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2021.10.01 20210930 木
 6時起床。もう9月も晦日だ。
 朝のルーチン作業は7時過ぎには終えてしまったので、証券会社のウェブページが動き出す8時過ぎまでの時間は読書に充てる。株式市況も大きな動きがないので、こちらも動く必要がないのだが、昨日売った東電が安くなっていたので、今日の底値付近で買い戻しておく。
 月末なので今月の出来高をまとめておくと、所有株を売った際にいくら利益を出して手放したかという確定利益額ベースでは、仕事を持っていた頃の月額手取り額よりも多かった。もちろん、こういうことは毎月ではないし、保有株式の評価額とは別のいわば瞬間風速の話だ。持ち株評価額ベースで実力を判断するのが妥当だろうが、こちらのほうもなかなか順調。しかしこれは「簿価」でしかないので、相場の状況によってたちまち変動するから安心はできない。こんな月が毎回続いてくれれば人生は楽チンなのだけど、なにせマイナスになることだってあるわけだから、喜んでばかりはいられない。

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(okinawa-image(下地島空港))

 この日の昼食は「麺や陽風(はるかぜ)」にて。陽風は6年7か月ぶり2回目。前回訪問時はまだ店が飯田のほうにあった頃だったから、清住町に移転してからは初めての入店となる。
 山形中華そばの大盛り、700+100円。開店当時には醤油ラーメンと称していたものの改良型。オイリーでコク深いスープ、豚と鶏2種類のチャーシュー、板海苔添えのところは同じだが、メンマが長い穂先タイプに変わっている。麺がしっかりしていて、しばらく経ってもダレない生きのよさがあるのがすばらしい。それを味わい尽くせる麺量があるところもよかった。

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(「麺や陽風」の山形中華そば)

 午後は、読書中心で進み、夕刻までに「男のリズム」180ページほど読んで読了する。
 1974年10月から1年間にわたって月刊「現代」に連載され、読者の熱烈な支持を受けたというもの。76年に単行化、79年に文庫化。2006年に発売された文庫の新装版を古書にて入手して読んだ。
 その当時の池波は、「藤枝梅安」などの連作3本のほかに、新聞の連載、新国劇のための書下ろしなどを手掛け、大繁忙期にあったという。だが、その山のような仕事のなかで池波は、月に十数本の映画を観、数本の芝居を見物し、小旅行を楽しみ、こじゃれたレストランをどこかに発見するなどしておいしいものを食べるという、バイタリティ溢れる粋な毎日を送っていたようだ。

 池波は1923年生まれで、56年から歴史小説・時代小説を執筆活動の中心に据えるようになり、60年に「錯乱」で直木賞を受賞し、90年に67歳で死去。随筆方面では、1969年の「青春忘れ物」を手始めとして、その後、食、映画、旅などを題材に多くのものを世に問うていて、本書はその比較的初期のものといえる。自分にとっては、「青春忘れ物」「食卓の情景」に続いて読む池波の3冊目のエッセイだ。

 東京の下町に生まれ育ち、仕事に旅に、衣食に遊びに、生きてゆくことの喜びを求めてやまぬ池波正太郎の名エッセイ。友人、知人、思い出の人々、生起するさまざまな出来事を温かく、生き生きと描いて興趣つきない滋味たっぷりの一冊! 人は変わり、世は移るとも、これだけは絶対に変わらぬ男の生き方を綴った必読の12章。(カバー背表紙から)
 その12章は、劇場、家、食べる、着る、散歩、映画、最後の目標、26年前のノート、家族、私の一日、旅、母。

 池波は、ひとりの人間の人生はたった一つしかなく、ただ一つわかっていることは、生まれるや、確実に「死」に向かって歩き始める。そしてその人生は、限られた社会環境と、歳月の驚くべき迅速な経過によって、自分でも気づかぬ多くの可能性を秘めながらも、結果の良し悪しはさておき、「たった一つの人生」を選んでいくことになる。――と述べる。
 つまり池波は、自分の死というものを日々意識し、その「とき」をいつ迎えても悔いが残らないよう、毎日を真剣に生きようとしていたのではないか。

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(池波正太郎)

