2023.05.01
20230430 日
咳と鼻詰まりがひどく、我慢できず3時半頃に起き出してケアする。喉や鼻から濃度を増した黄土色の洟が出る。コイツが喉あたりにぬらぬらとくっついて悪さを働いているのだろう。苦しい時間帯が早朝から真夜中に繰り上がり、よく眠れない。ああ、いやだな。
外は小雨だし、気分が盛り上がらないまま立ち上がって、カキモノを済ませたあとは大谷出場試合のライブ中継を観ながら過ごす。
ブックオフとアマゾンから古書6冊を購入する。
(kakeroma-image)
その後は、難しい読み物は敬遠し、「無印OL物語」(群ようこ著、角川文庫、1991)を読み始める。
きれいで立派な本社ビルに憧れて就職したのに、倉庫裏の“地獄の営業部”に配置された私。小さな出版社で、ドジな先輩、後輩に悩まされている私。チャッカリと「結婚」に逃げ込んでしまった私の同僚――でも私だって負けてはいない。
「職場」という「人間関係」を糧にたくましい「成長」をみせるOLたちの日常を描いた、くやしくっておかしい12の物語。多くの「共感と元気」を呼ぶ本として超ロングセラー中の無印シリーズ、待望の文庫化!(カバー裏表紙から)
群ようこを読むのはこれが5冊目で、小説を読むのはこれが最初。1989年の作で、この後「無印シリーズ」が数作続いて大ブレイクしていくことになる。
(「無印OL物語」と群ようこ)
はじめの「あんぱんとOL」では、仕事のできない先輩中年女性のシノハラさんが登場。自分の若い頃にもこの人に似た人がいたことが思い出されて笑える。
また、これは小説ではあるわけだが、「結婚するならホドホドの人」を読んで、群ようこという人は強烈なお嬢さん志向の母の元で育てられたことがわかる。この編の主人公の女性は、自分が美貌の持ち主であることを疑っていず、高望みばかりが先に立つ結婚観には庶民として到底ついていけないところがあるのだった。
この日の読書はこれ1本となり、夜までに220ページ読む。
大型連休中となる今日の昼食も、静かに自宅で。先に業務用スーパーで買った冷凍イカフライを揚げてもらい、それで食べる。衣が身から剥がれず、もっちりとした食感のイカがうまい。まいどおおきに食堂系列ならこれ1枚と千切りキャベツちょこっとで165円はするはずだ。これ、いくらで買ってきたの? 1枚50円もしないの? だったらオレ、高級食材でなくともこういうのがおかずで十分なのだけどな。
(昼食は自宅でイカフライ定食)
午後以降も調子が上がらず、横になればすぐに眠ってしまうという体たらく。
夜も21時半過ぎにはパソコンをシャットダウンして、体を横たえる。
明日からは5月。月が変われば目下の冴えない状況にも変化があるだろうから、明日こそはよかれと期待したい。
外は小雨だし、気分が盛り上がらないまま立ち上がって、カキモノを済ませたあとは大谷出場試合のライブ中継を観ながら過ごす。
ブックオフとアマゾンから古書6冊を購入する。
(kakeroma-image)
その後は、難しい読み物は敬遠し、「無印OL物語」(群ようこ著、角川文庫、1991)を読み始める。
きれいで立派な本社ビルに憧れて就職したのに、倉庫裏の“地獄の営業部”に配置された私。小さな出版社で、ドジな先輩、後輩に悩まされている私。チャッカリと「結婚」に逃げ込んでしまった私の同僚――でも私だって負けてはいない。
「職場」という「人間関係」を糧にたくましい「成長」をみせるOLたちの日常を描いた、くやしくっておかしい12の物語。多くの「共感と元気」を呼ぶ本として超ロングセラー中の無印シリーズ、待望の文庫化!(カバー裏表紙から)
群ようこを読むのはこれが5冊目で、小説を読むのはこれが最初。1989年の作で、この後「無印シリーズ」が数作続いて大ブレイクしていくことになる。
(「無印OL物語」と群ようこ)
はじめの「あんぱんとOL」では、仕事のできない先輩中年女性のシノハラさんが登場。自分の若い頃にもこの人に似た人がいたことが思い出されて笑える。
また、これは小説ではあるわけだが、「結婚するならホドホドの人」を読んで、群ようこという人は強烈なお嬢さん志向の母の元で育てられたことがわかる。この編の主人公の女性は、自分が美貌の持ち主であることを疑っていず、高望みばかりが先に立つ結婚観には庶民として到底ついていけないところがあるのだった。
この日の読書はこれ1本となり、夜までに220ページ読む。
大型連休中となる今日の昼食も、静かに自宅で。先に業務用スーパーで買った冷凍イカフライを揚げてもらい、それで食べる。衣が身から剥がれず、もっちりとした食感のイカがうまい。まいどおおきに食堂系列ならこれ1枚と千切りキャベツちょこっとで165円はするはずだ。これ、いくらで買ってきたの? 1枚50円もしないの? だったらオレ、高級食材でなくともこういうのがおかずで十分なのだけどな。
(昼食は自宅でイカフライ定食)
