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 2019年3月末をもって、仕事からリタイアします。
 年度業務日の最終日となる3月29日(金)、退職辞令を手にし、永年勤続者表彰式、同祝賀会と例年お定まりのセレモニーが続き、上司、同僚に見送られて職場を後にしました。
 この本社ビルには37年間の勤務のうち32年にわたって通い詰め、思い出深い場所となりました。入社当時は築後数年のハイテクビルだと思っていましたが、今となっては老朽化が目立ってきています。なんだか齢を重ねた自分を見るようでもあります。

 さて、いよいよお楽しみの時間の到来です。この日が来るのをずっとずっと、待ち焦がれていました。
 アメリカ映画でブルーカラーの労働者たちが、「俺はあと○年でこの仕事ともおさらばなのさ」と、リタイアを指折り数えて待ち望んでいるシーンを見て、そうそう、そうだよなと思っていたものです。

 しかし、現実はそれほど甘くありません。安心して暮らせるほどの年金は現代では得られず、支給年齢も年々遅くなり、周りを見れば若者が少なく同年代以上ばかりが多い高齢社会となるなど、芳しからざる状況が日々加速しているようです。

 そのような環境下でリタイアする今の心境はどうかというと。
 まずは仕事の重圧から解放されてほっとしているのがいちばん。いいこともたくさんあったけれども、あまり理に叶っていないことに忍従することには最後まで馴染めませんでした。
 しかし、60歳という現代では早期と言っていいリタイアでは、この先経済面などで大丈夫なのだろうか、齢を重ねての健康は維持できるのだろうかなどの漠然とした不安がないと言ったら嘘になります。

 寄って立つ組織などないこれからの日々は、環境ががらりと変わるだろうと思っており、今までの常識や心の持ち方、行動パターンなどを踏襲していては通用しないはず。
 このことにきちんと対応できる「暮らし方」の切り替えこそが、充実したセカンドステージを送る上で最も重要になるのではないかと思っています。

 仕事という拘束時間から自由の身になったなら、自分は何をしようと思っていたのか。それは山ほど考えていたことがありました。
 それらをひとつひとつ実現させながら、納得のいく日々を歩みたいと考えています。

hanataba 201903

2019.03.30 20190330 土
 リタイアしても生理的なものはすぐには変わらないようで、5時台には目が覚めて本を読み、6時に起床。手にした地方紙朝刊は、これまで最も注目していた政治・行政のページはほとんどスルー。

 さて。
 これまではやらなければならないことが自分の外側から次々とやってきたものですが、これからはやるべきことを、自分の意思に従って自らつくっていくことになります。言い方を変えれば、内側からやることが湧き出てこなければ、やることがなくなり、もたもたしているうちにどんどん年老いていく。
 なぜ収入源を断ってまでこの道を選んだかといえば、端的に言えば「やりたいことをやるため」。この「初心」を肝に銘じて、常に好奇心のアンテナを高くして暮らしていきたいと思っています。

 そのためには、やるべきことを日々きちんと認識することが大切で、次に、スケジュール感を持って計画的に着実に前へと進める必要があります。
 自分の場合、数か月、数年先までといった長めの計画を構想することはそれほど苦手ではなく、日常の中で考えをまとめ、それを規範として行動することができると思っています。しかし一方で、それを実現するために毎日というショートレンジをどう有効に使うかについては、外的要因があったり、長年の間に身についてしまった怠け心や行き当たりばったりの行動性向などがあったりするために、うまくいっているとは言えません。これからはこのあたりを意識しながら自分でしっかりとマネジメントしていく必要があります。

 なので、これからは毎朝、その日にやるべきことを紙に書き、それらを順序よく効率的に進めるためにどうすべきかを考えてから、1日をスタートすることにしましょう。
 今日については、ここにはいちいち記しませんが、思いついて書いただけで11項目もありました。この段階ですでに全部やるのは無理だと悟りますが、やるべきことが整理されていれば、今日が無理でも明日にはと、実行に踏み出しやすいはずです。

 管理している4つのブログのうち、「沖縄・琉球ヲ想フ」と「迷える日々inヤマガタ」の2ブログに更新終了の記事を掲載。14年にわたって管理してきた愛着たっぷりの2つのブログに終止符を打ち、少しぐっときました。37年間の勤務を終えるよりも、思い入れという面では感慨は大きかったかもしれません。

