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2021.05.01 20210430 金
 6時半前起床。雨は上がっているが、まだどんよりとした曇り空で、不穏に感じる程度の風がある。本日は晴れのち雨の予報だ。
 ブログ記事3本の公開、連休の合間に開いた株式市況の確認とそれなりの注文など。株式については、この日大きく下げたZHDをほぼこの日の最安値で買った。ここから先、市場は5連休となるのかな。

 数日前からちょっとした腰痛があり、もしかしたら腹部に大動脈瘤ができているのではないかと不安になった。高校時代から付き合いがあった職場の同僚の友人が退職後すぐに亡くなったのはこれのためだし、司馬遼太郎が腰痛だろうとそのままにしていて死んだのもこれだったと聞いている。エコー検査をすれば簡単にわかるらしいので、行きつけの内科クリニックに赴いて、2か月に一度の内服薬の受領ついでに診てもらうことにした。
 結果は、問題なし。以前胆嚢に結石があると言われたことがあると伝えると、それは結石ではなくコレステロール性のちょっとしたポリープで、放っておいてもかまわないものであるとのこと。いずれにせよ血中コレステロールの高さが悪さをしているのだそうだ。ともあれこれで一安心だ。
 また、前回受診時に行った血液検査の結果が出ていて、こちらのほうも数値的には肝臓関連を中心に一定の改善が見られていた。またもや悪くなっているのではないかと危惧していたので、こういう傾向はとてもうれしい。

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(「伊勢そば屋」の天そば。この店でなければ食べられない逸品だ)

 クリニックはコロナのためか空いていて、あっという間に診察が終わり、近隣の店が開くまでまだ間がある。それでは、少し走って時間を使い、東根市野田の「伊勢そば屋」まで蕎麦を食べに行こうか。
 ここは田舎そばの名店なので、開店時間には今回もすでに客が並んでいる。前回は「もり天」を食べているので、今回はかけの「天そば」900円にしてみた。
 うーん、やっぱりすごい。他店とは全くベツモノと言っていい極太のぼそぼそとした蕎麦。箸でたぐってごっそりとなんて到底食べられるものではなく、いじっているうちにぶすぶすと切れて短くなってきたもの3~4本がやっと箸に絡んでくるといった食べ方になる。七味でも、わさびでも、どちらで食べてもおいしい。
 これも名物の激しく硬い天ぷらは、今回はつゆに浸して食べるので、口内を傷つけずに食べられてヨカッタ。それにしてもこの量はすごい! 腹がはちきれそうになるまで食べるという、まさに田舎蕎麦として正統的なサービングだ。
 かけそばにも蕎麦湯が供されるとは知らなかった。天ぷらの端々などが泳いでいるそばつゆにこれをエイヤッ!と注ぎ足してたっぷりと、おいしくいただく。すると、汗が拭ききれないほどに噴出するのだった。
 ああ、うまかったなあ。シアワセだったなあ。伊勢そば屋、サイコーでしょ。

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(懐かしのマーク・ボラン)

 昼過ぎには家に戻って、T・Rexのブギーを聴きながらこの日のログ付けを始める。彼らの音楽って、かれこれもう50年ほど前のものなのだ。だが、我が身にすれば、当時の音楽を聴けばあの頃考えていたことなどがにわかに思い出され、気持ちや気分まですっと当時に戻れる。
 音楽に身を浸すことで得られるこの心の安らぎや高揚感は近時なかったことで、幸せ感満杯だ。そういえば、この日はまだ母からの電話が来ていない。いや、そうではなく、ガンガン来ている。(この日は夜までに8回の着信あり) スマホをスヌーズ音が聞こえないところに放り投げているから気づかなかっただけだ。いいんじゃないか、そうすることでこんなに豊かな時間を持てるのならば。電話が近くにないだけでハッピーになれるというわけだもんな。1時間半ほどたっぷりと聴いた。
 その後は読書と昼寝。いい午後だ。