午後以降も調子が上がらず、横になればすぐに眠ってしまうという体たらく。
夜も21時半過ぎにはパソコンをシャットダウンして、体を横たえる。
明日からは5月。月が変われば目下の冴えない状況にも変化があるだろうから、明日こそはよかれと期待したい。
2023.05.01
路地の子 上原善広
新潮文庫 590円+税
2020年8月1日 第1刷発行
昭和39年、大阪――。中学3年生の龍造少年は学校にはいかず、自らの腕だけを頼りに、天職と信じた食肉の道へと歩み始めた。時に暴力も辞さない「突破者」と恐れられ、利権団体や共産党、右翼やヤクザと渡り合いながら食肉業界をのし上がった一匹狼――。
時代の波に激しく翻弄されながら、懸命に「路地の人生」を生き抜いた人々の姿を、大宅賞作家が活写した、狂おしいほどに劇的な物語。(カバー裏表紙から)
被差別部落の実態を少しでも知りたいと思って買った本で、この本でいう「路地」とは被差別部落のことを指しています。当方は当著に先立ち、同著者の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作「日本の路地を旅する」(2009)を読んでいます。
初出は2017年。著者の上原善広は、1973年、大阪府松原市南新町(更池)生まれのノンフィクション作家で、被差別部落出身であることをカミングアウトし、部落問題を中心に文筆活動を行っている人物です。
この小説は、昭和の時代を背景に南大阪の「路地(=部落)」で食肉業者として力強く生きた龍造という人物を主人公にして小説仕立てで描かれているのですが、この人物は実は著者の父なのでした。
著者は、マスコミにおける同和タブーを切り拓いてきたライターなのですが、自分には龍造ほどの甲斐性=「稼ぎ」がないけれども、それを別にすれば、龍造のあとを追っているように生きてきたのかもしれないと、「おわりに」で記しています。そして、かつては路地がなくなれば人に蔑まれることがなくなると考えていた時代もあったが、今ではどこに住もうと自分が路地の子であるとはっきりと思えるし、故郷を誇りに思えば思うほど、路地は路地でなくなっていく――という思いを述べているのでした。
なお、同和対策関連の一連の時限立法は、2002年に失効した形になっており、「路地」は少しずつではあるが着実に、過去のものとなりつつあります。
(2023.3.27 読)
2023.05.02
20230501 月
もう5月。6時半に起床。前日よりはよくなって、起き上がるようなことはなかったが、夜の明けないうちから喉の痛みと咳が出て目が覚める。早く寝ているので睡眠不足にならずになんとか持ちこたえている感じだ。
この土日の天候不順から一転して快晴の朝。よし、今日は一冬越してから初めてとなる墓掃除に行くことにしよう。
11時前に家を出て、寺のある山辺方面へ。途中での昼食は4年2か月ぶりに、山辺町の「栄屋山辺支店」を3訪。
ここの名物はもやしらーめんなのだが、この気温の中で熱々のあんかけを食べた日には大汗地獄に陥ること必至。なので今回は穏便に中華そばの大盛り740+150円にしてみた。
見た目は普通だけど、期待以上のおいしさ。スープがなみなみとしていて、これが牛ダシで極めて美味。牛ダシ中華は久しぶりで、しみじみとうまい。もちろんチャーシューも牛肉だ。
栄屋特有と言っていい太さのあるストレート麺は、口に含めばもっちりとしていて高弾力。これもうまいなあ、大盛りにしてよかった。
(「栄屋山辺支店」の中華そば)
墓は、毎春のとおり杉の枝や葉で埋もれていた。今回は冬の間車に積んでいる雪かき用の小型スコップと、ハンディの草刈り鎌を持参したのだが、これらが大いに威力を発揮してくれる。箒では集められない厚みのある落ち葉類を鎌で掻いて集め、それをスコップの四角い面に載せて塵捨て場へと運んでいく。つれあいと二人で作業すれば思いのほかすんなりときれいになったのだった。
午前のうちから読んでいた「無印OL物語」を、午後になって読み終える。この日はこれを50ページ余り。
OLが職場で出会った女性、男性を言いたい放題言っているという感じなので、同じようなOLをしているヒトビトには受けるのだろうと思うが、それ以外の中年オヤジや専業主婦、高齢者などにとってはどうということのない内容に思える。自分もその一人で、OLって、社会のためとか自己研鑽とかではなく、職場には結婚相手を探しに来ているだけで、それはせいぜい25歳ぐらいまでで早く見切りをつけたがり、自分のではなく社会的な価値判断として上位にくる男性と結婚したがっている――ということが漫然とわかってくる。そんなことにしか真剣になれなくて、なんだかかわいそうというか、人生馬鹿々々しいとは思わないのだろうか。
(四国霊場八十八ヶ所第1番札所「竺和山霊山寺」の仁王門 2020.6.8)
午後の後半からは、「だいたい四国八十八ヶ所」(宮田珠己著、集英社文庫、2014)を読み始める。宮田本を読むのはこれが10冊目だ。
