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2023.06.20
琉フェス東京2023インプレ01 はじめに~オープニング
2023年6月11日(日)。東京開催としては今回が通算27回目となる「琉球フェスティバル2023」を観に行った。
これまでと同様、「日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)」にて、16時30分の開演。
出演者は、大工哲弘 with 苗子、朝崎郁恵、でいご娘、ディアマンテス、パーシャクラブ、夏川りみ。司会はガレッジセールだ。かつてよりは出演者が減り、一部はほぼ毎回出演だったりするが、それでもこれだけの琉球音楽が聴ける機会というのは本土にいてはなかなか体験できない大規模なものなのだ。
音楽プロデューサーの藤田正は琉フェスを次のように評し、称えている。
「四半世紀を超えて続いている日本全体で最も有名な「島の歌のフェスティバル」である。6月11日には入梅。沖縄では夏の訪れを告げる有名な「ハーリー」(旧暦5月4日)が目前だ。もはや伝統になったとも言える日比谷野音のこのイベントから、今年も、祝いのオーラを吸収しようではないか!」(会場配布のパンフレットから)
(「琉フェス2023」のポスターイメージ)
今回の上京は11日から15日までの5日間。この間ほぼ雨の予報で、当日の新幹線から眺める風景も重たい空と濡れた道路ばかりだ。滞在中のはじめのイベントとなる野外ライブから濡れ鼠というのはぜひ避けたいところで、当日券(8,300円)組としては、これ以上雨がひどくなったら観るのをやめようかとさえ思ったものだった。
馬喰町のホテルにチェックインし、部屋から外を眺めて悩むのだが、こうして部屋にいたところで何もすることがない。だったら行くしかないかと、携帯サイズの雨合羽を持ち、小さな折り畳み傘をさして出かけることにした。防備が弱いが、これでフルだ。
(東京沖縄県人会がエイサーを演舞中)
16時過ぎに日比谷公園着。小雨が降り続く中、東京沖縄県人会がエイサーを演舞中だった。
雨合羽を羽織っているうちにエイサーが終わり、もうガレッジセールの二人が登場してスタートとなる。近年の琉フェスは彼ら二人の司会進行が場をつくりあげていると言ってよく、話し始めるのを聞いてこれだよこれとほくそ笑む。
今年の琉フェスが例年の秋開催から初夏に変わったのは、秋の日比谷野音がすでに埋まっていて取れなかったためとのことだった。
これまでと同様、「日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)」にて、16時30分の開演。
出演者は、大工哲弘 with 苗子、朝崎郁恵、でいご娘、ディアマンテス、パーシャクラブ、夏川りみ。司会はガレッジセールだ。かつてよりは出演者が減り、一部はほぼ毎回出演だったりするが、それでもこれだけの琉球音楽が聴ける機会というのは本土にいてはなかなか体験できない大規模なものなのだ。
音楽プロデューサーの藤田正は琉フェスを次のように評し、称えている。
「四半世紀を超えて続いている日本全体で最も有名な「島の歌のフェスティバル」である。6月11日には入梅。沖縄では夏の訪れを告げる有名な「ハーリー」(旧暦5月4日)が目前だ。もはや伝統になったとも言える日比谷野音のこのイベントから、今年も、祝いのオーラを吸収しようではないか!」(会場配布のパンフレットから)
(「琉フェス2023」のポスターイメージ)
今回の上京は11日から15日までの5日間。この間ほぼ雨の予報で、当日の新幹線から眺める風景も重たい空と濡れた道路ばかりだ。滞在中のはじめのイベントとなる野外ライブから濡れ鼠というのはぜひ避けたいところで、当日券(8,300円)組としては、これ以上雨がひどくなったら観るのをやめようかとさえ思ったものだった。
馬喰町のホテルにチェックインし、部屋から外を眺めて悩むのだが、こうして部屋にいたところで何もすることがない。だったら行くしかないかと、携帯サイズの雨合羽を持ち、小さな折り畳み傘をさして出かけることにした。防備が弱いが、これでフルだ。
(東京沖縄県人会がエイサーを演舞中)
16時過ぎに日比谷公園着。小雨が降り続く中、東京沖縄県人会がエイサーを演舞中だった。
雨合羽を羽織っているうちにエイサーが終わり、もうガレッジセールの二人が登場してスタートとなる。近年の琉フェスは彼ら二人の司会進行が場をつくりあげていると言ってよく、話し始めるのを聞いてこれだよこれとほくそ笑む。
今年の琉フェスが例年の秋開催から初夏に変わったのは、秋の日比谷野音がすでに埋まっていて取れなかったためとのことだった。
2023.06.21
琉フェス東京2023インプレ02 ディアマンテス
最初のユニットは、ディアマンテスだ。
1991年結成。ファーストアルバム「オキナワ・ラティーナ」でメジャーデビューし、「ガンバッテヤンド」、「勝利の歌」、「片手に三線を」など数々のヒット曲を生み、今も沖縄を拠点に全国各地で精力的にライブを行い、独自の音楽を発信し続けている。
アルベルト城間(Vocal,Guitar,Percussions)とトム仲宗根(Bass)を中心に、サポートメンバーとして當間ツグアツ(Drums)、白川ミナ(Piano)、エイキ(Tb)、玉城チコ(Perc)、川上 肇(Tp,三線)を加えてのステージだ。
(ディアマンテス)
出てきた城間は「オキナワ・ミ・アモール」のサビの部分をちらりとうたい、続けて「勝利の歌」へ。
琉フェスの東京開催を初めて観に行ったのは2000年だった。あのときもここ日比谷野音が会場で、ディアマンテスからスタートしたと記憶していて、彼らを応援に来たたくさんの観客がディアマンテスの旗を打ち振っていたのが印象的だった。
かつてはこのステージ上で司会の川田にいじられたこともあったパーカッションの玉城チコも、元気でボンゴを叩いている。あれは2012年の琉フェスで、飲み過ぎたゴリが出てこられなくなり、彼女が代理として駆り出され、「ゴリで~す」とあいさつしたのだった。
ふと気づいたが、少しくたびれてシミなどが目立つようになっていた背景にある「Ryukyu Festival」の白い幕がきれいになっている。クリーニング? それとも新調したのか?