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(卯之町の町並みは小雨だった 2020.6.18)

 夜はいつもどおり。
 この日の読書も少なくて、「街道をゆく14 南伊予・西土佐の道」の60ページにとどまる。だが、司馬らは現西予市(当時の卯之町)から「魚棚通り」のあった吉田地区、そして奥羽がルーツの伊達が永く藩政を敷いた宇和島へと歩を進めていて、自分も四国車旅ではほぼ同様のルートをとったことから、興味深く読むことができた。
 23時半には就寝。

 6時起床。
 踵の痛みは癒えきっていないが、天気がいいので今日も歩くことになる。この日の予定としては、あおなみ線で「金城ふ頭」まで行き、戻って名古屋駅東側の「柳橋中央市場」や、「円頓寺(えんどうじ)商店街」、「四間道(しけみち)の町並み」(ものづくり文化の道)などを巡ろうと思う。
 前日分のドキュメント作成に手が付いていないので、記憶のあるうちにと朝の時間帯に少しだけ書く作業をするが、最後までいくには到底及ばない。

 9時半にフロントで、あと5泊予約しているところを3泊にして、18日にチェックアウトするよう変更する。これでこのステイの終期が決まった。あとはこの日に合わせてやるべきことをやるだけになる。

 そのまま外出して、名古屋駅の「メイチカ」にある「パーラーみかど」でモーニングサービスを食べる。10時までの入店でモーニングセット4種が用意されていて、その中からホットドッグセット(セットドリンク付)600円をチョイスする。
 うっすらと焼きが入って、ふんわりとしておいしいホットドッグだ。これにホットコーヒー。わりと空いていて静かなので、読書に集中できる。また、スマホで株価検索をして、上がっている2銘柄を売って今後のむこう3泊の代金以上の利益を確定する。
 小一時間ほどステイして退店。いい店だった。ふと見ると、この店の隣りは先にエビフライサンドを買った「コンパルメイチカ店」だったのにはその時まで気づかなかった。

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(「パーラーみかど」のホットドッグセット)

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(メイチカの「パーラーみかど」)

 名古屋駅から3セクの名古屋臨海高速鉄道あおなみ線に乗って「金城ふ頭」へ。
 金城ふ頭地区には、開業10周年を迎えた「リニア・鉄道館」や、子供たちに人気の「LEGOLAND Japan」、メッセ施設の「ポートメッセなごや」などがあるので散歩してみようと考えて、向かった。23℃まで上がって汗ばむぐらいだった昨日とは違い、この日は涼しくてシャツの長袖を下ろしたままでも汗が出ない。肌感覚でわかるが、湿度もかなり低いはずだ。

 「リニア・鉄道館」は、東海道新幹線を中心に、在来線から次世代の超電導リニアまでを展示しているスグレモノ施設だが、入場千円という高い料金を出してまで入りたいとは思わない。
 「メイカーズ ピア」は、レゴランドに近接して、ショップや飲食店など約40店舗が並んでいて、セントラル・パークの噴水では1時間毎に光と音楽と水の噴水ショーが上演されるという。

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(リニア・鉄道館)

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(「メイカーズ ピア」の入口。向こう側に「レゴランド」の建物が見える)

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(「メイカーズ ピア」のセントラル・パーク)

 「レゴランド」は音響がにぎやかだが、客足はガラガラで、コロナの影響をモロに受けているようだ。また、「メイカーズ ピア」内を歩くと、空き店舗も散見される。だが、そんな中には「台場怪奇学校 名古屋校」なんていう変わったところもある。これは何なのだろう。コワいので写真だけにしておく。
 「レゴランド」の並びにあった「ポートメッセなごや 名古屋市国際展示場」。イベントのないこの日は実に静かなもので、正面入口前の芝生を手入れしている作業員二人だけしかいなかった。
 「金城ふ頭中央緑地」と名の付く余剰地で、港方面を眺める。韓国船籍の古い船が停泊していて、ここは港湾地帯であることを再確認させられる。
 ぼちぼち「金城ふ頭駅」へと戻るが、駅の隣接地では「ポートメッセなごや」の第一展示館の移転建替工事が進められていた。移転開業は2022年10月の予定だという。