特に神妙な動機は何もなく、一周してみたい(四国)、全部回ってみたい(八十八ヶ所)。いっぱい歩きたい、という理由ではじめた四国へんろの旅。次々とできるマメの痛みや避けられない台風、たくさんの難所に悩まされつつも、とにかく歩いた合計64日間。自転車でしまなみ海道を渡ったり、カヌーで川を下ったり、信心薄め、観光&寄り道し放題の、タマキング流「非・本格派」へんろ旅の全記録。(カバー裏表紙から)――というもので、この日はこれを50ページ。
夜は、いつもよりも缶チューハイを増量して飲んでいい気分に。その勢いで、久しぶりに琉球音楽を鑑賞する。宮古民謡が聴きたくなって、大島保克から国吉源次へと進み、琉球音楽のたどり着く先はここと、上原知子へ。泣きそうになるぐらいに痺れてしまう。
長生きしすぎて寝たきりになったなら、こういう音源を病室に持ち込んで延々と聴いていれば、それだけで十分に幸せなのではないか。少なくとも我が母のように現状に対する不満ばかりを述べるようなことはしないで済むと思う。思いのほか楽しい夜になった。
(今夜聴いた音源の一例)
22時を回った段階で聴くのをやめ、咳とたんに効く感冒薬を飲んで減速態勢へ。
この土日の天候不順から一転して快晴の朝。よし、今日は一冬越してから初めてとなる墓掃除に行くことにしよう。
11時前に家を出て、寺のある山辺方面へ。途中での昼食は4年2か月ぶりに、山辺町の「栄屋山辺支店」を3訪。
ここの名物はもやしらーめんなのだが、この気温の中で熱々のあんかけを食べた日には大汗地獄に陥ること必至。なので今回は穏便に中華そばの大盛り740+150円にしてみた。
見た目は普通だけど、期待以上のおいしさ。スープがなみなみとしていて、これが牛ダシで極めて美味。牛ダシ中華は久しぶりで、しみじみとうまい。もちろんチャーシューも牛肉だ。
栄屋特有と言っていい太さのあるストレート麺は、口に含めばもっちりとしていて高弾力。これもうまいなあ、大盛りにしてよかった。
(「栄屋山辺支店」の中華そば)
墓は、毎春のとおり杉の枝や葉で埋もれていた。今回は冬の間車に積んでいる雪かき用の小型スコップと、ハンディの草刈り鎌を持参したのだが、これらが大いに威力を発揮してくれる。箒では集められない厚みのある落ち葉類を鎌で掻いて集め、それをスコップの四角い面に載せて塵捨て場へと運んでいく。つれあいと二人で作業すれば思いのほかすんなりときれいになったのだった。
午前のうちから読んでいた「無印OL物語」を、午後になって読み終える。この日はこれを50ページ余り。
OLが職場で出会った女性、男性を言いたい放題言っているという感じなので、同じようなOLをしているヒトビトには受けるのだろうと思うが、それ以外の中年オヤジや専業主婦、高齢者などにとってはどうということのない内容に思える。自分もその一人で、OLって、社会のためとか自己研鑽とかではなく、職場には結婚相手を探しに来ているだけで、それはせいぜい25歳ぐらいまでで早く見切りをつけたがり、自分のではなく社会的な価値判断として上位にくる男性と結婚したがっている――ということが漫然とわかってくる。そんなことにしか真剣になれなくて、なんだかかわいそうというか、人生馬鹿々々しいとは思わないのだろうか。
(四国霊場八十八ヶ所第1番札所「竺和山霊山寺」の仁王門 2020.6.8)
午後の後半からは、「だいたい四国八十八ヶ所」(宮田珠己著、集英社文庫、2014)を読み始める。宮田本を読むのはこれが10冊目だ。
特に神妙な動機は何もなく、一周してみたい(四国)、全部回ってみたい(八十八ヶ所)。いっぱい歩きたい、という理由ではじめた四国へんろの旅。次々とできるマメの痛みや避けられない台風、たくさんの難所に悩まされつつも、とにかく歩いた合計64日間。自転車でしまなみ海道を渡ったり、カヌーで川を下ったり、信心薄め、観光&寄り道し放題の、タマキング流「非・本格派」へんろ旅の全記録。(カバー裏表紙から)――というもので、この日はこれを50ページ。
夜は、いつもよりも缶チューハイを増量して飲んでいい気分に。その勢いで、久しぶりに琉球音楽を鑑賞する。宮古民謡が聴きたくなって、大島保克から国吉源次へと進み、琉球音楽のたどり着く先はここと、上原知子へ。泣きそうになるぐらいに痺れてしまう。
長生きしすぎて寝たきりになったなら、こういう音源を病室に持ち込んで延々と聴いていれば、それだけで十分に幸せなのではないか。少なくとも我が母のように現状に対する不満ばかりを述べるようなことはしないで済むと思う。思いのほか楽しい夜になった。
(今夜聴いた音源の一例)
22時を回った段階で聴くのをやめ、咳とたんに効く感冒薬を飲んで減速態勢へ。
2023.05.02
2023年4月に買った本
2023年4月中に仕入れた本は、次の8冊です。
1 虹の音色が聞こえたら 関口尚 集英社文庫 202208 古220