 この本をもって、9月ひと月間の読了本は14冊となった。この本で今年95冊目の読了となり、目標としている年間100冊を超えるのは間違いないだろう。

 22時をもって本日の活動を終える。

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   集英社文庫  620円+税
   2021年3月25日 第1刷発行

 春の到来を告げる朝採れタケノコで作ったまぜごはん。おにぎりにしてもヨシ。
 夏は特製ダシでいただくソーメン。新鮮なホタルイカをオリーブ油で炒め、さっと塩を一振り。こりゃたまらん。
 秋はとにかく魚がうまい。中でも釣りたてサバの刺し身はうますぎて悶絶。
 冬はごった煮、うどんすき。心も体も温まります。
 四季折々の美味から男の発作的創作料理まで、うまいもの尽くしの食物エッセイ第2弾。(カバー背表紙から)
 ――という、食ってよし、作ってもよしの、シーナお得意のうまいものエッセイです。

 「女性のひろば」という共産党中央委員会出版局が発行する雑誌が初出。ということは、読者は女性インテリ層でしょうから、シーナは「あとがき」で、「本書ではできるだけ家庭料理のテーブルの上の食物について書いていったが、そうではない食物のほうがぼくには書きやすいのだが読者には「読みにくい」だろうなあ、と思って遠慮してきた。いつか一気に世界の「すんごい」食い物の話をしたいなあ」と書いています。

 同名の文庫本の1冊目は、2019年10月に読んでいて、まあ、内容はそれと似たり寄ったり。
 だが、シーナが世界各地に足を運んで自らの五感と胃袋で食らってきたワールドワイドな逸話があると思えば、遅い朝に自宅の台所で一人ゴソゴソとゆうべの味噌汁を温めてタマゴ入り味噌汁をつくったりしていて、この世界から台所へという振り幅の広さには感心せざるを得ません。
 そして、つくづく麺類を偏愛しているようで、全29編のうち7編が麺にまつわる話で、特にソーメンとうどんがそれぞれ3回と最多になっていました。

 29編の中から表題をいくつか拾っておくと、「男がひとり自宅で何を食うか」「おせち改革派の躍進なるか」「今こそ梅干しソーメンの実力を見よ」「欲情的ホタルイカ」「冷やしスイカのエーゲ海的いただきかた」「ヨロコビと悲しみのエビフライライス」「全日本まぜごはん大会」「冷やし中華、決断のとき」「絶品!ぼたん海老の殻スープラーメン」「東京一うまい新島の人間回転寿司」など。
 これに続く第3作も単行本化されているので、いずれ文庫になったら読もうと思っています。
(2021.8.16 読)

2021.10.02 20211001 金
 6時起床。今日から10月。緊急事態・蔓延防止措置が全国的に解除されたが、当方としての旅の予定などが立てづらい状況にあり、この秋のいい季節を使えずにみすみすスルーせざるを得ないのは残念至極なことだ。
 行けないとなると日程を考える気にもなれず、このまま冬までずるずるといきそうなよくない予感がある。どうも、つまんねえな。
 そういう陰鬱な気分にさせるのは天候のせいかもしれない。台風の余波の雨が朝から降り続き、太陽の射さない暗い一日となった。

 NYが550ドル近く下げて終えたので、この日の東京も下げてスタートし、一時下げ幅は750円超に達した。随分ではないか。月が替わって厳しい立ち上がりになっている。
 大きく下げたらそれは「買い」のタイミングであって、買わなければ売れないので利益をつくることができないとも言える。そんな意気込みで、平均的な下げ幅以上に下げているものがあれば拾っていくという考え方で臨む。結果、3銘柄が買えるが、5営業日続けて下落しているため、持ち株評価額は大きく下がっている。

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(「栄屋本店」の冷しらーめん)

 傘なしでは歩けないほどの雨の中を外出し、昼食は、冷やしラーメンの元祖を名乗る本町の「栄屋本店」を、6年9か月ぶりに訪問。
 冷しらーめん880円。涼しくなり始めても、冷やしラーメンがおいしい。元祖を謳うだけあって、どうしたら冷やしラーメンをおいしく食べられるかについて、かなり研究しているように思える。それはたとえば、スープの温度に合わせた麺の茹で方であったり、スープの味と濃さであったり。ほかにも、あとがけする旨味オイルの調合とかけ具合や、しゃっきりした茹でもやしの口当たりなどにも、そういう一面を感じた。
 おいしかったな。山形地方のラーメンであることを主張する牛チャーシューも存在感たっぷりだった。