次は「ヒヤミカチ節」。
沖縄民謡のマンボ版といったアレンジで、城間が三線を弾きながらうたう。トランペットとトロンボーンのブラスセクションが入り、ヘヴィに。パーカッションパーツも冴えわたり、場内大いに盛り上がり始める。今回はよなは徹が参加していないが、あのノリとはまたちがった盛り上がりだ。
城間はギターに持ち替え、トム仲宗根と北の辺戸岬から南の喜屋武岬まで歩いてつくった曲だと紹介して、「パッソ ア パッソ」を。
フルートが入って、曲調はアンデスのフォルクローレ調だ。アルベルト城間の声量ある歌声はやっぱりいいな。若い頃よりも音程がやや落ち着かなくなったような気がするが、気になるほどではない。曲名は“一歩ずつ”の意味だそうだ。
4曲目は、エイサーで使う大太鼓も入って、「片手に三線を」。
2000年の琉フェスで、ディアマンテスがこの歌をうたっていたことを思い出し、ちょっとぐっと来て眼が潤んでしまった。雨なんかに負けずに今年も参加して、やっぱりよかった。
最後は「オキナワ・ラティーナ」で締め。
「音楽って、いいなぁ!」は、ディアマンテスのステージ後に出てきたゴリの感想で、まことに同感だ。
川田は、沖縄タウン横浜鶴見でのエイサーをテーマにした映画「なんでかね~鶴見」を紹介し、この映画には城間のほかにも大工哲弘やきいやま商店、そして僕も出ているから見に来てねとのことだった。
(映画「なんでかね~鶴見」も楽しそうだ)
1991年結成。ファーストアルバム「オキナワ・ラティーナ」でメジャーデビューし、「ガンバッテヤンド」、「勝利の歌」、「片手に三線を」など数々のヒット曲を生み、今も沖縄を拠点に全国各地で精力的にライブを行い、独自の音楽を発信し続けている。
アルベルト城間(Vocal,Guitar,Percussions)とトム仲宗根(Bass)を中心に、サポートメンバーとして當間ツグアツ(Drums)、白川ミナ(Piano)、エイキ(Tb)、玉城チコ(Perc)、川上 肇(Tp,三線)を加えてのステージだ。
(ディアマンテス)
出てきた城間は「オキナワ・ミ・アモール」のサビの部分をちらりとうたい、続けて「勝利の歌」へ。
琉フェスの東京開催を初めて観に行ったのは2000年だった。あのときもここ日比谷野音が会場で、ディアマンテスからスタートしたと記憶していて、彼らを応援に来たたくさんの観客がディアマンテスの旗を打ち振っていたのが印象的だった。
かつてはこのステージ上で司会の川田にいじられたこともあったパーカッションの玉城チコも、元気でボンゴを叩いている。あれは2012年の琉フェスで、飲み過ぎたゴリが出てこられなくなり、彼女が代理として駆り出され、「ゴリで~す」とあいさつしたのだった。
ふと気づいたが、少しくたびれてシミなどが目立つようになっていた背景にある「Ryukyu Festival」の白い幕がきれいになっている。クリーニング? それとも新調したのか?
次は「ヒヤミカチ節」。
沖縄民謡のマンボ版といったアレンジで、城間が三線を弾きながらうたう。トランペットとトロンボーンのブラスセクションが入り、ヘヴィに。パーカッションパーツも冴えわたり、場内大いに盛り上がり始める。今回はよなは徹が参加していないが、あのノリとはまたちがった盛り上がりだ。
城間はギターに持ち替え、トム仲宗根と北の辺戸岬から南の喜屋武岬まで歩いてつくった曲だと紹介して、「パッソ ア パッソ」を。
フルートが入って、曲調はアンデスのフォルクローレ調だ。アルベルト城間の声量ある歌声はやっぱりいいな。若い頃よりも音程がやや落ち着かなくなったような気がするが、気になるほどではない。曲名は“一歩ずつ”の意味だそうだ。
4曲目は、エイサーで使う大太鼓も入って、「片手に三線を」。
2000年の琉フェスで、ディアマンテスがこの歌をうたっていたことを思い出し、ちょっとぐっと来て眼が潤んでしまった。雨なんかに負けずに今年も参加して、やっぱりよかった。
最後は「オキナワ・ラティーナ」で締め。
「音楽って、いいなぁ!」は、ディアマンテスのステージ後に出てきたゴリの感想で、まことに同感だ。
川田は、沖縄タウン横浜鶴見でのエイサーをテーマにした映画「なんでかね~鶴見」を紹介し、この映画には城間のほかにも大工哲弘やきいやま商店、そして僕も出ているから見に来てねとのことだった。
(映画「なんでかね~鶴見」も楽しそうだ)
2023.06.22
琉フェス東京2023インプレ03 朝崎郁恵
2番手は、朝崎郁恵。
奄美・加計呂麻島・花富(けどみ)の生まれ。奄美諸島で古くから唄い継がれてきた奄美島唄のウタシャだ。千年以上も前から唄われてきたといわれる奄美島唄の伝統を守り、その魂を揺さぶる声、深い言霊は、世代や人種を超えて多くの人々に感動を与えている。NHKテレビの「新日本風土記」のテーマ曲「あはがり」は、彼女の唄だ。
(朝崎郁恵)
御年88歳との紹介で、ゴリが開演前に挨拶に行ったところ、何を働きかけても返答は「はい」のみだったと報告して笑いをとる。
その朝崎は、すでにギターと太鼓の男性二人がスタンバっているステージに、奄美のチヂンをポコンポコンと叩きながらゆっくりとした歩調で登場する。なんだかかわいい。
そしておもむろに歌い始めたのは「おぼくり(あらやしき)」。