2 歴史と風土 司馬遼太郎 文春文庫 199810 古220
3 短篇ベストコレクション―現代の小説〈2006〉 日本文藝家協会 徳間文庫 200606 古220
4 検事の本懐 柚月裕子 宝島社文庫 201211 古330
5 猫返し神社 山下洋輔 徳間文庫 201706 古220
6 旨いものはうまい 吉田健一 角川グルメ文庫 200410 古220
7 歴史の舞台―文明のさまざま 司馬遼太郎 中公文庫 199611 古220
8 十六の話 司馬遼太郎 中公文庫 199701 古220
いずれも文庫本。すべてブックオフオンラインを通して買ったもので、購入額は1,870円。
1は、沖縄本。絶望的な日々から逃げずに済んだのは、三線と沖縄民謡、そしてあなたに出会えたから。――という青春小説で、関口尚を読むのは初めてです。
2、7、8は司馬モノ。「街道をゆく」シリーズを読み終えて、しばらくはこの3冊のような随筆・評論を読み、そのあとは長編小説の「竜馬がゆく」に進んで行きたいと思っているところ。
3は、毎年1冊発売されるもので、根ごなれしたものを買うというスタンスで、これが10冊目の購入となります。
4は、柚月裕子の10冊目、5は、椎名誠ご推薦の山下洋輔の2冊目。
6は、吉田健一の初モノで、著者が守り通してきた食と酒への古びないポリシーで描いたという、幸福な食エッセイ集なのだそう。なお著者は、吉田茂元首相の長男。
このところずうっと古書ばかり買っているので、デスク脇の本棚からは古書店の匂いがしてくるようになっています。(苦笑)
1 虹の音色が聞こえたら 関口尚 集英社文庫 202208 古220
2 歴史と風土 司馬遼太郎 文春文庫 199810 古220
3 短篇ベストコレクション―現代の小説〈2006〉 日本文藝家協会 徳間文庫 200606 古220
4 検事の本懐 柚月裕子 宝島社文庫 201211 古330
5 猫返し神社 山下洋輔 徳間文庫 201706 古220
6 旨いものはうまい 吉田健一 角川グルメ文庫 200410 古220
7 歴史の舞台―文明のさまざま 司馬遼太郎 中公文庫 199611 古220
8 十六の話 司馬遼太郎 中公文庫 199701 古220
いずれも文庫本。すべてブックオフオンラインを通して買ったもので、購入額は1,870円。
1は、沖縄本。絶望的な日々から逃げずに済んだのは、三線と沖縄民謡、そしてあなたに出会えたから。――という青春小説で、関口尚を読むのは初めてです。
2、7、8は司馬モノ。「街道をゆく」シリーズを読み終えて、しばらくはこの3冊のような随筆・評論を読み、そのあとは長編小説の「竜馬がゆく」に進んで行きたいと思っているところ。
3は、毎年1冊発売されるもので、根ごなれしたものを買うというスタンスで、これが10冊目の購入となります。
4は、柚月裕子の10冊目、5は、椎名誠ご推薦の山下洋輔の2冊目。
6は、吉田健一の初モノで、著者が守り通してきた食と酒への古びないポリシーで描いたという、幸福な食エッセイ集なのだそう。なお著者は、吉田茂元首相の長男。
このところずうっと古書ばかり買っているので、デスク脇の本棚からは古書店の匂いがしてくるようになっています。(苦笑)
2023.05.03
20230502 火
咳が出て、6時起床。まだ洟が青い。
早めにブログの記事公開作業と株式投資の仕込みを済ませて、近時購入した書籍の表紙のスキャニングとそれらに関する記事を書く。なかなかいいペースでの朝の立ち上がりだ。
このところはめっきり電話というものがかかってこなくなった。友人・知人からはもちろんのこと、一時精神的にまいってしまうほどに悩まされた母とその入居施設からの電話攻撃がなくなり、現在入院している病院からはたいしたことのない連絡事項が1か月に1回あるかないか程度で、スマホが鳴るのはフェイスブックやブックオフからのお知らせ程度のことになっている。それらについてもほぼ無視といった状況で、携帯をしばらく不携帯していてもなんら問題は生じない。
シアワセなお報せを運んでくるのならまだしも、こちら側の自由な行動を阻害して外部から一方的な指示を送ってくる電話は諸悪の根源でしかないと常々思っていて、携帯端末は必要だが、そのうちの電話機能はいらないとすら思っている。人との連絡はメールやSMSで十分だ。それでもときたま商用などでかけることはあるから、電話着信機能のないスマホがいいのかもしれない。そういうものを売ってはいないか。
でもまあこうしてようやく、誰とも連絡を取らなくてすむ透明人間のような存在になれたことはたいへん喜ばしい。どなた様からも茶々を入れられることなく、自分の好きなように時間を使えるわけなのだから。
(phone-image)
午前のうちに、冬を越してから始めて市内の実家の様子を見に行く。ひと冬の間にすっかり荒れ果てていたらどうしようと恐る恐る行ってみたが、郵便受けがポスティングされるミニコミ誌などであふれていたほかは、庭の樹木類や建物の外装などは思いのほか健在で、窓ガラスの破損や屋根の雨漏りもなく、比較的良好だった。