 今後はもう着ないだろうと思われるビジネス用の衣類を大量処分しました。古いコート、礼服をはじめとして、スーツは4~5着、ネクタイは3~4割、紺や黒の靴下も半分はアバンダン。不要と思われるものはもっとありますが、クローゼットが広く使えるようになったので、今回はこの程度としましょう。
 併せて、箪笥の肥しになっているめったに着ない衣類もかなり処分しました。
 捨てることができずに残っていた保証書、郵便物、カタログ、不定形の不燃物、メディアデータなども一定程度廃棄します。

 先日買い求めた新しいカジュアル類を着て、10時半に外出。病院に赴いて母の1か月分の薬をゲットし、ラーメン店でランチ。
 これから行う掃除、衣類整理、旅に備えて、100円ショップで隙間掃除用の小モップ、はたき、防虫剤、旅用メッシュケースのM・Sセットの4点を購入。

 午後は、一定の読書量を確保して、少し昼寝。職場で使っていたサンダルを洗って再生させます。

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 市内に住む長男夫婦、午後に首都圏から帰ってきた次男、それに母と我々夫婦の計6人で、18時から、半年ほど前にできた近くの中華料理店で夕食会。
 長男夫婦から花束をもらい、それを手に食後に記念撮影。撮影してくれた店のスタッフからは旦那様の表情が硬いと二度ダメ出しを食いました。食事代金は長男が持つとのことで、とうとう頼もしい息子からパトロンの座を奪われたようです。
 母からも、退職の祝金をもらいました。

 ということで、無職びととしての第1目が暮れていく。
 朝に設定した11項目のうち9項目をクリアすることができました。まあ、上々の滑り出しと言っていいのではないのかな。

 3月のある日の送別会。取引先から「退職予定者、1曲歌え!」とそそのかされ、久しぶりに人前で歌ったのは、石原裕次郎の「わが人生に悔いなし」でした。

 石原裕次郎は、1987年7月17日、52歳で逝去。
 「わが人生に悔いなし」は、同年4月21日の発売で、石原裕次郎の生前にリリースされた最後のシングルとなりました。

 夢だろうと、うつつだろうと、わが人生に 悔いはないのだ。
 ――と、粋がって歌ってはみましたが、そう思ったり口に出したりするのはすなわち、いろいろと悔いを感じているからなのです。悔いのない人生なんて、あるわけがない。

wagajinsei 201903

・わが人生に悔いなし   作詞 なかにし礼  作曲 加藤登紀子

 鏡に映る わが顔に
 グラスをあげて 乾杯を
 たった一つの 星をたよりに
 はるばる遠くへ 来たもんだ
 長かろうと 短かかろうと
 わが人生に 悔いはない

 この世に歌が あればこそ
 こらえた涙 いくたびか
 親にもらった 体一つで
 戦い続けた 気持ちよさ
 右だろうと 左だろうと
 わが人生に 悔いはない

 桜の花の 下で見る
 夢にも似てる 人生さ
 純で行こうぜ 愛で行こうぜ
 生きてるかぎりは 青春だ
 夢だろうと うつつだろうと
 わが人生に 悔いはない

 わが人生に 悔いはない

2019.03.31 20190331 日
 5時前覚醒の5時半起床。たんと飲んだ夜は風呂で汗をかかないと、尿意で目覚めることとなるのでした。
 本日も、現役時代に積み残してきた各種パソコン作業が中心ですが、やるべきことは多いです。

 髭を剃っていて思いましたが、これからは会合などで人前に出るようなときを除けば、2日に1回ぐらいのペースで剃ればいいのかなぁ。
 もう日常的にシェービングフォームを使って剃刀で剃るほどのことはないかもしれません。電気髭剃りを買い、何十年ぶりかでそれで剃ってみようか。旅に出ているときなどはそれでいいのではないのかな。

 18時過ぎから飲み始め、風呂から上がって22時過ぎ。もうひと仕事したいところですが、今夜はここまででよしとしましょう。
 夜半もみぞれのような雨がけっこう激しく降りましたが、緊急連絡用の携帯電話はもう手元にないし、業務としてやっていた危機管理はやらなくてもいいでしょう。なんと精神衛生にやさしいことか。
 とうとう今夜の24時を以て年度が替わり、名実ともに完全にフリーの立場となります。