 戻る途中、金土日だけやっている「びっくり市山形南店」で、飲料等の買い物をする。昼の「栄屋本店」では150円増しと高めのため大盛りをケチったので、ここでみそ焼きおにぎり(税込み130円)を買って、家で食べてみた。こっちのほうがずっと実質的だが、実質的とはつまり腹に応えるということなわけで……。

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(大盛りの代わりに、家で「びっくり市山形南店」のみそ焼きおにぎりを食べた)

 雨が北側から吹き付け始めた午後からは、静かに部屋で本を読む。
 「忘れじの外国人レスラー伝」(斎藤文彦著、集英社新書、2020)を読み始めて、夜までに180ページ読み進める。
 昭和から平成の前半にかけて活躍し、今はもう永遠にリング上での姿を見ることが叶わない伝説の外国人レスラー10人。
 本書は、今だから明かせるオフ・ザ・リングでの取材秘話を交え、彼らの黄金時代はもちろんのこと、知られざる晩年、最期までの「光と影」を綴る。(「BOOK」データベースより)

 子どもの頃から昭和の黄金時代までプロレスを熱心に観続けてきた者にとっては、登場するレスラーたちがとても懐かしい。彼らはいずれもまがまがしいニックネームを冠しているところがすごい。目次を列挙するとその10人は、“神様”カール・ゴッチ、“白覆面の魔王”ザ・デストロイヤー、“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアント、“人間風車”ビル・ロビンソン、“爆弾小僧”ダイナマイト・キッド、“人間魚雷”テリー・ゴーディ、“殺人医師”スティーブ・ウィリアムス、“入れ墨モンスター”バンバン・ビガロ、“皇帝戦士”ビッグバン・ベイダー、“暴走戦士”ロード・ウォリアー・ホークで、ニックネームと名前を聞けば、大活躍していた当時のキャラクターやレスリングスタイルが髣髴として蘇ってくる。彼らはもう誰もこの地上にはいないが、我々の心の中にちゃんと生きている。

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(“爆弾小僧”ダイナマイト・キッドの雄姿)

 夜は、アマゾンに古書を3冊、注文。宮脇俊三、関川夏央、太田和彦の文庫本で、1,124円。デスク脇の本棚にしばらく持つぐらいの量の未読本を用意しておかないと、気持ちが落ち着かないもので。現況として、文庫本を中心に20数冊が、ねぇ読んでと囁くようにすぐ隣に待機しているのがなかなか好ましい。
 飲んで、録画を見て、21時半を過ぎたところでパソコンをシャットダウンし、徐々に就寝態勢へ。今夜は寒いぐらいだ。

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   文春文庫  476円+税
   2000年2月10日 第1刷発行

 藤沢周平の歴史小説の下巻。文章は硬く、感情の起伏がなく、説明調で、藤沢作品の真骨頂と言っていい名もなき人々の心情、抒情性といったものに乏しいものになっています。当作で絶筆になってしまったのは残念です。