草取りも必要ない程度の庭には除草剤を撒き、建物の四方の窓を開けて換気をする。祖父が残した多くの油絵をどう処理するかが課題だが、どうするにしてもデジタル保存はしておきたい。そのためにはカンバスの埃をひとつひとつ払って、写真に収めなければならないわけだが、その手はずをどうしたらいいものか、思案しているところだ。
(ヤマザワ白山店の生寿司(10貫))
昼食は、昼を過ぎてしまってどの店も混雑しているようなので、スーパーで弁当を買って帰ることにした。家の近くのスーパーで幕の内弁当を当たると、756円もするものが1種のみ。高いだろ。それよりもと生寿司(10貫)753円のほうがいいやと急遽変更。家でおいしく食べた。
午後は、難しい本は意識的に避けて、「だいたい四国八十八ヶ所」。当方も3年前の6月に26日間にわたって車で四国を一周し、霊場も20数か所足を運んでいるので、既視感をもってとても楽しく読める。筆致も柔らかくて肩が凝らない。これを夜までに80ページ。この日読んだ本はこれだけで、3桁到達はならず。
(四国霊場24番「室戸山最御崎寺(ほつみさきじ)」本堂・多宝塔・鐘楼堂 2020.6.25)
その代わり昼寝はしっかり。2時間半ぐらいは眠っただろうか。体調がすぐれないときはこのように昏々と眠れる。シアワセを眠る量で測れるのであれば、このところの自分は日本一のシアワセ者かもしれない。
夜もしっかり、22時にはベッドへ。
早めにブログの記事公開作業と株式投資の仕込みを済ませて、近時購入した書籍の表紙のスキャニングとそれらに関する記事を書く。なかなかいいペースでの朝の立ち上がりだ。
このところはめっきり電話というものがかかってこなくなった。友人・知人からはもちろんのこと、一時精神的にまいってしまうほどに悩まされた母とその入居施設からの電話攻撃がなくなり、現在入院している病院からはたいしたことのない連絡事項が1か月に1回あるかないか程度で、スマホが鳴るのはフェイスブックやブックオフからのお知らせ程度のことになっている。それらについてもほぼ無視といった状況で、携帯をしばらく不携帯していてもなんら問題は生じない。
シアワセなお報せを運んでくるのならまだしも、こちら側の自由な行動を阻害して外部から一方的な指示を送ってくる電話は諸悪の根源でしかないと常々思っていて、携帯端末は必要だが、そのうちの電話機能はいらないとすら思っている。人との連絡はメールやSMSで十分だ。それでもときたま商用などでかけることはあるから、電話着信機能のないスマホがいいのかもしれない。そういうものを売ってはいないか。
でもまあこうしてようやく、誰とも連絡を取らなくてすむ透明人間のような存在になれたことはたいへん喜ばしい。どなた様からも茶々を入れられることなく、自分の好きなように時間を使えるわけなのだから。
(phone-image)
午前のうちに、冬を越してから始めて市内の実家の様子を見に行く。ひと冬の間にすっかり荒れ果てていたらどうしようと恐る恐る行ってみたが、郵便受けがポスティングされるミニコミ誌などであふれていたほかは、庭の樹木類や建物の外装などは思いのほか健在で、窓ガラスの破損や屋根の雨漏りもなく、比較的良好だった。
草取りも必要ない程度の庭には除草剤を撒き、建物の四方の窓を開けて換気をする。祖父が残した多くの油絵をどう処理するかが課題だが、どうするにしてもデジタル保存はしておきたい。そのためにはカンバスの埃をひとつひとつ払って、写真に収めなければならないわけだが、その手はずをどうしたらいいものか、思案しているところだ。
(ヤマザワ白山店の生寿司(10貫))
昼食は、昼を過ぎてしまってどの店も混雑しているようなので、スーパーで弁当を買って帰ることにした。家の近くのスーパーで幕の内弁当を当たると、756円もするものが1種のみ。高いだろ。それよりもと生寿司(10貫)753円のほうがいいやと急遽変更。家でおいしく食べた。
午後は、難しい本は意識的に避けて、「だいたい四国八十八ヶ所」。当方も3年前の6月に26日間にわたって車で四国を一周し、霊場も20数か所足を運んでいるので、既視感をもってとても楽しく読める。筆致も柔らかくて肩が凝らない。これを夜までに80ページ。この日読んだ本はこれだけで、3桁到達はならず。
(四国霊場24番「室戸山最御崎寺(ほつみさきじ)」本堂・多宝塔・鐘楼堂 2020.6.25)
その代わり昼寝はしっかり。2時間半ぐらいは眠っただろうか。体調がすぐれないときはこのように昏々と眠れる。シアワセを眠る量で測れるのであれば、このところの自分は日本一のシアワセ者かもしれない。
夜もしっかり、22時にはベッドへ。
2023.05.04
20230503 水
