fc2ブログ
 2019年7月16日(火)。
 「道の駅よってけ!島牧」の朝はとても静かで、つい6時半まで眠り込む。しかし駐車の方角を誤り、朝日が顔に直接当たるような形になってしまったので、その眩しさと車内の暑さで目が覚めた。起床時に汗をかいたのはこの旅では今朝が初めてとなる。車内に蚊が入っているようなので、うかつに肌を出すと咬まれるし、車中泊はそれなりに悩みが多いのだ。
 男子トイレに3つある大便器のうち洋式は1台のみ。これを確保することができて用便。道の駅は駅自体の設置場所がステイ先決定の主要ファクターとなるが、トイレの良し悪しも極めて重要だ。道の駅にはトイレがあるからこそステイするわけなのだから。

5990_2019081607460389b.jpg
朝の道の駅よってけ!島牧。晴れた!

 この日もドライブ中心。海岸線をせたな、八雲、乙部、江差と松前方面へ南下していく。朝の段階ではほぼ快晴。だが、北海道の空は油断ならないことをこれまでに学習している。
 7時半に行動開始。せたな町までの40分ほどを時速70キロのオートクルーズで走るが、この間遅い車も抜いていく車も1台としてなし。この地域にはラッシュアワーは存在しない。
 晴れたので特にそう感じたのかもしれないが、ここの海岸は海・空・山がとてもきれいに見える上に、多くの奇岩と様々な表情を持つ磯も魅力的だ。たくさんの奇岩の中にはゴジラや人の姿に見えるものが20体ぐらいはあったのではないか。

 せたな町の「三本杉岩」。高さ30m前後で紺碧の海にそびえ立つ鋭い形をした3つの巨岩が三本杉のように見える。
 ビューポイントには「海難慰霊碑」と平成天皇の御製碑があった。御製は、1993年の北海道南西沖地震からの復興を思い1998年に詠まれたものだった。

6000_20190816074604147.jpg
三本杉岩with海難慰霊碑(右)と平成天皇の御製碑

6010_20190816074606ce8.jpg
三本杉岩とともに人魚の像も

 さらに南下するに当たって、国道229号を離れ、回り道をして日本海沿岸を走る道道に入ってみる。海が陽の光を浴びて蒼い。途中一部に未改良区間があるほかは運転するにはまあ快適で、長大トンネルが続く。これらのトンネルは北海道がつくったの? いくらかかったのだろう、すごいな。

 海の向こうに奥尻島が見えた。1993年7月に発生した北海道南西沖地震では、発災直後に奥尻島は津波に襲われ、「火災が発生している」との未確認情報がニュースで流れていたのを思い出す。その火災はこの対岸からもよく見えたのではないだろうか。
 手持ちの現金が少なくなってきたので、八雲町熊石の郵便局で数万円を引き出す。

 乙部に入って「元和台海浜公園」へ。岬の突端に位置し、巨大な海のプール、緑地広場、レストラン、展望台等があり、夏には多くの観光客で賑わうという。
 そのとおり、晴れた暖かい日に来るには最高の場所だろう。北緯42度にある高台に広々とした芝の広場と展望台があり、ここは静御前の最期の地でもあるのだそうだ。展望台から下を眺めればそこには緑地広場。永田裕志の「白目ポーズ」に似た岩があった。プールはもう少し先の7月21日にオープンするとのこと。

6020_20190816074607094.jpg
元和台海浜公園。左手の古木の脇には「静御前の最期の地」の案内板

6030_20190816074609546.jpg
天気さえよければ景色はこうだ

6040_201908160746107f8.jpg
永田裕志の「白目ポーズ」に似た岩があった

 乙部の「館の岬」。白亜の断崖と磯一帯の奇岩が美しい調和をみせ、東洋のグランドキャニオンとも呼ばれているというのだが、それはやや大袈裟か。青森県にも「日本キャニオン」というのがあったよな。

6050_20190816074612c68.jpg
館の岬

 「箱館戦争官軍上陸の跡」。1869年4月9日未明、乙部の海上に官軍の大艦隊が押し寄せ、津花(元町)、相泊(館浦)に上陸した。上陸した官軍は、現在の宮の森公園付近などで旧幕府軍と交戦し、五稜郭を目指した。――と説明書きに書いてある。
 官軍が上陸したとされる場所には花が活けられてきれいに整備されているが、すぐ後ろはテトラポッド置き場だった。