 山形新聞に掲載された「藤沢作品こう読む」シリーズの、当書についての書評(2007年12月6日付)を、以下に引用しておきます。

・漆の実のみのる国 人間鷹山 ありのままに
 「漆の実のみのる国」は、米沢藩の中興の祖、上杉鷹山の伝記小説である。鷹山公と書かなければ米沢の人に叱られそうだが、すでに在世のころから、破綻に瀕した藩を救った明君として名高かった。家臣の甘糟継成(あまかすつぐしげ)が大著「鷹山公偉蹟録」の草を起こしたのは安政元(1854)年3月、鷹山公三十三年忌の夜だったという。継成は若冠23歳だった。
 鷹山という殿様は、米沢のみならず全国に明君として知られ、在世中から2世紀以上たったこんにちに至るまで、忘れられることはなかった。そのような偉人と正面から向きあう史伝を書くことは、小説家としては覚悟のいることである。
 藤沢周平さんは城山三郎さんとの対談「日本の美しい心」で、「歴史については、いつもちょっと待てよ、と思って斜に構えて見ているところがあるんです。史実と言われるものが、はたして本当のことなのか」といい、執筆中だった「漆の実のみのる国」について、「世に言う鷹山名君説はどうも少し違うんじゃないかと思っているんですよ。かなり美化されている。で、そういうものをいっぺん取りはらって、出来る限りありのままの鷹山公を書いてみたいと思っているんです」と語っている。
 ありのままの鷹山公とは、なんだろうか。小説家はその人の現身(うつしみ)を見ることも、声をきくこともできない。文献をしらべ、当時の政治、社会、経済、世態、人情を研究して、最後は想像によって書かなければならない。ここで語られている「ありのまま」とは、明君という冠をとった人間鷹山を書こうということだろう。
 「漆の実のみのる国」という題名が、すでに「ありのままの鷹山公」の姿を予告している。小説に描かれた鷹山は、明敏で誠実で、その時代には珍しく領民の苦しい生活に想像力がおよぶ心やさしい君主だが、政治家としては失敗した。鷹山の施策により、米沢の貧困が解消されたわけではなかった。
 領内に100万本の漆の木が植えられ、その実によって国が豊かに潤うというのは、鷹山お国入り前後に、藩政改革の旗手となった竹俣当綱(たけのまたまさつな)が発案した壮大な計画だった。財政の縮少によってではなく、産業の振興によって米沢藩は救われるはずだった。それは見果てぬ夢にすぎなかったのだが、夢によって人は勇気づけられ、希望を抱くことができる。
 小説の中で鷹山は、改革が頓挫し、心がくじけそうになると、100万本の漆の木を想い、気をとりなおす。「ありのままの鷹山公」とは、空の彼方、本の中の人ではなく、わたしたちのすぐ前を歩いている人の姿ということだろう。政治には、というよりも、人間の暮らしには、見果てぬ夢が必要だと作者はいっているらしい。
 「漆の実のみのる国」は、「文芸春秋」の平成6(1994)年1月号から連載された。その年の末から作者は肝炎を発症して、3年後の1月、69歳で逝去された。作品は1回20枚ずつ平成8(1996)年4月号まで連載されたが、以後中断されたままだった。最後に編集者がうけとった原稿は6枚分だったという。それが絶筆となった。

 「漆の実のみのる国」は、悠々たる大河小説の趣をただよわせて作品がはじまっている。
 藩主上杉重定の寵臣森利真を、江戸家老竹俣当綱たちが誅殺するまでに、10回分、およそ作品全体の6分の1が費やされ、まだ鷹山は登場していない。作家の胸の内をおしはかることはできないが、あるいは数年がかりの数巻におよぶ大河小説を構想しておられたのだろうか。
 作家が亡くなってからのちにこの作品を読んだとき、病気のことを知っていたせいかもしれないが、回をおうごとに、さきを急ぐ筆勢が感じられて、胸をつかれる思いをしたことがあった。作品の終章に近く、いったん職を辞して藩政から離れた莅戸(のぞき)善政が、藩の危機に対処すべくふたたび登用される。すでに老齢にさしかかった善政に、鷹山がこんな言葉をかける。
 「だが近ごろ、ちと働きすぎではないのか。そなたはいまや藩の柱だ。自重して身体をいたわることも考えねばならんぞ」
 善政はこう答える。
 「やらねばならぬことは山積し、わが齢は限られておりまする。おそらくはその思いが知らず知らず事をいそがせるのでござりましょう」
 この回の原稿が、まとまった原稿としては最後で、あとは6枚の絶筆を残すのみである。藤沢周平さんはどのような思いで、この会話を書かれたのだろうか。
(高橋義夫 作家、山形市)

(2021.8.17 読)

2021.10.03 20211002 土
 変わりなく6時起床。録画予約のセット作業、多めのカキモノなどをして、ブログ2題を公開にまわす。
 土曜日なので、近くの食材量販店でつくる揚げ物の匂いがもう8時台から漂ってくる。けっして悪い匂いではないのだが、これが毎週続くとまたかよという気にもなってくるものなのだ。