6時半起床。起きてすぐにくしゃみ。鼻と喉の間に絡んだ痰を吐き出すと、黄色というよりもウグイス色のものがどっと。鼻腔に溜まった洟をかむ。
でも、夜中に発する咳は前夜の3分の1から5分の1程度に減っていて、だいぶ改善されてきたように思う。完治するまでにはもう数日は必要だろうか。
大型連休は後半に入り、今日が下りの混雑のピークになるという。そんなとき、連休でないときでも動ける我々は余計なことはせず、できるだけ家でおとなしくしているほうがよい。
とは言っても、昼メシは店で食べたい。ということで、「めしや亭山形北町店」へ。この3月後半に行ったときに隣席でガテン系二人組が食べていたカレーライスがおいしそうだったのを思い出して、間を空けずの訪問となる。
10時56分の入店で、朝カレーライス+カニクリームコロッケ+海藻サラダ、500+120+110+税=803円。コーンサラダが売切れだったのが残念。外税が加わるとチト高い。
カレーは万人受けしそうな業務洋風の味で、それなりにおいしい。飯量は、今の自分にはほぼ適量で、大盛りいらず。トンカツの代わりのクリームコロッケは単体で食べてもおいしい。味噌汁が付いたのは「朝」カレーだったから? 油揚げとなめこで、豆腐・大根よりもグレード感あり。まあ納得だ。
(「めしや亭山形北町店」の朝カレーライス)
午後は、前日同様「だいたい四国八十八ヶ所」を静かに読む。
今日一気に最後まで読んでしまうつもりでいたが、そこまでは読めず、160ページ。ミーハー的な書きぶりで始まった本だったが、後半になってくると時々哲学的な思いのようなものも記されるようになってくるのだが、これらも巡礼の賜物だろうか。著者は、「へんろころがし」と言われるアップダウンの険しいところよりも、歩道が満足に整備されていない車道やトンネルを歩くほうがむしろ辛いと述べている。30kmほどの距離を連日歩いているとそう思えてくるのだろう。
夜はいつものような過ごし方。
ところで明日は、次男が結婚したい女性を連れてやってくる予定になっていて、これが憂鬱な気分の原因となっている。
今年で30歳になる次男が結婚したいのならそうすればいいし、相手となる人がどのような人物であっても正面から異議を唱えるようなことはしない。ただ、次男のやり方にはどうにも納得がいかないのだ。
1年半ほど前、ある人と同棲したいから会ってほしいと言われた。でもってその時、彼は鬱病か何かで仕事を長期離脱していた。電話でそう告げられたとき、当方の頭の中には「?」がたくさんできて、彼が何を言おうとしているのか全く理解できなかった。
大事なことが前置きなく唐突に告げられる。長期休業していることは初めて聞く。結婚ではなく、同棲だ。
話を進める順番がなっていない。これらを自分なりに整理すると、付き合っている人がいる。ただ、今は体調を整え職場復帰することが最優先。復帰して社会的に独り立ちしていけるようになったら結婚したい。そのときには彼女を連れて行くから会ってくれ。――という流れが一般的なのではないか。
第一、同棲するのに親の了解なんて取るか、フツー。このあたりが、他人には厳しいくせに自分のことには無反省で甘々なところが透けて見える。同棲中に不都合があっても、これは親の了解を得てやってきたことだから、自分だけの責任ではない。もしかしたらそう言いたいのではないか。
わがつれあいは、時代が違うのだからアナタが変だと思っても黙って見ていてあげたらどうかという。だが、彼の信じられないような言い分を黙って看過することは、自分にはできない。
だいたいにおいて、時代が違うという認識は間違っていることを明記しておきたい。かつてベビーブーマーが台頭してきた1960年代は、最多の人口を有するそのジェネレーションが立ち上がったために時代変化が起きた。ところが今は、相変わらず戦後世代が世の中の中心で、若者世代はメジャーになれないでいる。そいつらの言うことがメジャージェネレーションたる戦後世代の人々の心に響かなければ、いつまでもマイナーなままなのだ。
(okinawa-image)
彼からはずいぶんとひどい目に合わされてきた。中学時代に彼の起こした騒動によって家族の心がボロボロ、バラバラになり、多大な負債まで抱え込んだ。それが具体的に何なのかは、ここに書きたくもない。これを嚆矢として、高校時代には彼の身勝手によりまったく不要の住居費用を負担させられ、大学入学時には国立大学に入って仕送りが少なくて済んで親孝行だろうと自慢され、その間一度も謝罪や感謝の意を示されたことはなく、悔しい思いをした。大人になったら手前一人で責任をかぶれよと思ったものだ。
そういうことが大人になるにつれて改善されていくかと期待していたが、それもなかった。臨時教員として関東の私立高校で勤務し、県の教員採用試験を2年かけてやっと合格したと思ったら翌年には辞め、またもや臨時職に戻るという腰の落ち着かない生き方をしている。これらはすべて相談なしでやっている。