6060_20190816074613a18.jpg
箱館戦争官軍上陸の跡

 江差町へ。江差の旧市内、中歌町・姥神町一帯の中歌姥神街道は別名「いにしえ街道」ともいわれ、藩政時代には商業・漁業の中心基地として大いに賑わったところのよう。町筋にはいくつかの妻入形式の民家や土蔵造の民家、土蔵などが点在し、道の両側に並ぶ建物は壁画線やボリュームが比較的揃っていて、昔ながらの雰囲気を色濃く残している。
 酒看板が素晴らしい建物は、今は茶房。その南隣が「旧中村家住宅」で、ニシン漁全盛時代を今に伝える廻船問屋だ。江戸時代から日本海沿岸の漁家を相手に海産物の仲買商を営んでいた近江商人の大橋宇兵衛なる人物が建てたもので、家屋は当時江差と北陸を往復する北前船で運んできた越前石を積み上げた土台に、総ヒノキ切妻造りを乗せたとても大きな二階建てだ。
 「旧檜山爾志郡役所」は、今となっては北海道で唯一現存する郡役所で、北海道有形民俗指定文化財。
 「横山家」もニシン漁全盛期を偲ばせる回船問屋でこれも大きな建物。「にしんそば」の看板が出ていたが、当分の間閉館中だった。

6070_201908160746156c3.jpg
江差いにしえ街道の町並み

6080_20190816074616466.jpg
古い酒看板が素晴らしい

6090_20190816074618467.jpg
旧中村家住宅。間口は広くないが、建物の奥行が半端ではないのだった

6100_201908160746192a6.jpg
旧檜山爾志郡役所

6110_20190816074656532.jpg
横山家住宅

 「江差追分会館」に併設の「お食事処えさし」にて昼食をとる。江差名物にしんそば920円。大きな期待は持たずに注文したが、だいたい想定どおりの品だったか。にしんだって地物ではないだろうが、江差でにしんそばを食べるということにこそ意義があると思おうではないか。

6120_20190816074657044.jpg
江差追分会館

6130_20190816074659bd1.jpg
お食事処えさしの江差名物にしんそば

 「江差追分会館」では、1日3回の実演もやっていて、それが始まる13時まで30分ほど時間があるので、まずは展示物を見てお勉強をする。江差追分は、中仙道で歌われていた馬子唄「信濃追分」が越後に伝えられ、山の馬子唄が海の調べに変わり、舟唄となって「越後追分」になり、さらに200年前江差に運ばれてきたものだとのこと。唄はめぐるもの。当時は録音機などなかったから、口伝えで広がり、それぞれに特徴が生まれたわけだ。
 実演では、「道南ナット節」、「江追分」を前唄、本唄、あと唄ぜんぶを「一本通して」、それと「ソーラン節」。観客たったの4名で聴くのはもったいないぐらいのいい聴きもの。「江差追分」では尺八の悲しげな音色と「そーいそい」の合いの手が泣かせるのだった。
 なお「ナット節」は、特に千島、樺太で働く人足たちに歌われた労作唄で、缶詰工場の工員たちによって歌われて「缶詰所節」「女工節」となり、さらに山形に伝わって「真室川音頭」になったといわれている。

6140_201908160747007a1.jpg
昔も今も浜田喜一が江差追分の第一人者の位置づけのようだ

6150_201908160747026bb.jpg
姥神大神宮祭典を紹介する「江差山車会館」が併設されていた

6160_201908160747030c2.jpg
実演も聴くことができた

 江差ではもう1か所、「鴎島」。
 古代ギリシャ人の横顔に見えなくもない「瓶子(へいし)岩」が迎えてくれる。島内には、江戸末期に大砲が据えられていた「テカエシ台場跡」、厳島神社、芭蕉句碑、江差追分の功労者である浜田喜一像、鴎島灯台などがあり、「北海の江の島」ともよばれているのだとか。
 周囲2.6kmの平坦な島で、防波堤で江差町の市街地と結ばれている。「江差追分」にも唄われるこの島は、江差のシンボルとして人々に親しまれているという。
 江差町では参院選のほかに江差町議選も公示されていて、町中から選挙カーのしゃべくりがきこえてきてにぎやかなのだった。
 島の手前には「えさし海の駅」があり、幕末期に幕府海軍所属船として活躍したオランダ製軍艦「開陽丸」が復元展示されていた。