新しい土地を求めて新しい家をつくり、萱の節をきれいにそろえて家葺きをしましょう――という歌意らしい。
従来からの独特の音程にますます磨きがかかったようで、音階などというちまちました概念を軽く超越していてスゴイ。(笑) このことは、晩年の誠グヮーこと登川誠仁のうたい方、節回しに相通じるところがあるように思う。
まるで朝崎が呼びこんだかのように、小雨が強くなってきた。
抒情詩を読むような口調で次の曲を説明し、「浜千鳥(ちじゅやー)浜」を。
ロックバージョンのテンポの速いうたで、高齢の朝崎にはちょっと厳しい。ついて行けるのかとみていると、途中からうたうのをやめ、前もって録音した自分の歌声に合わせて手をたたいているだけではないか。うーん……でもまあ、これもやむを得ないことかもしれない。何と言っても90歳近いおばあちゃんなのだから。
次は「十九の春」。
朝崎の名を高めた「嘉義丸の歌」ではなく、沖縄民謡の一般的な歌詞でうたっている。それでもこの節回し、うたい方は朝崎でなければできないものだ。それを知っている観客たちは、うたい終えたところで大きな拍手。
最後は、「あはがり」。
朝崎本人が明かすには、これもカラオケで歌うことになっていて、CDに合わせるのが得意じゃない、間違えたらもう1回うたいますと発言して笑いまで取るのだった。むろん、間違えることなく1回だけに終わったが。
(司会のガレッジセール)
ガレッジたちも「不思議な世界でしたー」と朝崎を送る。この世のものとは思えず足元は30cm浮いていたとか、朝崎がここにいると我々が思っているだけで実はここにいないのではないかとか、面白いコメントをする。
朝崎には「来年もまた来てくださいねー」と声をかけるのだが、いろいろな意味でそれは可能なのだろうか。また「はい」と一刀両断にされてそれっきりになったりしないよう祈りたい。(笑々)
奄美・加計呂麻島・花富(けどみ)の生まれ。奄美諸島で古くから唄い継がれてきた奄美島唄のウタシャだ。千年以上も前から唄われてきたといわれる奄美島唄の伝統を守り、その魂を揺さぶる声、深い言霊は、世代や人種を超えて多くの人々に感動を与えている。NHKテレビの「新日本風土記」のテーマ曲「あはがり」は、彼女の唄だ。
(朝崎郁恵)
御年88歳との紹介で、ゴリが開演前に挨拶に行ったところ、何を働きかけても返答は「はい」のみだったと報告して笑いをとる。
その朝崎は、すでにギターと太鼓の男性二人がスタンバっているステージに、奄美のチヂンをポコンポコンと叩きながらゆっくりとした歩調で登場する。なんだかかわいい。
そしておもむろに歌い始めたのは「おぼくり(あらやしき)」。
新しい土地を求めて新しい家をつくり、萱の節をきれいにそろえて家葺きをしましょう――という歌意らしい。
従来からの独特の音程にますます磨きがかかったようで、音階などというちまちました概念を軽く超越していてスゴイ。(笑) このことは、晩年の誠グヮーこと登川誠仁のうたい方、節回しに相通じるところがあるように思う。
まるで朝崎が呼びこんだかのように、小雨が強くなってきた。
抒情詩を読むような口調で次の曲を説明し、「浜千鳥(ちじゅやー)浜」を。
ロックバージョンのテンポの速いうたで、高齢の朝崎にはちょっと厳しい。ついて行けるのかとみていると、途中からうたうのをやめ、前もって録音した自分の歌声に合わせて手をたたいているだけではないか。うーん……でもまあ、これもやむを得ないことかもしれない。何と言っても90歳近いおばあちゃんなのだから。
次は「十九の春」。
朝崎の名を高めた「嘉義丸の歌」ではなく、沖縄民謡の一般的な歌詞でうたっている。それでもこの節回し、うたい方は朝崎でなければできないものだ。それを知っている観客たちは、うたい終えたところで大きな拍手。
最後は、「あはがり」。
朝崎本人が明かすには、これもカラオケで歌うことになっていて、CDに合わせるのが得意じゃない、間違えたらもう1回うたいますと発言して笑いまで取るのだった。むろん、間違えることなく1回だけに終わったが。
(司会のガレッジセール)
ガレッジたちも「不思議な世界でしたー」と朝崎を送る。この世のものとは思えず足元は30cm浮いていたとか、朝崎がここにいると我々が思っているだけで実はここにいないのではないかとか、面白いコメントをする。
朝崎には「来年もまた来てくださいねー」と声をかけるのだが、いろいろな意味でそれは可能なのだろうか。また「はい」と一刀両断にされてそれっきりになったりしないよう祈りたい。(笑々)
2023.06.23
琉フェス東京2023インプレ04 でいご娘
3番手は、でいご娘だ。
艶子・綾子・千津子・けい子の四姉妹による、読谷村出身の民謡グループ。父親の指導のもと、幼い頃より郷土芸能に携わり舞台活動を開始する。1975年には、父親の遺作となる「艦砲ぬ喰ぇー残さー」のレコーディングを機にマルフクレコード音楽プロデューサー普久原恒勇に師事。また、1976年発表の「豊年音頭」はカチャーシー曲の定番となり、現在も多くのアーティストにカバーされている。
(でいご娘)
紅型衣装が華やかで、100m離れて見れば「娘」に見えるとは、ゴリの発言。
この立ち姿で思い出すのは、2004年2月、沖縄国際大学の「校友会創立30周年記念芸能の夕べ」で観た彼女たちのステージだ。1998年に活動を再開して新CDをもリリースした頃で、でいご娘をじっくり聴くのはあれ以来になるだろうか。懐かしいな。