 「忘れじの外国人レスラー伝」のビッグバン・ベイダーの項を読んで、全日・新日両団体のトップ外国人選手の対決となった1990年2月のスタンハンセンとの名勝負@東京ドームがすごい試合だったと知って観たくなり、TouTubeで調べてみるとそれはなかったが、同年6月に福岡国際センターで行われた再戦の模様があったので、それを観る。
 すげぇのなんの、ガチの殴り合いで、場外戦で両者が流血。終始ベイダーが押し気味だった感があるが、最後はハンセンが持ち込んだブルロープで両者が互いに相手の首を絞め、タイガー服部レフェリーが両者反則を取って終了となった。平成になってからの試合ではあるけれども、これぞ昭和のプロレスを観た!という印象だった。
 「忘れじの外国人レスラー伝」を50ページ余り読んで、午後には読了する。

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(ベイダーがハンセンのラリアットをドロップキックで防ぐ 1990.2.16 東京ドーム)

 施設にいる母の元へ食料をたっぷり運んだあとは、おたのしみの昼食だ。今日は朝食を抜いているのでしっかり食べられる。それでは、まずは軽くもりそばでもたぐって、それでは足りないだろうから、そのときはあそこで牛丼弁当を買って帰ろう。

 ということでまずは、市街の南西方、長谷堂の集落内にある「蕎麦処ふるさわ」を初訪問。
 もりそば825円。農村部にあって、古い民家を使って営む田舎風の雰囲気の店だが、750円に外税をかけられて5円単位まで支払わされるとなると、興覚めする一面がある。
 野太い田舎風の蕎麦が出てきてよく噛みながら食べることになるのではないかと勝手にイメージしていたがそうではなく、江戸流で打ったような中太のしっかりした仕上がりで、とてもおいしい。角がないまろやかさを感じるそばつゆは、酒を多めに使って味を調えているようだ。開店すぐの早い時間帯に食べたためか、蕎麦湯は上澄みの透明でとろみがほとんどないところだったのが惜しいところ。
 消費税を外税で取るわりには量が少なく、大盛りは220円増しとなるので我慢した。つまるところ、味はいいけれども、高い。外税はやめるべきだろうな。

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(「蕎麦処ふるさわ」のもりそば)

 やはりもりそば1杯では足りず、「びっくり市山形南店」で牛丼345円(税込)をゲットする。
 牛丼チェーン店で並盛(吉野家387円、すき家350円、松屋380円)なんかを食べている場合ではない。それよりも安い価格なのに、使う牛肉の質も量も断然上を行っているし、味も濃くてうまいし、飯量も多いぐらいなのだ。牛丼を食べたいときにはこれを買ってきて食べるのがベストなのではないか。この上出来の牛丼が、量の少ない盛りそばの半値もしないとは、ただただびっくりぽんデアル。

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(「びっくり市山形南店」の牛丼345円)

 午後からは、「いつも旅のなか」(角田光代著、角川文庫、2008)を読み始める。
 仕事も名前も年齢も、なんにも持っていない自分に会いにゆこう。ロシアでは国境の巨人職員に怒鳴られながら激しい尿意に耐え、マレーシアでは釣りに行くのに12時間以上も地元の友達と飲みながら待たされ、キューバでは命そのもののように人々の体にしみついた音楽とリズムに驚かされる。明日にでも旅に出たくなるエピソード満載! 五感と思考をフル活動させ、世界中を歩き回る旅を、臨場感たっぷりに描く傑作エッセイ集。(カバー背表紙から)

 2年間にわたって雑誌に連載した旅のあれこれをまとめて2005年4月に単行化、それが08年に文庫化されたもの。
 旅に関して「何にも持っていない自分に会いにいく」という感覚を持ち合わせている著者にアプローズ。自分も旅に求めているものはそれで、すでに出来上がっている一人格としての「自分」を誰も知らないところに身を置くことが、旅の何よりの魅力だと思っている。