6170_20190816074705c9d.jpg
鴎島の入口にあった瓶子岩

6180_20190816074706277.jpg
テカエシ台場跡

6190_20190816074708af7.jpg
浜田喜一師之像

6200_20190816074709853.jpg
鴎島灯台

6210_2019081607471108f.jpg
復元された開陽丸

 この日は早めに上がろうと14時半頃には見て歩きを切り上げ、本日の入浴どころを探す。しかし、このあたりにある施設は限定的で、うちひとつは火曜休み。隣りの上ノ国町の山手にある風呂は月曜休みとなっているのではるばる行ってみたが、海の日代休。shit!
 大駆けして江差に戻り最後の1軒に行くも、15時からとの情報なのに16時かららしくまだ開いていず。オーマイガッ!
 3か所連続してそっぽを向かれ、結局この日は風呂なしとなってしまう。
 ついでに書くと、ログ付け目的で行ってみた江差公民館は海の日振替休日だし、上ノ国町の図書室は開いてはいるがパソコンスペースなしと、この日は散々。まったく月曜祝日の取り扱いをめぐってはいろいろと翻弄されることばかりだった。

 「道の駅 上ノ国もんじゅ」には、いつもよりも少し早い16時半に着き、この日はこれで終わりにする。
 ここは海の見えるロケーションで海風が清々しい。陽が残って西日がきついけれども、車のリアウインドウに網を付けて全開すれば風が入って気持ちがいい。早上がりしてラジオで大相撲中継を聞くのも悪くない。
 相撲をやっている時間から飲み始めて明るいうちに気持ちよくなる。18時半までにはできあがり。海越しに見える江差が大きな街に思える。

 7月16日の走行距離は201km。

 2019年7月17日(水)。
 夜中にはごうごうとした強風が吹き続け、車が揺れっぱなしだった。海のそばの高台というロケーションはステイ先の選択を誤っただろうか。24時には妙な発汗があって目を覚ましたが、二度寝して6時起床。明け方からは雷鳴を伴う土砂降りで、朝の身支度も濡れながらの作業となる。晴れたのは昨日一日だけだったか。
 この日も渡島半島の南下を続け、どこかパソコンができるところでドキュメント作業をして、風呂にもしっかり入りたい。1日入浴しないだけで頭が痒くなっている。
 7時15分発。

6220_201908160747127dc.jpg
朝の道の駅上ノ国もんじゅ

 松前町まで下って、「松前城」へ。松前藩初代藩主の松前慶広が1606年に福山城として築城。その後子孫が代々城主となるが、1807年からの14年間は幕府が直轄し、その間藩主章広は奥州梁川に移封された。21年には復領し、49年崇広のときに幕府が新城の構築を命じ、54年完成。
 維新後の68年には旧幕軍が占拠するが、翌年新政府軍が奪回。天守閣が1949年まで存在したが焼失し、61年に復興された。
 公園内を歩いて一周。多門櫓跡を見て、城へと続く正面口が開く時間ではないので、有料エリアの後ろ側から城を見る。その後、松前神社、本丸表御殿跡から城、寺町通り散策路に入って法源寺山門、龍雲院、光善寺などを見て歩く。松前は幕末には3万人の人口があったというが、寺町も当時と比べて半分以下の寺門数になって静かなものだ。

6230_201908160747141c1.jpg
松前城の天守閣へのエントランス。まだ開いていない

6250_20190816074717113.jpg
松前神社

6240_20190816074715483.jpg
本丸表御殿跡から見た天守閣

6260_20190816074718ea7.jpg
北海道文化財法源寺山門

6270_201908160747202c8.jpg
寺町通り散策路

6280_201908160747213ff.jpg
龍雲院

6290_20190816074723291.jpg
光善寺

 松前町の山手にある「松前藩屋敷」にも行ってみる。藩政時代の松前の姿を今に再現したテーマパークで、武家屋敷、奉行所、廻船問屋、商家、旅籠、髪結、漁家、番屋、自身番小屋など14棟の建物で再現している。これらの建物が1か所にまとまって建っていること自体不自然なのだが、そこここにマネキンが置かれていたりして、当時のイメージを膨らませるにはいい。入館料が360円と安く、さらにJAF割引が利くのもいい。

6300_20190816074724756.jpg
松前藩屋敷

6310_20190816074804ac6.jpg
商家

6320_20190816074806e5d.jpg
旅籠

6330_20190816074807785.jpg
漁家、廻船問屋などが並ぶ

6340_20190816074809c06.jpg
漁家内部には一休みしている漁師?たちがいた

6350_20190816074810e68.jpg
廻船問屋内部。建物に中に入れて上がれるのがいい

 福島町に入って、「横綱千代の山・千代の富士記念館」。国技大相撲文化と二大横綱の偉業を讃えたミュージアムだ。ひとつの町から二人の横綱「千代の山」「千代の富士」が出たのはすごい。この二人が横綱に到達するまでの厳しい道のりや、輝かしい展示品コーナー等が見られる。
 かつての名勝負が映像で見ることができて楽しめる。千代の富士の雄姿はもちろんのこと、その対戦相手も個性があって懐かしい。千代の富士は小さな体格での幕内優勝31回は驚異。その取り口もスピードがすごいのだった。