1曲目は「南国育ち」。
♪ 潮の香りに素肌を染めりゃ 恋を知るのも早いもの …… ユニゾンで進んで各歌詞の最後でハモるのだが、この部分がなかなかよく、ユニゾン一本鎗のネーネーズたちも先輩を見習わなければならない。この曲については残念ながら演奏の三線は録音。
なお、キーボードでのサポートは、喜久川ひとし。1998年以降ずっとこの人が、「でいご娘」の楽曲アレンジと演奏をサポートしているようだ。
2曲目は「銭(じん)節」。
そして、でいご娘を沖縄のスターダムへと押し上げた、娘たちの父の作品「艦砲ぬ喰ぇー残さー」。
2013年に建立された「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の碑を、14年の夏にわざわざ読谷村楚辺まで見に行ったりもしたものだ。
(「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の碑 2014.8.15)
7人兄弟の末っ子で、4人娘の末娘となるけい子が島太鼓の前に立ち、次は「多幸山」。
モーアシビ唄の代表作のひとつだ。さすがけい子、ひがけい子&シュビーズという三線に創作太鼓を交えた島唄ユニットを主宰していた時期もあり、島太鼓が素晴らしく、このパフォーマンスが衆目の視線を集める。
次は、「艦砲ぬ……」のアンサーソング的なもので、母への想いを込めたものだという紹介があって、「大家(うふやー)」を。
そもそもは、やんばる沖縄そば屋「大家(うふやー)」のCM曲だったよう。ソロでうたうけい子の声は、島太鼓のダイナミックさとは対照的に、キーの高いやさしげなのが意外だった。曲中に「てぃんさぐぬ花」が挿入されていた。
最後は「豊年音頭」で締め。
琉フェスでもフィナーレなどの最高潮時に必ずといっていいほど演じられる「豊年音頭」だが、オリジナルはこのでいご娘がうたっていたものだ。
でいご娘のスージの途中でいったん雨が上がり、雨合羽のフードを脱ぐ。
艶子・綾子・千津子・けい子の四姉妹による、読谷村出身の民謡グループ。父親の指導のもと、幼い頃より郷土芸能に携わり舞台活動を開始する。1975年には、父親の遺作となる「艦砲ぬ喰ぇー残さー」のレコーディングを機にマルフクレコード音楽プロデューサー普久原恒勇に師事。また、1976年発表の「豊年音頭」はカチャーシー曲の定番となり、現在も多くのアーティストにカバーされている。
(でいご娘)
紅型衣装が華やかで、100m離れて見れば「娘」に見えるとは、ゴリの発言。
この立ち姿で思い出すのは、2004年2月、沖縄国際大学の「校友会創立30周年記念芸能の夕べ」で観た彼女たちのステージだ。1998年に活動を再開して新CDをもリリースした頃で、でいご娘をじっくり聴くのはあれ以来になるだろうか。懐かしいな。
1曲目は「南国育ち」。
♪ 潮の香りに素肌を染めりゃ 恋を知るのも早いもの …… ユニゾンで進んで各歌詞の最後でハモるのだが、この部分がなかなかよく、ユニゾン一本鎗のネーネーズたちも先輩を見習わなければならない。この曲については残念ながら演奏の三線は録音。
なお、キーボードでのサポートは、喜久川ひとし。1998年以降ずっとこの人が、「でいご娘」の楽曲アレンジと演奏をサポートしているようだ。
2曲目は「銭(じん)節」。
そして、でいご娘を沖縄のスターダムへと押し上げた、娘たちの父の作品「艦砲ぬ喰ぇー残さー」。
2013年に建立された「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の碑を、14年の夏にわざわざ読谷村楚辺まで見に行ったりもしたものだ。
(「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の碑 2014.8.15)
7人兄弟の末っ子で、4人娘の末娘となるけい子が島太鼓の前に立ち、次は「多幸山」。
モーアシビ唄の代表作のひとつだ。さすがけい子、ひがけい子&シュビーズという三線に創作太鼓を交えた島唄ユニットを主宰していた時期もあり、島太鼓が素晴らしく、このパフォーマンスが衆目の視線を集める。
次は、「艦砲ぬ……」のアンサーソング的なもので、母への想いを込めたものだという紹介があって、「大家(うふやー)」を。
そもそもは、やんばる沖縄そば屋「大家(うふやー)」のCM曲だったよう。ソロでうたうけい子の声は、島太鼓のダイナミックさとは対照的に、キーの高いやさしげなのが意外だった。曲中に「てぃんさぐぬ花」が挿入されていた。
最後は「豊年音頭」で締め。
琉フェスでもフィナーレなどの最高潮時に必ずといっていいほど演じられる「豊年音頭」だが、オリジナルはこのでいご娘がうたっていたものだ。
でいご娘のスージの途中でいったん雨が上がり、雨合羽のフードを脱ぐ。
2023.06.24
琉フェス東京2023インプレ05 夏川りみ
4番手は、夏川りみ。
ビッグヒット「涙(なだ)そうそう」であまりに有名なシンガー。その涼やかな歌声に、南国沖縄のやさしさ、癒しの心を感じるファンは多い。
