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   小学館文庫  610円+税
   2016年8月10日 第1刷発行

 「旅」と「モノ」について、作者ならではの視点、本音が満載の1冊。読み進めていくと「どうして私の気持ちがここにあるんだろう」とびっくりするほど共感するとともに、新鮮な奥深い視点をそこかしこに感じます。そして読後は、心がほっこり癒されます。(商品説明より)――とのこと。
 文章には著者一流の表現力があり、読み易い。お茶目でひょうきんな一面があると思えば、ハッとさせられる奥深さもあり、さすが人気作家と思わせられます。
 たとえば「石か、水か」の項では、アジアを旅するのには目的はさほど重要ではなく、ぼうっとした時間を過ごしていたとしても、必ず何か、旅を実感させるようなことが起こる。それに対して、ヨーロッパで有意義な旅をしようと思ったら、目的を持たなければ膨大な退屈な時間が襲いかかってくると。そう論じ、アジアは水で、ヨーロッパは石なのだとまとめています。なるほどねぇ。

 ほかに、「子どもの心で、子どもの財布での旅しか、私はずっとできないのかもしれない。それが、私の作り上げてきた私に相応な「分」なのだろう」、「旅の疲れは移動の疲れと言うよりも、野生の本能を始終使っている疲れなんだろう」、「7月のあたまにセールなんてするなら、金輪際、5月、6月に夏物なんて買わないからな!」、「じつは若いときからずっとサザエの母、磯野フネに憧れていた」、「毎日仕事中、ほとんど負け戦ながらチョコ衝動と闘い続けている」などのところも、そうでした。

 ミャンマーがサイクロンに襲われ、尋常ならざる数の被害者が出たことを知り、著者はかつてそこを訪れたときに知り合った人々について思いを馳せています。そして、人と知り合う、場所と知り合うことが、かなしみの種類を確実に増やすことについて憂いていました。当方にとっても、その思いは年齢を重ねるごと、つまり多くを経験することによって、着実に増えている実感があります。
 ならば、誰とも、どことも知り合わなければいいということになるのですが、著者は前向きです。かなしみの種類が増えることは不幸なことではなく、かなしむことができる、そのことを不幸だとはどうしても思えないと述べています。
 そういう考え方は人間として、きっと正しいのでしょう。けれども、自分も含めて人生の下り坂にさしかかってきた者たちにとっては、知り合い、親しくしてきた人々はともに老い、健康を損ねたり、場合によっては亡くなったりし始めます。つまり今後は、人と知り合えば知り合うほど、不幸な別れが多くなり、人を身近に感じることでますますつらい思いをする――という構図に陥ることになります。
 若い頃の、楽しかった思い出はたくさんある。それらの記憶に身を浸していれば、寂しくはない。新しく友をつくれば、いずれは新しい悲しみを背負い込むことになる。そう思ってしまうのは間違いなのかもしれませんが、自分の心の安らぎを重視しようとすれば、あながち筋違いなことではないと思うのですが、どうでしょう。

 表題から判断して旅のエッセイだと思って手にしたものでしたが、読んでみると、全300ページのうち「旅に思う」は100ページ余りで、続く3分の2は「モノに思う」という、当方にとってはそれほど興味のない女性の購買生活を中心としたものでした。○○をいくらで買ったけれども、結局使うことなく終わったのは、自分のこんな性格のせいだ――といった論調のものを、じっと我慢して読んでいくことになりました。
(2022.4.10 読)

2022.07.01 20220630 木
 小用のため4時に目覚め、そのまま本を読んだりして、6時起床。なすべきことは涼しいうちにという考えがどこかにあると、寝直さずにこういう行動をとることになる。
 午前のうちに、「民族の世界史6 東南アジアの民族と歴史」を40ページ余り読んで読了する。今日で2022年の上半期が終わるが、ここまでで60冊を読了。年間100冊に向けて、1か月に10冊という、マラソンのペースメーカーのような、少し速めの正確なラップの刻み方ではないか。となると、30km付近で走るのをやめてしまうのもあったりするわけか?(笑)