 著者は「あとがき」で、純粋趣味だという「旅」について、同じ場所を旅しても人によって印象は絶対的に違うし、去年旅した同じ場所を今年になって訪ねてみても、見えるものも印象も出会う人も、確実に違ってしまうと書いている。そして、旅はどれも1回こっきりで、終わってしまったらその旅はもう過去になり、二度とそれを味わうことができないとも述べている。
 だからこそ、「終わってしまっている」旅については、カメラで撮るだけではおさまらないことを「書く」ことで、架空にしろ、二度とできない旅をもう一度することができるのだと述べている。
 著者の旅に対するその想いについて、激しく同感。旅は心でするものだから、道中写真は撮らずに心に深く刻み込むだけで充分だと言う旅人がいる。けれども、それはたぶんたいていは間違いか勘違いで、人間の記憶力というものがまったく曖昧だということを知らないか過信し、捨象して発言しているとしか思えない。記憶に残る旅とは、風景をその時の心象とともにカメラで切り取り、自分が感じたことを書いて記録しておくことによって、ようやく「心でするもの」になるはずだ。それをやらないということは、単に怠惰であるだけのことで、せっかくの旅の経験を無駄に消費しているだけのように見える。もったいないことではないか。

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(「旅は心でするもの」の意味とは)

 なお、著者の角田光代は、1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年「対岸の彼女」で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年「八日目の蝉」で中央公論文芸賞を受賞――と、輝かしい受賞歴を持っている。文体はしっかりした中にも軽妙さがあり、気持ちを柔軟なままにしていてもぐいぐい読ませる筆力がある。

 今夜も規則正しい過ごし方をして、早めに減速態勢を整える。
 眠りに落ちるまでに、「いつも旅のなか」を170ページ読む。

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   河出文庫  350円
   1988年3月4日 第1刷発行

 18歳・文子・高校3年いわゆる受験生! 「受験生の生活って、暗いもんじゃない」。大学受験を目指し、悩み、怒り、苛立ち、傷つきながらも、精いっぱいに生き抜く文子たち4人組の女の子の日々の姿。
 独特の名古屋弁スタイルに、ユーモアと苦味をミックスしてフレッシュに描く、あっぱれ痛快奮闘記――さて、結果は?
 文藝賞受賞のベストセラー「1980アイコ十六歳」に続く、青春小説のパート2!(カバー背表紙から)

 まだ消費税なんてなかった頃に発行されたもの。したがって、高校3年生の文子(あやこ)、花鈴(かりん)、里央、美和子の目下の一大事は「共通一次試験」なのでした。そこには、きょうだい同士のいきちがいあり、学校生活では仲間同士の軽妙なやり取りがあり、合格発表時の18歳の緊張がありで、自分もあの頃はそういうことで悩み、考え、笑って生きていたのだなあと思い出すこと多々ありました。ずいぶんと遠い過去ではあるけれども、そういうことが時々映画のワンシーンのように鮮明にリメンバーすることが今でもあったりします。

 この本を手にした理由は、作者がお得意とする名古屋弁での表現を読みたかったから。そういう意味では、大須商店街あたりのおじさんおばさんたちがしゃべるベタな名古屋弁ではなく、若者たちが仲間同士で話す名古屋弁のありさまをつぶさに感じ取ることができるものになっています。

 ところで、堀田あけみと言えば、最年少(17歳)で文藝賞を受賞した「1980アイコ十六歳」が有名です。弓道部に所属する16歳の女子高校生の、夏から冬までの学園生活をリアルかつユーモラスに描いて共感をよんだ青春小説の古典です。しかし、それだけのことであれば、それほど強く読む必要性を感じません。やはりこれに名古屋弁が加わらなければいけません。
 ウィキペディアによれば、セリフの中によく名古屋弁を使っていたが、最近の作品では少なくなっているとのこと。じゃあ、堀田あけみは初期作品を読むべきだな。
 また、2002年以降はオリジナルの小説は発表していず、研究者としての本業(椙山女学園大学教授)である発達心理学や、育児についてのエッセイ、もしくは小説創作指導をメインとするようになっているとのことです。
(2021.8.19 読)

2021.10.04 20211003 日
 6時15分起床。休日の静かな朝で、青空全開。東からオレンジ色の朝日が射す気持ちのいい朝だ。
 朝ルーチンとカキモノをしたら、今日も読書でバーチャルトリップを愉しむとしようか。
 さっそく読みかけの「いつも旅のなか」を読み始め、午前のうちに110ページ読んであっさり読了。若い頃は元気で奔放な旅人だったことが窺える角田光代の旅エッセイを、もう1本ぐらいは読んでみたいと思う。

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(角田光代)