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(「レゴランド」は音響がにぎやかだがガラガラ)

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(台場怪奇学校 名古屋校)

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(イベントのない「ポートメッセなごや」も静か)

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(「金城ふ頭中央緑地」から港方面を望む)

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(駅の隣接地では「ポートメッセなごや」の移転建替工事が進められていた)

 12時40分、名古屋駅に戻る。
 この日の昼は、名古屋の台湾ラーメンの汁なしバージョンである台湾まぜそばをまだ食べていないので、これにしたい。駅の太閤口至近に「らーめんまぜそばあらし名駅店」というのがあると調べてきたので、そこへ。
 なお、台湾ラーメンについて改めて整理しておくと、名古屋で生まれた本場台湾にはない激辛ラーメンで、トウガラシ、ニンニクを加えて炒めた辛ミンチをトッピングし、ほかにニラ、モヤシがなどが入り、スープは鶏ガラベースのすっきりしたものだ。昭和40年代に、名古屋市内の台湾料理店「味仙(みせん)」の創業者が従業員のまかないとして作ったのが始まりとされている。激辛ブームに乗って、名古屋の中華店、ラーメン店の約半数で採用されているといい、台湾まぜそばをはじめとしたアレンジメニューも多数生まれている。
 台湾まぜそば850円。辛い味付けの挽肉と魚粉の香りがよくマッチしておいしい。麺は全粒粉の極太で文句なし。締めに少量の追い飯を追加して味の濃いところをスプーンで食べるのもうまし。

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(「らーめんまぜそばあらし名駅店」の台湾まぜそば)

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(「らーめんまぜそばあらし名駅店」の入口は狭い)

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(太閤口側から名古屋駅を望む)

 「柳橋中央市場」を見るために名古屋駅の桜通口方面に出て、再び「ナナちゃん人形」前を通る。この日のナナちゃんは黒い皮革風の衣装をまとい、手には機関銃という勇ましいいでたちだった。名探偵コナンと何らかの関係があるのかもしれない。彼女の衣装替えの頻度はどのぐらいなのだろうか。

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(この日の「ナナちゃん人形」は、手に機関銃を持ち、黒ずくめ)

 「柳橋中央市場」は、明治後期に開かれていた鮮魚市場が前身で、この地域の万物問屋をまとめる形で始まった、都心部一等地に構える市場だ。鮮魚、肉、野菜、海苔や乾物、総菜、果ては調理器具にまで、専門店が出店している。賑やかなのは早朝から10時頃までらしく、この時間は路地の奥のほうは店が閉まって人が全くいないし、メインの「マルナカ食品センター」内も入口付近の店で一仕事終えて飲み食いしている人々がいる程度だった。
 けれども、食品センター周辺の市場らしいごちゃごちゃとした風情に浸るのは心地がいい。表通りは都会らしい高層ビルばかりに見えるが、道を一本入ると古き良き時代の別世界が広がっているという不思議感がある。

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(「柳橋中央市場」のメインストリート)

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(この時間は路地の奥のほうは店が閉まって人が全くいない)

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(柳橋中央市場マルナカ食品センター)

 「柳橋中央市場」から国際センター駅のある桜通りを北に越えて、西区那古野(なごの)の「ものづくり文化の道」方面へと進む。
 名古屋城西側の地域には、伝統技能として受け継がれている名古屋友禅や名古屋扇子、さらには菓子メーカー・問屋が集積している場所がある。これらは「四間道」や「円頓寺商店街」、「美濃路」付近のことで、このエリアを「ものづくり文化の道」と呼んでいるらしい。