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(俺は今、年間100冊読破のペースメーカーを自ら演じている)

 昼食は、外出せずに家でとる。ひやむぎを所望したところ、もりではなくぶっかけそうめんにしてみたとのこと。納豆、温玉、ツナ、揚げ玉、大葉、ネギ、刻み海苔がトッピングされ、これにめんつゆをぶっかけて食べればなかなかうまし。いくら剛速球が投げられても、いつも直球(「もり」のこと)ばかりではいい投手とは言えない。たまにはスライダーのようなぶっかけも必要だ。今日の大リーグ中継でも、大谷がピッチャー・3番で上々のスタートを切り、投手として7勝目をあげている。

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(ぶっかけそうめんは、剛速球投手・大谷翔平のスライダーのようだ)

 午後は、ほぼすべての時間を金沢旅の情報収集に充てる。訪れるつもりのスポットを巡る順番に並べ替え、金沢に行ったらここにも寄らなければと思われる食事処をその中に充てこんでいき、ついでに土産の人気ランキングにも目を通しておく。
 これからは、地図を拡大してよく見ながら、見どころの拾い漏れがないかを確認し、実際に歩いたつもりになってイメージを膨らませていくことになる。
 今回も、自家用車を使わず、新幹線移動のホテル泊となる。この季節は車内泊だと、暑かったり蒸したりでひどいことになる。車旅は少なくとも夏が終わるまではやらないほうがいい。

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(「石川四高記念文化交流館」にも寄る予定)

 月末なので、この6月の株取引について総括しておく。この1ケ月で日経平均が-3.25%となった中で、自己資産額(取引に充てている全体額で、保有株式時価総額+買付余裕資金)は+2.25%となった。これは、東電HDや三菱自動車など、長い間塩漬け傾向になっていた大量保有銘柄が上昇して流動化し始めたことによるところが大きい。
 また、この1か月間の利益確定額(売った株式の、買った時との価格差)は+599千円ほどとなった。額としては健闘した形に見えるが、上手に売っていればもっと利益が上がったはずだという反省点もある。
 買付余裕資金も着実に増加して、資産合計に占める余裕額の比率は、前月の22.4%から25.4%へと微増。大きく下落したときの買付資金として、もう少し余裕額を持っておきたいところだ。総じて6月は好結果だったと言っていいが、いつまでもこういう時期は続かないように世の中はできている。

 夜は、「オレンジデイズ」の最終回の録画をじっくりと視聴する。テレビドラマのノベライズ本を読んでいるので最終回のあらすじもわかっているものの、映像で見れば感動はひとしおだ。初回放送分から一度もしゃべることのなかった萩尾紗絵(柴咲コウ)が、たどたどしい口ぶりで「櫂、いってらっしゃい」と言う最後のシーンは、それだけのことだが十分に泣けた。

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(「オレンジデイズ」のラストシーン)

 今日は早起きしたし、暑い日中には休まずがんばったので、体調を考慮して早めに室内灯を消し、ベッドで本を読んで眠くなるのを待つことにする。「朽ちないサクラ」を50ページ読んだ頃には睡魔がやってくる。
 この日の最高気温は32.5℃。身体が慣れてきて、この程度であれば何ほどのこともなく平穏を保っていられる。

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   朝日文庫  620円+税
   2008年9月30日 新装版第1刷
   2017年6月30日 第4刷発行

 1973年、著者は新潟からソ連を経てモンゴルへと飛びます。当時はまだ旅行が不自由な時代だったため、入国査証を得たことで、「わがモンゴルよ」と、心の中で叫ぶ思いがあったといいます。少年の頃から中国周辺の少数民族にあこがれ、大学時代にモンゴル語を学んだ著者にとっては、念願のかなった旅となります。満天の星空に圧倒され、須田剋太画伯とゴビ草原の夜をさまよい歩く場面が心に残ります。