2019.04.01 20190401 月
 本日から、名実ともに完全にフリーとなりました。
 月曜日、加えて月はじめで新年度。もう曜日や年度など自分にはあまり大きな意味をなさなくなったとは言っても、何十年と繰り返してきた生活リズムはそう簡単にリセットできるものではありません。
 アラームをセットしているわけでもないのにきちんと5時半には目が覚めます。早く騒ぎ出すのは家族にとって迷惑でしょうから、6時までは部屋から出ず静かに本を読みます。

 その後はいつもどおりですが、つれあいが今日から新たな仕事に出かけていくのに、自分は月曜日からこんなして家にいることに、まだまだ違和感は拭い去れないのでした。別に悪いことはしていないのに不思議な後ろめたさがあるというか。
 でもまあ、これからはそういうものなのだと思い直すしかなく、得られた時間を無駄にはせず、有用なものとして使わなければなりません。
 仕事がなくなって、毎日8時間は自由時間が増えることになります。いや、通勤時間、朝の身支度、すぐには帰れない職場事情などをも考慮すれば、10時間ぐらいは増えたのではないか。これはすごいことなのだ。

 午前中、1日の行動計画をリストアップし、HP「琉球弧探訪」に既読の沖縄本のインプレ14本をアップロード。HPのHTML化は面倒で、何度か行きつ戻りつしながら11時過ぎまでかかります。予定していたブログからHPへのコンバートはこれでようやく半分です。

 統一地方選(県議選、4月7日投票)の期日前投票のため市役所へ。まずは昼メシと、役所至近のラーメン店で牛ダシの中華そばを食べました。
 ちょうど食べているときに新元号の発表がありました。新元号は「令和」。菅官房長官が名称を掲げて記者会見する姿は30年前の小渕恵三官房長官の姿と酷似。当時を参考にしているのだから当然と言えばそうなのですが。

 投票を終えて、おそらく3カ月ぶりぐらいに空き家となっている実家の様子を見に行きました。冬の間の雪が少なかったためか庭の荒れはなく、むしろ冬の前に植木などを剪定したためこざっぱりとしているぐらい。室内にも違和感はなく、ひと安心です。
 戻る途中にスーパーに寄って、夜のつまみを調達。買うものは変わり映えのしないものばかりで、たこやき、豆腐、ポテサラ。
 それからは、昼寝と読書。そして明日からの小笠原旅の準備。パソコン、デジカメ2本、スマホの充電。

 夜は、早々と18時から風呂に入って、19時過ぎから録画を見ながら飲み始め。
 ウェブにてJAFへの入会手続きを済ませる。これから車で旅に出る準備のひとつとなります。

 本日は、やるべきことチェック表のうち9項目を実施または達成。項目的にはかなりやれていますが、それぞれのボリューム面にはまだ納得がいっていません。まあ、無職生活は今日始まったばかりなので、焦らず、むしろ着実に、やっていこうではないか。
 あーあ、また明日も仕事か・・・というウンザリ感のない夜なのが気持ちいいです。

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2019.04.02 20190402 火
 今日は火曜日。月曜日と勘違いして、早くも曜日の感覚が薄れてきているようです。
 仕事を続けていれば、今日と明日ぐらいはあいさつ回りをして、週の後半は業務説明を受け、その間に顔合わせを兼ねた夜の飲み会がセットされたりするのでしょう。現役時代は年度はじめとはそういうものだと思っていましたが、卒業してしまえばそれらはいっさい必要がなくなります。傍からは、毎年毎年よく同じことを続けているものだなと見えると知りました。

 今日から小笠原諸島への旅に出ます。データの入ったHDDも持っていくので旅の途中でもアップロードできます。
 旅の荷物を何度か確認しながらパッキング。季節の変わり目なので、どんな服装がいいのか定まらないままの荷物となりました。

 11時前には出発。山形駅前に最近できたラーメン店で腹ごしらえをして、山形新幹線で上京。食事中から激しい風雪。春になったのではなかったのか?
 平日のこの時間、街をかたちづくっているのは高齢者だということを知ります。バスや新幹線の車内は多くが年寄りなのでした。このような中に入って還暦男が戸惑っていますが、若者であればもっと戸惑い、がっかりしてしまうのでしょう。

 東京に着いて、まっすぐ本日の宿、大田区羽田の大鳥居駅近くのホテルにチェックイン。
 16時前に外出し、京急蒲田~徒歩で東急蒲田~東急多摩川線多摩川~東急東横線新丸子と移動して、酒場放浪記に登場していた新丸子の「三ちゃん食堂で」飲みます。17時を回ったばかりの時間なのにほぼ満員の大騒乱状態で、こういうところに一人で来て静かに飲むなんて無理だと悟りました。生ビールとネギ肉イタメで1,100円。