 「円頓寺商店街」。
 名古屋駅と名古屋城のほぼ中間に位置する、信長が清洲から名古屋に移ってきたときに付いてきた商人たちの町で、大須などとともに昔は繁華街だったという。高速の高架が南北に走る円頓寺交差点の西側が「円頓寺本町商店街」で、東側が「円頓寺商店街」になっている。
 今も名古屋の下町の雰囲気が残っていて、飲食店、日用品等の店が並んでいるのだが、その中にはスペイン料理店があったり、インド人らしき女性が呼び込みをしていたりと、このあたりには多くの外国人も住んでいるように思う。
 屋根の開閉ができるアーケードがあることが特徴になっているが、それを開け閉めするためのロープがずらりと垂れ下がっていてうるさく、どうもこれがこの通りのうらぶれ始めている印象を助長しているように思えるのだった。

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(「円頓寺本町商店街」の入口)

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(円頓寺本町商店街)

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(こちらは「円頓寺商店街」の入口)

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(円頓寺商店街)

 いったん那古野界隈を離れて少しだけ東へと進み、東建コーポレーション本社の1階にある「刀剣コレクション 名古屋・丸の内」へ。東建だけに刀剣?
 2020年6月に予定されていた「名古屋刀剣博物館 名古屋刀剣ワールド(メーハク)」の開館に先立って、刀剣・甲冑・槍・薙刀・火縄銃を無料で公開しているという。刀剣もあったが、どちらかというとずらりと並んだ甲冑(当世具足)が見所になっていた。展示スペースはあまり広くない。
 なお、メーハクのオープンは、新型コロナの煽りを受けて延期され、現在も開館日も見通しは立っていないようだ。

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(「刀剣コレクション 名古屋・丸の内」の、ずらりと並んだ甲冑が見事)

 「那古野神社」にも足を運んで参拝する。神社の読みは、なごの、なごやのどちらも可のようだ。
 911年に現在の中区丸の内に鎮祭され、城の総鎮守、名古屋の氏神として祀られていたが、廃藩置県に伴って1876年に現在地に移されている。周辺の開発のためか、鳥居から拝殿までの参道がカギ形になっているのが妙に不自然だ。ここはかつて藩校「明倫堂」があったところで、明治以降様々な神様たちが合祀されている場所になっている。

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(那古野神社)

 ここからは来た道を戻って「四間道 町並み保存地区」へと向かうが、その前に少し手前を南に曲がって「美濃路」をチラ見する。
 この通りにある「伊藤家住宅」は、江戸時代には尾張藩の御用商人を務めた家筋にあたり、堀川の水運を利用して家業を営んだ商家の屋敷の典型例となる遺構であるとのこと。
 なお美濃路は、東海道熱田宿から名古屋、清須を経て垂井で中山道と合流する街道で、6つの宿場がある全長約58kmの街道。戦国時代には信長の桶狭間の戦い、秀吉の小田原征伐、家康も関ヶ原の戦いで凱旋した街道だったという。

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(「円頓寺商店街」の東の入口、堀川に架かる五条橋。高低差のあるこの風情は昔のままだろう)

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(美濃路)

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(伊藤家住宅)

 そしてもう1か所、「円頓寺商店街」にある「なごのや(旧店名・西アサヒ)」に寄りたい。
 円頓寺商店街で長年愛され、2013年に閉店したタマゴサンドの名店「西アサヒ」だったが、商店街関係者と現在のオーナーによって15年、喫茶店・食堂・宿泊施設として再オープンしている。この店のことを知ったのは、この3月に読んだ小説「名古屋駅西 喫茶ユトリロ」(太田忠司著、ハルキ文庫、2016)でのことだ。この本からは名古屋に関するいろいろなことを学んでいる。読んで、名古屋に行ったらぜひ食べてみようと思っていたのだ。
 タマゴサンド750円。本来ならば食べていきたいところだが、この前に追い飯付きのまぜそばを食べているので、やむなくテイクアウトする。