 初めてのモンゴルへの旅は、新潟から始まります。新潟空港からソ連(現ロシア)のハバロフスクへと飛び、さらにイルクーツクのモンゴル領事館でビザを受け取り、二度の乗り換えでようやくモンゴルへたどり着いています。これが当時のモンゴルへの最短ルートだったのでしょう。

 1冊200円で買った古書ですが、司馬本はこの価格以上の価値は確実にあります。
 司馬の最終学歴は、大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)の蒙古学科。少年時代に空想をかき立てられ、青春期にはその言語を学んだモンゴルという土地は、司馬にとっては夢想の中のあこがれの国だったのでしょう。
 目次を見て、全300ページ余のうち、ウランバートルに入る前段のハバロフスクとイルクーツクにいる間の記述が120ページほど。本題に入る前の長い思索は司馬のお得意とするところで、本論部分を読むためにもこの前段、前提はわりと重要だったりします。
 そして、巻頭付近にある「モンゴル周辺図」を見て、このあたりの地理について自分はほとほと無知なのだなあと思ったところ。ハバロフスクってどこだ? 極東のロシア(旧ソ連)領ってこうなっていたのか、イルクーツクとウランバートル間の距離ってこれしかないの、などと。

 司馬はハバロフスクで、アムール川の対岸に広がる中国領を望み、かつて国境をはさみソ連軍と対峙した戦車連隊士官時代の記憶に、歴史と運命の皮肉を思っています。イルクーツクでは、江戸時代に日本から漂着した大黒屋光太夫の軌跡をもしのんでいるのでした。
 ようやくモンゴルに入国した司馬は首都ウランバートルで、ノモンハン事件の悪夢に日本人とモンゴル人の不幸な出会いを嘆いています。
 そして、ウランバートルから足を延ばした南ゴビで、満天の星空や一望何億という花の咲きそよぐ草原を眺め、さらに純朴な遊牧民たちと交流し、司馬は帰りがたいほどの想いにかられているのでした。
(2022.4.14 読)

2022.07.02 20220701 金
 いったん3時に目が覚める。薄明るくなってきた3時半にはどこかでカッコウが鳴き始めた。起きるにはさすがに早すぎるので二度寝。隣家が静かだったこともあって、再起床は6時半となった。この日の陽射しはなんだか朝から狂暴な感じ。盛夏のような日々はこれで何日続いているのだろうか。今日から7月。

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(okinawa-image(南大東島))

 つれあいは旧職場の仲良し女性たちとの昼食会にでかけたので、こちらは一人で小白川町の「福家食堂」を3年3か月ぶりに訪う。ここは自分が中学に上がった時点ですでに存在していたので、少なくとも50年以上の歴史を持つ老舗だ。
 もっと頻繁に行きたい気もするのだが、ここの難点は、2台分しかない狭い駐車場で、近隣にも住宅や店舗がはりついているので、そこいらに停めることもままならない。しかし、今回初めてその専用駐車場に停めてみると、憂慮するほど狭くも停めにくくもなく、なーんだといった感じ。これならもっと通える。(笑)
 冷しラーメンの大盛り、880+100円。中華そばが650円なのに、冷やすとなぜ230円も上がるのかと勘ぐったが、配膳されたものを見てナルホドねと頷く。トッピングが、レタス、海苔、チャーシュー、細切りキュウリ、メンマ、ワカメ、蒲鉾、ネギと充実。でっかい氷も投入されていて、涼やかだ。ラー油が多めにあしらわれたスープは、なぜかこれぞ福家食堂のオリジナルと思わせる味がある。チャーシューには燻製したいい香りがあり、これもこの店でなければ味わえないものだと思った。最後はお約束のコーヒームースで締めて、ゴチソウサマ。

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(「福家食堂」の冷しラーメン)

 午後からはめきめきと暑くなってきたので、やるべき作業を放棄して読み易い文庫本にニゲる。第二の人生なのだから、無理をして前に進むこともないわけで、これでいいのではないか。
 以前子どもたちが使っていた2部屋と自室、計3室の入口付近の廊下は、各部屋の窓を開け放つと北から南への風が集まって通り過ぎていくような構造になっていて、ここがとても涼しい。いい場所を見つけたなとそこに座り、壁にもたれて本を読む。
 この日は夜までに、「朽ちないサクラ」を190ページ。