楽屋ではスナック「りみ」が店開きしていて、パーシャの面々をはじめとして出演者たちがウィスキーや泡盛を楽しんでいると、ガレッジが語る。また、りみは一晩で泡盛を一升飲んだことがあるという酒豪で、あるパーティーでは当時横綱だった白鵬と飲み比べをして勝ったことがあるというエピソードを紹介し、そのことに尾ひれがついて、夏川が相撲で白鵬から勝ったと噂が広まったと、ゴリ。
(夏川りみ)
りみの琉フェス出演は10年ぶりだとのこと。そのときのインプレッションを見てみると、2013年のときもひどい雨で、よなは徹などは滝に身を委ねる修行僧のような状態でうたっていたことを思い出す。りみはゲスト的な形での出演で、パーシャクラブのときに「ファムレウタ」、「童神」、「涙そうそう」などを幸人と共に歌ったのだった。
キーボードの醍醐弘美だけを従えた二人でのステージ。まずは沖縄県民歌ともいわれる「芭蕉布」をじっくりと聴かせる。
キーの高い、清らかな声が魅力的だ。場内がしんとなるほどに注目を手中にしているのはさすが、りみ。
これも普久原恒勇の作曲で、でいご娘とともに普久原パレードとなっている。その普久原は、去年の11月、89歳で帰らぬ人となってしまった。
(普久原恒勇 2022.4)
次は「童神」。
2010年に子を授かり、その年の琉フェスでは楽屋に遊びに来て、古謝美佐子がその子を抱いてこの「童神」をうたってくれたと思い出話をしていた。その子も今では中学生になっているという。
ここで三線を持ち、3曲目は、新CD「会いたい ~かなさんどぉ~」(2022)からの1曲ということで「愛(かな)さ生まり島」を。
♪ いちまでぃん くぬまま 愛さ人待ちゅる島 御万人ぬ願い 唄に藍染みてぃ ……
夏川と醍醐の作品らしいのだが、歌詞や曲調が上地正昭の手によるものとよく似ている印象があった。慣れない曲の三線でもあり、「いっぱい間違えたよー」とりみ。
話し方もジェスチャーも構えるところがないナチュラルさで、それが“ステージ馴れ”に見えないところが夏川のキャラのいいところだろうか。
最後は名曲「涙そうそう」で締める。
今回はややスローペースで、かみしめるようにじっくりと。それは楽屋で飲んで酔っていたためなのか?! それにしても、何度聴いてもいいうただ。
ステージを去るに当たって、観客席に向かって大きなジェスチャーで感謝の投げキッスの愛嬌をふりまく。もしかしたらやはりかなり酔っていただろうか。(笑)
「横綱からの投げキッスでしたー!」と、ガレッジの二人がステージから袖に消えるりみを見送る。
気が付けばまた小雨。
ビッグヒット「涙(なだ)そうそう」であまりに有名なシンガー。その涼やかな歌声に、南国沖縄のやさしさ、癒しの心を感じるファンは多い。
楽屋ではスナック「りみ」が店開きしていて、パーシャの面々をはじめとして出演者たちがウィスキーや泡盛を楽しんでいると、ガレッジが語る。また、りみは一晩で泡盛を一升飲んだことがあるという酒豪で、あるパーティーでは当時横綱だった白鵬と飲み比べをして勝ったことがあるというエピソードを紹介し、そのことに尾ひれがついて、夏川が相撲で白鵬から勝ったと噂が広まったと、ゴリ。
(夏川りみ)
りみの琉フェス出演は10年ぶりだとのこと。そのときのインプレッションを見てみると、2013年のときもひどい雨で、よなは徹などは滝に身を委ねる修行僧のような状態でうたっていたことを思い出す。りみはゲスト的な形での出演で、パーシャクラブのときに「ファムレウタ」、「童神」、「涙そうそう」などを幸人と共に歌ったのだった。
キーボードの醍醐弘美だけを従えた二人でのステージ。まずは沖縄県民歌ともいわれる「芭蕉布」をじっくりと聴かせる。
キーの高い、清らかな声が魅力的だ。場内がしんとなるほどに注目を手中にしているのはさすが、りみ。
これも普久原恒勇の作曲で、でいご娘とともに普久原パレードとなっている。その普久原は、去年の11月、89歳で帰らぬ人となってしまった。
(普久原恒勇 2022.4)
次は「童神」。
2010年に子を授かり、その年の琉フェスでは楽屋に遊びに来て、古謝美佐子がその子を抱いてこの「童神」をうたってくれたと思い出話をしていた。その子も今では中学生になっているという。
ここで三線を持ち、3曲目は、新CD「会いたい ~かなさんどぉ~」(2022)からの1曲ということで「愛(かな)さ生まり島」を。
♪ いちまでぃん くぬまま 愛さ人待ちゅる島 御万人ぬ願い 唄に藍染みてぃ ……
夏川と醍醐の作品らしいのだが、歌詞や曲調が上地正昭の手によるものとよく似ている印象があった。慣れない曲の三線でもあり、「いっぱい間違えたよー」とりみ。
話し方もジェスチャーも構えるところがないナチュラルさで、それが“ステージ馴れ”に見えないところが夏川のキャラのいいところだろうか。
最後は名曲「涙そうそう」で締める。
今回はややスローペースで、かみしめるようにじっくりと。それは楽屋で飲んで酔っていたためなのか?! それにしても、何度聴いてもいいうただ。
ステージを去るに当たって、観客席に向かって大きなジェスチャーで感謝の投げキッスの愛嬌をふりまく。もしかしたらやはりかなり酔っていただろうか。(笑)
「横綱からの投げキッスでしたー!」と、ガレッジの二人がステージから袖に消えるりみを見送る。
気が付けばまた小雨。
2023.06.25