 ホテルのフロントでワタミグループの500円の食事券をもらったので、大鳥居の「和民」に行くも、火曜日は定休日で休み。
 そうか。ではコンビニでいいやと、ローソンでつまみと酒を買ってホテルに戻ります。外で飲むよりも数段安上がりだし、パソコン作業をやりながら寛げるのがいいです。

 テレビを見ながら飲んでゆるゆるの時間を過ごしていると、なんだか明日も休日なのかと思ってしまいますが、そうじゃありません。平日です。自分の立場が毎日休日のようになっているだけなのでした。
 ここは笑うところなのだろうかと、へへへっとホテルの部屋で一人笑ってみますが、そんな自分はどうにもマヌケ臭く、どこか間違っているような気がします。

 旅の第1日目はこんな感じです。

kamata 201904
夕暮れの蒲田駅前

2019.05.01 20190501 水
 元気に6時起床。生前退位する平成天皇の在位は昨日までで、平成時代最後の日だった。新聞は「さようなら平成」の大特集記事で埋まっていた。戦争がなく比較的平和だったが、一方で、地下鉄サリン事件、阪神大震災、神戸の酒鬼薔薇聖斗事件、9.11同時多発テロ、東日本大震災と福島原発事故、最近では熊本地震や北海道胆振東部地震など、大災害が多かった30年余だった。

 今日から「令和」時代が始まる。年号が変わったといっても、自分の生活が大きく変わることはない。昭和、平成、令和と3代にわたって生きていくことになるわけで、だんだん齢をとり、相対的に古い人間になっていくのが困るところなのだが。

 ところで、この4月はずいぶん長く感じた。職場を辞してから30日だが、この間小笠原と房総に赴き、併せて16日も旅していたことになる。知らない土地に赴き、初めてやることも多く、毎日が新鮮で、明日は何が起こるのだろうかと興味津々の日々が続いたのだった。

 自分がやりたいことを、自分で考え、自分で動く。それが社会的にどのような意味があるかというと、たいしたことはほとんどないのだろう。しかし我が身にとってはそれがとても刺激的で、満足度の尺度からすれば極めて高いものとなっていた。
 自分の力ではどうにもならないことなどはこの日々にはなく、今の自分はストレスからは無縁になっているのだなぁと感じたものだった。

 人は、時間を長く感じるときが2つあるのではないか。
 一つは、嫌なことや気の進まないことをやらせられているとき。ああ、早く終わらないかなぁ……と思うようなときだ。
 もう一つは、好奇心に駆られて気分が高揚し、極めて充実している時間が続くとき。典型的なのは、中・高生ぐらいの時代に感じていた毎日の充実感だ。今日はこうした、明日はどこまで、そうすればいつまでにはこうなるだろうし、そうなりたい……といったような、一日一日の意味を自分なりに自覚しながら送る日々だ。
 この4月の自分はその後者の時間を過ごしていたのだと思う。

 今や、嫌なことに向かわせられるようなことのない立場になることができた。仕事のために貴重な時間を「浪費」することもない。
 この1か月は、やりたいことややるべきことの進み具合が、それ以前の遅々としたものとはまったく別のペースになった。それを目まぐるしいとさえ感じることもあるぐらいだ。
 小笠原に行って戻ってからまだ20日ぐらいしか経っていないのに、なんだかずいぶん前のことのような気がする。

 まあつまりは、リタイアしてからのこの1か月は極めて順調に推移したということだろう。
 このような日々をこれからも続けたいと思う。少し先までの展望を持ちながら、それを今日はここまで進めるという「今日の意義」を引き続きしっかりと自覚して生活したい。

 昨夕には、クルマのリコール修理のためディーラーへ。左ストップランプのバルブが切れているというので有料修理をして1,242円。
 これにて4月の支出は終了。支出管理簿で合計額を出したところ、28万3千円余となった。
 2回も旅をしたし、クルマの12カ月点検もあって通常月よりも使っているのだが、それでも30万円を下回った。仮にこのペースで使っていっても、1年でだいたい400万円は出ないことになる。
 まあ、普通に暮らせば300万円ぐらいで収まるだろうか。そうであれば、年金生活に入るまでは今の貯えで十分やっていけるだろう。

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