金を得ている作家であれば、少なくとも読み手には受け入れてもらえるような文章を書いてほしいものです。
 中澤日菜子の「星球」は、小学校1年のときに上級生から「すげぇ! せんべいみたいな顔してる、こいつ!」と言われ、あだなが「せんべ」になり、胸のお尻も凹凸のない「せんべい化」が進行したという(笑)、自分に自信の持てない女の子の話。

 中島たい子の「いらない人間」は、異次元に通じている天文台にいる博士が、過去から古い異物を入手してくる話。ある日、政府直属の役人がやってきて、過去から「いらない人間」を連れてくるよう博士に命じます。
 平岡陽明の「床屋とプロゴルファー」は、「ゴルフ界に人格者なし」と言われる世界でプロゴルファーの取材をする業界誌記者の苦悩から始まります。ゴルフはイギリスで生まれ、アメリカで堕落し、日本で死んだスポーツと言われるのだそうです。後味のよい読み応え。
 山田宗樹の「代体」は、仕事で怪我をし、「代体」とよばれるセラミックと人工筋肉からなる人造人体に意識だけを移転させて社会生活は継続させるという療法を利用した弁護士の話。そのプレミアムタイプには思わぬ欠陥があり……。

(2024.11.12 読)

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   集英社文庫  495円+税
   1997年8月25日 第1刷発行

 オヤジとなったら、選ぶ道はひとつしかない。「オヤジくさい」オヤジではなく「陽のあたる」オヤジになるしかない。堅い決意を胸に抱いた著者が、自分の青春時代をふりかえりながら、酒、仕事、恋愛、釣り……について、どのように積極的に立ち向かうか、を語るエッセイ。(カバー裏表紙から)

 ハードボイルド作家の、小説作品ではなくエッセイです。
 彼がまだ30代の、1993年初出のものですから、六本木のディスコなどで大いに遊んでいます。彼が「新宿鮫」で日本推理作家協会賞と吉川英治文学新人賞を受賞したのが1991年、「新宿鮫 無間人形」で直木三十五賞を受賞したのは94年です。

 彼が大きな挫折を味わったのは、遊びすぎが祟って慶応大学を中退せざるを得なくなり、大学の肩書を失ったことで自分が何者かを問いただす必要に迫られたことだと述べています。世間一般の感覚だけで言えば、その頃までは彼はただのボンボンだったということでしょう。

 当時北方謙三が、雑誌「ホットドッグプレス」に「試みの地平線」というショートエッセイと人生相談のページを持っていて、「週刊プレイボーイ」に連載していたこちらの大沢の「陽のあたるオヤジ」はその後発という位置づけだったと記していて、両誌のエール交換のような形で二人の対談が行われたりしていたようです。

 というわけで、これが2024年の90冊目の読了本。大沢在昌の人となりを多少なりとも知ることができ、これからもしばらくは彼の作品群を渉猟することになりそうです。

(2024.11.9 読)

yappari hokkaido

   双葉文庫  476円+税
   2004年3月20日 第1刷
   2008年4月20日 第8刷発行

 「なんもかんも北海道だべさ!!」(2008)、「なまら北海道だべさ!!」(2007)に続く、自分にとっては千石涼太郎の3冊目です。

 なにかあったらジンギスカン、なにもなくてもジンギスカン! こんな常識、内地の人にはわかんないしょ!?
 北海道フリークをうなずかせ、道産子を思わずにやりとさせる話題を満載。北海道を愛してやまない著者が、その限りない魅力を徹底的に語る、北の大地への賛歌。装いも新たに待望の文庫化!(カバー裏表紙から)
 ――というもので、読み口は並行して読んでいる司馬遼太郎の「翔ぶが如く」全10巻とはまったく違い、読み口が軽いです。

 目次を拾っておくと、次のとおり。
第1章 北の大地の常識だべさ(北海道は美人が多いって、ホントでないかい? 北海道には実質的な高速道路がたくさん ほか)
第2章 北海道はこんなもんでないかい!?(「ジョッピンって何語?」と聞かれて…… 「北海道に方言なんて…」と思っている道産子 ほか)
第3章 道産子ってめんこいしょ!!(じいちゃん、ばあちゃんも高級ブランドを? 北海道では常識「観楓会」 ほか)
第4章 道内産はなまらうまいべや(なにかあったらジンギスカン、なにもなくてもジンギスカン 鶏の唐揚げ「ザンギ」の名の由来 ほか)
第5章 自然といえば北海道だべさ(アメリカザリガニと食用ガエル 雪との戦いはゆるくないって ほか)

(2024.11.8 読)

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   文春文庫  429円+税
   1980年3月25日 第1刷
   1998年1月10日 第28刷発行

 台湾撤兵以後、全国的に慢性化している士族の反乱気分を、政府は抑えかねていた。鹿児島の私学校の潰滅を狙う政府は、その戦略として前原一誠を頭目とする長州人集団を潰そうとする。川路利良が放つ密偵は萩において前原を牽制した。しかし、士族の蜂起は熊本の方が早かった。明治9年、神風連ノ乱である。(カバー裏表紙から)

 一般の文庫本よりも文字が一回り小さく、各ページがぎっしりで読みづらい印象がありますが、そのことには惑わされず、急がず着実に読み進めます。

 萩の乱に至るまでの前原一誠に関わる人物評などに関する記述がずいぶん長く、このあたりの記述には司馬も書くのに苦労していたのではないかと察しますが、どうだったのでしょう。読む側にとってもなかなか集中してそんな内容に浸潤していくことができず、読むのに苦労した部分です。