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(円頓寺商店街の「なごのや」

 そして、「四間道町並み保存地区」へ。
 名古屋の城下を流れる堀川の西側にある、1610年の名古屋城築城とともに始まった清須越(きよすごし。清洲から名古屋への都市の移転)に伴ってつくられた商人町。四間道は、1700年の大火の後、防火の目的と旧大船町商人の商業活動のため、道路幅を四間(約7m)に広げたので、その名前がついたといわれる。
 石垣の上に建つ土蔵群と軒を連ねる町家が通りに面して建ち並んでいる現在の四間道の景観は、1740年頃に形成されたものだ。

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(「四間道」の白壁群)

 本日はここまで。
 近くの国際センター駅から地下鉄に乗って、16時前にホテル戻り。本日は1万6千歩だった。

 今夜の飲み方は19時前から。ポテチとバタピー入りのつぶせんべいの乾きもので飲む。
 飲んでから、「なごのや」のタマゴサンドを食べる。普通の玉子焼きに刻みキュウリのマヨネーズ和えが入っているやさしい味で。おそらくはそういうやさしめ路線を狙っているのだろうが、もっとマーガリンやマヨネーズを効かせてバタ臭い味にしないと、いかな名店のものであろうとも徐々に埋没していきそうな懸念を感じたところ。また、テイクアウトだと湿気がパンに移って、つくり立てのおいしさが失われてしまう。やはり店で食べるのがいいのだろうな。

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(「なごのや」のタマゴサンド)

 その後は本日分のログ付けをするのだが、これもこの夜のうちには終わらず。書くべきことがだんだん溜まっていき、それを消化していく精神的体力が残っていない。まあ、写真と、要点のみを書いた野帳があれば、あとになってからでもそれなりに書ける。一晩、あるいは2~3日寝かせておいたほうが、熟成感が出ていい文章になることもあるかもしれない。

 帰るまでにアンダーシャツが1枚足りなくなる計算なので、バスルームで手洗いをする。部屋干しすれば明朝までには乾くだろう。
 ということで、23時過ぎにパソコンを閉じて、気持ちはもう明日へ。
 読書は、就寝までに「日暮れ竹河岸」を90ページ。
 今日もよく頑張って、足首がガタガタになっている。

(参考までに書いておくと、この日分と前日分、つまり4月14日、15日分を書き上げることができたのは、大雨のため早上がりした4月17日の夜になった。)

 7時前にようやく起床。一昨日、昨日と連日たっぷり歩いているため、じわじわと溜まってきていた疲労が早く起きられない原因になっているようだ。
 テレビを点けると、NHKの毎朝のローカルニュース「おはよう東海」では藤井彩子がキャスターを務めている。東京で一時は全国番組「NHKニュースおはよう日本」、最近ではラジオの「すっぴん」を担当していたが、この4月からこちらに転勤したようだ。
 固形物はとらずオレンジジュースを飲んで寛ぐ。冷蔵庫を最弱にしているが、ジュースはシャーベット状になっている。それはキンキンに冷たくておいしいのだが。茶など濃度の薄いものは毎日凍ってしまい、困っている。

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(NHK「おはよう東海」には藤井彩子が出ていた)

 本日は、まだ見残していた「名古屋城」を中心に据えよう。それだけだと時間に余裕があるはずなので、体力が許せば「庄内緑地公園」まで足を伸ばすつもりだ。
 今朝行く栄周辺のモーニングサービス処を調べ、行先のルーティングを固めて、9時半にホテルを出る。すると、外はもう小雨。雨は15時以降ぐらいからになるとの予報だったのに。湿度も異常に高い。でもまあ、このぐらいであれば傘がなくとも歩ける。途中で降らば降れ、その時は早めに切り上げてホテルに戻るだけのことだ。