6360_2019081607481256e.jpg
横綱千代の山・千代の富士記念館の前に建っていた2横綱の像

6370_201908160748137ba.jpg
館内には九重部屋の稽古場が再現されていた。九重部屋の夏合宿はここで行われる

6380_20190816074815d9d.jpg
優勝力士に贈られる額入り写真もあった

 「福島町青函トンネル記念館」。世界最大の海底トンネル「青函トンネル」で使用した日本初のトンネルボーリングマシンをはじめ、トンネル完成までの物語を展示資料と映像で体感できる。
 青函トンネルは1949年の連絡船洞爺丸の沈没前後から構想され、71年の本工事着手から88年までかけて開通。76年の大量出水時は4年間で500mしか掘り進まなかったこともあったという。

6390_2019081607481691e.jpg
福島町青函トンネル記念館

6400_201908160748185fb.jpg
館内のつくりと資料

6410_20190816074819eef.jpg
館内の展示

 福島町での昼食は、「飲み喰い処ささ井」にて。11時半、まだ準備中の札が下がっているところに入っていって食べさせてもらう。だって、ここぐらいしかよさそうな店がないんだもの。
 カツ丼セットはカツ丼にそば(かけか盛り)が付いたもので、975円。そばは3口でなくなったが、丼は玉子の半熟加減、シャキ感の残ったタマネギ、少し入っているシイタケの香りなどがよく、肉質のわりといいとんかつが表面を覆っている。いいカツ丼だったと思う。

6420_20190816074821233.jpg
飲み喰い処ささ井のカツ丼セット

 次は木古内町。木古内町は入植が縁で山形の鶴岡市と姉妹都市盟約を結んでいる。
 1885年と86年の2度にわたり、旧庄内藩の士族が北海道南部の木古内に入植し、開拓を担った。木古内町には、入植者たちが名付けた「鶴岡地区」の名が残り、鶴岡小学校や善寳寺の末寺・禅燈寺があり、鶴岡との結び付きの強さを伝えているという。ならばぜひ行っておきたい。
 この地区にはかつて「鶴岡小学校」があったが、今は統合、廃校となって、町の郷土資料館になっている。
 その並びには「鶴岡公園」と「禅燈寺」。禅燈寺は、木古内の地に山形から入植した開拓者の働きかけにより鶴岡市の善寶寺に懇請して1902年に建立された。境内をJR江差線の列車が横切る景色が見られるため鉄道ファンには広く知られている場所だったそうだ。江差線は今では廃止され、その後の線路には代わりにトロッコ鉄道が走っている。
 鶴岡公園には「山形荘内藩士上陸の地」と「開拓・開校百年」の碑があった。いずれも旧荘内藩主の酒井忠明の揮毫だった。
 盟約以前の64年には朝暘一小と木古内の鶴岡小が姉妹校となり、その後学校間の交流を続け、盟約後には青少年の相互訪問も行われている。また、双方の住民有志で互いに「訪ねる会」を組織し訪問交流を展開するなど、市民レベルの交流活動も活発に行われているという。

6430_20190816074822c93.jpg
かつての木古内町立鶴岡小学校は町の郷土資料館になっていた

6440_20190816074824261.jpg
禅燈寺は山門と本堂の間に線路があるのだった

6450_20190816074825a2c.jpg
今はトロッコ鉄道が走っている

6460_201908160748277fa.jpg
「山形荘内藩士上陸の地」碑

6470_20190816074828d4e.jpg
「開拓・開校百年」碑

6480_20190816074830311.jpg
ここは木古内町「鶴岡」

 「北海道新幹線木古内ビュースポット展望台」。ちょうどやってきた13時21分に通過する下りの新幹線を見るが、それほど速いスピードではないし、ビュースポットというほどによく見えるわけでもないのだった。

6490_20190816074831e8a.jpg
北海道新幹線木古内ビュースポット展望とフォレスター

6500.jpg
見えるとは言ってもこんな程度です

 木古内では、新幹線の函館開通に合わせてできた立派な木古内駅と、駅のすぐ近くに2015年にできて間もない「道の駅みそぎの郷きこない」にも寄ってみた。

6510.jpg
JR木古内駅

6520.jpg
道の駅みそぎの郷きこない

 北斗市に入って、「トラピスト修道院」を見る。日本最初の男子トラピスト修道院で、山の中腹に映える赤レンガのゴシック造り3階建。内部見学は男子のみ可能で、往復ハガキでの予約が必要というから、来るなら覚悟して来いということらしい。
 木々に囲まれたまっすぐのアプローチからちらりと見える建物がいい感じだ。