 昼食は、週末も含めて毎日ランチタイムをやっているらしい、嶋北の「石焼ステーキ贅山形嶋店」を初訪問。店名が“贅”だけにお高い店かと思っていたが、それほどでもないようだ。新潟県三条市資本の店。
 おろしポン酢ハンバーグランチ880円。柑橘系をたっぷり使ったポン酢のさっぱりした味わいであるとのこと。これを、無料でごはんを大盛りにして、10月7日まで有効の10%引券を使い、792円にて。
 ハンバーグは170gで、自分にとって肉はこのぐらいが十分で、不足感はない。子供たちが大好きなことからもわかるように、ハンバーグは日本人にとってごはんにベストマッチするおかずのようで、ごはんをおいしくたっぷりと食べられることこの上なし。したがって、大盛りごはんもそれぐらいがちょうどいい。これ以上食べると胃がもたれるだろうけれど。(笑)
 味噌汁は、岩海苔、麩に極小のなめこが3~4個だけれどもとてもいい味わい。漬物はややショボめ。でもまあ、全体としては低価格で納得の昼食となった。

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(「石焼ステーキ贅山形嶋店」のおろしポン酢ハンバーグランチ)

 気温が上がってきた午後は、そのまま横になっても気持ちがいいので、つい昼寝を貪ってしまう。1時間余り眠ってスッキリ。秋晴れのいい日なのだが、世の中緊急事態解除後初の週末なので、何曜日でも自由に使える身分の人間はいろいろと制限のある人たちに配慮して、家で大人しくしている。
 その後は読書など。「帰省」(藤沢周平著、文春文庫、2011)を読み始めて、夜までに80ページ。
 普段めったに鳴らない家の電話が火を噴き、妻が駈け廻って対応に追われた直木賞受賞の夜。ただやむにやまれぬものがあって書く「作家」という人種について。ヒーロー不在の時代に小説の主人公を作る受難――。没後11年を経て編まれた書に、未刊行の8篇を新たに追加した。作家・藤沢周平の真髄に迫りうる最後のエッセイ集。(カバー背表紙から)
 時代小説の名手・藤沢周平は、1997年没。藤沢のエッセイとして「周平独言」「小説の周辺」「ふるさとへ廻る六部は」の3冊と、他に自伝的エッセイとして「半生の記」があり、これらから洩れたものは「拾遺」として、いずれも「藤沢周平全集」(文藝春秋社)に収められている。しかしその後にまだ洩れているものが少なからず見つかり、それらを「帰省 未完エッセイ集」として2008年に発刊、さらに新たに発見された8篇を追加して文庫化されたものがこれ。「私の好きな清張作品」「時代小説の受難」など、藤沢周平の意外な一面を窺い知ることができる貴重な1冊だ。

 読んでいる途中だが、ここまでで個人的に印象深かったのは「雪のある風景」だ。講演は嫌いなので依頼はほぼ断ることにしている著者だが、地元鶴岡で、衆議院議員選挙に立候補したO氏の選挙演説会に弁士として出かけていく。著者はふだんから政治的なことには慎重なのだが、山形師範学校で寮生活を共にした古くからの友人で、政治に対する人間のナイーブな願望を政治上に生かそうと、権謀術数の政争の中で多くの政治家が失ってしまった政治に対する初心を忘れず営々と人のために尽くしているO氏を、応援するのである。この稿では、O氏がこの選挙で落選するところまでが書かれている。
 その後O氏は県議会議員となり、自ら身を引くまで6期連続で当選する。そんな頃、自分は仕事の関係でしょっちゅうO氏と話し合う機会があった。革新系の議員というと、ともすれば現状否定が強い余り政権・体制側に対する批判や追及ばかりが得意な者が多い中にあって、彼はその前に優れた人格者で、尊敬すべき人間だった。
 その人の名は、小竹輝弥(2018年、89歳で逝去)。「野党を貫いて32年―小竹輝弥回顧録」(東北出版企画、2007)で、彼の足跡の一端を知ることができる。

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(「帰省」と「野党を貫いて32年―小竹輝弥回顧録」)

 夜のくらしは、特に変わらず。「孤独のグルメ」などのお気に入りの番組を観ながら缶チューハイを飲み、締めに白飯とキムチ。
 古書を4冊発注。内容は、「街道をゆく」シリーズ3冊と、角田光代の旅エッセイ1冊。

 この日も読書三昧の一日だった。
 22時半、消灯。