 神風連の乱の結末が記されて、第6巻は終わります。全10巻。先は長く、まだまだ楽しめます。

(2024.11.5 読)

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   集英社文庫  552円+税
   2003年5月25日 第1刷発行

 昭和44年、京都。大学の新入生で、大の日本映画ファンの「僕」は友人の清家忠昭の紹介で、古き良き映画の都・太秦の撮影所でアルバイトをすることになった。そんなある日、清家は撮影現場で絶世の美女と出会い、激しい恋に落ちる。しかし、彼女は30年も前に死んだ大部屋女優だった――。
 若さゆえの不安や切なさ、不器用な恋。失われた時代への郷愁に満ちた瑞々しい青春恋愛小説の傑作。(カバー裏表紙から)

 1997年に単行化され、2000年に双葉社が文庫化したのを、集英社が再度文庫化したものです。
 浅田次郎の描く小説では概ねいつも、霧がかかったようなフィルターを通して昭和の風景が霞んで見えてきます。このあたりが彼の作品の魅力だと思っています。さすがに浅田次郎は読ませてくれます。

 辻のおっちゃんの話す京都弁が続くため、読んでいてどっぷりと京都に滞在しているような気分になれます。
 そして、なるほどそういう幕切れですか。なんだか夢のようではないですか。

 以前なら読み始めたその日のうちによめたと思われる内容ですが、このところ理解力の低下とともに読書スピードが落ちているため、このたびは2日かけて読み終えました。
 さて次の浅田作品は、「椿山課長の七日間」になりましょうか。まだまだ読みたいと思っています。

(2024.11.4 読)

jikokuhyo showashi

   角川文庫  533円+税
   2001年6月25日 第1刷発行

 昭和8年、老いたハチ公を眺めてから、初めて子ども同士で山手線に乗ったのは小学校一年生のときのこと。二・二六事件の朝もいつものように電車を乗継いで小学校に通い、「不急不要の旅行」を禁止された戦時下にも汽車や電車で出かけていた私は、終戦の日も時刻表通りに走る汽車に乗り、車窓風景に見入っていた……。
 時刻表好きの少年の眼を通して、「昭和」という激動の時代と家族の風景、青春の日々がいきいきと描き出される、宮脇俊三の体験的昭和史。(カバー裏表紙から)

 結論から言うと、ノスタルジックで、いい読み応えがありました。
 著者が実際に乗った戦前・戦中の鉄道の状況がよくわかり、面白く読みます。こういうことが書けるのは、少年の時代から鉄道に興味を持ち、元代議士の父の理解もあってあちこちに出向き、その状況をきちんと記録にとどめていた宮脇俊三ぐらいしかいないのではないでしょうか。

 著者は、当作を書き始めた理由を、あとがきで次のように記しています。

 駅々に貼られた旅客誘致のポスター、ホームに上がれば各種の駅弁が装いをこらして積んである。冷房のきいた車内、切符を持たずに乗っても愛想よく車内補充券を発行してくれる車掌。
 そのたびに私は思い出さずにはいられない。不要不急の旅行はやめよう、遊山旅行は敵だ等々のポスター、代用食の芋駅弁を奪い合う乗客、車内は超満員でトイレにも行けず、座席の間にしゃがみ込む女性、そして憲兵のように威張っていた車掌。
 汽車に乗っていて、ときどき私は、いまは夢で、目が覚めると、あの時代に逆戻りするのではないかと思うことさえある。二度とめぐり合いたくない時代である。それゆえに、絶対に忘れてはならないと思う。

(2024.10.28 読)

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   集英社文庫  600円+税
   2007年7月25日 第1刷
   2007年9月25日 第3刷発行

 官はついに地方軍の切り札・代州の呼延灼(こえんしゃく)将軍に出撃命令を下した。呼延灼は、一度だけなら必ず勝てると童貫(どうかん)に宣言し、韓滔(かんとう)・澎玘(ほうき)とともに、戦の準備を着々と進めていく。凌振(りょうしん)の大砲をはじめとして、恐るべき秘策を呼延灼は仕込んでいた。
 一方、梁山泊は晁蓋(ちょうがい)自らが本隊を指揮し、万全の布陣で戦に臨む。精強な軍同士の衝突が、静かに始まろうとしていた。北方水滸、血戦の第10巻。(カバー裏表紙から)

 上記の惹句を見るだけで、漢たちの生きざまがイメージされて、早く読もうぜ!という気になってしまいます。呼延灼はこの戦のあと、「替天行道」を掲げる梁山泊に義賊として参加し、活躍することになります。

 北方はもともとキューバ革命が書きたかったようで、彼が語るところによれば、晁蓋と宋江の二人のボスはゲバラとカストロの関係で、梁山泊がキューバ島、梁山湖がカリブ海、大国の宋がアメリカ合衆国という想定のもとに、「水滸伝」を書いたということです。

 全19巻の真ん中、折り返し地点にさしかかり、祝家荘の戦いを終え、いよいよ怒涛のクライマックスに向けて長い疾走が始まる予感がします。
 2024年、85冊目となる読了本となりました。

(2024.10.24 読)