6530.jpg
木立の中をまっすぐに進んでいくエントランス道路が素敵だった

6540.jpg
トラピスト修道院。ここから先は女人禁制となる

 北斗市に入れば函館が近くなり、民間の社会インフラがチラホラ出てくる。マクドナルドがあるのを確認し、修道院からそこへ直行。コーラとポテトを頼んで、これまで処理できずにいた一昨日の夜からのドキュメント作業をする。充電もばっちりできた。たっぷり2時間半ほどかかったが、これでまずは一息だ。

 もうひとつの課題は風呂。マックのすぐ近くに24時間営業の入浴施設があったので、そこにしけこむことにしよう。
 それは「七重浜の湯」。入浴料500円に夜間料金1,500円をプラスして夜着やタオル類がつく。風呂は、カランの温度調節がないことを除けば上々だし、夜間の客数が少ないので騒がしくないのが何よりもうれしい。
 風呂上がりに一休みしてから付属の食事処で飲むが、ここもガラガラ。子供たちの騒ぎ声がないし、チャイナのバカ声もない。生ビールとジムビームのハイボールに揚げナス甘味噌かけと甘海老唐揚、フィニッシュに冷麺。外で飲めばこうなるという価格だが、3千円ならまずまずオッケーでしょ。
 テレビ付きのリクライニングシートでぼんやりしているうちに睡魔がやってきて、22時前には耳栓をし、アイマスク代わりのタオルを顔にかけて眠りへ。

6550.jpg
揚げナス甘味噌かけと甘海老唐揚

6560.jpg
フィニッシュに冷麺。うまっ!

 7月17日の走行距離は159km。

 2019年7月18日(木)。
 6時に起きた「七重浜の湯」のリクライニング室は、その時点での利用者は自分を含めて3人。50台以上のリクライニングセットがある部屋でこの人数では静かなはずだが、これで店はやっていけるのかという心配も。
 この日は函館めぐりとなるが、夜間料金1,500円を足すだけで得られるこの寛ぎ感がたまらず、今夜もここでステイすることにしよう。函館市外から戻ってきても7~8kmぐらいのものだし。

 さて函館。メインストリートの大門通りは飲食店が密集して夜遅くまで賑い、末広町や弁天町は、赤レンガ造りで現在ビアホールなどになっている金森倉庫群があり、元町を中心に函館山北斜面に開けた山麓地区は外国人墓地や教会、寺院、洋館など異国情緒あふれる町並がありと、見どころ満載の町だ。
 7時のニュースを見て、街歩きの情報収集をしようとまずは「函館駅」に行く。30分無料の駅駐車場に停めると、すぐ先に「函館朝市」が見えたので、それではまずは市場メシを食べようとそちらのほうへふらふらと。
 8時の函館朝市はすでに賑わいを見せていて、その中では北海道知事をやめてこのたびの参議院議員選挙に立候補した高橋はるみが街頭演説を始めるところだった。世の中は選挙なのだよな。自分はこの選挙の公示から投票日までの期間すべてを旅に費やしており投票はできないので、ほとんど関心が向かないのだった。山形選挙区の情勢などちっともわからないし、わからないでよい。
 で、「どんぶり横丁」では「丼500円」の表示に惹かれて躊躇なく「朝市食堂二番館」に入り、五目丼540円を食べる。海老、ホタテ、イクラ、カニ、海老っこ……とひととおり乗っている。味噌汁がワカメのノーマルだったのでそれに海老の頭を投入し、ぐっと磯の風味付けしていただく。格別豪華とはいえないけれども、朝に食べる海鮮丼ならばこの程度で十分だと思う。食後にたくさんあるほかの店を見ていったが、海鮮丼が3桁というのはここだけだったようだ。食べた店で街歩きマップをゲットしたので、もう駅には用はないのだ。

6570.jpg
JR函館駅

6580.jpg
参院選立候補者が街頭演説中

6590.jpg
朝から活気のある函館朝市

6600.jpg
朝市食堂二番館の五目丼540円!