 この日の昼食はぜひとも、地下鉄栄駅近くの「黒豚屋らむちぃ」の味噌カツランチにしたい。それに合わせてまずはその近くの喫茶店で朝のコーヒーといきたいところだ。
 シナモントーストハーフとサラダという変わり種がある久屋大通駅至近の「珈琲エーデルワイス」と、ドリンク+150円で名古屋のスタンダードなモーニングが食べられる栄駅周辺の「カフェ セブン」をリストアップしてみた。この日は久しぶりに地下鉄24時間券を使うことにしていて、何度乗り換えてもかまわないので、栄から一駅離れている「珈琲エーデルワイス」に決定。

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(珈琲エーデルワイス)

 「珈琲エーデルワイス」は個人経営のようで、馴染み客以外には愛想を使わない男性店主と、地元言葉でよくしゃべる中年女性店員がいた。奥のほうが半2階になっていて、この店のつくりは先にも紹介した小説「名古屋駅西 喫茶ユトリロ」に登場する喫茶店「ユトリロ」を彷彿とさせるもので、聞こえてくる常連客と店の人との会話もそんな感じだ。
 モーニングのC、コーヒー・シナモントーストハーフ・サラダで420円。パンには生バナナの輪切りにシナモンが振りかけられていておいしい。小さなサラダにはポテトサラダも入っている。この値段で本を読みながら1時間近くもお邪魔してしまい、どうもスミマセンと言わなければならないぐらいだ。

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(モーニングのCセットはこれで420円)

 久屋大通りから「森の地下街」「サカエチカ」を歩いて、ビルの地下1階にある「黒豚屋らむちぃ」へ。栄の人気味噌カツ店で、超個性派のねぎだく味噌カツが名物になっている。
 味噌カツランチ1600円。一瞬「ネギ盛り」を間違えて頼んだかなと思うほどに、ドカネギが味噌カツを完全に隠してぶっかけられた形で登場。うひゃあ、すごいな、これはおいしそうだ。
 見た目は口の味覚ほどにものを言い、おいしい。ネギの山をかきわけると姿を現すカツは、カクキューの八丁味噌を使った味噌だれとよく絡み、肉の厚さも十分。深い甘みがあるそれを、ネギと合わせて食べればすっきりした味わいになる。ごはん、赤だし、キャベツがおかわり自由とのことなので、ごはん半膳と赤だしのおかわりをする。赤だしがうまいんだなぁ。
 これに食後のドリンクが付いて、充実の昼食となった。わざわざ選んできた甲斐があったというものだ。退店時の正午前には、店前の通りでやっているテイクアウトがガンガン売れて、厨房がさばき切れない状態になっていた。

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(「黒豚屋らむちぃ」の味噌カツランチ)

 この日メインとなる「名古屋城」を見るべく、地下鉄「市役所」からアプローチする。
 「名古屋城」は、1610年、徳川家康が子の義直の居城とするため普請を始めたもの。戦災で焼失したが、1959年、金のシャチをいただく五層の大天守閣と小天守閣が再建されている。また、10年に及んだ「本丸御殿」の復元工事が終わり、2018年6月から公開されている。さらに、名古屋城と言えば金のシャチホコだが、今年の3月から、コロナの早期収束を願い復興へと導くシンボルとして16年ぶり3回目の地上降臨をしているとのことで、今は屋根の上にはない。

 城の南側、水のない外濠の脇を歩いて城の正門へと向かうと、その左手に見えてきたのが「金シャチ横丁 義直ゾーン」だ。
 2018年3月に、名古屋城下の2つのエリアにオープンした商業施設のひとつ。尾張徳川家の初代藩主徳川義直公の名を冠したゾーンで、「伝統・正統」をコンセプトとし、建物は江戸時代の商家を思わせる木造純和風建築になっている。名古屋めし名店や老舗飲食店が並んでいるのだが、愛知県でも近々まん延防止等重点措置がとられるご時世では賑わいは感じられず、冴えない状況だった。