 本日の株式関連は、景気後退懸念や円高進行でリスク回避が加速し、日経平均は2万6千円割れの大幅続落となった。ロシアのプーちゃんが、石油・天然ガス開発プロジェクト「サハリン2」の事業主体を新たに設立するロシア企業に変更するよう命じたと伝わったことで、同プロジェクトに出資している三井物産、三菱商事が大幅に下落したので、これらを買い拾っておく。もっと下がるのかもしれないけれど。

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(image)

 夜は、金沢旅の情報収集。観光情報サイトを見てみると、まだまだ拾い洩れているポイントがあり、しばらくそれらを資料に追加していく。楽しみながらやっていると、どんどん時間が経っていくものだ。

 この日の最高気温は、15時近くになってから記録した33.2℃。このあたりが平常心でいられる限界点かもしれない。

2022.07.03 20220702 土
 隣家のボイラーが点き、風呂場でプラ製洗面器が落とされて反響する音で、5時50分起床。今日も朝から暑い。
 明け方に見た夢は、行きつけの定食屋で食事をしているところのものだった。メニューの中から店名を冠した定食1,100円を選んだのだが、これが価格不相応に豪華なもので、この日はナミガシラの刺身とドブンの焼き物のセットだという。いずれも地魚で、地元ではそう呼ばれているとのことなので、これは忘れないようにしようと、夢ではなく現実に起き出して(!)、デスクにあった雑記帳に2つの名称をメモっておいた。
 朝起きてからこの椎名誠のSF作品に出てきそうなこれらの名称をググってみたけれど、当然ながらそんな魚名はヒットしないのだった。

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(ナミガシラの刺身とドブンの焼き物の定食――ではなく、image画像です)

 今日7月2日は、内間明美(南沙織)の68歳、小柳留美子(ルミ子)の70歳のバースデイだ。お互い元気に、ずいぶん遠くまで歩いてきたものです。
 シンシア(南沙織のクリスチャンネーム)の大ファンだった吉田拓郎は、かまやつひろしと組んで、南沙織に捧げる楽曲「シンシア」を、3拍子のメロディで作っている。よく聴き、自らも口ずさんだものだが、あれは当時の若者たちの心にずんとくる名曲だった。
 懐かしい人や町を訪ねて駅に立ってみたが、目に写るのは時の流れだけで、心が砕けていく……という前段があって、
 ♪ シンシア そんな時 シンシア 君の声が 戻っておいでよと唄ってる ……
と続いていくサビのところには大いに感動し、ハーモニカの間奏にも泣かされたものだった。

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(南沙織 1971)

 昨日のブログ記事に南大東島の画像を載せたのだが、南大東島には2009年5月の連休に一度訪れている。今思えば、本土にいては見られないような景色や遺構、自然などが見られて、貴重な体験をしたものだと思う。絶海の孤島のすばらしさに惚れて、翌年には北大東島にも足を踏み入れたのだった。あの頃は、目先は常に「島」に向いていた。撮ってきたなつかしい南大東島の写真を2枚、貼り付けておく。

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(西港、旧ボイラー小屋の遺構 2009.5.5)

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(南大東村立南大東中学校 2009.5.6)

 昼食は、1年1か月ぶりに、南二番町の「洋風定食自由軒」へ。西並びにあった駐車場は住宅が建ち、駐車スペースは店前3台分しかなくなったため、やや不便になった印象。今回は、買い物ついでに近くのスーパーの駐車場に停めて訪問した。
 からあげ甘酢あん定食790円。鶏の唐揚げ5個に、酢豚で使うような甘酢あんがかかったもので、酢豚好きにとっては願ったり叶ったりのおいしさ。ごはんはてんこ盛りで、メニュー表に「定食のおかわり2杯無料」とあったが、あとが苦しくなると困るので1膳で自重。これでちょうどいい腹加減となった。
 このグレードで、最高品でも950円という価格設定は、今どき安いと思う。課題があるとすれば、使っているコメの質だろう。顔つきや、白髪の胡麻塩加減までそっくりな、見分けがつかない年配男性二人が仕切っている名店。次回はみそかつか鳥みそかつあたりにしようか。