 函館駅の海側、つまり西側に進んで、「青函連絡船記念館摩周丸」を見る。かつて海峡の女王と称された優雅な船体が繋留されているが、使わずに置かれているだけだからか外観には錆が目立ち、そろそろ見苦しい範疇に足を踏み入れているような気もする。船内には当時使用されていた操舵室などが公開されているほか、航海日誌など貴重な資料が展示されているというが、いまさらそれを500円も出して見なくてもいいという気になる。「イカ広場」なんていうのもあった。

6610.jpg
青函連絡船記念館摩周丸。錆が目立つぞ

6620.jpg
イカ広場と摩周丸

 函館駅の北東方向に針路を変えて、若松緑地公園内にあるという「土方歳三最期の地碑」を見に行く。榎本武揚らとともに蝦夷地に脱走してきたが、箱館戦争の折、一本木関門付近で壮烈な死を遂げたという。函館市総合福祉センターの敷地内にあった。

6630.jpg
土方歳三最期の地碑

 「函館自由市場」。繁華街大門の北側、市電通り沿いにある市場で、駅前の函館朝市よりも函館市民をターゲットとしている感じがあり、鮮度の高いいい品ぞろえに定評があるという。買い物をしに来たわけではないので、申し訳ないが見るだけにとどめる。
 その後、夜の繁華街にある屋台村「ひかりの屋台大門横丁」や「ラッキーピエロ函館駅前店」をチラ見。いずれも午前9時過ぎというこの時間には開いていない。

6640.jpg
函館市民の台所「函館自由市場」

6650.jpg
「函館自由市場」内部

6660.jpg
路面電車が走る

 また函館駅前を通って、こんどは赤レンガ倉庫群や元町方面へと歩いて行く。途中、外観のよい「旧浅野セメント㈱函館営業所」だった、今はカフェの建物などを見ながら進む。

6670.jpg
旧浅野セメント㈱函館営業所

 「はこだて明治館」。1911年に函館の郵便局として建てられた赤レンガ造りの建物で、ほぼ建設当時の原型を残している。町並保存運動をしている地元若手工芸家たちが集まってショッピングモールに改装したのだという。

6680.jpg
はこだて明治館

6690.jpg
中はガラス工芸品の売り場になっていた

 ここが函館の街中の屈指の観光ポイントと思われる、「金森赤レンガ倉庫」。明治期に建てられた金森倉庫群を利用したショッピング&食事スポットだ。どの倉庫も今の商売にマッチする形に用途が変えられているが、それがうまくいっているように思われる。
 そのひとつの「BAYはこだて」は、日本郵船のレンガ造り倉庫を活用したアミューズメント・エリアになっている。レンガ壁の内部に内装や照明を施し、バーカフェ、レストラン、ショップなどが倉庫ならではのゆったりした空間に配されていた。
 しかし買い物意欲をほとんど持たないおっさんが内部に入ったところでそれほど面白いものではない。倉庫群はやはりその美しい外観を楽しむものだと思う。

6700.jpg
金森赤レンガ倉庫のひとつ

6710.jpg
BAYはこだて

6720.jpg
これだけ並ぶと壮観だ

 「ラッキーピエロマリーナ末広店」があったので、入る。函館に来たなら、2018年秋にNHKの「ドキュメント72時間」で採りあげられた「ラッキーピエロ」にはぜひ訪れたいと思っていた。道南だけで展開するご当地ハンバーガー店の代表格で、ハンバーガー以外にも面白いものが多い。代表メニューのチャイニーズチキンバーガーとエナジーパワードリンクで572円。チキンバーガーは鶏の唐揚げに甘めのソースがついたもので、ドリンクは缶入りで供された。
 「ラッキーピエロベイエリア本店」はそのすぐ近くにあった。両店の感覚は100mぐらいのものだ。

6730.jpg
ラッキーピエロマリーナ末広店

6740.jpg
チャイニーズチキンバーガーとエナジーパワードリンク

6750.jpg
ついでにラッキーピエロベイエリア本店も

 湾岸沿いを元町方面へと進む。その途中、「八幡坂」を下から望む。かつて八幡神社があったことからその名がついたもので、坂の上から一直線に海まで道が続いており、一番景色がいい坂といわれる。眺めがよいことから、CMやドラマにもよく使われているようだ。