琉フェス東京2023インプレ06 大工哲弘with苗子
次は、大工哲弘with苗子。
舞台準備が整うまでに、ガレッジたちは苗子の行状のことをたくさん話して盛り上がる。楽屋ではステージから流れてくるスモークに「誰だ、サンマを焼いているのは」と言ったり、飲んだことのないウィスキーをストレートで飲んで一人大騒ぎをしていたりと、大ハッスルしているらしい。
大工哲弘は、今年75歳。沖縄県無形文化財保持者(八重山古典民謡)で、「八重山うた・大哲会」の会主として全国にたくさんの弟子をもつ。また最近は、テレビや映画で沖縄のオジィ役としてちょくちょく登場するようになっている。
その妻の大工苗子は、琉球箏曲の師範。踊りもよくこなす、民謡万能型のナイスパートナーだ。
(大工哲弘with苗子)
1曲目は「正調安里屋ユンタ」。
苗子は琴を弾きながら合いの手を入れてうたうのだが、それってけっこう大変なことではないのか。
うたい終えて、いつもの大工のナンセンスMCが冴える。「沖縄民謡のレジェンド、大工です!」から始まって、この琉フェスの主催がM&Iカンパニーから文化放送に変わったと話す。正しくは、メインスポンサーからテレビ朝日が降りて文化放送がとって代わり、M&Iはこれまでよりも少し引いた形でプロモートに関わっていくという形だったのではなかろうか。
2曲目は、西表島の民謡「ザンザブロー(高那節)」。
西から曇ってきた、雨が降り出したらどうしよう――という意味のうただと大工は説明し、脱線して、ディアマンテスが出るイベントはたいてい雨が降ると余計なことまで言っていた。
二人で三線と琉琴でチンダミをしながら、大工はまた「琴瑟(きんしつ、瑟は大きい琴のこと)相和す」という夫婦仲がいいことの例えがあるが、我々のチンダミがなかなか合わないのはそうでないからだろうかと小声になって訴え(笑)、次はにぎやかに「新鳩間節」を。
東京板橋区の建設会社の社長だという大城朝夫という人の島太鼓もいい。東京にある八重山古典音楽の太鼓の会の師範で東京支部長らしい。
テンポよくうたった大工は「あぁ疲れた」と、後期高齢者らしい発言も。なお苗子と二人は今年、金婚式を迎えるのだそうだ。
ここで苗子が琴の前に歩み出て、大工の「つぃんだら節」に合わせて踊る。
かつてはツンダラーズと名乗って苗子ともう一人の女性二人で踊ったものだ。それにしても苗子の足上げの高さ、ステップの軽やかさなどの俊敏な動作は、とても70歳代のものとは思えない。日頃から鍛えているのだろうな、きっと。
苗子は踊りのほうに心がいったのか、めずらしく途中でうたい出しを逃す場面もあった。演奏後に大工はそのミスについて、失敗したがみんな沖縄民謡をあまり知らないから気付かなかっただろうと苦笑い。いやいや、おそらくみんな気づいていたと思うよ。
(Ryufes2023)
続く「マミドーマ」でも、苗子は鍬や鋤を持って元気に踊る。
ボクが一生懸命うたっても、このごろは必ず最後は(苗子に)持っていかれると愚痴を言い、日比谷野音が100周年であることに触れる。日比谷野音は来年度以降の解体が決まっていて、そのため今年11月までは数々の記念イベントが開かれるという。だからこの琉フェスも初夏に開かれたわけなのだな。
来年また会おうと、最後に「さよなら港」を。
スキップや敬礼の仕草などが入る苗子のマドロス踊りには、ある種のキレを感じる ♪ 船はゆく船はゆく さよなら港 …… これも大工のステージの定番になりつつある。
大工が「とぅばらーま」をうたわずにステージを終えるのはめずらしいことではなかろうか。
気がつけば、日の高い6月でもあたりが暗くなってき始めた。
舞台準備が整うまでに、ガレッジたちは苗子の行状のことをたくさん話して盛り上がる。楽屋ではステージから流れてくるスモークに「誰だ、サンマを焼いているのは」と言ったり、飲んだことのないウィスキーをストレートで飲んで一人大騒ぎをしていたりと、大ハッスルしているらしい。
大工哲弘は、今年75歳。沖縄県無形文化財保持者(八重山古典民謡)で、「八重山うた・大哲会」の会主として全国にたくさんの弟子をもつ。また最近は、テレビや映画で沖縄のオジィ役としてちょくちょく登場するようになっている。
その妻の大工苗子は、琉球箏曲の師範。踊りもよくこなす、民謡万能型のナイスパートナーだ。
(大工哲弘with苗子)
1曲目は「正調安里屋ユンタ」。
苗子は琴を弾きながら合いの手を入れてうたうのだが、それってけっこう大変なことではないのか。
うたい終えて、いつもの大工のナンセンスMCが冴える。「沖縄民謡のレジェンド、大工です!」から始まって、この琉フェスの主催がM&Iカンパニーから文化放送に変わったと話す。正しくは、メインスポンサーからテレビ朝日が降りて文化放送がとって代わり、M&Iはこれまでよりも少し引いた形でプロモートに関わっていくという形だったのではなかろうか。
2曲目は、西表島の民謡「ザンザブロー(高那節)」。
西から曇ってきた、雨が降り出したらどうしよう――という意味のうただと大工は説明し、脱線して、ディアマンテスが出るイベントはたいてい雨が降ると余計なことまで言っていた。
二人で三線と琉琴でチンダミをしながら、大工はまた「琴瑟(きんしつ、瑟は大きい琴のこと)相和す」という夫婦仲がいいことの例えがあるが、我々のチンダミがなかなか合わないのはそうでないからだろうかと小声になって訴え(笑)、次はにぎやかに「新鳩間節」を。