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(「洋風定食自由軒」のからあげ甘酢あん定食)

 34.4℃と今年最高まで上昇した午後は、なかばブチクン状態で読書をするぐらいが精一杯。昨日と同じく風通しのよい廊下に椅子を持ち出して読む。暑いことに変わりはないが、この位置にいると身体全体からじんわりと出てくる汗を風が飛ばしてくれるので、鬱陶しさはかなり緩和されるのがいい。縦の姿勢が辛くなって、空いている部屋のフローリングに横になれば、ほぼすぐに睡魔がやってくる。
 夕刻までに「朽ちないサクラ」を90ページ余り読んで読了する。

 夜は、名曲「シンシア」をはじめとして、吉田拓郎を聴く。拓郎は数日前、2022年をもって芸能活動を終了することを発表したばかりだ。
 彼のヒット曲も好きだが、あまり売れなかった「男達の詩」や、猫もうたっていた「地下鉄に乗って」なんかもいいと思う。「春だったね」は、自分にとっては忘れることのできない初恋のメロディだ。

 ベッドに横になってから「街道をゆく37 本郷界隈」を30ページ読んで、22時半前には早々と眠りへ。
 この日はヘンな夢から始まって、過去を回想する日となった。

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   ちくま文庫  950円+税
   2010年5月10日 第1刷発行

 司馬の「街道をゆく5 モンゴル紀行」の次に本棚から取り出したのは、「宮本常一が見た日本」。文庫は2010年間ですが、初出は2001年です。
 佐野眞一が著した宮本常一モノは、この2月に読んだ「旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三」(2009、初出は1996年)に次いで2冊目となります。1冊目は、宮本の物心両面にわたるパトロンとなった渋沢敬三との精神的交流を織り交ぜつつ、宮本の人と業績を追ったものでした。
 それ対して5年後に刊行されたこちらは、「旅する巨人」後に、紀伊半島最深部の僻村から日本海の絶海浮かぶ孤島まで足を運んで追加取材をする機会を得、宮本が訪ね歩いた村々、島々の風物に向けた10万点もの膨大な写真記録を見、遺族のはからいにより貴重な取材ノート類を閲覧して書かれたものとなっています。

 カバー背表紙の記述によれば、「日本人が忘れてしまった「日本」をその著作に刻みつづけた民俗学者、宮本常一。戦前から戦中、高度経済成長期からバブル前夜まで日本の津々浦々を歩き、人々の生活を記録、「旅する巨人」と呼ばれた宮本の足跡を求め、日本各地を取材。そのまなざしの行方と思想、行動の全容を綴った。宮本が作りあげ、そして失われた「精神の日本地図」をたどる異色ノンフィクション」というものです。

 著者は、もう少なくなってしまった当時を知る人と会いながら、宮本が数十年前に歩いた場所をなぞるようにしてたどっています。その場所を列挙すると、愛知県北設楽郡設楽町の名倉集落とその周辺、北海道天塩地方・サロベツ原野近くの間寒別・初山別・更岸、北海道の滝川近くの新十津川、新十津川の人々の母村である奈良県の秘境十津川村、宮本が30回以上足を運んだ佐渡島……。
 いつものようにこれら記載の場所の現況をグーグルマップで確認しながら読みます。したがって時間がかかります、幸いにしてそうする程度の時間は不足していないし、それによって理解はぐっと深まります。