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(「金シャチ横丁 義直ゾーン」もコロナで苦戦中)

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(水飲み場も金シャチ)

 入場料を払って入城した「名古屋城」では、入ってすぐのところに地上降臨した金鯱の複製が置かれていたので、喜んで撮影する。近くにいたガイドボランティアは実物大と言っていたような気がするが、間近に見るとそれほど大きくは感じないのだった。なお本物は、栄の三越前で行われている「名古屋城金シャチ特別展覧」に行っているらしい。

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(名古屋城正門)

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(地上降臨した金鯱の複製が置かれていた)

 その奥左手には名古屋市が新設した「西の丸御蔵城宝館」があり、そのプレオープン企画として「鯱展」が行われていた。帰ってから調べてみると、なんと今日がその初日だった。名古屋城のみならず天守閣などの象徴となる鯱にかかわる資料を一堂に集めていた。

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(「西の丸御蔵城宝館」では本日からプレオープン企画の「鯱展」(内部))

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(西南隅櫓(右)と天守閣)

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(本丸表二之門と東南隅櫓(右奥))

 今回の名古屋城内見学で最も見応えのあったのは、「名古屋城本丸御殿」だった。
 尾張藩主の住居であり藩の政庁として1615年、徳川家康の命によって建てられたものの、1945年の空襲で全焼。復元が待ち望まれ、3年ほど前から公開されているものだ。
 見どころは豊富。外観の屋根の「柿葺き(こけらぶき)」が深みを湛えて美しい。正式な謁見の場として用いられた「表書院」、3代将軍家光の上洛に合わせて増築された「上洛殿」、藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた「対面所」などがある。部屋の格式や用途によって、天井や欄間、飾金具、障壁画などのつくりや意匠が大きく変わるところも興味深く見る。

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(「名古屋城本丸御殿」の屋根は柿葺き)

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(「表書院」)

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(「上洛殿」)

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(キンキラキンの欄間)

 なお天守閣は、金シャチなしで、耐震上強度不足とのことで中には入れないのだった。
 「名古屋城」は、先に見てきた「姫路城」ほどにはアトラクティブではなかったが、「名古屋城本丸御殿」は佐賀城の本丸御殿を再建した「佐賀県立佐賀城本丸歴史館」よりも上を行っていると思う。キンキラの内装なんて、いかにも名古屋人が好みそうなド派手さをいかんなく出しているものね。

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(シャチホコのない「名古屋城天守閣」)

 名古屋城内を出て、すぐ傍にある「名古屋能楽堂」が世界最大の能楽堂だというので、ここもチェックしておく。
 630席の広々とした能楽堂内部を見られないのは残念だったが、入場無料の展示室があったので覗いておく。タダなので文句は言えないが、まあ、あまりぱっとしない展示内容。エントランスには、東照宮の祭礼の山車に乗せられていたという「橋弁慶」のからくりが復元展示されていたので撮っておく。
 前庭には「加藤清正像」。加藤清正と言えば熊本城を思い出すが、清正は築城の名人とされ、名古屋城の築城にも大いに手腕を発揮したとされている。

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(名古屋能楽堂)

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(「橋弁慶」の復元からくり)

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(前庭にあった「加藤清正像」)

2021.05.05 20210504 火
 起床6時15分。久々に天気がよく、空がスカッと晴れている。この日は長男のところに生まれた初孫のお宮参りをする日で、こういう天候になったことが喜ばしい。昨日までは数日雨が続き、また明日も雨が降ると予報している。こうなるのがわからないうちに実施日を設定した長男たちの勘がよかったということにしておこう。
 実家に近い総合病院で出産を終えた長男嫁さんがこちらに戻ってきてまだ数日だし、コロナの蔓延防止のため長男は病院に見舞いに行くことすらできなかったような中、さっそくの宮参りという位置付けになる。