東京板橋区の建設会社の社長だという大城朝夫という人の島太鼓もいい。東京にある八重山古典音楽の太鼓の会の師範で東京支部長らしい。
テンポよくうたった大工は「あぁ疲れた」と、後期高齢者らしい発言も。なお苗子と二人は今年、金婚式を迎えるのだそうだ。
ここで苗子が琴の前に歩み出て、大工の「つぃんだら節」に合わせて踊る。
かつてはツンダラーズと名乗って苗子ともう一人の女性二人で踊ったものだ。それにしても苗子の足上げの高さ、ステップの軽やかさなどの俊敏な動作は、とても70歳代のものとは思えない。日頃から鍛えているのだろうな、きっと。
苗子は踊りのほうに心がいったのか、めずらしく途中でうたい出しを逃す場面もあった。演奏後に大工はそのミスについて、失敗したがみんな沖縄民謡をあまり知らないから気付かなかっただろうと苦笑い。いやいや、おそらくみんな気づいていたと思うよ。
(Ryufes2023)
続く「マミドーマ」でも、苗子は鍬や鋤を持って元気に踊る。
ボクが一生懸命うたっても、このごろは必ず最後は(苗子に)持っていかれると愚痴を言い、日比谷野音が100周年であることに触れる。日比谷野音は来年度以降の解体が決まっていて、そのため今年11月までは数々の記念イベントが開かれるという。だからこの琉フェスも初夏に開かれたわけなのだな。
来年また会おうと、最後に「さよなら港」を。
スキップや敬礼の仕草などが入る苗子のマドロス踊りには、ある種のキレを感じる ♪ 船はゆく船はゆく さよなら港 …… これも大工のステージの定番になりつつある。
大工が「とぅばらーま」をうたわずにステージを終えるのはめずらしいことではなかろうか。
気がつけば、日の高い6月でもあたりが暗くなってき始めた。
2023.06.26
琉フェス東京2023インプレ07 パーシャクラブ~フィナーレ
そして、今年もトリはパーシャクラブだ。
1993年結成だから、今年で結成30年。八重山の唄者・新良幸人が、希代のメロディメーカー・上地正昭の生み出す楽曲で躍動する。
バンド仕様のステージに模様替えするため準備に時間がかかるが、その間にガレッジはパーシャもいいがBEGINもいいよねという話をする。BEGINはステージでなかなかデビュー曲の「恋しくて」を演じてくれないので、あるとき比嘉栄昇にゴリが頼み込んだところ、打ち上げの際に「お前がうたえ」と、バックの演奏をメンバーとゲストできていた桐谷健太らが固めてくれたという。
そんな話をここでやれば、ではやってもらおうかと川田が発言して、ゴリはここでもワンコーラス全部をしっかりうたうのだった。「気持ちいい~♪」とゴリ。うん、なかなか聴かせるものだったぞ。
(パーシャクラブ)
準備が整い、バックライトによるシルエットをつくりながらメンバーが登場し、いつものように「海の彼方」から。すごい人気。出てきただけなのに観客はもう総立ちだ。
正面からのライトが幸人に当たる。以前はおちゃらけ衣装で登場することが多かった幸人だが、今回はスーツのベストスタイルでネクタイを締めてのクールな登場だ。
1曲終えて幸人は「ぅお~~い!」といつものくなくなな声で観客に声を掛け、拍手を受ける。
2曲目は、正式には6月20日からの発売となる新アルバムの「エイサーセレクション」から、「エイサー節」で盛り上がろう!と呼びかける。それに対して観客たちが思い思いに声援を投げかけるのだが、幸人はそれらを「黙れ」と制して、うたい慣れない曲を演るのでナーバスになっていると自己の心情を暴露するのだった。パーシャクラブには「七月節」や「七月エイサー」があるが、「エイサー節」はなかったのかもしれない。
幸人はうたい慣れていないし、聴くほうも初めての曲なので、互いに乗り切れないどれどれ的な雰囲気。音楽的にも目新しいものはないように思われる。そうは言いながら、間奏時の上地のギターと幸人の三線のコラボはいい味わいを醸し出している。
これ以降はいつものラインナップとなる。
上地のチュンワカチュンワカ……というギターに乗せて3曲目の「固み節」が始まり、グルーヴ感はぐっと高まる。
次の「東バンタ」では、2曲目で多少落ち着いた観客席がまた総立ちとなる。
驚くことに、これだけボリュームを上げて流している演奏音の背景に、観客の歌声がしっかりと聞こえてくるではないか。みんながいっしょになって、大声でうたっているわけだ。
最後は、りみを呼び入れて、「五穀豊穣」を共演する。りみも甲高い声でしっかりうたっていた。
「まだ終わってないぞー、アンコールとか言うんじゃねえ!!」と幸人が叫ぶ。おっ、もう1曲やるつもりか?と期待したが、舌の乾かぬうちに(笑)こんどは「フィナーレだぜ、ベイビー!」と言い放ち、なぜかそのままフィナーレへとなだれ込む。
オールラウンダーのよなは徹が不在なので、今回は幸人が一人で仕切る。
曲は「豊年音頭」。幸人、りみと歌ってでいご娘、アルベルト城間がうたう。苗子があちこちへと動いて場を盛り上げている。
これまでの開催ではここから本島、八重山、奄美と各地の民謡やカチャーシーソングがメドレーでうたわれるのだが、今回はこの「豊年音頭」のみ。あれ、大工が歌っていないじゃないか。それと、朝崎郁恵はいたのかな?