 整理しておくとこの著書の初出は、2000年1月から3月までの間、12回にわたってNHK教育テレビで放送された「人間講座・宮本常一が見た日本」のテキストを大幅加筆した上、5つの章を新たに書き下ろして、2001年10月に日本放送出版協会から発行されたものです。
 そして、2010年発行のこの文庫版は、これに「宮本常一のメッセージ――周防大島郷土大学講義録」(みずのわ出版、2007)に収録された著者の講演を最終章に加える形で出来上がっています。
 宮本は晩年、「記憶されたものだけが、記録にとどめられる」との言葉を残していますが、著者はこの言葉を反転させ「記録されたものしか、記憶にとどめられない」として、ノンフィクションを書く際の座右の銘にしているといいます。
(2022.4.19 読)

2022.07.04 20220703 日
 早く寝たので、その分早く目覚めてうとうとする時間があり、きちんと起きたのは6時。
 朝の軽食の段階で、自家製チャーシューをつくったのでこの日の昼食は家で油そばだとつれあいから告げられたので、今日の外出はなしでいいかと、早々と自宅生活を決める。2日おきの髭剃りも省略してしまおう。なんだか一足早い夏休みのような日々だ。

 この暑さだと頭を使う活動は難しく、本を読むぐらいがせいぜいだろうと、まずは残り少なくなっている「街道をゆく37 本郷界隈」からとりかかる。9時半までの涼しいうちに30ページ余り読んで読了となる。
 読みかけの本3冊をこの3日ほどの間に読み終え、新たに手にしたのは「ローカルバスの終点へ」(宮脇俊三著、新潮文庫、1991)で、すぐにこれを読み始める。宮脇作品を読むのはこれが5冊目となる。主に午後の最も暑い時間に風の通る廊下に椅子を持ち出して読み、これを120ページ。
 また、同じものを続けて読んでいるとほかのものも読んでみたくなり、雑学本的な体裁で気安く読める「ご当地バカ百景 噂で描いた47都道府県」(一刀著、宝島社、2006)を取り出して、30ページ読む。

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(この日読んだ3冊)

 さて、自宅で食べた油そばなのだが、つくる当人はまだ一度も油そばを食べたことがないという。さらに、そう聞いたからいろいろと事前にアドバイスをしているのに、それらには耳を貸そうとしないから、食べさせられることになるこちらとしてはますます不安になってくるのだった。
 不安は的中し、つくり方はかなり怪しい。味のポイントになるはずの付属の油だれを十分に熱くしてくれと頼んだのにお湯に浸けて暖めているだけだし、中央ではなく端っこのほうにそっと落とし置かれてしまった卵は、半熟とろ~りではなく黄身が固めの温泉卵だ。ハイドウゾと言われマシテも、甜麺醤も辣油もニンニクチップも刻みタマネギも入らない淡白な味で、言ってしまえばほぼベツモノで、食べていてちっとも楽しくない。本来ならやるはずの残ったタレでの追い飯も、タレが麺を食べ終えた段階ですっかりなくなるほどに少なく、それできない。
 なんだか1食分の貴重な機会を無駄に失い、人生の大損をしてしまった気分となる。つれには、つくってくれるのは嬉しいけれども、袋を読む程度でやみくもにつくらず、一度はホンマモンを食べてからにするなり、少なくとも「油そばのつくり方」で一度はググってきちんと調べるなりしてからにするべきだと忠告しておいた。うるさい相棒でスマンけど。

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(一見イケそうだが不発だった、自宅の油そば)

 今日も山形は、最高気温34.9℃と、今年最高を更新。この数日間、毎日着実に今年最高を更新し続けているところが気にくわない。東京株式市場みたいに、上げたらそれ以上下げろよと言いたくなる。(爆) むしろ、市場のほうは毎日高値を更新してもらいたいところなのだが。

 夜になってからようやく少しだけ暑さが弱まったので、まだイケルぞと、金沢旅の手持ち資料の総仕上げにかかる。いい資料に仕立てようとすると、詳細部分をあれもこれもと加えていきたくなるもので、完成のはこびとまでは至らずじまいとなる。

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(金沢・尾山神社の神門)

 23時半に室内灯を消し、スタンドの灯りで30分ほど読書をして、就寝。