相談なんかしてもらわなくてもいいからすべて自分でやってくれよというのがこちらの思いなのだが、前述したように「結婚」ではなく「同棲」の承諾を取るために連絡してくるわけで、ナンナンダコイツハとわけがわからず、こちらの思考回路が正しく機能しなくなる。
まあ今回は、同棲ではなく結婚したいということだから、会ってみよう。しかし、納得のいかない手順や理屈に合わない要求などがあれば、聞き流すつもりだ。つれあいには言質を取られるようなことをこちらから言ってはならぬぞと命じた。こちらからの依頼事項はないのだ。むこうからの依頼事項は彼が自らの言葉で話すべきだ。なお、念のために付記するが、ダメなのはわが息子であって、連れてこられる女性には感謝こそすれ不満などあるはずがない。
昼前に山形に着き、一緒に食事をして、夕方の便で帰るという。その間の4時間ほどは、もしピキッとくることがあっても穏やかにしていたい。長い「我慢の時間」となるかもしれない。
今夜も早々と、22時には消灯。
でも、夜中に発する咳は前夜の3分の1から5分の1程度に減っていて、だいぶ改善されてきたように思う。完治するまでにはもう数日は必要だろうか。
大型連休は後半に入り、今日が下りの混雑のピークになるという。そんなとき、連休でないときでも動ける我々は余計なことはせず、できるだけ家でおとなしくしているほうがよい。
とは言っても、昼メシは店で食べたい。ということで、「めしや亭山形北町店」へ。この3月後半に行ったときに隣席でガテン系二人組が食べていたカレーライスがおいしそうだったのを思い出して、間を空けずの訪問となる。
10時56分の入店で、朝カレーライス+カニクリームコロッケ+海藻サラダ、500+120+110+税=803円。コーンサラダが売切れだったのが残念。外税が加わるとチト高い。
カレーは万人受けしそうな業務洋風の味で、それなりにおいしい。飯量は、今の自分にはほぼ適量で、大盛りいらず。トンカツの代わりのクリームコロッケは単体で食べてもおいしい。味噌汁が付いたのは「朝」カレーだったから? 油揚げとなめこで、豆腐・大根よりもグレード感あり。まあ納得だ。
(「めしや亭山形北町店」の朝カレーライス)
午後は、前日同様「だいたい四国八十八ヶ所」を静かに読む。
今日一気に最後まで読んでしまうつもりでいたが、そこまでは読めず、160ページ。ミーハー的な書きぶりで始まった本だったが、後半になってくると時々哲学的な思いのようなものも記されるようになってくるのだが、これらも巡礼の賜物だろうか。著者は、「へんろころがし」と言われるアップダウンの険しいところよりも、歩道が満足に整備されていない車道やトンネルを歩くほうがむしろ辛いと述べている。30kmほどの距離を連日歩いているとそう思えてくるのだろう。
夜はいつものような過ごし方。
ところで明日は、次男が結婚したい女性を連れてやってくる予定になっていて、これが憂鬱な気分の原因となっている。
今年で30歳になる次男が結婚したいのならそうすればいいし、相手となる人がどのような人物であっても正面から異議を唱えるようなことはしない。ただ、次男のやり方にはどうにも納得がいかないのだ。
1年半ほど前、ある人と同棲したいから会ってほしいと言われた。でもってその時、彼は鬱病か何かで仕事を長期離脱していた。電話でそう告げられたとき、当方の頭の中には「?」がたくさんできて、彼が何を言おうとしているのか全く理解できなかった。
大事なことが前置きなく唐突に告げられる。長期休業していることは初めて聞く。結婚ではなく、同棲だ。
話を進める順番がなっていない。これらを自分なりに整理すると、付き合っている人がいる。ただ、今は体調を整え職場復帰することが最優先。復帰して社会的に独り立ちしていけるようになったら結婚したい。そのときには彼女を連れて行くから会ってくれ。――という流れが一般的なのではないか。
第一、同棲するのに親の了解なんて取るか、フツー。このあたりが、他人には厳しいくせに自分のことには無反省で甘々なところが透けて見える。同棲中に不都合があっても、これは親の了解を得てやってきたことだから、自分だけの責任ではない。もしかしたらそう言いたいのではないか。
わがつれあいは、時代が違うのだからアナタが変だと思っても黙って見ていてあげたらどうかという。だが、彼の信じられないような言い分を黙って看過することは、自分にはできない。
だいたいにおいて、時代が違うという認識は間違っていることを明記しておきたい。かつてベビーブーマーが台頭してきた1960年代は、最多の人口を有するそのジェネレーションが立ち上がったために時代変化が起きた。ところが今は、相変わらず戦後世代が世の中の中心で、若者世代はメジャーになれないでいる。そいつらの言うことがメジャージェネレーションたる戦後世代の人々の心に響かなければ、いつまでもマイナーなままなのだ。
(okinawa-image)