もう50代となったガレッジの二人も、かつてのような差し入れ泡盛一気飲みをせず、野外宴会場的な妙な盛り上がり方は多少影を潜めたのだった。
(楽屋で記念写真(玉城チコのインスタグラムから借用))
19時50分過ぎ、終了。
大工や幸人も言っていたが、来年度日比谷野音はリニューアルされ、新しくなるまでは別の会場でやることになるのだろうが、いっそのこと東京ドームや日本武道館あたりでやってはどうか。(笑)
小雨そぼ降る中だったが、今年も十分に楽しめた琉フェスだった。
(了)
1993年結成だから、今年で結成30年。八重山の唄者・新良幸人が、希代のメロディメーカー・上地正昭の生み出す楽曲で躍動する。
バンド仕様のステージに模様替えするため準備に時間がかかるが、その間にガレッジはパーシャもいいがBEGINもいいよねという話をする。BEGINはステージでなかなかデビュー曲の「恋しくて」を演じてくれないので、あるとき比嘉栄昇にゴリが頼み込んだところ、打ち上げの際に「お前がうたえ」と、バックの演奏をメンバーとゲストできていた桐谷健太らが固めてくれたという。
そんな話をここでやれば、ではやってもらおうかと川田が発言して、ゴリはここでもワンコーラス全部をしっかりうたうのだった。「気持ちいい~♪」とゴリ。うん、なかなか聴かせるものだったぞ。
(パーシャクラブ)
準備が整い、バックライトによるシルエットをつくりながらメンバーが登場し、いつものように「海の彼方」から。すごい人気。出てきただけなのに観客はもう総立ちだ。
正面からのライトが幸人に当たる。以前はおちゃらけ衣装で登場することが多かった幸人だが、今回はスーツのベストスタイルでネクタイを締めてのクールな登場だ。
1曲終えて幸人は「ぅお~~い!」といつものくなくなな声で観客に声を掛け、拍手を受ける。
2曲目は、正式には6月20日からの発売となる新アルバムの「エイサーセレクション」から、「エイサー節」で盛り上がろう!と呼びかける。それに対して観客たちが思い思いに声援を投げかけるのだが、幸人はそれらを「黙れ」と制して、うたい慣れない曲を演るのでナーバスになっていると自己の心情を暴露するのだった。パーシャクラブには「七月節」や「七月エイサー」があるが、「エイサー節」はなかったのかもしれない。
幸人はうたい慣れていないし、聴くほうも初めての曲なので、互いに乗り切れないどれどれ的な雰囲気。音楽的にも目新しいものはないように思われる。そうは言いながら、間奏時の上地のギターと幸人の三線のコラボはいい味わいを醸し出している。
これ以降はいつものラインナップとなる。
上地のチュンワカチュンワカ……というギターに乗せて3曲目の「固み節」が始まり、グルーヴ感はぐっと高まる。
次の「東バンタ」では、2曲目で多少落ち着いた観客席がまた総立ちとなる。
驚くことに、これだけボリュームを上げて流している演奏音の背景に、観客の歌声がしっかりと聞こえてくるではないか。みんながいっしょになって、大声でうたっているわけだ。
最後は、りみを呼び入れて、「五穀豊穣」を共演する。りみも甲高い声でしっかりうたっていた。
「まだ終わってないぞー、アンコールとか言うんじゃねえ!!」と幸人が叫ぶ。おっ、もう1曲やるつもりか?と期待したが、舌の乾かぬうちに(笑)こんどは「フィナーレだぜ、ベイビー!」と言い放ち、なぜかそのままフィナーレへとなだれ込む。
オールラウンダーのよなは徹が不在なので、今回は幸人が一人で仕切る。
曲は「豊年音頭」。幸人、りみと歌ってでいご娘、アルベルト城間がうたう。苗子があちこちへと動いて場を盛り上げている。
これまでの開催ではここから本島、八重山、奄美と各地の民謡やカチャーシーソングがメドレーでうたわれるのだが、今回はこの「豊年音頭」のみ。あれ、大工が歌っていないじゃないか。それと、朝崎郁恵はいたのかな?
もう50代となったガレッジの二人も、かつてのような差し入れ泡盛一気飲みをせず、野外宴会場的な妙な盛り上がり方は多少影を潜めたのだった。
(楽屋で記念写真(玉城チコのインスタグラムから借用))
19時50分過ぎ、終了。
大工や幸人も言っていたが、来年度日比谷野音はリニューアルされ、新しくなるまでは別の会場でやることになるのだろうが、いっそのこと東京ドームや日本武道館あたりでやってはどうか。(笑)
小雨そぼ降る中だったが、今年も十分に楽しめた琉フェスだった。
(了)
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