6760.jpg
八幡坂

 「北海道第一歩の地碑」。開道100年を記念し、開拓に渡道した先人の足跡をしのんで1968年に建立されたもの。モニュメントのデザインは熊と錨なのだとか。日本中央競馬会の寄贈とあった。
 「基坂」も下から。函館から札幌へ向かう函館本道の起点で、里数を計る元標が建てられたことからその名がついたそうだ。
 「新島襄海外渡航の地碑」。倉庫の一角にひっそりと建つ、1952年建立のもの。新島は1864年、吉田松陰が海外渡航に失敗したことを考慮し、函館を渡航地に選んでボストンへと渡ることに成功した。
 歩を進める途中で見つけた鶯色の建物は、「相馬株式会社」。これはどういう業種の会社なのだろう。
 見ようと思っていた「函館市北方民族資料館」は休館日。函館出身のアイヌ民俗学者馬場修・児玉作左衛門の両博士(故人)のコレクションがメインで、馬場コレクションは国の重要有形民俗文化財の資料とのこと。アイヌ民俗の歴史がよくわかるというのだったが。

6770.jpg
北海道第一歩の地碑

6780.jpg
基坂

6790.jpg
新島襄海外渡航の地碑

6800.jpg
相馬株式会社

 基坂を上って元町方面へ。すごく急な坂で平衡感覚が失われそうなほど。よたよたしながら進む。齢はとりたくないものだ。
 坂の途中右手に見つけた「ペリー提督来航記念碑」。ペリーが1854年に黒船で函館に寄港したことを記念して、その150周年を前にした2002年に建立したもの。
 「函館市旧イギリス領事館」。明治の洋風建築として非常に洗練された建物だとのこと。

6810.jpg
ペリー提督来航記念碑

6820.jpg
函館市旧イギリス領事館

 坂のてっぺんにある「元町公園」に到達。函館の歴史が凝縮された公園で、港を見下ろして小休止する。
 公園内にある「旧北海道庁函館支庁庁舎」。1909年の建築で、1982年に復元整備されたものという。今は観光案内所として使われている。
 公園のさらに上の高みに、函館の町を睥睨するようにして建つのが「旧函館区公会堂」。函館大火で一度焼失したものを1910年に再建した洋風建築の代表的建物で、国の重要文化財。しかし建物は現在修復中で、2018年9月から21年3月までの間はその姿が見られないのは残念。
 黄色に水色という建築物は当時としては斬新な色づかいで、再建時に相馬哲平なる人物が建設費相当額を寄付してつくられたものなのだそうだ。相馬? 先の「相馬株式会社」と関係があるのだろうか。
 あとで調べるとやはり、相馬株式会社は初代相馬哲平が箱館、弁天町に米穀商を開業したのを基とする会社で、現在は社有の不動産賃貸を主業とし、月極駐車場経営、損保代理業、社有林育成を営んでいるとのこと。なお現役の社屋は、1916年に完成したものだ。

6830.jpg
旧北海道庁函館支庁庁舎

6840.jpg
旧函館区公会堂は大修復中。見られないのは残念だが、後にはこういう写真も珍しくなるだろう。

6850.jpg
元町公園から函館の町を見下ろす

 元町公園から高いところにある道を南東方向に進み、途中「八幡坂」を上から見下ろして、教会の建ち並ぶエリアへ。
 「函館ハリストス正教会」。わが国最古のギリシャ正教会聖堂で、1911年に再建。
 「函館聖ヨハネ教会」。150年ほどの歴史があるイギリス系教会。プロテスタント系で赤い屋根が特徴的だ。どの角度から見ても十字架が見えるように設計されていて、函館山からもはっきり見えるのだという。
 「カトリック元町教会」。安政6年にフランス人宣教師が仮聖堂を建てたのが前身。荘厳なゴシック建築のローマカトリック教会で、現在の建物は1924年に建築されたものだ。
 それにしても、北の町のほんの一角にこれほど各宗派のキリスト教系協会が競い合うかのように密集して建っているのはどういうわけなのだろうか。日本の寺院も多かったように思うし。
 「カトリック元町教会」の向かいには「亀井勝一郎生誕地」の碑を見つけた。亀井は山形大学の前身を卒業しているはずだ。

6860.jpg
こんどは上から、八幡坂を見下ろす

6870.jpg
函館ハリストス正教会

6880.jpg
函館聖ヨハネ教会

6890.jpg
カトリック元町教会

6900.jpg
亀井勝一郎生誕地の碑

 たっぷり歩き、大三坂や二十間坂を下りて中心部へと戻り、十字街の電停から函館市電に乗って函館駅前まで戻る。運賃は210円。
 その後は車で移動するが、函館の観光スポットとして超有名な「函館山」に行きたいのだが、山の展望台は下からはガスがかかって見えない。ということは、上から街は見えないはずで、どうしようかしばし考える。このままならば明日行くことにして、まずは「立待岬」へと向かう。
 立待岬は荒い岩肌の断崖になっていて、駐車場から上っていけば太平洋や津軽の山なみなどが望めるらしいのだが、そんな気は起きず、駐車場から函館の町並みを遠望するにとどまる。それなりに眺めはいい。
 そうこうするうち、立待岬の先に函館山の展望台が見えるようになった。おっ、それでは函館山にGOだ。