 珍しく2日続けて髭を剃る。嫁さんのご両親も庄内から駆け付けるというので、きちんとした服装で行くべきだろうかとつれあいは迷っているが、こっちは背広など2年以上も着ることなく生きているので、もうそんな恰好は気恥ずかしくもあってしたいとは思えず、いつものチノパンとボタンダウンシャツに薄手のラフなジャケットを羽織って行くことにする。思えばこれらはすべてユニクロで調達したもので、無収入ともなればいで立ちもすっかりお安いものになっている。いいんですよ、これで。外に向けて気取るなんて、自分にはもう必要のないことであって、体に合ったサイズの清潔なものを見苦しくなく身に着けていればそれでいいのだ。
 出かけるまでの間に、藤沢周平を読む。

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 9時過ぎに家を出て、長男宅へ。孫のはるき君と初めてのご対面。写真や動画では何度か見ているが、実物はかわいさひとしおだ。初めて抱かせてもらうと、容積のわりにはぽってりとして重く、温かい。もそもそと動かしている小さな手足が愛おしいし、短い間に刻々と変わる仕草や表情は見ていて飽きるものではない。子ではなく孫だからこそ、かわいいなあというだけの無責任な感想を言えるのだろうけど。
 嫁さんのご両親と会うのはおそらく長男たちの結婚式のとき以来だと思われ、そうすると5年ぶりぐらいなのかもしれず、ずいぶん無沙汰をしてしまった。親戚づきあいなどというものはどうも苦手で、こちらからアプローチして会うようなことは意識して避けているようなところがある。社会性に乏しい人間であることを、みなさん、どうか勘弁してほしい。でも、会えば会ったでそれなりの対応はしているつもりだ。つまりは、人と会うのが億劫なだけなのです。

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(「山形県護国神社」でお宮参り)

 11時までに護国神社に赴いて、健やかに育てとご祈祷をしてもらう。戻る途中にホテルメトロポリタン山形の「最上亭」に寄って予約していた6人分の弁当を受領し、長男宅で食べる。嫁さんのご両親は、仕事の関係もあって大人数の食事は避けたいとのことだったので、持ち帰ってもらった。
 コロナのことがあるので我々も長居は無用。13時半には帰宅する。

 ふだん誰かと共に過ごすことなどめっきり少なくなっているので、知らず知らずのうちに緊張していたのか、大谷翔平の先発が予定されていた今朝の大リーグ中継を録画で観るが、昨日のゲームで右腕にデッドボールを受けたため大事をとって投手ではなく打者で出場していたので、見ていて眠い。少し横になったらたちまち眠くなってきた。この自然の欲求には逆らわないほうがよかろうと、そのまま昼寝に入る。いつもよりもぐっすり眠った感覚がある。
 また、左腕がだるいのだが、これはまさか、少しの間赤ん坊を抱いたからというわけではないだろうな。でも、だったら何が原因なのだろう?

 夜は、この日いただいた酒田・東北銘醸の「初孫・苗の息吹」と名の付く、山形酒造好適米「出羽の里」100%の生酛純米生原酒を口開けして飲む。
 合わせる録画は、「バナナマンのせっかくグルメ」の静岡県下田編、「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」の総集編パート2など。ほかには、この夜もT・REXのボランブギー鑑賞。日本酒のほかにいつものチューハイも飲んだので、酔いはいつもよりも深い。

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 このようにして、酔いの中で今日一日が暮れていく。その昔当方がおしめ替えをしたあの長男が、今度はその息子のおしめを甲斐甲斐しく替えている様子を見て、ひと世代が変わる30年ほどの時間がくるりと回ったこと、そして自分の余命もその分だけ減ってきたことなどを思った日となった。
 日本酒が効いたのか、昼寝をしたのに眠い。眠くなるまでやるつもりだった読書もできずに、23時過ぎには寝入っていたと思う。

 この日の読書は、「ふるさとへ廻る六部は」(藤沢周平著、新潮文庫、1995)を80ページ。