彼からはずいぶんとひどい目に合わされてきた。中学時代に彼の起こした騒動によって家族の心がボロボロ、バラバラになり、多大な負債まで抱え込んだ。それが具体的に何なのかは、ここに書きたくもない。これを嚆矢として、高校時代には彼の身勝手によりまったく不要の住居費用を負担させられ、大学入学時には国立大学に入って仕送りが少なくて済んで親孝行だろうと自慢され、その間一度も謝罪や感謝の意を示されたことはなく、悔しい思いをした。大人になったら手前一人で責任をかぶれよと思ったものだ。
そういうことが大人になるにつれて改善されていくかと期待していたが、それもなかった。臨時教員として関東の私立高校で勤務し、県の教員採用試験を2年かけてやっと合格したと思ったら翌年には辞め、またもや臨時職に戻るという腰の落ち着かない生き方をしている。これらはすべて相談なしでやっている。
相談なんかしてもらわなくてもいいからすべて自分でやってくれよというのがこちらの思いなのだが、前述したように「結婚」ではなく「同棲」の承諾を取るために連絡してくるわけで、ナンナンダコイツハとわけがわからず、こちらの思考回路が正しく機能しなくなる。
まあ今回は、同棲ではなく結婚したいということだから、会ってみよう。しかし、納得のいかない手順や理屈に合わない要求などがあれば、聞き流すつもりだ。つれあいには言質を取られるようなことをこちらから言ってはならぬぞと命じた。こちらからの依頼事項はないのだ。むこうからの依頼事項は彼が自らの言葉で話すべきだ。なお、念のために付記するが、ダメなのはわが息子であって、連れてこられる女性には感謝こそすれ不満などあるはずがない。
昼前に山形に着き、一緒に食事をして、夕方の便で帰るという。その間の4時間ほどは、もしピキッとくることがあっても穏やかにしていたい。長い「我慢の時間」となるかもしれない。
今夜も早々と、22時には消灯。
2023.05.04
全一冊 小説 上杉鷹山 童門冬二
集英社文庫 960円+税
1996年12月20日 第1刷
2013年10月10日 第41刷発行
九州の小藩からわずか17歳で名門・上杉家の養子に入り、出羽・米沢の藩主となった治憲(はるのり、後の鷹山)は、破滅の危機にあった藩政を建て直すべく、直ちに改革に乗り出す。――高邁な理想に燃え、すぐれた実践能力と人を思いやる心で、家臣や領民の信頼を集めていった経世家・上杉鷹山の感動の生涯を描いた長篇。(カバー裏表紙から)
1983年に学陽書房から発刊された単行本が初出でしょうか。上下2巻になっていて、その体裁は1995年に同社から文庫本として発売されたときも同様でしたが、こちらはその1年後に「全一冊」となって集英社から文庫で発売されたものです。
細かい活字で680ページ超もあるものを、古書220円でお得に手に入れたわけです。1996年の第1冊から17年間で41冊まで版を重ねていて、根強い人気が窺えます。
小藩の高鍋藩から養子に入った江戸詰めの若い治憲の提唱する改革案を、本国米沢の生え抜きの重臣たちは、露骨に失笑し、悪意たっぷりに皮肉を述べています。しかし江戸時代、城主たる者をそこまで軽んじる風は実際にはあったのでしょうか。テレビの時代劇などでは城主は尋常とは思えないほど崇め立てられているものなのですが。
治憲が江戸出府から領国米沢へと戻ってくる際には、城外に架かる橋の修復をめぐって反治憲派の重鎮たちがクーデターを画策します。この事態に当たって治憲は、家中の者たちの意向を公開の場をつくって十分に取り入れる一方で、反対派の7人を厳しく処断して、城内の明るさを取り戻し始めています。まったく勧善懲悪的な内容ではあるけれども、小説として読むほうにとっては極めてわかりやすいものになっています。
著者の童門冬二は東京都職員だったので、大組織内にありがちな権力闘争について表現するのはお手のもののようです。なお、童門冬二は1927年生まれの95歳で、現時点でご健在のようです。
治憲は、将来にわたって改革を続けるためには人材育成が重要で、米沢藩の将来に役立つ人材を育てるための藩校づくりに乗り出しています。現在の県立米沢興譲館高校の基となるもので、当方、大学受験に落ちて予備校に通うようになると、この高校からやってきている人も多くいました。今はどうかわかりませんが、あの年代にあっては優秀というよりもむしろユニークな人材がたくさんいて、それは学風・校風の賜物なのだろうなと思ったものでした。
藩政改革のよき理解者であり片腕として、治憲が厚い信頼を置いていた家老竹俣当綱が、村方に饗応を求め、それによって年貢を加減していることが明らかになってきます。優れた人間であっても好事魔多しということがあり、権力に永く馴れていると知らないうちに人間は堕落するものです。あの人がと驚かれるようなことは今の世でも起こりうることで、似たようなことは人生の途上で見かけてきたような気がしないでもありません。人間とは弱い生き物――ということでしょうか。
(2023.4.4 読)