6910.jpg
十字街。路面電車のケーブルがたくさんある

6920.jpg
十字街の電停から函館市電に乗る

6930.jpg
立待岬の駐車場から函館の町並みを遠望する

 「函館山」。くねくねした山道を登っていくとてっぺん近くの斜面に駐車場があった。てっきり料金を取られるものとばかり思っていたが、素晴らしいじゃないか、無料だ。で、景色。ロープウェーの駅の上につくられた展望台はここもタダで、足元がすくむぐらいに高い。恐る恐る見る函館市外はまことに絶景! うっすらと霞がかかる日中でもすごいのだから、これの夜景ならば鳥肌が立つぐらいの眺めだろうと容易に想像がつく。しばらく景色を眺めてたたずむのだった。

6940.jpg
♪はるばる来たぜ函館~、山

6950.jpg
これこれ、この景色。夜はさぞかしすごいのだろうな

6960.jpg
函館の中心部をズームアップ

6970.jpg
誰もが見とれています

 次に行ったのは「五稜郭公園」。「五稜郭タワー」周辺の道路と駐車場は大混雑。しばらく周辺を右往左往することになったが、スパッと民間駐車場に入れて歩いてアプローチ。大きな都市の市内ならば駐車場料金はケチらないぞ。
 五稜郭は、徳川幕府が蝦夷地防備の目的で建てた数少ない洋式城郭で、堀の内側が公園になっている。星形五角形の西洋式城塞を設計したのは伊予大洲藩出身の蘭学者武田斐三郎。1857年に着工し、64年に完成。箱館奉行が居城するも、大政奉還によって朝廷に明け渡すことになる。68年10月、旧幕府海軍副総裁榎本武揚の率いる旧幕軍が攻撃して占拠し、蝦夷地支配の本拠とするが、69年には新政府軍の攻撃を受けて敗れ、開城降伏した。
 公園内には箱館奉行所が復元されている。それはもともとあった奉行所の一部分だけで、復元部分の後ろ側にもたくさんの部屋があったことがわかっている。またその建物のさらに背後にはかつて、奉行に仕える近習の居住する建物がいくつか建っていたはずだが、残念ながらそれらも復元されていない。これらが復元されていればかなり面白い観光ポイントになると思うのだが。

6980.jpg
五稜郭公園へ

6985.jpg
稜堡と呼ばれる突角の先っちょで写真を撮ってみる

6990.jpg
箱館奉行所(復元)

7000.jpg
箱館奉行所の向こうに五稜郭タワーが見えた

 14時半頃まで市内及び周辺を見て、ここまでで万歩計は1万7千を示している。
 観光はここまでとして、「マクドナルド函館鍛冶店」でクールダウンと今日分のログ付けなど。都市に来てしまえば、どこで書き物をしようかなどという不安はなく、作業場所すら準備できない図書館や公民館などは使わなくてもやっていける。都会は快適なのだった。

 五稜郭の交差点付近にあった「あじさい本店」で味彩塩拉麺750円を食べる。塩味ながらもコクのある味わいでなかなかおいしい。細めストレートの麺量もわりとしっかりしていたように思う。これに胡椒をかける程度にとどめておけばいいものを、インパクトを加えようと店オリジナルのラー油までかけてしまったのは失敗だったかもしれない。

7010.jpg
あじさい本店の味彩塩拉麺

 戻って来た「七重浜の湯」は前日に輪をかけて利用者が少ない。風呂は洗い場を広く使えたし、夕食処も椅子席は自分の貸切り状態。昨日はビールを飲みたかったので回避した開店10周年記念の90分飲み放題(ビールを除く)1,077円コースでジムビームのハイボールや角のコークハイを4杯分飲んで、つまみはポテトフライとウィンナーのチーズ焼き、豆腐サラダ。昨晩は3千円かかった飲みと食事が今夜は2千円であがった。思えばこの日は61歳の誕生日。店からも低価格でお祝いしてもらったような気になる。
 22時までリクライニング席に付いているテレビでNHKのニュースを見て眠りへ。休憩室は今夜も利用者が少ない。

7020.jpg
ジムビームのハイボールにポテトフライとウィンナーのチーズ焼き

7030.jpg
角のコークハイに豆腐サラダ

 7月18日の走行距離は43kmにとどまる。